田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

講演 白頭山登頂記

2012-08-31 23:51:10 | 講演・講義・フォーラム等
 白頭山というと金日成のパルチザンゲリラの根拠地であり、金正日が生まれたところというまことしやかな伝説が流れている北朝鮮人民の聖地である。(北朝鮮人民だけでなく、韓国人も含めた朝鮮人民にとっての聖地であるようだ)その山に二度も登ったという人の講演と聞いて好奇心がうずき参加した。   

 8月28日(火)夜、日本山岳会北海道支部が主催する講演会がボランティアセンターで開催された。北海道支部は恒例的に山に関する講演会を開催しているようであるが、私が参加したのは初めてである。
 若い人が多いのかな?と予想していたが、案に相違して超ベテランの方々が多かった。

白頭山に二度も登った人、その人は手稲区で古書店を営む花島徳夫という方である。
 花島氏は中国語が大変堪能な方で、古書店では中国に関係する古書を中心に扱われているようである。
 彼が二度も白頭山に登ることができたのは中国語が堪能だったからのようだ。もちろん山のベテランでもあったが…。

          
          ※ 講演をする花島徳夫氏です。

 キッカケは登山家として有名な田部井淳子氏が主宰する「国際交流青少年環境体験登山」が十勝・トムラウシ山で行われた時に中国の子どもたちのために通訳のボランティアで参加したことが始まりだそうだ。
 その田部井氏の「国際交流青少年環境体験登山」が中国で実施された時に再び通訳を世要請され、中国側から白頭山に登ったそうである。

          
          ※ 白頭山の北麓から撮った写真です。

 そしてさらに、その登山が縁となってある老年の婦人の方から「白頭山へ登りたいのでガイドとして同行してほしい」と要請を受けて二度目の登山を果たしたそうである。
 つまり、花島氏は二度とも中国側から白頭山に登頂したのである。

 花島氏は登頂に様子についてはほとんど話されなかった。
 ということは白頭山の登山そのものはそれほど難しい山でないと思われる。青少年登山の対象となったり、老年の婦人が登ったりする山だからだ。実際、現在も中国側からは韓国や日本からりツアー客が押し寄せているという。

 白頭山についての知識をまったくもたないまま講演会に参加したのだが、白頭山は2,744mの高峰であり、その周りには2,500mを超える16の峰々で囲まれた周囲およそ14kmの天池があるという。(カルデラ湖である)その天池の中央が北朝鮮と中国との境界線でもあるという。

          
          ※ 白頭山頂上に広がるカルデラ湖、天池です。

 現在、北朝鮮側から白頭山を目ざすことはほとんど不可能であるが、中国側からは一般人が案外容易に接近し、登ることも可能だったとは少し意外な気がした。


映画 76 天地明察

2012-08-30 23:08:41 | 映画観賞・感想

 昨夜(29日)話題の映画「天地明察」の試写会を見た。「おくりびと」で話題をさらった滝田洋二郎監督と、昨年度の本屋大賞に輝いたベストセラー小説の原作、そして勢いと経験のある豊かな出演陣の組み合わせは話題性たっぷりだった。 

                         

 「天地明察」とは、辞書的にいうと天地つまり地球、あるいは宇宙の事象についてはっきりとその真相を見抜くことである。映画は日本の江戸前期において、それまで中国で作られた暦を使ってきたため日本では大きなずれが生じたことから、日本独自の暦作りを担った天文学者・安井算哲という実在の人物の物語を映画化したものである。

 出演者は、主演の安井算哲に岡田准一、その妻に宮崎あおいと勢いのある話題の俳優を配し、松本幸四郎、笠野高史、中井貴一、市川染五郎、市川猿之助、佐藤隆太などなど錚々たる出演者が二人の脇を固めるという布陣だった。
 さらにはナレーターに真田広之、音楽担当が久石譲という超豪華なキャスト、スタッフで固められた映画だった。

          

 さて、映画としての出来はどうだっただろうか?
 私の率直な感想を言えば「いろいろ見どころもあり、よく創られた映画ではあるが大ヒットは難しいのではないか?」というのが見終えた後の率直な感想である。
 その最大の要因は天文という素材の難しさにあったのではないか、と思う。さらには、艱難辛苦の上に安井が創った暦を朝廷に認めてもらうという政治的なことまで安井が負わなければならなかったところで主題がやや散漫になったキライを感じた。
 私はこの映画に以前見た「剱岳 点の記」と同種のものを感じたが、「剱岳 点の記」では純粋に地図作りに精魂を傾けた男の物語に感動したのだが、この映画も暦作りの困難さとそれを克服した安井算哲の偉大さのみに焦点を当てて描いた方がより大きな感動を与えたのでは、と思うのだが…。そこには原作との兼ね合いという問題も当然横たわっていたとは思うが…。

 原作との兼ね合いというと、映画の中で主人公・安井が自分の創った暦が朝廷に認められなかったときに、彼の後ろ盾的存在である水戸光圀公(副将軍)を激しく罵倒する場面がある。江戸時代にあって忠臣がはたして上様にそうした態度をとれるとは到底考えられないと思うのだが…。そのあたりは原作にあったところなのだろうか?

     
     ※ これは副将軍・水戸光圀公のお膳である。豪華な食事に少々驚いた。

 私は残念ながら原作を読んではいない。
 今日、友人と話をしていたら偶然にも友人も同じ試写会を見ていたという。
 友人は原作を読んでいたということだったが、彼が言うには「原作を読んだ時のような感動は得られなかった」と語っていた。
 小説の世界の面白さを映画で表現する難しさが横たわっているような気がする。

 断わっておくが、この感想は大して映画通でもない私が感じたことであり、試写会を見た多くの人は全く別の感想をもたれたかもしれない。
 ロードショーは9月15日からということだが、話題性は十分である。
 多くの人が映画館に足を運ぶことを期待したい。


札幌中央卸売市場のセリを見る

2012-08-29 22:47:02 | 札幌(圏)探訪
 念願だった札幌中央卸売市場の朝のセリの様子を見学した。セリは早朝に行われるためになかなか見学が叶わないのだが、今回はオヤジの会の8月例会で友人たちと一緒に見学することができた。 

 札幌中央卸売市場で取り扱うマグロは生だけで、冷凍物は扱っていないとのことだった。
 札幌中央卸売市場では唯一の女性セリ人が水産物の市場で活躍していた。
 札幌中央卸売市場の建物の最も長い直線路は220mもあるとのことだった。

 いうような小ネタを紹介したが、ふだんなかなか入ることができない札幌中央卸売市場は私にとってはいろいろと興味深いところであった。

          
          ※ 市場内を忙しく走り回るターレットなどの車です。

 28日(火)朝5時、友人の車が迎えに来てくれて札幌中央卸売市場に向かった。
 市場に着くとトラックや市場独特の車ターレットが忙しそうに走り回っていた。
 私たちには市場協会の職員である鷹政美というベテランの案内人が付いてくれた。

          
          ※ 白い発砲スチロールの箱が目立つ水産棟です。

 まずは水産棟から案内された。
 だだっ広い場内ではそこここで卸売会社の職員、仲卸業者の方々が忙しそうに動いている。
 私たちが水産棟に入ったときにはセリが一段落した後だったが、一部ではセリが行われていた。そこで一人の女性が卸売会社の職員と仲卸業者の中央に位置してセリをリードしていた。

          
          ※ セリの様子です。白い制服がセリ人など卸売会社の職員、それ以外はセリ落とす仲卸業者です。

          
          ※ 卸売会社の職員の中心でセリをリードする女性セリ人です。          

 セリには、ひと声ゼリと上げゼリという方法があるとのことだったが、札幌の水産物はひと声ゼリを採用しているとのことだった。
 水産棟の一角にはマグロ専用の卸売場があった。マグロの鮮度を保つために低温が保たれるようになった特別のところだ。相当の数のマグロが並べられていたが、全て塩釜で水揚げされた生マグロとのことだった。先にも記した通り、札幌中央卸売市場では生もののマグロしか扱っていないとのことだった。
          
          
          ※ ズラリとマグロが並べられています。60キロ程度のものだそうです。
   
 続いて青果棟に案内された。
 こちらも広々としたところにあらゆる野菜・果物が並べられている。そしてそこここでセリが行われていた。私たちの目の前でメロンのセリが行われていたが、青果物は上げゼリとのことで、仲卸業者が指でサインを出しながら買い落しているようだった。

          
          ※ メロンのセリの様子です。緑色の制服がセリ人など卸売会社の職員です。

 案内の鷹氏は市場一筋に40数年生きてきた人だそうだ。
 市場に対する思い入れが人一倍強い人と感じた。
 札幌中央卸売市場では現在一日約6億円(水産物4億、青果物2億)の取引があるということだが、この額は往時の1/2程度まで落ち込んでいるとのことだった。
 その要因は、インターネット販売の普及、産直の直接取引の拡大、大手スーパー等の市場を通さない買付など、さまざまな要因が重なっているという。
 そのことに対して鷹氏は非常に危機感を感じているようなのだが、関係者との間の温度差に少々苛立ちを感じているようにも見えた。

 一緒に見学した友人が「思っていたほど活気が感じられなかった」という感想を語っていたが、私も同様の感想をもった。
 時代が移り、人が変わったせいだろうか? それとも取引の改善(近代化)が進んだことによるのだろうか? あるいは取引額の低落傾向が関係者の熱気を奪ったのだろうか?

 札幌市民の食を担う市場は何時の時代も熱気と活気に満ちていてほしい、と願うのは消費者の勝手な願いだろうか?

          
          ※ 本マグロトロ鉄火丼です。美味しかった~!

 見学を終え、私たちは市場内にある関係者用の食堂で朝食を摂った。
 私は「本マグロトロ鉄火丼」(780円)を食した。さすがに市場ならではの新鮮さと美味しさが詰まった丼だった…。

東アジアのなかの北海道 4

2012-08-28 21:23:18 | 大学公開講座

 シリーズの最終講座が23日行われた。「韓国から見た北海道」という趣旨で韓国人の北大大学院准教授の金氏の話を聞いた。日本と韓国の間が急に微妙な関係になってきた時期だっただけに金氏も少し話しづらそうだった。 

 毎週木曜日に開催されてきた本講座だったが、お盆を挟んだこともあって一週空けた23日(木)に最終講座が開催された。
 金 成玟(キム・ソンミン)氏はまだ36歳と若く、気鋭の学者と紹介されたが、専門がメディア研究ということで「『Love Letter』から『Love Rain』まで」~韓国メディア・ポピュラー文化における「北海道のイメージ」の変容過程~という講義題で、主に映像文化に見る韓国人の北海道のイメージについて語った。

          

 金氏の話の中で特筆すべきキーワードとして「倭色」という言葉が何度も使われた。
 「倭色」とは日本の文化や生活様式を否定的に言い表す言葉として広く韓国人に浸透していた言葉だそうである。戦前日本の被占領国であった韓国は、戦後になって日本色を払拭しようとする韓国社会において「倭色」的なことを排除しようとする力が大きく働いていたということだ。

 そうした空気を変える契機となったのが、1998年の当時の金大中大統領による「日本大衆文化開放」宣言であり、それに伴って日本映画をはじめとする大衆文化が韓国に輸入されことだという。
 その中でも1999年に韓国で公開された映画「Love Letter」(岩井俊二監督)は120万人もの観客を動員する大ヒットになったそうである。「Love Letter」は冬の北海道・小樽を舞台にした映画であるが、映画の大半を占める白い雪景色が韓国人には鮮烈な印象を与え「北海道のイメージ」が韓国人の中に形成されていったという。

 それから10数年、日本に韓国ブームを巻き起こした「冬のソナタ」を制作したユン・ソクホ監督が北海道を舞台に人気俳優チャン・グンソクを擁して「Love Rain」を制作し現在日本でもテレビ放映されている。

          

 「Love Letter」から「Love Rain」までの10数年間によって韓国人の日本に対するイメージは相当に変化してきたという。もちろん「倭色」という否定的イメージが完全に払拭されたわけではなく、金氏の言葉を借りると「重層的で繊細なイメージ」を通じて日本を見つめ直すようになったということだ。そこに果たしたメディア・ポピュラー文化の役割は大きいと金氏は指摘する。

 さらに北海道に対しては、韓国人が日本に対して描くイメージを豊富に拡張させたものになっているという。日本全体に対するイメージがコンパクト、技術、伝統、冷静さなどに対して、北海道に対するイメージは広闊、大自然、開拓、純愛というものだそうだ。
 しかし「Love Rain」を見るかぎり韓国人の北海道に対するイメージはいまだ「Love Letter」のイメージを再生産する程度に留まっているとも指摘する。

 金氏は最後に、北海道に対する固定したイメージを乗り越え(韓国民に対して?)、さらに豊富なイメージによる相互理解を図っていくべきだとした。
 そして現在、日韓関係が微妙になってきていることを意識してのことだと思われるが、中央政治の動きに安易に影響されずに、ローカルな水準で北海道と韓国の関係を密にしていくことが必要であるとまとめた。

 金氏が日本で生活し、日本の大学で教鞭をとっているということを割り引いても、将来韓国を指導するであろう知識層が金氏のように冷静に日韓関係を語れる人たちが多く存在していることを信じたいと思った。


根室フットパスは歴史的使命を終えたのか?

2012-08-27 19:39:55 | フットパスウォーク & トレッキング
 根室フットパスの三つのコースを歩きながら「根室フットパスはその歴史的使命を終えたのでは」と思いながら歩いた。しかし、最後になってフットパスを整備された一人の小笠原忠行氏に出会い、その考えが微妙に揺らぎ始めた…。 

 根室フットパスは以前にも触れたとおり地元の酪農家たち(AB-MOBIT)が2003年にルートを整備し開設したコースである。北海道のフットパスの草分け的存在としてマスコミにも注目され、度々報道されていた。
 以来10年が経過していた中で私がこのほど訪れたのだが、その印象から「根室フットパスはその歴史的使命を終えたのでは?」と思ったのだ。

        ※ 写真はこれまで掲載した中から印象的なものを再掲しました。この写真は「もの思いにふける丘」です。   

 根室フットパスが歴史的使命を終えたのでは、と私が考えた根拠はたくさんある。
 一つはコースの整備状態が不十分と思えたことだ。特に「別当賀パス」は踏み跡も見えなくなり立ち往生し、事情の知らない者にとってはそれ以上前には進めなかった。
 二つ目にコース案内も十分とは云えなかった点だ。「厚床パス」ではコース途上に案内板のようなものが設置されていたが、その状況からここ数年は案内は剥がれたままになっているように思えた。
 三つ目に、「厚床パス」の中間地点にあった酪農喫茶はAB-MOBITのメンバーのお一人が経営する店なのだが、そこのスタッフにそこから後のコースの状況を尋ねた。しかし、スタッフにとってはパスそのものに無関心のようで何の情報も得ることができなかった。
 そして最も想像と違っていたのが、三つのパスを歩いていて誰一人出会う人がいなかったということだ。        

 このような状況から私は「コース設定後10年が経ち、訪れる人も少なくなり、AB-MOBITの人たちも情熱が薄れてきてコース整備にも力が入らず悪循環に陥っているのでは?」との思いを強くした。
 そうした中で最後の「初田牛パス」を歩いていたとき、AB-MOBITのメンバーの一人小笠原忠行氏にお会いしたのだ。
 小笠原氏とは短い時間だったがいろいろなお話をさせてもらった。
 AB-MOBITのメンバーはみなさんが40代後半に差しかかったという。「始めたころは皆まだ若かったんですけどねぇ…」と小笠原氏は懐かしんだ。

          
          ※ お話をうがったAB-MOBITメンバーのお一人小笠原忠行氏です。

 私は私が勝手に創り上げたAB-MOBIT物語を小笠原氏に披露した。その内容は・・・、
 「AB-MOBITのメンバーの一人が若い時にイングランドに農業研修に出かけて、そこで本場イングランドのフットパスに出会い、その素晴らしさを体験した。帰国して地域で酪農経営に励む同世代にその素晴らしさをことあるごとに伝えていた。酪農経営も軌道に乗り、一段落したところで仲間と図り念願だったフットパスコースを開設したのではないだろうか」という私の物語を披露した。
 ところが小笠原氏から返ってきた答えは、案に相違して「誰一人イングランド研修の経験はない」とのことだった。

 コース開設のきっかけは、仲間内で「牧場内を別に人が歩いてもいいよね」というような話から、酪農家たちのために、地域のために何かアクションを起こしたいという情熱と根室支庁の方々の助言が実を結びフットパスコース開設に繋がったということだ。

          
          ※ どこまでも続く一直線の道路も根室らしい光景です。

 小笠原氏は言う。「来た時期が少し早かったと思う」と…。ということは、根室フットパスの最適シーズンは9月、10月で、その時期に合せてコース整備もしっかり行うということのようだ。
 また、私がコースの未整備について触れたとき、小笠原氏は「フットパスのコースはあくまで自然そのままなのが基本で、整備され過ぎるとつまらないですよね」という言葉はフットバスの本質を言い当てているのかなとも思った。

          
          ※ 牧草地帯に転がる白い牧草ロールがとても鮮やかです。

 最近は道内各地にフットパスコースが次々と出来ている。根室フットパスは、フットパスという概念を北海道の地に根付かせるという当初目的を果たし、その歴史的使命を終えたのかな?と私は考えたが、小笠原氏をはじめAB-MOBITのメンバーのフットパスにかける情熱は薄らいではいないようだった。

 私は小笠原氏にお会いしたとき「辛口の感想を書きますよ!」と予告した。小笠原氏は「どうぞどうぞ」と大人の応対をしてくれた。
 私は遠慮せずに書かせてもらったと思っているが、「根室フットパス」が北海道の草分け的存在であると共に、フットパスの魅力を発信し続ける存在であってほしいと願っている。
 そのためには、何時、誰が訪れてもその魅力を満喫できるような体制を整えていてほしい、と願うのは酷な願いだろうか…。

 根室フットパスが北海道の、日本のフットパス愛好者にとって聖地のような存在となることを願っている。

北海道マラソン2012 観戦記

2012-08-26 20:36:51 | スポーツ & スポーツ観戦
 気温が30度前後と上昇した中、北海道マラソン2012は人気の公務員ランナー川内優樹選手がぶっちぎりで優勝したそうだが、私はマラソン愛好家の知人を応援すべく、コースの各所に立って彼を応援した。 

 予定では「根室フットパス」のまとめをレポートする予定だったが、それを置いておいてとれたてホヤホヤの話題をレポートすることにした。

 知人のF氏は大のマラソン愛好家である。
 年齢は私と一歳しか違わないが、いつのころからかマラソンを走り始め、そのキャリアは30年くらいになるのではないだろうか。
 彼はタイムが優秀なランナーというわけではなく、こつこつと粘り強く走ることをモットーとして日常からランニングに取り組んでいる人である。

 その彼が今年も北海道マラソンに参加すると聞いて、いつもとは違う観戦をしてみようと思った。それは彼の走りに従って、各ポイントを先回りしながら彼の走りを応援しようと考えたのだ。
 前夜、私は10キロ,20キロ,30キロ,40キロのポイントで待つことを決めた。
 そしてポイントごとに応援ボードを作成した。(F氏の名前を出してしまったが、やはり名前が入らないとボードに込めた思いが伝わらないような気がした。舟橋さん了解ください)
  ◇10キロ 「舟橋 行けー!」
  ◇20キロ 「舟橋 ここからだ!」
  ◇30キロ 「舟橋 ねばれ!」
  ◇40キロ 「舟橋 ゴールで待つ!」

          
          ※ 応援ボードはスケッチブックで作成した。持ち運びが便利だった。

 応援ボードの効果は抜群だった。
 10キロ地点、一万人を超える参加者が流れるように走り抜ける中から個人を見つけることは至難の業である。しかし、走っている側からは応援ボードがよく見えたようだ。F氏の方から駆け寄り声をかけてくれた。

 20キロポイントに向かっていた時だった。折り返してトップランナーが「向かいの道路を通過する」というアナウンスがあった。するとしばらくして優勝した川内優樹選手が独走状態ですれ違った。すれ違った多くの市民ランナーが歓声で川内選手を後押ししていた。彼の人気ぶりがうかがえるシーンだった。

          
          ※ 幸運にも川内選手の激走をとらえることができました!

 20キロ地点、彼はまだまだ元気だった。近くのコンビニで購入した冷たい水を頭からかけてやった。

          
          ※ まだまだ元気な20キロ地点のF氏です。(緑のウェア)

 30キロ地点、「もうだめかもしれない」と彼は弱音を吐きながら通過した。

          
          ※ 30キロポイントを過ぎると続々と棄権するランナーが出てきた。彼女もその一人?

 40キロ地点、北大構内である。意外に元気な様子で姿を現した。時計を見ると制限時間の5時間まで残り20分。しかし、残り2キロ強だからギリギリ滑り込めそうだ。

          
          ※ 40キロポイントを意外に元気よく通過したF氏です。

          
          ※ この方も知人の一人S氏です。彼は網走からの参加です。


 応援ボードには「ゴールで待つ!」と書いたが、私も疲れてしまった。そしてゴール付近の大混雑を思うとき、彼の完走を信じて帰路に就いた。

 帰宅して部屋でホッとしているとF氏から電話が入った。「無事、制限時間内にゴールできた」と…。そして「応援ボードが励みになった」と云ってくれた。
 彼と後日の完走祝いの会を約束した。

          
          ※ 以前は私も参加した大会運営ボランティアです。大会は彼らの熱意に支えられている。

フットパスウォーク №5 根室・初田牛パス

2012-08-25 17:22:18 | フットパスウォーク & トレッキング
 ウォーキングとフットパスウォークの間に大きな違いはない。私の認識では、前者が歩くことを主体とした健康づくりを考えているのに対して、後者は歩くことによって体験できるさまざまなことも楽しみながら歩こう、とする違いかな?と捉えている。この欄ではフットパスと呼称している札幌内外のフットバスコースを巡った体験をレポートする場としたい。 

 「初田牛パス」は、今回歩いた根室フットパス三つのコースの中では最も凡庸なコースだった、という表現をしても良いかもしれない。しかし、ある方との出会いがこのコースに彩りを与えてくれた。
 

  
※ 初田牛パスのルートマップ。ルートとしては大回りのコースもあるが時間の関係もありショートコースを選んだ。  

 根室で一泊し、翌日根室フットバスの三つ目のコース「初田牛パス」を歩いた。 
 「初田牛パス」のStart & Goalも初田牛駅とした。初田牛もまたかわいい駅舎だったが、愛好家らから秘境駅として親しまれているそうだ。なるほど駅の周りには家らしきも見当たらず、林に囲まれているような駅だった。

          
          ※ “秘境駅”にもノミネートされている(?)という初田牛駅です。

          
          ※ 初田牛駅から歩き出す方向を写したもの。一軒の家も見当たりません。

 駅をスタートして農道が走る方向に向かうのだが、どうやらその辺りが往時の初田牛集落の中心地だったらしい。小さな「初田牛会館」が建ち、近くには木製の「初田牛開基百年之碑」が立っていた。またその近くには小学校があったらしく「初田牛小学校跡」という表示柱も目に入った。

          
          ※ 草むらの中に「初田牛開基百年之碑」が立っていました。
          
          
          ※ こちらは「初田牛小学校跡」の表示柱です。

 コースは舗装された農道の歩道に変わった。歩道と云っても人が通ることはほとんどないのだろう。舗装の間から雑草が勢いよく伸びていた。
 小さなアップダウンの道が続くが、ぽつんぽつんと点在する農家以外は一面広々とした牧草が広がる。天候は良く、気温はやや高めだったが気持ち良いウォークが続いた。

          
          ※ 歩く人のいない歩道には雑草がはびこっていました。

          
          ※ 広大な根釧原野を象徴するような一枚で、心が和みます。

 そんな心地良さを味わっているときだった。
 牧草地の中に置物のように見事な角を蓄えた牡鹿を目に捉えた。一瞬間をおいて本物と認識した私が写真に収めようと思い、思わず「おっ!」と小さな声を発した。
 その声を鹿は聞き逃さなかったらしい。私を認めて直ぐに踵を返して林の中に逃げて行ってしまった。う~ん、残念だった。

 私が巡った「初田牛パス」は全コースが道路沿いを歩くものだった。その中で唯一農産物の加工体験ができると謳う「農産物加工体験館“くったら”」があった。飛び込みで体験できたらとの期待を抱きながら“くったら”に向かった。
 体験館に入ると、そこには暮らしの匂いがあった。どうやら館主の家族がそこで生活しているようだった。私の応対をしてくれたのは当家の母親だったが、体験するにはやはり予約が必要とのことで残念ながら断念せざるを得なかった。

          
          ※ 農産物加工体験館“くったら”の建物です。

 その時である。私がフットパスを歩いていることを知った母親が「ぜひ、息子に逢っていってくれ」と云うのだ。そこの息子さんは根室フットパスを整備した「AB-MOBIT」の一員であるという。
 私は喜んで息子さんが仕事をしている牛舎に向かった。
当家の息子さん「小笠原忠行」さんとしばしのフットパス論議を楽しんだ。(その内容については明日レポートすることにします)小笠原さんとの出会いによって、それまで抱いていた私の「根室フットパス」に対する考えにかなりの影響を与えてくれた。

          
          ※ 小笠原さんから写真掲載の許可は得ていませんでしたが、他所にも出ているのでお許し願えるでしょう。

 小笠原さんも云っていたが「初田牛パス」は他のパスと比べて人気がイマイチとのことだったが、なるほど私が歩いた範囲では道路沿いばかりを歩くコースで、他のパスに比べて魅力に乏しいと云えるかもしれない。

          
          ※ 広大な根釧原野らしい真ーっ直ぐな農道が伸びています。

          
          ※ こちらもじゃり道の農道が真ーっ直ぐ伸びています。

 小笠原さんと別れてからは、舗装の道を、そしてじゃり道を黙々と歩く以外に術がなかった。目に入る景色にも大して特徴がなく、暑かったこの日は水分ばかり消費した。
 私はいつも500mlのポカリスェットを水筒に入れて持ち歩くのだが、この日のコースはわずか10Km弱だったにもかかわらず一本分を消費してしまった。私には珍しいことだった。

          
          ※ 吹雪による雪害から車を守るためのスノーシェルターです。ここまで来ると初田牛駅はもう直ぐです。

          
          ※ 遠く林が切れたところに建つのが初田牛駅です。

 歩き続けること2時間強、ゴールの初田牛駅に帰ってきた。
 リード文にも書いたとおり、フットパスコースとしては凡庸かもしれない。しかし、途中で小笠原忠行さんに出会えたことがこのフットパスウォークを色濃い思い出に変えてくれた。明日、そのことについて詳しく綴ろう…。



 ※ 今日、午前中はあるボランティア活動に参加した。その際参加者それぞれが自己紹介をした。それを終えると一人の若い男性が私に近寄ってきて「丸尾清一さんですか? 私毎日丸尾さんのブログを楽しく拝見しています」と話をしてくれた。思わぬ申し出に驚くやら、嬉しいやら…。実名を出していることの効用の一つかもしれない。実名を出すことについての賛否をいろいろと聞く。そのことについていずれ考察してみたいとも思っている。

フットパスウォーク №4 根室・別当賀パス 後編

2012-08-24 21:08:32 | フットパスウォーク & トレッキング
 「こんなフットパスのコースがあっていいの?」と嘆きたくなるくらい私は進む先を迷わされた。その上、霧はますます濃くなっている。一人ウォークの私には心細さが募るばかりだった…。

   
  ※ 「別当賀パス」のルートマップを再掲示しました。

 鳥獣保護区を歩くこと約1Km、遠く丘の上に第三のゲートが見えてきた。

          
          ※ 丘の上に第三のゲートが見えてきた。

 ゲートの向こうは牧草地帯である。牧草地帯の草は刈り倒されたばかりで、どこを歩いていけばよいのか判然としない。ゲートの横に案内板があった。そこには「牧草地の中央を前方へ進んでください」とある。だだっ広い牧草地の中央を進めとは、あまりにもアバウトな指示である。どこが中央で、どこが前方かも判然としない中、ともかく前へ進みながら草原の丘を上って行った。

          
          ※ ゲートの傍の案内板には「牧草地の中央を前方へ進んでください」と書かれていた。

  
          
          ※ この牧草地の中央を前方に進めという指示です。

 やがて牧草地の端に至り、牧柵が行く手を遮っていた。牧柵に沿いながらさらに丘の頂きを目ざして歩を進めた。丘の頂きまで来ると、マップには記されていない第四のゲートがあった。

          
          ※ 丘の上にはマップに載っていない第四のゲートがあった。         

          
          ※ ゲート向こうは写真のようにかすかな踏み跡を辿りながら丘を下って行くルートでした。

 問題はここからだった。
 第四のゲートを過ぎると、前方は太平洋に向かって丘を下る雑草地だった。
 前方に目を凝らすと微かに草が倒れ、人が歩いた形跡が残っていた。膝くらいまである雑草の中を踏み跡を見逃すまいと注意しながら前進した。
 辺りは霧に包まれ、波の音は聞こえているのだが海は霧に遮られて見ることができない。

          
          ※ 丘の中腹ではまだ踏み跡をなんとか判別できました。

          
          ※ ルートの途中には名もなき沼がありました。
 
 丘から下るにつれて草丈が高くなり、腰から胸に届くまで高くなってきた。と同時に足跡も徐々に判然としなくなってきた。
 目的地の一つ「馬場牧場跡」の建物や海の波が遠くに見えはじめたときだった。踏み跡が見えなくなりどこへ進んでいいのか全く分からなくなってしまった。困ってしまった私は、根拠のない勘を頼りに歩を進めていると、足元が湿地(水が浮いた状態)になっていることを初めて知った。
 「これはもうこれ以上進むのは無理だ…」と悟らされた。

           
          ※ もうこうなるとどこへ進んでいいのか分かりません。 

           
          ※ 草丈は胸にまで届き、足元には水が浮かんでいて前進することは難しくなりました。           
                 
          
          ※ 遠くに馬場牧場跡の廃屋が見えました。

 海辺までおそらく百メートルくらいだったのではないだろうか?
 残念だったが、それ以上進んで足を水の中にとられでもしたら大変である。まったく行く先が分からない中では引き返すしか道はなかった…。

          
          ※ 写真の一端に白く見えるのが太平洋の泡立つ波です。 
 
 それにしても立派なリーフレットを作成し、マップを有料で販売しているフットパスのコースが途中で消えてしまうなんてことがあって良いのだろうか? コースを整備・管轄するのがAB-MOBITという酪農家集団であることは前に記した。各々の仕事があり多忙であることは理解するが、初めて訪れた者でも最低限楽しめるだけのコース整備をしておくことが整備・管轄する側の責任ではないだろうかと思ったのだが…。

 目的地を目前にして断念しなければならなかった無念さを胸に押し込め、一人帰路についた。
 そんな思いで帰り道を歩いていたので、目線も下になっていたのだろう。突然のように私の前に現れた乳牛にうろたえてしまった。(その顛末は8月20日投稿を参照ください。 

          
          ※ 私をうろたえさせた牛くんです。

 目的を果たし満足感に満ちながら来た道を帰るのと、目的を果たせず悄然と来た道と同じ道を帰るのとでは疲労感がまったく違う。
 霧に包まれた中、ガッカリとして帰る帰り道は遠く辛い道のりだった…。

 後から地元の人に聞いた話だが、この根室の三つのフットパスの中で最も人気のあるのがこの「別当賀パス」だという。
 ガイドブックによると、目的地の一つ「お台馬場」では落石岬から霧多布岬が一望、そこから見下ろす湖沼群・海岸線は絶景。遮るものがなく日本離れした景色が広がっている、とあった。その他には海岸線には見どころがたくさんあるようだ。
 霧で展望が効かないうえ、海岸線にいたるルートが不明と、私の場合はまったく不運だったが、これも自然が相手のフットパスではあり得ることと自らを納得させた。
 残るは「初田牛パス」である。

フットパスウォーク №4 根室・別当賀パス 前編

2012-08-23 20:50:51 | フットパスウォーク & トレッキング
 ウォーキングとフットパスウォークの間に大きな違いはない。私の認識では、前者が歩くことを主体とした健康づくりを考えているのに対して、後者は歩くことによって体験できるさまざまなことも楽しみながら歩こう、とする違いかな?と捉えている。この欄ではフットパスと呼称している札幌内外のフットバスコースを巡った体験をレポートする場としたい。 

 「厚床パス」に続いて「別当賀パス」を歩いた。このシリーズでは何度もワイルドという言葉を使っているが、今回歩いた三つのパスの中で別当賀パスは最もワイルド感満載のルートだった。 

  
  ※ 別当賀パスはマップに記した赤線のように南北に往復するルートだった。

 「厚床パス」を終え、車で20分ほど移動して別当賀駅に着いた。厚床では晴れていたのだが、別当賀まで来ると霧が立ち込め肌寒いくらいだった。
 「別当賀パス」は別当賀駅から太平洋岸までを往復するコースだった。
 14時20分、片道約5Kmの行程は夕方までに帰るにはちょうど良い距離である。

          
          ※ 小さな客車を利用した小さな小さな別当賀の駅舎だった。

 別当賀駅は写真のように小さな客車を利用したものだろうか、列車待ちの人たちの雨風を避ける程度の小さな駅舎だった。もちろん周りに人影は見えなかった。
 さっそく駅からウォークを開始する。初めは簡易舗装の農道を真っ直ぐ海側に向かって南進する。海霧だろうか、細かな霧が降っていてメガネを曇らせる。しかし、雨具を装着するほどではない。

          
          ※ 根室フットパスのルートには所々に写真のような案内の標識があったが、余りにも少ない。

          
          ※ ルートの始まりはご覧のような簡易舗装の道だった。

 道端に石碑が見えた。見ると「別当賀法務所跡」と刻まれている。
 「えーっ、こんな田舎(失礼!)に法務関係の役所があったの!?」と驚いた私は帰宅してから調べ始めた。
 ウェブ上で調べても「法務所」が何か分からない。思い余って札幌法務局にも訪ねたが法務局でもはっきりしなかった。思い直して写真をもう一度見てみると、「別当賀法務所跡」という文字の横に「浄土宗北斗山大徳寺」という文字もあった。そこで札幌の浄土宗のお寺に問い合わせたところ、はっきりした答えではなかったが、「お寺の事務所などを法務所という言い方をすることもある」という答えをいただいた。どうやら石碑は寺社跡ということで一件落着とした。

          
          ※ 確かに法務所跡と見えるでしょ?私はその文字に釘付けとなってしまった…。

 この「別当賀パス」にも「厚床パス」のように三つのゲートがあった。ただマップには「ゲート」という表示だけで「キッシングゲート」とは表示していなかった。その理由は後から判明するのだが…。
 コースは簡易舗装からじゃり道に変わったが、牧草地帯を横目に進むが霧のため遠くは霞んで遠望が利かない。

          
          ※ ルートは舗装からじゃり道に変わりました。

          
          ※ 遠くは霧に霞んで見通せません。

 そうしているうちに第一のゲートに出くわした。この第一のゲートは「厚床パス」にあったようなキッシングゲートの作りをしていた。第一のゲートを通過すると森林地帯に入った。マップによると国有林となっていた。この林の中で帰り道、私は牛と遭遇する恐怖体験を味わうことになるのである。

          
          ※ 厚床パスで見たのと同じようなゲートでした。

          
          ※ この国有林内の道は復路に牛と遭遇し肝を冷やしたところです。

          
          ※ 国有林とはいっても高い木はそれほど見当たりませんでした。

 森林地帯は1.5Kmもあっただろうか? 森林地帯を抜けたところに第二のゲートが待っていた。ところが!!
 いつものような人が通ることができるようなゲートがなく、行く先は有刺鉄線で阻まれていたのだ。どこかに抜け道があるはずだ、と思い周りをいろいろ探したが見つからない。ゲートには赤い看板に日本野鳥の会の注意書きが書かれてある。しかし、その横には確かにフットパスの表示も出ている。ここまで来て引き返すわけにはいかない。周りに誰もいないことを幸いに私は有刺鉄線を乗り越えることにした。60ウン歳には難しい芸当だったが、怪我なく乗り越えることができた。(後で知ったことだ。このゲートを抜けるにはフットパス事務局から鍵を借りて通り抜けるようになっているということだった。そのことがマップに記載されていないのは残念だった。)

          
          ※ 問題の第二ゲートです。困惑した末に有刺鉄線が巻かれたゲートを飛び越えました。

 こうして第二のゲートを越え、日本野鳥の会が指定する鳥獣保護区の中を進み海を目ざしたのだが、私には一羽の鳥も目にすることがなかった。
 そしてこの根室フットパス最大の難関が私の前に立ちはだかっていた…。

          
          ※ ルートは向こうの丘の上まで続いています。

(続きは後編に)

フットパスウォーク №3 根室・厚床パス 後編

2012-08-22 19:21:07 | フットパスウォーク & トレッキング
 厚床パスの後半は牧場(牧草畑)の中を次から次へと渡り歩いていくルートだった。牧場と牧場の間には「キッシングゲート」が設置されていて、まるで本場イングランドのパスを歩いているような気分になった…。 

  
  ※ コース後半は「酪農喫茶」から「厚床駅」まで戻るルートだった。

 「もの思いにふける丘」を無事通過し、国道が見えてホッとしたが、その国道を跨ぐとこのルートの中間点となる「酪農喫茶 Grassy Hill」が待っていた。
 ここのソフトクリームはクリーミィな美味しさが評判らしい。この日は根室地方も気温が上がり、けっこう汗もかいていたので、ストロベリーソフトクリームが舌に喉に心地良かった。
 たくさんの客が入っていたが、私以外は皆乗用車や単車で駆けつけた人たちばかりだった…。

          
          ※ 「酪農喫茶 Grassy Hill」の建物の外観です。周辺の観光ポイントの一つのようです。

          
          ※ 私が味わった「ストロベリーソフトクリーム」です。

 喫茶 Grassy Hillで一息ついた私は再びフットパスウォークを開始した。
 最初は牧場の横に設けられたトラクターなどが通る農業用の道路を黙々と進んだ。気温は高いものの、適度な風の中、心地良い一人旅は続く…。

          
          ※ この光景を目にしてあるショートストーリーを思い付きました。このシリーズが終わってから挑戦してみようかな?

          
          ※ 牧場脇に農作業用の道路がのびています。

          
          ※ あくまで広く、あくまで遠く、牧草地帯は続きます。

 およそ1.5Kmも進んだろうか、有刺鉄線で囲まれた牧場の境のところに至った。すると、その一角に何やら見慣れぬものが目に入った。「キッシングゲート(Kissing Gate)」である。このゲートは人は通ることができるけど、牛や羊などの動物は通ることができない作りになっているゲートだ。(キッシングゲートの名の由来について調べたが、紹介すると長くなるので興味のある方はウェブ上を繰って調べてほしい)

          
          ※ これが噂のキッシングゲートです。左側の可動式のゲートを動かし人が通ります。

 キッシングゲートを抜けるとルートは牧場内である。トラクターが付けてくれた跡を辿って牧場内を進む。「もの思いにふける丘」ほどではないにしても、広々とした牧場風景が続く。牧場とは表現しているが、あるいは牧草畑なのかもしれない。牛の姿を見ることができなかったからだ。
 するとずっと向こうの方に、またキッシングゲートが見えてきた。第二のゲートである。このルートでは三つのキッシングゲートを通過することになっている。

          
          ※ かすかなトラクターの踏み跡を頼りに歩を進めます。

          
          ※ 遠くに第二のキッシングゲートが見えてきました。

 牛の姿が見えないと書いたが、第二のキッシングゲートを通過した後で初めて牛たちの姿を目にした。牛たちは、私の歩くルートとは有刺鉄線で遮られていたが、のんびりと横たわったり、草を食んだりしていた。私が傍を通ると、人間を見るのが珍しいのか横たわっていた牛が一頭、二頭と立ち上がった。そのうち集団のボスらしい牛が私の方へ向かって駆け始めた。それを合図にするかのように全頭がドドドッと土音を立てて私の方に向かってきた! 「わおー!」と思ったが、牛たちは有刺鉄線のところで足を止め事無きを得た。

          
          ※ 最初は横になったり、草を食んだりしていたのですが…。

          
          ※ 仲間のボスらしい一頭につられて全頭がこちらに迫ってきました。

 第三のキッシングゲートを越え、間もなくすると牧場地帯が終わり、ルートは林の中へと移った。

          
          ※ 第三のキッシングゲートです。第一に比べやや簡素な作りかな?

 マップでは「殖民軌道跡」となっているが、「旧馬鉄跡」とも称され、その昔馬が牛乳を運ぶために敷かれていた鉄路の跡だということだ。

          
          ※ 旧植民軌道跡がルートの一部になっていました。

 この鉄路跡を約2Kmほど歩くと国道へ出た。
 ここからはスタート地点の厚床駅まで1Kmちょっとである。
 市街地外れにある厚床小学校を横目に市街地に入った。ちょっと寂しくなった市街地を通り、スタート地点の厚床駅に戻った。

          
          ※ 根室市立厚床小学校です。周辺の酪農家の子弟が通学しているのでしょう。

 ルート全体が札幌のウォーキングコースなどでは味わえないワイルド感があり、どこに導かれるのだろうかというワクワク感も手伝い、なかきなか変化に富み楽しいルートだった。
 特にキッシングゲートは本場イングランドのコースを歩いているかのような錯覚を与えてくれ、楽しいフットパス体験となった。