根室フットパスの三つのコースを歩きながら「根室フットパスはその歴史的使命を終えたのでは」と思いながら歩いた。しかし、最後になってフットパスを整備された一人の小笠原忠行氏に出会い、その考えが微妙に揺らぎ始めた…。
根室フットパスは以前にも触れたとおり地元の酪農家たち(AB-MOBIT)が2003年にルートを整備し開設したコースである。北海道のフットパスの草分け的存在としてマスコミにも注目され、度々報道されていた。
以来10年が経過していた中で私がこのほど訪れたのだが、その印象から「根室フットパスはその歴史的使命を終えたのでは?」と思ったのだ。
※ 写真はこれまで掲載した中から印象的なものを再掲しました。この写真は「もの思いにふける丘」です。
根室フットパスが歴史的使命を終えたのでは、と私が考えた根拠はたくさんある。
一つはコースの整備状態が不十分と思えたことだ。特に「別当賀パス」は踏み跡も見えなくなり立ち往生し、事情の知らない者にとってはそれ以上前には進めなかった。
二つ目にコース案内も十分とは云えなかった点だ。「厚床パス」ではコース途上に案内板のようなものが設置されていたが、その状況からここ数年は案内は剥がれたままになっているように思えた。
三つ目に、「厚床パス」の中間地点にあった酪農喫茶はAB-MOBITのメンバーのお一人が経営する店なのだが、そこのスタッフにそこから後のコースの状況を尋ねた。しかし、スタッフにとってはパスそのものに無関心のようで何の情報も得ることができなかった。
そして最も想像と違っていたのが、三つのパスを歩いていて誰一人出会う人がいなかったということだ。
このような状況から私は「コース設定後10年が経ち、訪れる人も少なくなり、AB-MOBITの人たちも情熱が薄れてきてコース整備にも力が入らず悪循環に陥っているのでは?」との思いを強くした。
そうした中で最後の「初田牛パス」を歩いていたとき、AB-MOBITのメンバーの一人小笠原忠行氏にお会いしたのだ。
小笠原氏とは短い時間だったがいろいろなお話をさせてもらった。
AB-MOBITのメンバーはみなさんが40代後半に差しかかったという。「始めたころは皆まだ若かったんですけどねぇ…」と小笠原氏は懐かしんだ。
※ お話をうがったAB-MOBITメンバーのお一人小笠原忠行氏です。
私は私が勝手に創り上げたAB-MOBIT物語を小笠原氏に披露した。その内容は・・・、
「AB-MOBITのメンバーの一人が若い時にイングランドに農業研修に出かけて、そこで本場イングランドのフットパスに出会い、その素晴らしさを体験した。帰国して地域で酪農経営に励む同世代にその素晴らしさをことあるごとに伝えていた。酪農経営も軌道に乗り、一段落したところで仲間と図り念願だったフットパスコースを開設したのではないだろうか」という私の物語を披露した。
ところが小笠原氏から返ってきた答えは、案に相違して「誰一人イングランド研修の経験はない」とのことだった。
コース開設のきっかけは、仲間内で「牧場内を別に人が歩いてもいいよね」というような話から、酪農家たちのために、地域のために何かアクションを起こしたいという情熱と根室支庁の方々の助言が実を結びフットパスコース開設に繋がったということだ。
※ どこまでも続く一直線の道路も根室らしい光景です。
小笠原氏は言う。「来た時期が少し早かったと思う」と…。ということは、根室フットパスの最適シーズンは9月、10月で、その時期に合せてコース整備もしっかり行うということのようだ。
また、私がコースの未整備について触れたとき、小笠原氏は「フットパスのコースはあくまで自然そのままなのが基本で、整備され過ぎるとつまらないですよね」という言葉はフットバスの本質を言い当てているのかなとも思った。
※ 牧草地帯に転がる白い牧草ロールがとても鮮やかです。
最近は道内各地にフットパスコースが次々と出来ている。根室フットパスは、フットパスという概念を北海道の地に根付かせるという当初目的を果たし、その歴史的使命を終えたのかな?と私は考えたが、小笠原氏をはじめAB-MOBITのメンバーのフットパスにかける情熱は薄らいではいないようだった。
私は小笠原氏にお会いしたとき「辛口の感想を書きますよ!」と予告した。小笠原氏は「どうぞどうぞ」と大人の応対をしてくれた。
私は遠慮せずに書かせてもらったと思っているが、「根室フットパス」が北海道の草分け的存在であると共に、フットパスの魅力を発信し続ける存在であってほしいと願っている。
そのためには、何時、誰が訪れてもその魅力を満喫できるような体制を整えていてほしい、と願うのは酷な願いだろうか…。
根室フットパスが北海道の、日本のフットパス愛好者にとって聖地のような存在となることを願っている。