田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北大メディア研公開講座「世界の言語と文化」№4

2018-06-30 22:03:34 | 大学公開講座

 南米ボリビアは、国の正式名が「ボリビア多民族国」と称するように、多くの先住民族が共生しており、言語事情もそれにともない複雑なようである。ボリビアをウオッチングし続けるロシア人研究者から話を聞いた。

 

 北大のメディア・コミュニケーション研究院が主催する公開講座「世界の言語と文化」の最終講座(第4回)が6月21日(木)夜に開講された。

 今回は「南米における多言語と多文化状況について-ボリビアの事例を通して=」と題して、同研究院のバイチャゼ・スヴェトラナ助教が講師を務めた。

             

           ※ 南米大陸のほぼ中央部に位置するボリビア多民族国の位置です。

 スヴェトラナ氏はロシア人女性である。彼女がなぜボリビアを研究対象としたかというて、彼女がボリビア人の男性と結婚したことがその契機だったようだ。

 講義はまずボリビアの国そのものの紹介から始まった。

 ボリビアは南米のちょうど中間部に位置し、南米では8番目の広さの国土を持つ。それは日本の約3.3倍の面積だという。

 ボリビアは南米の他の国と同様に、先住民族が暮らしていた中に、スペインが植民地化し、その後独立を果たしたが、国内の政治は長い間混乱が続いてきたようである。

               

         ※ ボリビアは9つの州からなっていて、政治経済の中心地は西部のラパス市です。

           少数民族の多くは、アマゾンに近いサンタクルス州に住んでいるとのことです。

 人口は約一千万人強であるが、その構成はケチュア人が約30%、メスティーソ(混血)が約30%、マイマラ人が約25%、ヨーロッパ系が約15%、アフリカ系が約0.5%とみられているが正式な統計は取られていないそうだ。

 先住民としては、ケチュア人が250万人、アイマラ人が200万人、チキタノ人が18万人、などが比較的多い先住民であるが、わずかな数の先住民が多数存在しており、公用語としてはスペイン語、ケチュア語、アイマラ語、グアラニー語、そのほか33の先住民言語が公用語となっているそうだ。

             

 ボリビアの言語事情を講師の話からごく粗くまとめると次のようになると思われる。

 ボリビアにおいて中心となる言語は一時ボリビアの支配したスペイン語である。しかし、国民構成からいってもケチュア語、アイマラ語も国としてそれらの言語を重視し、教育政策の対象ともなっていたようだ。

 他の言語は、政治の中心のラパスから離れた広域に居住し、人口も少ないことから、公用語とはなっているものの、その普及は難しいようだ。

          

          ※ ボリビアというと、今や世界的に有名な観光地ウユニ塩湖が有名です。

 近年になって問題となっているのは、国の産業構造の変化によって、国民が職を求めて移動を始めたことがあるようだ。また、教育の普及により農村部では進学できないため、都市部への移動も起こっているという。

 そうした中、家庭においては民族固有の言葉を話し、教育の現場ではスペイン語が中心の教育がなされている点にも課題があるようだ。

 ケチュア語、アイマラ語のように国民構成の上からも多数を占める先住民族に対しては、スペイン語との互換性についても配慮されているようだが、他の少数民族の言葉に対しては現在のところまだまだ対策が取られてはいないようだ。

                

               ※ ボリビアの先住民族の伝統的な衣装の一つです。(何族かは不明)

 講師のお話を十分に咀嚼できたとは言いかねるが、おおよそのボリビアの言語事情は上記のようである。実に多くの先住民族が住むボリビアにおいては、言語一つとってもどう処するのか難しい問題が横たわっているように思える。ただ、そうした現状にあって時の為政者(モラレス大統領)が国名を「ボリビア多民族国」と改称したというところに、多民族の共生を国の理想としていることを感じさせてくれる。 

 本公開講座は、世界の言語事情について4回にわたりお話を聞くことができたが、日本のように一つの言語の中で生きてきた私たちには、思いもよらない困難さや複雑さを抱えながら国が動いていることを少しは理解できたような気がした。

 

 


ロシアWC 日本16強進出決定! なんだかなー…

2018-06-29 17:06:37 | スポーツ & スポーツ観戦

 昨日深夜というか、本日未明というか、日本はポーランドに0対1で敗退したが、大会レギュレーションにより日本は予選2位が決定し、16強進出となった。しかし、対戦を見終えた私とT氏は期せずして「なんだかな―」とため息をついていた。

        

 試合結果や経過については、もう誰もが飽きるほど(?)メディアが伝えているので、いまさらここで再現する必要はないだろう。

 今回は私たちの面白いやりとりを再現しながら、日本の対ポーランド戦を振り返ってみたい。

 

 実はWCが始まってから、私は道東に住むサッカーキチのT氏と日本戦を観戦しながらショートメールをやり取りするのを常としている。

 これがなかなか面白い方法だと私たちは発見したのだ。つまり一人で観戦して一喜一憂するより、喜びを分かち合ったり、選手の動きや戦術について意見交換したりしながら観戦することが思った以上に楽しいことを発見したのだ。

 今回の対ポーランド戦ももちろん二人でやりとりしながら観戦した。それでは、そのやりとりを再現してみる。(◆はT氏、◇は私である)

        

〈試合開始後〉

 ◇先発メンバーずいぶん変えたね。ちょっと心配。どう思う?

 ◆いろいろ、報道されているけど、私も心配です。川島を何故代えないのか、意味わからない。トーナメントを見据えてのことなら、危ういかも。

 ◇川島もそうだけど、大迫を外していいのかね?

 ◆戦況によって、大迫は、でてくると思います。

 

〈試合開始からしばらくして〉

 ◆落ち着いて試合してますね。

 ◇武藤ナイスシュート!惜しい!

 ◆日本のペースですね。

 ◇ペースを握っているうちに1点だね。

 

〈日本のピンチの場面で〉

 ◆いやー、危ない。

 ◇危ないシーンが増えてきたなぁ-。

 ◆攻めも、いいシーンがあるのですが、どきどきです。         

 

       

       ※ 日本16強進出の第一の立役者はあるいはこの人西野朗監督かもしれない。

〈ハーフタイムで〉

 ※ T氏はジャパンのユニフォームを着て観戦していると写真付きのメールが入った。

 ◆気合入ってますよ。

 ◇いいよ! 私はパジャマだけどね。いや~、あんまり良い予感がしないんだけどなぁ~。ドーハの悲劇の再現なんていやだよ~。

 

〈後半が始まって〉

 ◆予感が当たらないように祈ります。ただ、ポーランドは、ビビってるのかな。あまり出てこないね。戦術ですかね。

 ◇いやいや、なんだかすごく不気味な感じがするんだよね。変なことを思い出してしまったことを後悔しています。

 ◇やられた~!

 ◆予感的中ですね。

 ◇いや、まだ時間があるのが救いだけど…。

 

〈試合後半に差し掛かって〉

 ◇日本が攻めないのは間違いだ!!!

 ◇セネガルが点とったらどうするの!

 

〈試合終了のホイッスルを聞いて〉

 ◆なんだかなー。

 ◇なんだかなー。

 

          

          ※ セネガル敗戦の方を聞いて、16強進出が決まり喜ぶ日本代表の選手たちです。 

〈本日の朝を迎えて〉

 ◆これも、ワールドカップだと思えるようになりました。コンサのJ1昇格のデジャブ。

 ◇うん。私も西野ジャパンにとって、最大のミッションがベスト16進出だったから、あのような戦術もありかな?と今思っています。

 

※ 「デジャブ」……日本語に置き換えると「既視感」。一昨年コンサドーレは最終戦でツエーゲン金沢と対戦した際に、引き分けに終わることが互いのチームにとって都合が良い試合で、両チームはほとんど攻撃することなく、ボールを選手間で回すことに終始し、観客をがっかりさせた試合があった。T氏はそのことを思い出したようだ。

 

 どうでしょう?なかなか面白いと思いませんか?一人観戦をされている方、お勧めですよ!!


ロシアWC 対ポーランド戦を前にして

2018-06-28 17:16:05 | スポーツ & スポーツ観戦

 いよいよ今夜、日本のベスト16入りが成るか否かの大一番である。結果が分かってからあれこれと分析するのは専門家に任せて、素人なりにこれまでの戦いぶり振り返るとともに、今夜の戦いを勝手に予想してみたい。

       

       ※ 日本の一・二戦の先発メンバーです。はたして今夜の先発メンバーは?? (今日の写真は全てウェブ上から拝借したものです)

 今WCにおける日本チームは下馬評を覆して、ここまで見事な戦いをしている。

全ては第一戦の対コロンビアの試合開始直後の日本の積極的な攻撃姿勢がコトの始まりである。

 試合開始3分、大迫がPA内から積極的にシュートを放つと、それが相手DFに当たって跳ね返ったところを香川がすかさずシュートを打った。それが相手DF(カルロス・サンチェス)の腕に当たってPKを獲得、さらにはカルロスがレッドカードで一発退場と、日本にとっては願ってもない試合展開となり、この試合を苦戦しながらもモノにしたことが大きかった。

 FIFAランキング61位の日本が、16位のコロンビアを撃破したのだ。まさにジャイアントキリングである。 

 勢いに乗った日本は、身体能力ではるかに上回る第二戦セネガル戦でも果敢に戦った。二度先制され、二度追いついた粘りは相当に評価される戦いぶりである。あるいはGK川島のミスが無ければ、あるいは大迫の脚がもう少し伸びていれば…、タラレバの悔いは残るものの、見事に引分けて勝ち点3としてグループHの首位に現在立っている。

               

              ※ 日本の頼れる不動のキャプテン長谷部選手。今夜は先発から外れるとの予想もあるが…。

 そして今夜の第三戦対ポーランド戦である。

 ポーランドはグループ内ではFIFAランキング8位と最高位にありながら、一試合を残して予選リーグ敗退が決まるという下馬評を覆す残念な戦いをしている国(チーム)である。

 今夜はどうだろうか?見方は様々だが、ポーランドは予選敗退が決まり、モチベーションが下がっているという見方があるが、それは危険な見方ではないだろうか?

 少なくともWCは日本で考えられている以上に世界が注目している大会である。そんな中、国の代表として戦っている選手たちにとっては、一試合ともおろそかにできないはずだ。というより、これまでが残念な戦い方であっただけに、最後の試合だけは「どうしても自分たちの良さを示したい」との思いで必死になってくると考えるべきだと思う。

 特にヨーロッパ予選において歴代最高得点を叩き出したFWロベルト・レバンドフスキが今大会まだ無得点だという。無得点のままWCを終えることは、彼のプライドが許さないだろう。おそらく相当の覚悟でゴールに迫ってくるはずだ。というように、モチベーションはけっして低くはない、と考えるべきだろう。 

 対する日本は、戦前の予想を覆す快進撃にチーム全体のモチベーションはかなり高まっていると見るべきだろう。

 FIFAランキングがはるか上位のチームと対するときは、まずは守備力である。レバンドフスキをはじめとする相手攻撃陣を、日本はGKを含めたDF陣がいかに防御するかが一つの鍵になりそうな気がする。特にレバンドフスキにボールが渡らないようにケアしてもらいたい。

               

                ※ 献身的な守備で日本の躍進を支えるDF酒井宏樹選手です。

 攻撃陣は、試合の中で何度かチャンスが訪れるはずなので、そのうちラッキーパンチでもよいから決めてくれれば活路は拓けてくるのではないか。

 敢えて得点の予想はしないが、ベスト16を見据えたような戦い方はせずに、目の前の敵に向かって積極的に戦いを挑むことによって幸運は訪れるのではないか、と私は思いたい。

          

        ※ 日本の攻撃陣のキーマン背番号10の香川選手が輝くことを願いたい。 

 今夜(日本時間23時キックオフ)の戦いを固唾を飲んで見守ろうと思う。 

 それにしても、アルゼンチン vs アルジェリア戦、韓国 vs ドイツ戦、をいずれもライブで観戦したが、お互いのプライドをかけた素晴らしい戦いだった。今夜の日本 vs ポーランド戦もそうした試合になることを望みたい。


さっぽろの古を訪ねて 第3弾

2018-06-27 22:52:55 | 「めだかの学校」関連

 私が参加する「めだかの学校」野外講座はその後も順調に講座を重ねている。第2回は大友亀太郎の足跡を、第3回は島義勇の足跡を辿った。どちらも参加者からは好評をいただいたようである。

 

 6月25日(月)午後、第3回目の「めだかの学校」野外講座「さっぽろの古を訪ねて」を行った。この回のテーマは「大友堀の現在(いま)を訪ねよう!」と題して、創成川沿いに立つ、史跡や碑などを巡って歩いた。

 

 この日は、札幌市役所を集合場所とし、市役所ロビーに展示されている「島義勇」像を見物することから始まった。

 島義勇は「北海道開拓の父」と呼ばれ、当時無人の原野だった札幌を「五州第一の都」(世界一の都)を造るという壮大な夢を描き、まちづくりに着手した初代開拓使判官として知られている。ところが赴任半年も経たないうちに上司である開拓長官:東久世通禧と衝突し、解任されてしまう。

             

             ※ 札幌市役所内に立っている島義勇像です。外部から光が入るので、いつも逆光状態です。

 しかし、島の後を継いだ岩村通俊や後の開拓長官:黒田清隆らの尽力により、島の構想が着実に実現していくことによって島の功績が認められるようになった。

 そうしたことから島の像は、札幌市役所と、北海道神宮と2ヵ所に建てられている。

 

 「島義勇」像を見た後、私たちは島が札幌都心部の東西南北の基準とした「創成橋」へ移った。創成橋は当初、1869(明治2)年には島が丸太を並べて板を敷いただけのものだったが、1871(明治4)年になって本格的な木橋が造られ「創成橋」と呼ばれるようになったようである。

 そして1910(明治43)年には、アーチ型で橋の欄干に擬宝珠の付いた石橋が架けられた

そうだ。現在の創成橋はそのときの橋を複製したものである。

 

 創成橋の袂には、「札幌建設の地」碑、「北海道里程元標」、「大友亀太郎」像などを見学した。

 その後、近くにある「開拓使本陣跡(クラーク博士居宅跡)」も確認した。

              

             ※ 創成橋の袂にある「北海道里程元標」を見る参加者たちです。

 また、テーマとは直接の関りはないが、創成川が親水公園となっていることから、川の流量を調節する「分水施設」と「吐口工」の位置も確認した。

 

 今回はまた、札幌市商工会議所が管掌する「観光ボランティアガイド」の方に説明をお願いしたことによって、参加者の理解度がより深められたと思われる。

 その上、この回の担当者だった会員のS氏がテーマに関わって大量の資料を用意し、綿密に準備を進めてくれた。このことも参加者からは好意的に受け止められている。

 

 私たちが主催する野外講座も全体の半分を終えた。

 9月まで残り3回である。できるかぎりのホスピタリティで講座受講者に満足してもらえる講座運営に努めていきたいと思っている。


札幌グルメ紀行 37 カリーハウス コロンボ

2018-06-26 19:04:54 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行

 

 行列に並ぶことなど久々の経験だった。カウンター席だけの小さな店だったが、行列店になることが頷ける確かな味だった。ボリューム満点のカツカレーに舌鼓を打った私だった。

                    

                   ※ お店の伝票には、店名の由来についての説明書きが記載されていた

 グルメ紀行の対象としてはいささかチープな感がないではないが、妻がテレビで紹介していたという「カリーハウス コロンボに行こう!」と提案してくれた。

 札幌駅近くの地下道から国際ビルに入っている「カリーハウス コロンボ」を目ざしたのだが、地下道が地下2階にあたることを失念していて、お店探しにちょっと戸惑ったが、店の前へ行ってみると、10人位の人が店外に並んでいた。   

           

 「カレーだから回転が速いだろう」と私たちも行列に並ぶことにした。

 15分も待っただろうか?店内に案内された。店内はL字型に並んだカウンター席だけだった。下記のデータでは10席となっているが、私が数えたところでは12人が座っていたように思えた。

 メニューは次のようになっていた。◇たまごカレー 600円、◇フルーツカレー 700円、◇やさいカレー 780円、◇ポークカレー 800円、◇チキンカレー 800円、◇ビーフカレー 800円、◇エビカレー 830円、◇スタミナカレー 950円、◇日替りカレー 880円、などとなっていて、その他にたまごとやさいが入った各種ミックスカレーもあった。

             

                

               ※ 店外にお店のメニューが展示されていた。 

  私はカツカレーを、妻はたまごカレーを注文した。

 さすがカレー店である。妻のたまごカレーは直ぐに出てきた。しかし、私の方は注文が入ってからカツを揚げるため少し時間をおいて出された。

           

           

 熱々のカツとともに、多めに盛られたルーの量が印象的だった。

 そのルーであるが、普通の店のルーよりはやや粘度の薄いのが特徴かな?と思えた。(ある方はそれをシャビシャビカレーと称していた)

 辛さは中辛程度か?辛さに弱い私でも美味しい!と思えるルーだった。

 カツもアツアツサクサクで、ハフハフ状態で美味しくいただくことができた。

 私にとってルーの量は十分だったが、足りない人にはルーのおかわりが自由にできる。

           

 妻の感想も「美味しかった」ということだった。

 食後に必ず出されるアイスクリームもgood!である。

 店の位置は目立たないが、隠れた人気店といったカリーハウス コロンボだった。

 

【カリーハウス コロンボ データー】

札幌市中央区北四条西4-1 札幌国際ビル B1F

電  話  011-221-2028
営業時間  [ 月 ~ 金 ]    11:00~20:30
       [土・日・祝]  11:00~19:00

定休日  不定休(日曜営業)
駐車場  有
座 席  10席(カウンター席のみ)

入店日  ‘18/06/24

 

※ 一昨日の拙ブログに今日はチャレンジングなフットパスウォークを予定していると書いたが、その後足の部分に原因不明の痛みが発現した。無理をおして実行するものでもないため、様子を見ながら後日を期すことにした。

 

 


札幌学院大公開講座⑩、⑪ 札幌学院大が目ざすアウトキャンパス

2018-06-25 20:53:10 | 大学公開講座

 札幌学院大の山本ゼミが取り組んだ地域貢献プロジェクトは、そこに集った学生たちに新鮮な刺激を与え、そこから育った学生は「子ども食堂」の創設に取り組んだという。その経緯を聴いた。

 

 6月23日(土)午前、札幌学院大人文学部の公開講座「人間論特殊講義」の第10講、第11講が開講された。

 この日の講義は第10講が「地域貢献とアウトキャンパス学修の意義と実践」と題して、同大の山本純教授が講座を担当した。続いて第11講は「地域で芽吹く若者たち~〈子ども食堂〉の活動から見えてきたもの~」と題して、同じく同大の二通諭教授の趣旨説明と、二本松一将同大研究生白取鈴同大生がそれぞれ実践報告した。

 

 山本教授は、札幌学院大に勤めること約30年、ご自身の研究の履歴について語った。それによると、以前から学生が机に向かって学ぶだけではなく、地域へ出向いて調査したり、地域と連携したりすることの有用さを認識し、その実践や研究を行っていたそうだ。

 その過程で課題となったことは、単なる調査員に終始したり、単なる調査体験に終わっていることに気付かされたという。また、地域との連携を模索しても、希薄な地域連携にしかなっていないという課題が残ったそうだ。

 

 さまざまな模索の中から、山本教授は2012年、江別4大学(北翔・酪農学園・北海道情報・札幌学院)が連携してまちづくりに取り組む「まちづくり・多大学交流会」を実施したという。

 その取り組みの中から、まずは江別のまちを紹介するフリーペーパーの発行、その動きに注目した白石区から行政と企業と学生が連携して白石区のフリーペーパーを発刊する仕事を体験したり、さらに発展して新冠町のまちづくり関わる事業も体験したそうだ。 

          

          ※ 白石区から依頼のあった、行政・企業・学生が連携して取り組んだフリーペーパーの具体例です。

 そうした体験の積み重ねの上に立って、現在は石狩市厚田地区のまちづくりに深く関与している実態の報告があった。(この山本教授の主宰(?)する教養ゼミは、学部に関わらず興味関心のある学生はどの学部の学生も参加できるらしい)

 厚田地区との連携については、2014年に構想を開始し、2015年には連携の検討が始まり、2016年の「厚田ふるさとあきあじ祭り」への参加から始まったという。山本氏としてはこのような連携が単なる一過性のものに終わらせるのではなく、長く継続的にまちづくりに関わることが地元との信頼関係を築くうえから重要なことであると強調された。そして今、学生たちは「厚田ふるさと創生構想」への参画を目ざして、現在も厚田地区に定期的に訪問し、地域住民と協議を重ねているということだった。

         

     ※ 厚田ふるさとあきあじ祭りを札学院生が盛り上げたことを伝える北海道新聞です。右は江別支社勤務の記者がそのパワーを江別市にも、と伝える記事です。

 一方、この教養ゼミを受講した一人、二本松一将さんは受講体験から自分たち自身で何かすることはできないかと考えた末に、江別市大麻地区で「子ども食堂」を起ち上げたという実践を報告してくれた。

 二本松さんは自らの壮絶な生育体験から、子どもの居場所づくりのための「子ども食堂」を開設することを目ざして仲間とともに取り組んだということだ。名称は「子ども食堂ここなつ」、「ここなつ」に込めた思いは、「こ」…子ども、「こ」…交流、「な」…仲良く、「つ」…繋がる、という意味を込めたという。

 「子ども食堂ここなつ」は、多くの方々からの支援をいただきながら、「夕食提供」・「学習支援」・「遊び」を活動に柱として2016年4月から江別市大麻地区に開設したという。二本松氏は活動が軌道に乗ったこと、ご自身が大学を卒業することから2017年3月に活動を後輩たちに託して卒業したそうだ。

          

      ※ 山本教授がまとめた地域学習(実践)がいかに多くの人・機関と繋がりができ、そのことが学生にとって実践的学習となっているか、を表した図です。

 その後、活動を引き継いだお一人である白取鈴さんが現状を報告したのだが…。「子ども食堂ここなつ」は開設から65回を数えた2017年12月を最後に活動を停止しているという。

 原因は二本松氏のようなリーダー不在がその要因のようだ。白取さん言う。「今年秋には再開したい」と…。

 白取さんは「子ども食堂ここなつ」に参加して、色々な人との出会いがあり、繋がりができたという。また、そこには自分を受けて入れてくれる場所があったという。

 そして、正解が分からない中での活動だが、実践から多くのことを学ぶことができた。

 こうしたことを感ずることができた白取さんは、ご自分がリーダーとなってぜひとも「子ども食堂ここなつ」を再開してもらいたいものである。

           

          ※ 二本松氏たちが始めた「子ども食堂ここなつ」の開設を伝える北海道新聞です。

 今回の札幌学院大の公開講座はまだ終わりではないが、私たちの時代とは大学も相当に様変わりしていることを感じさせられている。「大学は象牙の塔」などと称された時代もあったが、いまや積極的に地域に出向き、そこからたくさんのことを学ぶ時代となってきたようだ。もちろん大学によって、その態様はさまざまなのだろうが…。

 


札幌花フェスタ & バラフェスタ & フラワーカーペット

2018-06-24 21:12:22 | イベント

 北国の6月の空は、花々が咲き乱れる花好きにとってはたまらない季節である。(私が、という意味ではないが…)そんな札幌で花に関わる三つのフェスティバルが同時開催されていたので覗いてきた。

 

 今日(6月24日)も当初はフットパスウォークに出かけようと思っていたが、2日後にちょっとチャレンジングなフットパスウォークを控えているので、今日は自重して札幌市内で開催されている花に関するイベントを覗いてみることにした。

 

◇札幌花フェスタ

 大通公園の初夏のイベントとしてすっかり定着した感のある「花フェスタ」である。今年で26回目の開催ということだが、会場では花に関するさまざまなイベントが開催されていたが、私のお目当ては「農業高校生ガーデニングコンテスト(通称:ガーデニング甲子園)」である。10校12チームが参加したということだが、私は入賞した高校の作品を写真に収めて歩いた。

   ◆大 賞  岩見沢農業高校Bチーム

     

 

   ◆準大賞  士幌農業高校

          

 

   ◆準大賞   旭川農業高校

     

   ◆特別賞   新十津川農業高校

     

 どの先品もなかなかの出来栄えと思えるが、やはり大賞の岩見沢農業高校の作品は高校生には珍しい”渋さ”が評価されたのではないか?!

 続いて、会場内にあちこちに造園業者などが作品を展示していた。花壇のところに受賞した印があったものを撮って歩いたが、全ての作品ではなく、通りがかったときに目に付いた作品のみである。

     

     

     

     

◇大通公園バラフェスタ

 今北海道の各地ではバラの花が満開の時期を迎えている。大通公園12丁目のサンクガーデンのバラ園もさまざまなバラの花が満開の時を迎えていた。

      

     

     

     

 ◇サッポロフラワーカーペット

 こちらは道庁前の北3条広場(通称:アカプラ)において、花びらを使って大きな絵を創り上げるイベントである。アカプラがオープンした記念として2014年から続けられているそうだ。

     

     

     ※ そばで子細に見ると、風などによって花びらが飛んで乱れているところもあった。

     

     

     ※ 花が乱れたところを修復しているチームがあった。

     

     ※ こちらは屋内に展示してあったものですが、さすがに絵に乱れがありません。

 

 

 さあ、今夜はロシアWCの対セネガル戦である。コロンビア戦に勝利してから、日本は異様な盛り上がりようであるが、少し騒ぎ過ぎの感もないではない。今夜の成績次第では一気にその空気が一変してしまうことも考えられる。

 セネガルとて、コロンビアと同様難敵すぎる相手である。再びのジャイアントキリングを期待してテレビの前で待機したい。

 


北大メディア研公開講座「世界の言語と文化」№3

2018-06-23 21:21:29 | 大学公開講座

 東南アジアの国々のヘリテージ(遺産)を研究対象とする講師は、東南アジアの国々の言語事情についても精通している。多様な東南アジアの言語や文化について語った。

 

 6月21日(木)夜、北大メディア研の公開講座「世界の言語と文化」の第3講が行われた。この日は「言語と文化からみる東南アジアの多様性」と題して、北大メディア・コミュニケーション研究院の田代亜紀子准教授が講師を務めた。 

 田代准教授の講義は、東南アジア各国の挨拶の言葉を文字で表示して「何国語か?」と問うことから始まった。私にとっては初めて見るような文字も多く、何国語かなどという質問にはチンプンカンプンであった。 

 

 東南アジア各国では実に多様な言語が存在していることを改めて教えられた。

 また、同じ国の中においても地域によって、あるいは民族によって使われている言葉が違っているという例も話された。

 例えば、シンガポールの国語はマレー語であるが、公用語としてはマレー語、中国語、タミル語、英語が認められているそうだ。

 その他、インドネシアやフィリピンなどは多くの島々から成り立っている国だが、島ごとに、あるいは地域によって実に多彩な言葉が使われているという。

 

 これらの多様な言葉も、大きく東南アジアの大陸部(カンボジア、タイ、ラオス、ミャンマー、ベトナム)と島嶼部(マレーシア、ブルネイ、インドネシア、東ティモール、フィリピン、シンガポール)とである種の共通性が見られるという。それは言語の伝承において、大陸部では記録によって受け継がれている(ストック型)が、島嶼部では口承による伝承(フロー型)が多いという傾向が見られるという。

 

 いずれにしても、ことばの境界と国境は必ずしも一致しないという現実があり、純粋な単一言語の国というのは幻想であるとした。ただ、しばしばナショナリズムのなかである種の統一の動きもみられるとも指摘した。

 東南アジアにおいては、近代国家成立の過程において、一時は植民地化された多くの国があり、やがてそれらが独立を果たす過程の中で、国の言語についてさまざまな働きかけがあったことも事実であるとした。

 

 この回の講座は、私にとってはなかなか難解で、田代氏が話されたことを十分に咀嚼しきれなかったきらいがあるが、概ね記述したような内容だったと理解した。

 


合田一道氏 松浦武四郎を語る

2018-06-22 23:08:28 | 講演・講義・フォーラム等

 本年は北海道命名150年ということで、「北海道」命名の提案者である探検家・松浦武四郎が脚光を浴びている。ノンフィクション作家の合田一道氏が松浦武四郎のあれこれを語った。


             

               ※ 松浦武四郎の肖像で唯一残っていると思われる肖像写真です。(ウェブ上から拝借)

 6月20日(水)午後、かでる2・7において「ほっかいどう学」かでる講座の6月講座が開講された。

 今回は「北海道命名150年 ~松浦武四郎北の大地に立つ~」と題して、ノンフィクション作家の合田一道氏が講演した。

 合田氏は松浦武四郎が6度にわたって北海道(当時は蝦夷)各地を探検し、書き記した膨大な資料から選んだ古文書をもとに多岐にわたって武四郎の業績を紹介してくれたが、ここではその中から2点に絞ってレポしたい。

 まずは、「北海道」の命名についてだが、明治新政府となって「道名選定之儀」が発せられたことに伴い、当時開拓使の判官だった武四郎は「北加伊道」を含め6つの案を提案し、

「北加伊道」の「加伊」を「海」と改め、「北海道」と命名されたという。

武四郎が「加伊」としたのには、蝦夷地を旅する中でアイヌの長老から「加伊という言葉には、この地に生まれたもの」という意味があることを教えられ、アイヌの人々への思いを込めたのではないか、と伝えられていると紹介された。

また合田氏は、「蝦夷」という文字を音読みすると「カイ」読めるとも話された。

 

続いて、合田氏のお話の中で印象的だったのは、「西蝦夷日誌・五編」の一節である。

難しいが、再現してみると、

 「戌午(安政五年)六月十八日。雇レ馬て出立(石狩、タケアニ。〔支笏〕イタクレイ)。此イタクレイは勇沸より出稼に参り居て、四カ年が間石狩に遣はれ、其間妻子の面見ざりしが、今日の人足に當りて妻の面を見る事よと、如レ此夫妻の間も僅か三十里を隔る計にて逢さず置、其請負人の遣方可レ悪(にくむ)。其譚を竹兄〔前記のタケエアニ〕聞に、此土人の妻は勇沸の番人の妾に成居ると、其故夫を石狩に遣し置て常々番屋へ連行置と語る。是はさもあるべし。シヤリ〔斜里〕の土人をクナシリ〔國後〕へ遣す、必ず其留守に妻は万人の妾に致置有なり。實に是等の事可レ悪の極ならずや。」(文中のレは古文書に見られるレ点の表した)

 

 読み難いとは思うが、武四郎が見聞した和人のアイヌに対する悪行が伝わってくると思う。和人がアイヌに対して理不尽なふるまいをしていたことはたくさん言い伝えられているが、この武四郎の記した文は和人の人後に落ちる行為と言わざるを得ない。

 

 私が最近目にした武四郎の「知床日誌」の中でも次のような記述があった。今度は筆者意訳(桑原真人・川上淳著「北海道の歴史がわかる本」より)の方を紹介する。

「斜里や網走場所では、女が年頃の16、17歳になると、クナシリ島に送られ、本州などから来る漁師達に身を弄ばされ、男は妻を娶るころの年になると昼夜なく責め働かされ、働き盛りの時は遠く離れた離島で過ごすことになるため生涯独身で暮らす者が多く、(中略)夫婦でも夫は遠い漁場に送られ、妻は会所や番屋で出稼ぎ番人の慰み者にされ……」

と書くのも憚れるような悪行を繰り返していたようだ。

           

          ※ こちらもウェブ上から拝借した合田一道氏です。

 合田氏の話はまだまだ多岐にわたったが、武四郎の凄さは、交通の便の何もない原野同然の蝦夷地を6度にもわたって探検し、その際見聞したことを克明に記録し遺したことである。しかもそのほとんどは、一私人として行っていたということも特筆すべきことだ。 

 幕末の世にこうした偉人が存在したこと、私たち和人の祖先にあたる人たちのアイヌに対する悪行について、長く記憶にとどめたい。

 

 


篠津兵村フットパスウォーク

2018-06-21 20:56:00 | フットパスウォーク & トレッキング

  のどかな田園フットパスウォークを楽しんでいた私だったが、マップが不完全なのか?私の読図能力が衰えてしまったのか?自分の現在地を見失った私は12キロのコースのところを彷徨ってしまい、20キロ強を歩かされる結果となってしまった…。


     

      ※ 「篠津兵村フットパス」が発行しているマップですが、ご覧のように絵地図で、説明書きもないため、分岐では迷いっぱなしでした。

 今月の私は、天気が良く、スケジュールが空いている限りアウトドアへ向かうことを自分に課している。

 今日(6月21日)は夜に大学公開講座が入っていたが、昼間は空いていて、天気の方もまあまあだったので、以前から考えていた江別市の篠津地区を歩いてみることにした。

 江別市篠津地区は明治14年に東北3県から19戸が屯田兵として入植したのが始まりといわれ、屯田兵によって開拓された地域だそうだ。

 そこでフットパスコース名も「篠津兵村フットパス」と命名されたようだ。

 

 パスのスタート&ゴールは江別市の名所の一つ「町村農場」に設定されていた。我が家か約40分かけて町村農場に着き、直ぐにスタートしようとした。

          

          ※ 「町村農場」は製品販売で全国展開していることもあり、大きな看板などがあるのかと思っていたが、ご覧のように質素な看板でした。

 ところが、フットパスの場合、何時の時もスタートする方向で迷うことが多い。今朝もあちこちと迷いながら、ようやく向かう方向が判明しスタートすることができた。

  そして、もう一つの不安がマップだった。

 実は「篠津兵村フットパス」のコースマップは最初に掲載した写真のように絵地図のようなものだった。ちょっと不安だったので関係者に当たって、詳細なマップを入手しようとしたのだが、どうやら絵地図様以外のマップはないとのことだったので、「まあ、農道なのでなんとかなるのでは?」と考えて実施に踏み切った。 

 「篠津兵村フットパス」は三つのコースが設定されていた。①12キロ、②4キロ、③4キロとあったが、私は最初に12キロを踏破し、その後にコースが被らない4キロコースを踏破して帰ろう、と考えていた。

           

          ※ 出発直後の篠津川に向かう砂利敷きの農道です。

 12キロコースを私は右回りで回ることにした。スタートして直ぐに篠津川の河岸に出た。といっても整備された道ではなく、ただの農道といった感じの道が続いた。路と交差するところに「史跡 篠津養蚕室跡」という石碑が立っていた。傍に立っていた説明板によると篠津屯田兵村には養蚕が奨励された時期があったようだ。

          

          ※ 初めてご対面した「篠津川」です。この後何度も篠津川が現れました。

               

               ※ 「史跡 篠津養蚕室跡」と書かれた石碑です。

 コースはやがて石狩川堤防に導かれた。堤防と石狩川の間にできた広大な河川敷は、ちょうど雑草が刈り取られた後で、すっきりとした草原が広がっていた。

 堤防の上には初夏の風が吹きわたり、なんとも言えない爽やかな気分でフットパスウォークを続けることができた。

          

          ※ 石狩川沿いの舗装された堤防です。遠くに新石狩大橋の複線化工事が行われていました。

           

          ※ 数日前に行われたばかりといった感じの河川敷の草刈り後の様子です。

 舗装された石狩川の堤防を3キロも歩いただろうか?やがて石狩川に別れを告げ、その支流である篠津川沿いを往くコースに導かれた。

           

          ※ 石狩川堤防から篠津川堤防に移ると、堤防上は砂利道となりました。

          

          ※ 堤防の内側は田植えを終えたばかりの水田が広がっていました。

 問題はここで発生した。篠津川沿いをやはり3キロ程度歩くと、そこから分岐して別れを告げるのだが、その個所がはっきりしなかった。

          

           ※ 職員さんの対応にはちょっとがっかりしてしまった「篠津運河水門」です。

 不安なときは地元の人に聞くのが一番である。幸いコースの途中に「篠津川排水機場」という施設があり、職員が居るようだったので建物内に入って尋ねた。「お仕事中でご迷惑と思うが、現在地はマップ上でどこでしょうか?」と…。マップを眺めた職員は「こんな地図じゃ、まったく分からないよ」と木で鼻を括ったような回答だった。

 しかたがない。自分で判断するより他なかった。ここでの迷いが後半に響いてしまった。私の勘どおり進むには藪漕ぎしなければならない。しかし、そこが正解だと自信がなかったところ、遠くに正解らしき道が見えた。ところが、そこに近づくには1mくらいの灌漑溝を飛び越えねばならない。そんなコース設定などあるはずがない。試行錯誤を繰り返したが、結局安全策として車が走っている車道に出て進むことにした。

           

          ※ これではフットパスコースと信じて前へ進めませんよね。 

 これが結局、私をとんでもないコースを歩かせることになってしまった。 

 その車が走っている車道とは、今振り返ってみると農道などではなく、国道275号線という幹線だったことにその時は気付いていなかった。私はまったく設定外の約4キロの道を無駄に歩いていたことに、ゴールに近づいたところで同じ橋を2度渡る羽目になってようやく気付いたのだった。

          

          ※ 二車線化工事が行われていたのだから、国道275号線だと気付かねばなりませんね。

 コースの後半、私は迷ってしまったことを自覚し、マップに頼るのではなく、スマホのGPSでひたすら町村農場を目ざした。

 もし、GPSがなかったら、私は篠地地区をかなりの時間彷徨い続けねばならなかったかもしれない。

 どうも最近は功を焦るためか、十分なリサーチをしないままのスタートが多くなってしまっているように思われる。反省しきりの私である。

           

          ※ ゴールの町村農場の即売店です。ヨーグルトとジャムを購入しました。

 それでも約5時間後になんとかスタート地点の町村農場に戻ってくることができた。

 私は町村農場産のヨーグルトとジャムを妻の土産に購入し、帰途についたのだった。

 

 ウォーク距離 約20.6キロ 歩数 27,400歩