

この映画を観て,結局自分は東日本大震災のことを他人事としてしかとらえていなかったことを痛感させられ、いたく反省した。何かを声高に叫ぶでもないこの映画は一人ひとりの心の中にじ-っと浸みこんでくる力があった。
10月25日(金)夜、道新ホールにおいて北海道新聞社などが主催する「あの日〜福島は生きている〜」映画上映&トークショー&ミニライブ in 札幌 というイベントが開催された。
冒頭、この映画の関係者三人が舞台に登場した。この映画を企画したクリエーターの箭内道彦氏、映画監督の今中康平氏、映画の中で猪苗代湖ズの一員として歌うシンガーの渡辺俊美氏の三人である。
箭内道彦氏の恰好を見て度肝を抜かれた。真っ黄々の金髪を立てて、着ている上着は真っ赤々である。年代はどう見ても40歳をはるかに超えている感じである。「いったいこの人何?」いうのがオヤジ(私のこと)の正直な気持ちだった。他の二人はオヤジから見てもまあまともな服装だったが…。
※ 写真左が箭内道彦氏、右が映画監督の今中康平氏です。
映画は震災で被災した福島の若い人たちの日常を淡々と描くドキュメンタリー映画である。まずは彼らのある日の朝食を摂る情景を淡々と撮っていく。そして「あの日の朝食は?」と問いかけるが、誰もがその後のショックの大きさに朝食のことなど憶えてはいない。
彼らはあまり震災のことを口にしなった。また、置かれた境遇を嘆くこともあまりせずに淡々と現実を受け入れているようだった。
実は、後で分かるのだが描かれている5組の人たち(実家で暮らす若い女性、母とその娘、小さな娘のいる家庭、一人暮らしの若者、若いカップル)にはある共通項があった。
それは、この映画の企画者でもある箭内道彦の呼びかけで震災から6ヶ月しか経っていない9月に福島県内5ヵ所で開催した「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」というロックコンサートに参加した人たちだった。
コンサートの企画が持ち上がったとき、「あまりにも時期が早いのではないか」との懸念の声が多く聞かれたという。しかし箭内たちは「みんなが沈んでいるからこそ、今こそみんなを元気づけたい」と企画を実行に移した。
9月14日の奥会津 季の郷 湯ら里を皮切りに、会津若松~猪苗代~郡山~相馬~いわき、と5日間連続で福島県を縦断するようにして開催したという。このコンサートから福島出身の4人のミュージシャンで組んだ「猪苗代湖ズ」が伝説の曲(?)「I love you & I need you ふくしま」が生まれた。
※ ミュージシャンの渡辺俊美氏です。彼は当日透き通った声で3曲披露してくれました。
もちろん伝説の曲「I love you & I need you ふくしま」も
映画の後半は描かれている5組の人たちがそれぞれのコンサートに参加している様子を追っている。その中で彼らは日常では見せなかった生き生きとした姿がとても印象的だった。抑えていた感情を解き放つように…。
作り込んだものではない。むしろ淡々と彼らの表情を追い続けるドキュメントを凝視続けるうちに、私は彼らの中の深い悲しみを見たような気がした。そして映画の後半には流れ出る涙を止めることができなかった。(年嵩が増して涙もろくなったせいもあるのだが…)
残念ながら私の筆力ではあの日の私の感動を的確に伝えることはできない。しかし、テレビのドキュメントなどでナレーターが被災地がいかに悲惨な状況であるかを強調されると、どこか鼻白む思いがあったのは事実である。それとは違い、被災者の表情を淡々と追い続けたこの映画の方が私の心の奥深くに届いた何かがあったのは事実である。
福島をはじめとする東北地方の一日も早い復興をこれまで以上に願った一日だった。
北大の公開講座「現代の『聖地巡礼』考」が始まった。8回にわたる長丁場であるが、第1回目の講座を聴くかぎりかなり興味がもてる内容である。「聖地」とは何か?そして「聖地」はどのようにして誕生するのか、興味深く話を聴いた。
北大の観光学高等研究センターが主催する「現代の『聖地巡礼』考」~人はなぜ聖地を目指すのか~が始まった。10月21日から毎週月曜夜に開講される講座である。夜の開催というのが若干辛いが受講料(4,000円)を収めたこともあり、なんとか8回の講座を皆勤したいと思っている。
第1回目の講座は「聖地再考-聖地は意図的に作られたものなのか?宗教的「聖地」からアニメ「聖地」まで」と題して、観光学高等研究センター教授の山村高淑氏が講義した。
「聖地」というと思い浮かぶのが「エルサレム」である。エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の「聖地」として知られている。その他、「聖地」として思い浮かぶのはチベット仏教の「ポタラ宮」とか、日本の仏教における長野の「善光寺」参りとか、日本の神道の「伊勢神宮」などが思い浮かぶ。つまり「聖地」とは宗教的色彩をもって語られるのが一般的であった。
しかし、現代になると高校野球の聖地「甲子園」とか、高校サッカーの聖地「国立競技場」などと称されることも多くなってきた。さらに、講師の山村氏は東京ビックサイトで開催される「コミックマーケット(通称:コミケ)」には、マスコミはあまり報道しないけれど夏・冬会わせると約59万人ものコミックファンが集合し、それはまさにコミックファンにとっての「聖地」と言って良いのではないかと山村氏は云う。
※ 東京ビックサイトに集まったコミックファンの様子です。
人々が「聖地」を目ざすことを「巡礼」と称されるが、それは信者の居住地からは遠く離れたところにあるため「巡礼」は旅を伴う。このことが旅行の起源とされている。したがって、旅を意味する「travel」とは「苦難、苦痛」を表すラテン語に由来するという話は興味深い。
そういえば、チベット仏教徒が五体投地という様式で聖地ラサを目ざす姿は、見ている者からすると苦難の何物でもない気がしてくる。チベット仏教ほどではないにしても、交通機関が発達していなかった頃の巡礼は苦難の連続であったろう。
近世以降になると、この「旅行」が「旅行商品」となり、大衆化して「観光」が登場したという。(ここらあたりは観光を学術的に研究している氏らしい展開である)
※ 「五体投地」をしながら聖地ポタラ宮を目ざすチベット仏教信者です。
旅行が大衆化したことによって、聖地への巡礼も一層盛んとなったが、日本においては巡礼という意味を宗教的な意味から、より世俗的な意味でも用いられるようになったそうだ。つまり、日本においては鉄道ファン、アニメファン、ある歌手のファンなどにとって、特別な意味を持つ場所がしばしば「聖地」と称されるようになったと山村氏は云う。
そして山村氏は次の言葉を紹介した。「人間が集まることによって特殊な磁場が形成され、そこが聖地となる」
このことはギリシアのアクロポリス、カンボジアのアンコールワット、チベットのポタラ宮などは意図的に「神」を演出した空間として創出されたという。
同じように、現代においては神に代わる「鉄道」や「アニメ」や「歌手」を媒介として意図的に聖地が創り出されているという。
例えば、埼玉県では県が旗振り役となってアニメファンを集める「アニ玉祭」を開催し、盛況だということである。
※ アテナイの守護神アテーナーを祀るアクロポリスの丘です。
今回の山村氏の講義は、今回の講座「現代の『聖地巡礼』考」~人はなぜ聖地を目指すのか~全体のイントロデュース的性格を帯びていた。
つまり、「聖地」というものを宗教的な意味からだけ捉えるだけでなく、もう少し広い意味で考え、聖地を観光学的に再考してみようとする講座のようである。
※ 今回のレポート(これからも)においては、講義を受けて私なりの解釈が加えられているためにあるいは講師の意図と違っている場合もあるということをお断りしておきます。