田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

Sea to Summit を振り返る 5

2016-08-31 18:28:46 | 北海道低山紀行 & Other
ルート全体を振り返って  

 今回私が歩いた(登った)距離は、4日間で全長41.8Kmになるそうである。海抜〇(ゼロ)mから3,776mに至るまでのルートを振り返ってみた。 

          
          ※ 第一日目は好天に恵まれ、目ざす富士山を望みながらのスタートだったのだが…。                    

 ルート全体の特徴として、何といってもアスファルト道路が長かったことが大きな特徴の一つに挙げられる。一日目、二日目はもちろんのこと、三日目の前半までアスファルト道路が続いた。これには閉口した。アスファルト道路の場合、フラットな面を歩くことになるから、歩く際にそれほど足元に注意を払う必要はない。だからどうしても単調な歩きになってしまう。
 さらには、歩いている横を車が行き交っていることもあまり気分の良いものではない。
 だから、三日目の後半から「富士山自然休養林コース」に入った時には、正直言ってホッとした思いがあったのも事実である。

          
          ※ 一日目の後半、富士市の郊外に至り、茶畑も見えるようになりました。

          
          ※ 東名高速道路の下をくぐってウォークは続きます。

 一日目は海岸から大淵という集落まで街や民家が続いているので、ここまではアスファルト道路でも仕方がないとは思う。しかし、二日目以降はすでに民家のない地帯に入っている。できるなら、アスファルト道路を離れた自然道のコースの設定はできないものだろうか?
 もちろん、私が通った「富士山 登山ルート3776」は、私のような初心者でも安全に歩き・登れるコースとして設定されたという背景があるのだろうが…。
 今後、このルートが改善されることがあるのか見守っていきたいと思う。

          
          ※ 典型的な杉林です。細く暗い道が続きました。

          
            ※ 道路全体が雨に濡れています。(二日目の道路の様子です)

          
          ※ 前日の暴風雨で飛び散った木の葉です。

          

 次に休憩施設についてである。
 ルート上で、二日目の後半に2ヵ所、このルートが開設されたことによって新設されたベンチを置いた休憩所が2ヵ所で目にすることができた。しかし、残念ながら全体としては少ないのではないだろうか?
 これも一日目は設置が難しいだろう。しかし、代わりにルート上にコンビニなどが散在し、休憩ポイントとして利用できる。
 一日目の炎暑の中で、ルート上最後のコンビニと紹介されていた「ミニストップ」は店内にイートインコーナーがあり、冷房の効いた店内で休むことができ、大いに助かった。

          
          ※ ルート名が記された休憩用のベンチです。

 二日目に2ヵ所のベンチ施設があったと記したが、私の記憶ではその2ヵ所が近接していた。ルート上に適切な距離をおいて設置できないものだろうか?そしてその休憩施設をマップに記載してくれたら、疲れた身としては大いに励みとなるのだが…。
 また、できればベンチには東屋のような屋根があると良いのだが…。私の場合、二日目は暴風雨の中のウォークだったこともあり、雨を避けることのできる施設が何より欲しかった。好天の日でも直射日光を避ける意味で屋根のついた休憩施設が望まれる。
 コース中で屋根が付いた休憩施設は、唯一三日目の「西臼塚駐車場」のところだけだった。
 予算や土地管理の問題はあるだろうが、利用者の側に立った整備をぜひ進めてほしいとお願いしたい。

          
 トイレについては、ガイドマップにもポイント、ポイントに記載されていて、私も困ることは全くなかった。

 ルートの案内表示であるが、これもポイント、ポイントでルート上に「富士山 登山ルート3776」のステッカーが貼られていて頼りになった。
しかし、それでも不安になることがあった。道が分岐するところなど、初めて当地を訪れ歩く(登る)者の身になって、安心してルートを選択できるようさらに充実した表示がされることを望みたいと思った。

          

          ※ こうした案内ステッカーがより充実して、初めての方でも安心して挑めるようにしてほしい。

          

 概ねよく考えられ、準備されたルートであり、初めての私でも迷うことなく、山頂まで導いてくれた。さらに安全に、快適に、という観点から何点か改善点を挙げさせてもらった。

          
          ※ 二日目の大雨が過ぎ去った後では、こうしてミラーに映る自分を撮る余裕もあったのですが…。

Sea to Summit を振り返る 4

2016-08-30 21:59:12 | 北海道低山紀行 & Other
第4日目(新7合目「御来光山荘」 ⇒ 富士山山頂・剣が峰 3.2km) 

 いよいよこの日は私の70歳の誕生日。今回のプロジェクトを完成させる日である。心配された天気はなんとか登山に支障のない天気となってくれた。もう一つの心配の種だった高山病は?宿泊した「御来光山荘」は2,780m地点。3,000m地点を迎えて私の体調はどうなるのだろうか? 

 私の体はいったいどうなっているのだろう?
 前夜と同じ、というより前夜よりもひどく午後6時にシュラフにもぐりこんだものの、一睡もできずに過ごした。朝1時ころからご来光を拝むための一行が起きだし騒がしくなったため、私もたまらず2時ころから起きだし、出発の準備を始める始末だった。

 暗い中での準備に手間取ったこともあり、結局山小屋を出発したのは午前3時20分だった。辺りはまだ暗く、気温も低かったので、上下ともにレインウェアを着込み、キャップランプを点けての登山を開始した。
 これまでの3日間の疲労が蓄積していて、行動を開始するも、まったくののろまなカメさんだった。一歩一歩の歩みがとても重い。

 私のスタートした時間は、ご来光を拝むには遅すぎ、普通に登山をするには早すぎるという中途半端な時間のため、私の前後に登山者は見当たらなかった。
 新7合目から、元祖7合目までどれくらいの距離があるのだろうか?山室「山口山荘」の光はすぐ近くに見えるのに、その間1時間かかり4時20分に到達した。ここで高度が初めて3,000mを突破した。

 新7合目からは登山路の様相が明らかに変わった。富士山の噴火の名残が色濃く残る火山岩が折り重なった登山路に変身していた。
 連続してはとても登れない。数歩登っては一息入れて、再び登り始める、という繰り返しでゆっくりゆっくり登っていく。
 この頃になると、辺りが徐々に明るくなってきた。この日の日の出時刻(5:00)が迫ってきていた。ただ、私が登っている富士宮口コースは山陰になっていて直接ご来光を拝むことはできなかった。

 元祖7合目からやはり1時間強かかり5時23分、8合目にある山室「池田館」に到達した。(高度3,250m)池田館はすでに開店していて、ここで一休止して、水分を補給した。(ポカリスェット500円)

          
          ※ この日は夜明け前に行動を開始したため、前半の様子は写真に残せなかった。
           写真は8合目に向かう登山路を写したものです。

 再始動しようとしたところ、前に一人の登山者がいた。「先へどうぞ」と言ってくれる。後ろに誰かがいると、ペースを乱されるので遠慮したのだが、彼は前へ行こうとしない。しかたなく前を行くことにしたのだが、彼とはその後前後しながら登ることになった。
 彼との間では自然に会話も生まれたのだが、彼は72歳ということだった。彼は登山のベテランのようだったので、聞いてみた。「以前の時には高山病を患ったのだが、大丈夫だろうか?」と…。彼は「すでに3,000mを超えていて何も症状が出ないのであれば大丈夫だろう。水分をこまめに取るとよい」とアドバイスをいただいた。

          
          ※ 富士山の8合目以上は浅間大社奥宮の境内地ということで、8合目の山室の上方に写真の鳥居が立っていました。

               
          ※ また面白い柱が立っていたが、近づいてみると、柱の隙間にびっしりとコインが挟まっていました。

          
          ※ この辺りでは天気も良く、下界も視野に入るほどだったのですが…。

 彼の登り方はほんとうに無理をしない登り方だった。見ていると絶えず立ち止まり、水分を補給している。私もできるだけ彼の登り方を真似するように一歩一歩歩を進めた。
 この頃になると、山頂でご来光を拝んだ人たちが下山するのが目立つようになり、登山路が混雑し始めた。
 ガイドマップの標準時間30分のところをおよそ1時間かけて、6時30分9合目に到達した。(山室「万年雪荘」 高度3,460m)
          
          
          ※ 9合目の山室「万年雪荘」です。

 その後もひたすら耐えながらの登りが続いた。
 山頂から降りてくる人たちが増えてきた。その中にひときわ小さな二人の元気な男の子がいた。ハーフの双子だったようだ、あまりに小さいので年齢を訊くと「6歳」だという。1年生で富士山登山とは驚きだ。と思っていたら、その後から似たような顔の女の子が降りてきた。明らかに双子より小さい。おそらく2歳くらい下の子だったのではないだろうか。母親に「つらくて泣いたりしませんか?」と尋ねると「時々怪しくなりますけどね」ということだった。いやいや子どもの方が軽やかに登ることができるのかもしれない。

          
          ※ この日の天気が良かった時間の写真は前掲の写真とこの写真の2毎だけです。

          
          ※ 頂上に近づくほど、こうした火山岩が横たわる登山道となってきました。

 最後の山室「胸突山荘」(高度3,580m)に到達したのは7時17分だった。
 富士山の登山路の標識は山室が近くなると「あと200m」の表示が出る。この200mが長い。おそらくこの表示が出てから、私の場合だと15分以上かかっていたのではないか。

          
          ※ 最後の山室、9合5勺に建つ「胸突山荘」です。        
              
 胸突山荘を後にすると、本当にそれまで以上にきつい登りの胸突き八丁が待っていた。
 遠くの山頂にある「浅間大社奥宮」の鳥居が望めるのだが、なかなか近づかない。
 あえぎあえぎ、火山岩の塊の中を登り、富士宮口の山頂「浅間大社奥宮」に到着したのは8時14分だった。高山病を自覚することもなく、無事に山頂に立つことができた。
 しかし、この奥宮の高度(標高)は3,720mである。私の目的はあくまで剣が峰の3,776mに立つことである。

          ※ 9合5勺に建つ「胸突山荘」を過ぎてから山頂までの登山路三態です。

           

          

          
          
          
          ※ 山頂直前、浅間大社奥宮の鳥居をくぐり、山頂に到達です。


          
          ※ 改装なったばかりの「浅間大社奥宮」です。

 焦ることはない。富士宮口の山頂「浅間大社奥宮」の横に建つ山室「富士館」で「マルちゃん赤いきつね(800円)」で朝食を摂ったことはライブレポで報告したとおりである。

          
          ※ 富士山ドーム(気象観測所)だった建物が建つ、剣が峰です。

 朝食の後、目的の「剣が峰」はすぐ目の前である。
 お腹を満たした私はあまり苦労することもなくおよそ20分かけて滑りやすい急斜面を登り、9時10分、ついに日本の最高峰である剣が峰に立った!

          
          ※ 剣が峰に向かう途中、富士山の大火口が目に入ります。

 剣が峰に立ったとき、俄かに雨が降り出した。この雨はけっして涙雨ではない。私には祝福のシャワーだと思えた。
 自らの70歳の誕生日を日本最高峰で迎える、これに勝る喜びはないだろう。しかも、海抜〇メートルから、自らの足で4日間かけて歩き、そして登ってきたのだ。
 苦しかった4日間の日々が蘇り、喜びは倍加した。
 天候に恵まれた4日間とは言い難かった。しかし、それが自然である。自然の厳しさを体感できたのも、今回の4日間の収穫だった。
 私にとって忘れがたい大きな勲章を得た思いで感激に浸った剣が峰の頂だった。

          



 ここまで、4日間の私の様子を詳細に語ってきた。
 明日からは、Sea to Summit全体を振り返ることにしたい。


Sea to Summit を振り返る 3

2016-08-29 19:02:01 | 北海道低山紀行 & Other
第3日目(表富士グリーンキャンプ場 ⇒ 新7合目「御来光山荘」 11.8km) 

 第3日目は、前半5キロにわたってアスファルト道路の坂道を歩いた後、いよいよ自然道の休養林コースに入る。そして最後は本格的富士山登山に移行し、新7合目まで登るというコースだった。疲れはもちろんあったが、変化に富んでいたこともあり、苦しいながらも楽しめたコースだった。 

 なぜだろう?疲れているはずなのになかなか寝付けなかった。
 前日午後6時にシュラフ(寝袋)に入ったのだが、12時を過ぎても寝付けず、朝方になりようやく寝入ったようだった。しかし、5時半には目覚ましが鳴り、完全に寝不足状態で3日目の行動を開始しなければならない羽目になった。

          
          ※ この日午前7時、私は「表富士グリーンキャンプ場」のセンターハウスを後にしました。

 朝食、荷物の整理、パッキングを終え、午前7時表富士グリーンキャンプ場を出発した。
 天候は晴れ、樹間から太陽の光が顔を覗かせる中、坂道ウォークが始まった。
 天候が戻ったからだろうか、道路を盛んにバスやトラック、乗用車が通り過ぎてゆく。

          
          ※ 道路上には前日の暴風雨の激しさを物語るような痕跡が残されていました。

 30分後、「西臼塚駐車場」に着いた。計画段階で「表富士グリーンキャンプ場」の宿泊予約がなかなか取れなかった時、場合によってはここの駐車場の東屋のようなところでの野宿も覚悟していたところだ。
 わずか30分間しか行動していないのに、体もう疲労を訴えていて、早くも休憩する羽目になった。

          
          ※ 「西臼塚駐車場」内に設置されているバードウォッチング用に観察小屋ということです。

 「西臼塚駐車場」を出て、さらに坂道を歩くこと1時間あまり、8時40分にアスファルト道路の終点「旧料金所ゲート」に到着した。
 そこにはゲートを通過する車をチェックする係の方が3人ほど務めていた。
 彼らの話では、以前はここから先は有料道路となっていて(だから旧料金所と称するようだ)、富士宮口5合目までは誰もが行けたという。ところが富士山が世界遺産に登録されたことにより、排ガスの規制のために観光&定期バスや許可車のみが走行を許されることになったそうだ。

          
          ※ 「富士山スカイライン」の旧料金所ゲートです。私はゲート手前から森の中に入ったのです。

 係の方が言うには「人は通ることができますよ」ということだったが、自動車道は5合目に至るまで何度も何度もつづら折りを繰り返し、私が行こうとする「富士山自然休養林コース」よりはるかに長い距離である。私は丁重にお断り申し上げた。
 この「旧料金所」のところで、私はライブレポを発信しながら30分間の休憩をとった。

          
          ※ 「富士山自然林休養林コース」の入り口です。暗い中に突入していきました。          

 用意してきたトレッキング・ポールを取り出し、9時10分、いよいよ自然休養林コースに分け入った。
 雰囲気は一変した。これまでのアスファルト道路から自然道である。勾配は変わらず上がり続けているのだが、なんだかホッとしたような気分になって歩き、そして登り続けた。

          
          ※ 休養林コースの始めはこのようなコースが続きました。

 少し不安だったのは、休養林コースのところどころに案内板が立っていたのだが、その表示が「高鉢駐車場、御殿庭」と掲示されていたことだ。「高鉢駐車場」とは目ざすところとまったく方向が違う。「御殿庭」という表示はガイドブックには表記されていない。ただ私が向かう先には「御殿庭下」、「御殿庭中」という表示がガイドブックに表記されていた。
 多少不安ではあったが、途中から「高鉢駐車場」と「御殿庭」は分岐するのだろうと考えそのまま進んだ。例え「高鉢駐車場」に導かれても、大幅な廻り道とはなるものの、迷うことにはならないと考え…。

          
          ※ 標識に表示されているのは「高鉢駐車場」と「御殿庭」だけ、少々不安になりました。

 休養林の中は湿度が高いようで、苔に覆われた一帯が続いたり、雑誌などメディアで有名な「青木ヶ原」の樹海を思い起こさせるように光景が広がっていたりした。
 そして、予想どおり、休養林の入り口から1時間半後、「ガラン沢」というところに達すると、高鉢駐車場と御殿庭は行き先が分かれていた。

          
          ※ 苔むした樹海のような雰囲気です。

          
          ※ そして「青木ヶ原」のような林が果てしなく広がっていました。

          
          ※ 「ガラン沢」の複雑な標識。でもこの標識で迷わずに進んでいることを確信したのでした。

 ガラン沢で一休みした後、休養林はそれまでの緩い勾配から一転して、険しい登りを伴ったコースに変身した。いよいよ富士山の登りに差し掛かったらしかった。
 ペースはかなりダウンしながらも、できるだけ休まずに登り続けた。

 ここまで三日間、私のような旅人、あるいは山登りをしている人に一人も出会わなかった。ところが御殿庭に至ったところで初めて若者たちの集団が私を勢いよく追い抜いて行った。中にはペットボトル一本を手にして登っている若者もいた。「ずいぶん軽装ですね」と声をかけたところ、どうやら団体でバスでやってきて、一部はバスでそのまま5合目まで行きそこから登山を開始し、元気の良い一部がゲート前で降りて、私と同じように休養林コースを登って、6合目で合流するということのようだった。

          
          ※ 富士山が修行の山だったことの一つの証かもしれません。

 若者の集団が去った後、私の単独行は続いた。
 徐々に周りの木の高さが低くなっていく。高度が増してきたせいのようだ。
 そしてついには、木が生えてることのできない森林限界を突破したようだ。そのころから、私の行く手には霧が立ち込めるようになってきた。
 そしてその霧の中に入っていくように登り続けていると、霧は小雨に変わってきた。気温も下がってきたので、早めの対策にレインウェアを着込んで登り続けた。
          
 13時40分、山体観測装置というところに出た。休憩時間を入れたとしてもずいぶんなスローペースである。山体観測装置のあるところは宝永山の火口の外縁にあり、私は宝永山の火口を右手に見ながら登り続けた。
 「宝永山第二火口縁」に達すると、標準時間で30分ほどで山小屋のある6合目に到達するとガイドブックが表示していた。見通しが立ったことで少し元気を回復した。

          
          ※ 「山体観測所」の標識です。バックには何も見えません。霧が周りを覆っていました。

          
          ※ 富士山の山腹にできた「宝永山」に向かうグループです。

 14時20分、ようやく人気(ひとけ)のする6合目の山小屋の「雲海荘」に着いた。

          
          ※ 富士宮口5合目にある山小屋の一つ「雲海荘」です。

 そこからは富士宮登山口5合目からのコースと合流し、標準時間で1時間を要す新7合目の「御来光山荘」を目ざした。
 コースの両脇にロープが張られたお馴染みの富士山登山路である。距離にすると1キロ程度だろうか?

 雨は間断なく降っていた。私はレインウェアの上だけしか装着していなかった。(途中で下を装着するのはけっこう面倒なのだ)そのためズボンはかなり濡れてしまったが、本降りではなかったこともあり、なんとかしのぐことができた。
 6合目から1時間強かけて15時30分無事にこの日の宿となる7合目「御来光山荘に」到着した。
 朝から7時間20分もの長い時間を要した一日が終わった。

          
          ※ 5合目からは、こうしてロープが張られた中を登り、山頂を目指します。

          
          ※ 霧が晴れて、宝永山の山容を眺めることができました。

          
          ※ ようやくこの日の宿「御来光山荘」に到着しました。


 第3日目は、アスファルト道路、緑濃い休養林コース、そして火山岩の中を往く本格的な登山路と、変化に富んだコースだったこともあり、時間はかかり、それなりに疲労感はあったものの楽しく歩き、そして登ることができた一日だった。

Sea to Summit を振り返る 2

2016-08-28 20:54:16 | 北海道低山紀行 & Other
第2日目(大渕・「やまぼうし」 ⇒ 表富士グリーンキャンプ場  約15キロ) 

 この日は雨と風との闘いだった。台風9号が直撃する中、誰一人とも出会うことなく、民家も途絶え、ひたすらアスファルトの坂道を歩き続けた。途中ではあまりの雨風の酷さに立ち止まってしまう私だった。 

 2日目(8月22日)、予報どおり朝から雨が降り続いていた。しかし、朝の時点では風は強くなく、予定どおりスタートすることにした。
 農家民宿「やまぼうし」の主人が「危ないと思ったら連絡してほしい。いつでも迎えに行くから」という励ましをいただき、7時55分スタートした。

          
          ※ とてもお世話になった農家民宿「やまぼうし」のご夫妻に見送られて二日目をスタートした。

 スタート直後からずーっと坂道の連続だった。スタートして間もなく民家は途切れ、道路の周囲は林道の様相を呈してきた。
 私のスタイルはというと、上下ともにレインウエアを着込み、傘をさしてのウォーキングだった。

          
          ※ 写真のように雨に濡れた大淵林道を黙々と歩く私だった。

          
          ※ コースのところどころに張られた「富士山 登山ルート3776」というステッカーが励みとなった。
 
 雨は間断なく降りしきる。昨日の疲れが残っていたため、坂道の勾配がきついのがこたえた。
 スタート後1時間を経過したときだった。林道の中に「誠信会 ふくしの里」という看板が目に入った。社会福祉施設のようである。
周りに建物は見えなかったが、中へ入っていくときっと雨宿りできるところがあるはずと、敷地内に入っていくと、ちょうど雨宿りができるような施設があった。周りに人の姿は見えなかったが、軒先で雨宿りをさせてもらいながらライブレポを発信した。

 30分の大休憩をとった後、再スタートした。
 周りの様子は何も変わらない。道の両側は杉の林が延々と続いていた。マップでは「大淵林道」と出ていた。
 高度が800mを超えたころだろうか?風が徐々に強くなってきたことを感じ始めた。
 時折、傘が吹き飛ばされそうになってきた。しかたなく、傘を閉じて歩くしかなかった。
 行き交う人などもちろん誰もいない。たまあに車が通り過ぎるだけ…。

          
          ※ 大淵林道も奥深くなると、写真のように細く、暗くなっていった。

 10時を過ぎたころだったか、大淵林道が大きな道路と交差した。そこからは大きく左折して、その大きな道路を往く。
 11時近くなったころ、雨が激しくなり始めた。もうそれは土砂降りという感じの降りで、私は思わず立ち止まってしまうほどだった。ウェアの外は雨で、ウェアの中は汗で、内外ともびしょ濡れで、どこかで一休みしたい思いだった。しかし、周りには休めるところなど何もない…。

          
          ※ 大渕林道が終わる地点に写真のようなベンチがあったが、雨を避ける東屋のようなものは残念ながらなかった。

 その時だった。道路の向かい側に大きな石が鎮座し、その石に何か文字が彫られているのが目に入った。傍に寄ってみると「天照教社」と彫られていた。
 私は推測した。宗教施設なら、どこか雨宿りできるような建物があるに違いないと…。
 敷地の中をしばらく進むと、思っていたように建物があって、雨宿りもできそうな庇が伸びた建物があった。そこには「天照教社務所」と書かれていた。内部に人は見当たらなかったが、そこの庇の下を借りて雨宿りすることができ、ホッとした。本当に心の底からホッとした。
この建物がなかったら、「あるいは?」の事態になったかもしれないほど私は窮地に陥っていたのだ。

          
          ※ 「天照教社」と彫られた大きな石です。雨が小降りになり再スタートを切った時の写真です。

          
          ※ 激しく雨が降っている時の「天照教社務所」。庇から雨が溢れ落ち、前面は水浸しです。

 40分ほど休んでいただろうか?叩き付けるような雨が、やや小降りになったのを見て、再々スタート切ることにした。
 その後も雨が止むことはなかったが、「天照教社」の前後のような激しい雨に遭うことはなく、峠は越えたのではと思われた。

 道路や周りの状況は変わらなかった。ただ、ただアスファルト道路を淡々と歩くだけだった。マップ上で大きく迂回するところがある。そこを通過すると目的地の「表富士グリーンキャンプ場」は近い。
 道路が大きく迂回するところを回り、森の姿が濃くなってきた道路には、激しい風のために千切れた木の葉がたくさん道路上に落ちていたことからも、激しかった風の様子をうかがうことができた。

          
          ※ 大渕林道から広い道路に出ましたが、その広い道路の様子です。

          
          ※ 強い風の影響でこのような枝も落ちていました。

 13時05分、この日の目的地「表富士グリーンキャンプ場」に無事到着した。
 キャンプ場では、当初キャンプを予定していたが、キャンプ場スタッフの好意によりキャビンを使用させていただき、雨の中でのキャンプを避けることができたことはライブレポでも報告したとおりである。

          

          
          ※ ライブレポでも紹介した、私に提供された「表富士グリーンキャンプ場」の6人用キャビンです。

          
          ※ 夕食のころ、センターハウスの窓から雨風が止んだ風景が望まれました。

 この日は、雨風に悩まされたものの、気温が前日より10度くらい下回ったこともあって、体力的には前日ほど消耗することなく終えることができた。

Sea to Summit を振り返る 1

2016-08-27 21:54:13 | 北海道低山紀行 & Other
第1日目(田子の浦海岸 ⇒ 大渕・農家民宿「やまぼうし」 約14キロ)

 富士市が提唱する「富士山へ、0(ゼロ)からの挑戦 富士山登山ルート3776」は3泊4日の行程で組まれたものだった。その第1日目は炎暑に悩まされ、脱水症寸前に追い込まれた私だった。 

          
          ※ スタート前、公園の小高いところから田子の浦港の向こうに聳える富士山です。

          
          ※ 公園の高い構造物の上でM女史にポーズをとらされた私です。

          
          ※ この日、最も富士山が良く見えた一枚です。

 1日目(8月21日)、富士山が遠くに望める好天の中を「ふじのくに田子の浦みなと公園」をスタートした。
 農家民宿「やまぼうし」のフェイスブックの制作を担当するM女史が私の歩いている様子を撮影するからと、富士市役所まで一緒に歩くことになった。
 はじめはいろいろとお話をしながら歩いていたのだが、徐々にM女史が遅れ気味となってきた。
 スタートから富士市役所までは平坦な道が続いた。しかし、8月の太陽の照り返しは強く、すでに全身汗まみれになっていた。

          
          ※ JR東海道本線(手前)と東海道新幹線(向こう側)をくぐって進みます。

          
 スタートから1時間15分後、富士市役所に着いた。富士市役所の屋上には富士山が望める展望台があるということだったが、日曜日のため閉鎖されていた。残念!
 M女史はここまでで、このあとはご主人が運転する車で、ところどころで私を待ち受けて撮影することになった。
 私は一休みして再スタートを切った。

          
          ※ 富士市役所をバックにM女史を反対に私が写しました。

 ここからは「大淵街道」という一本道をこの日のゴールである大淵集落を目ざした。この大淵街道はひと時の休みもなく、ずーっと坂道が続く一本道だった。たくさんの車が行き交う中を、一人荷物を背負った男が黙々と歩いていく。
 正午が近づき、気温はぐんぐんと上がっていく(この日の最高温度は手元の温度計で34.8度を指した)。坂道は続く。9キロ超の背中の荷物が肩にぐっとのしかかる。
 再スタートから1時間も歩かないうちに、道路わきにあったコンビニに飛び込んだ。 
 冷たい果物を買い求め、それを食しながらライブレポを発信した。

          
          ※ 第二東名高速道路をまたいで…。

 午後の照り返しが強い中、坂道ウォークは続いた。周りを眺める余裕もなくなり、ひたすら歩を前へ進めることに専心した。歩くスピードはかなり落ちたのではないだろうか。
 12時45分を回った時だった。大淵街道で最後のコンビニになる「ミニストップ」の店舗の前にソフトクリームの看板に釣られるように店に吸い寄せられた。

          
          ※ 道は絶えず登り勾配で私を苦しめた。
          
 暑さと疲れでヘロヘロになっている体にソフトクリームはことのほか美味しさがしみた。
 おまけにこのミニストップには店内にイートインコーナーが設けられていた。冷房が効いた店内を離れがたかった。
 空腹感はなかったが、冷やしソーメンで昼食とし、さらにフルーツの寒天ゼリーを買い求め、長居を図った。結局、この店で私は50分も居続けた。

 13時30分過ぎ、ようやく重い腰を上げ、再び歩みを開始した。
 長く休んだとはいえ、歩き始めて少し時間が経つと辛さが私を支配した。

          
          ※ 大淵集落が近づくと、こうしたヒノキの林が目立ってくるようになった。
 
 M女史が宿泊先の農家民宿「やまぼうし」のご主人とともに近寄ってきて「大丈夫か?」と声をかけてくれた。ところは、富士市のモデルコースでは宿泊先となっている「よもぎ湯」が近づいた地点だった。「やまぼうしまでは残り1.5キロくらい」だという。
 坂道は一段と険しくなった感じだった。懸命な歩みを続けたが、ここからが長かった。1.5キロがなかなか届かないのだ。疲れた体は思うように距離は稼いでいなかったのだろう。

 待ちつかれたM女史は、今度はご主人の車で再び近づいてきた。私の歩くさまが相当心配だったようだ。
 喘ぐようにして、翌日のスタート地点のところに着いた。「やまぼうし」は脇道にそれていることから、そこからは車に乗せていただいた。
 車に乗った時だった。ふくらはぎが激しく痙攣した。以前に登山をしたときにも似たような症状を経験したが、脱水症の一歩手前の症状である。
 
 農家民宿「やまぼうし」に着くと、民宿のご夫妻をはじめ、ご夫妻の友人などたくさんの人が迎えてくれた。「古希の人間が海抜0(ゼロ)から富士山に登る」ということで多少は話題になっていたのだろうか?
 それなのにちょっと情けない姿を見せてしまったことが悔やまれた。
 それでもなんとかかんとか第1日目を歩きとおすことができてホッとした私だった。

          
          ※ 農家民宿「やまぼうし」のエントランスです。

 なお、この日M女史が取材した様子は農家民宿「やまぼうし」のHP内に公開されている。

東京ぶらぶら日記 9

2016-08-26 13:29:35 | 道外の旅

 東京ぶらぶら日記最終便です。

 早々と成田空港に着き、昼食をとることにしました。
 LCC専用ターミナルだからでしょうか?ファーストフード的な店ばかりが並んでいます。
 暇なので、それらを羅列してみます。
■本場香川 宮式讃岐うどん」、■「長崎ちゃんぽん リンガーハット」、■「FRESHNESS BURGER」、■「洋丼屋 ONE BOWL」.■「ぼてぢゅう屋台」、■「SUSHI STAND 辰」というぐあいです。

 さあて、私はその中からどこを選んだでしょうか?






 なぁ〜んと、札幌でもいつでも食することかできる長崎ちゃんぽんの「野菜皿うどんセット」という皿うどんに餃子が付いたものでした。
 チョイスした理由は、写真には写さなかったもう一つあるもののためです。
 そのあるものとは?それは秘密にしておきましょう。

 ということで「東京ぶらぶら日記」は、お・し・ま・い とします。

 


東京ぶらぶら日記 7

2016-08-26 07:51:43 | 道外の旅

 行ってきました!新宿ゴールデン街!
 怪しげ(?)な小路を通って案内された「Hungry Humphre(ハングリー・ハンフリー)」というお店。

 ゴールデン街の店というと、カウンター席だけの小さく、狭い店というイメージがありますが、ハングリー・ハンフリーはテーブル席も備えたわりあい広い店でした。

 この店の名物ミートボールを味わいながら、ポーランド産のウオッカをちびりちびりと…。
 沖縄・与那国島氏とは6年ぶりの再会にあれこれと話が弾みました。

 店内の写真も撮ったのですが、スマホで撮りませんでしたので、写真は帰宅してから載せることにします。

 さて、今日は帰るだけ。
 飛行機便は午後ですが、重い荷物もあるので一路成田へというスケジュールです。


東京ぶらぶら日記 6

2016-08-25 16:46:24 | 道外の旅

 新宿アルタ前に来ています。
 沖縄・与那国島で知り合った方と待ち合わせの場所なのです。
 彼は新宿ゴールデン街に案内してくれると言っています。(ワァオー)ワクワクドキドキです。

 この後はバッテリーが切れそうですので本日は発信できません。残念!

 写真はおなじみのアルタの全貌です。

 


東京ぶらぶら日記 5

2016-08-25 15:18:11 | 道外の旅

 私は皆さまに高尾山について大変に間違った情報を提供するところでした。
 下山は予告していた通り、登山と違う「琵琶滝コース」を下りました。このコースが素晴らしいコースだったのです。

 山頂直下こそ人工の階段が続きましたが、コースの大半は自然いっぱいのコースでした。
 高尾山を下る沢づたいのコースで、途中には沢登り(私は沢下り)のところあって涼味満点でした。

 


 さらにはコース名にもなっている「琵琶滝」もあって、なんだか深山に踏み込んだような錯覚さえ覚えました。

 

 コースの長さも全長3キロを超えるもので、こうなると本格的装備も納得します。

 私が登りに使った参道コース(正確には表参道コース)は、登山道というよりは参詣のための道の性格が強いのかもしれません。

 ということで、高尾山の魅力に気づくことができて良かった、良かったという話でした。