田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

池上彰が語るグローバル社会

2018-01-31 16:39:32 | 講演・講義・フォーラム等
 淀みなく滔々と語る池上節に酔った。いまや避けて通れないグローバル化した世界の現実を読み解く池上彰氏の解説は説得力に富み、池上ワールド全開だった。

                    

 1月27日(土)午後、道新ホールにおいて立教大学主催の公開講演会が開催され、いまやジャーナリストとして飛ぶ鳥を落とす勢いの池上彰氏が講演するのを聴いた。
 立教大学ではグローバルリーダー育成を目指す少人数コース「GLAP(Global Liberal Arts Program)」の開設1周年を記念しての講演会を開催するにあたって、立教大学客員教授をしている池上彰氏に講師を依頼したということのようだ。
 
 池上氏の講演のテーマは「グローバル社会を生きる」と題するものだった。
 池上氏は、最初に現代はグローバリズムの全盛であるが、その反作用としてのアンチグローバリズムも存在すると話した。
 そのアンチグローバリズムの例証として、イギリスのEU離脱、EU内における極右政党の台頭、トランプ米大統領の登場などを挙げた。
 しかし、グローバリズムの動きは今や止めようとしても止まらないのが現実である。そのような現状だからこそ、それに反発するアンチグローバリズムも存在すると語った。

                    

 世界がグローバル化する中で、深刻化するのが宗教の問題であると池上氏は指摘する。
 最もホットな問題は、エルサルムの問題である。トランプ米大統領がエルサレムをイスラエルの首都であると宣言したことは新たな火種を世界は抱えてしまったと指摘した。
 また、イスラム教の中でも派(スンニ派とシーア派など)による抗争が泥沼化している事実がある。また、北アイルランド問題もやはり宗教対立による抗争であるが、再発するのではないかと予想した。

 池上氏は、各宗教がその教義を正しく理解すれば宗教対立は起こらないはずであるとしたが…。
 最後に池上氏は、グローバリズムはもはや避けて通ることはできず、そのことを否定していては国が成り立っていかない、とした。
 そうした現実の中で、私たちは(世界は)異質な考え方、違う宗教を互いに受け入れながらグローバル社会を生きていく必要があるとした。

 テレビで活躍する池上氏の姿を見られる方は多いと思うが、まさに池上氏はテレビでの姿のまま、まったく淀みなく、私たち聴衆に分かり易く90分間語り続けた。それはもう池上氏の特異な才能といっても良いのかもしれない。
 絶えなる自己研鑽を続けているという氏の語りはこれからもますます冴えわたるのだろう。

授業「若き日の欧亜貧乏旅行」

2018-01-30 16:34:49 | 講演・講義・フォーラム等
 10数年ぶりに授業をした。といっても、本格的なものではなくシニアの方々10数名を前にした模擬授業である。模擬授業とはいっても久しぶりの授業で緊張した。授業は、私の若き日の体験を語るものであった。はてした評判は??

       
       ※ 50年前に制作したであろう私が歩いた足跡を記した世界地図が見つかった。なぜ作ったのかも判然としないが、大学祭において旅の報告をした際に作ったのではと思う。 

 「めだかの学校」では現在、「古典落語を聴く会」と「自らの体験や学びを語る会」を並行して実施している。
 1月22日(月)は、その中の「自らの体験や学びを語る会」があり、私がその回の当番であった。
 さて私は何を語ろうか?と思ったが、私は今から50年も前のことであるが、私の人生に大きな影響を与えてくれた「若き日の欧亜貧乏旅行」のことを話そうと思った。

 その体験をどのように話そうかと構想していた時、私がまだ現職中に卒業間近な子どもたちに対して私の体験を授業したことがあり、たまたまその授業案が残っていた。
 そこで私は、通常の一方的に話す形式もいいが、少し変化をつけて授業の形で聞く側も参加する授業形式も面白いのでは、と考え模擬授業として実施することにした。

 授業案は「道徳」の授業として行ったので、授業名は「願いを抱け、夢を持て」というものだった。
 授業に当たって準備したものは、世界地図、小田実著「何でも見てやろう」、私家本「母に贈る鎮魂歌」、そして旅の中で購入したバックパッカー用ザック、アフガンコート、セイロン(現スリランカ)で購入した太鼓を用意した。(よく50年前のものが残っていた!)

               
               ※ チェコスロバキア(現在のチェコ)の首都プラハで購入したバックパッカー用のザックです。国旗は私が縫い付けたもの。

 私は授業の最初に、子どもたち次のように語りかけ、そして問うた。
 「あるところにA君という若者がいました。A君は高校生の時、ある一冊の本に出合いました」(と言いながら小田実著「何でも見てやろう!」を提示する)
 「この本にはどのようなことが書いてある本でしょうか?想像してノートに書きなさい」

 ここで授業のすべてを再現することは難しい。
 私は授業の形式を取りながら、子どもたちに私の体験を伝えていった。
 ここでは、私が授業のポイントだと考えた二つの〈教師の語り〉のみを再現したい。

                    
                    ※ アフガニスタンで購入したアフガンコート(羊の皮製)です。

 〈教師の語り 1〉
 夢もなく、漫然と大学生活を送っていた私は、このまま若さを浪費してしまっていいんだろうか、と悩みました。そんな時、高校時代に読んだ「何でも見てやろう!」の本のことを思い出しました。
 「そうだ!とっても難しい夢だけど、夢に向かって挑戦してみよう!」と決心しました。
そう決心した私は猛然とアルバイトを開始しました。朝は4時に飛び起きて、寮から6km離れたバス会社まで走って向かいました。そこで大学の授業が始まるまでアルバイトをします。大学の授業が終わると夕方は家庭教師のアルバイトです。
それが終わると再びバスのアルバイトをしました。それで終わりではありません。今度は夜遅くまで開いていた深夜喫茶のボーイの仕事をしました。
 とってもハードな毎日だったけど、「夢を実現するんだ!」という思いが強かったので、少しもつらいとは思いませんでした。
 こうして私は、およそ一年半で約40万円の旅行資金を作り、夢を実現しました。1968年6月1日、私は横浜の港を発ち、翌年の1969年3月15日に横浜の港に帰ってきました。この旅で私は30の国と地域を巡ってくることができました。

 そして授業の最後に小学校卒業を前にした子どもたちに次のように語りかけた。

               
               ※ セイロン(現在のスリランカ)で購入した民族太鼓です。
  
〈教師の語り 2〉
 私はこの体験を通して、夢を抱いて努力することの大切さを学びました。夢に向かって頑張ることは人に大きな力を与えてくれると思いました。
 多少つらいことがあっても、夢に近づいていると思うと少しもつらいとは思いませんでした。
 今、小学校を卒業しようとしている君たちには、将来の夢をはっきり描いて、それに向かって懸命に頑張ってほしいと校長先生は心から思っています。
 夢を持ち続けること、夢をあきらめないこと、そして夢に向かって努力し続けることは、きっとあなたたちの毎日を、そしてあなたたちの人生を素晴らしいものにしてくれると私は思います。
 私もまた、今ひそかに夢を抱いて、その実現のために頑張っています。

 こう語りかけ、授業を終えた。

 さて、肝心の模擬授業を受けたシニアの感想はどうだったろうか?
 シニアの方々は、私の発問や指示に従い、一生懸命授業に参加してくれた。
 直接授業に対する感想は聞かれなかったが、私の体験にはとても興味を持ってくれたようだった。私の体験に次から次へと質問が寄せられた。
 シニアたちから指摘された。この時の体験が今の私をつくってくれていると…。

冬の石狩川河岸を遡る 28

2018-01-29 16:01:42 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

愛山渓入口 ⇒ 留辺志部橋   トレッキング期日 ‘18/01/25

 ライブレポでも触れたとおり、今季というよりは、この石狩川河岸遡行の史上最も困難な場面に遭遇したとも思える1月25日だった。行く手を阻む大木の倒木、大きな崖と川面の挟まれた急斜面、前進を阻む困難な状況をなんとか乗り越えたとき、私は精も根も尽き果てるほどの思いだった…。 

 今シリーズの最終日(1月25日)のこの日は、これまでの中で最も早い午前6時過ぎにホテルを出た。日の出前だったので周りはまだ薄暗かった。
 駐車スポットの愛山渓入口のドライブインの駐車場に車を停めさせていただき、午前7時、昨日のゴール地点だった「安足間橋」を渡り、そこでスノーシューを付け、JR石北本線の踏切を渡り石狩川を目ざした。河岸に到達する前に旭川紋別自動車道の「愛山渓大橋」の下をくぐり抜け、石狩川河岸を目ざした。

               
               ※ JR石北本線の踏切を渡り、石狩川河岸を目ざします。まだ夜が明け切っておりません。

               
               ※ 旭川紋別自動車道が渡る「愛山渓大橋」です。

 河岸まで寄ったところ、川面は雪に覆われほとんど水面は見えなかった。そこには吊り橋の残骸のようなものが遺っていた。対岸は大きな岩山しかないのに、なぜ吊り橋が必要だったのだろうか?マップを見ると岩山の周囲には平地が広がっていた。あるいは川幅が狭くなっているところに吊り橋を設け、農作業のために付けられていた吊り橋だったのかもしれない。

               
               ※ 吊り橋を支えていた橋げたと思われます。石狩川は雪の覆われていてほとんど見えません。
 
 その後、河岸に沿って前進したのだが、やがて小さな崖の上に押しやられた。そこは一部畑地のところもあったが、多くは灌木が多く、中には行く手を遮るように立木が複雑に入り組んでいるところもあった。

               
               ※ この日初めて目にした石狩川の流れです。一部は氷に覆われていました。

               
               ※ 河岸には立木が倒れており、この日の先行きを予感させるような光景です。

               
               ※ この光景などはスノーシュートレッキングにはまだまだ優しいところです。
 
 行動を開始してから1時間30分後の8時30分、まずJR石北本線の「第6石狩川橋梁」を、続いて国道39号線が走る「上川大橋」に到達した。
 私がJRの橋梁に近づいたとき、列車が近づくことを知らせる警報機が鳴っているのが聞こえたので、カメラを構えていると列車が橋梁を渡るところタイミングよく撮ることができた。
 ここまで私は左岸を歩いてきたのだが、ここからはどちらを行こうか迷ったのだが、石狩川に流れ込む川の数が少ない左岸を継続して歩くことにした。(これが大失敗だった)

               
               ※ タイミングよく第6石狩川橋梁を渡る列車をカメラに収めることができました。

               
               ※ この日の第一の目印だった「上川大橋」です。

 左岸を進み始めて間もなく、石狩川に流れ込む川が現れた。これは織り込み済みで、かなりの流れもあり、素直に迂回して町道の橋を渡って回避した。その後、再び石狩川に近づくために畑地を横切り河岸に近づいていった。

               
               ※ これは掘割というよりは、石狩川に流れ込む川ですね。川の名は不明です。

 ここからが困難の始まりだった。畑地が終わると、立木がぼんぼんと幾重にも倒れている倒木地帯に入った。逃げ場がなく、その上を越えていかねばならなかった。
 倒木の下には掘割が縦横に走っており、倒木から滑り落ちでもしたら水に浸かってしまうと思うと、緊張の連続だった。

               

               

               

               

 倒木地帯を乗り越えるのに闘っていると、次第に倒木地帯が狭まってきた。
 そしてついには、石狩川の川面から狭い急斜面が立ち上がっていて、垂直にそそり立つ柱状節理に続いていた。
 私は急斜面を行くしかなかった。その急斜面に倒木が横たわっていると最悪だった。
 もう説明も難しい。写真からその難しさを想像してほしい。

               

               

               

               

               

               

               

 困難な状況に遭遇してしまったのは、一にも二にも私のコース選定のミスである。「上川大橋」から右岸を選定していれば、これまで同様に進むことができたのに…。
 困難な状況と闘い続けること1時間強、ようやくそこを乗り越えたときは、心の底から安堵した。
 すると、遠くに目ざしていた上川の市街に通ずる「菊水橋」が見えてきた。
 困難さに辟易していた私は、もうそこからは堤防を行くことを選んだ。
 市街地が近いこともあるのだろうか?川の流路を変える改修工事がこの時期にも行われていた。

               
               ※ 1時間強の格闘を終え、この光景を目にしたときは心の底からホッとしました。

               
               ※ 今は冬季間でもこうして川の改修工事をしているんですね。

 11時05分、「菊水橋」に到達し、その後はコースを変えるため菊水橋を渡って右岸に渡った。(右岸を行かないと目的の「留辺志部橋」には至らないため)
 菊水橋からは石狩川の流れがいくつにも分かれて流れているため、私の目に映る石狩川は細い流れだったが、それはあくまで石狩川の一部でしかなかった。

               
               ※ この日の第2の目印となった「菊水橋」です。この橋を渡り、私は右岸に出ました。

               
               ※ 菊水橋から上流の石狩川は幾筋かの流れに分かれていました。その一つの流れです。

 道路と石狩川の間の細い斜面を歩いていくと、何やら小さな小屋風の建物とスピーカーを備えた塔が目に入ってきた。傍に寄ってみると「北海道開発局 大雪ダム菊水警報局」という表示があった。どうやら、大雪ダムに関わる警報を発する施設のようだった。
 その警報局が私が歩いている最中に機能した。警報局から少し離れたところを歩いていた時、ラウドスピーカーから「○○から放水が始まり、川が増水するので川から離れてほしい」旨の放送が何度も流れた。(聞いている限り○○は大雪ダムではなかったようだ)

                    
                    ※ 「北海道開発局 大雪ダム菊水警報局」と建物に表示されていました。
  
               
               ※ ゴールの留辺志部橋の近くは、道路と川の間が狭く、こうした斜面を進まざるをえませんでした。

 そして12時15分、この日(このシリーズ)の最終目的地の「留辺志部橋」に到達した。
 その後、スノーシューを脱いで、徒歩で約2キロ歩いて、お世話になったホテルまで戻り、バス時間まで休ませてもらった。

               
               ※ 待望のゴール地点となった「留辺志部橋」です。

               
               ※ ゴールはお約束の橋をバックにして我が愛機を写しました。

 今回の三日間、なかなかタフな三日間だったが、幸いなことに天候に恵まれ、天候に関して悩むことがなかったのは幸運だった。
 この後のコースは、ますます困難な状況が待ち受けているようにも思われる。けっして無理をせずに、安全第一で先を目指したい。

※ この日の歩数 21,065歩 距離 15.1km(留辺志橋から上川市街まで歩いた距離も含む)


冬の石狩川河岸を遡る 27 後編

2018-01-28 16:21:15 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

中愛別駅周辺 ⇒ 愛山渓入口   トレッキング期日 ‘18/01/24

 この日(1月24日)は前日の深雪で苦戦したことを反省して、無理せずに体力に合わせたトレッキングが功を奏したのか、激しい疲労を感じることなくゴール地点にたどり着いた。 

 「コーンポタージュ」で一息ついた私は再びトレッキングを開始した。除雪されていない石狩川沿いの道路は、純粋の雪原よりはやや歩きやすい感じである。
 石狩川の様子は雪を被った岩が川中に座っていたり、明らかな流れが見えたりと、さまざまな様子を見せながら流れていた。
 気温は低いものの、太陽が顔を出し、風もない穏やかな天候に、私の中には余裕のようなものも芽生え、カーブミラーで自身の姿を写したりしながら前進した。

               
               
               ※ この2枚の写真は、休憩後に見た石狩川の様子です。

               

               
               ※ 石狩川河岸遡行で道路上を行くことは珍しく、こうしてカーブミラーを使ったいたずらもなかなか機会がありませんでした。

 除雪されていない道路が河岸から離れて迂回するようになるため、私は道路を離れて河岸を行くコースをとった。すると河岸は幾筋もの掘割が現れた。
 掘割には大木が倒れていて渡れそうなところもあったが、万が一を考えて迂回することを選び安全第一に進むことに徹した。迂回して無名橋を渡り、それに続く「「寿見江橋」を目ざした。

               
               ※ こうした掘割が何度も現れ、写真のように木が横たわり、一見渡れそうでしたが、安全を期して迂回しました。

               
               ※ こちらも凹んでいるところ掘割と思われますが、慎重にストックで確認しながら前進しました。

               
               ※ この大きな掘割はとても渡るところがありません。先に見える橋まで迂回しました。

               
               ※ 寿見江橋の前に「エチャトンケップ川」に架かる無名橋です。

 11時30分、道々が石狩川を跨ぐ「寿見江橋」に着いた。この後、この日のゴール地点の「愛山渓入口」に向かうため、「寿見江橋」を渡り左岸を行くことにした。

               
               ※ この橋の名も分からず、旭川建設部にお聞きしところ「寿見江橋」だということが判明しました。

 左岸も複雑な地形をしていたが、できるだけ石狩川から離れないようにしながら前進した。
 さて、この日工夫をした歩き方とは、一つは石狩川の流れが見えるかぎり、雪面の固いところを選んで進むようにたこと。
 そしてもう一つは深雪に入ると、時間を気にせずできるかぎりゆっくり進むように心がけたことだ。このことが激しい疲労から自分を守れたようだ。

 石狩川は愛山町の集落に近づくように向かっていた。
 その途中、旭川紋別自動車道の「安足間大橋」をくぐった。
 そして愛山町が近づいたところで川沿いに何かの施設が目に入ってきた。近づくと周りは柵で囲まれ、河岸を行くことができなくなっていた。このように河岸を通ることができなかったのは、私の記憶では初めてだった。
 しかたがないので、柵を避けるため大きく迂回した。すると、コースは自然に愛山町の集落に導かれることになった。
 帰宅してから、旭川建設部に施設のことを尋ねたところ北電の「愛別発電所取水施設」だということだった。

               
               ※ 「安足間大橋」を真下から見た図です。

               
               ※ 石狩川沿いを柵で囲っていた施設です。北電の「愛別発電所取水施設」だそうです。

               
               ※ 写真のように施設全体は柵で囲まれていて、ぐるっと大きく迂回しなければなりませんでした。

 そうしたところ、ある幸運に出会った。その幸運とは「愛山公民館」が目の前に現れたのである。
 その「愛山公民館」は玄関の前に大きな風除室(サンルームのようなもの)を備えていた。周りにいた住民に、「風除室で休ませてもらえないだろうか」と問うと「いいのでは」という答えをいただいたので、そこで軽食タイムを兼ねて休ませてもらうことにした。
 風除室は太陽が出ていたこともあり、ほのかに温かな空間だった。まさに災い転じて福である。私は持参していた調理パンを熱い紅茶で流し込んだ。時に12時20分だった。ここで15分の休憩を取った。
 私のこれまでの28日間の石狩川河岸遡行で、屋根の下で休憩を取れたのは初めてであった。

               
               ※ 愛山公民館の全体像ですが、玄関前に風除室が付けられていました。

               
               ※ その風除室ですが、そこには椅子まで用意されていて、一休みさせてもらうには絶好でした。

 公民館から石狩川沿いに近づくと、そこは石狩川よりは少し高い位置にあり、石狩川を覗き込むような形で進むことになった。
 そのときだった。それほど大きくはないエゾシカが私を認めて雪原を飛ぶようにして逃げ去った。今冬初めてのエゾシカとの遭遇だった。

               
               ※ 小高い崖の上から石狩川を望みながら前進を続けます。

               
               ※ 私の目の前を凄い勢いでエゾシカが跳びながら遠ざかっていきました。

               
               ※ そのエゾシカの足跡をしばらく追いかけました。そのときに足跡を並んで付けてみました。

 石狩川はここで大きく東に折れ、私はその石狩川に注ぐ安足間川沿いを行くことになった。
 「愛山公民館」から1時間10分後の13時45分、JRの「安足間川橋梁」を越え、それと並行するように架かっている「安足間橋」に着いて、スノーシューを脱いだ。
 その後「安足間橋」のすぐ近くにある愛山渓入口にあるドライブインで14時12分発のバスで「中愛別駅」まで戻り、上川町のホテルに帰った。                            

               
               ※ ちょっと分かりにくいですが、写真上部が石狩川、写真の左側に伸びるのが安足間川です。

               
               ※ 安足間川は河川改修がなされて真っ直ぐな川となっていました。すぐ上流には「安足間発電所」があるようです。

               
               ※ この日のゴール地点となった「安足間川橋梁」です。となりの「安足間橋」を撮るのを失念しました。

               
               ※ 車を駐車させていただいた「愛山渓入口」にあるドライブインです。

 この日のスノーシュートレッキングを終えて、確かに疲労は感じたものの、前日ほどではなかった。むしろ好天に恵まれた楽しいトレッキングだった。
 そして、前日の遅れをこの日取り戻すことができ、満足の一日だった。

 ところで上川町内は平昌冬季五輪の女子ジャンプ代表選手の高梨沙羅選手、勢藤優花選手の出身地である。街中いたるところに彼女らを応援する旗が立てられていたのは、さすがにジャンプ競技の盛んな町だと思わせられた。

               
               ※ 上川町の市街地に入るところに、写真のような高梨選手を応援する大きな看板が掲示されていました。

               
               ※ 街中のいたるところに、こうした高梨選手、勢藤選手を激励する幟が立てられていました。

 ※ この日の歩数 23,658歩 距離 16.8km


冬の石狩川河岸を遡る 27 前編

2018-01-27 21:27:39 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

中愛別駅周辺 ⇒ 愛山渓入口  トレッキング期日 ‘18/01/24

 この日(1月24日)も気温は低かったものの、太陽が顔を出し、風も吹かず絶好のスノーシュートレッキング日和だった。前日の深雪トレッキングでコツのようなものを会得したこともあり、快適に歩を進めることができた。 

 朝6時30分、ホテルを出て、この日の駐車スポット「中愛別駅」に向かった。6時50分「中愛別駅」に着き、車載温度計で外気温を見るとマイナス18.5℃だった。
 準備を整え7時10分、前日スノーシュー脱いだところまで移動し、7時25分スノーシュートレッキングを開始した。行動を開始したころはまだ日の出前だった。指先が冷たい。

               
               ※ 私が行く前方から太陽が昇り始めました。日の出です。

 石狩川の河岸に向かっていたころ、ようやく太陽が顔を出し始めた。
 河岸まで寄ってみると、今日も川面からは川霧が立ち昇っていた。
 少し進むと、「川の渡し」の残骸のようなものが目に入った。残骸のようだが、ワイヤ線が対岸まで繋がっていたところをみると何かの施設なのかもしれないが、私には想像がつかなかった。

               
               ※ 川面には前日同様川霧が立ち昇っています。

               
               ※ 写真でははっきりしませんが、この設備から対岸にワイヤ線が伸びていました。

               
               ※ こちらは人道橋の跡でしょうか?それとも渡しの跡?

 河岸(右岸)まで寄ると、相変わらず雪は柔らかく、膝下くらいまですっぽりと埋まる。河岸に近寄る際に堤防を通過したのだが、堤防上は吹きっさらしのためか雪が締まっていることが分かった。私は無理せずに堤防上まで戻ることにした。
 この辺りになると、堤防の川の間の距離が短く、堤防上からも石狩川の流れが確認できる。「絶えず石狩川の流れを確認しながら上流を目指す」という私のコンセプトにも反しないので、できるだけ深雪を避けることにした。

               
               ※ 堤防上を行く私のスノーシューの跡です。まだ日の出直後のため、私の影が長く伸びています。
               

 スノーシュートレッキングを開始してから25分後の7時50分、第一の橋に到達した。前日「中愛別橋」と思っていたのだが、そうではなく人道橋の「豊愛橋」だった。
 対岸は崖の山なのになぜ橋など必要なのかな?と思ったのだが、周囲に建てられた看板を見ると、「見張岩」、「千畳岩」、「棒岩」など柱状節理が造る奇岩が集まっているところのようで一帯は「石垣山」と呼ばれて公園化されているようだった。

               
               ※ 対岸の「石垣山」に渡る人道橋の「豊愛橋」です。

 「豊愛橋」からは国道が石狩川に接近してきたために堤防がなくなったので、再び深雪の河岸を行かねばならなかった。川面を見ると、ところによっては川全体が雪に覆われて凍っているところもあった。灌木地帯を淡々と進むと8時30分、当初は前日のゴールに設定していた「中愛別橋」にようやく到達した。

               
               ※ 石狩川はところによってはこうして全面が凍り、雪に覆われているところもありました。

               
               ※ この日もこうして灌木地帯を行く個所が何カ所もありました。

               
               ※ 初日のゴールに設定していた「中愛別橋」です。

 「中愛別橋」からも検討の結果、右岸を続けて歩くことにした。右岸は崖が迫ってくるところがあったが、その崖と石狩川の間に道路が通っていたため、いざというときは道路に逃げられると判断したからだ。
 「中愛別橋」から15分進むと、今度はJRの「第5石狩川橋梁」をくぐった。

               
               ※ JRの列車が渡る「第5石狩川橋梁」です。

 左手に崖と道路、右手に石狩川、その間の狭いところを進んだ。石狩川は時に雪に埋もれていたり、時に水面が顔を出したり、とさまざまな顔を見せてくれた。
 いよいよ崖が迫り、道路と川の間がなくなってしまったために、私は道路上を歩くことになった。とはいっても、道路もある農家のところまでは除雪されていたが、その先は除雪もされていなく、深雪に近い状態のところを行くしかなかった。

               
               ※ 左手に道路、右手には石狩川、私はその中間の狭いところを行かねばなりませんでした。

               
               ※ この辺りになると、こうした光景が多くなってきました。

 そうしているうち、河岸に何やら施設が見えてきた。今まであまり目にしなかった施設だ。傍へ寄ってみると、その施設の傍に「水利使用標識」という看板が立っていた。看板によると、5/10~7/10までの「苗代期」、「代掻期」、「普通期」、「深水期」に石狩川の水を利使用するということが書かれていた。つまり、この辺りの稲作に石狩川の水の利使用を許可するという標識であり、施設のようだった。

               
               ※ 周辺の田を潤すための水利使用施設です。

               
               ※ この辺りの石狩川は、また水面が顔をのぞかせています。
 
 10時ころ、除雪されていない道路に通行止めの標識が道路を横断していた。
 ちょうど空腹を感じていたころだった。天気も良かったので、私は持参インスタントの「コーンポタージュ」を楽しむことにした。
 私のスノーシュートレッキングでは、ステンレスボトル2本を携行している。1本は甘くて熱い紅茶を、もう1本には熱湯を入れている。熱湯の方はいわば保険のようなもので、ほとんど使うことはない。この日はその熱湯で「コーンポタージュ」を楽しむことにしたのだ。雪上での熱いコーンポタージュは最高だった!

               
               ※ 除雪されていない道路に通行禁止の設備が…。

               
               ※ その設備をテーブル代わりに使ってポタージュタイムです。


 ※ №27を一回で終えようと思っていたが、掲載写真が多くなることと、私の事情もあって前後編に分けてレポすることにした。


冬の石狩川河岸を遡る 26

2018-01-26 21:59:21 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

道なきところに踏み出せるスノーシューで何かをしてみたい。さりとて不案内な山は危険が伴う。そう考えたときに、「そうだ河原を歩こう!」というアイデアが閃いた。冬だからこそ近づける河原を辿りながら、川を遡ろう!私の小さな冒険は豊平川の上流を目ざした。どこまで行けるのか、事前踏査をまったくしていないのだから皆目見当が付かない。何日かに分けて無理なく行けるところまではと思っているが…。(この豊平川を遡ろう!を行ったのが私の石狩川河岸遡行の原点である)
 なおタイトルの後の数字は、私がこの石狩川河岸遡行に取り組み始めからの総日数である。  
 

愛別橋 ⇒ 中愛別駅周辺  トレッキング期日 ‘18/01/23

 今シーズン2度目(第4日目)の石狩川河岸遡行である。札幌から遠ざかったために、今回も2泊して上流を目ざすことにした。この日は新雪がやわらかかったためにスノーシューが深く沈み込み、深雪に苦戦した私だった。 

 この日(1月23日)、私は早朝3時50分に自宅を発ち、スタート地点近くの「愛別駅」に7時10分に到着した。
 車載温度計はマイナス18℃を表示していた。車の外へ出ると頬がピリッとする感覚である。準備を整え、駅駐車場から前回の終着点の「愛別橋」のたもとに立ったのは午前8時だった。
 石狩川の水面からはすごい勢いで川霧が立ち昇っていた。水温より気温が低いために発生しているのだろう。

               
               ※ この日のスタート地点となった「愛別橋」です。

               
               ※ 写真からお判りでしょうか?川霧がもうもうと立ち昇っています。

 スタートしてすぐに気付かされた。雪がやわらかく、思っていた以上にスノーシューが沈み込み、「これはけっこう厳しいぞ」と覚悟せざるを得なかった。

 スタートしてそれほど行かないうちに頭首工のような施設が目に入った。「愛別橋」の下流にも頭首工があったのに、「また頭首工?」と思ったのだが、帰宅して旭川建設部に問い合わせると間違いなかった。「愛別橋」の下流にあったのが「大雪頭首工」で、今回目にしたのは「石狩川愛別頭首工」という名称が付けられているとのことだった。

               
               ※ 「石狩川愛別頭首工」です。
 
 この日は右岸を行ったのだが、河岸には灌木が生えていてその間を縫うようにして進んだ。石狩川の川面には雪を被った大きな岩が目立ち始めた。真駒内川の時もそうだったが、上流になるとこのような光景が目立ち始める。石狩川もいよいよ上流の気配を見せ始めたようだ。

               
               ※ この日の右岸はこうした灌木の間を行くところがかなり多かったです。

               
               ※ 石狩川の様相が少しずつ変化し、川面に雪を被った大きな石が顔を見せ始めました。

 スタートして1時間半くらい経ったころだったろうか?恐れていた掘割に遭遇した。マップをよく見ると、それは掘割ではなく立派に「ケメムナイ川」と川の名が記されていた。
 川は水面がぱっかりと割れていて、とても渡れるようなところは見つからず、大きく迂回することになった。
 国道まで出る前に周辺の農家の人たちが渡るための橋があり、そこを渡って石狩川の河岸に戻った。

               
               ※ 掘割ならぬ「ケメムナイ川」の流れです。

 スタートして2時間後の10時05分、この日の最初の目印である「豊愛橋」に到達した。「豊愛橋」は私の手持ちの国土地理院の地形図(平成3年修正)には掲載されていない橋なので比較的新しい橋のようである。

               
               ※ この日の第一の目印「豊愛橋」です。

 豊愛橋を過ぎても河岸の様子は変わらず、灌木地帯を行く。朝が早かったこともあり空腹を覚えたので、ザックを木の枝にかけ、私の好物のミルクカステーラを熱い紅茶で流し込んだ。
 12時近くになって、この日二つの目の入り込み川(ペンケメムナイ支線川)に遭遇した。もちろんこの川も渡ることはできない。国道まで戻ろうと覚悟して迂回していると、国道の手前に橋があった。どうやら石狩川に並行するようにサイクリングロードが走っているらしい。そのサイクリングロードの橋「オオルリ橋」を渡り、再び石狩川河岸に戻った。

               
               ※ 休憩時や昼食タイムはこうしてザックを木にひっかけて、立ったままて休みます。

               
               ※ 特に説明の要はない石狩川の流れです。

               
               ※ 時にはこんな倒木が行く手を阻みます。

               
               ※ こちらは川面にきれいに浮かんだ雪を被った岩の群れです。

               
               ※ 河の向こうには大雪連峰が望めるようになってきました。

               
               ※ サイクリングロードに架かる立派な「オオルリ橋」です。

 オオルリ橋を渡ってから25分後の12時25分、JR石北本線が石狩川を跨ぐ「第4石狩川橋梁」の下を潜った。
 対岸を見ると、崖が石狩川の水面まで迫っており、右岸を選択したことが正しかったこと確認できた。

               
               ※ JRの「第4石狩川橋梁」です。

               
               ※ 石狩川の対岸を見てください。崖が水面まで迫っています。

 体力はかなり消耗していた。この日の目標である「中愛別橋」まで行くのは難しいのでは、と思い始めていた。十数歩歩くと、一息つかねば前へ進めない状態になっていた。
 マップで確かめると、バスの時間までに「中愛別橋」まで到達するのは無理と判断し、スマホのGPSで「中愛別駅」の延長線上の位置を確認し、石狩川河岸を離れた。

               
               ※ 「中愛別駅」のかわいい駅舎です。

 そして、バスではなくJRでわずか一駅間乗車し愛別駅まで戻り、車で宿泊先の上川町に向かったのだった。

 この日の歩数 23.513歩 距離 16.7km(但し、愛別駅から石狩川まで、石狩川から中愛別駅までのスノーシューを脱いで歩いた区間も含む)


石狩川河岸遡行 28 ライブレポ⑤

2018-01-25 20:04:29 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

知人から「気をつけて帰るように」とメールをいただいていたので、18時45分無事帰宅したことを報告します。
食事をし、ひとっ風呂浴びたところです。

さて、今日の大苦戦の要因は偏に私のコース選定の失敗にあります。
今日は最初は左岸にコースを取ったのですが、「上川大橋」からはどちらを取ろうか迷いました。
その結果、左岸に比べて右岸は入り込む川が二つあったことから、一つしかない左岸を選びました。入り込む川があると、大きく迂回して橋などを渡らねばなりません。
地形などを検討せずに左岸を選定したミスでした。
悪戦苦闘しているとき、対岸を見ると畠など平原が広がっていました。

河岸歩きのベテラン(?)が大きなヘマをしてしまったものです。今後の糧としたいと思います。

ところで、今回の三日も天候には恵まれました。風がないのが何よりでした。

明日から今回の三日間をゆっくり振り返ってみようと思います。

写真は、本日第ゴールの「留辺志部橋」をバックにした我が愛機です。


石狩川河岸遡行 28 ライブレポ④

2018-01-25 12:49:36 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

12時15分、本日の目的地だった上川町の町外れにある「留辺志部橋」に着きました。
そこから約30分かけて、今朝までお世話になったホテルに着き、休ませてもらっています。

さて、大苦戦した事情について説明します。
今季最大というより、石狩川河岸遡行に取り組んで28日目にしておそらく最大のピンチに見舞われました。
上川大橋を通過して、1時間も経っていなかったと思います。
河原に大きな風倒木がいたるところに転がっていて、行く手を阻むのです。
回避しようにも高さ50メートルもあろうかという断崖が立ちはだかっています。風倒木の間には水が流れているところもあり、細心の注意を払って進みました。

ようやく風倒木の間を抜けたと思ったら、さらに困難な状況に遭遇しました。
断崖が河原まで迫ってきて、逃げ場がほとんどない状況になりました。断崖は近づくと柱状節理だと分かりました。柱状節理なんてまだまだずーっと奥になってからと思っていたのですが…。
断崖と河原の僅かな隙間は斜度60度を超えるかのような急斜面です。
仕方がありません。その急斜面を恐る恐る進むしかなかった私でした。
写真では、急斜面の雪しか見えませんが、実際はその斜面にも風倒木が転がっているのです。
悪戦苦闘の1時間で精も根も疲れ果ててしまいました。

今はホテルのロビーで休ませていただき、ホッとしています。
この後、14時05分のバスて、車を置いた「愛山渓入口」まで行き、そこから帰札します。


左手下に石狩川が見えます。右手には柱状節理の断崖が見えると思います。


石狩川河岸遡行 28 ライブレポ②

2018-01-25 08:30:06 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

本日の最初の目印だった「上川大橋」に8時30分に到達しました。その直ぐ横をJRの「石狩川第6橋梁」も川を跨いでいます。

天気は曇り、細かな雪が降っています。
ここまで6,000歩、約4キロ来ました。



写真は石狩川に架かる手前が「石狩川第6橋梁」奥の橋が「上川大橋」です。