消滅してしまった木曽路
古の木曽路を辿る旅は、そのほとんどが昔からあった木曽路を忠実に辿るコースであった。しかし、中にはすでに消滅してしまった個所も何か所かあった。旅人の我がままとはいえ、なんとか復活することはできないのだろうか…。
私のブログに折々コメントを入れてくれる方(通称:出ちゃっ太さん)から「旅の余韻に浸っていますね」という趣旨のコメントをいただきました。
いまだ体に残る疲れ(歳ですなぁ…)と共に旅の余韻に浸り、そして旅の余韻を楽しんでいます。
※ 本日の話題とは関わりなく、また木曽路に一部でもないのですが、奈良井宿の奈良井川に架かっていた総ヒノキ造りの「木曽の大橋」です。
今回の旅で私は鳥居峠の山中で迷ったのをはじめとして、小さな過ちは数限りなくありました。幸いにして、「木曽観光連盟」というところが発行する「信州木曽路 中山道を歩く」という小冊子が事細かに案内してくれたために事なきを得たというのが本当のところでした。
当初は市販のガイドブックを頼りに旅をしようとしていたのですが、それだけだとおそらく迷いに迷い、ついには自信がなくなって国道沿いばかりを歩く羽目になっていたかもしれません。
行き交う旅人たちが皆この小冊子を手にしていたところをみると、小冊子は木曽路を歩くためのバイブルになっているようです。
※ 中山道には一里毎にこうした「一里塚」が置かれていたようです。この写真のものは復元したものですが、実際には小高い塚が築かれた上に標石が置かれていたようです。
その小冊子の中で私たちは描かれた実線に沿って歩くのですが、ところどころに点線で表された別の道がありました。そしてそこには「中山道は点線のようにあったが、今はかすかに跡を残すのみで歩くことはできません」とか、「中山道はこのようにあったが、今は通れない」という但し書きが記されていて、別な道へと導かれました。
※ 中山道中間点の標柱を再現したものです。ここから京都へも、江戸へも67里28丁だそうです。
なぜ歩くことができなかったり、今は通れなくなったりしたかというと、明治以降において生活道路としての役割を果たせなかったからだと思われます。つまり点線で描かれ消滅した中山道のところには民家が存在していないのです。現在も残されているところには民家が存在し、そこに住む方々にとって中山道がそのまま生活道路として今も活用されているというのが実態でした。
生活道路としてではなく、明らかに観光のため、あるいはウォーキングなどレクリェーションのために残されていたのは、鳥居峠と馬籠峠を越える道だけだったように思われます。
※ 中山道をそのまま利用した生活道路はご覧のように狭く、住民の多くは軽自動車を使用していました。
そこで私の願いなのですが、消滅した道がいずれも山中を通るような道なのですが、なんとか復活させることはできないものか、と思うのです。健康志向が高まっている現代、古の道をできるだけ復活させることは意味あることではないかと思ったのですが…。
※ 馬籠峠の峠近くに「一石栃立場茶屋」(いっこくとちたてばぢゃや)跡があり、そこがボランティアによって無料休憩所として峠越えの人たちに湯茶などをサービスしていました。
山中とはいえ復活するとなると権利問題だとか、対費用効果の問題とか、クリアしなくてはならない問題が多いと思われますが、生活道路ではないからこそ舗装もせずに往時の姿そのままの道を再現できるのでは、とも考えます。
たった一度通り過ぎただけの者の勝手な思いですが、歴史の中に埋もれてしまわないよう保存することも大切なのではと歩きながら思ったものでした…。
歩いて旅するということ
これまでさまざまなシチュエーションでのウォーキングの経験はありましたが、歩いて旅するという経験は初めてでした。歩いて旅した今回の4泊5日の旅はいろいろな意味で新鮮でした。
※ いかにも里の秋といった風情です。庭先で天日を利用して干し芋づくりをしているところです。
今回の旅で私が予想もしていなかったことの一つに、旅しながら私が俳句を詠んでみようと思い立ったことです。
そのきっかけはブログの中でも触れていますが、二日目の宮ノ越宿に至る前に立ち寄った「巴渕」でのことでした。巴渕の展望台のところに小さな木札で「一句いかがですか?」と書かれてあったのを見て、俄然私の中の何かが刺激されたようです。
それまで俳句などというものを一句も詠んだことがない、また旅の中でそんなことをしようなどと考えたこともなかった私が、一句創ってみたことで何かが弾けてしまったようでした。
歩いて旅する中、少しでも印象的な光景に出合うと「一句できそうだな」と思い始めたのです。この変化には私自身が驚きました。俳句を詠むなどということに何の素養もない私ですから、その出来云々は別にして、のんびりゆっくりの旅だからこそ「創ってみようかな」という思いにさせられたのではないかと思っています。
また、出来た句を直ぐにブログに投稿することによって、友人や妻から反応があったことも私を刺激してくれました。
こうして私は旅の中で五つの句を創り出すことができました。
どの句も私にとっては思い出深いものとなりました。写真と共に振り返ってみたいと思います。
碧き渕
色の葉流れ
深き秋
枯れ葉踏み
古(いにしえ)の道往く
木曽路行
晩秋に
白き石おき
木曽の川
庭先に
黄色の花咲く
里の柿
松林
古人(いにしえびと)の
夢の跡
次に私にとって歩いて旅したのは初めての経験だったと述べましたが、どこがこれまでのウォーキングと違うかというと…。
旅するのに必要な物を自ら背負い、移動して行くということは初めてでした。
距離的には今年の春に30キロウォークを4日連続して経験したこともあり、あまり不安ではありませんでしたが、重い荷物を背負っての移動ということが初めてだったことが少々不安でした。
旅の初心者はどうしても荷物が多くなると言われますが、私も例外ではありませんでした。ずっしりと肩にかかるザックの重さは、平地ではそれほどではなくとも峠道などではかなりの負担となりました。重さを計量していなかったのですが、帰りの空港で測ったところ8Kgありました。登山をする人たちからすると、どぉーってことのない重さなのかもしれませんが、やはり長距離を移動するにはできるだけ軽装を図ることが大切だと教えられた思いがします。(特にPCの2キロ弱の重さが堪えました)
※ 今回の旅の中で唯一撮った私の旅姿です。荷物がまだまだ大きい。
そして歩いて旅することの最大の特徴は、旅する手段としては最もスローな移動手段だということでしょう。
私は今回のように歩きながら道らぬ土地を見て歩くことを“ありんこの目線”と称していますが、まるで蟻が歩くようにその土地の事物や風景を目に焼き付ける旅は他の移動手段では味わえない旅だったと思っています。
そこから何が見えてきたのか、と問われると感受性に乏しい私には他の人ほど見えてきたものはないのかもしれないけれど、私なりに見たこと、感じたことをこれからもしばらく書き綴ってみたいと思っています。
さまざまだった11宿の現況
木曽路11宿を巡る今回の旅でしたが、11宿の現在の様子は宿場によってさまざまでした。それは現在の日本社会が抱える現況を反映したものでもありました。
帰宅して早々、予約していた講演会に参加するなど忙しい一日を過ごしてしまいました。体の方は緊張感から解放されたせいでしょうか、全身が筋肉痛に襲われています。
さて、ブログの方ではこれからしばらく今回の旅を振り返ってみよう思います。
今回私は木曽路の11宿を巡り歩いたのですが、リード文で書いたようにその現況はさまざまでした。11宿のうちで往時の宿場町を再現してたくさんの観光客を呼んでいるのは、奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿の三つの宿場町でした。
私が今回宿泊したのは奈良井宿、木曽福島宿、須原宿、妻籠宿の四つの宿場町でしたが、そのうち木曽福島宿は街中に往時の雰囲気は残しつつも、街自体が周辺一帯の中心地的役割を担っているため地域の経済活動の中心地として宿場町としての雰囲気は薄らいでいました。
また、須原宿は民宿そのものが私が宿泊したところしかなく、宿場町としての姿はすでに崩壊してしまったところといえるかもしれません。
その他の宿場町も須原宿同様で、すでに宿場町としての機能は失われごく普通の集落が点在しているといった感じでした。
しかし、それはある意味当然なことであって、現在に往時の姿を再現している奈良井宿、妻籠宿、馬籠宿の方が特殊な存在と言えるのでしょう。
時代の変遷によって街の様子が移り変わってきたのは、どこでも同様なことなのですから…。
その視点から11宿を見たとき、私が挙げた三つの宿場町は別にして、他のところは一様にして建物などを見るかぎり古い建物が多いなぁという印象を持ちました。
このことは地域の新陳代謝が少ないためなのではないかと私は想像しました。(私が通り過ぎただけの印象から考えたことなのですが…)私がこれらの街を通り過ぎた時に出会った人は例外なくお年寄りばかりだったことがそう想像させられたのです。
今日のところはここまでにします。
※ 掲載した写真はいずれも集落は特定できません(申し訳ありません)が、観光用の建物ではなくごく一般に生活していらっしゃる方の住宅であり、街並みです。
東京へ向かう特急あずさ18号車内で原稿を作成しています。ウォークの旅は先ほど終え、今回の旅全体もまもなく終焉を迎えようとしています。今私は軽い疲労感と安堵感、そして大きな満足感に包まれながら旅を振り返っています。
考えてみると今回の旅はずいぶんと贅沢な旅だったのかなぁ、との思いが私を支配します。多くの時間と金をかけ(金は最小限に抑える努力をしましたが…)わずか100キロ足らずの距離を五日間もかけて旅したのですから…。
車で走れば2時間そこそこの距離です。同じ時間と金をかけて観光地巡りをしたとしたら、どれだけの名所旧跡を訪れることができたでしょうか。
しかし、そうしなかったところに今回の旅の意義を私は見出していたつもりです。
私にとって今だからできる旅。今しかできない旅。そのような旅を志向したのです。
今だからできる旅、今しかできない旅とは、衰えつつある体力ですが今なら自らの体を使った旅が可能なのではないか、そんな思いから今回の旅を思いつきました。
そして今、自らが立てた企画を曲がりなりにもやり終えることができそうな状況にあります。そのことに対する満足感が私を包んでいます。
ここまで書いてきて、PCのバッテリーが残り少ないとのメッセージが出ました。
中途半端な文になってしまいましたが、帰宅後にゆっくり今回の旅を振り返ってみたいと思います。
列車は甲府盆地の中を一路東京(新宿)を目ざして走り続けています。
木曽路行の最終目的地「馬篭宿」に先ほど10時無事到着しました。
ゴールを祝して信州蕎麦に舌鼓みを打ち、今中津川へ向かうバスの車中です。
写真は馬篭宿の街並みです。
携帯からの投稿はたいへんです。東京へ向かう列車からPCで再度投稿します。
馬篭峠に間もなく到着ですが峠の下の茶屋で一休みです。
朝早いためか登ってくる途中誰にも逢わす一人ぽっちでした。そこでまた一句浮かびました。
秋冷の
朝に馬篭の
峠(やま)を往く
さあ、あと一時間頑張りますますかぁ…。
私の木曽路行も最後の朝を迎え、先ほど7時30分馬篭に向かってスタートしました。
幸運なことに今日も晴れています。最後の木曽路を楽しみます。
写真は朝の妻籠宿です。
妻籠が注目される理由が分かった思いです。奈良井宿もその保存ぶりに驚きましたが、妻籠宿はそれ以上かと…。往時の姿をここまで残して私たちに提供してくれることには脱帽の思いです。それだけに観光客の姿も多いですが…。
15時、観光客で賑わう妻籠宿に到着しました。
妻籠宿に入った途端、これまでの宿場町とは大きく様相が異なることに驚きました。
これまで通過してきた木曽路十一宿のうち、奈良井宿を除いては残念ながら往時の宿場町の様相は消えていました。無理もありません。人々はそこで生活し、今を生きているわけですから、昔の様式を守れというほうが理不尽な要求です。
しかし、奈良井宿や妻籠宿は残っていました。そこには多くの要素があったものと思います。そのことについては、帰ってからゆっくり考察してみたいと思います。
ところで私は、その後も途中からレポしたかったのですが、足の具合があまり良くないために余裕がなくなっていたのでしょうね。歩くことに専念し、投稿する気持ちが失せてしまっていました。
さて今日のコースの中で、何が印象に残ったかというと、まず第一は途中でもレポしましたが里山ののどかな風景を目にしたことでしょう。地域的にいうと、JR大桑駅近くの「大島」という地域でした。
この季節ですから日陰に入ると肌寒く感ずるのですが、日向ではほんとうに心地良く典型的な里山風景を堪能しました。そうした中ですでに葉を落とし、柿の実のだけが残っている様子は、まさに黄色の花が咲いたように見えました。
庭先に
黄色の花咲く
里の柿
次には、私が期待していたとおり国道19号線から離れた三留野宿から妻籠宿の間の古の香りが残る街道でしょう。ほとんどが生活道路でもありますから、舗装されているのはしかたないとして、周りはまだまだ往時の雰囲気を残していて、一瞬古の旅人になったかのような思いを抱かせてくれました。
松林
古人(いにしえびと)の
夢の跡
これは季語が入っていないのですが、どうなんでしょうかねぇ?
そして妻籠宿に入りました。
いや~、その保存状態の良さには驚きました。それは保存というよりは復元したものが多いのだろうと思われますが、ここまで徹底していると素直に感動するしかないですね。
宿やお店はもちろんのこと、郵便局、公民館などの公共施設も全て往時を再現した造りになっています。ここはもう「お見事!!」の称号を授与するしかないでしょう!
ところで先ほど夕食に行って驚きました。
私は今日は「御宿 下嵯峨屋」というところに投宿しているのですが、宿泊客が私以外は全て外人観光客だということが分かりました。(1対7です)
私の向かいに座ったご夫婦の主人がなんとなく私に語りかけたそうなことに気付きました。
錆びついてしまった英会話にはまったく自信がありません。それでも思い切って「ちょっとだけお話させてください」と申し入れました。外人さんのほうはまったくウェルカムだったのですが、私の会話力がまったくダメなためにほとんど会話になりませんでした。
オランダから観光旅行に来ていて、京都を巡り妻籠宿に来たこと、日本の食事は美味しいが箸の扱いが難しい、などという程度のお話しかできませんでした。
明日は馬篭宿まで約8キロを歩いて、札幌まで帰ります。
痛んでいる足にはちょうどよい距離です。短い距離ですが楽しんで帰りたいと思っています。
これから妻籠宿の夜の街をちょっとだけ散策してこようと思います。
《今日の歩数 41,802歩 距離約31.4キロ》
スタートして4時間強、JRの十二兼駅というところで2度目の休憩を取っています。
ブタもおだてりゃ何とやら、妻からもおだてられ、すっかりその気になっています。
途中通ってきた里山風景はほんとうにのどかな風景でした。農家の庭先には北海道人には珍しく映る柿がたわわに実っていました。そこで俄か芭蕉の心がうずきました。下手な句におつきあいを!
庭先に
黄色の花咲く
里の柿
残り10キロ、ちょっと右足に痛みが出ていますががんばってみますわ。
スタートして2時間が経過しました。
木曽路ののどかな山村を歩いています。
北海道ではすでに絶えしまった光景に出会いました。地域の老人たちがゲートボールを楽しんでいました。