田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

本日で今年のボランティア終了!

2019-10-31 17:16:02 | ボランティア

 本日10月31日をもって、4月から続けてきた道立近代美術館前の歩道の清掃活動を終了とした。この清掃ボランティアを始めて10年目となるが、いろいろ課題も見えてきた。今はとりあえず今年のボランティアを無事終えることができ、ホッとしているところである。

       

      ※ 本日、活動を始める前の路上の様子です。

 私たちの今年の活動は4月1日(月)から始まった。以来、おおよそ2週間に1度の割合で本日10月31日(木)まで都合16回の活動を行ってきた。

 今朝はいつものように路上に溜まった枯葉を清掃したが、秋も深まり多量の枯葉が溜まっていてボランティア袋6袋も枯葉が集まった。その後、ART文字と、MUSEUM文字を描いているクサツゲの冬越しのために、葉先を棕櫚縄で結わえて積雪から護る工夫を施して終了した。

      

      ※ クサツゲの葉先を結わえる前のART文字です。

      

      ※ 棕櫚縄で葉先を結わえ、冬越しの準備をしたART文字です。

 私たちがこの活動を始めてから今年でちょうど10年目である。勝手連的に始めた私たちの活動は、誰からも褒められることもなく(時々道行く老人たちが「ごくろうさま」と声をかけてはくれるが…)自分たちの自己満足だけで「よくここまで続いたなぁ」というのが正直な感想である。

 しかし、ここ数年は課題も見えてきた。最大の課題はご多聞に漏れず会員の高齢化である。高齢化に伴い、活動に参加する方が徐々に、徐々に減少傾向が見られるようになった。私自身、最近は活動を終えた後に疲労感が残り、活動のあった午前中は疲れのためからかぼーっとして過ごすことが多くなった。新たな会員の募集もしているのだが、若い人はこうした活動には関心がないようで、新たな人が加わらないことも課題の一つである。

 このような状態でいつまで続けることができるのか、不安である。誰から頼まれたわけでない、もし止めたとしても誰からも咎められるわけでない、いつでも止められると思っているが、一度始めたからには…、という思いがある。今のところ私は「足腰が立たなくなるまで…」とは思っているが、はたして…。

 来春は何人の方が賛同してくれるだろうか?ちょっぴり不安である…。 

      

      ※ 路上をきれいに清掃した小一時間後の路上には、早くも枯葉が散っていました。

 クサツゲを結わえる作業は意外に時間がかかった。清掃作業を終えてから小一時間経っていた。帰り際に路上を見ると、もう路上はたくさんの枯葉が散っていた。骨折り損とは言いたくないけれど、これからは枯葉がうず高く溜まるんだろうなぁ、と思わせられた。


北海道の米で酒を造る!

2019-10-30 17:17:21 | 講演・講義・フォーラム等

 今や北海道産米は質の高さでは折り紙付きである。その北海道産米で全ての酒を造ろうと北海道の醸造元12社は結束しているという。北海道酒造組合会長の田中一良氏(小樽・田中酒造社長)は北海道の清酒業界の未来を明るく語った。 

 10月29日(火)午後、「ほっかいどう学」かでる講座の10月編(第8回)が開講された。今回の講師は北海道酒造組合会長であり、小樽市の田中酒造株式会社の社長である田中一良氏「北海道米で酒を造る~北海道の清酒は、生き残れるのか?~」と題するお話を伺った。

        

        ※ まだまだ若く、明るく楽しく精力的にお話された田中一良社長です。

 田中氏のお話は大きく二つのお話から成っていた。一つはご自身の会社の「田中酒造」のこと、そしてもう一つが清酒業界や北海道の酒造りの将来性についてのお話であった。

 田中酒造は他の酒造メーカーとは異なった生き方をしているという。田中酒造では代表銘柄の「宝川」をはじめ、全ての製品を販売ルートには乗せず自社の「亀甲蔵」で販売するのみだという。つまり小樽に観光で訪れた客のみに販売する「観光造り酒屋」に特化しているということだ。また、田中酒造は株式会社とはいっても田中社長が100パーセント株を取得している会社のため、思い切った経営ができることが特徴の一つでもあると話された。そして今、田中酒造は来日観光客の増加が田中酒造にとって追い風となり、お客の約3割が外国人観光客で、その数をまだまだ増やしたいと語った。

          

          ※ 田中氏の本拠地、小樽市の田中酒造の全景です。

 一方、清酒業界を取り巻く状況はかなり厳しいようだ。全酒類消費数量の中で清酒が占める割合は約7パーセントにすぎず、製造量も最盛期の3分の1以下に落ち込み、清酒醸造会社も4,000社から1,400社に激減したそうである。ちなみに北海道も明治時代の200社から現在は12社にまでなってしまったという。その理由として田中氏は①日本人の嗜好の変化⇒色々なお酒が楽しめる時代。②食生活の変化⇒洋食の普及。③少子高齢化⇒お酒を卒業する。④若者の酒離れ⇒楽しみの多様化。を挙げられた。

 そうした現状を打破する動きも清酒業界に出てきているという。その一つが清酒の差別化である。最近は外国産の清酒が出回るようなるなど、清酒の世界も多様化しているようだ。そこで清酒業界では原料米に国内産米のみを使用し、かつ国内で製造された清酒のみを「日本酒」と命名することに2015年に取り決めたそうだ。またそのこととも関連するが、最近は高品質の清酒(吟醸酒、純米酒など)が好まれる傾向にあるという。つまり高級路線が生き残りの戦略でもあるという。そうした中、地域の造り酒屋が元気になってきているそうだ。さらに、清酒の国際化が進み、外国人が清酒に興味をもちだしたことから、輸出額が大きく増加していることがあるという。

 こうしたことを背景に、北海道の清酒業界としては近年道産米の品質が向上していることから道産酒造米にこだわり、新しい酒造好適米を開発することによって質の良い純米酒を製造し高級化路線を進めることが肝要だと話された。また、北海道には年間300万人もの外国人観光客が来道しているが、こうした観光客をターゲットにした「酒蔵の観光化」「清酒の国際化」を志向することが北海道の酒造業界が発展する道ではないか、と田中氏は力強く話された。

 せっかく清酒の話を聞いた私であるが、アルコールは決して嫌いではないのだが「お酒」はどうもダメである。年齢を重ねてきて、猪口を傾ける姿には憧れさえ抱くのだが、体が受け付けてくれない。う~ん。これからも「お酒」には縁のない日々を過ごすことになりそうだ…。


映画 ぼけますから、よろしくお願いします。 №252

2019-10-29 19:32:03 | 映画観賞・感想

 広島県呉市で平穏に暮らしていた老夫婦(夫95歳、妻84歳)の間で、妻が認知症と診断されてしまう。妻は月日を経るごとに症状が進行してゆく。その妻を介護しようとする夫。その二人をカメラで追い続けた娘のドキュメンタリーである。

        

 映画「ぼけますから、よろしくお願いします。」は、今静かなブームとなっているようだ。札幌では去る9月に市内映画サークルが自主上映をしたとき大反響を呼んだらしい。そこで今回10月27日から5日間にわたり19回の上映をすることになったようだ。私は今朝(10月29日)札幌プラザ2・5に足を運んだのだが、朝にもかかわらず8割方席が埋まっていた。

 映画は、テレビ番組の制作者として東京で暮らす娘が、広島県呉市で高齢ながらも夫婦で暮らす親の姿を撮り続けたドキュメンタリーである。高齢の親二人だけの生活を気遣う一人娘(この映画の監督である信友直子)は帰郷し両親の介護をしようかと迷うが、父親は「(介護は)わしがやる。あんたはあんたの仕事をせい」と高齢にもかかわらず気丈にふるまう。そのことから信友直子は、両親の記録を撮ることが自分の使命だと思い始め、それからはしばしば帰郷して両親の記録を撮り始めたのだった。

           

 そうした日々の中で信友は母の変化に少しずつ気付き始め、病院で診察したところアルツハイマー性認知症と診断された。専業主婦として長年家庭を支え、信友が45歳の時に乳がんを発症した時には、めそめそしてばかりいる娘をユーモアたっぷりの愛情で支えてくれた母だった。そんな母が日に日に症状が重くなり家事をすることもできなくなった。それを見守る父は、それまで家事など一切しなかったが、洗濯、掃除をし、食事の用意をして妻を支える。腰が曲がり歩行も困難な95歳にして妻を支えようとする懸命な姿に真の夫婦愛を見るようだった。

           

 病状は進行し、母は人格さえも失われていくような姿が映し出されるが、娘(信友)は泣きながらもその姿を映像に記録し続けるところに彼女のプロ根性を見た思いがした。映画は母の症状がさらに酷くなっていくのだろう…、という余韻を残して終わる。いくらプロとはいえ、娘としてそれ以上、母の姿をさらすことができなかったのだろう。

           

           ※ 母の手を取りながらもカメラを離さず記録を撮り続ける信友直子さんです。

 映画を観ながら、他人ごとではない、私の、我が家の近未来を見る思いだった。どちらかが高齢によって困難に陥ったとき、信友の両親のように公の助けを借りながらも互に支え合っていきたいと強く思ったものである。

 なお、題名の「ぼけますから、よろしくお願いします。」は、母が自らが認知症と診断され、まだ症状がそれほど進んでいない正月の朝、気分も落ち着いていた時に信友に向かって発した言葉を、信友が題名として採用したようである。

 

 


さっぽろ自由学校「遊」

2019-10-28 17:04:59 | 講演・講義・フォーラム等

 ついに、というか?とうとう、といおうか?ずっと以前からその存在は知っていたが、なかなか近づくことができなかったNPO法人さっぽろ自由学校「遊」、今日初めてその牙城(?)に足を踏み入れた。

  さっぽろ自由学校「遊」…、道民カレッジなどで学ぶ私にはその存在が気になってはいた。その案内には「市民がつくる市民に開かれた『学びの場』です。人権、平和、開発、環境、ジェンダー、多文化共生など共に語り合い、楽しみながら学び合います」となっている。そこへなかなか足が向かなかったのは、開講される講座がやや政治的色彩を帯びていることが気になり足が向かなかったのだ。今回のイベントもやや政治的色彩は帯びているかな?と思われたが、興味のある内容だったこともあり参加してみることにした。イベントの内容は、「沖縄ウィーク in 札幌」の一環として開催されたもので「沖縄関連映画上映会」だった。

 10月27日(日)午後1時より上映された映画は…、

 №1.「米軍が最も恐れた男~あなたはカメジローを知っていますか?~」

          

 №2.「太田昌秀 今平和を語る」

 №3.「デニーが勝った! 沖縄知事選挙2018

の3本だった。映画上映会とうたっていたが、実際にはTVのドキュメンタリーだったり、制作会社が撮ったフィルムを上映するものだったりで、映画館で上映されたフィルムではなかったのではないかと思われた。このラインナップから諸兄は賢察されると思うが、いわゆるリベラル系からの見方から撮られたフィルムである。いずれもが、戦後沖縄がおかれた理不尽な立場(と彼らが言う)から声を上げたものであった。

 私の政治的スタンスとしては、いわゆるノンポリを自認し、あらゆる主張に耳を傾け、その時々に是々非々で判断してきたし、これからもそうするつもりでいる。その私にとっては今回の3本の映画は、沖縄を理解する一助として役に立った3本だった。特に№3の沖縄知事選挙に関するフィルムは両当事者、並びに支持者たちに公平にインタビューし、双方の考え方、意見を聞くことができ、私にとっては大変参考になった。3本のフィルムを観た感想についてはこれ以上言及することは避けようと思う。

          

          ※ 札幌愛生舘ビルの全体像です。

 さっぽろ自由学校「遊」が入る愛生舘ビルは札幌市の都心にあり、その5階に入居していた。さらに上映会は6階の愛生舘ホールというところで開催されたが、ビル内は細かく仕切りが施されたビルだった。「さっぽろ自由学校「遊」の講座料はけっこう高額だなぁ」という印象を持っていたが、「あのような都心のビルに入居しているので法人を維持していくためには仕方ないかなぁ」という印象をもった。

 精力的に講座や学習会を展開しているさっぽろ自由学校「遊」の事業に注目し、私の琴線に触れる催しがあった場合には参加していきたいと思った。

 

 


熱戦、激戦が相次いだラグビーWC準決勝!

2019-10-27 20:42:43 | スポーツ & スポーツ観戦

 昨日のニュージーランド 対 イングランド戦、まさかオールブラックスがあんなにもろく敗れるとは…。どちらに転ぶかノーサイド直前まで固唾をのんで見守った南アフリカ 対 ウェールズ戦。世界最高峰のラグビーの戦いを堪能させてもらった準決勝の2試合だった。

             

 昨日のイングランド 対 ニュージーランドの対戦はまさかまさかの試合内容だった。それまでのニュージーランド代表“オールブラックス”の戦いぶりはWC三連勝に向けて万全の戦いぶりを見せていたので、ニュージーランド有利と見ていた。しかし、いざ試合が始まってみると、予想以上のイングランドの戦いぶりだった。試合開始直後にイングランドが早くもトライを奪ったことから、終始イングランドがゲームを支配し、オールブラックスらしさを発揮させることなく、見事の勝利を飾り決勝戦に駒を進めた。

      

      ※ ニュージーランド 対 イングランド戦の激しい戦いの一場面です。

 一方、本日のウェールズ 対 南アフリカ戦は緊迫した戦いとなった。前半両チームともトライを奪えず、ともにPG(ペナルティゴール)を決め合う戦いで南アフリカが1PG差の9対6で折り返した。後半すぐにウェールズがPGで同点とし、試合がどちらに転ぶか全くわからない展開となった。その後ようやく南アフリカが1トライ1ゴールで16対9とするものの、ウェールズも負けじと1トライ1ゴールを決め16対16とふたたび同点とするスリリングな試合展開となったが、試合後半ウェールズの反則から南アフリカがPGを決め、結局これが決勝点となって19対16で南アフリカが決勝戦に駒を進めることとなった。

      

  ※ 本日の試合で4PG、1CG(コンバージョンゴール)の全てを完璧に決めた南アのハンドレ・ポラード選手です。

 二つの試合共に、ラグビーの醍醐味を堪能させてくれるものだった。特にハイレベルの試合では防御(ディフェンス)がとてもしっかりしていて、簡単にはトライを許さない緊縛した戦いを強いられることを実感させてくれた。また、PGを狙うキッカーの正確さにも際立つものがある。本日の試合では両チーム合わせて9本のゴールキックがあったが、両チームのキッカー共に1本のミスもなくゴールを決めていたところに世界レベルの凄いところを見せられた思いだった。

 さあ、これで11月2日(土)の決勝戦はイングランド 対 南アフリカの一戦となった。はたしてどのような結末が待っているのだろうか?決勝戦に相応しい素晴らしい戦いが繰り広げられることを期待したいと思う。

 

※ 本日使用の写真は全てウェブ上から拝借しました。


コンサドーレ無念!稀に見る大接戦を落とす

2019-10-26 16:46:33 | スポーツ & スポーツ観戦

 なんとも無念な敗戦である。日本一のタイトルがすぐそこまで手が届いていたのに…。対川崎フロンターレとのJリーグルヴァンカップ決勝戦は稀に見る大接戦だったが、我がコンサドーレはPK戦の末に無念の敗戦となった。 

 今日はあらゆる予定を入れずに、午後からサッカールヴァンカップの決勝戦、続いて夕方からはラグビーWCイングランド対ニュージーランド戦をテレビ観戦すると決めていた。そのルヴァンカップの決勝戦が今決着がついたところである。

               

 それは“死闘”とも称せるほどの大接戦だった。コンサドーレを声援する私からみても、試合そのものは川崎に支配されている試合だった。それでも先制点は運よくコンサドーレが奪った。前半終了間際に同点とされ、さらに後半も攻められ続けられる中、川崎に得点を許し万事休すと覚悟した。ところがロスタイムにCK(コーナーキック)を得て、起死回生の同点ゴールが生まれた。

 このため前後半15分の延長戦に突入した。延長前半の開始直後、FK(フリーキック)を得たコンサドーレは、福森選手の鮮やかなキックがゴールを捕らえ3対2とリードした。しかもこのFKを得たプレーで川崎のDFが退場となり、コンサは数的にも優位となった。これで日本一は間近いと思われた延長後半の試合時間も少なくなったところで相手CKから得点を奪われ3対3の同点となってしまった。

 その結果、試合の決着はつかなかったためにPK戦に突入となってしまった。PK戦もコンサが5人目を決めれば勝ちという場面で相手GKに止められ、6人目で再び失敗してコンサの敗戦となった。

 何度も何度も目前まで勝利を手繰り寄せながら、何度も何度もそれを手放し、最後は相手に勝利を献上することになってしまった。なんとも無念な敗戦である。

 それにしても私はテレビの前で、何度手を叩いて喜んだことか?何度無念のため息をついたことか?久々に興奮しながらの試合観戦だった。

               

 コンサイレブンにとっては初の日本一というタイトルを目前で逃してしまったことは痛すぎる敗戦である。しかし、後ろ向きに考える必要はないのではないか!決勝戦という独特の雰囲気の中で戦う経験をしたことは、かならずや今後に生かされることと思う。残念であるがコンサドーレサポーターの一人としてそう考えることにしたいと思う。 

 さあ、これからラグビーWCのイングランド対ニュージーランドの世紀の一戦を見届けようと思う。


名作ドキュメンタリーをもう一度

2019-10-25 19:02:22 | 講演・講義・フォーラム等

 民放テレビ局が娯楽番組ばかりを垂れ流しているかといえば、そうではない。地域の中で人知れず生きている人たちの姿を追い続ける地道なドキュメンタリーの制作にも力を入れている。そうした名作、力作を視聴する機会を得た。 

 10月22日(火)午後、ウィスティリアホールにおいて北海道民放クラブが主催する「名作ドキュメンタリーをもう一度」という催しに参加した。

 北海道民放クラブとは、北海道内の民間放送局で勤めて退職された方々で組織された団体である。会の目的の一つとして社会活動を取り上げ、在職当時に制作した番組や最近の優れた番組を市民に提供する上映会を始めたそうだ。今年度は4回の上映会を企画していて、今回はその中の第2回目ということだった。

 上映会は作品制作に携わった当時の関係者(プロデューサー、ディレクター、等)が制作目的や当時の背景についてレクチャーされた後、ドキュメンタリーの上映に入るという形だった。第2回目として取り上げた作品は…。

 ◇1982年 HBC制作(79分)「地底の葬列」(芸術祭賞大賞・放送文化基金賞奨励賞・日本民間放送連盟最優秀賞)

      

      ※ 制作当時の思い出を語るHBC・OBの後藤篤志氏です。

 ◇2007年 UHB制作(47分)「石炭奇想曲~夕張、東京、そしてベトナム」(日本民間放送連盟最優秀賞・FNNドキュメンタリー大賞特別賞)

      

      ※ こちらはUHBの現職で、制作当時はプロデューサーだった吉岡史幸氏が思い出を語った。

 ◇1985年 STV制作(25分)「みんな輝いていたよ…熱中先生ふれあいの記録」(日本民間放送連盟優秀賞・放送文化基金賞奨励賞)

      

      ※ ウェブ上から当時の工藤先生の画像を探し出しました。

 それぞれが添え書きしたようにさまざまな賞を受賞している優れた作品ばかりで、主催者が“名作”と冠することも理解できた。1作目、2作目は共に石炭産業に関わったドキュメンタリーである。「地底の葬列」は夕張炭鉱の炭鉱事故、そして閉山に至るまでを炭鉱労働者目線から追ったものであり、過酷な炭坑労働の実態を映し出すものだった。一方、「石炭奇想曲」の方は、前作から20年後に制作されたもので日本のエネルギー事情の変化から再び国内に一定の石炭需要が見込まれる中、日本の炭鉱の中で唯一生き残っていた釧路コールマインの炭鉱技術者が埋蔵量豊富なベトナムの炭鉱へ技術指導に赴くという内容である。石炭の灯が消えた夕張、石炭を山積みにする東京の火力発電所、そしてベトナムの石炭採掘現場…、それらを対比させながら時代の皮肉を炙り出したものだった。

 最後の「熱中先生…」は、私はON AIRで視聴した記憶があった。児童数22名の僻地の学校で奮闘する先生とそれに応えて伸び伸びと成長する子供の姿を描いたものである。同業者ということもあり、とても関心を抱いて視聴した番組だった。同業者として工藤先生の熱意と力量の素晴らしさ、それを可能にした上司、地域の方々の協力をある種の羨望の目で見ながら、自分の至らなさも振り返る機会となったドキュメンタリーだった。

 「名作ドキュメンタリーをもう一度」…、素晴らしい企画だと思う。これから予定されている回も都合がつくかぎり参加したいと思っている。

 


映画 グッモーエビアン №251

2019-10-24 19:56:48 | 映画観賞・感想

 好き嫌いは当然あると思うが、映画俳優の大泉洋は本当に才能ある演技者だと私は思う。シリアスな役から、コミカルな役まで…、実に幅広く演ずる姿に共感する。その中でも本作はある意味大泉の良さが生かされた一作だと思った。

                

 エルプラザ(札幌市男女共同参画センター)が主催する「エルプラシネマ」の10月上映会が21日(月)午後、エルプラザホールであったので参加した。今月の上映作は2012年制作・公開の「グッモーエビアン」という作品だった。

 映画は以前パンクバンドのギタリストだったシングルマザーの母アキ(麻生久美子)としかり者の娘ハツキ(三吉彩花)、海外の旅から戻ってきたお調子者の男ヤグ(大泉洋)が織りなすちょっと風変わりな一家を描いたものである。なお「グッモーエビアン」とは、ヤグが海外からアキに送られてきた絵葉書に書かれていた一言なのだが、ネイティブアメリカンが発する「good morning everyone(グッモーニング エブリワン)」のことだそうだ。

        

 男女共同企画センターがこの映画を取り上げた理由は、家族の形にとらわれず、その家族が持つ幸せは、その家族のメンバー各々が感ずればいいことなのでは?という問いかけを観覧者に感じてほしいというメッセージを込めていたのだと解釈した。

 この映画において、アキとヤグは夫婦ではない、ヤグは海外を放浪した末に母娘が住むところに転がり込んできて、仕事もせずに彼女らに頼って生活をするというなんともいい加減な男である。そんなヤグを面白がる母アキと軽蔑の目で見る娘サツキが織りなすさまざまなエピソードの中で、ヤグの優しさがサツキの頑なな心を溶かし、三人の生活はこれからも続いていくであろう、という余韻を残してジ・エンドとなる。

          

 この映画において大泉洋は前述のとおりお調子者のパンクバンドのボーカリスト役を演ずる。調べてみると彼が39歳の時のものであるが、30歳前後のお調子者役をまったく違和感なく演じている。というより彼本来のコミカルな持ち味が十分に生かされたはまり役だと思えた。

 さて映画の主題であるが、現代において家族の形はさまざまあるのだろうと思われる。本作のような形も今や日本の中でも珍しくないのかもしれない。前述したように人の幸せというのはその家族のメンバー各々が感ずればよいことで、他人がとやかく言うものではないという主張はよくわかる。世の中はさまざまな分野において多様性を認めようとする方向に動いている。そのことを認めねばならないと思う。ただ、私自身はやはり昭和の男である。本音ではやはり旧来のような家族の形が自然かな、という思いも拭い去れないのである…。


尾川とも子って知っていますか?

2019-10-23 20:28:32 | 講演・講義・フォーラム等

 尾川とも子って知っていますか?スポーツ界のことについてはけっこう事情通と自負していた私だが、彼女の存在は残念ながら初耳だった。尾川とも子っていったい何者?

                

 10月20日(日)午前、東海大学の公開講座がさっぽろテレビ塔の2階ホールで開催された。講座案内では講演題を「未来のオリンピックへ 女性アスリートのパイオニア精神~限界を乗り越えよう!~」題して、「日本人初のプロクライマー尾川とも子氏による講演会、すべての世代への熱いメッセージをお聞き逃しなく」とあった。

      

 そう、尾川とも子はプロのフリークライマーだったのだ。フリークライミングとは、道具に頼らず、自己のテクニックと体力を使って岩を登ることを指すが、最近はインドアで人工的なホールド・スタンスを使ったスポーツクライミングが注目を集めています。というのも東京オリンピックの正式種目に採用されたことが大きいようだ。

 尾川はそのフリークライミングにいち早く取り組んだパイオニアの一人のようなのだ。尾川がフリークライミングに取り組んだのは早大在学時の2000年だという。そして2003年にAsian X-gamesで優勝するが、世界の大会ではどうしても上位の壁を破ることができず、限界を感じたことから自然の岩を対象とするフリークライミングに転向したそうだ。そして2012年、女子としては最高級難度の壁とされるV14を世界の女性で初めての成功者となったそうだ。

             

 尾川は言う。東京オリンピック2020において、日本のフリークライミングは男女ともにメダル候補を有している有望種目だという。確かに男子の楢崎智亜、女子の野口啓代などはワールドカップツアーにおいて絶えず好成績を残しているようだ。

 一方、尾川は現在41歳、二児のママさんとして子育てをしながら、フリークライミングのパイオニアとしてメディアに出演したり、後進を指導したりと普及活動に意を注いでいるという。彼女は自らの体験から、世界で通用するには早い段階から競技を始めることの必要性を痛感したという。

     

 最近のスポーツ界においては確かに若年化が進んでいるようにも思う。一方で、小さなときはさまざまなスポーツを体験してバランスの取れた身体能力を獲得することが大切だという主張もある。難しい問題ではあるが、スポーツの世界に限らず才能を最大限に発揮するためには、やはりより早い段階から専門的に取り組むことが一つの条件と言えるのかもしれない…。

 


平岸ミュージックフェスティバル

2019-10-22 12:12:00 | ステージ & エンターテイメント

 久しぶりに「バルミゼット楽団 ラ・ゾーヌ」の音色を堪能した! 平岸ミュージックフェスティバルはバルミゼット楽団だけではなく、新しい楽しみも提供してくれた素晴らしいフェスティバルだった。

               

 10月19日(土)午後から豊平区の平岸小学校体育館において「平岸ミュージックフェスティバル」が開催されると知って駆け付けた。「わざわざ平岸まで?」と訝る向きもあるかもしれないが、フェスティバルに「バルミゼット楽団 ラ・ゾーヌ」が出演すると知ったからだ。ラ・ゾーヌは数年前に赤れんがコンサートでその存在を知って、その音にたちまち惚れ込み、楽団が経営する店まで駆け付けることもしたのだが、このところ遠ざかっていただけに、久しぶりにラ・ゾーヌの音を堪能したいと思ったのだ。

 主催は実行委員会形式をとっていたが、障害者などを支援する団体が協力して開催したものだった。フェスティバルのプログラムは次のようになっていた。

 ◇平岸小学校マーチングバンド

      

 ◇ノーボスパシアス&アルコイーリス(サンバダンス)

      

 ◇Nawate Harutaka

      

 ◇ドラムサークル ハートビート

      

 ◇バルミゼット楽団 ラ・ゾーヌ

 全国大会出場が決まっている平岸小学校マーチングバンドの演奏も、華やかに賑々しく会場を踊りまくり障害者たちも喜んで踊りの輪に加わったアルコイーリスのサンバも良かった。しかし、私が何より新鮮に感じたのは「ドラムサークル ハートビート」のステージだった。プログラムには「みんなで輪になり、打楽器をたたいて楽しむ参加型の演奏」とあったが、たくさんのコンガのような打楽器を持ち込み、さらには百均ショップで購入したゴミ箱の底を手作りのマレットのようなものでたたくものが参加者全員に配られた。参加者はそれを面白がって勝手にたたいていたが、やがて円の中心にいるリーダーの動作によって、徐々に会場内の音が一つになっていった。その間、説明は一切なしで会場が一つになっていくのだ。参加者は“たたく”というある種の発散行為と音が一つになっていく心地良さを感じていたのだろう。もちろん私も同じように感じながら、ゴミ箱の底をたたき続けた。これは楽しい発見であり、新しい形の演奏会の形式となっていきそうに思われた。 

          

 フェスティバルの最後に登場したのが「バルミゼット楽団 ラ・ゾーヌ」である。メンバーは変わらず馴染みの顔ばかりだった。フランスの大衆ダンス音楽「ミュゼット」はどこか懐かしく、心地良い音楽である。リーダーの長嶺久美子のボタンアコーディオンを中心とした5人組の音楽は私の感性を大いにくすぐってくれる。彼女らが演奏する5曲を心地良く聴いた。ラ・ゾーヌは長嶺のボタンアコーディオンを中心にピアノ、クラリネット、バンジョー、パーカッションの5人組である。最近は長嶺がボタンアコーディオンをバグパイプに乗り換えて演奏することも多い。でも私は長嶺のボタンアコーディオンが奏でるミュゼットの懐かしい音の方が好きである。

           

 平岸ミュージックフェスティバル…、なかなか素晴らしい取り組みである。これからも継続があるのか?その点は不明であるが、関係者に努力していただいて続けてほしい催しである。