田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

セピア色の想い出 そして…

2020-05-03 15:46:55 | 海外の旅

 赤茶けて見える写真の一枚一枚は私の青春の想い出そのものだった。今から52年前の1968年夏、私はヨーロッパの各国を彷徨っていた。その時の白黒写真を昨夜ようやく整理した。そしてセピア色の想い出は今私に新たな夢を与えようとしている…。

    

  ※ ノルウェーのNarvikを目指して北上を続けているとき目にした北極圏域を示す標石です。

 昨日のブログで私は、自分の部屋の「断捨離」を敢行しなければと宣言した。そして宣言通りに本棚から溢れかえっている主として文庫本を中心に整理にかかった。ところがその作業の最中に心変わりしてしまった。「以前から気になっていた学生時代の欧州・アジアの旅の多量の白黒写真をまずはなんとかしなくちゃ」と…。それは段ボールの箱の中に何もせずに数十年間放っておかれた白黒写真だった。

 早速、ホームセンターに走って写真用ファイルを買い求め、整理にかかった。写真は300枚程度あったろうか?不思議なことに写真によってセピア色に変色したものもあれば、まだ白黒の状態を保ったものもあった。ところがそれらの写真のほとんどはソ連と北欧のものばかりだった。私は白黒写真とともに、カラー版のスライド用のカメラも持参していた。こちらはヨーロッパ、中近東、アジアと私が辿ってきたすべての国が網羅されているのに、白黒写真はソ連と北欧のみなのである。今となってはその原因は不明だが、カメラが故障してしたか、何かの原因なのだろう。

          

   ※ ノルウェーの首都オスロ郊外に聳える有名なホルメンコーレンのジャンプ台です。

 写真の一枚一枚を眺めると当時のことが生々しく蘇ってきた。共産主義国家ソ連の仰々しさと市民の沈んだ顔、北欧の人々の開放的な笑顔、等々…。野宿を交えながらヒッチハイクで懸命に白夜を体験しようとノルウェーの北極圏の町Narvikを目指したこと。二か月もの間、スウェーデンのストックホルム郊外の町Nynashamnのレストランでアルバイトをしたこと、等々…。50数年前のことが次々とフラッシュバックして私の瞼を横切った。そして私は今、できれば一瞬でもあの時に帰りたいと思い始めた。

 50数年前の旅以来、私はスイスとギリシアには再訪しているが、最も長い時間を過ごした北欧を再訪することはこれまで叶わなかった。

 実は昨年暮れに、今年の夏にかの地を旅することを計画した経過があった。私は思い出の地NarvikとNynashamnを旅程に入れた旅程を立て、旅行社に宿と交通機関の手配を依頼した。ところが数多く個人旅行を手配している旅行社でも少々マニアックな私の計画では「手配することが不可能」という回答をいただき、断念した経緯があった。今となっては、それが結果としては良かった(?)のかもしれない。とてもとても旅する状況にはないからだ。

          

          ※ モスクワ大学の前で同行の日本人と記念撮影

 ということで、頼みの旅行社が当てにならないとなると、これは自分で細部まで計画を立て、自分で手配もしなければ私の夢は夢として終ってしまいそうである。来夏を目指して、その実現のために試行錯誤し、あれこれと模索してみること、これも「ステイホーム」期間中に取り組むことの一つとなりそうである。努力してみたい。


ニュージーランド同窓会?

2013-03-05 21:37:55 | 海外の旅

 ニュージーランドの旅でお世話になったT氏が帰国した。道東に住むT氏が昨日来札したので一献傾けながら、ニュージーランド話に花を咲かせた。 

 「いや~、やっぱり日本がいいなぁ~」と、T氏はしみじみそう漏らす。
 某居酒屋で出された魚介類に舌鼓を打ち、日本酒に喉を潤しながら…。

 
 無理もない。60年間も日本での生活にどっぷりと浸かっていた男が一人異国で6ヶ月も暮らしていたのだから…。
 T氏が本音を漏らした。
 「実は途中で切り上げて帰国しようと真剣に思ったことがあった」と…。
 「へぇ~」と思った。あちらで会った時のTは、私から見ると十分にあちらの生活を楽しんでいるように見えたのだが…。
 彼によると、周りに日本語を話す人がいない中での英語漬けの生活に疲れたこと。語学学校では自分の子どもよりも若い学生と机を並べる毎日だったこと。(彼のような年齢の人はいなかったようだ)もちろん食べ物の問題もあったことだろう。

 そうした「帰国したい」という思いを断ち切り、所期の計画を全うできたのはホームスティ先のロス&サンドラ夫妻の存在だったいう。
 T氏とロス&サンドラは同年代である。他に寄宿していた若い学生に対して(2人ほどいたようだ)、分別もあり常識的言動をするTは夫妻の信頼を深く勝ち得ていたようだ。そのことは私が5日間一緒した中でとても感ずることができた。

          
          ※ 左から氏、サンドラ、ロスの順でカメラに収まった。

 私もわずか5日間ではあったが、ロス&サンドラ夫妻のフレンドリーで、親切に接してくれた夫妻には心から感謝したい思いがある。
 あの5日間の体験が今回のニュージーランドの旅を一層意味深いものにしてくれたと思っている。
 Tに提案した。「彼らを日本に呼ばないか」と…。
 実はそのことはあちらにいたときにも私は彼らに提案してみた。しかし、なぜか彼らはその提案には消極的で、反対に私が彼らと別れるとき「please return to N.Z」と記した手紙をいただいたほどだった。
 それでも、もう一度Tを介して彼らに呼びかけてみよう、ということになった。

 果たして彼らはどう反応するか? 例え私たちの提案が実現しなくとも、私たちの思いがロス&サンドラに伝わってくれれば、それはそれでいいとも思っている…。


私のニュージーランド紀行 15(最終回)

2013-02-19 19:39:29 | 海外の旅

 非日常から日常へ… 

 今回の旅を振り返るとき、そのテーマはいくらでも浮かんでくる。
 例えば…、「きれいに刈りこまれた芝生」、「タイエリ峡谷鉄道」、「オークランドで目立った浮浪者たち」、「圧倒的な日本車」、「目立つアジア系」等々…。
 しかし、いつまでも非日常的な話題に拘泥しているわけにもいかないのではないか。旅から帰って2週間、私はすでにいつもの日常に還っている。
 このブログもそろそろ日常に還らねばならない。

          
       ※ 家庭の庭の芝生はもちろん、こうした公共的なところの芝もきれいに刈り込まれていた。

 今回の旅に対して私は特別の思いを持って振り返っている。
 それはやはり、旅の全てを自分自身でプロデュースして、それを成し遂げたという充足感だろう。
 反省すべき点も数多いが、その満たされた思いは、昨年ツアーで行ったアメリカ旅行とはけた違いの充足感と言っていい。

          
          ※ 木も生えていない高いところを、谷あいに渡された鉄橋を、タイエリ峡谷鉄道は往く…。

 
 私が敬愛してやまない作家・沢木耕太郎は宿も決めずに海外旅行に発ち、現地で安宿を見つけて旅したという。そんな旅に憧れるのだが、それは同年代である彼が若い頃の話であって、今の私にそれと同じような旅をするだけの勇気はもはやない。
 今回の旅が精一杯の旅であり、今後同じような旅をすることはおそらくないだろう…。
 そう思えば思うほど、今回の旅が私の中では貴重な旅となってきたのだ。

          
          ※ 大都会オークランドの負の側面でしょうか?こうした浮浪者の姿もありました。

 私は友人たちに旅を報告する必要もあって、いつになく早々と旅のアルバムを作成した。
 旅先でシヤッターに収めた600枚余りの中から、友人たちが興味を抱いてくれそうな写真を厳選して…。
 そのアルバムの冒頭に「ニュージーランド セルフプロデュースの旅12日間」と記した。
 自らプロデュースした旅…、それは私の中に大きな意味を残してくれた…。

               
          ※ アルバムの表紙には「ニュージーランド セルフプロデュースの旅12日間」と記しました。

               
               ※ こうした手作りの写真集18ページが出来上がりました。


私のニュージーランド紀行 14

2013-02-18 22:01:37 | 海外の旅

 羊・羊・羊…、やはりニュージーランドは羊大国
 

 飛行機がダニーデン空港に向けて降下体制に入ったときだった。快晴の空の下、下界がよく見通せた。すると緑の丘に点々と米粒のようなものが見えた。
 「羊かな?」と一瞬思い、目を凝らしたのだが、その白い粒がいっこうに動いているように見えなかった。私は何か別のものを目撃したようだった…。

          
          ※ ニュージーランドの典型的な郊外の風景といっても良いでしょう。

 飛行機を降りて、空港からダニーデン市に向かっているとき、牧場で草を食む羊の群れを見た。すると、羊たちは一向に動こうせず頭を下げて一心に草を食んでいた。「あゝ、やはり飛行機から見えた米粒は羊たちだったんだ」と、そのときようやく得心したのだった。

          
          ※ 牧場の多くではやはり羊たちが飼育されていました。

 ダニーデンからタイエリ峡谷鉄道に乗ってダニーデン郊外を通ったときは、典型的なニュージーランドの農村風景が目に飛び込んできた。広い牧場ではたくさんの羊たちが飼育されていた。
 羊ばかりではなかった。肉牛や乳牛、馬などの牧場も目立った。珍しいところでは鹿を飼育する牧場もあった。
 一時に比べてニュージーランドにおける羊の飼育頭数は減少傾向にあると聞いたが、目に見えたかぎりにおいては圧倒的に羊の牧場が目立っていた。

          
          ※ カーギル山登山の際に迷い込んだ牧場です。

 ダニーデンでの最後の日(1月31日)、私は一人でダニーデン郊外のカーギル山に登った。その時、登山口を探して丘の上をあちこちと歩き回ったのだが、その右往左往したところも羊の牧場内だった。
 羊は臆病の性質のようで近くによると逃げてしまい、写真を撮ることがままならなかったのは残念だった。
 ことほど左様にあちらへ行っても、こちらへ行っても、都市部を離れるとやはり羊の牧場が目立っていた。

          
          ※ こちら側も牧場、谷を一つ越えたあちらの丘も牧場です。

 そのように畜産や酪農が多いためだろうか、国民の食生活にもそのことが反映されているのかもしれない。特に中高年の肥満がとても目立った。きっと肉食や乳製品の摂取が多いためなのでは?

          
  ※ 南米産のアルパカです。最近はニュージーランドでも良質の毛を生産するために飼育されているとか…。

 日本の国土の3/4の面積に人口がわずか440万人というのだから、そのあり余る土地を利用した農業が盛んになるのは自然のことかもしれない。
 一説によると、飼育されている家畜の数は人口の10倍に上るという…。
 


私のニュージーランド紀行 13

2013-02-17 21:56:44 | 海外の旅

 ダニーデンの街中にはいつも賑わいがあった 

 今回の旅のホームタウンだったダニーデンで、私は毎日のように中心街に食事や買い物に出た。
 その際いつも感じたことだが、街中に賑わいが絶えなかったことだった。

          

 ダーニーデン市の人口はこれまでも触れているように12万人弱である。北海道でいうと小樽市や我が故郷北見市とほぼ同じ規模である。しかし街中の賑わいの様子はまるで違っているように見えた。オープンカフェにはいつも人々が憩っていた。商店街は買い物をする人、ウィンドーショッピングをする人たちが絶えなかった。
 確かにダニーデン市は周辺地域の中心都市であり、観光地的要素も兼ね備えた街ではあるのだが…。

          

 僅かな滞在期間ではあったが、私はダニーデンの街と日本の街と比べたときに一つの明らかな違いが見えてきた。
 ここまで書くと、あるいはもう気付かれた方もいるかもしれない。そのとおり、日本の街の場合は大型店が郊外に進出し、中心街の空洞化現象が生じていることである。

 対してダニーデン市の場合は、市内で最も大きなショッピングセンターも、大きな集合商業施設も中心街に位置し、その周辺に個人的な商店も広がっているという具合であった。
 だから市民は自然に中心街に集まってくるという街のつくりになっていたように思う。

          
   ※ 写真を撮るときはあまり人をねらえなかったので寂しい感じがするが、実際はたくさん人々が行き交っていた。

 日本の街は大型店の進出攻勢によって街のつくりがすっかり変えられてしまったようにも思われるが、少子高齢化が進展する中で街の在り方が問われているという。
 いわゆる“コンパクトシティ”への街の再構成である。
 法的な整備も必要と思われるが、日本の多くの街がダニーデン市のように中心街に人々が集い、賑わいが創出されるような街が戻ってきてほしいと思ったのである。


私のニュージーランド紀行 12

2013-02-16 20:50:14 | 海外の旅

 美しくきらめくワカティプ湖 



 冒頭に大きな写真をもってきたが、写真の技術や解像度はさておき、とても美しい光景と感じられませんか?

 ニュージーラドにも景勝地は数あるのだろうが、私が訪れたクイーンズタウンも間違いなくその一つである。
 そのクイーンズタウンの前に広がるのが氷河湖のワカティプ湖である。
 荘厳にそびえる山々に囲まれ、光の加減によっては透き通るようなブルーの水面が周りの山々とのコントラストで見せてくる光景は息を呑むばかりだった。
 できるかぎりの角度からカメラに収めたので、いつもより大きな画面で堪能していただきたい。

     

     

     

    
     

 けっして景色を楽しむ旅ではなかったが、この光景に接したときにはやはり嬉しさを隠しておけなかった私である。

     


私のニュージーランド紀行 11

2013-02-15 20:52:24 | 海外の旅

 ダニーデン市と小樽市は姉妹都市だった! 

 昨日、ボルドウィン・ストリートの投稿をしたら、私のブログにしばしばコメントをいただいている出ちゃっ太氏から「小樽市内?」と題するコメントをいただいた。
 そのコメントをいただいて「そういえば!」と思い当たることがあった。 
 ダニーデン植物園を見学しているときだった。植物園の一角に「小樽庭園」と書かれたボードがあり、小さな日本庭園が造られていた。
 その時はあまり深くも考えず「へぇー」という感じで見ていたのだが…。

          
          ※ ダニーデン植物園の一角にあった「小樽庭園」と書かれた案内板です。

 出ちゃっ太氏のコメントをいただき改めて調べてみると、なぁ~んと、小樽市とダニーデン市が1980(昭和58)年に姉妹都市の提携を結んでいることが判明したのだ。
 姉妹都市の提携を結んでいると知ると、そういえば両市には共通点がいくつかあることが分かってきた。

          
          ※ ダニーデン市のちっょと郊外にあるセント・クレア・ビーチです。

 まずは緯度である。小樽市は北緯43°19′、対するダニーデン市は南緯45°87′と赤道を挟んでほぼ対極に位置している都市どうしである。
 さらに両市とも海に面した港町であり、坂の多い街であることも共通している。
 そして人口も小樽市が13万弱、ダニーデン市が12万弱と似通っている。(1980年当時はどうだったのだろうか?)
 これだけ共通点があるとやはり互いに意識するところがあったのかもしれない。

          
          ※ ダニーデン市はとにかく坂の多い街でした。小樽市と共通します。


 そしてさらに調べていると、小樽商科大学とダニーデン市が誇るオタゴ大学がやはり1992(平成4)年に国際交流の提携を結んでいることも判明した。小樽商科大学にとってはオタゴ大学が初めての海外の大学との国際交流を始めた大学ということのようだ。

          
          ※ 小樽商大と国際交流を進めるオタゴ大学の象徴クロックタワーです。

         
 どちらから持ちかけて実現した姉妹都市かは分からないが、私が今回の旅でホームタウンとした街が、私が住む街の近くの街と姉妹都市だったという事実は面白い発見だった。
 ダニーデン市の「小樽庭園」は造成されてからかなり日が経っているのだろうか?少し整備が滞っている感じがした。できれば日本庭園の専門家を派遣して、整備された日本文化の良さを伝えてほしいと思ったのだが…。

 はてさて小樽市にはダニーデン市に縁のあるものがあるのだろうか? そのことを探るのも興味深いことである。


私のニュージーランド紀行 10

2013-02-14 11:44:07 | 海外の旅

 世界一急な通りボルドウィン・ストリート 

 「地球の歩き方 ニュージーランド編」のダニーデン市を紹介するページに次のような記述があった。

【ボルドウィン・ストリート Baldwin St.】
ノース・ロードNorth Rd.から住宅地に入るボルドウィン・ストリートは、坂の街ダニーデンを象徴するような急勾配。長さにすると約100mだが、実際に歩いてみると斜度のきつさに改めて驚く。それもそのはず、ここはギネスブックに載っている世界でも最も角度がきつい坂道なのだ。沿道の家屋は地形に合わせて地面にへばりつくように建ち、通行する車はアクセルをふかしながら登ってくる。坂の入口脇にはツーリスト・ショップがり、坂を登った認定証(A4サイズ$2)を発行してくれる。

          
          ※ ストリートの下から撮るとどうってことのない通りなのだが…。

 私は友人Tにぜひともこのボルドウィン・ストリートに案内してくれるように頼んだ。
 ボルドウィン・ストリートはホームスティ先があるマオリヒルから谷一つ隔てた丘の斜面に造られた通りだったので、谷の中に造られたトレッキングコースを歩いて行くことにした。

          
          ※ 水平に立つ建物と、坂を歩く人の角度でその勾配が分かっていただけるだろうか?    

 ボルドウィン・ストリートに着いてみると、さすがにギネスブックに載った世界一の斜度の道である、たくさんの観光客の人たちがいた。
 う~ん、なかなかの勾配で道路が向うへ続いていた。
 友人T氏は以前に来たとき登ったということで「今回はパス」と下で待っているという。まあそれくらいきつい登りということである。
 遠くに自転車が登っているのが見えた。道幅を一杯に使って、左右に蛇行しながらゆっくりと登っていた。

          
      ※ こちらの2枚はホームページに載っていたものを拝借した。さすがに上手く撮っている。

          

 さて、私の番である。夏の暑い日だった。最初はやや勾配が緩かったのだが、途中から急になり始めた。横に建っている家を見ると、その勾配のきつさが分かる。
 歩道部分は階段状になっているところもあった。
 車が(これも観光用の車だろう?)アクセルを吹かしながら登っていく。
 ウィキペディアで調べたところ、最大勾配は35%(斜度19度)いうことだ。
 ようやく最高到達地点に立つと、上がり口が遠く下の方に見える。
 そこでは先ほど自転車で登ってきた若い人たちが陽気に騒いでいた。

          
          ※ 自転車の若者たちはブレーキをいっぱい効かせて坂を下っていった。

 見ていると観光客が続々と登ってくる。
 ちょっと急な坂道というだけの何の変哲もない道路だが、世界一と名が付くと立派な観光資源となる典型のようだ。
 私は下に下りツーリスト・ショップで$2を払い、坂を登ったという認定証をいただきボルドウィン・ストリートをあとにしたのだった…。

          
          ※ こうして私と同じように観光客が次々と坂を登ってきた。

               


私のニュージーランド紀行 9

2013-02-13 19:47:54 | 海外の旅

 スポーツ大好きのKIWI(ニュージーランダー) 

 私はニュージーランド人のことをニュージーランダーと称してきたが、調べていくと彼らのことを愛称でKIWIと呼ぶこともあるそうだ。そこでタイトル名を本日のようにしてみた。

 話しは変わって、オタゴ博物館に入ったときだった。
 入館して直ぐのところにガラスケースに護られて一本のピッケルが展示されていた。
 見ると、世界初のエベレスト登頂を果たしたニュージーランダーのエドモンド・ヒラリー氏が登頂の際に使用したピッケルだと説明書きがあった。
 続いて、彼が使用したゴーグルとか、ナイフなども同じくガラスケースに護られて展示されていた。
 エドモンド・ヒラリー氏の偉業がニュージーランドの人たちにとって誇りであり、彼がいかに敬愛されているかの証しだと私は感じた。

               
               ※ ヒラリー氏がエベレスト登頂に使用したピッケルです。

 後になってから気付くのだが、ニュージーランド紙幣(5ドル札)に彼の肖像がデザインされていることからも国民から敬愛されている人物であることが理解できるのである。

          
              ※ 写真のように5ドル紙幣にヒラリー氏の肖像が印刷されています。

 このヒラリー氏のことでも分かるように、KIWIたちはかなりのスポーツ好きであり、スポーツを大切なものと考えているようである。
 街を歩いていて気付くのだが、とてもたくさんの人たちがランニングやウォーキングに取り組んでいる。真夏の昼下がり、全身に汗を拭きだしながらランニングに取り組んでいる姿を見ると、健康のためというより、積極的に身体を鍛えているというように思えた。
 そういえばニュージーランド人はラグビーをこよなく愛する国民である。

          
          ※ オークランド市内で見かけたクリケットの試合の様子です。

 友人T氏にうかがうと、ニュージーランドの人気スポーツは①ラグビー、②クリケット、③バスケットボール、④サッカーの順だそうである。
 私が訪れたオークランドでも、ダニーデンでも、クイーンズタウンでも、ちょっとしたところにグリーンが広がっていて、市民がいつでもスポーツに取り組むことができる環境のように思えた。

          
          ※ 写真のようにちょっとしたところに広々としたグリーンが広がっていました。

 その最たるものが、ダニーデンで見た全天候型のスタジアムではないだろうか。
 ダニーデンというと人口12万人弱である。ちょうど私の故郷北見市と同規模の街である。そんな小さな町に全天候型のスタジアムが存在するのだ。
 おそらくラグビーやクリケットに主として使用されるのだろうが、はたして北見市に全天候型の野球場、あるいはサッカー場が造られることはあるのだろうか? あるとしたら何時のことなのだろうか?

          
          ※ サイクリングを楽しむKIWIも目立ちました。


私のニュージーランド紀行 8

2013-02-12 22:00:44 | 海外の旅

 旅の友 ~「地球の歩き方」 

               

 私は旅立つ前に次のようなメモ(マニュアル)を作成し、持参した。

 【オークランド国際空港からホテルへ行く方法】
 1)空港内の観光案内所i-SITEでAirbus Expressのチケット購入
   (観光案内所i-SITEは到着出口左手にある)
 2)到着ロビー正面にあるバス乗り場でAirbus Express(青い車体)を見つけて乗車
 3)乗車したらドライバーにホテル名とアドレスを示し、降車場所を尋ねる。
     Hotel Name AUCKLAND CITY HOTEL
       Address 157 HOBSON STREET AUCKLAND, NEWZELAND

 私はオークランド空港に着き、入国審査を終え、到着出口を出た後、自分が作成したマニュアルどおりに行動し、一度も迷うことなくホテルに着くことができた。
 上記マニュアルをどのようにして作成したかというと、ダイアモンド・ビッグ社発行の「地球の歩き方 ニュージーランド編」を参考にして作成したのである。

 多くの個人旅行者がそうしていると思われるのだが、私は個人的な海外の旅の場合は必ず「地球の歩き方」を購入し、参考にしてきた。
 「地球の歩き方」は創刊当初はバックパッカー向けに発刊されたと聞いているが、今やあらゆる海外旅行者(特に個人旅行者)を対象としたつくりになっている。

 こんなこともあった。
 オークランドで一日遊ぶことになった。
 「地球の歩き方」中に、「オークランド1日満喫街歩き」というページがあった。それは個人旅行者がオークランド観光の欠かせぬスポットを効率よく巡るコースが紹介されていた。
 私はそれを参考にほぼ同じような行程でオークランド市内をフェリー、トラム(市電)、市内バスを駆使して巡り歩いたのだった。

          
          ※ 指南書(?)に従い私はフェリーを駆ってオークランドの対岸の街に渡った。


 また、クイーンズタウンで生きたキーウィを目撃することができそう、との情報を得ることができたのも「地球の歩き方」によってだった。その他にもあらゆるところで…。

          
          ※ 忍耐強く待ち続け、なんとか生きて歩き回るキーウィを目撃することができた!
 
 このように私のサイドバック(という表現でいいのかな?)の中には「地球の歩き方」がいつも潜んでいた。
 旅の友として…、というより旅の指南書として…。