豊平川河口 ⇒ 豊幌 トレッキング月日 ’18/09/12
午後からは足底筋の痛みと疲労に耐えるトレッキングだった。そして、はたしてどこまで行けるのか、明確なゴール地点を設定しないままできるだけ距離を稼ごうとの思いで脚を前へ進めた。しかし、体調の回復も感じることができたトレッキングだった。
早めの昼食を摂り、11時45分リスタートした。
※ 「石狩大橋」を過ぎた後の堤防道路は砂利道へと変わった。堤防右側が王子製紙江別工場だけのため車が通らない?
「石狩大橋」から千歳川が石狩川に注ぐところまでは石狩川と「王子製紙 江別工場」の敷地に挟まれた堤防を進んだ。
この区間は堤防が石狩川に近いため、石狩川を絶えず左に見ながら進んだ。
※ 写真のように石狩川の水面がはっきり見えたのは河口からスタートして初めてだと思う。
そして「王子製紙 江別工場」の大きな工場施設が堤防右側の敷地を埋めていた。
※ 王子製紙 江別工場の巨大な工場施設が並んでいました。
やがて千歳川が石狩川に注ぐところに到達した。面白かったのは千歳川と石狩川の両方の川の色が違っていたことだ。千歳川の方が緑色が濃かったようだが、原因は何だろうか?
※ 石狩川(向こう側)から千歳川に向かってボートが走ってきました。
※ 写真がボケていますが、手前の千歳川と向こう側の石狩川の川の色が違うのが分かります。
千歳川は国道12号線が走る「新江別大橋」を渡った。その後も、石狩川に架かる「美原大橋」までは国道12号線が堤防を兼ねるような形になっているため国道の歩道を歩いた。
※ 千歳川を跨ぐ「新江別大橋」です。(国道12号線が走っています)
※ 石狩川の堤防と国道12号線の歩道を兼ねた道路が「美原大橋」まで続いていました。
※ 美原大橋の手前に「越後村樋門」がありました。
12時50分、形の美しい「美原大橋」に到達した。ここまで歩いた距離は18.1キロに達していたが、足底筋の方はかなり痛みが増してきていた。しかし、ここまで来たら江別へ帰るより前へ進む方が精神的に楽である。石狩川とJR線が比較的近づいている江別の次の駅である「豊幌駅」の延長線上まで進むことにした。「美原大橋」から今度は夕張川を目ざした。
※ シルエットが美しい「美原大橋」です。
これまで左岸には豊平川、千歳川、夕張川と比較的大きな流れが石狩川に注いでいる。この後にも左岸には石狩川に注ぐ川は多い。私が冬の石狩川河岸遡行ときにはそれを避けるために右岸を選択した理由はそこにあった。だからといって今回も同じ右岸を歩くというわけにはいかなかった。左岸はそういう意味では苦労が多いのかもしれない…。
夕張川はすぐにやってきた。その夕張川を渡るのは「江別大橋」である。
※ 夕張川ほ跨ぐ「江別大橋」です。
「江別大橋」を渡った後、石狩川堤防に近づこうとしたのだが、途中で道が無くなったしまった。マップではよく確認できないが、そもそも夕張川と石狩川が合流する付近には堤防が存在しないようだった。しばらく右往左往したのだが、結局国道に戻されて、それからはしばらく国道歩きを強いられた。
※ 江別大橋から「夕張川」を眺めたところです。写真の奥左側に蛇行して石狩川に合流します。
※ 江別大橋を渡ってから夕張川沿いを石狩川を目ざしたのですが、写真の道路はこの後、行き止まりになっていました。
※ 国道12号線はJR線を跨ぐため、写真のような陸橋になっていました。
国道をしばらく歩き、「豊幌」という集落に入ったところでマップには堤防が表示されていたので、そこからまた石狩川堤防戻った。
※ 国道からようやく石狩川堤防に戻ることができた地点の一枚です。
堤防に戻るとやはりホッとする。国道歩きを強いられると「趣旨が違うよなあ~」という気分になってしまう。車の姿が見えない堤防はやはりホッとする。
※ 「赤川樋門」は周辺の水田に引き入れる水の調節をする施設でしょうか?
堤防の横には水田が広がっていた。いよいよ空知の穀倉地帯に入ってきたという思いを強くした。水田の稲は黄金色に色付き、収穫の時期が近いことをうかがわせてくれた。
※ 写真のように刈り取りを待つ実った稲の田が一面に広がっていました。
豊幌駅の延長線上を過ぎたが、特別目印になるものが見当たらない。延長線上をだいぶん過ぎた堤防沿いに大きな建物が見えてきた。
近づいてみると「お茶の水排水機場」と建物には書かれていた。ここをこの日のゴールとすることにした。時計を見ると14時30分だった。
※ 右側の建物の壁に「お茶の水排水機場」と書かれていました。
ただちに引き返して「豊幌駅」へ向かった。折よく15時17分発の札幌行き電車があって、その電車を利用して帰宅した。
この日の歩数は44,504歩 距離28.5キロと出た。けっこうな疲労を感じたが、少しずつ体調が回復している実感を持てた。
ところでゴールした「お茶の水排水機場」という名前が気になった。というのも、江別市には「世田谷」という地区があって、そこは東京の世田谷から入植した方々の地区だということを知っていた。「あるいはお茶の水もやはり東京のお茶の水から移住した人々で開かれた地区ではないか?」との疑問をもった。
ネットなどで調べてみてもよく分からなかった。そこで江別郷土資料館に尋ねてみた。職員の方はいろいろ手を尽くして調べくれたようだ。その結果、私が考えていたような東京のお茶の水とは、どうやら関係がなさそうだった。資料館職員によると、周りは泥炭地で土地を掘ると茶色い水が出てきたことに由来しているらしいとの答えだった。(もう一説あるようだが…)
こうした疑問を解決するのもこの取り組みの楽しいところである。
※ この日、私はJR豊幌駅から電車で帰宅しました。
さらなる楽しみは、自分に課したプロジェクトをいかに攻略するかということに頭をひねる楽しみである。
とりあえず次なる行程をどう攻略するか、である。難しさは石狩川と左岸の町が遠く離れてしまうことである。次に石狩川と左岸の町が接近するのは奈井江町までないのだ。今回ゴールとした豊幌から奈井江町まではざっと計算して50キロは下らない。(一部に堤防のないところもありそうなので、そうなるとさらに回り道を強いられるので距離は伸びてしまう)私の足ではとても一日では無理な距離である。この区間をどう攻略するか?難題であるが何とか解決できないかとあれこれと頭をひねっている。この攻略法を考え出すのが目下の楽しみである。