田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 218 パパが戦場に行った日

2018-09-30 21:15:20 | 映画観賞・感想

 映画はフィクションである。しかし、戦争によって穏やかな日々をおくっていた父娘が引き裂かれてしまうというストーリーである。戦争という営為が名もなき庶民の生活を根底から覆してしまうという愚かさをソフトに訴える作品である。

               

 今日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が主催する「UNHCR難民映画祭2018」が札幌プラザ2・5で開催されたので参加した。

 映画祭は昨日・本日と二日間にわたって開催されたのだが、私は本日のみの参加となって、本日映写された「パパが戦場に行った日」と「ソフラ~夢をキッチンカーニのせて」の2本を観賞した。その一本目のレポである。(明日2本目をレポ)

                

 映画はオランダ監督の制作ということで、仮想オランダが舞台となった映画である。

 オランダのとある街でパン屋を営み平和に日々をおくっていた父娘だったが、国内紛争が勃発し、父は国の命令によって戦場に赴かねばならなくなった。

 娘のトーダは祖母に託されたが、祖母は住んでいるところが危険となってきたため、離婚して隣国に住む母のもとに避難させようとした。

 ところがこの避難(逃避行)が10歳のトーダに大変な試練を与えるという内容である。

 

 私はトーダの逃避行を見ていて、ある既視感を感じていた。帰宅して調べたところ、2014年3月に観た「さよなら、アドルフ」という、やはり小さな子たちが国境を越えて逃避行する映画だった。

 さて「パパが戦場に行った日」の方であるが、少女トーダは苦難の末、幸運にも母と再会し、母から歓迎されるというハッピーエンドで終末を迎える。

          

 世界では今、紛争や迫害によって避難を余儀なくされる人が急増している。そこにある恐怖と苦悩を、今のところ平和な中に暮らす我々日本人がどこまで想像し、彼らの恐怖や苦悩に寄り添えることができるのか、そのことを問われている映画であると思った。


神戸の圧勝! ジャパンラグビートップリーグ

2018-09-29 20:45:42 | スポーツ & スポーツ観戦

 年に一度、札幌においてジャパンラグビーのトップリーグの対戦が実現した。当初は9月8日(土)開催予定だったが、胆振東部地震の影響で本日(9月29日)に延期されて開催した。熱戦を期待したが、神戸の一方的な試合になってしまったのがちょっと残念…。

        

        ※ 会場に掲げられたフラッグ。左から神戸、トップリーグ、宗像のそれぞれのフラッグです。

 本日(9月23日)午後1時から、月寒野外競技場においてジャパンラグビートップリーグの神戸製鋼コベルコスティラーズ vs 宗像サニックスブルースの対戦があった。

 本日は同時間に札幌ドームでコンサドーレの対鳥栖戦があったのだが、ラグビー好きのH氏の強いお誘いにのってラグビーを観戦することにした。

        

        ※ 試合前に整列した神戸製鋼コベルコスティラーズのフィフティーンです。

         

        ※ こちらは宗像サニックスブルースのフィフティーンです。

 神戸製鋼には今シーズン、ラグビー強国のニュージーランドのレジェンドと言われるドン・カーターが入団したことが話題となっており、彼のプレーを見てみたいという思いもあった。ところが…。

 球場に入るとこの日の対戦のメンバー表が配布された。ところがメンバー表をいくら見てもドン・カーターの名前が見当たらないのだ。

 H氏と想像した。ラグビーは消耗の激しいスポーツである。全試合に出場するのではなく、対戦相手を考慮して出場する試合を絞っているようだ。そうすると、宗像は多少戦力が劣るために出場を見合わせたのかもしれない…。だとしたら札幌の者としては残念である。

         

        ※ ラグビーの試合においては重要な意味を持つスクラムでの両チームのせめぎあいです。

        

        ※ スクラムの後は、ご覧のように芝生がめくりあがり、芝の管理者たちは大変ですね。

 試合は残念ながら予想どおり神戸の一方的な展開となった。攻守ともに神戸に一日の長が感じられ、神戸はチャンスをことごとくものにするのに対して、宗像の方はせっかくのチャンスも神戸の厚い防御陣に阻まれるといった展開が終始続いた感じだった。

        

        ※ ボールをめぐって両チームのフォワードが激突しているシーンです。

 結局、神戸は前後半合わせて11トライ、7ゴールを挙げて合計69点を稼いだのに対して、宗像は前半に1トライをあげるのが精いっぱいで、69対5という大差のついた試合となってしまった。

         

        ※ ラグビーのもう一つの特徴、ラインアウトの様子です。ここはサニックスがボールを奪取できたようです。

 ただ見どころはそれなりあった試合だった。観客席とグランドが近いことから、屈強な選手たちのぶつかり合いが目前で展開されるため、時には肉体同士がぶつかり合う音がリアルに耳まで届いたり、選手の激しい息遣いも感じられたりもした。

 また、神戸は試合を有利に進めたことの余裕からか、飛ばしパスやキックパス、はてはワンタッチパス(こんな名前のパスがあるのかな?)を披露し、観客を喜ばせてくれた。

        

        ※ この日のマン・オブ・ザ・マッチに選出された神戸製鋼のアンドリュー・エリス選手です。

 またこの日のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれたのは神戸のキャプテンでSHのアンドリュー・エリスというニュージーランドの選手だった。

 エリス選手はニュージーランド代表のオールブラックスにも選出されてことのある選手で、群を抜くキレで次々とトライを演出する他、自らも3トライを決めるなど圧倒的な存在感だった。

        

        ※ トップリーグ100試合出場を達成し、表彰された今井雄太選手です。 

 続いて、試合後には神戸の今井雄太選手(CTB)がトップリーグ「100試合出場達成」の表彰があった。ちなみにトップリーグで100試合出場達成は75人目ということだ。

 

 少し暑いくらいの秋の陽ざしを受けながら、屈強な男たちの闘いを目前で見ることができた楽しい一日だった。

         

        ※ 試合後、両チームのフィフティーンが集まって今井選手を祝福していました。

※ 気がかりだったコンサもなんとか連敗を阻止し、勝ち点3をゲットしたということで今後に期待を持たせてくれる結果になったことを喜んでいる。


札幌グルメ紀行 38 四季の旨い魚・旨い酒 花凛葉

2018-09-28 20:45:03 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行

 花凛葉と書いて「カリンパニ」と呼ぶそうだ。ある会合の懇親会場のリサーチを兼ねて、ビジュアル的にもインパクトのある「まぐろ中落ち定食」のランチを楽しみに花凛葉に赴いた。

  10月末に私が幹事役となる某サークルの懇親会が予定されている。「どこか相応しいところはないものか?」と探していたところ、某日新聞に「肉や海鮮を堪能しよう!サッポログルメ」なる特集記事が載った。その中で、私たちシニアにとっては好都合なリーズナブルな店を見つけた。それが今回取り上げた「四季の旨い魚・旨い酒 花凛葉」である。

          

          ※ 店のデコレーションが派手過ぎて店名を確認できませんでしたが、よく見るとしっかり店名が描かれていますね。

 その花凛葉の記事の中で、「強烈なインパクトのまぐろ中落ち定食!」という記事が目に留まった。好奇心の塊である私がこの記事を見逃すはずがない。

 私はさっそく某サークルの懇親会場のリサーチを兼ねて「花凛葉」を目ざした。

 

 「花凛葉」は中央区南4西4の商業施設「ラフィラ」の8階の飲食店街に入居していた。派手なデコレーションのエントランスで店名を探すのに苦労した。

 店頭に立っていたスタッフに店の名を確認して入店すると、一人にも関わらず二人席の個室に案内された。(カウンター席などはない?)

          

          ※ 二人用の個室です。今の居酒屋は個室でなければお客さんを呼べないのかな?

 早速私は「まぐろ中落ち定食」(1077円)をオーダーした。

 

 ほどなくスタッフによって定食が運ばれてきた。それを見た瞬間思わず「ワォー!」と声を出したほど、まぐろの中落ちはインパクトがあった。

          

          ※ これが噂の「まぐろの中落ち定食」です!いい絵ですねぇ~。

 スタッフの方は「裏にも肉があります」と親切に助言してくれた。

          

          ※ こちらは裏側です。真ん中の黒いところは血合いでしょうか?この部分は食しませんでした。

 骨からまぐろの肉をこそげ落とすのに大小二つのスプーンが用意されていた。

 そのスプーンを使ってこそげ落とすのだが、初めての経験とあってなかなか上手くはいかない。誰も見ていないとあってマナーなどお構いなしでこそげ落とすのに一生懸命だった。

 けっこうな量の肉を骨からこそぎ落とすことができたが写真を撮るのを忘れたのが残念だった。量的にはまあまあといったところか?

          

          ※ まぐろの肉をこそげ落とした後です。まだまだこそげ方がへたくそですね。

 まぐろの肉は脂ものっており、生臭さも感ずることなく美味しくいただくことができたが、量的にはやや不足気味なこともあって満足度は中くらいか?

 どでかい中落ちをこそげ落とすというエンターテイメント的ランチだったということでOKとしておこう。

 そうそう、懇親会場としては雰囲気も良さそうなので、その場で予約して店を後にした。

 

【四季の旨い魚・旨い酒 花凛葉 データー】
札幌市中央区南四条西4丁目1 ススキノラフィラ 8F

電  話  011-211-0122
営業時間 [ランチタイム]    11:00~16:00
      [ディナータイム] 16:00~23:00

定休日  無休(ラフィラが休業の場合は休み)

駐車場  有(近くのジャンボ1000の駐車場 2時間まで無料)
座 席  100席(2人、4人、6人、8人、10~20人の各個室有)

入店日  ‘18/09/27


絵画をどのように見るか?単に審美眼的ではなく…

2018-09-27 19:17:48 | 講演・講義・フォーラム等

 講師は言う。美術作品としては二級品であっても、歴史資料としては一級品であることがあると…。絵画を単に審美眼的に見るのではなく、複眼的な目で見たときにその絵の奥にある価値に気づくことがあると主張された。 

 本日(9月27日)午後、本年度第7回目となる「ほっかいどう学」かでる講座が開催された。今回のテーマは「絵で見る北海道史~アイヌ絵を中心に~」と題して、北海道立近代美術館の学芸統括官の五十嵐聡美氏が講師を務められた。

 

 五十嵐氏は学生時代から“アイヌ絵”に関心を持っていたということだ。以来30数年にわたって“アイヌ絵”にこだわっているということだった。

 そこで五十嵐氏が提示したのが「小玉貞良(ていりょう)」というアイヌ絵をたくさん残した絵師の絵だった。

 その中から五十嵐氏は、小玉貞良が描いた「アイヌ盛装図」を取り上げた。その絵は次に示すものである。(スライドに映写されたものを撮った写真なので、現物とは違って多少歪みが出ている)

                

               ※ 小玉貞良作「アイヌ盛装図」です。長い刀、長い髭、刀を背負う帯などに注目ください。

 私たち素人が見ると、「あゝ、そんなものか」的な見方しかできないが、専門家が見るとずいぶんとおかしなところがあるという。

 まず、アイヌの男性が背から背負う長刀であるが、よく見ると男の背丈ほどもある長さでとても現実的ではないという。さらには、長刀を背負うための帯のかけ方も反対になっている。

 また、男が被る笠についても当時のアイヌの風俗には適していない。

 そして男の長い髭も、あまりに長く現実的とは思えないところであるという。

 女性の方についても数々の疑問が感じられると五十嵐氏は言った。

           

          ※ 上の図を拡大して映写した図です。

 つまり、画家の小玉貞良はアイヌをまったく見ることなく、伝聞や他の絵の模写、あるいは誇張、省略などによって描かれたものと判断できるという。

 この絵を含め、小玉貞良は多くの“アイヌ絵”を残しているが、それはアイヌとの交易を盛んに行っていた近江商人からの依頼で描いたという。

 近江商人にとっては、豊富な蝦夷の産物を商機ととらえ、アイヌを世の中にPRするために絵を描かせたのではないか、と五十嵐氏は推測した。(だから近江商人にとっては絵の正確さ云々はあまり問題ではなく、世の人たちに興味関心を抱かせるものであれば良いという思いが透けて見えるのである)

 

 次に“アイヌ絵”としては最も知られているのは蠣崎波響描くこところの「夷酋列像」である。蠣崎の「夷酋列像」はその繊細かつ超リアリズム的描写が当時は大きな反響を呼んだという。私も数年前に北海道博物館で目にすることができたが、その見事な描写に感嘆したことを憶えている。

               

               ※ 「夷酋列像」の中でも特に有名なイコトイの図です。

 その「夷酋列像」も研究者の目から見ると、さまざまな疑問が浮かび上がってくるという。一つはそれぞれのアイヌが豪華の衣装(蝦夷錦)を纏っていることである。また、下肢にはアイヌには考えられないタイツ様のものを身につけたり、ブーツを履いたりしている。

 さらには、そのポーズにも不自然さを感ずるという。

 それらは全て蠣崎の中で考えられたことであり、蠣崎が過去に習作のために模写したものを応用したりしているということだ。

 その目的は、蠣崎が家老を務める松前藩の健在ぶりを幕府にPRするために描かれたという。

                

               ※ こちらは威風堂々と見えるツキノエです。(二つの絵ともウェブ上から拝借)

 その他にも数点の“アイヌ絵”が提示され、それぞれがある目的をもって描かれていたことを五十嵐氏は指摘した。

 ことほど左様に、“アイヌ絵”に限って言えば、絵としての価値も大切だが、それ以上にその絵の裏に隠されているさまざまな背景をあぶり出し、歴史資料としての価値を見い出せるとした。

 そういえば定期購読している月刊文藝春秋誌の「中野京子の名画が語る西洋史」もさまざまな絵の背景を語ってくれて楽しい。絵画を鑑賞するうえで、新たな視点を得られた思いである。


さっぽろの古を訪ねて 最終講終了!

2018-09-26 18:59:51 | 「めだかの学校」関連

 私たち「めだかの学校」のプロジェクト〇(ゼロ)が企画実施している野外講座「さっぽろの古を訪ねて」はこのほど最終講座(第6講)を無事終了することができた。幸いにして最終講も受講者から高い評価を受けて終えることができた。

           

          ※ エドウィン・ダン記念館に入ろうとしている受講者たちです。

  9月24日(月・祝)午後、「めだかの学校」の野外講座の最終講(第6講)は、真駒内の「エドウィン・ダン記念館」を会場にして実施した。

 今回はこれまでとは若干趣を異にしてお雇い外国人であったエドウィン・ダンに焦点を当てて企画した。エドウィン・ダンは「北海道酪農の父」と称され、酪農王国北海道の礎を築いた人として知られる人である。その業績を後世に語り継ぐために、当時の事務所を記念館として残したのだ。

 私たちが野外講座として現地学習をするうえで格好の施設だったことから、今回の見学施設先としたのである。

          

          ※ 一木万寿三の絵を見ながら職員が説明する言葉に聞き入る受講者たちです。

 今回の野外講座は、私たちが想定していた以上に上出来の講座となった。

 その要因は一にも、二にも、記念館職員の方の説明の仕方にあった。

 エドウィン・ダン記念館は、ダンが拓いた種畜場の模型やダンゆかりの遺品なども展示されているが、主たる展示は画家・一木万寿三(いちき ますみ)によるダンの生涯を描いた23枚の油絵の展示が記念館全体を占める。

          

          ※ 一木万寿三の描いた油絵の一つ。エドウイン・ダンが明治天皇などの前で農機具を用いて収穫する様子を描いた図です。(HPより)

 その絵画を用いて、職員は豊富な知識をもとに、きめ細かく丁寧に私たちにダンの人となりを語ってくれた。それはもう圧巻と称しても言い過ぎではないほどであった。

 事後のアンケートにおいて受講者も私と同じ感想を持った方が多かった。

           

          ※ 受講者に丁寧な説明をするエドウイン・ダン記念館の職員の方です。

 エドウィン・ダン記念館は、真駒内の「エドウィン・ダン記念公園内」の一角に建っているのだが、その他に公園内にはエドウィン・ダンの立像、そして牧場用水路としてダンが掘削を指導した「真駒内用水路」が残されている。これらについても記念館職員はていねいに説明してくれた。

               

               ※ エドウィン・ダン記念公園内に立つダンの立像です。(HPより) 

 こうした記念館職員の素晴らしい説明もあって、事後アンケートはこれまで以上に好評を得たものとなった。具体的には次のとおりである。

 まず回収率が凄い。参加者25名中21名が協力してくれた。未提出は私を含めた主催者側の人間ではないかと思われる。その結果は…。(評価は5段階評価で実施した)

   Q1.本日の講座全体の満足度はいかがでしたか?

     評価5 → 20人   評価3 → 1人

 Q2.講座の運営についてはいかがでしたか?

     評価5 → 20人   評価3 → 1人

 Q3.ガイドの説明はいかがでしたか?

     評価5 → 20人   評価3 → 1人

          

          ※ エドウィン・ダンが残した言葉として紹介されました。「BE FRONTIER」

 これはもう手前みそながら、お一人を除いてフルマークという素晴らしすぎる評価である。

 自由表記の感想欄も主催した側への労いの言葉がほとんどを占めた。

 素人ながら懸命に準備して実施したことが報われた思いである。

 しかし、こうした評価は私たちに別な思いをもたらしてくれる。それは、「次年度はどうしようか?」という問題である。期待を裏切りたくない、という思いが重圧となってのしかかってくる。

 最終回を終えるとき、私たちの代表が「さっぽろの古を訪ねては来年も続けられるでしょう」と宣言してしまった。さあ、どうしょうか?私たちの新たな悩みが始まった…。

          

          ※ 職員からのサプライズで、名寄で作っているダンを記念した菓子を取り寄せて受講者に配布してくれました。

                1876というマークは、ダンが札幌の地に足を踏み入れた年を表しています。


道新フォーラム 現代への視点2018

2018-09-25 22:02:29 | 講演・講義・フォーラム等

  三人の論客(保阪正康氏、姜尚中氏、加藤陽子氏)が今後の日本、北海道のあり方について多岐にわたって論じるフォーラムは知的興奮を禁じ得ないものだった。特に北海道について論じた点は傾聴に値する内容だった。

 

 922日(土)午後、北海道新聞社主催の道新フォーラム「現代への視点2018~歴史から学び、伝えるもの~」が道新ホールで開催され昨年に続いて参加した。

 このフォーラムは主論客であるノンフィクション作家の保坂正康氏を中心として10回目を数えるということだが、今回が最終回とのことだった。

 今回のフォーラムの内容は、はじめに論客三人がそれぞれ30分間講演を行い、その後その三人の方々が同席されて話し合う(トークセッション)というものだった。

 

 三人の方々の講演のテーマは次のとおりである。

 ◇保阪 正康 氏(ノンフィクション作家) 

   「天皇退位と新しい日本、そして北海道」

          


 ◇加藤 陽子 氏(東京大学大学院教授)

   「北海道の位置づけを歴史的に考える」

          

          

 ◇姜  尚中 氏(東京大学名誉教授) ※ カン・サンジュン

   「名もなき人々の歴史の記憶とその軌跡~明治維新150年に」

           

 三人のお話を伺っていると、さまざまな社会事象等について自分の勉強不足を痛感させられる。さまざまな事象がいかに関連性をもって生じてきているかをそれぞれの方が鋭く指摘した。

 ここでは私が三人の方々の講演内容を私ごときが要約することは敢えて断念し、詳しい内容については10月初旬に北海道新聞に掲載される記事に委ねることにする。

 

 ここで三人のお話、そしてトークセッションから北海道について論じた点についてのみ、私の感想を交えながらレポートしてみたい。

 保阪氏は北海道の精神的な自立を促す発言が多いように感じた。また、姜氏も北海道の独自性、アイデンティティを確立することを促した。一方で加藤氏はやや論を異にし、中央にもっと物申すことの重要性を指摘した。

 

 私は今年、「めだかの学校」の中で講座を起ち上げるにあたって、北海道開拓時代の書物にいろいろとあたる経験をした。その中で、北海道の開拓にあたって国の考え、国の資金によって北海道の開拓が進められてきたことをあらためて知ることができた。そうした国中心の考え、国の資金に頼るという歴史が長かったことによって、私たち道民にはそうした思考方法が染みついてしまったのではないか、との思いを抱くようになった。

 自分たちの住む地域のことを、自分たちの力で興していく、そして生起した課題も自分たちで解決していく、というある意味での独立性が大切なのではないかと語った保阪氏、姜氏の考えに私も同意したい思いである。

 

 ただ、国は“地方創生”と叫びながら、必ずしもそういう方向を向いていない、という指摘が気になったが…。

 


コンサに暗雲?今季初の無得点2連敗

2018-09-24 16:20:57 | スポーツ & スポーツ観戦

 好調だったコンサドーレが足踏みを続けている。前週の対川崎戦の大敗に続き、昨夜の鹿島戦でもなすすべなく敗れた。2試合共に得点を取れぬままの連敗である。なんとか反転攻勢のキッカケを掴んでほしいのだが…。

 ※ コンサの投稿の場合、いつも会場内の写真が多いので、今回は場外の写真も織り込んでみた。

          

          ※ 夕闇迫る中、ドームへ急ぐサポーターたちです。

          

          ※ この日は屋外テラスが開放されていて、テラスで食事を楽しむ人もいました。

          

          ※ 屋外は少し肌寒かったせいもあって、人影はイマイチという感じでした。

 昨夜(9月23日)、コンサドーレのホーム戦:対鹿島アントラーズ戦があり、私としては一か月ぶりに札幌ドームに足を運んだ。

 強豪の鹿島戦とあってコンサのサポーターも気合が入ったのか21,000人超が詰めかけた。

 鹿島からもかなりの数のサポーターが駆け付けていた。

          

          ※ 熱狂的なサポーターが集うゴール裏から、バックスタンドにかけては観客席がびっしりと埋まっていました。

          

          ※ 鹿島から駆け付けた(?)熱心なサポーターでアゥエイ席も満員の状況でした。

          

          ※ いつものように後半途中でこの日の入場者数が発表になりました。 

 試合の方だが、0対2であえなく敗戦の結果となった。

 前節の対川崎戦に0対7と屈辱の敗戦を喫したコンサイレブンの奮起に期待したのだが、そうは簡単にはいかないのがJ1である。

 私が観るかぎり、コンサは鹿島に翻弄されていたように見えた。

 ボールはある程度持たせてはくれるものの、チャンスらしいチャンスを作らせてくれないのだ。私が観ていたかぎり、「あるいは?!」と思わせてくれたシーンはわずか2度ほどだった。

 それに対して鹿島は何度もチャンスを作り、そのうちいくつかはコンサGKのク ソンユの美技に助けられていたが、それにも限度があった。

 スコアは0対2だが、試合としてはもっと差がついてもおかしくないような試合内容と私には映った。

           

          ※ 試合中の唯一の写真、キックの名手:福森選手がCKを蹴ったところです。白い影がボールの軌跡です。

 う~ん。これはどうしたことだろうか?

 今季のコンサはチームが変わったかのように快進撃を続けてきた。今季これまでに2連敗は一度だけあった。それはロシアWC休戦を挟んだ2試合を連敗している。しかし、その時は負けても1対2の敗戦で得点はしているのだが、今回の2連敗は無得点で試合内容的にも惜敗ではなく、完敗の2連敗である。

 ちょっと心配である。

 ポジティブに考えれば、この2連戦の対戦相手が川崎、鹿島と常にJ1の上位を争っている強豪チームだったことから「仕方ない」という見方ができるということだろう。

 ただ、あわよくば3位以内に入ってACL(アジアチャンピオンズリーグ)の出場権を得るという夢がコンサイレブンにはあった。その夢が遠のいたというのが昨日の敗戦だった。

          

          ※ 試合前のドーム内の様子です。テラスより買い物する人で賑わっていました。

          

          ※ こちらは二階のコンコースにある食品を販売するブースです。 

 昨日の敗戦でコンサは4位から7位に転落した。

 ここは現実的に目標をベスト5くらいにおいて残り7戦を戦ってほしいと思う。

 とりあえず次節(9月29日)は現在15位と最下位に低迷する鳥栖戦を確実に勝利して、悪夢を一掃し、調子を取り戻してほしいと切に願いたい。

 鳥栖戦もホーム戦なので観戦に駆け付けたいが、29日は友人に誘われてラグビートップリーグの観戦予定のため、コンサの健闘を月寒屋外競技場から祈りたい。

          

       ※ コンササポーター席には「北の大地は屈しない。俺達はこれからも愛する北海道と共に生きる」というメッセージが掲げられました。


石狩川遡行河岸トレッキング 3 後編

2018-09-23 13:25:48 | 石狩川河岸遡行トレッキング(夏バージョン)

豊平川河口 ⇒ 豊幌 トレッキング月日 ’18/09/12

 

 午後からは足底筋の痛みと疲労に耐えるトレッキングだった。そして、はたしてどこまで行けるのか、明確なゴール地点を設定しないままできるだけ距離を稼ごうとの思いで脚を前へ進めた。しかし、体調の回復も感じることができたトレッキングだった。

 早めの昼食を摂り、11時45分リスタートした。

          

          ※ 「石狩大橋」を過ぎた後の堤防道路は砂利道へと変わった。堤防右側が王子製紙江別工場だけのため車が通らない?

 「石狩大橋」から千歳川が石狩川に注ぐところまでは石狩川と「王子製紙 江別工場」の敷地に挟まれた堤防を進んだ。

 この区間は堤防が石狩川に近いため、石狩川を絶えず左に見ながら進んだ。

          

          ※ 写真のように石狩川の水面がはっきり見えたのは河口からスタートして初めてだと思う。

 そして「王子製紙 江別工場」の大きな工場施設が堤防右側の敷地を埋めていた。

          

          ※ 王子製紙 江別工場の巨大な工場施設が並んでいました。

 やがて千歳川が石狩川に注ぐところに到達した。面白かったのは千歳川と石狩川の両方の川の色が違っていたことだ。千歳川の方が緑色が濃かったようだが、原因は何だろうか?

          

          ※ 石狩川(向こう側)から千歳川に向かってボートが走ってきました。

          

          ※ 写真がボケていますが、手前の千歳川と向こう側の石狩川の川の色が違うのが分かります。

 千歳川は国道12号線が走る「新江別大橋」を渡った。その後も、石狩川に架かる「美原大橋」までは国道12号線が堤防を兼ねるような形になっているため国道の歩道を歩いた。

          

          ※ 千歳川を跨ぐ「新江別大橋」です。(国道12号線が走っています)

          

          ※ 石狩川の堤防と国道12号線の歩道を兼ねた道路が「美原大橋」まで続いていました。

          

          ※ 美原大橋の手前に「越後村樋門」がありました。

 12時50分、形の美しい「美原大橋」に到達した。ここまで歩いた距離は18.1キロに達していたが、足底筋の方はかなり痛みが増してきていた。しかし、ここまで来たら江別へ帰るより前へ進む方が精神的に楽である。石狩川とJR線が比較的近づいている江別の次の駅である「豊幌駅」の延長線上まで進むことにした。「美原大橋」から今度は夕張川を目ざした。

          

          ※ シルエットが美しい「美原大橋」です。

 これまで左岸には豊平川、千歳川、夕張川と比較的大きな流れが石狩川に注いでいる。この後にも左岸には石狩川に注ぐ川は多い。私が冬の石狩川河岸遡行ときにはそれを避けるために右岸を選択した理由はそこにあった。だからといって今回も同じ右岸を歩くというわけにはいかなかった。左岸はそういう意味では苦労が多いのかもしれない…。

 夕張川はすぐにやってきた。その夕張川を渡るのは「江別大橋」である。

          

          ※ 夕張川ほ跨ぐ「江別大橋」です。

 「江別大橋」を渡った後、石狩川堤防に近づこうとしたのだが、途中で道が無くなったしまった。マップではよく確認できないが、そもそも夕張川と石狩川が合流する付近には堤防が存在しないようだった。しばらく右往左往したのだが、結局国道に戻されて、それからはしばらく国道歩きを強いられた。

          

          ※ 江別大橋から「夕張川」を眺めたところです。写真の奥左側に蛇行して石狩川に合流します。

          

          ※ 江別大橋を渡ってから夕張川沿いを石狩川を目ざしたのですが、写真の道路はこの後、行き止まりになっていました。

          

          ※ 国道12号線はJR線を跨ぐため、写真のような陸橋になっていました。

 国道をしばらく歩き、「豊幌」という集落に入ったところでマップには堤防が表示されていたので、そこからまた石狩川堤防戻った。

          

          ※ 国道からようやく石狩川堤防に戻ることができた地点の一枚です。

 堤防に戻るとやはりホッとする。国道歩きを強いられると「趣旨が違うよなあ~」という気分になってしまう。車の姿が見えない堤防はやはりホッとする。

          

          ※ 「赤川樋門」は周辺の水田に引き入れる水の調節をする施設でしょうか?

 堤防の横には水田が広がっていた。いよいよ空知の穀倉地帯に入ってきたという思いを強くした。水田の稲は黄金色に色付き、収穫の時期が近いことをうかがわせてくれた。

          

          ※ 写真のように刈り取りを待つ実った稲の田が一面に広がっていました。

 豊幌駅の延長線上を過ぎたが、特別目印になるものが見当たらない。延長線上をだいぶん過ぎた堤防沿いに大きな建物が見えてきた。

 近づいてみると「お茶の水排水機場」と建物には書かれていた。ここをこの日のゴールとすることにした。時計を見ると14時30分だった。

          

          ※ 右側の建物の壁に「お茶の水排水機場」と書かれていました。

 ただちに引き返して「豊幌駅」へ向かった。折よく15時17分発の札幌行き電車があって、その電車を利用して帰宅した。

 この日の歩数は44,504歩 距離28.5キロと出た。けっこうな疲労を感じたが、少しずつ体調が回復している実感を持てた。

 ところでゴールした「お茶の水排水機場」という名前が気になった。というのも、江別市には「世田谷」という地区があって、そこは東京の世田谷から入植した方々の地区だということを知っていた。「あるいはお茶の水もやはり東京のお茶の水から移住した人々で開かれた地区ではないか?」との疑問をもった。

 ネットなどで調べてみてもよく分からなかった。そこで江別郷土資料館に尋ねてみた。職員の方はいろいろ手を尽くして調べくれたようだ。その結果、私が考えていたような東京のお茶の水とは、どうやら関係がなさそうだった。資料館職員によると、周りは泥炭地で土地を掘ると茶色い水が出てきたことに由来しているらしいとの答えだった。(もう一説あるようだが…)

 こうした疑問を解決するのもこの取り組みの楽しいところである。

           

          ※ この日、私はJR豊幌駅から電車で帰宅しました。

 さらなる楽しみは、自分に課したプロジェクトをいかに攻略するかということに頭をひねる楽しみである。

 とりあえず次なる行程をどう攻略するか、である。難しさは石狩川と左岸の町が遠く離れてしまうことである。次に石狩川と左岸の町が接近するのは奈井江町までないのだ。今回ゴールとした豊幌から奈井江町まではざっと計算して50キロは下らない。(一部に堤防のないところもありそうなので、そうなるとさらに回り道を強いられるので距離は伸びてしまう)私の足ではとても一日では無理な距離である。この区間をどう攻略するか?難題であるが何とか解決できないかとあれこれと頭をひねっている。この攻略法を考え出すのが目下の楽しみである。


石狩川遡行河岸トレッキング 3 前編

2018-09-22 19:13:59 | 石狩川河岸遡行トレッキング(夏バージョン)

豊平川河口 ⇒ 豊幌 トレッキング月日 ’18/09/12

 

 確たる意味を見出せない石狩川河岸トレックであるが、私の中では一つの目標を見いだせたことで、今後時間を見い出しながら石狩川に通いたいというキッカケができた思いだ。登山ほどの負荷がかからない堤防トレッキングは体力的に厳しい今の私には最も相応しいアウトドアスポーツと思っている。

 朝、札幌ターミナル6時45分発の江別行のバスに乗って石狩川を目ざし、「新石狩大橋」停留所で降り立った。

 空は晴れてはいるものの雲の量もけっこう目立つ天気だった。体調は万全とは言い難いが、平坦な道の堤防トレッキングなので何とか耐えることができるだろうとの思いだった。

 この日はまず、前回のゴールに定めた豊平川が石狩川に合流する豊平川河口まで遡行とは反対に下流に向かって約5キロ戻らねばならなかった。その豊平川河口に向かって「新石狩大橋」を7時30分スタートした。(この豊平川河口へ向かっての行程は、同じところを折り返すためレポは折り返してからのものとする)

          

       ※ この日のスタート地点の「新石狩大橋」は、新しい橋の造成中で、左側が新しい橋(開通前)と右側に現在使用中の橋があった。

 スタートから1時間10分後、豊平川河口付近に到達したことをスマホのGPSが示していた。しかし、二つの川が合流するところまで行くには灌木の中を進まねばならないのだが、どこをどう行けばよいのかさっぱり分からない。灌木が厚く覆っていて、湿地帯も広がっているように見える。

 その時、助けの神が現れた。近くに堤防の管理をしているらしい業者の方がいた。私は「この先、合流しているところまで行くことはできませんか?」と尋ねたが「いやー、この先へ行くのは無理だねぇ」との答えだった。無理はできない。ここを合流点として、遡行のスタートを切った。

          

          ※ 豊平川河口付近で作業をしている業者の方がいて、アドバイスをいただいた。

          

          ※ 豊平川と石狩川の合流点(豊平川河口)は、写真右手奥の方向だとGPSは教えてくれた。

 スタートを切った辺りは豊平川の河口部分に当たるが、聞いたところ泥炭地帯のようである。辺りは灌木や雑草が繁茂し、畑らしいものは見えなかった。

 しばらくして畑のように整地されたところが現れたが、それは牧草地だった。作物の作るには不適で、牧草を育てて乳牛を飼っている牧場が多いようだ。

          

          ※ 河口付近は泥炭地のためか、ほとんど牧草地帯だった。

          

          ※ 石狩川の向こうには、江別市のクリーンセンターの建物が望見できた。

 堤防の石狩川側を見てみると、斜面の草を刈り取って、それをロール状にしたものが沢山転がっていた。堤防沿いの雑草も上手に牧草として利用しているようだ。

          

          ※ 堤防の内側の斜面の雑草を刈り取って、それで牧草ロールを作っていた。

 途中に樋門があったが樋門名が記されていなく何という樋門かは不明である。

          

          ※ かなり大きな樋門であるが、その名称は不明だった。

 また、頭上を高圧の送電線が通っていた。冬の石狩川河岸遡行では周りが真っ白のため目印となるものがない中では、こうした樋門や送電線が現在地を知る手掛かりとなるだけに貴重であるが、雪のない今は周りにさまざまな光景が展開されるため現在地の把握に困ることはない。

          

          ※ 頭上を送電線が走っていたが、冬のトレッキングでは有力な目安となる。

 樋門のあったところで、この日初めて石狩川の流れを少しだけ確認することができた。石狩川のような大河になると、堤防から河原までの距離も長く、なかなか水面を見ることができないのが石狩川河岸を遡っている者としては辛いところがあるが仕方あるまい。

          

          ※ 石狩川の流れはほとんど目にできないが、樋門付近でちょっとだけ顔を出してくれた。

 そうしているうちに行きと同じく約1時間10分で「新石狩大橋」のところまで還ってきた。「新石狩大橋」は現在新しい橋を建設中で、現在使用中の橋と二つの橋が並列して並んでいた。

          

          ※ 「新石狩大橋」は国道275号線が走っているためか交通量が多い橋である。

 「新石狩大橋」の袂で一休みした後、「石狩大橋」を目ざしてスタートした。

 ここからの堤防は、隣を走る道路との高低差も小さなため、堤防の道というよりは公園の中を通る道のように周りに木々が植わっていて心地よいトレッキングとなった。

          

          ※ 堤防道路といった感じのしない堤防道路です。

          

          ※ 堤防道路上には時々このように数字が大書されていました。ヘリコプターなどなどが位置を確認するためでしょうか?

 堤防の反対側は江別市の工業団地のようにさまざまな企業や工場が立ち並んでいた。

          

          ※ 堤防横には多くの工場が立ち並んでいました。

 さらに堤防内には市街地が近づいたことを示すように野球グランドやサッカー場が展開していた。

          

          ※ 堤防内には江別市内が近いとあって、野球グランドやサッカーグランドが広がっていました。

 「新石狩大橋」から45分後の11時25分に「石狩大橋」に到達した。

          

          ※ 「石狩大橋」です。

 晴れてはいたが風がやや強く暑さはほとんど感じなかった。足の方は歩くたびに足底金に鈍痛が走るようになってきた。

 昼には若干早かったが、橋の傍に水位観測所の小さな建物があり、ちょうど日陰になるところもあったので昼食ポイントとした。

          

          ※ 石狩川の水位を観測する小屋のようです、階段のところに日陰ができていたので昼食ポイントとしました。

                                (ここから後半は明日後編として綴ることにします)

 


日露交歓コンサート2018

2018-09-21 18:30:20 | ステージ & エンターテイメント

 ロシア国内の音楽教育機関としては最高の権威を持つと言われる「チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院」で学んだ卒業生や教授陣で構成するロシアの音楽家たちによるコンサートを聴く機会があり、レベルの高い音楽を楽しんだ。

               

 9月18日(火)夜、国際音楽交流会が主催する日露交歓コンサート2018がかでるホール(道立道民活動センター)で開催され、友人がチケット(入場整理券)を手配してくれたこともあった聴く機会を得た。

 ロシアから来日した音楽家たちは7人だった。

 その内訳は、チェロ、ヴァイオリン、ピアノ(二人)、バラライカ、テノール、ソプラノという陣容、さらに札幌会場のゲストとして札幌大谷大学の谷本聡子(ピアノ)、河野泰幸(クラリネット)という講師陣が加わり、数々の楽曲を披露してくれた。 

 確かな技量から奏でられる音はどの曲も素晴らしいものだった。ただ、音楽にそれほど詳しくない私にはふだん札幌で聴く音楽家たちとの違いを明確には聞き分けることはできなかった。演奏してくれた音楽家たちには申し訳ないが、それだけ日本の音楽家の技量が向上しているということなのかもしれない、と考えたのは素人ゆえの思い違いか?

 

 反対に明らかに素晴らしいと思えたのは二人の声楽家たちの歌声である。テノールのレオニード・ボムステイン氏も、ソプラノのナターリャ・スクリャービナ氏も、どちらも日本の声楽家たちと比べると一日の長があると思えたがどうなのだろうか?

               

               ※ ソプラノのナターリャ・スクリャービナさんと、ピアノ伴奏は札幌大谷大の谷本聡子さんです。

 また、モスクワ音楽院で教鞭をとるキリル・ロディン氏が奏でるチェロの超絶技巧には目を(耳を?)見張らされた。

 さらにはふだん聴くことのできないニキータ・ゴヴォロフ氏のバラライカの演奏も興味深いものだった。

           

 友人に紹介されるまでコンサートの存在を知らなかった私だが、心豊かなひと時を過ごすことができたコンサートだった。

 

 ※ この種のコンサートでは珍しく写真撮影についてNGが出なかった。それでもカメラを取り出せなかった私だが、コンサートの最終盤になって日露合同の演奏があったときに2枚だけ写真を撮らせてもらったのが掲載した2枚である。