目ざした映画が満席だった。しかたなく観た映画だったのだが…。大して優れているとは思えない映画なのだが、私は映画を観ながら涙していた。何故なのだろう?その理由が分からなかった…。その理由を考えてみたいと思った…。
本日(月)、以前から観たいと思っていた今年のアカデミー賞作品賞の「それでも夜は明ける」を観賞するためシネマフロンティア札幌に出かけた。ところが!チケットを購入する寸前で満席となってしまった。
素直に帰宅しようと思ったのだが、何か気になる映画はないだろうか?とラインナップを眺めたところ、微かに引っかかったのがこの「銀の匙」だった。
引っかかった、といっても「どこかで聞いたことがある」程度のことで、「銀の匙」という題名に引っかかったと言った方がよいかもしれない。
映画は若者から圧倒的(?)な支持を得ている漫画が原作ということだ。
舞台は北海道の農業高校である。
主人公・八軒勇吾(中島健人)は有名進学校への受験に失敗し、親からは離れたいということもあって、札幌から離れた全寮制の大蝦夷農業高校に進学した。
酪農の実習を通しながら、ひ弱だった勇吾が徐々に逞しく成長する姿を描いたものだが、どことなくベタなストーリー、勇吾、そして相手役・御影アキ(広瀬アリス)も含めて若手役者の拙い演技、と気になることが多かったのに、映画の後半になって私は涙していたのだ。
涙したのは何故なのだろう、と考えてみた。
映画を観終わってから、今現在までずーっと考えているのだが、明確な答えは見つかっていない。そこで無理して屁理屈を考えてみると、都会育ちで酪農のことも何も分からなかったひ弱な勇吾が雄大な北海道の自然とそこで逞しく生きる同級生たちとの交流を通して、勇吾自身が逞しく変わっていく様を画面を通しながら実感することができたからだろうか?
実感するとは、北海道の雄大な自然にはそうした力が確かに宿っていると私自身が確信しているからだ。
そう考えると、拙い演技と思えた中島健人や広瀬アリスたちの健気にも見える演技までもが好ましく映ってくる。
もっとも、歳のせいで単に涙腺が緩くなっただけ、ということなのかもしれないが…。
観客は圧倒的に若い女性が多かったようだが、北海道の魅力を知っているおじさんにも十分に楽しめる映画だと私は思う。
ところで「銀の匙」という題名についてだが、それは学校の寮の一角に飾られている。その意味について映画の中では「農家に産まれた子は、銀の匙をくわえて産まれてきたようなものであり、一生食べることへの心配はない」という意味のように描かれている。確かにそうした時代もあったのかもしれないが、現実にはどうだろうか?映画の中でも借金が重なった末に離農しなければならなくなった同級生の家庭も描かれている。
原作者(荒川弘)はその点について明確には触れていないとも聞く。果たして本音はどうなのだろうか?
3月28日(金)午後、かでる2・7において道民カレッジに学ぶ人たちを対象にした「学習成果実践講座 in 札幌」が開催されたが、初めて参加することができた。
講座は基調講演とパネルディスカッションの2部構成になっていた。
基調講演は、道民カレッジの立ち上げに関わり、カレッジの運営委員長も長らく務められたという北大名誉教授の町井輝久氏が「道民カレッジへの想い」と題されて話された。
町井氏は道民カレッジをはじめとして国内各県で実施されている県民カレッジの現状と課題について触れるとともに、「学ぶ」ことの意味についてお話された。
ここでは、その「学ぶ」ことの意味について話されたことについてレポートしたい。
町井氏は、「学ぶ」ことは対象を理解することであり、対象の立場に立って考えることだという。そして、理解することによって対象に対して親近感を抱くようになるということだ。
また、理解するためには疑問を持つことが大切であり、理解したことを自分にとっての意味付けすることも大切であるという。
話を聞きながら「なるほど、なるほど」と納得する思いだった。
さらに町井氏は、「ともに学ぶ」という共同の学びが大切だとする。それは「他者視点取得能力」を獲得することができるからという。
共同の学びにおいて、他者の考え方を知ることを通して自己の考え方を振り返り、より思考を発展させることができるとした。
ここで町井氏はヴィゴツキーの「思考の高次化は他者との交流の中で起こる。これが思考の発達の本質」という言葉を紹介してくれた。
私の道民カレッジでの学びでは、この「ともに学ぶ」点が欠けているかなぁ、と思いながら話を聴いていた。
最後に町井氏は「利己心をはぐくむ学び」ということを紹介された。
学び続けることによって人は「利己心」が育まれる。いや育まねばならないということだろうか?そうした人間として成長できるよう、これからも学び続けなさいということのようだ…。
泥沼のような内戦を続けているシリアにおいて、犠牲となっているのは戦いとは直接関係のない多くの市民である。戦いの地を離れ、トルコの難民キャンプに避難したシリア人へのインタビューを試みたドキュメンタリーフィルムである。
※ 顔を覆ったままでインタビューに応じる避難民です。
3月26日(水)夜、FREEDOM GRASSESという団体が主催する「いま、シリアで何が起こっているのか?」と題する映画上映 & 講演会が開催され、友人の誘いを受け参加した。
シリアの内戦は、ご存じのように2011年にアラブ世界に巻き起こった「アラブの春」に呼応するように反政府運動が起こった。このことに対して、アサド政権が武力で鎮圧を図ったことで反政府勢力も武力で対抗したことから内戦に陥ったのだが、その後対立の構図が複雑となり、解決の糸口さえ見えない状況にあることは新聞報道などで承知している方が多いと思う。関係者の言では「もうぐちゃぐちゃの状態だ」という。
映画は現在のような複雑な状態に至る前の2012年1月に撮影されたものである。つまり撮影された時期は、政府軍が武力鎮圧を図ることに対して、反政府勢力はまだ非暴力の民主化運動に望みを託していた時期である。
インタビューは、家族や友人たちが殺されるのを目の当たりにして武器を手にすることを決意した若者や、政府軍から離反し反政府軍に加わった男性たち、家や装飾品を売り反政府軍に資金提供する女性など、何らかの方法で内戦に関与した人たちや、暴力や抑圧から逃れて、平和に暮らすことを望む数多くの人たちにも話を聞いている。
この映画は国の民主化を非暴力の形で実現することを願う一人の女性監督(イアラ・リー監督 コリアン系ブラジル人)の視点で描かれた映画である。
この映画を観ただけで、あるいはシリアから遠く離れた日本の中で少ない情報を得ただけで、コトの是非を判断することは留保したい。ただ、戦いの中で紛れもなく多くの市民が犠牲になっているということは事実である。
非難した多くの人たちの行き所のない怒りや悲しみを見るとき、何時になっても争いごとを止めようとしない、そして行きつく先が暴力とは…。人間とは何と愚かな生き物なのだろうと思ってしまう。
と嘆いているだけではダメだとお叱りを受けそうだ。
映画の後に講演をしたJIM-NET(日本イラク医療支援ネットワーク)の佐藤真紀さんのように現地で負傷した人たちを懸命に支援している人たちがいる。そうした方々を後方から応援していくことが今私たちに求められていることなのだと思った…。
3月15日(土)午後、札幌国際プラザにおいて北海道ユニセフ協会20周年事業講演会としてマサイ族のジャクソン・オレナレイヨ・セイヨさん、その奥さんの永松真紀さん、そしてケニアでフリーのライターをしながらスラム住民の支援活動を続ける早川千晶さんの三人を招いての講演会が開催された。テーマは「ケニア・マサイ族の新たな挑戦~この地球と子どもたちの未来を語ろう~」だった。
※ ケニア・ナイロビでの活動について語る早川千昌さんです。
講演は最初に早川千晶さんがケニア・ナイロビ最大級のスラム街で孤児・ストリートチルドレン・貧困児童のための寺子屋「マゴソスクール」の運営状況について話された。スクールは2005年児童数24人から始めて、今では500人を超える児童が学んでいるという。卒業生の中にはその後運営スタッフに加わった者もいて手応えを感じているとのことだった。
※ マサイ族の生活について語るジャクソンさんと永松真紀さんです。
続いて民族衣装をまとったジャクソンさんと、ケニアで添乗員を務めていてジャクソンさんのところへ嫁いだ永松真紀さんが登場し、マサイ族の生活などについて話された。
私たちにとっては非常に興味あるマサイ族の生活の様子がたくさん話されたのだが、その中から特に印象的な事柄をいくつか紹介する。
まず、マサイ族の主食が牛乳だというのには驚いた。成人男性で一日に実に5~6リットル飲むという。その他には家畜の肉と牛の血が主な食事であり、野菜などは手に入らないこともあり摂らないということだ。
マサイ族の生活は牛と共に生きる牧畜民族で、一家で数百頭の牛を飼育しているそうだ。そしてマサイ族の男たちは牛とコミュニケーションが取れるという。ジャクソンさんが実際に口笛を自在に吹いてその実例を示してくれた。
また、マサイ族の男たちは一生を4つのステージに分けて生きるという。その4つとは、第一期が少年の時代、第二期が戦士の時代(修業の時代)、第三期が成人の時代、そして第四期が長老の時代、だという。長老は部族の生活の全てに長じており、伝統儀式を司る存在で、部族の皆から尊敬されているという。
そうした伝統的な牧畜生活、そして伝統儀式を守ってきたマサイ族だが、人口の爆発的増加による放牧地の減少、天候の不順など、環境の変化が彼らの生活に影響を及ぼし始めているという。
そこでジャクソンさんたちは、マサイ族にも教育が必要との認識に立ち学校づくりに努めているということだ。他部族にも呼びかけ、順調に学校が運営できているようだ。
また、永松真紀さんのキャリアを生かして、マサイ族の生活を体験できるツアーを実施して、マサイ族に対する理解を図ると共に、生活の安定化を目ざしているということだった。
彼らの今回の講演会の目的は、一人でも多くの日本人がケニアを訪れてケニア、並びにマサイ族の実態を理解してほしいということだったようだ。
※ 会場からの質問に答える三人の方々です。
それにしても今回も日本の女性の逞しさを見た思いだった。早川さんも、永松さんもケニア滞在20年を超え、片や早川さんはスラム住民の生活向上のために活躍し、一方の永松さんはなんとマサイ族に嫁いでしまうという積極さである。しかも、二人ともその生活を心から楽しんでいることを窺わせてくれるところが素晴らしいと思った…。
その一つは3月22日(土)午後に開かれた「タマラ・コキラシヴィリ ピアノコンサート」だった。
タマラ・コキラシヴィリとは、旧ソ連邦から1991年に独立したグルジア人で40代後半の女性ピアニストである。詳しい経緯は不明だが、今回は東海大学の招きで来日したと説明があった。
演奏した曲目は、「バッハ フランス組曲第1番ニ短調」、「シューマン 交響的練習曲 作品13」、そして6つの小品からなる「ドビッシー 前奏曲」の3曲だった。
ピアノにも、クラシックにも素養のない私がこうしたことを指摘するのは不遜とも言われかねないのだが、最初のバッハの曲では何度かのミスタッチがあったように聴こえたのだが、はたしてどうなのだろう?私には彼女のコンディションがイマイチだったからなのでは?などと思ってしまったのだが…。
二曲目のシューマンの曲では彼女自身もコンディションが上がってきたのか、全体的には暗い色調の中に、激しさも加わった見事の演奏だった。その暗い色調はあるいは彼女の醸し出す雰囲気も加わっていたのかもしれない。
三曲目は小品ごとに曲名が添えられていたのだが、そのイメージが鮮やか描けるような変化に富んだ素晴らしい演奏だった。
二つ目のコンサートは、3月25日(火)午後、札響メンバーによる室内アンサンブル「北海道立近代美術館ミュージアム・コンサート」だった。
なんでも3月31日は「ミミにイチバン オーケストラの日」ということで、日本オーケストラ連盟の呼びかけで全国の加盟オーケストラが3月下旬に全国各地でPRイベントを開催している一環として開かれたということだった。
出演は曲によって増減はあったものの、次の8名の方々だった。
◇ヴァイオリン 大森潤子 ◇コントラバス 助川龍 ◇クラリネット 白子正樹 ◇ファゴット 坂口聡 ◇ホルン 橋本敦 ◇コルネット 福田善亮 ◇トロンボーン 中野耕太郎 ◇打楽器 武藤厚志
この8名はそれぞれ札響の首席奏者、副主席奏者ということだから、札響の選抜チームといっても良いのかもしれない。
演奏された曲目は、R.シュトラウスの「もう一人のティル・オイレンシュピーゲル」と、ストラビンスキーの「兵士の物語」の2曲だった。
1曲目のティル・オイレンシュピーゲルとは、ドイツに実在した伝説の奇人で、さまざまな悪戯で人々を愚弄した人物だそうだ。調べたところ「もう一人のティル・オイレンシュピーゲル」という題名は「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」とも訳されているようだ。
演奏はそうした悪戯の様を表現するのだから、非常に技巧的な演奏に聴こえた。メンバーはリラックスしながらも、微妙なバランスを保ちながら進行する演奏を楽しんでいるかに見えた。
2曲目の「兵士の物語」はストーリー性の富んだ曲目だが、演奏前にメンバーが丁寧にレクチャーしてくれた上、スタッフの二人が登場人物に扮して(兵士と悪魔)、より曲目理解を高める工夫を施してくれた。
曲は(1)兵士の行進曲 (2)小川のほとりの小曲 (3)田園の音楽 (4)王の行進曲 (5)小音楽会 (6)タンゴ - ワルツ - ラグタイム (7)悪魔の踊り (8)大コラール (9)悪魔の勝利の大行進 と9つの小品から成っていた。
こちらは事前のレクチャーもあり、小品毎に曲名が付いていたこともあり、より楽しんで聴くことができた。
演奏が確かな上に、今回のように曲についてレクチャーしてくれた上で演奏を聴くことができるのは、クラシックに不案内な私のようなものにとっては曲目理解も深まり、嬉しいかぎりである。
こうしたコンサートを数多く開催してほしいと望むのは、贅沢言うなよおまえさん、などと言われるだろうか?
3月11日(火)午後、京王プラザホテルにおいて北海道土木協会主催による「第3回特別セミナー」が開催され聴講することができた。
講師はテレビなどでも活躍する国際ジャーナリスト(明治大教授)の蟹瀬誠一氏で「世界の潮流を読む~今後の日本の行方~」と題する講演会だった。
冒頭、蟹瀬氏は世界の潮流を読むために、次の3点を意識しているという。
(1)鳥の眼 ~ 俯瞰する眼、物事を大きく見る眼
(2)蟻の眼 ~ 足元を見る。現実を直視する眼
(3)魚の眼 ~ 潮流(大きな流れ)を見る眼
私の場合、モノゴトを見るとき鳥の眼、蟻の眼は意識しているが、「魚の眼」ということは意識していなかっただけに新鮮な思いだった。
蟹瀬氏は世界動きのさまざまな面について語ったが、そのなかでも印象的だったことを記すことにする。
蟹瀬氏はアベノミクスの将来を危ういと見ているようだ。
それは、国の財政再建については「アレシナの黄金律」という説があるという。
これはハーバード大学のアルバート・アレシナ教授が財政再建に取り組んだOECD20か国を対象に調査したところ、成功したケースでは、(1) 最初に公務員の人件費や社会保障費等の歳出削減をやり、次に増税をやること。(2) さらに歳出削減と増税の財政再建に対する寄与度は7対3の割合で行う。という共通項が見つかったということだ。
蟹瀬氏の見方では、アベノミクスは「アレシナの黄金律」に則していないということのようだ。
次に、福島原発事故について、次のような言い方をした。
「人間は大きな災害に遭ったとき、そこに全てをやり直そうとするスペースができる」ということだ。しかし今、そのスペースはどんどんと小さくなっていると指摘した。
続いて、「ユーラシアグループ」という世界最大の政治リスク専門コンサルティング会社が発表する世界政治の潮流についての紹介があった。
それによると、世界は今「G8」でも「G20」でもなく、「G0」の時代だという。時代は米国主導の時代が終わり、世界的なリーダーが欠如している今日的状況だという。そのことをユーラシアグループは2011年にすでに指摘している。
「G0の世界」ではどのようなことが懸念されるかというと、(1)世界秩序の崩壊と地域紛争の拡大、(2)チャイナリスクの懸念拡大、(3)イスラム圏の台頭、(4)テロの拡大が懸念されると共に、2025年頃には世界のGDPの52パーセントがアジアに集中し、アジアが世界の経済を牽引することになるだろうと予測している。
このように混沌とする世界において、蟹瀬氏は円安の状況が続くことと、日本人の勤勉性によって奇跡の経済回復を期待したいとしたのだが…。
蟹瀬氏のお話を聴いて、いろいろな見方・考え方を提示していただき、私自身は勉強になった思いなのだが、もう一歩深みに欠けるのではという思いが拭えなかった。
それはやはりテレビの世界で生きてきたジャーナリストの性なのだろうか?
3月11日(土)午後、北大博物館の土曜市民セミナーが開催された。この日のテーマは「海の巨大な渦が生態系を変える-おしょろ丸観測で分かったこと-」と題して、北大大学院水産科学研究院の上野洋路助教がセミナーを担当した。
上野氏はまず、巨大な渦の発生メカニズムについて説明された。
そのメカニズムは複雑な要素が絡み合って発生するようだ。難しく理解できない部分もあったが、私が理解したところでは、海水にも温度差があって海流が発生するのだが、その海水の流れが地球の自転との関係で渦巻状になる場合があるということだ。その規模は直径数キロから数百キロにもなるという。また、渦の深さも1,500~2,000mに達するともいう。
そうした渦は、カナダ沖の沿岸で発生することが多いらしく、そこで発生する渦を上野氏は調査対象としているということだ。なお、このような渦を「海洋中規模渦」と称するということだが、セミナーテーマを「巨大な渦」としたのは何故なのだろう?(まあ、直径数百㎞もあれば十分に巨大な渦ではあるが…)
その渦の動きを、上野氏は海水採取、魚類観測、海底トロールなどとともに、海域全体にセンサー採水用ボトルを散布してデータを蓄積しているということだ。
その結果、これまでに判明したことは、カナダ沖沿岸で発生した渦は形を変えずに外洋域に移動しているということだ。その際、その海域の植物プランクトン(栄養分)も一緒に運び、植物プランクトンの生息域が拡大していること掴めたという。
さらに、植物プランクトンを食する動物プランクトンの存在も確認したということだ。
ただし、現時点ではそれ以上高次な生物(魚など)の存在を発見するには至っていないということだった。
高次な生物も移動する可能性があるのか、と私が問うたのだが「それは今のところ何とも言えない」ということだった。その理由は、高次な生物が生息するには動物プランクトンの存在だけではなく、その他のさまざまな要素が絡み合っているからだと説明された。
メモすることを失念し、詳しいことは記憶していないのだが、上野氏がこの領域の研究を深めるきっかけになったことはあるちょっとしたことがキッカケだったという。
科学の世界にはほんとうにさまざまな領域・分野があるんだなぁ、ということを実感した土曜セミナーだった。
昨日のレポートと同じく、札幌国際プラザが開催する外国を知るセミナーの一環として、3月6日(木)夜、「中国を知るセミナー」が開催され受講した。
講師は2011年から札幌国際交流員を務め、この3月で帰国するという中国人の賀小雲(ガ ショウウン)さんが「中国の若者の恋愛・結婚事情」と題して話された。
賀小雲さんが上海で生まれ、育ったことから、事情は上海の比較的恵まれた層の事情というように理解して話を聞いた。
中国においても日本同様、近年は晩婚化が進行しているようである。
賀さんは話の冒頭で一つの写真を提示した。それは公園などの人が多く集まる場所に張り出された未婚男女の自己PRの貼り紙だった。今流に言えば「婚活シート」ということだ。そこには身長、出身地、学歴、年収などさまざまなことが書かれているらしいが、熱心なのは我が子が適齢期を迎えた両親だということだ。
中国には結婚などに関する諺(?)がけっこう多いようだ。例えば「男大当婚、女大当婚」という言葉があるという。これは「男性も、女性も結婚適齢期になれば結婚すべき」という意味ということだが、中国では結婚適齢期になるとそれなりのプレッシャーを受けているということだろうか?
さて、その適齢期であるが、中国では男性22歳、女性20歳で結婚可能となるようだ。実際の平均結婚年齢は2010年調べで男性26.7歳、女性24.9歳だそうだが、中国でも年々晩婚化が進んでいるということだ。
相手に求める希望条件は、男性が①性格、②容姿、③品性・教養の順ということだが、対して女性は①性格、②能力、③品性・教養の順ということで、このあたりは日本とあまり違いはないのかな、と思ったところだ。
写真と共に話を聞いていて、結婚披露宴の様子がやや派手かな?という印象があったが、そのあたりも近年は事情が変わってきているということだった。そのことを表すいろいろな言葉が中国内にはあるということだが、その一端を紹介すると…、
◇裸婚 ~ 結婚のセレモニーは何もなく、結婚証明書だけの結婚をいう。
◇試婚 ~ 同棲のことを指す。
◇卒婚 ~ 大学生が卒業と同時に結婚すること。
◇素婚 ~ シンプルで安上がりな結婚式・披露宴をすること。
◇痩婚 ~ 贅沢婚と裸婚の昼間の結婚式の形を指す。
◇旅婚 ~ 旅行結婚(新婚旅行=結婚という形か?)若者に大人気だという。
◇隠婚 ~ 結婚を周囲に明かさない形をいう。
◇併婚 ~ 結婚式を共同で挙げたり、結婚に必要なものを共同で購入したりすることを言う。
こうした言葉を聞いていると、日本の結婚事情と似ている部分がけっこう多いことに気づく。つまり、中国の近代化が急速に進み、伝統的な結婚観が崩れつつあるのかな、という印象をもった。
最後に賀さんは中国の晩婚化が進む一因に中国人の結婚観を表す次のような言葉を紹介された。それは「下娶上嫁」という言葉だ。その意味するところは、「男性は自分よりも条件が劣る女性を妻として選ぶ傾向があり、女性も自分よりも条件が上の男性を選びたがる」ことだという。このことは、学歴などがあり優秀な女性、反対に社会的に劣ると見られる男性には結婚のチャンスがなかなかないということだ。
日本においても晩婚化、未婚化が進んでいるが、お隣中国においても、ことこの問題に関しては同じ悩みを抱えているということのようだ…。
札幌国際プラザが定期的に開催している外国を知るセミナーの一環として、2月21日(金)夜、「中東を知るセミナー」が開催され、聴講した。今回は外務省中東アフリカ局の三上陽一氏を講師として「イスラエルとユダヤ人社会」と題して話された。
三上氏は冒頭、イスラエル経済においてIT産業が存在感を示しているとし、アメリカがイスラエル企業に熱視線を送り、買収活動が盛んだと現状を語った。
そうしたイスラエル経済の好調の要因ついて、三上氏は次の4点をあげた。
(1)米国在住のユダヤ人との関係
(2)移民流入による成果~内需の拡大。優秀な技術者・科学者の流入
(3)国策としての安全保障の優先~国防費が多い。民需へのスピンオフ
(4)研究開発の優遇と起業家精神
イスラエルは「スタートアップ・ネイション」、言いかえれば「起業民族」と称されるそうだ。イスラエルには起業を尊ぶ精神があり、失敗を許容する文化があるため、失敗を恐れずチャレンジする国民性があるという。
そのことが現在のイスラエル経済の隆盛の要因だとした。
この後、イスラエルの政治状況についての解説があったが、そのことは割愛して、イスラエルをめぐる国際情勢についての話があったので、そのことについてレポートする。
イスラエルの周囲には、エジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、パレスチナというアラブ諸国が取り囲んでいる。この中で、エジプト、ヨルダンとは国交を結んでいるが、その他の国々とは敵対関係の中にいる。
こうした中で、小競り合いはあるものの大局としてはアメリカの仲介により微妙なバランスを保ってきたのが最近までの情勢だった。ところがここにきてアメリカが中東に駐留する軍の撤退など、中東問題に対する姿勢の変化が顕著となってきた。このことが中東のバランスに変化を及ぼし始めたという。
そして、これまでアメリカに頼ってきた親米諸国が不信感を募らせている、というのが現在の情勢だと解説した。
中東の不安定化は、我が国のエネルギー確保を不安にする問題である。
はたしてこの中東問題がどのように推移していくのか、私たち日本人にとって目の離せない問題であることを痛感したセミナーだった。