田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道低山紀行 48 余市岳 後編

2015-08-31 22:30:57 | 北海道低山紀行 & Other
 余市岳はやはり人気の山のようだ。その後、続々と登ってくる人がいたり、下山時には多くの登山者に出会ったりもした。中には豪傑も…。さて、後半は久しぶりの登山気分を味わいながら到達した山頂には? 

            
            ※ 後編のはじめとなる「旧登山道」との分岐点の標識です。

 旧登山道との合流点を過ぎると、それまでの刈り取ったササが敷き詰められていた道から、急にササのない道になった。辺りはハイマツが生い茂る中を往く道となった。
 往く道の前方に余市岳山頂が見えたが、どうやら山頂を覆っていた雲が消え去ったようだ。
 しばらく平坦な道が続いた後、コースは下り坂に変わった。ガイドブックによると、北東コルというところまで下がるらしい。約10分下り続けると定山渓登山道との合流点に達した。北東コルである。

            
            ※ ご覧のように登山道の様相が変わりました。余市岳には雲がかかっておりません。

            
       ※ 北東コルに下りる手前です。正面に登山道が刻まれています。正面のピークは山頂ではありませんでした。

 ここからいよいよ本格的な登山の開始である。とっつきのところが何日か前の雨の影響か、濡れた道になっていた。
 その濡れた道の辺りでこの日初めての登山者に出会った。4人組の彼らに頂上の様子を聞こうとすると台湾人だった。彼らは観光客に見えた。ロープウェイ駅にあった貸し出し用のパーカーを身に付け、足元はスニーカーだった。中の一人の女性は靴を泥まみれにしてかなり苦戦しているようだった。

            
            ※ こうした濡れた道も中にはありました。

 それほど厳しい上りはないものの、それなりの上りが続く。立木が倒れていたり、ガレ場が現れたり…。それまであまり感じていなかった汗もかなり噴き出していた。

            
            ※ こうして立木が倒れたところも何か所か乗り越えて…

            
            ※ こんな細いガレ場は大雨の時には鉄砲水に襲われないでしょうか?
 
 ササ原ではまったく見かけなかった高山植物も季節外れとはいえ、何種かは目にすることもできた。シマリスに出会ったのもこの辺りだった。

            
            ※ かなり長い時間をかけて名前を探したのですが…。エゾオヤノリンドウで正解?

            
            ※ こちらはハイオトギリだと思うのですが…。

 旧登山道から格闘すること約50分、ようやく標識のある山頂に到達した、と思った。ところがそれは遭難者の慰霊のためのケルンが設置されたところで、山頂はその向こうにあった。そこにはなぜか観音像も立っていた。

            
            ※ 余市岳で遭難された方の慰霊碑でしょうか?北海道学芸大学と記されていました。

            
            ※ こちらも何かいわれのある観音像なのだとは思いますが…。

 そのケルンのあったところは一つのピークであり、そこから山頂までは緩~い上りになっていた。途中で異様な光景に出会った。ハイマツの幹が白い肌を見せて横たわっていた。ガイドブックによると山火事の跡ということだ。

            
            ※ 山頂近くに写真のような異様な光景が広がっていました。

 そこを抜けて間もなく、午前9時31分、「ごくろうさま」という標識に迎えられて山頂に到達した。山頂には2組の先行した登山者が憩っていた。
 心配していた雲は山頂にはかかっていなく、眺望はそれなりに効いたが、方角によっては〈特に南東の方向〉雲が厚くかかっているところもあった。

            
            ※ 「ごくろうさま」の一言が嬉しい山頂の標識です。

     
     ※ 山頂から南の方角を撮ったパノラマ写真です。

     
     ※ 反対の東側を撮ろうとしたら雲に遮らていたので、西の方角を撮ったものです。

 山頂で一通りの写真を撮った後、私は山頂直下に設置された別のケルンのところに腰を下ろした。今回は水とストーブを持参したので、カップラーメンとコーヒーを楽しみゆっくりと山頂に1時間滞在した。その間にも続々と後続の登山者が山頂に到達し、そして帰っていった。

            
            ※ こうして山頂でゆっくりとコーヒーを楽しんだ私でした。

 山頂で1時間憩った後、下山を開始した。
 下山時には多くの登山者と遭遇した。このことは私の登山開始が早かった、ということになるようだ。
 その登山者の中に一人の豪傑(?)がいた。彼の足もとを見ると、なんと裸足にサンダルを履いているではないか!いくらなんでも私の常識の範疇外である。私は大仰に驚いてみせ、「大丈夫!?」と声をかけた。すると愉快そうに「大丈夫!」と答えが返ってきた。見ると彼は欧米系の外国人だった。彼は案外、そうした反応を楽しんでいたりして…。それにしてもあのササ原や、泥だらけの登山道をどうして登ったのだろう?

 先週の迷沢山の登山が、登山とはいえ林道歩きに終始したのに比べ、今回の余市岳は登山後半にそれなりの急坂やガレ場もあり、登山気分を味わうことができた。
 時間的には先週の迷沢山とほぼ同じ時間をかけたが、こちらの方が楽しむことができた山行だった。

【余市岳(ロープウェイコース 登山データー】
標 高  1,488.1m
駐車場  キロロスキー場に大きな駐車場有
行 程  新登山道登山口(ロープウェイ山頂駅)→(50分)→旧登山道との分岐点→(1時間)→余市岳山頂⇒(50分)⇒旧登山道分岐⇒(35分)⇒新登山道登山口
時 間  登山(1時間50分)、下山(1時間25分)       
登山日  ‘15/08/30

北海道低山紀行 48 余市岳 前編

2015-08-30 21:25:43 | 北海道低山紀行 & Other
 札幌圏で最高峰の余市岳だが、ロープウェイを利用しての山行は、やや物足りない感じもした。しかし、今の私のコンディションには無理のない山行だったと言えるのかもしれない。 

 徐々にコンディションを取り戻している私である。
 好天だったこともあり、先週の「迷沢山」に続いて、今日(30日)私にとって未踏の「余市岳」に登ることにした。
 余市岳にはキロロスキー場のところから自分の足で登る旧登山道がある。こちらはいまでも本格的な登山愛好家たちが利用しているようだが、私は多くの人が利用するロープウェイを利用して山頂駅から頂上を目指す新登山道を登ることにした。

            
            ※ ロープウェイの出発点の様子です。

 朝6時、家を出て赤井川に向かった。思っていたより遠かった。車のメーターを見ると55キロを示していた。
 ロープウェイ券(往復1,200円)を購入し、ロープウェイに乗り込んだ。
 山頂駅でロープウェイを降りると,目の前に余市岳が見える。周りは晴れているのに山頂部分には厚い雲がかかっていた。なんとか登頂時には雲が切れてほしいと願った。
 見渡したところ私以外に登山客はいなかったが、山頂駅には観光客の家族が見えた。

            
            ※ ロープウェイ山頂駅のところから見た余市岳です。山頂部分が雲に覆われています。

            
            ※ 山頂駅の横にあった新登山道の登り口です。

 7時40分、山頂駅のすぐ傍にある登山口からいよいよ登山開始である。
 登山道は背丈を超えるササが生い茂っているところを切り拓いて造られていた。
 コースは僅かに傾斜してはいるが気になるほどの斜度ではない。ササが背丈を超えているため周りを眺めることはできない中、淡々と歩みを進めた。

            
            ※ 前半はこのような高いササに視界を遮られた中を登っていきます。


 コースは車が通れるほどの幅にササが刈り取られている。(車が通れるような道路として整備されてはいないが)斜度は気にならなかったが、刈り取ったササがコース内に敷き詰められているのが気になった。というのも、ササとはいっても背丈ほどのものになると、中には細い竹状態のものもあり、そこに足を載せると滑ってしまうことが何度もあった。
 刈り取ったササを登山道に敷き詰めることは、登山道の保護にも役立つことだからいたし方ないことなので、ここは我慢するしかないのだが…。

           
           ※ このように刈り取ったササに覆われた中を登っていきます。(木の柱については後述します)

 もう一つ気になったことがあった。
 それは、登山道の端(脇)が大きくえぐれてしまっているところが数多く見受けられた。これは、大雨や雪解け水が登山道を鉄砲水のように流れて土を大きく削り取ってしまうのだろう。登山道として整備するため、ササや木を取り除いたことによってこうしてえぐり取られた登山道をこれまでも何度も目にしてきた。山にとっては迷惑な話だろう。
 なんとかならないものか、と考えながら登っていたところ対策が講じられていた。それは登山道を斜めに横切るようにして板状の木を寝かせてあるところを3度ほど目にした。
 登山道を流れてきた雨水などが、その板状の木に当たると、水は登山道からササ原の方に導かれるようになっているのだ。こうすることで、根がしっかり張っているササ原の中では土をえぐり取られることもなくなるのではないだろうか。
 ただ楽しませてもらっている私が言うべきことではないのかもしれないが、こうした対策をさらに拡充することによって土砂の流失を少しは防げるのではないだろうか。

           
           ※ 写真のように登山道がえぐられたところも何か所も目にしました。

           
           ※ 広い登山道もこうしてえぐられると人一人程度しか通れません。

           
           ※ このような対策は有効なのでは?と思うのですが…。3ヶ所ほど目にしました。

 そんなことを考えながら、緩い傾斜の登山道を上って行った。時折り、頭上を吹き渡る風は、朝のせいなのか、それとも秋が近づいたせいなのか、肌寒いくらいの風が吹き渡った。
 登山道は0.5キロ毎に距離表示が掲示されているのが有り難かった。それによると、新登山道は4キロのコースのようだ。

           
           ※ このような標識が整備されていたのは嬉しかったです。

           
           ※ 目前に見える余市岳の山頂付近は依然雲に覆われていました。

 スタートから私の足で50分、下から自分の足で登る旧登山道との合流点に至った。
 ここからは目の前に余市岳もくっきりと見える。相変わらず、山頂付近は雲に覆われていた。コースはいったん下った後、いよいよ本格的な上りに入る。(続きは後編で)

           
           ※ こんな出会いも…。すでに役目を終えたのか、弱々しく飛び立てない蝶に出会いました。

分子系統学で北海道の自然を読み解く

2015-08-29 23:09:15 | 大学公開講座
 分子系統学という遺伝子の世界の話だ。ミクロの話に弱い私は懸命にメモを取り、一言も聞き漏らすまいと講師の話に耳を傾けたのだが…。 

 8月26日(水)夜、北大公開講座「北海道の野生生物:自然史と環境変化への応答」の第2回目の講座があった。この日は「小さな哺乳類が語る北海道の自然と進化」と題して、環境科学研究院の鈴木仁准教授が務めた。鈴木氏は小型哺乳類を研究対象として分子系統地理学の研究をされている方と人物紹介にある。

               
               ※ 鈴木仁准教授です。(氏のHPから)

 私が拙ブログで講座等の記録を記していることは、講座内容を私なりに理解できた部分を記録として残しておきたいとの思いから綴っているのだが、今回のミクロの世界の話は理解そのものがかなり怪しいものになってしまった。
 したがって、私自身が曲がりなりにも理解できた部分のみを記すことにする。

 まず前提となる、我々が住む「北海道」だが、そこは太古の昔は海の底だったという前提である。鈴木氏によると、北海道が地上に姿を現したのは200~80万年前だという。したがって、北海道に棲む人間をはじめとしたあらゆる哺乳類(他の動物も同様だが)は他から移入してきたものであるという。

 例えば、北海道固有の…、と呼ばれる種も他から移入してきたものが、長い時間をかけて徐々に北海道の環境に適応する種として形成されてきたものであるとのことだ。
 それを知ることができるのは、遺伝子(DNA)の塩基の配列の情報を解析することにあるそうだ。
 遺伝子の構造などの話は私には理解不能の部分だった。その遺伝子だが、遺伝子が親から子へ渡される際に、遺伝子の塩基の配列はほぼ忠実に複製され子に伝えられるのだが、時にとして遺伝子の配列の複製に違いが生じることがあるという。それを「突然変異」と呼んでいるとのことだ。その「突然変異」というのはどれくらいの確率で起こるかというと、ヒトの遺伝子の塩基は3億個と言われているそうだが、その中の30個くらいに変異が生ずるそうだ。それは私たちの形質に今すぐ変化を与えるような数字ではないらしい。

 そういえば、以前に聴いた講座(かでる講座)で、ヒトの性を決めるXとYの染色体の組み合わせに異常が生じている、といった話を聴いたことがある。このこともある意味で突然変異の一つなのかもしれない。

            
            ※ 鈴木氏の研究対象であるネズミですが、種を特定することはできません。(ペコリ)

 さて、その「突然変異」が長い時間かけて、幾世代もの間変異を続けているうちに別種、属種が誕生するということになるようだ。
 例えば、鈴木氏が研究対象としている小型哺乳類(ネズミ)を例にとると、もともとはヤチネズミの仲間だったものが、約120万年前に北海道に渡って世代交配を繰り返すうちに、本州のヤチネズミとは遺伝子配列の違うムクネズミが誕生したことが遺伝子解析で明らかになったという。さらに北海道において、そのムクネズミの仲間からも別種(属種)のエゾヤチネズミが約55万年前に誕生したことが分かるという。

 鈴木氏は言う。ネズミ類の遺伝子には、過去の環境変動の記録が刻まれていると…。環境に対応するためには突然変異が必要であると話された。

 私の理解はここまでである。
 鈴木氏の種の変遷の話は、数十万年単位という気の遠くなるような時間の中での変遷の話である。しかし、私たちヒトも含めて、遺伝子の複製過程で突然変異がたとえ微量といえども繰り返されているということは、私たち人類がもしこの後数十万年にわたって生存した場合、似ていて非なる隣人が存在するということになるのだろうか?
 いや、それはもう現存していると解釈すべきなのか?

札幌グルメ紀行 16 鳥焼 車屋

2015-08-28 22:16:22 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 「焼き鳥」とせずに、「鳥焼」と称したところに店としてのプライドがあるのだろうか? ゆったりとした空間、静かな大人の雰囲気、そこで熟練の職人が丁寧に焼き上げてくれる各種の串を堪能した。 

 本来なら、私の中では「グルメ紀行」に入らない範疇の店なのだが、下記のような事情から例外的にレポートすることにした。
 先に私の特別な日ということで、21日に「エルムガーデン」のランチを楽しんだのだが、私が「これで終わり?」という私の若干の不満顔を見逃さなかった妻が、「じゃ、今度はお酒の席を」と、ススキノにある東急プラザに入っている「鳥焼 車屋」を提案してくれた。

            
            ※ 東急プラザ地下1階にある「鳥焼 車屋」のエントランスです。

 店は東急プラザの地下の飲食店街に入っていた。
 店に入ると、炉を囲むようにしてずらーっとカウンター形式で椅子が並んでいた。開店直後(午後5時過ぎ)とあって、私たちは最も奥の席に案内された。
 店内は明るく、焼鳥屋特有の煙や匂いも感じられず高級感が漂う店内だった。

            
            ※ 店のHPから拝借した写真で、私たちは写真の左端の席に座りました。

 メニューを見ると、はやり串の単価は一般店よりは多少高めの設定のようだ。
 私たちは車屋特製つくね、はさみ焼き、若鳥ハツ、手羽先、ねぎ、銀杏、それに焼き鳥だけではなくおでんもメニューに載っていたので、大根と豆腐を頼んだ。

            
            ※ 店自慢の「車屋特製つくね」(280円)です。            

 すると、職人さんが目の前の炉で焼いてくれるのだが、全てを一度に焼くのではないらしい。職人さんが客を見ながら順を決めて焼くのだろうか?まず出てきたのが特製つくねだった。卵の黄身を絡めたつくねの濃厚さと生ビールの喉越しの爽やかさの相性が抜群だった。
 その後、次々と順にオーダーした串、そしておでんが出てきた。串の焼き方を見ていると実に丁寧に1本1本を焼いているのが分かる。そしてちょうど焼き頃となったところで客に提供してくれる仕組みである。
 串もおでんも上品な仕上がりで、ビールも焼酎もよくすすんだ記念の日の食事だった。
 最後に焼きおにぎりを頼んで締めとした。

            
            ※ こちらは「若鶏ハツ」ですね。

            
            ※ こちらは「はさみ焼き」、このように一品ずつ出てきました。


            
         ※ 食事を終えて店外に出たとき、メニュー表の一部が掲示されているのを目にしました。           

 串もおでんも、ビールや焼酎の価格も、一般の居酒屋と比べると割高な価格設定ではあったが、それだけの価値を感ずることができた「鳥焼 車屋」だった。
    
【鳥焼 車屋 データー】
北海道札幌市中央区南四条西5-1 札幌東急プラザ B1F
電  話  011-521-9157
営業時間  17:00~翌0:00  
定休日   12/31~1/1
駐車場   有(ホテルの駐車場3,000円利用で2時間無料)
座 席   57席(個室有4人以上)
入店日   ‘15/08/24

産業技術総合研究所 見学

2015-08-27 19:24:47 | 「めだかの学校」関連

 恥かしながらその存在さえ知らなかった「産総研(産業技術総合研究所)」をこのほど初めて見学した。通産省管轄の研究機関として、さまざまな分野の産業化に資する研究を進めていることが分かった。

 8月24日(月)午後、「めだかの学校」8月の野外教室の研修先は月寒にある「国立研究開発法人 産業技術総合研究所北海道センター」だった。
 似たような研究機関として本部が札幌にある「道総研(北海道立総合研究機構)」については、講座等の受講経験もあり、その存在を知っていたが、「産総研」については恥かしながら初耳だった。

 月寒にある「産総研北海道センター」は、札幌ドームからもそれほど遠くない広大な敷地の中にたくさんの研究施設が並んでいた。
 その一角にある建物の会議室に招かれ、まずは北海道センターについてのガイダンスがあった。

            

 それによると、北海道センターの前身は昭和35年に設立された「北海道工業開発試験所」だそうである。その当時、北海道は石炭産業全盛の時代で、石炭の無煙燃料化とか、石炭の液化、ガス化などの研究を行っていたという。
 その後、平成5年度には「北海道工業技術研究所」と改称され、平成13年の中央省庁の改編によって全国にあった国立の15研究所群が統合されて独立行政法人(本年度から国立開発法人に移行)の「産業技術総合研究所」となり、旧「北海道工業技術研究所」もその一部所として改編されたそうだ。

 前置きが長くなったが、北海道センターでは地域に根ざしたさまざま研究開発と産学連携の活動を行っているということだった。その中でも、特にメタンハイドレートの実用化、遺伝子組み換え植物の水耕栽培による創薬技術の開発について多くの説明が割かれた。

 北海道の近海海底にも多くの資源が存在すると推定されるメタンハイドレート資源から天然ガスを生産する技術の開発に力が入れられているらしい。実用化までにはまだまだ課題が多いようだが、説明を受けた後の施設見学では精力的に研究開発が進められていることを伺わせてくれた。

            
            ※ メタンハイドレートの実験室を窓の外から眺めることができた。

 次に、創薬技術の開発のための水耕栽培であるが、完全に密閉された空間でいちごやジャガイモが栽培されている。完全密閉の理由は遺伝子組み換え植物が外界の植物に影響を与えないように、また外界の病原菌が栽培植物に付着しないためということだ。
 北海道センターの完全密閉の水耕栽培工場は二つあったが、最新式の方は建設費が10億円とのことだった。

           
           ※ 完全密閉の水耕栽培実験施設の外観です。もちろん中へは入れません。

 そこでエピソードが一つ生れた。
 完全密閉の工場はもちろん私たち見学者は中へは入れない。模型で水耕栽培されているジャガイモを見ることができたが、なんだか奇妙に見えた。水の中にジャガイモが浮かんでいるように見えたのだ。
 それを見て、私は「これは一個500円位するのでは?」と話していたところ、説明者が「いや、もっとコストはかかっていますね」ということだった。
 国の機関はコストを度外視して開発するが、それがコスト的にも見合うものになれば民間企業が導入を考えるというのが、このような世界での考えのようである。

 施設の見学をしていて「へぇ~」と思うことが一つあった。
 国の研究施設だから「きっと、整然としているのだろう」という漠然としたイメージがあったのだが、実際には廊下の天井部分にたくさんの配線が走っていたり、大きなダクトが頭上を覆っていたりと、なんとなく雑然とした感じだった。

            
            ※ 施設の廊下には写真のように無数の配線が走っていました。 

 
           
           ※ こらはメタンハイドレートの実験室傍の壁の大きなダクトです。

 国立の研究機関といえども、今や体裁などをかまっている暇はなく成果を求められているということか? わずかに垣間見ただけではあるが、そんな雰囲気を感じさせてくれた今回の見学だった。
 


札幌で沖縄民謡を聴く

2015-08-26 20:51:21 | ステージ & エンターテイメント
 札幌で沖縄民謡を聴くのも「あるいはいいかも?」との思いから出かけたイベントだった。沖縄民謡を聴くのは2月に八重山諸島を旅行したとき、石垣島で聴いて以来である。独特の節回しを楽しめたが、やはり民謡は現地で聴いてこそ、とも言えるかな? 

 21日(金)夜、札幌エルプラザで「沖縄へのまなざし」というイベントがあり、そこで沖縄民謡が聴けるというので出かけた。
 演奏は「ガジュマル」という男性と女性の二人組だったが、プロではなくアマチュアとして時々ライブハウスなどで活動しているユニットだった。

            
            ※ ミニライブを行った「ガジュマル」の二人です。

 「ガジュマル」のライブは若干メッセージ性をもったライブでもあった。 
 最初の曲「ジェット節」は彼らのオリジナルということで、札幌と沖縄がジェットで結ばれて近くなった今、もっと北海道の人も沖縄のことを知ろうよ、という思いが込められていると伺った。

 二曲目の「屋嘉(やか)節」は、沖縄戦争で捕虜となった人たちが捕虜収容所での思いを歌った歌ということだった。収容所には伴奏の三線もなかったために、空き缶を利用した三線を作って歌ったそうだ。そのことを偲び、彼らもカンカラ三線を用いて歌った。

                 
                 ※ 空き缶を利用したカンカラ三線です。

 三曲目は「ちょーでーぐぁー節」は、共に太平洋戦争に徴用された戦友が、戦後に那覇の国際通りで偶然に再会した様子を歌った歌だということだった。

 四曲目はTHE BOOM(ブーム)の歌で全国的なヒット曲となった「島唄」だった。「島唄」とは本来、奄美群島で歌われていたものを指すようだ(私も昨年奄美大島で聴いたが、流布された島唄とはまるで違ったものだった)が、ブームの曲は沖縄に取材し、沖縄戦で犠牲になった方々へ捧げる歌として誕生したということだった。

 ここで、このイベントを主催した一人である沖縄出身の比嘉秀子さんが与那国小学校1年生の安里有生くんが作った「へいわってすてきだね」という子どもらしい素晴らしい詩を朗読した。比嘉さんの優しい声音が心に響いた朗読だった。

            
            ※ 小学生の詩を朗読する比嘉秀子さんです。

 そして最後の5曲目は、沖縄民謡として有名な「安里屋(あさとや)ユンタ」で締め括った。この歌は竹富島に実在したという美女の安里屋クマヤが、竹富島に赴任し彼女に一目ぼれした役人をそでにするという話を面白おかしく歌にしたものだそうだ。
 すっかり沖縄民謡の代表曲の一つになった感がある曲だが、会場全体で囃子の部分を歌い盛り上がった。

 私は沖縄地方に出向くたびに(と云っても、奄美群島を含めて4回ほどであるが)沖縄民謡のライブを楽しんできた。「ガジュマル」の二人は、沖縄に出向き研修も積んできたとうかがったが、やはり現地の人たちの唄とはどこか違って聴こえたのは、私の耳がおかしいからなのだろうか? いや、やはりその地に生れ、育った人には、真似のできない何かをそこに醸し出しているのだろう。

淡水魚の謎に包まれた生態を聴く

2015-08-25 19:52:50 | 大学公開講座
 淡水魚は洪水時になぜ流されないのか? ヤツメウナギは不可解な繁殖行動をするらしい。 ニホンザリガニのDNA分析でわかったこと。等々…、淡水魚の謎に包まれた生態を聴いた。 

 新しい北大の市民公開講座が始まった。地球環境科学研究院が主催する「北海道の野生生物:自然史と環境変化への応答」と題するテーマで、計6回の講座が予定されている。
 8月19日(水)夜、その第1回講座が開催された。
 講座のテーマは「北の淡水魚アラカルト」と題して、地球環境科学研究院の小泉逸郎准教授が務めた。

            
            ※ 淡水魚のフィールドで調査・研究する小泉逸郎准教授です。

 小泉准教授の専門である「生態学」は、文字どおり生物の生き方について調査・研究し、そこから自然の仕組みを明らかにする学問であるが、氏は非常に楽しい学問であると語り、氏の研究活動が充実しているらしいことを伺わせてくれた。

 さて、リード文で紹介した淡水魚の謎についてだが、洪水時の魚の行動を探ることは調査する研究者に危険が伴うため、その実態は長い間謎だったそうだ。その難問を解決したのが、ダムに貯水された水の臨時放流だったそうだ。つまり人工的に洪水を引き起こし、その際の魚の行動を探ったということだ。
 それによると、台湾ヤマメは大きな石の下などに避難していることが分かったという。また木曽川のアユは川岸の流れの緩い場所に避難して洪水をやり過ごすらしい。自然の生き物たちの逞しさをみる思いである。

 続いてヤツメウナギの不可解な繁殖行動についてだが、通常淡水魚の繁殖はメスが川底などに穴を掘り、そこに産卵するという行動をとる。ところがヤツメウナギはオス・メスが共同どころか、集団で産卵用の穴掘り作業をするそうだ。その際の動画を見せられたが、川底の石を自らの口を吸盤のようにして器用に取り除く様子が確かめられた。

            

 小泉氏は自らが指導する学院生の研究の様子についても話された。その学生は一匹のヤツメウナギに蛍光塗料でマーキングをして、そのヤツメウナギの行動を撮影し、そのビデオ解析を行ったという。わずか一日分のビデオの解析に数カ月を要し、850回の交尾と3700回の石運びを確認したという。研究生活も大変である。

 次に外来種によって絶滅が危惧されているニホンザリガニのDNAを解析していくと、北海道に住むニホンザリガニと本州に住むニホンザリガニのDNAが近いことが分かったという。このことから、本州と北海道がその昔陸続きだったことが明らかになったという。

            

 小泉氏の話は水の中だけではなく、陸上に棲む生物にまで及んだ。例えば、街中の公園などに棲むエゾリスと、山中に棲むそれとでは、ヒトに対する警戒心に違いがあり、街中に棲むエゾリスはヒトがかなり近づいても逃げないという調査結果が出ているとか、フクロウとアライグマは木の洞(うろ)を巡って競合関係にあるとかいった話も披露してくれた。

 そして最後に小泉氏は、人の幸せとは「好奇心を持ち続けることであり、足るを知ることだ」とまとめた。
 その思いは、富みを追い続けることは自然を破壊することに繋がってしまう。足るを知ることで、自然との共生を図り、自然に対する好奇心を持ち続けることこそが人の幸せではないのか、と氏は私たち受講者に訴えたのだと理解した。
 
 北大の全学共通のテーマでもある「持続可能な社会の実現」ともリンクする小泉氏の訴えでもあり、そうした考え方が広く流布されていくことを願いたいとも思った。

札幌グルメ紀行 15 季の苑 エルムガーデン

2015-08-24 23:42:38 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 料理も、庭も、スタッフも、どれをとっても一流と思える季の苑「エルムガーデン」は、以前から一度は訪れてみたいと思っていたが、このほどようやく実現した。優雅で美味しいひと時を満喫した。 

 私にとって今日(24日)は特別な日である。しかし、今日のランチ時は予定が入っていたこともあり、前倒しして21日に妻が提案してくれた憧れ(?)のエルムガーデンでランチを楽しむことにした。
 我が家からはちょっと遠いのが難点で、ビールで喉を潤したいこともありタクシーを用いた。

            

 エルムガーデンの外観は黒一色の落ち着いたというか、一種異様ささえ感じさせるよう趣きで旭山の麓に建っている。(ちなみに、隣は中国領事館である)

            
            ※ こちらはエルムガーデンのントランスです。

 入店すると、まずウェイティングルームに通される。そこでスタッフからメニューが提示され、オーダーを求められた。
 ランチは確か当日は二種類のみだったが、私たちは「松花堂弁当会席」(2,800円)をオーダーした。すると、間もなく着物姿のスタッフに導かれてレストランに案内された。

            
            ※ ウェイティングルームです。

 レストランは非常に落ち着いた空間で、エルムガーデンの前身である高級料亭「エルム山荘」時代は田中角栄、大山康晴、長嶋茂雄などの著名人も訪れたという格式を感じさせる空間だった。
 特に私が「オーッ!」と思ったのは、立木を取り囲むようにして室内が造られていたことだ。説明が上手くできないが、木は外気の中に立っているのだが、それを取り囲むようにしてレストランができているのだ。(写真からそのことを理解いただきたい)そうした木が3ヶ所にあった。

            
            ※ レストランの様子です。私たちはこの日、ランチの一番客でした。

               
               ※ 店のHPから拝借した写真てす。木を取り囲むように建物が建っています。

 前菜が出てきた。お品書きによると「生雲丹投入葛豆腐順オトマト梅酒漬け」となる。凝ったつくりの前菜だったが、ビールと共に美味しくいただいた。

            

 続いて、「松花堂弁当」のお出ましである。お品書きに添って紹介すると、
 ◇進肴  南京土佐煮鳥そぼろあん
 ◇造里  旬のお造り
 ◇冷鉢  かすべ煮凝り
 ◇小鉢  甘海老紫蘇沖漬け
 ◇焼物  時鮭の柚庵焼き
 ◇煮物  活蛸柔らか煮
 ◇酢物  あいなめ南蛮漬け
 ◇揚物  インカの目覚めトリュフの香り
 ◇強肴  夏野菜とかみこみ豚西京漬け
以上の9品が木の器に上品に盛られて登場した。
 そして、〔食事〕として、季節の炊き込みご飯と味噌椀が添えられた。
 どれも上品に仕上がり、和食の粋を味わっているように思えた。特に、かみこみ豚は歯ごたえがありながら、なんともいえぬ柔らかみがあり、不思議な美味しさだった。
 もっとも、「松花堂弁当会席」はエルムガーデンでは最もリーズナブルな料理だから、ディナーなどで訪れ、本格的な料理に接するともっと大きな感激があるのかもしれない。

            

              
              ※ 私の写真がイマイチだったので、お店の写真を拝借しました。

 食後には、〔甘味〕として、「小菓子盛り合わせ」として5種類のお菓子が出され、コーヒーとともにこれもまた美味しくいただくことができた。
 
            

            
            ※ 私の席から庭を見たところです。

 本格的な和食の美味しさ、素敵な日本庭園、丁寧なスタッフの対応、全体の雰囲気、どれをとっても満足できたランチだった。

            ※ エルムガーデンの庭三態です。

            

            

            
    
【季の苑 エルムガーデン データー】
北海道札幌市中央区南十三条西23-5-10
電  話  011-551-0707
営業時間  ランチ  月・水~金 11:30~15:00(L.O.13:30)
        ディナー 月・水~金 18:00~22:30(L.O.20:30)
        ディナー 土・日・祝 19:00~22:30(L.O.20:30)   
定休日   火曜日
駐車場   有(専用無料13台)
座 席   100席(個室有)
入店日   ‘15/08/21

北海道低山紀行 47 迷沢山

2015-08-23 23:05:37 | 北海道低山紀行 & Other
 久しぶりの山行だった。しかし、山頂を目の前にして降りだした雨にすっかり弱気になった私は山頂を見ずして引き返してしまった。情けない話だ。言い訳ばかりの山行レポである。 

 基本的に私は土日の休業日に山登りをするようにしている。その理由は休業日だと登山者が多く、単独登山でも他の登山者から情報を得たりすることで不安の解消に繋がるからである。

 天気予報を見ると今日(23日)は登山に適した日と出ていた。「夏山ガイド」に載っている〔札幌・小樽近郊〕編で未踏の山が迷沢山、奥手稲山、余市岳、無意根山の4つだった。
 どこへ向かおうか迷ったが、久しぶりの山行なので比較的容易な「迷沢山」に決めた。

 珍しく早起きできた私はまだ空が完全に明けきらない4時30分に家を出た。
 約1時間かけて定山渓奥のさっぽろ湖を過ぎたところにある登山口の「上平沢林道ゲート」に着いた。天気は曇り空でガスがかかっているようにも見えた。
 5時40分、用意を整え登山を開始した。

            
            ※ 迷沢山の登山口にあたる「上平沢林道ゲート」です。

 登山とはいっても、いわゆる林道歩きである。沢伝いに造られた林道が延々と続いた。
 林道だから斜度もそれほどなく、ゆっくりと歩を進める分には楽なトレッキングである。ただ、ガスに覆われたような天気なので湿度が高く、汗が噴き出てきた。

            
            ※ 登り初め直後の林道の様子です。

 前半部分は森も深く、あまり気持ちの良いものではない。私は鈴をザックとポールと二か所に付け、その上今回はラジオも持参して大きな音量で山オヤジさん合図を送り続けた。
 林道沿いには夏も終わりかけだからだろうか、花もあまり見当たらなかった。

            
            ※ このように森が深くなると、あまり気分の良いものではありません。

            
            ※ 緑一色の林道沿いで紫色が鮮やかでした。花の名は?

            
            ※ こちらは「ヤマアジサイ」ですね。

 林道はいつでもジープなどが通行できるように整備されていたが、やはり路肩や道路の中央部分には雑草が生い茂り、それが朝露(?)あるいはガスに濡れて、それがズボンの裾を濡らした。下だけでもレインパンツを着用した方が良かったかもしれない。

 林道にはコース案内も何もなく、頭上を通過する送電線だけが目安だとガイドブックに出ていた。ところが私は第一の送電線を見逃してしまったようだ。登山開始から1時間が経っても送電線に出会うことはなかった。

            
            ※ 林道は沢伝いに造られていたので、こうした流れが絶えず目に入りした。

 ずーっと単調な林道歩きが続いた。体調はまあまあだった。
 登山開始から1時間20分が経った頃、頭上を覆っていた木々の葉が割れて、空が見えだした。ガイドブックではこの辺りから眺めが良くなると出ていたが、空はガスに覆われ、遠くは全く見えなかった。
 そうしているうちに第二の送電線と交わるところに達した。標高900m近くだという。

            
            ※ 第二の送電線と交わったところです。

 一休みし、さら登山を続けた。
 林道はまだまだ続いた。一休みしたところから30分も登ったろうか。私は林道と別れ、山頂に到達する取り付け道を探しながら登っていた。ところが、ガス状態だった天候が小さな霧状に変わってきたな、と思っていたところ、それが小さな雨粒に変わってポツポツと降り出した。

            
            ※ 山頂がかなり近づいたところの林道です。

 私はすっかり弱気になっていた。というのも、山頂に到る取り付け道のことをガイドブックでは「右手に見える山頂を目指して適当に斜面を登ることになる」と出ていたのだ。これは藪こぎになるのではないだろうか、と私は予想した。となると、雨が降っている状況では全身ずぶ濡れになることを覚悟しなければならない。
 その上、例え山頂に立っても眺望は全く効かない。
 無理して山頂を目指す必要があるのだろうかと考えたとき、私は「退却」の判断を下してしまったのだ。

            
            ※ 結局、私はここから引き返したのでした。

 私は「退却」を決断したところで、レインウエアの上下を着込み、下山を始めたのだった。
 しかし、皮肉なことに雨はそれほど降り続きはしなかった。その上、林道入り口近くまで降りてきたとき、雲間から陽射しが差し込んできたではないか! この日、私にしては珍しく早起きしたことが登頂断念という残念な結果を招いてしまったようだ。

【迷沢山 登山データー】
標 高  1,005.7m
駐車場  上平沢林道ゲートの横に5~6台停めることができる駐車場がある。
行 程  林道ゲート→(1時間20分)→第2送電線→(30分)→迷沢山山頂付近→(1時間20分)→林道ゲート
時 間  登山(1時間50分)、下山(1時間20分) ※ただし、未登頂       
登山日  ‘15/08/23

ヘイトスピーチと表現の自由

2015-08-22 23:39:46 | 大学公開講座
 ヘイトスピーチ(憎悪表現)というと、日本においては在日朝鮮人に対する在特会(在日特権を許さない市民の会)の存在が耳新しい。一般的な感情としてマイノリティに対する嫌がらせのような行為は法で規制すべきでは、とも思うのだが、コトはそう単純でないという…。 

 時系列的にはこの講座の前にもう一つ受講したものがあるのだが、それは明日に譲り、北大公開講座「表現の自由と秩序」の最終講座(第4回)が8月20日(木)夜にあったので、それを先にレポートすることにした。この日のテーマはタイトルのように「ヘイトスピーチと表現の自由」と題して、法学研究科教授で、高等法政教育研究センター長を務める尾崎一郎氏が講義を務めた。

            

 尾崎氏は、氏の研究分野である「法社会学」について概要次のように説明した。「法社会学とは、法に関する社会的諸事象を他の社会的諸因子と関連づけ経験科学的に研究する学問分野」であるとし、けっして法そのものが研究対象ではない、と断りを入れた。
 そして、この「ヘイトスピーチと表現の自由」という問題(課題)は「終わりなき対立であり、噛み合わない議論」だとした。

 なぜ対立が終わらないのか、なぜ議論がかみ合わないのか、という点について、尾崎氏は次のように解説する。
 事実の問題として、被害者の被るダメージを重視するか、思想の自由市場が被るダメージを重視するか、という違い。
 規範の問題として、マイノリティの人権や尊厳を重視するか、個人の自己実現・自己統治の基盤としての普遍的な基本的人権としての表現の自由を重視するか、という違い。
 つまり両者の立ち位置が最初から違っているとした。

 尾崎氏が解説するには、ヘイトスピーチに対する法規制に消極的な論者は、対抗言論としての自由市場の確保と、政府(国家権力)の恣意的な介入を阻止することに意味があると主張するという。
 「自由市場」という耳新しい言葉を聞いたが、これは個人の多様な意見が自由に発信出来得る社会のことを指すようである。つまり法規制に消極的な論者は、事象に対する対処法より、原理的な価値である表現の自由の確保に重きを置くということなのだろう。

 尾崎氏は、自分の立ち位置を「現時点では」と断りを入れながら、法規制すべきとの立場を取りたいが、としながら法規制することのジレンマについて触れた。つまり、この問題について法規制は万能ではないという。
 その理由の一つは、国際人権法などにより国際基準を押し付けてくる諸外国より、我々日本人の方が高潔だと信じているヘイトスピーカーやそれを暗黙の裡に後押ししている層には効果がないということ。
 さらに、法規制することにより、彼ら(ヘイトスピーカー)の行為が確かに相手にダメージを与えている証拠であると、彼らが読み替えてしまう恐れがあること。
 そして、法規制の対象者となることによって生まれる倒錯した被害者意識をもってしまうこと。
 
 と挙げたが、ここらあたりはいかにも研究者たちが考え出した言説と感じられ、いま一つ説得力に乏しいとも受け取れるのだが…。

 リード文で示した在特会の在日朝鮮人に対するヘイトスピーチについては、大阪高裁が明確に在特会の非を指摘し、損害賠償を命ずる判決を下したが、そのことに対して私は何の違和感も感じなかった。
 その延長上に法規制の問題もあると認識していたが、コトはそう簡単な問題ではないことをこの講義で知った。
 
 北大公開講座「表現の自由と秩序」について4回にわたってレポートしてきたが、はたして講座の全容をレポートできたかと問われれば自信はない。しかし、こうして講座の内容を反芻することが私にとってはけっこうなボケ防止にはなっているのでは、と信じているところである。