※ 後編のはじめとなる「旧登山道」との分岐点の標識です。
旧登山道との合流点を過ぎると、それまでの刈り取ったササが敷き詰められていた道から、急にササのない道になった。辺りはハイマツが生い茂る中を往く道となった。
往く道の前方に余市岳山頂が見えたが、どうやら山頂を覆っていた雲が消え去ったようだ。
しばらく平坦な道が続いた後、コースは下り坂に変わった。ガイドブックによると、北東コルというところまで下がるらしい。約10分下り続けると定山渓登山道との合流点に達した。北東コルである。
※ ご覧のように登山道の様相が変わりました。余市岳には雲がかかっておりません。
※ 北東コルに下りる手前です。正面に登山道が刻まれています。正面のピークは山頂ではありませんでした。
ここからいよいよ本格的な登山の開始である。とっつきのところが何日か前の雨の影響か、濡れた道になっていた。
その濡れた道の辺りでこの日初めての登山者に出会った。4人組の彼らに頂上の様子を聞こうとすると台湾人だった。彼らは観光客に見えた。ロープウェイ駅にあった貸し出し用のパーカーを身に付け、足元はスニーカーだった。中の一人の女性は靴を泥まみれにしてかなり苦戦しているようだった。
※ こうした濡れた道も中にはありました。
それほど厳しい上りはないものの、それなりの上りが続く。立木が倒れていたり、ガレ場が現れたり…。それまであまり感じていなかった汗もかなり噴き出していた。
※ こうして立木が倒れたところも何か所か乗り越えて…
※ こんな細いガレ場は大雨の時には鉄砲水に襲われないでしょうか?
ササ原ではまったく見かけなかった高山植物も季節外れとはいえ、何種かは目にすることもできた。シマリスに出会ったのもこの辺りだった。
※ かなり長い時間をかけて名前を探したのですが…。エゾオヤノリンドウで正解?
※ こちらはハイオトギリだと思うのですが…。
旧登山道から格闘すること約50分、ようやく標識のある山頂に到達した、と思った。ところがそれは遭難者の慰霊のためのケルンが設置されたところで、山頂はその向こうにあった。そこにはなぜか観音像も立っていた。
※ 余市岳で遭難された方の慰霊碑でしょうか?北海道学芸大学と記されていました。
※ こちらも何かいわれのある観音像なのだとは思いますが…。
そのケルンのあったところは一つのピークであり、そこから山頂までは緩~い上りになっていた。途中で異様な光景に出会った。ハイマツの幹が白い肌を見せて横たわっていた。ガイドブックによると山火事の跡ということだ。
※ 山頂近くに写真のような異様な光景が広がっていました。
そこを抜けて間もなく、午前9時31分、「ごくろうさま」という標識に迎えられて山頂に到達した。山頂には2組の先行した登山者が憩っていた。
心配していた雲は山頂にはかかっていなく、眺望はそれなりに効いたが、方角によっては〈特に南東の方向〉雲が厚くかかっているところもあった。
※ 「ごくろうさま」の一言が嬉しい山頂の標識です。
※ 山頂から南の方角を撮ったパノラマ写真です。
※ 反対の東側を撮ろうとしたら雲に遮らていたので、西の方角を撮ったものです。
山頂で一通りの写真を撮った後、私は山頂直下に設置された別のケルンのところに腰を下ろした。今回は水とストーブを持参したので、カップラーメンとコーヒーを楽しみゆっくりと山頂に1時間滞在した。その間にも続々と後続の登山者が山頂に到達し、そして帰っていった。
※ こうして山頂でゆっくりとコーヒーを楽しんだ私でした。
山頂で1時間憩った後、下山を開始した。
下山時には多くの登山者と遭遇した。このことは私の登山開始が早かった、ということになるようだ。
その登山者の中に一人の豪傑(?)がいた。彼の足もとを見ると、なんと裸足にサンダルを履いているではないか!いくらなんでも私の常識の範疇外である。私は大仰に驚いてみせ、「大丈夫!?」と声をかけた。すると愉快そうに「大丈夫!」と答えが返ってきた。見ると彼は欧米系の外国人だった。彼は案外、そうした反応を楽しんでいたりして…。それにしてもあのササ原や、泥だらけの登山道をどうして登ったのだろう?
先週の迷沢山の登山が、登山とはいえ林道歩きに終始したのに比べ、今回の余市岳は登山後半にそれなりの急坂やガレ場もあり、登山気分を味わうことができた。
時間的には先週の迷沢山とほぼ同じ時間をかけたが、こちらの方が楽しむことができた山行だった。
【余市岳(ロープウェイコース 登山データー】
標 高 1,488.1m
駐車場 キロロスキー場に大きな駐車場有
行 程 新登山道登山口(ロープウェイ山頂駅)→(50分)→旧登山道との分岐点→(1時間)→余市岳山頂⇒(50分)⇒旧登山道分岐⇒(35分)⇒新登山道登山口
時 間 登山(1時間50分)、下山(1時間25分)
登山日 ‘15/08/30