田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

藻岩山を試しに登ってみた…

2023-12-26 18:03:49 | 北海道低山紀行 & Other
 はたして今の自分にまだ藻岩山を登ることができる体力はあるのだろうか?ここ数年続けてきた元旦の藻岩山登山が可能なのか、否かを知るために今日試しに藻岩山登山を敢行してみることにした。結果は果たして?

 私の過去の元旦の藻岩山登山を調べてみた。すると、2014年から初めて2023年までの10年間に6度(2014年、2015年、2016年、2020年、2021年、2023年)登っていることが分かった。意外に疎らであるが、このうち初日の出がきれいに見えたことは一度もないのだ。微かに太陽の顔を拝めたのが2度ほどという残念な結果である。一度くらいはきれいな初日の出を拝みたいと思っているのだがなかなか叶わない。
 ※ 慈啓会病院口の登山口です。
 私の体力が尽きぬうちになんとか一度くらいはと願っているのだが…。そこで2024年の元旦に登ることができるだろうか、とやや不安なところもあったので本日試しに登って観ることにしたのだ。そこに私はさらに自身に負荷をかけた。それは我が家から登山口までも徒歩で往復することを課したのだ。
 満を持して11時25分我が家を出発した。慈啓会病院登山口まで約4.3km、約1時間で到達することができた。天候も穏やかだったこともあり、途中で汗ばみ始めたので慌ててミドルレイヤーを脱いで体温調節をした。
 ※ 藻岩山には33体の観音像があるそうですが、その一つです。
 登山口で軽アイゼンを装着したり、ホットコーヒーを一口含んだりして12時30分、登山口をスタートした。けっして焦らず「ゆっくり、ゆっくり」と己に命じながら登り始めた。
 ※ 第一の区間の上りはそれほどではありません。
 藻岩山登山は大きく分けて三つに大別することができると私は考えている。第一の部分は登山口から米軍駐留軍が藻岩山に設置したリフト台跡のところまで、第二の部分はリフト台跡から馬の背まで、そして第三の部分が馬の背の標識から山頂までと大別している。

※ 日本で最初のスキーリフトが設置されたそうです。
 第一の部分はいわば助走区間である。困難な箇所は少なく徐々に、徐々に高度を上げていく区間である。私は今日この区間に30分を要した。
 続いて第二区間であるが、前半は平坦に近い道が続くが、後半には階段登行をはじめけっこうな急斜面が続き、藻岩山の稜線に出る。ここが「馬の背」である。この区間は20分を要して馬の背に到達することができた。ここまで私は意外に順調に登り続けることができた。

  ※ いよいよ厳しい階段登行の始まりです。コースは上方右のほうへトラバースします。
 そして第三区間である。この区間も前半はそれほど厳しい登りはない。私はこの比較的広い登山道を「藻岩山ゲイトウェイ」と密かに称している。というのも、この稜線では私が登ってきた「慈啓会病院口」、その他に「旭山公園口」、「小林峠口」、「北の沢口」と四つの登山口から登ってきた登山者の誰もが通る登山道だからである。(藻岩山にはもう一つ「藻岩山スキー場登山口」がある)
※ 私が密かに「藻岩山ゲイトウエイ」と呼ぶ道幅の広い登山道です。
 「藻岩山ゲイトウェイ」を過ぎると厳しい登りが始まる。まずは岩石がゴロゴロと転がっている中を直登する上りである。続いて、山肌を縫うようにジグザクのコースが長々と続く。そして最後は山頂目ざしての二か所の直登が待っている。疲れがピークの中での直登は辛い。そこを耐えると待望の山頂である。
※ 胸突き八丁、最後の直登です。
 意外や意外!ペースを自分なりに抑えたからだろうか?思っていたほどきつい思いをせずに山頂に到達することができた。もっとも登山に要した時間は1時間30分とそれなりに要したが…。
※ 産地用には「藻岩観音奥の院」が建てられています。
 時間は問題ではない。私に藻岩山を登るだけの体力があるか否かを推し量る登山だったのだから…。これで少なくとも藻岩山を登ることは可能と分かった。
※ 山頂から札幌市内の眺望は薄く靄っていました。
 問題は元旦の天気であるが、これが今のところの予報では見通しが暗い。どうも札幌は元旦の天気には恵まれていないようだ。奇跡が起こることを微かに信じながら登ることにしようと思っているのだが…。
 ちなみに今日は25,600歩、17.7kmの距離を歩いたとスマホの歩数計が示している。帰宅した私は疲労困憊だった…。           


北海道低山紀行 108 藻琴山

2023-08-14 20:12:50 | 北海道低山紀行 & Other
 おそらく「低山紀行」としては最後の山になるであろうと思いながら登った藻琴山だった。標高はちょうど1,000mの低山であり、難しい山ではないのだが、私にとってはいろいろな思いもある山だったこともあり、最後の山と決めていた…。 

 8月11日(金・祝日)、網走市内の14キロウォークを終え、続いて「藻琴山」の登山口がある「藻琴山展望台駐車場公園」に向かった。登山口に向かう途中、藻琴山の上空に雲が張り出してきたのを気にしながら向かった。実は4年前にも藻琴山登頂を目指したのだが、駐車場に着いたものの周りが深い霧に包まれていたために断念した経過があったのだ。
  
  ※ 登山口に設けられた「藻琴山展望台駐車場公園」です。公園の向こうにはレストハウスが建っています。
 今回、駐車場に着いたときには10数台の車が駐車しており、下山してきた人、これから登ろうとしている人がいて、「これなら大丈夫!」と私も登山の準備を始めた。
 駐車場のところには「ハイランド小清水725」という展望レストハウスが建っている。「725」という数字はレストハウスが建っている所の標高を表した数字である。つまり、藻琴山の標高はちょうど1,000mとされているから、駐車場横の登山口から標高差250mで山頂に到達できるというわけである。
  
  ※ 「ハイランド小清水725」というレストハウスです。この日は閉館していました。
 ところで、私が「藻琴山にはいろいろと思い出がある」と記したが、それは藻琴山に関して次のような思い出話があるのだ。私も歳をとったものである。自らの自慢話(?)を披露したくなってしまった。
 私が30台半ばの頃、藻琴山の麓にある某小学校に転勤となった。その学校では、毎年夏になると全校児童が藻琴山登山をするという行事が行われていた。つまりこの学校に通う子どもたちは6年間で6回も同じ藻琴山に登っていた。このことに私は疑問を抱いた。「子どもの発達段階を考慮した行事を行うべきなのでは?」と…。
 数年を経て、私はその学校の企画担当となった。私は全面的にこの学校の夏の行事を見直した。つまり小学校の最高学年である6年生には、学校の窓からいつも仰ぎ見ることができる「斜里岳登山」に挑ませたいと…。斜里岳登山となると、藻琴山よりは数倍、いや十数倍困難な登山となる。(同じ町の某小学校では一学期の修了式を斜里岳山頂で行っているという学校もあった)
 長々とは書けないので結果だけを記すと、私は自分が担任した学年での体験も含めて(その体験とは自分が担任した学年で5年生の時に25kmの海浜チャレンジウォーク、6年生時に斜里岳登山を試み済みだった)学校全体の夏の行事を次のように企画し、提案した。
 テーマは「さあ 飛び出そう!オホーツクの夏へ チャレンジ93」
 ◇1年生 海浜チャレンジウォーク(距離 約3.5km)
 ◇2年生 藻琴山登山(標高1,000m)
 ◇3年生 海浜チャレンジウォーク(距離 約15km)
 ◇4年生 雌阿寒岳登山(標高1,449m)
 ◇5年生 海浜チャレンジウォーク 斜里―小清水間(距離 約25km)
 ◇6年生 斜里岳登山(標高1,545 m)
 職員、父母などとの喧々諤々の議論を経たうえで実施し、身体に故障を抱える子ども以外は見事に当初の目的を達することができた、という忘れえぬ思い出を持っているのだ。(年寄り故の自慢話です)
 そんな私からすると、小学校2年生全員が登ることができる山なのだから…、と軽く考えていたところがあったことは正直に吐露したい。しかし、やがて77歳を迎えようとしている私の身体は相当に老化していることを痛いほど自覚させられる登山となった。もっとも網走市内のウォーキングを終えた後で疲れ果ててはいたのだが…。
  
  ※ 駐車場公園から続く藻琴山登山口です。
 登山道は本格的だった。高い山に自生するハイマツの間を縫うよう細い登山道が続いていた。それほど急角度の傾斜はなかったが、それでも絶え間なく高度を上げていく。
  
  ※ 写真のようにハイマツの間を縫うように登山道は続いていました。
  
  ※ 迷うことなどあるまいと思える登山道にもこのような道しるべのテープが下がっていました。(冬道用かな?)
 登り続けること30分も経った頃だったろうか?ようやく尾根の一端に辿り着いた。そこからは下界の屈斜路湖や川湯の市街地を望むことができた。
  
  ※ 尾根に出た時、屈斜路湖が眼下に望めました。しかし、上空には雲が。
 問題はそこからだった。尾根に辿り着いたのだが、そこから何度下ったり、登ったりしたろうか?そして山頂を遠くに望みながらもなかなか近づかないもどかしさを感じながら登山が続いた。途中にはちょっとした岩場もあった。
  
  ※ 向かう一番高いところが藻琴山々頂です。
  
  ※ こちらは山頂手前のピークです。
  
  ※ この日最も良く屈斜路湖が望めた一枚です。中の島もくっきりと映りました。
     
     ※ 「屏風岩」です。この周辺は岩場となっていました。
 尾根伝いの上り下りを確か4度くらい繰り返したろうか?ようやく望めた山頂付近は無念にも霧に包まれていた。
  
  ※ 山頂が近づくにつれて霧が山頂を覆い始めました。
そんな無念の思いを抱きながら、登山口からちょうど1時間後に山頂に辿り着いた私だった。 
   
  ※ 周りは何も見えない「藻琴山々頂」です。        
 山頂に辿り着き、そういえばまだ学齢期に満たなかった長男と共に山頂に立ったなぁ、ということも思い出していた。
   
   山頂直下です。山頂は狭いため、登山者たちはここのガレ場で疲れを癒します。私もそうしました。         
【藻琴山 登山データ】 標 高  1,000m
行 程  スカイライン遊歩道登山口(7合目)→(60分)→藻琴山々頂→(45分)→スカイライン遊歩道登山口
駐車場  藻琴山展望台駐車場公園 30台駐車可能
天 候  晴れのち薄曇り、微風
登山日  ‘23/08/11

北海道低山紀行 硬石山(登頂断念!)

2023-03-02 16:31:46 | 北海道低山紀行 & Other

 う~ん。春山の腐れ雪の中を徘徊することおよそ1時間30分、体力の限界に達してしまった。あと30分も頑張れば、あるいは何とかなったのかもしれないが、老体にこれ以上ムチは打てなかった…。潔く敗退を決めた私だった。

 2週間前に腰を打ったところの回復状態が思わしくなく、このところ運動系は控えてきた。腰の状態はそれほど酷くはないのだが痛みがなかなか引かなかった。そこで昨日、整形外科で診察をしてもらったところ、レントゲンでも異常は見つからず担当医は「全く問題ない!」と太鼓判を押してくれた。そうすると気分は俄然ポジティブとなった。「どこか軽い山に登ろう!」と思い立った。目指すは「札幌50峰」にも入っている標高371mの硬石山(「こうせきやま」とも「かたいしやま」とも呼ぶらしい)である。

 硬石山については、国道を走っていると裾野部分が採石場になっているのでその場所については知ってはいたが、登山についての知識は皆無だった。ウェブ上を繰ってみると「サクッと登る」とか「朝、出勤前に登る」などの記述があり、「あるいは私でも登れるのでは?」との思いから「登ってみよう!」と思い立った山だった。

   

  ※ 札幌市内から走り石山橋を過ぎたところで駐車したのだが、車の跡がなく不安になった。

   

   ※ 徒歩で周囲を観察したところ「硬石山」の表示を見つけてホッとしました。

 ところが硬石山は、サクッと登れる山でも、朝飯前の山でもなかった。私が登ろうとしている冬山は、ほんとの小さな山ばかりで足跡がはっきり残っているような山ばかりである。ところが硬石山は数日来の降雪で先行者の足跡は残っていなかった。雪の状態はここ数日の高音のために腐れ雪状態、おまけに深雪でもあったのでスノーシューを装着しての登山となった。登山道らしきところに残っていたのは大量の糞を残しながら周辺を徘徊しているエゾシカの足跡ばかりだった。その足跡に残る大量の糞を踏みしめながら(これが気分がよろしくない!)あちこちと歩き回ったのだが、なかなか本来の登山ルートに乗ったという感覚が持てなかった。

   

   ※ 登山口に表示されていた案内図です。私は東回りコースを取りました。

 30分間徘徊した後、一度登山口に戻り登山口に表示されていた「東回りコース 夏道 低山ですが急登です。積雪期は滑落の恐れあります!それなりの装備をして登って下さい」という注意書きを見て、そこを避けたのだが頼るものがなかった私はその夏道といわれるコースを辿ってみることにした。相変わらずのエゾシカの通った跡であったが、急登を尾根まで上ると、微かに先行者の足跡らしきものが残っていた。エゾシカの足跡が私を惑わせたが、なんとか微かな先行者の足跡を追いながらゆっくりと一歩一歩高度を上げていった。しかし、腐れ雪は私の体力を徐々に奪っていった。表示のところから登り始めて55分、山頂と思われる所は頭上遠くにの望むことはできたが、無理をするのは絶対に禁物と思い、潔く登頂断念を決めた。

   

   ※ 山の裾野は写真のようなエゾシカの足跡がいたるところにありました。

   

   ※ エゾシカの糞ももういたるところに転がっていました。

   

  ※ やや写りが悪いですが、エゾシカたちはこうして木の皮を食べ尽くして冬の命を保ちます。

 下山がまだ大変だった。腐れ雪の上、深雪状態は急斜面でスノーシューの爪ではブレーキが効かなかった箇所が何度もあり、私は3度も転倒しながらなんとか登山口に戻ってくることができた。低山といえども侮ることなかれ!である。今の気分としてはリベンジは難しいかな?という気分である。

   

   ※ この表示にはビビりましたが、選択肢がなくなり夏道コースを辿ることにしました。

   

   ※ 急登を登り、尾根道に出たところだと思います。

   

   ※ 振り返ると石山地区の街並みが眼下に見えました。

   

   ※ 登頂を断念したポイントです。

【硬石山 登山データ】
標 高  371m

行 程  登山口→(30分)→登山口周辺徘徊→(55分)→登頂断念→(30分)→登山

     口   駐車場無し

天 候  晴れ、微風

登山日  ‘23/03/01


北海道低山紀行 108 荒井山

2023-02-16 13:55:47 | 北海道低山紀行 & Other

 標高185mだからといって侮るなかれ!全コースが新雪に覆われ、膝下までスノーシューが沈む中をラッセルすること30分。70?歳のお爺には十分に登り応えのある荒井山だった。

 連日の冬山低山登山である。というのも、実は前日に大倉山を登った時に、大倉山の下にある荒井山も同時に登るつもりで出かけたのだ。ところが荒井山の場合、周辺をいくら探しても駐車する場所が見つからなかった。残念だったが、これは車を使わずに公共交通機関で登山口まで来る以外に方法はないと悟り、諦めることにした。

   

   ※ 荒井山の登山口に至る入口です。「関係者以外の車両の乗り入れ禁止」の表示が…。

 帰宅すると悔しさが募った。「近いうちにリベンジを!」との思いがあったので、この日(2月15日)目覚めると、他のスケジュールが入っていたのだが、好天だったことも手伝い荒井山に登ることを優先した。

 荒井山の登山口に行くには、地下鉄の「円山公園駅バスターミナル」発着のバスを利用する方法がある。バスの発着地点となる地下鉄の「円山公園駅バスターミナル」まで歩いて向かったところバス便に間に合わなかったりして、新井山の登山口に立った時は午前11時を過ぎていた。

   

   ※ 荒井山緑地の一角、私は写真に見える小山の頂を目指して直登しました。

    (夏季の登山道は写真左側から林の裾野に造られています)

   

   ※ 上の写真からカメラを少し右に振ると、目指す荒井山々頂が見えます。

   

   ※ さらにカメラを見議に振ると、荒井山のジャンプ台が視界に入ります。

   

   ※ 登山口のところに建つ大倉山小学校の校舎です。

 荒井山の裾野の部分は「荒井山緑地」となっていて、以前に「札幌市内の緑地巡り」をしていたときに一度訪れていたが、ここの緑地は札幌市内の他の緑地と違い、市民に積極的には開放していないように見える緑地なのだ。つまりここの緑地は「荒井山ジャンプ競技場」として利用することを第一の目的としているように映った。(荒井山ジャンプ競技場はK点が55mのミディアムヒルと、K点が25mのスモールヒルの二つのジャンプ台を備え、夏季も飛ぶことができるジャンプ台である。少年少女ジャンパーの育成を目的としたジャンプ台のようだ)だから駐車場なども設けていないと思われる。     

 その緑地に入り、スノーシューを装着した。裾野のところでは隣接して建つ大倉山小学校のスキー授業(低学年?)が行われていた。夏の登山道は緑地を巻くように造られているが、冬季は全体が雪原となるため私は目の前に見える坂を真っすぐに直登することにした。(夏季は周囲が雑草に覆われているためにとても直登することはできない)2月に入り雪が良く降っていることから、新雪が降り積もり、踏み込むスノーシューは膝下くらいまで埋まり、けっこう負荷のかかる登りとなった。登り始めてから15分ほどで荒井山登山の中間点となる「荒井山展望台」に到達した。そこには「眼下のスロープは荒井山スキー場として昭和五十年代まで大変賑わいました」と記された看板が立っていた。以前はジャンプ台だけでなく、一般のスキーヤーも楽しむことができるスキー場だったようだ。

   

   ※ 私が目の前の雪山を直登したスノーシューの跡です。

   

   ※ 雪山の頂から横を見ると荒井山ジャンプ競技場が良く見えました。

   

   ※ 下の方を見ると、大倉山小学校の校舎、そして札幌市街地が望めました。

   

   ※ さらに少し登ったところに「荒井山展望台」がありました。

 「荒井山展望台」を過ぎると、林間に入り本格的な登山となる。私は山頂がどこなのか分からないまま入山したのだが、幸いなことに何日か前に先行者がいたようで微かな踏み跡が残っていたので、そこを辿りながら登り続けた。山頂直下はかなり斜度もあるために登山道は大きくジグを切りながらの登山となった。登りながらフッと気が付くと前日登った大倉山ジャンプ競技場が林越しに見ることができた。つまり、荒井山の山頂の標高と、大倉山の登山口の標高が同じ程度なのかもしれない。そうこうしているうちに登山開始からおよそ30分後に荒井山山頂に到達することができた。山頂は木が生い茂り、眺望は良くなかったが、周囲の円山、三角山などが林越しに見ることができた。   

   

   ※ 荒井山展望台を過ぎると、やや本格的な雪山登山の様相を呈してきました。

   

   ※  これは私の登ってきた跡を写したものです。

   

   ※ フッと気づくと林越しに前日登った大倉山のジャンプ競技場が見えてきました。正面はジャンプ競技の観覧席です。   

   

   ※ 荒井山の山頂標識です。

   

   ※ 山頂から見えた三角山です。

   

   ※ 同じく円山です。

 なお、「荒井山」も「大倉山」と同じく「札幌50峰」に入っている山である。               

【荒井山 登山データ】
標 高  185m

行 程  登山口→(30分)→荒井山々頂→(15分)→登山口

            駐車場無し

天 候  晴れ、微風、小雪混じり

登山日  ‘23/02/15


北海道低山紀行 107 大倉山

2023-02-15 15:43:29 | 北海道低山紀行 & Other

 前日にかなり雪が降ったこと、そのうえ階段登行は雪のために滑りやすく思いのほか難儀しながらの登行となった。大倉山ジャンプ競技場を横目に、大倉山のすそ野から直接山頂に至るルートは意外に手強かった。

 これまで何度も大倉山々頂には立ってはいるのだが、全て三角山から奥三角山への縦走の途中に寄ったケースばかりだった。そこで今回、大倉山の登山口から初めて登ってみることにした。

 天気が良く、風もなく、登山日和と言って良い天候だった。大倉山には観光客用の駐車場が完備されている。駐車場から大倉山ジャンプ競技場までは長いエスカレーターで導かれる。

   

   ※ 駐車場から大倉山ジャンプ競技場に導かれるエスカレーターです。

   

   ※ エスカレーターを降りると眼前にジャンプ競技場が迫ってきます。

 登山口は特に表示はないのだが、レストランや売店が入ったビルの脇に先行者の足跡があり、登山道に導かれる。登山道は途中までジャンプ競技の観覧席に向かう道と共用であるが、そこを過ぎると直ぐに階段登行が始まった。この階段が曲者だった。階段には雪が積もっていて、階段の体を成していないのだ。その上に夜間に降った新雪が載っていた。そこはもう急斜面以外の何物でもなかった。私は何度も何度も滑ることを繰り返しながら歩を進めた。幸いアイゼンを持参していたので途中でそれを装着したが、固雪とは違い柔らかな雪ではアイゼンもそれほど効き目はなかった。

   

   ※ 大倉山登山はジャンプ競技場の右手のレストランの建物の脇を通って向かいます。

   

   ※ 登山口の近くに北海道スキーの発展に大きく寄与した大野清七博士を顕彰する碑が建っていました。

   

   ※ 登り始めです。この日の先行者が1人いたようで助かりました。

 私は無理することなくゆっくり、ゆっくり登ることに徹した。とは言っても国際級のジャンプ台の横を登ることは急斜面の連続である。背中に汗をかかないように注意しながら登ったが、ジャンプ大会のスタートハウス直前の急階段には閉口した。私は下山の際にその階段のところで3度も足を滑らせ尻もちをつくほどだった。

   

   ※ 階段は雪のため階段の体をなしていません。ただの急坂はとても滑りやすかったです。

   

   ※ 登山中にジャンプ競技場のカンテ(踏切台)が望めました。

   

   ※ ジャンプ競技のスタートハウスが見えてきました。もうひと息です。

   

   ※  このジグザグの階段が曲者で、下山時に私は3度も滑って尻もちをつきました。

   

   ※ スタートハウスを背後から見たところです。

 それにしても大倉山の形状はジャンプ台の造成には理想的な山容なのだと改めて思いながら登った。というのも、ちょうど二つの尾根に挟まれた形で風を避けることができ、さらに自然の形が適度な斜度となっている。確か荻原次晴さんが言っていたと記憶するが、ジャンプ台で自然の形状で世界基準のジャンプ台があるのはそう多くないという。現在の世界のジャンプ台は長野がそうであるように、ほとんどがコンクリート製のアプローチをもったジャンプ台だという。それらコンクリート製のジャンプ台はルールの変更などがあっても造り替えることができないけど、大倉山だと自然に対して少し手を加えれば新しいルールにも適合することができるというようなお話をしていたと記憶する。

   

   ※ 尾根の上を往く登山道です。左側がジャンプ台のある谷、右側も谷になっています。

 そんなことを考えながら、急斜面を登り続けること50分。なんとかこれまで何度も目にした大倉山の山頂標識のところに辿り着くことができた。

   

   ※ 簡素な大倉山の山頂標識です。

 下山は先述したように3度も尻もちをついたが、登山に比べると楽ちんである。およそ20分で下山することができた。なお大倉山も「札幌50峰」に名を連ねる山である。

   

   ※ スタートハウスのところからランディングバーン、ブレーキングトラックを見たところです。

    

   ※ よく言われる選手たちは札幌の街に飛び込んでいくようにジャンプするといわれるシュチエーションです。               

【大倉山 登山データ】
標 高  307m

行 程  登山口→(50分)→大倉山々頂→(20分)→登山口

          ※ 駐車場有

天 候  晴れ、微風

登山日  ‘23/02/14


北海道低山紀行 106 丸山(手稲丸山 or 富丘丸山)

2023-02-02 13:30:59 | 北海道低山紀行 & Other

 “山椒は小粒でもピリリと辛い” と言うが、丸山はまさにそんな山だった…。過日登った赤坂山と標高は変わらないのに、山容(登山道)は未整備でワイルドなうえ、けっこうな斜度で上り続ける登山道はけっして私にとって気楽な登山ではなかった…。

   

   ※ 「丸山」から少し離れると山容を望むことができます。この写真はウェブ上から拝借しました。

 「円山」ではない。「丸山」である。通称「手稲丸山」とか「富丘丸山」と呼ばれていて標高は「赤坂山」が140mに対して、「丸山」の方は141mと、いずれも極低山である。

 1月31日(火)、前日二つのスキー場で滑った私はかなり疲れていたようで、ぐっすりと眠り起床したのは午前10時半だったが、戸外を見ると晴れていたので「登ってみよう!」と手稲にある「丸山」に向かった。

 ネット情報だけで向かったのだが、札樽高速自動車道のアンダーパスを過ぎると直ぐ右手に登山口らしいところが認められた。ところが前々日に大雪が降ったために、駐車できるようなところが皆無だった。かろうじてアンダーパス手前に広く除雪されたところがあり、そこに駐車させてもらうことにした。

   

   ※ 登山口です。特に表示はありません。右手に見えるのが札樽高速自動車道のアンダーパスです。

 そしてアンダーパスを徒歩で通過し、登山口に立つと前々日の大雪の後、二人くらいの足跡が続いていた。私もその後に続いて歩き始めたのだが、直ぐに「これはツボ足では無理だ」と判断した。一歩一歩が深く雪の中に沈むのだ。そこで車に引き返してスノーシューを取り出し、スノーシュー登山に切り替えた。今シーズン初めてのスノーシューである。

   

   ※ 最初の歩き出しのところですが、ここに足を踏み入れた直後にスノーシューを用いることを決めました。

スノーシューに切り替えたのは正解だった。久しぶりのスノーシューも心地良かった。ところがコースは徐々に険しさを増していった。私のスノーシューは登山仕様ではないのだが、金属製の4~5cmの爪が付いている。ところが斜度がさらに急になると、雪が柔らかいこともあって、時には爪が効かずずり落ちてしまう場面も多々あった。

   

   ※ 登り始めは写真のように平坦に近かったのですが…。

   

   ※ 徐々に斜度が急になっていきました。

   

   ※ 中には写真のように灌木の間を潜っていかねばならないところも…。

 登山路も整備されているとは言い難く、時には灌木の隙間を潜りながら登らねばならないところもあった。まさに “山椒は小粒でもピリリと辛い” 小さな山だった。険しいがゆえに、私の体力では何度も休憩を入れながらの登山となった。眼下には札樽高速自動車道が伸びているのが望めた。

   

   ※ 途中で振り返ると、札樽高速自動車道が伸びているのが望めました。

 標高141mの山であるが、登山口からの標高差は手稲地区が海に近いこともあり100m以上の標高差はあるのではないだろうか?そこを私は平均では15分程度で登ることができる山に25分もかかって山頂に立つことができた。下山が10分で降りてくることができたことからもけっこうな斜度を有した山であることが分かっていただけると思う。

   

   ※ 手作りの山頂標識が付けられていました。

 山頂からの眺望は灌木に阻まれて良くはなかった。

   

   ※ 山頂から手稲中心街の方を望みましたが、灌木に遮られて眺望し良くありません。

   

   ※ 山頂の眺望の反対柄、手稲山のスキー場が望めました。

 なお、「丸山」は「札幌50峰」の一つに含まれているが、先の「赤坂山」はそこに含まれていない山ということだ。その違いが何かについて、私はよく分からない。

   

   ※ まだまだ健在、私の愛機TUBBS製のスノーシューです。

【丸山 登山データ】
標 高  141m

行 程  登山口→(25分)→丸山々頂→(10分)→登山口

          ※ 登山用駐車場無

天 候  晴れ、弱風

登山日  ‘23/01/31

 


北海道低山紀行 105 赤坂山

2023-01-20 13:30:43 | 北海道低山紀行 & Other

 私の低山紀行の中でも圧倒的に標高が低い山である。標高が僅か140mの山であったが、この赤坂山が地域の人々からいかに愛されている山かを随所に垣間見ることのできた心楽しい登山だった。※ 「登山」と称するよりは山道散策と称した方が適切だが、一応低山紀行にカテゴリングすることにしました。

 赤坂山の存在を知ったのは今年に入ってからである。ブログを通じて知り合ったmaruyamamituwaさんのブログでその存在を知った。すでに本格的な登山は体力的に無理と考えている私である。しかし、山の魅力忘れ難しと思っている私に「赤坂山」はわたしにも無理なく登ることができる魅力的な山に映った。18日(水)、特に予定のなかった私はmaruyamamituwaさんのアドバイスに従い登山口に向かった。

 車で向かったのだが、なんと登山口には登山者のための駐車場が用意されていたのだ。前日に大雪が降っていたのだが、しっかりと除雪もされ、3台程度が駐車できるスペースがあった。そこにはボランティアの方が除雪など維持管理をしていることが表示されていた。

   

   ※ 看板の表示が一部見えませんが「登山者駐車場」と読めます。

 駐車場から少し離れた登山口に着いた。すると、明らかに地域住民の手で作成されたと思われる案内が表示され、安心して登山できる雰囲気に溢れていた。それからも登るにつれて地域住民の赤坂山を愛する心が随所に表れていた。

   

   ※ 登山口の表示です。たくさんの情報が表示され、安心して登ることができます。

   

   ※ 大雪の後だったので、人一人が歩ける幅だけの登山道でした。

 例えば、登山道脇の案内板には「山頂まで330m   12ふん がんばろー」などと励ましの表示が書かれていた。例えば、山道脇に大木が現れたが、その幹には「大きな」と書かれた札に栗のイラストが描かれていた。例えば、やや斜度が増したかな?と思われるところにはロープが張られて登行を助ける配慮がなされていた。例えば、登山道脇のあちこちに休憩用のベンチが配されていたが、そのベンチが見事に除雪されていた、などなど他の登山道では見ることのできない配慮がいたるところで見て取れた。

   

   ※ 木の看板には「P140  さんさく路 山頂まで330m  12ふん がんばろー」と表記が…

   

   ※ ちょっとした登りにはこうしてロープが張られていました。

   

   ※ 各所にあったベンチはきれいに除雪されていました。

 そうしたことに感心しながら登り続けていると、上から一人の方がスコップを手に下山してきた。挨拶をさせていただき、スコップを手にされている訳を尋ねると「ベンチの除雪をしてきました」という答えだった。

 天気は晴れ、地域の方々が愛されている赤坂山を気持ち良く登り続けると15分ほどで山頂に着いた。山頂手前の展望台からは標高が低いにも関わらず、札幌市内の眺望が見事だった。

   

   ※ 山頂の少し下に位置する展望台からは札幌の街並みが。こちらは西区方面です。

   

   ※ こちらは高層ビルが望める市の中心街方面です。

 私は続けて、赤坂山々頂の近くにあるらしい「寺口山」の山頂標識を探してさらにその奥を探した。あちこちと歩き回ったのだが、残念ながら山頂標識を見つけることはできなかった。

   

    「赤坂山」の山頂標識です。              

 今回、「赤坂山」を登ってみて、札幌市内には私の知らない標高の低い小さな山がけっこうあるらしいことが分かった。こうした登山可能な小さな山を登るのもいいなぁ、と考えている。(赤坂山から大倉山~三角山という縦走路があることも分かった) 

【赤坂山 登山データ】
標 高  140m

行 程  登山口→(15分)→赤坂山々頂→(10分)→登山口

          ※ 登山用駐車場有

天 候  晴れ、微風

登山日  ‘23/01/18


元旦登山 & 絵馬

2023-01-01 15:51:50 | 北海道低山紀行 & Other

 皆さま、明けましておめでとうございます。

           今年もどうぞよろしくお願いいたします!

 漆黒の闇の中、小さなヘッドランプの光を頼りに一歩一歩歩を刻む。微かな期待を抱いて向かった藻岩山だったが、期待は無残にも打ち砕かれた。今年も札幌の空に太陽は輝いてくれなかった…。

   

   ※ 日の出時刻の藻岩山山頂はご覧のような状況でした。

 予告していたとおり、本日未明に藻岩山登山を敢行した。予報は「曇り時々雪」というものだったが、例え太陽は顔を出さなくとも東の空が茜色に染まってくれないだろうか、という期待を抱いて朝4時に起床し、藻岩山に向かったのだが…。

 日の出時刻に登頂を合わせるにはやや早いかな?と思われたが、登山口を5時05分にスタートした。天気は雪が絶えずちらほらと舞い落ちる天気だった。気温は高い。(ある登山者の情報だと0℃ということだった)意識的にゆっくり歩を進めても、時間が経つと背中に汗を感じるくらいだった。体温調整のために、アウターの胸元を大きく開け、ストックを持つ手は素手にして登った。

   

   ※ 私の先を行く二人組です。このような漆黒の中をスタートしました。

 雪は降り続けていた。足元はテスト登山の際に私の持っていた軽アイゼンがやや心もとなかったので、新たに6本爪の軽アイゼンを購入して挑んだ。(以前のは4本爪だった)アイゼンの爪が雪をしっかりと噛んでくれたために心地良く登山を続けることができた。テスト登山のときよりさらにゆっくりと歩を進めたために山頂に立ったのは午前6時45分だった。登山に要した時間は1時間40分だった。(テスト登山の時は1時間30分。これでも相当に遅い)

   

   ※ 藻岩山の山頂標識が作られていたことを初めて知りました。

 山頂に至っても天気は変わらず、厚い雲が空を覆っていた。山頂には登山で着いた人、ロープウェイで着いた人たちで賑わっていたが、それらの人たちも諦め顔で日の出時刻を待った。日の出時刻の7時06分が来ても状況は変わらなかった。どうも最近の札幌は元旦の天気に恵まれていない。私の記憶では2016年に太陽の顔を拝めたのが最後だったような気がする。「今年こそ!」の思いは叶わなかった。

   

           ※ 日の出を待つ観光客や登山客です。

   

   ※ 日の出時刻後、眼下に薄っすらと札幌の街並みが望めました。          

 残念だが仕方がない。太陽こそ顔を出さなかったが、天気自体は小雪が舞い落ちていたとはいえ、穏やかな新年を迎えることができたのではないか、と思うことにした。今年が天気同様の穏やかな一年であってほしいと願いつつ下山した。

 続いて私は帰宅せずに、円山動物園に向かった。円山動物園では三が日の三日間に干支の絵馬を市民に配布するサービスを実施している。それを私が知ったのは3年前だったが、以来毎年三が日のいずれかに動物園を訪れ絵馬をいただいてきた。そこで今年は藻岩山登山後にいただくことにして動物園に向かったのだ。

 開園時刻まで約1時間待たされたが、それを耐え無事に今年も絵馬をゲットすることができた。併せて今年は動物園内の「子ども動物園」に向かい、干支のウサギを写真に収めて帰宅した。

     

     ※ 円山動物園でいただいた兎の絵馬です。

       

      ※ 円山動物園内の「子ども動物園」で見たたくさんのウサギたちです。

 今年もまた健康でいられるかぎり、本日同様に札幌のあちこちに出没し、拙ブログにてレポしたいと考えています。どうぞよろしくお願いします!                                        


北海道低山紀行 104 ふくろう山(当別町)

2022-02-16 12:36:36 | 北海道低山紀行 & Other

 標高291.4mの超低山と侮るなかれ。齢75のお爺にとっては十分すぎる負荷を与え続けてくれたふくろう山だった。特に登山開始直後の超急登は初めての体験だった。苦労の末に待っていたのは素晴らしい眺望だった。

 苦労の末に見つけることができた登山口に立った時には12時を過ぎていた。私が立った登山口は当別ダム管理事務所の道路向かいからいきなり急斜面を登るルートで、おそらく冬だけ登坂可能なルートではないかと思われた。登り始めからスノーシューの爪がようやく効くほどの超急斜面の直登が続いた。(この部分を下山するときは、とても直降は無理で私は大きくジグを切りながらようやく降りてきた)

   

※ 昨日の投稿にも掲載したが、登山口は写真の手前のほうからスノーシューの跡を見つけ、そこに取り付いた。

   

※ この写真がその取り付き口です。

 極端な急斜面との格闘が15分も続いたろうか?やや斜度が緩くはなったものの、尾根に向かって急斜面は続いた。眼下には当別ダムに堰き止められてできたふくろう湖が横たわっているのが見えた。途中、3人組の婦人たちのグループが下山するのに出会った。彼女たちも登山口の急斜面には驚いていた。

   

※ 超急斜面の一枚ですが、その様子が伝わる一枚にはなっていません。

   

※ 林の中に入り、斜度がやや緩やかになったところです。

   

   ※ とは言っても、横の立木を見るとその斜度の様子がよく分かります。

 やがて尾根に取り付くことができた。眺望が一気に広がり、山頂での眺めに期待を抱かせてくれた。最初のピーク南峰に近づくと、生えている木が疎らとなり最後の急登を巻くように上るとそこが南峰だった。時計を見るとちょうど1時間が経過していた。ここに「ふくろう山」の標識があると認識していたが、周りを見渡してもそれらしきものを発見することはできなかった。目の先には北峰(ふくろう山々頂)が招いていた。

   

    ※ 尾根に取り付いたところのスノーシューの跡です。

   

    ※ 途中から望めた氷結したふくろう湖の様子です。

   

   ※ 南峰から北峰を見たところです。

 南峰ではほとんど止まらず、直ぐに北峰に向かった。一度下って、上り返すのは気分的には滅入るものがあるが、15分かかって13時40分「ふくろう山」山頂に立つことができた。南峰にあると思っていた山頂標識が北峰に掲げられていた。

   

   ※ 北峰山頂の立木に打ち付けられていた「ふくろう山」の山頂標識です。ふくろうの絵が描かれています。

   

   ※ 北峰から見た南峰です。

 山頂からの眺望は素晴らしかった。遠くまで見渡すことができた。ただ、やや霞がかかっていたかな?というコンディションだったが、私には十分だった。私は周囲360度の写真を撮り、妻の手作りのサンドイッチを温かな紅茶で流し込み、山頂滞在10分で下山を開始した。   

   

   ※ 山頂から最も近くに見えた「阿蘇岩山」です。頂上にレーダーが設置されています。

   

   ※ この秀麗な山容は何でしょうか?他のブログを拝見しても特定できませんでした。

   

   ※ ふくろう湖の後方に樺戸連山が遠望できます。

   

   ※ その樺戸連山にズームインです。

   

   ※ こちらも私には分かりません。

 私の足で、登山に1時間10分だったのに対して、下山には40分しかかかっていない。つまり登山に2倍近い時間がかかっている。いかに私が急登に苦しめられたをお察しいただけると思う。超低山といえども侮るなかれ、である。

 結局、当初予定していた「石狩平原スキー場」でのスキーは登山口を探すために時間を使ったことで時間がなくなり、断念した。何時の日か訪れることができれば…。

【ふくろう山 登山データ】
標 高  291.4m

行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(60分)→南峰→(15分)→ふくろう山々頂(北峰)→(10分)→南峰→(30分)→登山口

上り(1時間10分)  下り(40分)

天 候  晴れ、微風

登山日  ‘22/02/15

《北京冬季五輪寸評》

 昨夜の複合ラージヒルの渡部暁斗選手の銅メダルは非常に価値ある銅メダルだと思う。渡部選手は日本の他の複合選手とは違い、ジャンプとクロカンのバランスが取れた選手である。そのことが過去数年にわたってヨーロッパの強豪と互角に競り合ってきた要因だった。しかし、近年は渡部選手も30歳を超えたこともあり(本年33歳)なかなか好成績を残せず苦戦していた。渡部選手は今大会限りで第一線を退く覚悟をしていたようだ。そうした中でわずか〇コンマ差で金メダルを逃す大接戦を演じたことは特筆すべき大健闘だった。渡部選手には今後第一線を退いたとしても、自身のようにジャンプとクロカンのバランスが取れて世界に伍していく選手をぜひ育てていただきたいと思う。

 さて、前半戦好調だったのだが、ここにきて二連敗を喫して俄かに暗雲が漂ってきたロコ・ソラーレは今晩アメリカと第8戦を行った。睡魔と戦いながら勝負がつくまで見守ったが、なんとか勝利を掴み、対戦成績を5勝3敗とした。敵失にも助けられなんとか希望を繋いだが、明日の最終戦対スイスとの一戦に決勝トーナメント進出を賭けることとなった。ところがスイスは現在予選リーグでトップを走っているチームである。難しい試合となりそうだが、彼女らのチームワークを最大限に発揮して決勝トーナメント進出を果たしてほしいと願っているのだが…。明日の試合も固唾を飲んで見守りたいと思う。


当別町・ふくろう山登山口探索編

2022-02-15 19:59:50 | 北海道低山紀行 & Other

 微かな土地勘とリサーチ不足で現地に赴いた報いを思いっきり受けてしまった。現地で私は登山口を探して右往左往。1度ならず、何度も諦めかけたがなんとか所期の目的は達することができた。しかし登山そのものより、探索編の方が記録として残すことが多そうなので二日にわたって投稿することにした。

   

※ 今日は天気が良く眺望も良かった。ふくろう山々頂から当別町の市街地方面を望んだところです。

 ブログを通して交流のある「ピンネの風に揺られて」のブログ子のつうぅさんが当別町にある「ふくろう山」に登ったというブログを投稿されたのを目にして、「私もいつか」と思っていた。

 天気予報を睨み「今日はチャンス!」と思い起床してみると期待どおりの晴天だったので、当別町に車を走らせた。同時に、これもブログを通じて交流のある「暑寒の戯言」のブログ子のsyokannさんのホームゲレンデである「石狩平原スキー場」でちょこっとスキーも楽しめたらとも思っていた。

 現地は 国道275号線を走り、当別の市街地からは道々26号線に乗り換えて当別の山中深く分け入って進む。その道々26号線を走っていると道路脇に「ふくろう街道」と書いた看板が目に入った。考えてみると当別ダムで堰き止められた人造湖が「当別ふくろう湖」、そして私が目指しているのが「ふくろう山」とずいぶん「ふくろう」という名を冠した名前が多い。試みに当別町の鳥(町鳥)を調べてみると、やはり「ふくろう」だった。なぜ当別町が町鳥を「ふくろう」にしたのか、までは調べることができなかったが、「ふくろうの湯」という温泉もあるようだ。

 さて、私はつうぅさんが掲載してくれたマップから当別ダムを目ざせば登山口に至ると理解した。私はこれまで3~4回、当別の山中深くにある青山地区の道民の森に行ったことがあり、その際当別川を横断するように走る橋を渡ったことが記憶にあり、それが当別ダムであると信じていたので、そこに向かって車を走らせた。自宅から1時間強かかってその橋を渡った。私はそこにダム管理事務所があることを信じていた。ところが!周りには何もなかった。その橋(望郷橋と命名されていた)が当別ダムだと信じている私は不思議に思い何度も行き来し、管理事務所を探したが見つからない。あせってしまった私はさらに上流まで車を走らせた。道路周囲には何も目に入らなかった。とうとう厚田方面との分岐点にまで至った。私は十分に下調べをしてこなかったことを悔やんだが後の祭りである。私は諦めて「スキーをして帰ろう」と思い、車を引き返し当別方面に走らせた。

 すると引き返してかなり経った頃だった。道路の左側に「当別ダム管理事務所」という建物が目に入った。疑心暗鬼ながら車を停め、建物の壁に描かれていた周辺の地図を見て、ここが登山口に至る駐車地点だと悟った。

   

※ 道路沿いにあった当別ダム管理事務所と当別ダムです。

 予定の時間からはかなり時間が経過していたが、まだ登山をする時間はあると判断して登ることを決心した。つうぅさんのブログでは、登山口は駐車地点から少し歩いて戻る(確か100mくらい)とあったので、スノーシュー抱えて道路上をあるいて登山口を探した。ところがこれが見つからなかった。駐車地点から300mも歩いたろうか?まったく誰かが歩いた形跡がなかった。あるいは大雪が降ってからは誰もふくろう山に登っていないため、スノーシューの跡もないのだろうと…。私は再び断念した。

 とぼとぼと車を駐車した地点まで戻ったところ、なんと!管理事務所の真ん前から急斜面に向かってスノーシューの跡があるではないか!つうぅさんが入山した地点とは違うけれど、ふくろう山に向かうスノーシューの跡だ!と確信し、私は再び気持ちを奮い立たせてふくろう山を目ざすことにした。(登山編は明日投稿することにします)

      

 ※ つうぅさんから提供いただいたマップです。せっかくのマップを生かすことができずスミマセン。

《北京冬季五輪寸評》

 スピードスケート女子パシュートは惜しかった…。決勝戦、日本の3人組はカナダをリードして終盤を迎えていたが、最終周になって高木菜那選手がバランスを崩して転倒し、残念ながら銀メダルとなった。原因は今のところはっきりしないが疲れからのようだ。選手たちは文字どおり体力の限りを尽くして競技に臨んでいることを伺わせてくれたシーンだった。

 好成績を収めたのはスノーボードビッグエアの村瀬心椛選手が銅メダルを獲得した。素晴らしいことだが、スキーのフリースタイルやスノーボードは種目が多くてちょっと分からないところがあるなぁ、という感じである。

 暗雲が漂い始めたのが女子カーリングである。昨夜の対韓国戦、そして本日の対イギリス戦に連敗してしまった。ここまでの成績は4勝3敗となった。決勝トーナメント進出には残り2試合に勝たねばならない状況となってしまった。う~ん。せっぱつまって底力を発揮してほしいと願いたい。

 今夜はスケートフィギア女子SPがある。ドーピング問題で揺れているが、日本選手ははたしてどこまで戦えるか?