北海道内を舞台にした懐かしい映画(と言っても新しい映画もあるのだが)を連続上映する「シネマの風景フェスティバル」が札幌東宝プラザ(中央区南2西5)で6/26~7/2の日程で始まった。私はお得な回数券を購入し、6本全部を観ようと張り切っている。懐かし映画の感想を数回にわたってレポートすることにする。
※ 「シネマの風景フェスティバル」のパンフレットです。
まず最初にフェスティバルで上映される6本のラインナップを紹介することにします。( )は制作年とロケ地です。
◇赤いハンカチ(1964年 函館市)
◇ギターを持った渡り鳥(1959年 函館市・森町)
◇白痴(1951年 札幌市)
◇南極料理人(2009年 網走市)
◇Love Letter(1995年 小樽市)
◇網走番外地(1965年 網走市)
映画を鑑賞した順に一言ずつ感想めいたことをレポートすることにします。
※ 「白痴」の映画ポスターです。原節子があくまで主役です。
最初に観たのが「白痴」です。
この映画はご存じのとおり、ドフトエスキー原作の作品を黒澤明監督が舞台をロシアから札幌に移して映画化したものです。
この映画が完成したときには4時間25分もの長さがあったそうですが(黒澤監督らしいこだわり?)、映画会社の意向で2時間46分に短縮されたそうです。そのためでしょうか、私が観てもストーリーが判然としない部分があったのも事実です。特に終末の部分には不満が残ります。
映画は昭和26年の冬の札幌のさまざまな場所でロケしていますが、人口がまだ約32万人台の古き札幌の様子が活写されています。今と違い道路の除雪なども行きとどいていないため、まるで豪雪地帯のような市内の様子が印象的です。
作品をズタズタにされ、黒澤監督としては映画として成功だったのか、失敗作だったのか、後年の評価もさまざまのようです。
映画の中で黒澤作品らしさを見せてくれたのが、氷上カーニバルの場面だろうか。カットされた映画にしては長い時間執拗にカーニバルの様子を追い続けるところに黒澤監督の片鱗を見る思いがします。
キャストとしては、三船敏郎、原節子、森雅之、久我美子、志村喬らが出演しています。当時から原節子はもう大女優と言われていたのだと思いますが、彼女の妖艶な美しさより久我美子の理知的な若々しいキリっとした表情がモノクロ映画の中では際立っていたように思います。
また、三船敏郎の眼だけがギラギラと光っていた若々しい顔(当時31才?)が印象的でした。
※ 黒澤監督との交流を語る品田三郎氏です。
映画上映の前に映画評論家の品田三郎氏の「黒澤監督と昭和の札幌」と題するトークがありましたが、その中でフィルムをカットすることを要求する会社に対して黒澤監督が「それならフィルムを縦にカットする」と激怒したことを披露してくれました。
(映画観賞日 ‘10/06/27)
高校生が競ういろいろな催しに「○○甲子園」と名付けることが一種の流行のようである。現在、大通公園で開催されている「花フェスタ2010札幌」において、北海道農業高校生のガーデニングコンテストが行われていたので覗いてきた。
※ ガーデニング甲子園で見事大賞を獲得した旭川農業高
校の作品です。
6月26日から7月4日までを会期として大通公園を会場として「花フェスタ2010札幌」が開催されている。
以前、花の栽培に大きな関心をもっていた頃は、わざわざこの会期に合わせて道東から札幌へ出てきたこともあった。しかし、期待とは裏腹に全体の印象は花市場という感じで、少なからずガッカリしたことを記憶している。
※ 会場内にはこうしたプロの手によるフラワーディスプレー
もところどころに目立ちましたが…
今回もざーっと会場を見回ってみたが、やはり主体は花市場という感じで園芸業者の天とばかりが目立つフェスティバルという感じは否めなかった。
※ 会場内で最も目立ったのがこのような花市場です。
そうした中で、マスコミも注目したのが「北海道農業高校生ガーデニングコンテスト」だった。(これを通称「ガーデニング甲子園」と称するそうである)
北海道内の農業高校生7校8チームが参加して、自慢の腕を競い合った。参加した高校は、
◇新十津川農業高校
◇岩見沢農業高校(2チーム参加)
◇倶知安農業高校
◇旭川農業高校
◇真狩高校
◇標茶高校
◇静内農業高校
会場は西8丁目広場と最も端に追いやられていたけれど、高校生が一生懸命に取り組んだ様子が窺い知れる力作ばかりだった。
審査の結果、大賞には旭川農業高校が、準大賞には岩見沢農業高校が輝いたということだった。
※ 準大賞に輝いた岩見沢農業高校の作品です。
今回は7校の参加だったが、北海道内には農業高校がまだまだたくさんあるはずだ。
「ガーデニング甲子園」…、いいネーミングじゃありませんか。来年はもっともっと参加校が増えて花フェスティバルに文字通り花を添えてほしいものである。
※ 入賞を逸したその他の高校の作品です。(全てを網羅できませんでした)
※ さあ、今夜はワールドカップサッカーベスト8進出をかけたパラグァイとの大一番!
固唾を呑んで見守ります!
※ ガーデニング甲子園で見事大賞を獲得した旭川農業高
校の作品です。
6月26日から7月4日までを会期として大通公園を会場として「花フェスタ2010札幌」が開催されている。
以前、花の栽培に大きな関心をもっていた頃は、わざわざこの会期に合わせて道東から札幌へ出てきたこともあった。しかし、期待とは裏腹に全体の印象は花市場という感じで、少なからずガッカリしたことを記憶している。
※ 会場内にはこうしたプロの手によるフラワーディスプレー
もところどころに目立ちましたが…
今回もざーっと会場を見回ってみたが、やはり主体は花市場という感じで園芸業者の天とばかりが目立つフェスティバルという感じは否めなかった。
※ 会場内で最も目立ったのがこのような花市場です。
そうした中で、マスコミも注目したのが「北海道農業高校生ガーデニングコンテスト」だった。(これを通称「ガーデニング甲子園」と称するそうである)
北海道内の農業高校生7校8チームが参加して、自慢の腕を競い合った。参加した高校は、
◇新十津川農業高校
◇岩見沢農業高校(2チーム参加)
◇倶知安農業高校
◇旭川農業高校
◇真狩高校
◇標茶高校
◇静内農業高校
会場は西8丁目広場と最も端に追いやられていたけれど、高校生が一生懸命に取り組んだ様子が窺い知れる力作ばかりだった。
審査の結果、大賞には旭川農業高校が、準大賞には岩見沢農業高校が輝いたということだった。
※ 準大賞に輝いた岩見沢農業高校の作品です。
今回は7校の参加だったが、北海道内には農業高校がまだまだたくさんあるはずだ。
「ガーデニング甲子園」…、いいネーミングじゃありませんか。来年はもっともっと参加校が増えて花フェスティバルに文字通り花を添えてほしいものである。
※ 入賞を逸したその他の高校の作品です。(全てを網羅できませんでした)
※ さあ、今夜はワールドカップサッカーベスト8進出をかけたパラグァイとの大一番!
固唾を呑んで見守ります!
「猫に小判」とはまさに今回のような様を言うのだろう。芥川賞作家が二人に、伊藤整文学賞など数多くの文学賞を受賞している米人作家、と錚々たる作家のシンポジウムを聴く機会を得たが、私がどの程度理解できたかといえばまことに心もとないものである。
※ イベントの開催を知らせるパンフレットです。
6月19日(土)、読売新聞社の主催で表題のようなシンポジウムが札幌市教育文化会館(中央区北1条西13丁目)で開催され、友人の紹介で参加することができました。
登壇された方は、
◇中西 進 氏 ~ 奈良県立万葉文化会館々長 コーディネーターを務めた。
◇リービ英夫 氏 ~ 作家、西洋出身(米国)で初めての日本文学作家
◇柳 美里 氏 ~ 作家、「家族シネマ」で芥川賞受賞、在日韓国人
◇楊 逸 氏 ~ 作家、「時が滲む朝」で芥川賞受賞、中国人
◇さとう宗幸 氏 ~ 歌手、パーソナリティ、「青葉城恋唄」が大ヒット
このシンポジウムは古代から日本人の心の源流となってきた「万葉集」の心を多くの方々に伝えるために「万葉のこころを未来へ」と題して2008年から全国で7回にわたって開催し、今回札幌では初めての開催になるとのことでした。
登壇者のほとんどが外国人、あるいは外国に関わりのある方になったのは今回のテーマが「万葉集を世界に開く」というテーマだったからのようです。
「猫に小判」状態の私には登壇者の思いを十分に吸収することはできなかったので、一言ずつ彼らの言葉を紹介することにします。
◆ 中西氏「万葉集は日本の古典であるが、全世界へ向けての古典でありたい。それは万葉の歌には世界性が内蔵されているからである」
◆ リービ氏「万葉集には新鮮さ、新しさという魅力がある。もっと見直しても良いのではないか。万葉集に触発されて日本語の小説を歌うように書いていきたい」
◆ 柳氏「万葉集はさまざまな階層が歌を詠んでいる幅広い文学であり、裸の人間性が表れている文学だ。韓国詩とも通ずるところがあり韓国と日本の間に立って万葉集を広めていきたい」
◆ 楊氏「中国の漢詩と日本の和歌は対極にある。漢詩は過剰な表現、和歌は素朴な表現、そこに中国と日本の文化の違いを見る思いがする」
もっとたくさんの発言があったのだが、特にリービ英夫氏が万葉集に非常に精通しているのが印象深く感じました。
そして最後に、さとう宗幸氏が透明感のある素晴らしい歌声を披露してくれました。
さとう氏は「万葉の季節」という歌を作詞・作曲した縁で招請されたということでした。
披露した曲は、「青葉城恋唄」、「岩尾別旅情」、「万葉の季節」、「うたたかの恋」、「あなたに会いたい」の5曲です。
※ 入場する際配布された登壇者の略歴などが記されたパンフレットです。
小・中・高の授業を通していくつかの万葉の歌には触れていますが、恥ずかしながらそれ以上の素養はない私です。これを機会に少しは味わって万葉のこころを理解したいものと思った6月19日のシンポジウムでした。
※ イベントの開催を知らせるパンフレットです。
6月19日(土)、読売新聞社の主催で表題のようなシンポジウムが札幌市教育文化会館(中央区北1条西13丁目)で開催され、友人の紹介で参加することができました。
登壇された方は、
◇中西 進 氏 ~ 奈良県立万葉文化会館々長 コーディネーターを務めた。
◇リービ英夫 氏 ~ 作家、西洋出身(米国)で初めての日本文学作家
◇柳 美里 氏 ~ 作家、「家族シネマ」で芥川賞受賞、在日韓国人
◇楊 逸 氏 ~ 作家、「時が滲む朝」で芥川賞受賞、中国人
◇さとう宗幸 氏 ~ 歌手、パーソナリティ、「青葉城恋唄」が大ヒット
このシンポジウムは古代から日本人の心の源流となってきた「万葉集」の心を多くの方々に伝えるために「万葉のこころを未来へ」と題して2008年から全国で7回にわたって開催し、今回札幌では初めての開催になるとのことでした。
登壇者のほとんどが外国人、あるいは外国に関わりのある方になったのは今回のテーマが「万葉集を世界に開く」というテーマだったからのようです。
「猫に小判」状態の私には登壇者の思いを十分に吸収することはできなかったので、一言ずつ彼らの言葉を紹介することにします。
◆ 中西氏「万葉集は日本の古典であるが、全世界へ向けての古典でありたい。それは万葉の歌には世界性が内蔵されているからである」
◆ リービ氏「万葉集には新鮮さ、新しさという魅力がある。もっと見直しても良いのではないか。万葉集に触発されて日本語の小説を歌うように書いていきたい」
◆ 柳氏「万葉集はさまざまな階層が歌を詠んでいる幅広い文学であり、裸の人間性が表れている文学だ。韓国詩とも通ずるところがあり韓国と日本の間に立って万葉集を広めていきたい」
◆ 楊氏「中国の漢詩と日本の和歌は対極にある。漢詩は過剰な表現、和歌は素朴な表現、そこに中国と日本の文化の違いを見る思いがする」
もっとたくさんの発言があったのだが、特にリービ英夫氏が万葉集に非常に精通しているのが印象深く感じました。
そして最後に、さとう宗幸氏が透明感のある素晴らしい歌声を披露してくれました。
さとう氏は「万葉の季節」という歌を作詞・作曲した縁で招請されたということでした。
披露した曲は、「青葉城恋唄」、「岩尾別旅情」、「万葉の季節」、「うたたかの恋」、「あなたに会いたい」の5曲です。
※ 入場する際配布された登壇者の略歴などが記されたパンフレットです。
小・中・高の授業を通していくつかの万葉の歌には触れていますが、恥ずかしながらそれ以上の素養はない私です。これを機会に少しは味わって万葉のこころを理解したいものと思った6月19日のシンポジウムでした。
龍馬研究者として北海道では名高い「合田一道」氏の講演会がありました。合田氏の講演はいつ聴いても楽しく刺激に満ちています。
※ 講演会は写真撮影禁止ではなかったので、合田氏の写
真を撮影したつもりになっていましたが、資料を繰ることと
お話に夢中になり撮影を忘れてしまったようです。
6月20日(日)、札幌市資料館(中央区大通西13丁目)の教養講座の第一回目の講座として「坂本龍馬がめざした北海道」と題する講演会がありました。
今年は特に龍馬ブームということもあって、会場は満員の状況でした。
合田氏の講演を拝聴するのは今回で3回目でしたが、合田氏はノンフィクション作家らしく、いつの講演においても古文書や年表を提示しながら史実に沿って解説するという手法を用います。
今回も合田氏が直接高知県へ赴いて調べたことなどをもとにして作成した年表と、龍馬がしたためた数多くの書簡の写しをもとに講演されました。
その中から、私の印象に残った話題を二つほど取り上げてみます。
一つは、現在放映されているNHK大河ドラマ「龍馬伝」の中で、土佐藩出身で龍馬の同志である「望月亀弥太」(ドラマでは北海道出身で大泉洋さんの同僚の音尾琢真さんが演じていました)が「池田屋の変」で襲われ竜馬の腕の中で絶命するのですが、史実ではその時龍馬は蝦夷に向かうべく船の中に在ったということですからドラマのようなことはあり得ないことになります。合田氏は「そこはドラマですから…」と話されていました。
さらにもう一つは、龍馬は慶応3年11月15日に近江屋において何者かに暗殺されるのですが、死の4日前の11月11日に当時親しくしていた林謙三宛に「方向を定め、シュラか極楽かに御供可申奉存候」という自身の死を予感させるような書簡を送っていたということです。
演題の「龍馬のめざした北海道」という点については、年表の中に4度に渡って「蝦夷」の名が登場してきます。計画が頓挫したり、計画倒れに終わったりと龍馬は数度にわたって蝦夷行きを試みたようです。それだけ龍馬は蝦夷行きに執念をみせていたようです。
なぜ龍馬が蝦夷にこだわったのかという点について合田氏は、「蝦夷地の豊富な資源を交易の材料として利用しようとしたのだろう」ということでした。この点については残された資料が少ないためそれ以上論及することはできないのだろう、と私は解釈しました。
史実を大切にし、適度なユーモアを交えながらお話される合田氏のお話はいつ聴いても心楽しいものがあります。これからも機会あるごとに聴いてみたいと思わせてくれる合田氏の講演です。
※ 講演会は写真撮影禁止ではなかったので、合田氏の写
真を撮影したつもりになっていましたが、資料を繰ることと
お話に夢中になり撮影を忘れてしまったようです。
6月20日(日)、札幌市資料館(中央区大通西13丁目)の教養講座の第一回目の講座として「坂本龍馬がめざした北海道」と題する講演会がありました。
今年は特に龍馬ブームということもあって、会場は満員の状況でした。
合田氏の講演を拝聴するのは今回で3回目でしたが、合田氏はノンフィクション作家らしく、いつの講演においても古文書や年表を提示しながら史実に沿って解説するという手法を用います。
今回も合田氏が直接高知県へ赴いて調べたことなどをもとにして作成した年表と、龍馬がしたためた数多くの書簡の写しをもとに講演されました。
その中から、私の印象に残った話題を二つほど取り上げてみます。
一つは、現在放映されているNHK大河ドラマ「龍馬伝」の中で、土佐藩出身で龍馬の同志である「望月亀弥太」(ドラマでは北海道出身で大泉洋さんの同僚の音尾琢真さんが演じていました)が「池田屋の変」で襲われ竜馬の腕の中で絶命するのですが、史実ではその時龍馬は蝦夷に向かうべく船の中に在ったということですからドラマのようなことはあり得ないことになります。合田氏は「そこはドラマですから…」と話されていました。
さらにもう一つは、龍馬は慶応3年11月15日に近江屋において何者かに暗殺されるのですが、死の4日前の11月11日に当時親しくしていた林謙三宛に「方向を定め、シュラか極楽かに御供可申奉存候」という自身の死を予感させるような書簡を送っていたということです。
演題の「龍馬のめざした北海道」という点については、年表の中に4度に渡って「蝦夷」の名が登場してきます。計画が頓挫したり、計画倒れに終わったりと龍馬は数度にわたって蝦夷行きを試みたようです。それだけ龍馬は蝦夷行きに執念をみせていたようです。
なぜ龍馬が蝦夷にこだわったのかという点について合田氏は、「蝦夷地の豊富な資源を交易の材料として利用しようとしたのだろう」ということでした。この点については残された資料が少ないためそれ以上論及することはできないのだろう、と私は解釈しました。
史実を大切にし、適度なユーモアを交えながらお話される合田氏のお話はいつ聴いても心楽しいものがあります。これからも機会あるごとに聴いてみたいと思わせてくれる合田氏の講演です。
札幌のコーヒー通には名の知れた名店らしいのですが、私は特別の予備知識もなく訪れました。店内は随所にこだわりが見られる素敵なカフェでした。
※ 「ATELIER MORIHIKO」(アトリエ モリヒコ)の外観です。
札幌資料館で行われた講演会の後、一緒に受講した友人と一緒に訪れました。
市電「中央区役所前」近くの電車通りに面した所に「ATELIER MORIHIKO」(アトリエ モリヒコ)はありました。
店名はATOLIERと冠したのは、後付ですが「コーヒーの美術館」をコンセプトとしているとのことです。
店は会社のビルを改装したような建物で、このカフェも雑貨店を併設していました。カフェに雑貨店を併設したり、ちょっとした小物を扱ったりするのが最近のトレンド
のようで、これまで5店が併設、あるいは店の一角で雑貨を扱っていました。
※ 店内に入って直ぐが雑貨店になっていました。
店内はそれほど広くはなく、客席は窓に面した4~5掛けのテーブル席、中央の大き
なテーブル席、厨房に面するカウンター席からなっています。
店で目立つのは入り口の通路の横に焙煎機が陣取り、この店がコーヒー豆を販売にも
力を入れていることが分かります。
店内に入っていくと目の前の中央のテーブル席にど~んとガラスの容器に入ったグリーンアレンジメントが目を惹きます。
※ グリーンアレンジメントの向こうに足踏みミシンやマントルピースが見えます。
私たちが訪れたのは日曜日の16時ころでしたが、満席状態で少し待って中央のテーブル席に案内されました。
座って落ち着いて周りを見ると、足踏み式のミシンや由緒ありそうな置時計がさりげなく置かれています。テーブルや椅子もアンティークな雰囲気を漂わせています。壁や天井は白くペインティングされ、天井が高く開放感を感じさせてくれます。
※ どことなくアンティークっぽいテーブルや椅子です。
私たちはラテアートを見たかったこともあり、「カフェ・エ・ラッテ」(650円)をオーダーしましたが、メニューを見ると、「朝のコーヒー」(380円 ~11:30)、午後のコーヒー(450円 11:30~18:00)というのが面白いと思いました。
また長居する人にはポットコーヒー(マイルド 680円)がお勧めかもしれません。
※ こちらのラテアートはハート形の上に蝶が飛んでいる図でしょうか?
「カフェ・エ・ラッテ」は二つのラテアートが違った絵模様で、味はとてもマイルドな感じで美味しくいただけました。
「ATELIER MORIHIKO」…、札幌のコーヒー通としてはぜひともチェックしなくてはならない一店かもしれません。
※ こちらは良く観る木の葉をかたどったものですね。
【ATELIER MORIHIRO データ】
札幌市中央区南1西12-4-182
電 話 011-231-4883
営業時間 10:00~22:30
定休日 不定
座 席 26席
駐車場 4台(無料)
入店日 ‘10/06/20
※ 「ATELIER MORIHIKO」(アトリエ モリヒコ)の外観です。
札幌資料館で行われた講演会の後、一緒に受講した友人と一緒に訪れました。
市電「中央区役所前」近くの電車通りに面した所に「ATELIER MORIHIKO」(アトリエ モリヒコ)はありました。
店名はATOLIERと冠したのは、後付ですが「コーヒーの美術館」をコンセプトとしているとのことです。
店は会社のビルを改装したような建物で、このカフェも雑貨店を併設していました。カフェに雑貨店を併設したり、ちょっとした小物を扱ったりするのが最近のトレンド
のようで、これまで5店が併設、あるいは店の一角で雑貨を扱っていました。
※ 店内に入って直ぐが雑貨店になっていました。
店内はそれほど広くはなく、客席は窓に面した4~5掛けのテーブル席、中央の大き
なテーブル席、厨房に面するカウンター席からなっています。
店で目立つのは入り口の通路の横に焙煎機が陣取り、この店がコーヒー豆を販売にも
力を入れていることが分かります。
店内に入っていくと目の前の中央のテーブル席にど~んとガラスの容器に入ったグリーンアレンジメントが目を惹きます。
※ グリーンアレンジメントの向こうに足踏みミシンやマントルピースが見えます。
私たちが訪れたのは日曜日の16時ころでしたが、満席状態で少し待って中央のテーブル席に案内されました。
座って落ち着いて周りを見ると、足踏み式のミシンや由緒ありそうな置時計がさりげなく置かれています。テーブルや椅子もアンティークな雰囲気を漂わせています。壁や天井は白くペインティングされ、天井が高く開放感を感じさせてくれます。
※ どことなくアンティークっぽいテーブルや椅子です。
私たちはラテアートを見たかったこともあり、「カフェ・エ・ラッテ」(650円)をオーダーしましたが、メニューを見ると、「朝のコーヒー」(380円 ~11:30)、午後のコーヒー(450円 11:30~18:00)というのが面白いと思いました。
また長居する人にはポットコーヒー(マイルド 680円)がお勧めかもしれません。
※ こちらのラテアートはハート形の上に蝶が飛んでいる図でしょうか?
「カフェ・エ・ラッテ」は二つのラテアートが違った絵模様で、味はとてもマイルドな感じで美味しくいただけました。
「ATELIER MORIHIKO」…、札幌のコーヒー通としてはぜひともチェックしなくてはならない一店かもしれません。
※ こちらは良く観る木の葉をかたどったものですね。
【ATELIER MORIHIRO データ】
札幌市中央区南1西12-4-182
電 話 011-231-4883
営業時間 10:00~22:30
定休日 不定
座 席 26席
駐車場 4台(無料)
入店日 ‘10/06/20
登山というにはあまりにも短時間で山頂に到達してしまった五天山です。しかし、山頂から覗いた眼下の景色には足がすくみました。
※ 五天山の全景です。南側の五天山公園側から見たところです。
今回の五天山行も朝の天候を確認してから「出かけよう!」と思い立って出かけた登山(と云えるかな?)です。
手持ちの「夏山ガイド」には載っていない五天山ですが、ネット上に投稿された記事を参考にして出かけました。
※ 少し近接して写したものですが、私は裏側から登ってあ
の頂点に立ちました。
登山口は西区西野にある札幌西陵高校の脇の小道を辿って簡易舗装されたかなり急な登り道を車で上がります。
かなり山中に入ったところで右手に「五天山登山口」と記された石柱が目に入ります。注意していないと見逃す恐れがある石柱です。その石柱のところで右折するとロープが張られてあってそれ以上前へ進むことはできません。
※ 道端に「五天山登山口」の石柱が立っていました。
車は路上に2台くらい駐車可能でしょうか。私が行ったときには誰もいなく、私の車だけでした。ここまで私の住居から約9kmありました。
※ 我が愛車の前に進入禁止の綱が張ってあります。
9時35分、登山開始です。
最初は車止めのロープが張ってあったくらいですから、車が通れるような道が続きます。やがて「五天山神社」の建物や石仏などが立ち並ぶ境内に出ます。
※ 登り始めて直ぐに「五天山神社」がありました。
※ 境内には「馬頭観世音」の多数の石碑が…
そこからが本格的な登山道となり、急に道は人一人通るくらいの道幅になりました。
登山道の始めは山腹を蛇行するように緩やかに登っていきます。
登山道はけっして整備されているとは言い難く、踏み跡はあるものの立木が横たわっているところを跨いだり、潜ったりするところもありました。
※ 登山道は時にはこのようなところが…。前方のところは
潜って通り抜けました。
しばらくすると斜度が少しきつくなり登山らしさが出てきました。天候は晴天ですが木立に遮られて直射日光は浴びないのですが、湿度が高いため全身に汗が噴き出てきました。
※ 少し登山の雰囲気が出てきた登山道です。
そうした登りをしばらく続けたところ一つのピークに出ました。
目前には石の狛犬が配され、ブルーシートに包まれた祠らしきものがありました。後から調べてみると、どうやら五天山神社の「奥の院」と称されたところのようです。そしてこれもまた後付けですがそこが山頂だったようです。
※ 狛犬とブルーシートに覆われた祠「奥の院」です。
しかし山頂の印も見当たらず、道もまだ続いていたためにさらに前進しました。道は一度大きく下り、再び登ります。下り、そして登ること約5分、人が2~3人しか立てないようなピークに達しました。
※ 私が頂上と思い込んでいた第二のピークです。先に道はありません。
その向こうにはもう道は無く、足がすくんでしまうような崖になっています。私はそこを山頂と思い込み、そこからの景観をカメラに収めました。
※ 第二のピークから西野の住宅街が箱庭のように見えます。
五天山はもともと砕石に適した安山岩が産出された山で、砕石事業で山の南側が大きく削り取られ崖状になっています。
その崖の下は削り取られた跡地にできた広大な土地に「五天山公園」が造成され昨年オープンしました。
眼下にはその公園で楽しむ多くの市民が豆粒のように見えました。
※ 眼下に広がる昨年完成したばかりの「五天山公園」です。
誰もいない山頂(?)は腰を下ろすような適当な所もなく、下を見れば足がすくむような光景に早々と下山を始めた私でした。
【五天山 登山データー】
標 高 303m
駐車場 路上に2台くらい可能?
行 程 登山口→(15分)→ 一度目のピーク(祠?そして狛犬)→(5分)→山頂
時 間 登山(約20分)、下山(約15分)
登山日 ‘10/06/19
※ 五天山の全景です。南側の五天山公園側から見たところです。
今回の五天山行も朝の天候を確認してから「出かけよう!」と思い立って出かけた登山(と云えるかな?)です。
手持ちの「夏山ガイド」には載っていない五天山ですが、ネット上に投稿された記事を参考にして出かけました。
※ 少し近接して写したものですが、私は裏側から登ってあ
の頂点に立ちました。
登山口は西区西野にある札幌西陵高校の脇の小道を辿って簡易舗装されたかなり急な登り道を車で上がります。
かなり山中に入ったところで右手に「五天山登山口」と記された石柱が目に入ります。注意していないと見逃す恐れがある石柱です。その石柱のところで右折するとロープが張られてあってそれ以上前へ進むことはできません。
※ 道端に「五天山登山口」の石柱が立っていました。
車は路上に2台くらい駐車可能でしょうか。私が行ったときには誰もいなく、私の車だけでした。ここまで私の住居から約9kmありました。
※ 我が愛車の前に進入禁止の綱が張ってあります。
9時35分、登山開始です。
最初は車止めのロープが張ってあったくらいですから、車が通れるような道が続きます。やがて「五天山神社」の建物や石仏などが立ち並ぶ境内に出ます。
※ 登り始めて直ぐに「五天山神社」がありました。
※ 境内には「馬頭観世音」の多数の石碑が…
そこからが本格的な登山道となり、急に道は人一人通るくらいの道幅になりました。
登山道の始めは山腹を蛇行するように緩やかに登っていきます。
登山道はけっして整備されているとは言い難く、踏み跡はあるものの立木が横たわっているところを跨いだり、潜ったりするところもありました。
※ 登山道は時にはこのようなところが…。前方のところは
潜って通り抜けました。
しばらくすると斜度が少しきつくなり登山らしさが出てきました。天候は晴天ですが木立に遮られて直射日光は浴びないのですが、湿度が高いため全身に汗が噴き出てきました。
※ 少し登山の雰囲気が出てきた登山道です。
そうした登りをしばらく続けたところ一つのピークに出ました。
目前には石の狛犬が配され、ブルーシートに包まれた祠らしきものがありました。後から調べてみると、どうやら五天山神社の「奥の院」と称されたところのようです。そしてこれもまた後付けですがそこが山頂だったようです。
※ 狛犬とブルーシートに覆われた祠「奥の院」です。
しかし山頂の印も見当たらず、道もまだ続いていたためにさらに前進しました。道は一度大きく下り、再び登ります。下り、そして登ること約5分、人が2~3人しか立てないようなピークに達しました。
※ 私が頂上と思い込んでいた第二のピークです。先に道はありません。
その向こうにはもう道は無く、足がすくんでしまうような崖になっています。私はそこを山頂と思い込み、そこからの景観をカメラに収めました。
※ 第二のピークから西野の住宅街が箱庭のように見えます。
五天山はもともと砕石に適した安山岩が産出された山で、砕石事業で山の南側が大きく削り取られ崖状になっています。
その崖の下は削り取られた跡地にできた広大な土地に「五天山公園」が造成され昨年オープンしました。
眼下にはその公園で楽しむ多くの市民が豆粒のように見えました。
※ 眼下に広がる昨年完成したばかりの「五天山公園」です。
誰もいない山頂(?)は腰を下ろすような適当な所もなく、下を見れば足がすくむような光景に早々と下山を始めた私でした。
【五天山 登山データー】
標 高 303m
駐車場 路上に2台くらい可能?
行 程 登山口→(15分)→ 一度目のピーク(祠?そして狛犬)→(5分)→山頂
時 間 登山(約20分)、下山(約15分)
登山日 ‘10/06/19
この度、一般市民が裁判に参加する裁判員裁判が札幌地方裁判所で行われました。今年度道内では初めての裁判員裁判ということでマスコミも注目し、たくさんの報道陣が駆けつけていました。三日間にわたって行われた裁判のほとんどを傍聴しましたので、その様子をドキュメント風にレポートしたいと思います。
5月18日(金)午前11時、それまで二日間にわたって行われてきて裁判員裁判の判決が宣告される法廷が開廷した。
今回もまた最初の時と同様に開廷前に報道陣の撮影が行われた後、被告人、被害者など関係者がそれぞれ席に着いた後、開廷しさっそく裁判長より判決が宣告された。
その判決の内容は…
「被告人を懲役3年に処する。被告人を5年の執行猶予とし、その間保護観察に付する」
というものだった。
その後、争点となっていた2点についての判断が述べられた。
一点目の被告人が犯行時に被害者に被害者に抱きつき暴行しようとした意図があったかどうか、という点について、「被害者の供述には信用できる点が多いが、明確に抱きついて暴行しようとしたと認定することには無理がある」と、この点については“疑わしきは罰せず”を適用したようである。
もう一点の現場から見つかった性具の使用意図について、被告人はその使用意図はなかったと主張したが、この点については被告人の供述は信用しがたく明らかに使用意図があってその場に持ち込んでいたものと推定できるとした。
そうした上に立って、被告人はすでに180日間拘留されていること、賠償金130万円を支払ったこと、5年間北海道を離れることを約束していること、犯罪が初犯であることなどから執行猶予を付するのが相当し判断した、と判決理由を述べて閉廷した。
※ 裁判の結果を伝える翌日の北海道新聞です。
ドキュメントいうことでできるだけ主観を排除する記述を心がけたつもりであるが、全てを終えて私なりの感想を2~3述べてこのシリーズを閉じることにする。
まず、裁判員裁判ということであったが、ドキュメントレポートの中でも記したとおり裁判員からは一度の発言もなくいささか拍子抜けの感があった。もちろん私たちから見えない評議の中ではそれなりに存在を示したかと思われるが、ふだん普通の市民生活をおくっている者がいきなり専門用語の飛び交う裁判法廷でどれだけ裁判の中に市民感覚を反映できるのかという点には若干の疑問も残った。
次に、裁判のコストについてである。
途中でもレポートしたが、今回の裁判に関わっている関係者は実に27名である。
その方々が三日間。いやいやそんなもんじゃない。相当日数をこの裁判に関わっていることになる。そのコストたるや相当なものと推察される。人権を護りながら裁判を進めるという制度がこうしたことを生んでいると思うのだが、考えさせられた。
三つ目に、当然といえば当然であるが、裁判官、検察官、弁護人ら法曹関係者の有能性を感じたことである。その点について本レポートでは書ききれなかったのだが、検察官、弁護人の応酬、裁判官の判決理由などなど…、ぜひ一度裁判を傍聴されることをお勧めし、本シリーズを閉じることにします。
5月18日(金)午前11時、それまで二日間にわたって行われてきて裁判員裁判の判決が宣告される法廷が開廷した。
今回もまた最初の時と同様に開廷前に報道陣の撮影が行われた後、被告人、被害者など関係者がそれぞれ席に着いた後、開廷しさっそく裁判長より判決が宣告された。
その判決の内容は…
「被告人を懲役3年に処する。被告人を5年の執行猶予とし、その間保護観察に付する」
というものだった。
その後、争点となっていた2点についての判断が述べられた。
一点目の被告人が犯行時に被害者に被害者に抱きつき暴行しようとした意図があったかどうか、という点について、「被害者の供述には信用できる点が多いが、明確に抱きついて暴行しようとしたと認定することには無理がある」と、この点については“疑わしきは罰せず”を適用したようである。
もう一点の現場から見つかった性具の使用意図について、被告人はその使用意図はなかったと主張したが、この点については被告人の供述は信用しがたく明らかに使用意図があってその場に持ち込んでいたものと推定できるとした。
そうした上に立って、被告人はすでに180日間拘留されていること、賠償金130万円を支払ったこと、5年間北海道を離れることを約束していること、犯罪が初犯であることなどから執行猶予を付するのが相当し判断した、と判決理由を述べて閉廷した。
※ 裁判の結果を伝える翌日の北海道新聞です。
ドキュメントいうことでできるだけ主観を排除する記述を心がけたつもりであるが、全てを終えて私なりの感想を2~3述べてこのシリーズを閉じることにする。
まず、裁判員裁判ということであったが、ドキュメントレポートの中でも記したとおり裁判員からは一度の発言もなくいささか拍子抜けの感があった。もちろん私たちから見えない評議の中ではそれなりに存在を示したかと思われるが、ふだん普通の市民生活をおくっている者がいきなり専門用語の飛び交う裁判法廷でどれだけ裁判の中に市民感覚を反映できるのかという点には若干の疑問も残った。
次に、裁判のコストについてである。
途中でもレポートしたが、今回の裁判に関わっている関係者は実に27名である。
その方々が三日間。いやいやそんなもんじゃない。相当日数をこの裁判に関わっていることになる。そのコストたるや相当なものと推察される。人権を護りながら裁判を進めるという制度がこうしたことを生んでいると思うのだが、考えさせられた。
三つ目に、当然といえば当然であるが、裁判官、検察官、弁護人ら法曹関係者の有能性を感じたことである。その点について本レポートでは書ききれなかったのだが、検察官、弁護人の応酬、裁判官の判決理由などなど…、ぜひ一度裁判を傍聴されることをお勧めし、本シリーズを閉じることにします。
この度、一般市民が裁判に参加する裁判員裁判が札幌地方裁判所で行われました。今年度道内では初めての裁判員裁判ということでマスコミも注目し、たくさんの報道陣が駆けつけていました。三日間にわたって行われた裁判のほとんどを傍聴しましたので、その様子をドキュメント風にレポートしたいと思います。
6月16日(水)裁判二日目である。
裁判は9時45分から開廷されたが、私は都合により午後からの傍聴となった。
午前中は被告人の母親の陳述があったということだが、他の傍聴人によると弁護人が母親の陳述内容を代読したということだった。
13時30分から始まった午後の法廷では、まず検察、裁判官から被告人尋問から始まった。検察、裁判官からは現在の心情、心身の状況などについて問い質されたが、被告人から犯行当時に以前付き合っていた女性との関係、職場解雇の不安などから強いストレスを感じていて「判断力が働かなかった」という弁明があった。
次に被告人の母親が証人台に立っての証人尋問があった。
母親は被告人の肉親として被害者に心から詫びながらも、情状の酌量を求めるべく整然としっかりとした口調で裁判員に訴えた姿が印象的であった。
その後の弁護人とのやりとりなどを通じて、被告人が被害者へ賠償金の一部として130万円を納付したこと、釈放された後5年間は北海道を離れ被害者との接触の可能性を絶つことを約し違反した場合は被害者に100万円の違約金を支払うことを明記した証書(正式名を記録できなかった)を提出したことが明らかになった。
この時点で13時55分。20分間の休廷に入った。
14時15分、法廷は再開された。
最初に被害者から「被告を許せない。厳重な処罰を望む」という意見陳述があった。
そして検察官の論告に移った。検察側の求刑は「懲役3年を求める」というものだった。さらに、被害者代理人(?)からも求刑があり、こちらは「懲役4年を求める」という内容だった。(このあたり何故両者から求刑があったのかは私には分からない)
次に弁護人から論告に対して「被告人はすでに8ヶ月も拘留されていて、深く反省もしている。再犯の可能性も低く実刑とすべきではなく、執行猶予が相当である」と主張した。
最後に結審にあたり被告人に最終陳述の機会が与えられたが、被告人は「犯した罪を深く反省している」と述べるにとどまった。
15時25分、裁判長から結審が宣せられ、一日おいて6月18日午前11時から判決を宣告するとの予告があった。
さて、裁判員裁判であるが裁判が進行する間、何度か裁判長から裁判員に問い質すことはないかと振られたのだが、私が傍聴していたかぎりにおいては一度も裁判員から発言がなかった。
裁判員の方々もおそらく相当緊張して裁判に臨んでいたと思うが、一度も発言がなかったのは少し残念な思いをしたのも事実である。
※ ドキュメントシリーズが少し長くなっているが、次回いよいよ判決編をレポートし、このシリーズも終結とします。
6月16日(水)裁判二日目である。
裁判は9時45分から開廷されたが、私は都合により午後からの傍聴となった。
午前中は被告人の母親の陳述があったということだが、他の傍聴人によると弁護人が母親の陳述内容を代読したということだった。
13時30分から始まった午後の法廷では、まず検察、裁判官から被告人尋問から始まった。検察、裁判官からは現在の心情、心身の状況などについて問い質されたが、被告人から犯行当時に以前付き合っていた女性との関係、職場解雇の不安などから強いストレスを感じていて「判断力が働かなかった」という弁明があった。
次に被告人の母親が証人台に立っての証人尋問があった。
母親は被告人の肉親として被害者に心から詫びながらも、情状の酌量を求めるべく整然としっかりとした口調で裁判員に訴えた姿が印象的であった。
その後の弁護人とのやりとりなどを通じて、被告人が被害者へ賠償金の一部として130万円を納付したこと、釈放された後5年間は北海道を離れ被害者との接触の可能性を絶つことを約し違反した場合は被害者に100万円の違約金を支払うことを明記した証書(正式名を記録できなかった)を提出したことが明らかになった。
この時点で13時55分。20分間の休廷に入った。
14時15分、法廷は再開された。
最初に被害者から「被告を許せない。厳重な処罰を望む」という意見陳述があった。
そして検察官の論告に移った。検察側の求刑は「懲役3年を求める」というものだった。さらに、被害者代理人(?)からも求刑があり、こちらは「懲役4年を求める」という内容だった。(このあたり何故両者から求刑があったのかは私には分からない)
次に弁護人から論告に対して「被告人はすでに8ヶ月も拘留されていて、深く反省もしている。再犯の可能性も低く実刑とすべきではなく、執行猶予が相当である」と主張した。
最後に結審にあたり被告人に最終陳述の機会が与えられたが、被告人は「犯した罪を深く反省している」と述べるにとどまった。
15時25分、裁判長から結審が宣せられ、一日おいて6月18日午前11時から判決を宣告するとの予告があった。
さて、裁判員裁判であるが裁判が進行する間、何度か裁判長から裁判員に問い質すことはないかと振られたのだが、私が傍聴していたかぎりにおいては一度も裁判員から発言がなかった。
裁判員の方々もおそらく相当緊張して裁判に臨んでいたと思うが、一度も発言がなかったのは少し残念な思いをしたのも事実である。
※ ドキュメントシリーズが少し長くなっているが、次回いよいよ判決編をレポートし、このシリーズも終結とします。
この度、一般市民が裁判に参加する裁判員裁判が札幌地方裁判所で行われました。今年度道内では初めての裁判員裁判ということでマスコミも注目し、たくさんの報道陣が駆けつけていました。三日間にわたって行われた裁判のほとんどを傍聴しましたので、その様子をドキュメント風にレポートしたいと思います。
14時25分、15分間の休廷後に再開された。
休廷している間に検察官側、及び証人席のところがすっぽりと覆われて傍聴人からは法廷が半分隠されたような状態になった。これは、この裁判に「被害者参加制度」が適用されたために、被害者が証言台に立ったときのプライバシーを保護するための措置であった。
再開後は検察側の立証手続きが行われ、数々の証拠品がモニターに映し出されたのだが、これも被害者が特定されるのを防ぐため傍聴者側のモニターは消されたままだったために私たち傍聴人にとってはもどかしい思いをしながら推移を見守る形になった。
証拠写真はまず№1~11まで微に入り細に入り丁寧に映し出され、説明されていった。
証拠写真11までいったところで15時15分となり、15分間の休廷となった。
15時30分再開後、被害者が証言台に立つ「被害者証人尋問」が行われた。
この尋問は女性検察官が被害者に質問する形で進められた。
例え姿は隠されているとはいえ、こうした場で被害女性が証言するのは大変なことだと思われた。答える声が小さく何度か裁判長から声を大きく発するよう促されていた。
しかし、証言の最後には「被告に厳罰を望む」というところははっきりと発言していたのが印象的であった。
「被害者証人尋問」が約15分間行われた後、弁護人側からこれまでの検察側の立証手続きや被害者承認尋問における矛盾点についての指摘がなされた。
それに続き、検察側の証拠品の№12~15の提示があったのだが、私は都合によりここで途中退席することになってしまった。
※ 第一日目の裁判の様子を伝える北海道新聞です。
ここまでの裁判の中で気付いたことが2~3あった。
それは私の前に着席していた被害女性の両親と思われる方が裁判中じーっと被告人を睨み続けている姿が印象的であった。一方、被告人はずーっとうつむいたままの姿に起こした事件を悔いている様子を窺い知ることができた。
また、この裁判に関わる関係者の数である。
前述したように裁判官が3名、裁判員が補助員も含めて8名、書記官が2名、法廷内で裁判進行をスムーズに進めるために配置された裁判所職員が6名、そして検察官4名、弁護人が2名、さらには被告人に付き添う看守が2名といった具合である。
一人の起こした事件を審理するために直接的に関わる人だけでも実に27名もの人々が関わっていることになる。
※ さらに続きは明日の№4に続きます。
14時25分、15分間の休廷後に再開された。
休廷している間に検察官側、及び証人席のところがすっぽりと覆われて傍聴人からは法廷が半分隠されたような状態になった。これは、この裁判に「被害者参加制度」が適用されたために、被害者が証言台に立ったときのプライバシーを保護するための措置であった。
再開後は検察側の立証手続きが行われ、数々の証拠品がモニターに映し出されたのだが、これも被害者が特定されるのを防ぐため傍聴者側のモニターは消されたままだったために私たち傍聴人にとってはもどかしい思いをしながら推移を見守る形になった。
証拠写真はまず№1~11まで微に入り細に入り丁寧に映し出され、説明されていった。
証拠写真11までいったところで15時15分となり、15分間の休廷となった。
15時30分再開後、被害者が証言台に立つ「被害者証人尋問」が行われた。
この尋問は女性検察官が被害者に質問する形で進められた。
例え姿は隠されているとはいえ、こうした場で被害女性が証言するのは大変なことだと思われた。答える声が小さく何度か裁判長から声を大きく発するよう促されていた。
しかし、証言の最後には「被告に厳罰を望む」というところははっきりと発言していたのが印象的であった。
「被害者証人尋問」が約15分間行われた後、弁護人側からこれまでの検察側の立証手続きや被害者承認尋問における矛盾点についての指摘がなされた。
それに続き、検察側の証拠品の№12~15の提示があったのだが、私は都合によりここで途中退席することになってしまった。
※ 第一日目の裁判の様子を伝える北海道新聞です。
ここまでの裁判の中で気付いたことが2~3あった。
それは私の前に着席していた被害女性の両親と思われる方が裁判中じーっと被告人を睨み続けている姿が印象的であった。一方、被告人はずーっとうつむいたままの姿に起こした事件を悔いている様子を窺い知ることができた。
また、この裁判に関わる関係者の数である。
前述したように裁判官が3名、裁判員が補助員も含めて8名、書記官が2名、法廷内で裁判進行をスムーズに進めるために配置された裁判所職員が6名、そして検察官4名、弁護人が2名、さらには被告人に付き添う看守が2名といった具合である。
一人の起こした事件を審理するために直接的に関わる人だけでも実に27名もの人々が関わっていることになる。
※ さらに続きは明日の№4に続きます。
この度、一般市民が裁判に参加する裁判員裁判が札幌地方裁判所で行われました。今年度道内では初めての裁判員裁判ということでマスコミも注目し、たくさんの報道陣が駆けつけていました。三日間にわたって行われた裁判のほとんどを傍聴しましたので、その様子をドキュメント風にレポートしたいと思います。
開廷は私の記録によると13時12分だった。
開廷するとき、被告人の腰縄、手錠が外された。
最初に被告人の人定質問があり、本人に間違いないことが確認された。
続いて、検察側から起訴状の朗読である。
その後、裁判長より被告に対して「黙秘権等の権利について」の告知があり、被告人の罪状認否に移った。
ここで私が知り得た事件の概要について記してみる。
事件は昨年、平成21年10月3日(土)正午近く被告と被害者の勤める清掃会社の倉庫内で起こった。
被害者は休日の日直勤務として会社に出社していた。そこへ勤務が休みだった被告が会社に出てきて「故障した自転車を修理する」と言って倉庫に行った。
正午近くになり被害者が会社を閉めるために倉庫の見回りに来たところを狙って、被害者の顔面に熊避けのスプレーを吹きかけひるんだところを乱暴しようとしたが、被害者が大声を上げ懸命に逃れたために未遂に終わった。
その際、被害者は顔面や体など数ヶ所にわたって全治1ヶ月にわたる怪我を負ったという事件である。
その罪状認否において、被告人は起訴事実のほとんどを認めたものの、検察側が朗読した起訴内容の中から2点にわたっては否認し、争う姿勢を示した。
その2点とは、被害者が熊避けスプレーを浴びてひるんだ際に被告人が後ろから被害者に抱きつこうとした、という起訴内容に対して被告人は被害者が倒れるのを支えようとしたと主張し起訴内容を否認した。
もう1点は、犯行現場に性具(性玩具)が残されていたのだが、検察側は被害者を拉致した後、性具でいたずらしようとしたと指摘したのに対して、被告側はそのような意図はなく他のことに使用しようとしたものがその場にあったのだと、この点についても否認したのである。
罪状認否で以上2点について被告人は否認したが、全体としては裁判自体を争うというよりは刑罰の軽減を訴えたものと私には映った。
罪状認否の後、検察側が20分間にわたって冒頭陳述を行った。
それに対して弁護側が冒頭陳述に反論するようにおよそ20分間の弁護人の陳述が行われた。
冒頭陳述や弁護人の陳述は、それぞれの立場から起訴内容を補強、あるいはそれに対する反論を裁判員に訴えるものであった。(詳細は内容があまりに細かなために省略します)
この冒頭陳述や弁護人陳述を聞いていると、被告人の生育暦、生活環境、性格、性癖などなど、被告人に関わることが全て法廷内に披瀝されるという、あたりまえのことかも知れないが被告人にとっては大変辛い時間だろうと思われる。
この後、裁判長から争点の整理、今後の裁判の進め方について双方に確認し、休廷に入った。(この時点で14時10分、ここまで開廷から約1時間を要したことになる)
※ 続きは明日の№3へ
開廷は私の記録によると13時12分だった。
開廷するとき、被告人の腰縄、手錠が外された。
最初に被告人の人定質問があり、本人に間違いないことが確認された。
続いて、検察側から起訴状の朗読である。
その後、裁判長より被告に対して「黙秘権等の権利について」の告知があり、被告人の罪状認否に移った。
ここで私が知り得た事件の概要について記してみる。
事件は昨年、平成21年10月3日(土)正午近く被告と被害者の勤める清掃会社の倉庫内で起こった。
被害者は休日の日直勤務として会社に出社していた。そこへ勤務が休みだった被告が会社に出てきて「故障した自転車を修理する」と言って倉庫に行った。
正午近くになり被害者が会社を閉めるために倉庫の見回りに来たところを狙って、被害者の顔面に熊避けのスプレーを吹きかけひるんだところを乱暴しようとしたが、被害者が大声を上げ懸命に逃れたために未遂に終わった。
その際、被害者は顔面や体など数ヶ所にわたって全治1ヶ月にわたる怪我を負ったという事件である。
その罪状認否において、被告人は起訴事実のほとんどを認めたものの、検察側が朗読した起訴内容の中から2点にわたっては否認し、争う姿勢を示した。
その2点とは、被害者が熊避けスプレーを浴びてひるんだ際に被告人が後ろから被害者に抱きつこうとした、という起訴内容に対して被告人は被害者が倒れるのを支えようとしたと主張し起訴内容を否認した。
もう1点は、犯行現場に性具(性玩具)が残されていたのだが、検察側は被害者を拉致した後、性具でいたずらしようとしたと指摘したのに対して、被告側はそのような意図はなく他のことに使用しようとしたものがその場にあったのだと、この点についても否認したのである。
罪状認否で以上2点について被告人は否認したが、全体としては裁判自体を争うというよりは刑罰の軽減を訴えたものと私には映った。
罪状認否の後、検察側が20分間にわたって冒頭陳述を行った。
それに対して弁護側が冒頭陳述に反論するようにおよそ20分間の弁護人の陳述が行われた。
冒頭陳述や弁護人の陳述は、それぞれの立場から起訴内容を補強、あるいはそれに対する反論を裁判員に訴えるものであった。(詳細は内容があまりに細かなために省略します)
この冒頭陳述や弁護人陳述を聞いていると、被告人の生育暦、生活環境、性格、性癖などなど、被告人に関わることが全て法廷内に披瀝されるという、あたりまえのことかも知れないが被告人にとっては大変辛い時間だろうと思われる。
この後、裁判長から争点の整理、今後の裁判の進め方について双方に確認し、休廷に入った。(この時点で14時10分、ここまで開廷から約1時間を要したことになる)
※ 続きは明日の№3へ