田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

篠山紀信朗らかに自作を語る

2014-04-30 23:23:50 | 講演・講義・フォーラム等
 非常にフレンドリーな篠山紀信だった。とても朗らかな篠山紀信だった。札幌芸術の森美術館で開催される「篠山紀信展 写真力」に合わせて開催されたトークショーを聴いた。

 4月25日(金)夜、ロイトン札幌において読売新聞北海道主催の篠山紀信トークショーが開催された。
 この企画は、翌26日から6月15日まで札幌芸術の森美術館で開催される「篠山紀信展 写真力」のプロモーションも兼ねたものであるようだった。
 トークショーは京都造形芸術大学教授の後藤繁雄氏の質問に答える形で進められたのだが、打ち合せが十分でなかったのか、途中からは篠山氏の独壇場という感じのトークショーだった。

          

 篠山氏は「私は有名人しか撮らない」と言ってはばからない。有名人には発信力があり、時代を象徴する記号のようなものでもあるという。
 今回の写真展では「写真力」という言葉を用いているが、篠山氏が言う「写真力」とは、「撮っている者、撮られている者、それを見る者、全てが気持ち良くなれる力」だという。

          

 そして彼は写真展を構成した写真の一部(というよりかなりの数)をスライドにして上映しながら、トークを進めた。
 ジョンレノン&オノ・ヨーコ、三島由紀夫、勝新太郎、大原麗子、山口百恵、吉永小百合、市川海老蔵、中村獅童、長嶋茂雄、羽生結弦、大泉洋などなどその数30枚あまり、今を、過去を、変幻自在に飛び回り、有名人の気持ち良い表情を撮った写真が次々と提示された。そして彼は饒舌にその写真を語った。

          
          ※ 今回の写真展でも展示されている山口百恵の写真を用いた雑誌の表紙です。

 彼は自分を善意の写真家だという。基本的に彼の被写体には暗い表情がないという。彼は被写体である人たちを尊敬し、愛を感じ、リスペクトしながら撮影するという。そういう自分を全天候カメラマンであるとも称した。

 軽やかに、饒舌に語る篠山氏は、私が想像していた篠山像とはかなり違っていた。しかし、被写体である有名人が気持ち良く写真に収まってもらうために、彼は日常的に饒舌に語りかけながら写真を撮っているのだろうと思うと、なんだかそれも理解できるような気がした。
 「篠山紀信展 写真力」、芸術の森まで出かけてみようかな?

札幌日大高校野球部2014 Vol.1

2014-04-29 20:13:49 | スポーツ & スポーツ観戦
 札幌ではサクラの開花宣言があったというのに、札幌市郊外の札幌大谷学園野球場は寒風が吹きつける肌寒いコンディションだった。そんな中での野球観戦となった。私の2014高校野球シーズンが開幕した。 

 どうも気が多くて、自分自身困ってしまっている私である。
 あれもやりしたい、これにも参加したいと、目移りすることが多く、散漫的な生き方をしてしまっている私であるが、今年やりたいことの一つに札幌日大高校野球部を追いかけてみよう、ということがある。

 もともと高校野球にはある意味プロ野球以上に関心があったのだが、昨シーズンから札幌日大野球部に在籍する選手Mに関心を抱いたことが始まりだった。
 その選手Mが今年三年生となって、高校野球の最終年ということもあり、今年一年は札幌日大野球部を中心に高校野球を見てみようと思ったのである。

 そこで札幌日大高校野球部のHPを覗くと、本日(29日)札幌大谷高校との練習試合が組まれていたので、その練習試合を観戦するため大谷学園野球場に駆け付けたのだ。球場はモエレ沼と豊平川に挟まれた江別市との市境に近い原野状のところに位置していた。近くまで住宅地は迫っているものの、球場から先は原野というところだった。

          
          ※ ご覧のように周りは原野が広がるのどかな大谷学園野球場です。

 
 私が10時過ぎに球場に着いたところ第一試合が始まっていた。携帯チェアに座り観戦を始めたものの、風が冷たく、寒くてかなわない。幸い防寒具を持参していたので、持参したもの全てを着込んでの観戦となった。
 私にとって今シーズン初めての試合観戦であり、チーム事情も全く把握していない。誰がエースなのかも分かっていない。そうした状況での戦評は全くの的外れになる恐れもあることから、今日は結果のみを記すことにしたい。


          
          ※ 私が注目する札幌日大の主砲・松田選手がミートした瞬間です。

 ◇第一試合
   《札幌日大》100104000 
   《札幌大谷》000111001 
 ◇第二試合
   《札幌大谷》010200122 
   《札幌日大》100020100 

 という結果であったが、シーズンイン間近、春先とあって両チームともにミスが目立った試合だった。これから練習や試合を重ねながらチームとして成長していくのであろう。
 札幌日大としては、昨年の新人戦の準優勝校札幌大谷を相手にして4失点ながら完投した2年生ピッチャーの山本に使える見通しがたったのは収穫ではないだろうか。

          
          ※ ダイナミックな投球フォームの山本投手は三振が取れる魅力ある投手と映りました。

 気の多い私としては、他にしなくてはならないこともあり全試合の観戦は難しいが、できるだけ観戦する中で私の野球眼も高めていきたいと思っている。
 そしてその観戦記を随時拙ブログでレポートしてみたいと思う。
 

札幌の桜 開花宣言は秒読み状態

2014-04-28 21:38:26 | 環境 & 自然 & 観察会
 札幌気象台の標本木のソメイヨシノは数輪が開花していた。それでも今夕は「開花宣言」が出なかったようだ。何せ午後からはグッと冷え込んでしまい、サクラの蕾も身を縮めてしまったようだ。しかし、「開花宣言」は時間の問題のようだ! 

 昨日、妻が「気象台のサクラが満開だ!」というので見てみると、なるほど遠くから見ると満開のように見えた。しかし、気象台から「開花宣言」はなされなかった。そのサクラは気象台の前庭にあって陽当たりが良く、例年早くに咲くヤマザクラである。

          ※ 気象台のヤマザクラを徐々にズームアップしてみたところです。
          

          

          

 それではと、本日午後に気象台の庭に立つ標本木のソメイヨシノのところに行ってみた。すると、ソメイヨシノは数輪の花は咲かせていた。
 私がそこへ行ったのは午後12時40分であったが、たくさんの蕾の中から私が数えたところ4~5輪が花を付けていた。
 ちょうどそこへ気象台の職員の方が見えたので「開花宣言はまだですか?」と問うた。すると「午後3時段階での観察の結果ですね」というので、「すると、本日夕方、少なくとも明日には開花宣言ですね」と私は言ったのだが、その言葉に気象台職員の方はノーコメントだった。

          
     
          ※ 標本木のソメイヨシノですが、写真のように数輪が開花しています。
           写真のサイズを調整したつもりだったのですが、違いが出てしまい見苦しいことをお詫びします。

          

 午後から「かでる2・7」(北海道立道民活動センター)で行われる講座に出向いたのだが、かでる2・7の前に咲くヤマザクラとレンギョウがともに満開で、そのコントラストが素晴らしかったのでカメラに収めた。
 また、その脇に立つキタコブシ(モクレン)もちょうど満開の時を迎えていたのでそれも写真で紹介することにする。

          
          ※ 北海道の春ならではの光景と思いませんか?

          
          ※ こちらのキタコブシの白い花も見事です。

 さて、気象台のソメイヨシノの開花宣言が出されるのか、気を揉んでいたのだが、結局本日中での開花宣言はなかった。それはどうやら、本日午後の急激な気温の低下にあるようだ。何せ、午後1時には9.9℃、午後4時には7.3℃ということだから、きっとソメイヨシノの蕾もびっくりしてしまったのではないか?
 予報では明日も低温が続くという。果たして明日中の開花宣言はあるのか?それともここにきて焦らされるのだろうか??

          
          ※ サービスショットです。ソメイヨシノの隣にある梅の花は満開に近い状態でした。


知られざる国、隣国ロシア

2014-04-27 22:14:04 | 講演・講義・フォーラム等
 民主化されたとはいえ、未だに私たちにとって近くて遠い国ロシア…。そんなロシアのことを2回にわたって聴く機会があった。「石狩市民カレッジ」である。昨日記したような理由から石狩市まで足を伸ばして受講した講座である。 

 先週(19日)と今週(26日)、「石狩市民カレッジ」の講座を受講した。講座名は「知られざる隣国、ロシアとのかかわり」という講座だった。

          
          ※ シベリアでの作業の様子を写す写真を背にお話する山口氏です。

 1回目は「各地に送られたシベリア抑留者の真実」と題して、実際にシベリア抑留を体験された山口福司氏という92歳のご高齢の方のお話だった。
 山口氏は92歳とは云え、すこぶる健康そうでかくしゃくとされた方だった。
 山口氏は陸軍衛生軍曹として奉天、鐡嶺の陸軍病院で勤務し終戦を迎えるとともにシベリアに抑留されたという。山口氏が抑留されたのは現在のウズベク共和国の首都タシケントの近郊だったという。
 山口氏が幸運だったのは、ウズベクが旧ソ連邦の中では最も南部に位置したことから極寒の冬に見舞われることがなかったという。対してシベリア地域や極東地域に送られた抑留者は酷寒の冬に次々と倒れていったらしい。

 山口氏は軍隊生活や抑留生活そのものについては多くを語らず、65万人にも上るという日本人収容所の位置図、6万人にも上ったという死亡者の分布図などを提示しながら淡々と語ってくれた。
 山口氏は最後に、スターリンの抑留者の扱いに関する極秘指令の全文を提示されたが、その内容はソ連邦各地域に送る抑留者(捕虜)の数を事細かに指示しているのが印象的である。スターリンにとって抑留者(捕虜)は対ドイツ戦において徹底的に破壊された国土の再建のための労働力としてしか見ていず、人道的な扱いに留意するような指示は文書のどこにも見当たらない。

 山口氏が抑留生活について多くを語らなかったのは、あまりに非人道的な扱いに思い出すこと自体を封印しているのではないか、と思ったのだった…。

          
          ※ 姉妹提携を伝える市広報紙を手に説明する三上氏です。

  2回目は「姉妹都市ワニノ市との友好から始まったロシアとの関係」と題して、ユーラシア協会石狩支部事務局長の三上正一氏が務めた。
 石狩市は1993(平成5)年、間宮海峡に面する港湾都市ワニノ市と姉妹都市提携をしたという。
 三上氏は事務局長として交流団を率いて二度にわたりワニノ市を訪問したという。
 講座はその訪問時に撮影した写真を投影しながら、現地の様子を語るものだった。
  しかし、私にとってロシアの一地方都市の様子を知ることに対してそれほどの興味はなかった。それよりは姉妹都市として提携して、石狩市、あるいは石狩市民にとってどのような成果があったのか、あるいは今後どのように姉妹都市としての連携を深めていくのか、といったようなことを聞きたかったのだが、残念ながらそうしたことに触れられることはなかった。
 そういう意味では消化不良の講座という思いだけが残った。

  片道約17キロ、40分を要して、2回の出席で取得した単位はわずか3単位。とても高コストの「石狩市民カレッジ」であるが、今後もできるかぎり出席していきたいと思っている。

道民カレッジ ほっかいどう学コース

2014-04-26 22:41:50 | 講演・講義・フォーラム等

 昨年くらいから道民カレッジの単位取得を少しずつ意識しはじめた。その結果、学士(100単位)、修士(200単位)取得の壁を突破し、現在は博士(300単位)の称号取得を目ざしている。これがなかなか苦戦している。

           

 道民カレッジの趣旨は、時間的に暇なリタイア組に積極的に外に出てもらおう、学びの動機付けにしてもらおう、というようなねらいで始まったものだと思われる。
 各種講演会や講座を受講し始めた当初はあまり意識していなかったのだが、受講する講座に「道民カレッジ連携講座」という表示を目にしてから、その仕組みを知り私も参加してみることにした。

 単位の取得は簡単である。道民カレッジが主催、または連携した講演会・講座などの受講時間1時間を1単位に換算して単位を付与するのである。講座の理解度などはまったく問われない。
 したがって、学士100単位ということは、道民カレッジが主催、または連携した講座を100時間受講したということである。

 ただし、学士や修士といった称号を取得するには決まりごとがある。それがコース選択制ということだ。
 道民カレッジのコースには、「ほっかいどう学」・「能力開発」・「環境生活」・「健康スポーツ」・「教養」と五つのコースがある。
 このコースのどれかを選択し、称号を取得するためにはそのコースの講座を全体の60パーセント受講していなければならないことになっている。その他にも若干のしばりがあるのだが、それはここでは省略する。

 そこで私が選択したのが「ほっかいどう学」コースだった。その選択理由は、以前から北海道のこと、札幌のことをさらに学びたいという思いがあったこと。さらには「修士」取得申請の際に「ほっかいどう学」の単位を多く取得していたことから、迷いなく「ほっかいどう学」コースを選択した。

 ところが!!
 学士、修士の取得は順調に進んだ。昨年8月に「学士」取得、昨年12月には「修士」取得と…。その後も意識的に連携講座の受講を続けているのだが、「ほっかいどう学」の単位の上積みに苦戦しているのだ。現時点で私の受講累計は300単位を超えたのだが「博士」取得の申請は決まりによって出来ない状態である。
 それは「博士」申請のためには「ほっかいどう学」の単位を60単位上積みしなければならないのだが、現在17単位しか上積みが出来ていないのだ。「教養」の単位はすでに60単位以上の上積みが出来ているのに…。
 その原因な一つに「ほっかいどう学」の講座が札幌市内では意外に開講されていないことが分かったのである。(地方の方が充実しているように見える)

 そこで私は熱のあるうちに(私は熱しやすく、冷めやすいところがある)「博士」の称号を取得してしまいたいと考え、石狩市まで足を延ばすことにした。「石狩市民カレッジ」が道民カレッジ連携してかなりの割合で「ほっかいどう学」の講座を開設しているのだ。しかも、興味のある講座が多い。例えば「知られざる隣国、ロシアとのかかわり」、「記者が語る原子力取材の現場」、「村山耀一さんと歩く石狩歴史散歩」、「最先端技術の石狩湾新港企業を探る」などなど…。
 時間とガソリン代はかかるが石狩市まで通うことに決めた。
 そしてなんとか今年中に「博士」取得をしたいと考えている。

               
               ※ 道民カレッジのマスコットキャラクターのようです。

 世に言う「団塊世代」がリタイア組の一員となってきてから道民カレッジも一段と盛況のように見える。ただし、道民カレッジを運営している側としてはリタイア組ばかりでなく、小中生、高校生などの若い世代などへの参加も呼び掛けているようだ。
 リタイア組のように時間の自由はなくとも、土日を中心として(夜間開講の講座も多い)現役世代にも門戸は開かれているので一緒に学ぶことができたらなぁ、などと考えている。 
 ご一緒しませんか!?


めだかの学校の給食会

2014-04-25 20:37:44 | その他

 めだかの学校の給食会?? どこかの学校へ出向いて学校給食を体験することだろうか?と思いきや、そんなことではなかった。それは大人の給食会だった…。 

 1月から「めだかの学校」という団体が主催する「映像で綴る昭和の記録」という講座に参加している。講座は月に1度の割合で開催されているのだが、4月は14日(月)に行われた。
 この日は、昭和33~34年の出来事をまとめた「安保闘争と高度成長」と、昭和35~36年版の「消費革命の時代」を観た。
 この時代は私の小学生の頃である。私は北海道の片田舎で小学生時代を過ごしたが、ニュースが伝える日本の移り変わりをおぼろげながら記憶している時代である。
 映像によって日本が戦後の貧しさから抜け出し、豊かさを実感し始めた時代をよく感ずることができた。

 受講し始めてまだまだ日が浅い私だったが、会を主宰している中のお一人から「給食会」への誘いを受けた。
 「給食会」と聞いて、私はどこかの学校給食を体験するのかなぁ?と思ったのだが、よく聞いてみると、いわゆる大人の給食会=飲み会だった。「これは講座を主宰する方々と親しくなれるチャンス!」と思い、「是非に!」とお願いし、参加した。

 皆が皆、年金族だから当然料金の安い居酒屋に繰り込んでの給食会だった。
 そこで私は初めて「めだかの学校」の成り立ちを聞くことができた。
 「めだかの学校」の母体は、道民カレッジの受講生とのことだった。(そんな雰囲気は薄々感じていたのだが)
 何かの折りに「ただ講座を受講するためではなく、自分たちで何かを始めようよ!」という声が上がり、ビデオ視聴をしながら学び合う「めだかの学校」が誕生したという。

 同じような思いは、私も以前からずーっと抱いていた思いだった。
 そういう意味で波長が合った「めだかの学校」には、これからもできるだけ長くお付き合いさせていただきたいと思った。
 もちろん、これまで続けている道民カレッジをはじめとする、各種講座も積極的に受講しながら…。


コンサドーレ 野々村社長おおいに語る

2014-04-24 16:52:50 | 講演・講義・フォーラム等

 コンサドーレのOBにして、解説者兼タレントとして活躍していた野々村芳和社長はこれまでのコンサの社長とは明らかに違う。コンサの広告塔として、新しい経営戦略の担い手として八面六臂の活躍である。そんな野々村社長の話を聴いた。 

          

 4月21日(月)夜、道新ホールにおいて「2014開幕!コンサドーレトークショー」に昨年に続いて参加することができた。
 トークショーは前半が野々村社長、後半が石井謙伍、宮澤裕樹、上原拓郎の道産子三選手がスピーカーとして登場し、フリーアナウンサーの野宮範子アナが進行を務めた。

 三選手の話も興味深かったが、野々村社長の流れるようなトークには遠く及ばない。
 よってここでは野々村社長の話を中心にレポートすることにする。

 まず、ここまでのコンサの戦いぶりについて、野々村社長は一応の合格点を与えた。主要選手が怪我で欠場する中、上位候補のチームを相手にして4勝2敗2分は戦績も、内容も「まあまあである」と評した。
 そして攻撃はまだまだ課題が多いが、失点が少ない守備については合格点だと…。

 次に自身の変身(社長に就いたことも含めて)について、人生どこで何が起こるか分からない。だからこそ、選手時代も、選手を引退してからも一生懸命に生きてきた。だから選手たちにも今やりたいことを一生懸命やることが大切だと語り続けていると語った。

                  

 HFC(北海道フットボールクラブ)社長として経営的には非常に厳しい状況は変わりないが、いろいろとアイデアを出し合って、積極的な経営を心がけたいという。
 その戦略の一つとして、アジア各国と選手交流を図る中でコンサだけではなく、北海道の人も企業もアジアの繋がるキッカケを作っていきたいという。具体的には昨年はベトナムのレコンビン選手、今年はインドネシアのステファノ選手を獲得し、着々とアジアとの連携しながら経営の強化を目指しているようだ。
 また、マンガのヒーローをモチーフとした「松山光プロジェクト」と称する若手育成プロジェクトも具体的な取り組みを開始したという。
 さらに、元日本代表の小野信二選手を獲得したのも、彼の加入が戦力上の効果を狙うとともに、メディアの注目を集めることができるだろうという経営戦略上の利点も考慮した獲得だとも語った。

          
          ※ コンサの道産子三選手、左から石井謙伍、宮澤裕樹、上原拓郎の各選手です。

 私が野々村氏の話を聞いて、思いを新たにしたことがあった。
 それは、野々村氏が経営者としてコンサのJ1昇格を切望していると話したことだ。
 サッカーJリーグの場合、J1に属することによって、リーグからの還付金(?)とか、放映権料、あるいは入場料収入などなどJ2とは格段に違っていて、経営的には非常に楽になるということだ。
 私は数日前のコンサ観戦評で「しばらくJ1には上がらない方が良い」的な意見を表明したが、野々村氏の話を聞いてコンサの場合は球団経営の面からも考えなければならないことを痛感したのだった…。

 球団社長として野々村氏がどのように評価されているのか、私には知る由もないが、少なくともこれまでの社長像とは違って、積極果敢な経営ぶりがサポーターたちからは好感をもって迎えられているだろうことは予想できる。その姿勢がぜひとも経営的にもプラスに働いてほしいことを願うばかりである。


カラスとどう向き合うか?

2014-04-23 16:04:24 | 講演・講義・フォーラム等
 色が黒く、雑食性のためゴミを食い荒し、その上時には人を攻撃するなどの生態から一般には忌み嫌われているカラスであるが、講師はカラスを駆除することによって生態系に負荷を与え、都会をコンクリートジャングル化して良いのか、と警告したのだが…。 

         

 4月16日(水)夕刻、紀伊國屋インナーガーデンで「東海大学公開講座 ヒューマンカフェ」が開催された。
 テーマは「野生生物との共生-カラス-」と題して、東海大学生物学部の竹中万紀子准教授が講師を務めた。
 竹中氏は札幌市内のカラスの動態を長年観察し続けるとともに、外国の研究家とも連携を取りながらカラス研究に打ち込んでいる方である。

 氏は札幌市内のカラスの生息数は6,000羽前後と推測する。そして、雛が成鳥になる比率が近年低くなっていると指摘する。その要因は、可燃ゴミ(生ゴミ)を出すルールが徹底されてきたからだという。
 また、2013年に餌付け禁止条例が施行されたことも影響しているという。
 竹中氏が、こうした施策自体を非難しているわけではないことも付記しておかねばならない。

 次にカラスの攻撃性についてだが、このことは良く言われることであるが、特にカラスが雛を育てる時期は非常に神経質になっているということ。また、子細に観察していると必ずといってよいほどヒトが先制攻撃を仕掛けているという実態があるという。すると、カラスは攻撃した人、またはそれに似た人を攻撃するのだという。

          

 さて竹中氏の問い掛けである。
 カラスの生息数を制限するうえでも、生ゴミの管理方法や、餌付けの禁止などは是としても、カラスの絶滅を望むのはどうなのだろうか?という問い掛けである。
 例えば、数年前にマイマイガが大発生した時に、カラスはこうした害虫を食することによって被害の減少化に役立っていた。その他にも生態系の中でカラスが人間社会に恩恵をもたらしている点に注目すべきであると、竹中氏は主張する。
 野生生物が減少してしまってコンクリートジャングル化してしまった札幌の街が望む姿なのですか?と…。

 うーむ、難しい問い掛けである。
 夕暮れに、あの数千羽とも思われる黒い軍団が、空を真っ黒に染めてねぐらに向かうさまを見ると、背筋が寒くなるのも事実である。
 また、カラスに追いかけられてパニック寸前に陥ったことも一度ならず経験している。
 かといって、カラスが街から姿を消せば、竹中氏が指摘するような味気ない街が現出したり、あるいは生態系への想定外の影響が出てきたり、というようなことが考えられるのか…。うーむ、難しい問題だなぁ…。

円熟のチ・カ・ホ クラシックLIVE

2014-04-22 17:54:02 | ステージ & エンターテイメント
 円熟の境地と呼ぶに相応しい大平まゆみさんのヴァイオリンだった。札幌駅前地下歩行空間というクラシックを演奏するにはまったく相応しくない空間での演奏会だったが、そのことが気にならないほど満たされた思いに浸った30数分間だった。 

 4月17日(木)夕刻、チ・カ・ホ クラシックLIVE Vol.11と題するミニコンサートが北3条交差点広場で行われた。
 友人を誘って聴きに行ったのだが、想像していたより遥かに素晴らしいLIVEだと思えた。

 LIVEは前座で北海道教育大学岩見沢校の音楽コースの学生がピアノ伴奏で声楽を披露した。若々しさを感じさせるステージは好感が持てた。
 続いて、真打の大平まゆみさんの登場である。この日は、札響の首席フルート奏者の高橋聖純さん、そしてピアノ伴奏の明上山貴代さんを加えてのトリオの演奏だった。

          
          ※ 前座を務めた教育大生、左から高神麻由さん、給前孝春さん、坂井栞さんの三人です。

 この種のLIVEはクラシックの普及を目的としているため、誰もが耳に馴染んだ曲を演奏することが多いが、この日もそうした選曲だったようだ。
 ◇ヴィバルディの四季より「春」◇モーツァルトの「メヌエット」◇メンデルスゾーンの「春の歌」といった具合である。私が最も感動したのがカッチーニの「アヴェマリア」だった。大平さんも言っていたが非常に美しい旋律が印象的な曲である。
 その他にも、春の歌メドレーとか、ドップラーの「アメリカンデュオ」、「ネコふんじゃった変奏曲」など、近寄り難いクラシックという既成概念を取り除きたいという大平さんの思いが選曲に表れていたように思われた。

          
          ※ 数多くのステージをこなすことでMCの方も巧みになった大平さんです。

 ここ数年の大平さんは年間200回を数える演奏活動を全道各地で展開していると聞く。おそらくクラシック演奏家としては突出した数字ではないかと思われる。近年の大平さんは「えーっ、こんなところも!」と思われるところにも出演されている。私が出会ったのは「ばんけいミュージックフェスティバル」、「さっぽろホワイトイルミネーションコラボレートLIVE2013」など、いわゆるロッミュージシャンとの共演である。

 若手の音楽家であれば、そうしたところへの出演は腕(技術)が荒れるという心配もあるのだろうが、彼女くらいの境地になるとその心配もないのだろう。円熟し、安定した演奏ぶりがそれを物語っている。
 大平さんのクラシック音楽を北海道内に普及しようとしている貢献度には計り知れないものがあるように思える。きっと近い将来、そのことを讃える何らかのアクションがあるように私は予想するのだが…。

          
          ※ 写真

 それにしても、このような素晴らしいイベントがこれまで11回も行われていたのに、私としたことが初参加だったとは悔やまれる。この後も継続されるのか否かは不明だが、イベント予告欄をこれまで以上に目を凝らして注視しなければならない。

外来生物とどう向き合うのか?

2014-04-21 16:58:11 | 大学公開講座
 外来生物であるアライグマが人間社会に深刻な影響を及ぼしているという。日本は今、アライグマをはじめとして外来生物が氾濫しているといっても過言ではない。これら外来生物とどう向き合うべきなのか?研究者の話を聴いた。 

 4月12日(土)、北大博物館土曜セミナーが開催され、北大大学院文学研究科の池田透教授が「外来アライグマ対策を通して見える人間社会」と題されて話された。

                 
        
 外来生物とは、自然の力(風や波の力など)で移動したものは外来生物とは言わず、人為的に移動した生物を指す言葉であるという。
 したがって、外来種問題とは人間と生物の様々な関係が凝縮した問題であると池田氏は指摘した。

 そして、在来種被害対策(シカやクマなど)の考え方は、被害が生じないレベルに個体数を調整することが目的だが、外来種の被害対策の考え方は、生態系への影響を考えると根絶させなければならない問題であるとした。
 ところが人間社会には根絶を困難にする特性があると池田氏は指摘した。その特性とは、
(1)問題が長期化することによって人間社会には「慣れ」と「諦念」が広がってくる。
(2)成果(結果)を評価するのではなく、行動したこと自体で満足している。
(3)生態系への影響のような認知しにくい問題に目を向けられない。
(4)生き物の命を奪うことへの抵抗感がある。(日本社会の特性)
 こうした人間社会の特性が外来生物の根絶を困難にしているという。

 池田氏は大分県が行政・民間が一体なって取り組んだアライグマ駆除作戦に研究目的で参加したが、そこでは上記したような点を克服してかなりの効果を上げたという。

          

 ニュージーランドにおける外来生物対策は参考になるらしい。それは(1)科学的であり、(2)問題を単純化すること、(3)そして市民の情緒に訴えることだという。
 ニュージーランドの国鳥でもある「キゥイ」が外来生物のために絶滅寸前の状況に陥っていることから“Imagine Kiwi”(キゥイのことを考えろ!)というスローガンのもとに外来種の根絶の取り組みを行っているということだ。

 私はこの春、奄美大島を訪ね、奄美大島において外来生物であるマングースの根絶を目指して活動する「マングース バスターズ」の存在を知り、実際にそのワナも見ることができたし、バスターズの一員にも会い話を聴くこともできた。
 今、奄美大島におけるマングースは根絶寸前とも聞く。池田氏はこの取り組みが今の日本におけるモデルケースだとも言った。

 今や日本における外来生物の種類は実に2,000種を超え、生態系に深刻な影響を及ぼしているらしい。
 それらを根絶するなどということは遥か彼方の目標に違いないが、問題の深刻さをアピールし続けるとによって理解者を増やし、この問題が解決へ向けて前進することを願いたいものである。