※ 事情により、この日の投稿内容を削除することにしました。
美味しい食事をいただきながら、15年間の来し方を振り返りながらの和やかな会話が弾んだ。どの顔にもある種の達成感と安堵感を漂わせながら…。そしてなんと!思いもしなかったサプライズが飛び出したりして…。
昨日(12月4日)お昼、円山の某割烹において15年間にわたって活動を続けてきた歩道清掃ボランティア「近美を愛するブリリアの会」の「解散昼食会」を実施した。これまで年によってはお酒を介した年度反省会も実施してきたが、年齢も上がり、しかも女性会員が多数を占めることから「昼食会が適当だろう」との判断から「解散昼食会」とした。
※ 解散昼食会の会場の円山にある某割烹のエントランスです。
会は私からの簡単なあいさつの後、会の中で最も高齢ながら、最も献身的にボランティアに務められたTさんの乾杯の音頭で美味しい食事の会へと移っていった。食事を介しながら、女性会員たちのとりとめのない会話が延々と続いた。その表情からは、私の挨拶の中に滲ませた「ちょっとだけ地域に貢献できたのでは…」ということに同意する達成感を言葉の端々に含ませたもの、あるいは「これで早朝に起きねば…」という緊張感から解放されたことに安堵を滲ませたものなど、さまざま意味が込められた会話が飛び交った。
※ Tさんの「乾杯!」の合図で解散昼食会はスタートしました。
その中で私から「ボランティア活動は終えるけど、ここで培った絆を何らかの形で続けては?」という投げかけに対して、誰もが賛意を示してくれた。私自身としては「女性の方々のおしゃべりの場・交流の場を残したい」という思いだったのだ。その結果、どなたかの提案で、「電話網を作りましょう!」ということになり、即座に互いの電話番号を交換し電話網が出来上がった。
※ 和気藹々、会話が弾む解散昼食会です。
そして、とりあえず次回を1月末に実施することも決定した。さて、交流の場がどのような形で継続されるのか?今後、私は一歩引いた形で、女性の方々の交流を見守っていきたいと思っている。何故って?いや~、女性の会話の輪に加わるのは私には至難の業と感ずるからである。
楽しい時間は「あっ」という間に経ってしまった。会の最後は、私と共に活動を続けてくれた男性会員のK氏が皆さんの思いを汲み取り素晴らしい挨拶で締めてくれた。
とその後で、とんだハプニングが飛び出した。どなたの発案だったのか知る由もないのだが、密かに相談されて私に花束を贈呈するということになっていたらしい。思ってもみなかった花束を贈られ、私はびっくりするやら、嬉しいやら…。有難く皆さんの思いを受け取らせていただいた。
※ プレゼントされたバラの花束は家のエントランスに飾らせてもらいました。
とりあえず、今は15年間にわたり会を率いてきた責任から解放されてホッとしているところである。
私たちの清掃ボランティア活動「近美を愛するブリリアの会」の15年間の活動をスライド写真で振り返ってみた。その年に起こった主な出来事と共に…。スライドに見入った会員の方々と15年の月日の流れを実感した瞬間だった…。
私たちが道立近代美術館前の歩道の清掃活動を今年いっぱいで終えるということについて拙ブログの4月10日付で宣言していたが、その最終回の活動は10月25日(金)に終えていたのだが、特にそのことについては今日まで触れてこなかった。
私たちはまだまだ続けたい気持ちはあったのだが、会員の高齢化によって清掃そのものが一人ひとりにとって辛いものになってきつつあったことで今年を限りとしたのだ。
※ 近美前のART文字のところで何年か取り組んだジャンボヒマワリ作りですが、最も高く伸びたのが2010年の3m85cmでした。
活動を終えるにあたり、なんとか皆さんで15年間を振り返る手立てはないものか?と考えていた時、「パワーポイント」の活用を思いついた。写真を張り付けたり、文章で表示したりと稚拙な資料しか作成できないのだが、その少ない能力をフル動員して「近美を愛するブリリアの会 15年の軌跡」と題する41ページの資料を作成した。
その上映会を昨夕、マンションの集会室で行った。常時活動に参加していただいた8名の方が集まってくれた。
15年前、近美前の歩道に雑草が蔓延っていた様子、活動を終えた後の会員たちの笑顔、暦年の花壇の様子、懇親交流会の様子、私が一時取り組んだジャンボヒマワリの成長した姿、等々…、厳選した(?)84枚の写真と説明の文章を綴った41ページの資料を見てもらった。
※ 左は年度の反省交流会、右は男性会員の集いの様子です。
会員たちは映し出された資料を見ながら「あゝ、あの時はこんな状態だったんだねぇ」とか、「えーっ、こんなこと記憶にないなぁ…」とか、写真から派生した思い出話に花が咲いたりと、和気あいあいに15年間を振り返った。
資料の作成に時間がかかったり、プロジェクターを知人から借りたりと、いろいろ苦労はあったが、その苦労も吹き飛ぶくらいに会員の皆さんが喜んでくれたことが何よりだった。
実はこの上映会は、本日実施した「解散昼食会」(明日レポの予定)の前夜行事として実施したものである。というのも、昼間に飲食店内でスライド上映をするということにお店側は難色を示すのではないかとの思いから前夜にマンション内で実施したのだが、結果としてはそれが正解だったように思う。
※ 作成資料の最後のページです。
“初めてのお使い” ならぬ “初めての冬囲い” である。慣れぬ手つきながら、なんとか恰好だけは整えた。しかし、実際に幼木は無事に冬を越すことができるのか?その答えは来春になるまで分からないのだが…。
本日午後、私にとっては人生初めての「八重紅枝垂桜」の幼木の冬囲いに挑戦した。
というのも、15年間継続してきた道立近代美術館前の歩道の清掃ボランティアだが、(そのボランティアについては拙ブログで折に触れて投稿してきた)会員の高齢化によって今秋をもって終止符を打つことにした。残念だが、高齢化は抗しがたい現実である。
そこで会の会費に若干余剰金があったことから、「活動を続けてきたことを記憶に残すため、記念の植樹をしよう!」ということになった。樹種は私の希望も入れてもらって「枝垂桜」にすることになった。
※ 樹名板は東急ハンズで制作しました。
ネットを通じて小さな幼木を入手し、9月末に会員の手によってマンションの庭に植樹した。植樹して3週間が経ったが、今のところ順調に育っているようである。
※ 購入した枝垂桜の幼木です。無事に育ってくれますように…。
そこで必要となるのが雪国寒冷地である札幌においては “冬囲い” が必須である。市の緑のセンターに出向いて、指導員の方から冬囲いについてレクチャーを受け、ホームセンターに行って器材を購入した。購入したのは「サンムシロ」という石油由来のむしろ、風除けネット、ネット張り用支柱、結束バンド、などである。
まずサンムシロで枝垂れ桜の幼木を覆い、棕櫚縄を使って結わえた。
※ まずサンムシロで幼木を覆いました。
続いて、その周りを覆うように支柱を立てて風除けネットを巡らし、結束バンドで支柱に結わえた。
※ サンムシロで覆った幼木をさらに風除けネットで覆いました。
と書くと、なんとなく冬囲いが立派にできたように聞こえるかもしれない。
しかし、この出来具合で、厳しい札幌の冬の気候に耐えうるのか?と問われるといささか自信がない。何せ素人仕事なのだから…。
冬本番を迎えて、吹雪のために風除けネットが吹き飛んでしまうかもしれない。それくらいあやふやな作業で自信がないのだ。もし吹き飛んだから、冬の最中に補修作業に追われる羽目となるかもしれない。
心配の種は尽きないが、“その時はその時” と腹をくくってこの冬を過ごすしかないかなぁ、と思っている。そんないささか自信のない “初めての冬囲い” でした…。
マンション周囲の街路樹枡花壇に栽培しているインパチェンスの育ちが良くなかったのだが、懸命に世話を続けたことが功を奏したのだろうか?ここにきてなんとか見られるようになったかな?という状況となりホッとしている。
近代美術館前歩道の清掃活動に取り組んでいる「近美を愛するブリリアの会」の活動の延長線上の活動として、マンション周囲の街路樹枡花壇の整美活動にも取り組んでいる。これまでいろいろな花種の栽培に取り組んできたが、昨年初めてインパチェンスの栽培に取り組んだところ、インパチェンスの花がこんもりと盛り上がり素晴らしい出来となった。
※ この2枚は昨年のインパチェンスです。
昨年に引き続き「今年も!」と考えたのだが、調べると「インパチェンスは連作に向かない」と分かりガクッときた。しかし、あきらめきれない私は市の緑のセンターの相談窓口に問い合わせた。すると「土壌改良剤をすき込めば大丈夫ですよ」との回答を得た。そこで指導どおりにピートモスを購入してすき込み、インパチェンスの苗を植えたのだが…。
それがいっこうに育ってくれず、中には株そのものが枯死してしまうものまで出る始末だった。
「やっぱりダメなのかなぁ」と思いつつも、諦めきれず水遣りと肥料の投与は続けた。
水遣りは3日と空けずたっぷりと与え続けた。すると7月下旬頃から、「少しは見られるようになってきたかなぁ?」という程度に花の勢いが出てきた。
そして8月に入り、昨年のようにはならないまでにも何とか見られるような状態になってきたのでは?と、こうしてブログに話題に取り上げられるまでになった。
苗の購入代をマンションの管理組合から拠出してもらっているだけにホッとしているというのが今の偽らざる心境である。
マンション周囲にある街路樹枡花壇は多くの人たちが行き交うところである。その方々が「きれいに咲いているなぁ」と思いながら通り過ぎているはずと思っているのだが…。
※ こちらの2枚は今朝撮った今年のインパチェンスです。
なお、私が管理する街路樹枡花壇は小さな三つの花壇が1.8×0.8(m)、北1条通側の大きな花壇が2.3×1.2(m)であるが、そこへ毎回小さな方には20ℓ、大きな方には35ℓの水を与えている。これからも花の季節が終わるまで水遣りを続けようと思っている。
また、今年はもう一つ、種子から「コキア」の栽培に取り組んでいる。こちらもマニュアル通り桜の開花時に播種したのだが、やはり育ちは良くなかった。3ヵ月家の中、ベランダで育成し、7月中旬にようやく土に下したのだが、成長は遅れている。株は小さくとも秋には紅葉した「コキア」を見たいと思っているのだが…。
※ 約30株のコキアを栽培しています。
久しぶりに小学校の小さな子どもたちの学習を支援する活動に参加した。可愛い手が挙がり、質問してくる子どもたちの学習を手助けするのは、やりがいもあり、心楽しいひと時だった…。
7月29日から今日まで3日間、子どもたちの学習支援ボランティア活動に参加した。
この活動は、私が所属する退職組織が、学校の夏季休業と冬季休業に合わせて子どもたちの学習を支援する活動である。
私たちの退職組織は10年前から、中央区の小学校単位に設置されている児童館に出向き、児童館の学習タイムに合わせて、私たちが出向き学習を支援する活動である。今年も中央区の二つの小学校に併設(?)する児童館で5日間にわたって実施中である。
私は自宅近くの某小学校に併設する児童館に3日間参加することを申請して、本日その3日間が終了したのだ。
時間は午前10時から45分間である。某児童館は集まってくる子どもがけっこう多く、毎日60~70人程度の子どもが3つの部屋に分かれて、全員がそれぞれの長期休業中の宿題などに取り組んでいる。
某児童館にはこの3日間、平均5人の退職者が参加し、それぞれ各部屋に分かれて支援を行った。
学習はあくまで子どもたちの自主性に任せ、私たちはその学習を見守る姿勢である。その学習の中で躓いた場合には、手を挙げて私たちの助言を求めるという仕組みである。主に手が挙がるのは、やはり低学年の子どもたちである。私たちは手が挙がった子どもの傍に赴き、躓いている点を尋ねて、ヒントを与え、できるだけ自分の力で解決できるように仕向けるのだ。そして解決できた時の子どもの表情がパッと輝くのを見るのが楽しみなのだ。
児童館にはかなりの数の指導員の方も務めているが、子どもの数が多いだけに十分なサポートができないようだ。そうした状況の中で、私たちのボランティアも多少は役立っているのかな?と感じさせてもらいながら3日間応援させていただいた。
冬休みも頑張ろうかな?
近代美術館前の歩道の清掃活動を15年間続けてきたが、その間活動日を連絡することを主として会報の発行を続けてきた「近美を愛するブリリアの会 会報」の発行数がとうとう300号に到達した。内容はともかくとして、まさに “ちりも積もれば山となる” を実感している。
私がマンションに同居する皆さんに「一緒に近美前をきれいにしませんか?」と呼びかけたのが2010年の6月末でした。そうしたところ10戸15名の皆さんから賛同を得て、実質的に活動をスタートしたのが2010年の7月5日だった。
記念すべき会報の第1号は、それより遡ること3日まえの7月2日に発行している。
以来、主として活動日をお知らせすることを主として毎回会報を発行し続けてきた。それが先日、6月16日の発行をもって300号に達したのだ。
会報は毎回 A4版の裏表に印刷して発行している。会報の割り付けは、紙面をおおよそ4分割して、(1)活動日の予告、(2)前回活動の報告、(3)トピック的な話題、(4)「よもやま話あれこれ」と題して、四季折々の変化や活動の関するよもやま話、などを掲載している。(もちろんそうでない場合もあるのだが…)
300号でいうと、表面の最初は次回の活動日の予告している。続いて「会報が300号に達しました!パチパチパチ!」と題して、300号に達したことを伝えた。裏面には「第5回目の活動から」と題して前回活動の様子の報告。そして「よもやま話あれこれ」では、近美前に現れた札幌のバンクシーこと田中さんという方が近美前の歩道に現れ、ポプラの綿毛でかわいいウサギを創っていったことなどを話題として取り上げた。
※ どうもスキャンの性能がイマイチのようで会報自体を読むのは困難ですね。
おおよそこのような形で発行を続けてきたのが “ちりも積もった” のである。
私は、会報発行300号記念として会報第1号の復刻版を発行した。氏名などは伏せさせてもらったが、下の図がその復刻版である。
今年の活動開始に当たって、会員の高齢化から「活動は今年いっぱいで終了する」と4月10日の拙ブログで宣言したが、その思いは変わっていない。
とすると、会報の発行も残りあとせいぜい10数回かと思う。
それまではこれまでどおり発行を続け、有終の美を飾りたいと思っている。
私の手元には1号から300号まで全て揃っているが、300数号まで全てを揃えて私の宝物の一つにしたいと思っている。
- いつの頃からか、私たち「近美を愛するブリリアの会」がマンション周囲の花壇のお世話をしている。本日はその花壇に花苗の定植作業を会員の方々と一緒に行った。
なんだか日記風のブログとなってしまいそうだが、本日は一日中 “花づくり” に関わった一日となった。
いつの頃からか、と表現したが、思い起こせば15年前から私たち「近美を愛するブリリアの会」が近代美術館前の歩道の清掃活動を始めたのだが、ある会員が「マンション周囲の街路樹枡を花で飾りたいですね」という提案があった。
私はマンション周囲のことは管理人の業務なのではと思ったのだが、どうやらマンションの敷地外ということでそうではないらしいということが分かり、“それでは” ということで始めたのがキッカケだったように記憶している。
以来、毎年私たちがマンション周囲の街路樹枡4ヵ所の花壇の花の植栽、維持管理活動をしている。花苗の購入費は管理組合に負担していただき、私たちがその維持管理をするという方式である。
今年も私たちで植栽する花種(インパチェンス)の選定をし、業者に発注し、本日その苗160株が届いたので、さっそく会員の方々と苗の植栽をしたということである。
※ 花苗の植栽をする「近美を愛するブリリアの会」の会員の皆さんです。
しかし、花苗を植栽するといっても、その前の準備がけっこうあるのだ。
まず、春花壇を飾ったスノードロップ、クロッカス、チューリップなどの球根を掘り起こし、整地する必要があった。
さらには連作には適しないと言われるインパチェンスを今年も栽培したいと考えたために、土壌改良をする必要に迫られピートモスという土壌改良剤をすき込む作業があった。(土壌改良剤については、緑のセンターの相談窓口で助言を受けた)
これらの作業は苗の植栽作業の前に、私が受け持って午前中に終わらせた。
そして午後、本日は6名の会員の方々の参加を得て花苗を植栽した。会員の方々は手慣れたもので、ミックス苗(赤、ピンク、白)を適度に混合し、手早く植栽してくれた。
※ 花苗の植栽を終えた街路樹枡の花壇です。
昨年、育てたインパチェンスは根気よく水遣りを欠かさなかったこともあり、とても良い出来だった。今年もその再現を狙っているのだが、果たして??
※ 昨年秋、良く育ってくれたインパチェンスです。今年もこのようにと願っています。
ここで終わらずに、私が3月末に「さっぽろ花と緑のネットワーク」主催の「種から花を育ててみよう」という講座で学んだ「亜麻(アマ)」を私は種から室内で育てていたのだが、ようやく地植えできる程度になったので、その苗をみなさんに手伝っていただき地植えした。
私の今年の課題はもう一つある。それは、これも種から育てているのだが「コキア」を現在やはり室内で育てている。まったく初めての挑戦なのだが、あのこんもりとした形状のコキアが秋に紅葉することを楽しみにしている。果たして望み通りに育ってくれるのか?これももう一つの果たして??である。
※ 室内で種から育成中の「コキア」の苗です。地植えにはもう少しかかりそうです。
「コキア」の成長の様子も本ブログでも時折り報告できれば、と思っている。
なお、本日のタイトル名「本日は花づくりWednesday!」に特に意味はない。別に苗の植栽を水曜日にしているということではない。たまたま本日が水曜日だったというだけの話である。
気になっていたART文字とMUSEUM文字の整枝作業をようやく終えることができた!素人作業ではあるが、まあそれなりに整えられたのでは?と自己満足しているのだが…。
15年間継続してきた道立近代美術館前の歩道を清掃する活動だが、会員の高齢化から今年を最後と定めて4月9日に今年の活動をスタートした。その後、今のところ順調に2週間に1度の活動を続けている。
今朝(5月22日)、今年に入って4度目の活動を行った。本来は昨日実施の予定だったのだが、昨朝は小雨状態だったため、今朝に変更して実施したのだ。
今日は会員の方々8名が集まっていただき、いつものように清掃活動を行っていただいた。私は皆さんが清掃活動をしている間、以前から気になっていたART文字とMUSEUM文字の整枝作業に精を出した。ART文字とMUSEUM文字を象っているクサツゲが春の陽気の中、新芽を成長させて文字が不鮮明になっていた。
その整枝作業を行うのに、私たちには文明の利器など何もない。原始的な草刈りバサミ一丁を手にしての作業である。会員方々から「植木職人並みですねぇ」などとおだてられながら…。何百回、何千回、草刈りバサミを開け閉めしただろうか?しかし、疲れは腕よりも中腰の姿勢での作業が辛かった。
※ 私が整枝作業に使っているものと同じ草刈りバサミです。
清掃作業が終えようとする1時間後に、私の整枝作業もなんとか終えることができた。(というより無理矢理終わらせた)プロのようにはとてもできないけれど、まあ文字は判読できるくらいになったかな?と自己満足している。
これからは夏に向けて夏花壇の整美も同時に行っていかねばならない。2週間に1度の早朝の活動が秋まで続く。清掃後のスッキリとした路上を眺めることが会員の方々の何よりの悦びである。
※ 上の写真が整枝前、下の写真が整枝後のものです。
※ 上の写真が事前、下の写真が事後のものです。
最後まで皆さんとしっかりと活動を続けて有終の美を飾りたいと思っている。
※ 清掃作業を終え、スッキリとした路上を帰路に就く会員の皆さんです。
道立近代美術館前の歩道を清掃するボランティアを私たち「近美を愛するブリリアの会」が勝手に始めてから15年目の春を迎えた。会員の高齢化が進み、今年を最後と定めてこの1年間だけは頑張ることにした。昨日朝、今年の第1回目の活動をしたのだが、春の清掃はいつものことだが、大量の枯葉のゴミが出た。
昨日4月9日(火)、朝6時から毎年行ってきた道立近代美術館前の道路の清掃ボランティアを行った。前日までの好天から一転して風が強く、気温も低い中での活動となった。
※ 路上には冬期間に蒔かれた微砂利が写真のように路上に散乱していました。
会員は現在全部で15戸なのだが、実質的に活動されているのは8~9名で、残りは活動には参加しないが、活動を物心両面で支えてくれるサポート会員である。昨日は活動されている方のほぼ全員に当たる8名が参加してくれた。やはり会員の方々も最後の年ということを意識されているのかなぁ、と伺わせてくれた。
※ 枯葉もご覧のとおり、柵際にたくさん降り積もっていました。
清掃の方は、毎年のことだが第1回目の清掃はいつも大変である。というのも、近代美術館前の庭は落葉樹がたくさん植わっている。それら落葉樹の樹からは昨秋に大量の枯葉を路上に落とし冬を越したのだ。だから、私たちは昨日その整理に大わらわとなった。
※ 会員の方々は手作業で枯葉をボランティア袋に詰めています。
通常の活動だと30分ほどで終了するのだが、昨日は枯葉を集めるだけで約1時間かかってしまった。集めた枯葉は、なんと40kg入りのボランティア袋34袋にもなってしまった。会員たちと「これは新記録では!?」などと話し合った。
※ 枯葉を集めたボランティア袋はなんと34袋でした!
活動はこれで終わりではない。冬期間に路上には滑り止めの微砂利が撒き散らかされていたので、これらを掃き清めねばならない。微砂利は燃えるゴミとはならないために、歩道の隅に何ヵ所かに分けて掃き集めておくことにした。そうすると後日に道路清掃車が集めていってくれるのだ。この微砂利の清掃におよそ30分間かかった。
※ 微砂利の方は写真のように路上の各所に掃き集めました。
結局、第1回目の活動およそ1時間30分かかり、通常の3倍もの時間を要した。それでも冬の間に路上に横たわっていた枯葉や微砂利を取り除いたことで、すっきりとした歩道となり、清掃した私たちもスッキリとした気持ちになって活動を終えることができた。
※ 活動を終えた後の近代美術館前の歩道です。スッキリしました!
清掃ボランティアは「今年が最後の年」と定めたと記したが、会員の高齢化は防ぎようがない。徐々に会員の数も減ってきていた。詳しく調べたわけではないが、平均年齢は75歳を超えているのではないか?私も含めこれ以上の無理は出来ない。今年も2週間に1度の割合で実施する予定だが、今年精一杯やらせていただき、有終の美(?)を飾りたいと思っている。
時おり、拙ブログでその様子をレポートしたいと思っている。