札比内 ⇒ 美原大橋(晩生内) トレッキング月日 ’16/01/28
石狩川も中流域に入ってきたらしい。石狩川に注ぐ掘割りの数がずいぶん多くなってきた。次から次に現れる掘割りをそのまま渡るのか、それとも迂回するのか、ひとつ一つ慎重な判断をしながら進んだ。
この日感じたのは掘割りの多さだった。次から次へと大小の掘割りが現れる。
水面が凍っていなく、流れが見えるようなところは迂回しなければならない。この迂回が辛い。何せ一歩ごとに40~50cm沈むのだから、堤防まで400~500mも迂回するのは辛い。流れが大きいと思ったら、堤防のところにこの日二つ目の樋門が見えた。
少しでも近道を、と写真の樋門の下を潜って掘割りを通過した。
※ この日目にした二つ目の樋門です。堤防上まで上がれば樋門名も確認できるのですが、そんな余裕はありません。
天候は不安定で、雪が降ったり止んだりを繰り返していた。
すると、今度は石狩川沿いに大きな構築物に出会った。傍に寄って施設名を探したが何もなかった。月形大橋の近くにあった「揚水機場」と同じように思われたが果たして?
※ こちの施設名は分かりませんでしたが、おそらく揚水機場でしょう。
すると、またまた大きな流れが現れた。「また迂回しなくちゃならないの?」と私は呟いていた。写真の中で一ヵ所だけ渡れそうなところがあったが、向かい岸の部分が難しそうで諦めた。
しかたなく堤防の方へ迂回を始めたが、諦めきれず掘割りの横を観察しながら堤防の方へ向かった。すると、一ヵ所だけ「あるいは?」というところが現れた。慎重に判断し、渡ることを決めた。
渡るには渡れたが、その後が大変だった。水面が現れるような掘割りはかなり大きく、急なV字形を造っている。崖状のところを上るのが一苦労である。そのままではとても上ることはできない。私は崖のところにスノーシューを置くための階段状の穴をひとつ一つストックで削って一歩ずつ上った。
※ 写真に見える渡れそうなところは危険と判断し、回避しました。
※ 慎重に検討した結果、写真に見えるところを伝って渡ること決心しました。
※ 写真では良く分かりませんが、手前の崖をよじ登りました。
そんな崖のところで格闘しているときに妻から電話が入った。
妻は私のプロジェクトについて全面的に賛成しているわけではないようだが、反対もしていない。いつも私がスノーシューに出かけるときは、弁当を用意してくれ、スノーシューをしている際には2~3度電話をくれることが常である。きっと私の安全を気にしてくれているようだ。
再び石狩川河岸に戻ってみると、川の対岸の方が広く凍っているようなところが見えた。はたしてそこは川の流れが凍ったところなのか、それとも河原状のところなのか、この季節では判断はつかないが、マップから推測するには河原なのだろうか?
※ 石狩川の対岸は白い平らなところが拡がっていました。氷原か?それとも河原か?
※ 流れが二手に分かれているところもありした。
※ 珍しく石狩川の右岸が一望できるポイントがありました。
いろんなことに出会いながら、少しずつ少しずつ前進はしているのだが、その歩みはやはり遅かった。GPSで確認しても僅かに進んだことしか示してくれなかった。
そんな中、またまた大きな掘割りが現れた。ここは一目見ただけで迂回しなくてはならない掘割りだった。どうやら晩生内の方から流れ込む晩生内川の流れのようだ。
大きな迂回だった。その先には、今度は樋門ではなく、堤防の下を貫く流れのトンネルだった。
※ これは大きな流れです。とても渡るとはできません。
※ どうやら晩生内川の流れのようでした。
※ 晩生内川は堤防下を写真のようなトンネルを流れていました。
正午を過ぎていたが、目標の美浦大橋はまだ見えなかった。
天候が吹雪状になっていたこともあり、昼食を摂らずに進むことにした。
※ 河岸には写真のようなイタドリ(?)の群落もありました。
遠くに美浦大橋が見えてきたときは13時頃だったろうか?この時点で、この日浦臼まで行くことを諦めた。せめて正午までに大橋のところまで至っていれば、なんとか明るいうちに浦臼まで到達できるかもとれない、という望みがあったが、それが絶たれてしまった以上仕方がない。
※ ようやく見えた美浦大橋です。
結局、美浦大橋に着いたのは13時45分だった。
昼食を、と思ったが、吹雪のためにとても昼食を摂る気分になれなかった。しかし、お腹の方はかなり空腹状態である。行動食のパウンドケーキを紅茶で流し込んで、本格的な昼食は晩生内駅まで我慢することにした。
※ 美浦大橋の袂でスノーシューを脱ぎました。
14時、美浦大橋上でスノーシューを脱ぎ、晩生内駅まで約2.5kmを歩いて、晩生内駅に着いたのは14時50分。暖房は入っていなかったが、風がないだけでも有り難かった。
駅舎内で妻が作ってくれたサンドイッチを、熱湯を注いだポタージュスープ(インスタント)で流し込んだ。そして16時09分の札幌行の列車を待ったのだった。
※ 晩生内駅です。もちろん無人駅でした。
今回も目標の地まで届くことができなかった。
このことは、机上では一日で歩くプランのところに二日間かかったしまったことになる。
これまでそれなりにスノーシュートレッキングに取り組んできているのに、この誤算は恥ずかしいことだ。その要因は何度も触れているとおり、深雪と掘割りの多さである。
考えてみると、私の過去の場合は2月・3月に取り組んだ例が多かった。つまり、雪面がもう少し固まった状態だったように思われる。
その意味では、今年は少し早まった感はある。そこで、今後は一時中断して2月後半になってから、また「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトを再開しようと、今のところは考えている。
0対2となり、後半15分過ぎには、あまりの日本の不甲斐なさに寝てしまおうとテレビも暖房のスイッチも一度は切ったのだが…。思い直して、スイッチを入れると、なんとその直後に後半投入された浅野琢磨選手がゴールしたではないか!
それからは追い風に乗った日本が、矢島が、そして再び浅野が立て続けに得点して見事に逆転勝利を収めてしまった!
試合としては韓国に押される場面が多く、けっして褒められた試合内容とは言えないけれど、結果としてゲームを勝利という形で終えることができたのは立派というほかない。
日本サッカー界において、ドーハは「ドーハの悲劇」として語り伝えられる地であったが、今回の優勝で「歓喜のドーハ」となったのではないか。
ある意味、今回のU23の優勝はサプライズと言えるかもしれないが、リオ五輪においてもサプライズを見せてくれることを期待したい。
その前に放送された、田中陽希のグレートトラバース2の最終回の放映も私にとっては至福のひと時だった。
田中陽希の挑戦については、グレートトラバース1の時から注目し、全ての放送をDVDに保存するほど注目し、入れ込んでいた私にとって、彼が無事に所期の目的を達成したことを率直に讃えたい気持である。
放送の最後で、彼がゴールの佐多岬で「俺はやり遂げたぞー!!」と叫んだ時に、誰もいない部屋で、私は彼に一人拍手を送っていた。
その前に彼は番組を観ている者たちに素晴らしいメッセージを発していた。そのメッセージとは…。
「あなたにしかできない挑戦と言われるんですけど、でも形はどうあれ、みなさん何かに絶対挑戦できると思うんですよ」
この言葉に私はいたく感動した。何かに挑戦する…、私は田中陽希さんから素晴らしいプレゼントをいただいた思いである…。
あゝ、30~31日にかけての深夜は、私にとって至福の夜であった。
札比内 ⇒ 美浦大橋(晩生内) トレッキング月日 ’16/01/28
この日(1月28日)は相当難しいスノーシュートレッキングになるだろう、と予想してスタートしたのだが、予想通りの展開となってしまった。何といっても雪の深さに閉口した。トレッキングは一向に進まず、その上、私の前にはV字形の掘割りが次々と姿を現した。
この日の予定の札比内⇒浦臼間は距離が長いこともあり相当時間を要しそうだと予想された。そのため、息子に無理を云って札比内まで送ってもらうことにした。そうすることで日の出時刻前の「市民薄命開始時刻」の6時30分頃から行動が開始できると読んだのだ。列車を使用した場合、行動開始が8時前後になるので、この時間帯での1時間半は貴重だと考えたのだ。
息子はとって、オヤジの道楽に付き合うなんていい迷惑だったはずだが、快く(?)協力してくれた。朝4時30分自宅を出て、息子を拾いスタート地点の札比内に向かった。この日はなんと妻までが付き合ってくれて3人で札比内に向かった。途中、前方が見えなくなるくらいの吹雪に遭遇したが、引き返すことは考えなかった。(予報から一日中吹雪くとは考えなかったからだ。)
6時30分、予定どおり前回スノーシューを脱いだ地点に着いた。辺りは日の出前だったが、薄明るくなっていて行動するには支障のない明るさだった。
※ 私のスノーシュートレッキングのいでたちです。我ながらかなりふっくらしてきました。
準備にやや時間がかかったが、6時45分行動を開始した。息子と妻は、息子が後の予定があったために直ぐに札幌へ向けて帰っていった。
行動を開始して100メートルも行かないうちに「これは、止めたほうがいいんじゃないだろうか?」と思い、息子たちに電話をしようかと迷った。それくらい私のスノーシューは一歩一歩が深く雪の中に沈んだのだ。
すっかり弱気になった私だったが、ここまで息子たちに迷惑をかけて「止~めた」はないだろうと思い直し、前へ進むことにした。
※ 息子が準備中に撮っていたようです。
行動を開始して10分も経過しただろうか?すでに背中に汗を感じ始めた。「これはまずい!」と思い、アウターとミドルの間に着ていた羽毛のベストを脱ぐことにした。
ここで私のスノーシュートレッキング時の服装を紹介すると、基本的には上下共に3枚程度である。
上は、ごく普通の半袖下着、ミドルは裏に起毛があるウェア、そしてアウターは何と一枚もののレインウェアである。この日はスタート時にその間にベストを着込んでいた。
下は、いわゆるズボン下、ジャージーの下、そしてやはりアウターはレインウェアである。
ちょっと薄着では、と思われるかもしれないが、汗をかかないように気を付けるとこうした服装になってしまった。食事などの休憩時には持参しているライトダウンなどを羽織り、体温低下を防ぐようにしている。これで私の場合は十分である。
ライブレポでも伝えたが、約25分で石狩川河岸に出た。
天候は曇ってはいたが、雪は小康状態、石狩川は相変わらず悠然と流れていた。
※ 前回の最終到達点はV字谷の向こう側です。谷の向こうに石狩川が見えます。
※ この写真だけなぜか光量が不足しているように写りました。
深い雪に戸惑いながらも、上流へ向かってスノーシュートレッキングを開始した。
石狩川の河岸は大きくせり上がっていて、そこに灌木が生えているという状態だった。その灌木の間を縫っていくのだが、ところどころでV字形の谷が現れる。石狩川に流れ込むたくさんの掘割りである。小さな流れのところは凍っていて、その上を雪が覆っているので、そこをそのまま通過し、真っ直ぐに進むことができる。
しかし、水面が一部出ていたり、V字形が深い谷があったりすると苦労する。水面が出ているところでは雪が覆っているところを探す。 そこを無事に渡れたとしても、V字に深く切れ込んだところは、その崖状のところを上るのに苦労する。
※ やや分かりにくい写真ですが、こうしたV字形の谷が次から次へと現れます。この谷はまだ簡単な方ですが…。
そうしたことを繰り返しながら、ほんとうにのろまなカメさんのような歩みを続けた。
時によって、雪の降り方が激しくなって、石狩川の対岸が見えにくくなるときもあった。
石狩川は心なしか流れが少し速くなっているように見えた。やはりここまで来ると、石狩川も中流域に入って、やや高低差が出てきたということだろうか?真偽のほどは私には計りかねるが…。
また、ある箇所の川底がかなり浅いのではないか、と思われるところがあった。川中に島状に石が残されているところを見ると、かなり浅いのではないか?
こうした灌木の間を縫いながら進みます。
※ かなりの降雪の中の石狩川です。川中に大きな石が残っています。
雪は灌木などが生えている樹間に比べると、何もない平原状のところではより深く感じられる。写真に撮ってみたが、その深さを実感していただけると思う。
何度もGPSで確認するのだが、悲しいほどに進んでいないことに気付かされる。
そうしているうちに、大きな掘割にぶつかった。流れの状態から堤防まで迂回せねばならない。しかたなく、堤防を目ざしていると、そこには堤防内の水量を調節する樋門があった。樋門があるところは、間違いなく掘割りも深く、とても渡ることができるような流れではない。私は大きく迂回することを強いられてしまった。
※ 雪の深さを見てください。この雪を踏みながら一歩一歩前進するのです。
※ 遠くに樋門が見えます。この掘割は規模が大きいので樋門の所まで迂回します。
※ この日のスノーシュートレッキングは、まだ始まったばかりですが、残りは明日後編としてレポします。
※ なお、タイトル名の最後の数字は、私が「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトを始めた日からの取り組んだ日数を表します。したがって、今回は9日目ということになります。
恋しかるべき~、夜半(よわ)の月かな~♪、私はおよそ半世紀ぶりに声を上げたのだった。「めだかの学校」では恒例の小倉百人一首の会が行われ、私はほんと~に久しぶりに読み手を務めてみたのだった。
本来なら、昨日の「冬の石狩川河岸を遡る」№9のレポートをすべきなのだが、本日は午後から深夜まででかける用件があり、石狩川レポは後日に回すことにした。
そこで先日(1月25日)に参加した「めだかの学校」の百人一首の会についてレポすることにした。
小倉百人一首を実施する際、「めだかの学校」式と称しているのは、百人一首を行う場を昨年から取札をテーブル上に並べて取る方法に変更したことによる。
従来は畳の部屋で行っていたのだが、シニア年代には正座が厳しいために、立位のまま競技できるテーブル上で取る方法にルールを改めたことによるのだ。
しかし、この方式もなかなか運動量を必要とする。昨年、私は取り手として参加したのだが、札を読みあげるごとに中腰となって緊張することを繰り返すために、2回の対戦で相当に疲労したことを記憶している。
今回の参加者は24~5名であった。
私は今回、正式の読み手の方から、読み手補助の依頼を受け、読み手として参加した。
百位人一首の読み手など、小学生時代に友人宅を巡りながら百人一首に盛んに興じて以来のことである。
※ 正式な読み手の方は豆絞りを頭に巻き、気合が入っていた。
私は二回戦を担当した。小学生時代を思い出しながら、取り手に迷惑を掛けぬようにと必死になって読み上げた。冷や汗をかきながらもなんとか読み終えることができた。
正式な読み手の方は道南出身の方のようである。私は道東出身。二人の間には読み方に若干の違いが出ていた。おそらく、百人一首が道南から、徐々に道東方面へ伝わるうちにその調子にも微妙な変化ができた証のように思われ、面白い現象だなぁ、と思ったものである。
テーブル上での百人一首というのは、なかなかのアイデアだと私は思う。
参加者からも好評だった。それでも予選を入れて都合3回の対戦をこなした参加者はけっこうな疲労を感じていたようだが、皆さん心地よい疲労感をお土産に帰途に就いたようだった。
家に帰り着き、食事を摂り、一風呂浴びてホッと一息ついたところです。
それにしても今日は苦戦しました。
その原因の一つは、ライブレポでも触れましたが、雪の深さです。
一歩一歩に労力を要するために、スピードは全くといって良いほど出ませんでした。前回も踏み込む度に埋まりましたが、今日ほどではありませんでした。
さらには、行く手を遮る石狩川に流れ込む掘割の多さです。今日はいくつ越えたか分からないほどです。その中でも4ヶ所は渡ることができず、大きく迂回する羽目になってしまいした。今年になってから歩いているところは、どうやら石狩川の中流域に入ってきたのかもしれません。
昨年、一昨年の下流域にはなかったほど掘割が多く閉口しています。
今日は結局、直線距離にしたら5キロ程度しか進むことができませんでした。
しかし、万歩計の距離はスノーシューを外したところも含めて23.4キロも歩いたことになっています。いかにジグザグとコースを辿ったのか想像していただけると思います。
このペースでは日数だけかかって、進む距離がいっこうに進まない、という事態になってきました。
対策として、現在の時点では、雪の状態が良くなるまで少し間をおいて、2月下旬ころに再開しようかな?と考えています。
というのも、掘割が増えることはどうにもできませんが、雪の状態は雪面が融けて固まった状態ができるまで少し間をおこうと考え始めました。2月下旬になると、天候も安定してくるでしょうし…。
本日の詳しいスノーシュートレッキングのレポについては後日投稿することにします。
晩生内駅に来ています。
途中からレポしょうとしましたが、吹雪のため手がかじかんでしまい、止めました。
深雪に悪戦苦闘し、昼食も取らずに歩きに歩いたのですが、晩生内に通ずる美浦大橋に着いたのが、13時45分と予定を大幅に上回って時間がかかり、目的だった浦臼まで行くことを断念しました。
情けない話ですが仕方ありません。
それだけ雪が深く、コースがタフだったということなのでしょうね。
帰ってからしっかり反省します。
石狩川の河岸を遡り始めてから2時間が経過しました。
雪の深さに苦戦しています。2時間でどれたけ進むことができたのか?2キロに満たないんじゃないかと思われます。
石狩川は少し流れが速くなったような気がします。少し高低差が出てきたのでしょうか?
天気は相変わらず、チラチラと雪が降っています。
6時45分、札比内の前回スノーシューを脱いだ地点でスノーシューを付け、行動を開始しました。
約25分で石狩川河岸に出ました。
これから本格的に浦臼を目指してスノーシュートレッキングの開始です。
しかし、雪の状態は前回より悪く、スノーシューを踏み込むと4~50cm沈みます。この状況では浦臼までは無理かも、とすっかり弱気になっています。
天気はこちらへ向かうときは凄い振りだったのですが、今は小康状態です。
さあ、それではできるだけ粘ることにしましょうか。
先日(22日)、「冬の石狩川河岸を遡る」8を実行してみて、早くも自分が企てていた計画が崩れてしまった。現地の状況、雪の状態、私の体力、等々を考えると、机上のプランは少し欲張っていたようだ。私に合せたプランの再構築が必須の課題となった。
「そんなことをやって、何が楽しいんだい?」という問いへの答えが少し見えてきたような気がする。
それは、少し大げさに言えば「未知なるものへの挑戦」とでも言えようか?
調べると先駆者の例があるのかもしれないが、私の場合はこのプロジェクトにはまるで参考するものはなく徒手空拳で挑んでいる。河岸の様子などまるで情報は無いに等しい。
言葉が適切かどうか怪しいが「出たとこ勝負」である。つまり現地を歩いて、どこをどのようにルートを選択して前へ進むか、はその時の私の判断なのである。
灌木地帯をどのように進むのか。掘割り(V字形の流れ)に出会ったときに、そこを乗り越えるのか、それとも迂回するのか。そうした、その時々に状態を把握し、適切な判断を下して、自らの進むルートを選択していくことが、私にとっては他には得難い楽しみのように思っている。
それはさてとおき、今回のプロジェクトの見直しについてであるが、私は昨年の12月12日のブログ投稿で今年のプロジェクトの概要をレポしている。
その時、私は第1日目に月形大橋(須部都川河口)⇒晩生内までと予定していたが、先日(22日)実際に歩いてみて、月形大橋から札比内に到るのが精一杯だった。想定した晩生内はまだまだ遠くだった。
つまり机上プランは何時の場合にも、自分を買いかぶり、必要以上に強気なプランを立てる場合が多い。22日に実際に現地を体験してみて、自分の戦略の立て方の甘さを突き付けられた。
そこで再度、戦略を見直してみることにした。
【2016シーズンの「冬の石狩川河岸を遡る」の計画】
◇第1日 月形大橋 ⇒ 札比内
◇第2日 札比内 ⇒ 浦臼
◇第3日 浦臼 ⇒ 於札内川
◇第4日 於札内川 ⇒ 新十津川(徳富川)
この計画によって、昨年12月に立てた計画より1日多く要すことにした。
それでも不安要素がある。その一つが第2日目の札比内⇒浦臼間である。第1日の場合より距離が長くなる。ざっと見て、第1日目より3割増しくらいの距離である。
これでは第1日目のように列車で出かけた場合は帰りの列車の時間に間に合わない事態が予想される。そこで息子の助力を得ることにした。
日の出時刻を調べていたら、「市民薄明開始」という時刻が表示されていることを見つけた。これは、日の出時刻前ではあるけれど、空は明るくなりつつあり、戸外での行動に支障がない時刻だろう。私はこの時刻から行動を開始できるように現地入りすることにした。
たまたま今日(28日)、息子の融通が効くとの連絡を受けたので、彼に札比内まで送ってもらい、帰りは浦臼駅(16時01分発)から列車で帰宅するという方法を取ることにした。
今日(28日)これから第2日目のスノーシュートレッキングに石狩川に向かうことにする。
その他で難しさが予想されるのが第4日目である。この日の距離もかなり長いものとなる。この日は、3日目を終え、現地に宿をとる計画をしているので、可能なかぎり早めに出発することで対処しようと計画しているのだが…。
ともかく今は、本日の第2日目を計画通りに歩くことだけに集中したい。今日もまたライブレポを入れてみたいと思っている。時間があれば覗いてみてください。では…。
シルベスター・スタローンが、「あのロッキーが再び立ち上がる 親友の息子をチャンプにするために…」という魅力的な惹句と共にスクリーンに還ってきた!筋肉の鎧に包まれたパンチがスクリーンいっぱいに炸裂し合う、ボクシング映画に酔いしれた。
私の行動原理は、いつもきわめて単純である。
今回、この「クリード チャンプを継ぐ男」を観ようと思ったのも、今月発行の文藝春秋二月新春号にシルベスター・スタローンのインタビュー記事が載っていたからである。
その中で彼は次のように語っている。
「アドニス・ジョンソン役を演じたマイケル・B・ジョーダンは、一年間かけてボクシングのトレーニングを積んできていた。僕よりもハードなトレーニングをしてきたことは、身体を見てわかったよ。ジムでは本物のボクサー相手に練習をしてきているから、動きも素晴らしかった。プロがつい本気になって、パンチを浴びせてきたからね。マイケルの巧さが頭にきたのさ。それでも、一歩も引かずにマイケル闘っていた。」と…。
※ ロッキーがアドニスのトレーニングでコーチをする場面です。
「これはロッキーなみの面白い映画のようだ!」そう考えた私は、早速新聞の映画欄を確認すると、昨年12月に公開が始まっていたため、すでに上映は一日一回、1月29日には上映終了との告知が出ていた。危うくセーフである。
早速私は一昨日(1月25日)、17時30分上映開始だったシネマフロンティアに赴いた。
(ちなみにユナイテッドシネマの上映開始は21時45分である。これではおじさんが観る時間帯ではない)
さすがに上映終了間近とあって、お客さんはまばらだった。
しかし、映画の方は私の期待を裏切らなかった。
ストーリーはある意味で単純である。愛する妻に先立たれ、孤独に暮らすロッキーの前に現れた若者アドニス。彼はロッキーの最大のライバルであり、親友だったアポロの息子である。アドニスはロッキーにトレーナーをお願いするが、ロッキーはリングに還ることを望まない。しかし、アポロの情熱、才能に打たれて、彼は立場を変えてリングに戻ることを決心する…。
※ 見事に鍛え上げられた主演のマイケル・B・ジョーダンの筋肉美です。スタローンもそれを認めています。
圧巻はやはりアドニスが実力的にははるかに優るチャンピオンとの激闘のシーンである。
フィクションだと判っていながら、その創りの巧さに惹き込まれてしまう。筋肉隆々の腕っぷしを両雄が画面いっぱいに振り廻し、効果音が場内に響き渡る。私はもう画面にくぎ付けである。
映画は「ロッキー」シリーズ同様、続編が期待できるような余韻を残して終わった。
娯楽映画の要素をたっぷりと含んだ「クリード チャンプを継ぐ男」は私にとって満足度の高い一本となった。
なお、「クリード」とは、アドニスの愛称なのだろうが、英語では「信念、信条」の意味もあるようである。