田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

春を観て、夏を占う  ※

2015-05-31 22:49:06 | スポーツ & スポーツ観戦
 といっても、天候の話ではない。高校野球の話である。今日、今シーズン初めて円山球場に足を運び、春季北海道高校野球の決勝戦を観戦した。結果は意外な大差のついた試合となったが、夏を見据えた戦いが垣間見えて興味深かった。 

          
          ※ 試合開始前の両チームの挨拶のシーンです。

 決勝戦は北海高校 VS 駒大苫小牧という人気校同士の戦いとなった。しかし、試合は意外な展開となり北海高校の楽勝という結果になった。
 試合のランニングスコは次のとおり。

 北 海  050 810 000 |14
 駒大苫 001 002 011 | 5

 この試合、先発メンバーの発表を見て、北海の先発投手がエースナンバーの背番号1の渡辺投手が先発したのに対して、駒大苫の先発投手は背番号11の阿部光投手だったことに「あれっ?」と思った。しかし、最近の高校野球では背番号は一応上級生に譲って、背番号は大きくとも実力は下級生の方が優れている場合、そうした措置を講ずることがままあるので、そうしたケースかな?と思いながら観ていた。

 駒大苫の背番号11の阿部光くんは2年生ということだったが、初回こそ好スタートを切ったものの、2回に北海打線に本塁打を含む6本の長短打を浴びせられ5点を奪われあえなく交代となった。
 代わって登板したのは、またまた2年生で背番号15の阿部陽投手だった。阿部陽くんも北海打線の餌食となった。4回に入り味方エラーも絡み、3連打を喫した後、3連続四球と試合を壊してしまい、6点を献上してしまった。
 さらに3番手として登板した背番号10の松林投手が2点タイムリーを浴び、この回の北海の得点は8点、試合は4回を終了し13対1と、試合の帰趨を決定づけてしまった。

          
          ※ 試合後にスタンドに挨拶した後、スコアボードを振り返る駒大苫の佐々木監督です。

 私はこの試合、ラジオ放送を聞きながら観戦したのだが、駒大苫のエースはやはり背番号1の伊藤投手だと言っている。駒大苫としては、来るべき夏に向けて伊藤君に続く投手の発掘に努めているというようなこと言っていた。
 はてさて(こんな言い方があるのかな?)、そのエース格伊藤投手が遅まきながら6回から登板した。
 この伊藤投手が鬱憤を晴らすかのような素晴らしいピッチングを披露した。それまで相手投手を面白いように打ち込んでいた北海打線をまったく寄せ付けず、6回から4イニングを一人の走者も許すことなく完全に抑え込んだのだ。

 これを目にして、私は「いったい今日の試合は何なんだ?」と思ってしまった。
 実はこれに類することを数年前の春の大会の時にも感じたのだが、高校野球の指導者、それも有力校の指導者にとっては春の大会は、あくまでも夏の予行演習的位置付けであることを強く印象付けるシーンだった。

 確かに駒大苫の伊藤君は力投型の投手なので、夏の大会を一人で投げ切るには無理があるのかもしれない。そのため駒大苫としては伊藤君に続く安定した投手の発掘が急務なのかもしれないが、できれば春の大会の決勝戦である。登板の順を少し考えてもらえれば、と思ったのは私一人だけではあるまい。

 対する北海のエース渡辺君はどうだったかというと、1本塁打を含む10安打を喫し、5点を奪われている。けっして満足できる投球とはいえない内容だった。
 ともかく、今日の試合では相手3投手に対して2本塁打を含む13安打を放った北海打線の強打ばかりが目立った試合だった。

          


 さて、わずか1試合を観戦しただけで「夏を占う」とはおこがましいが、あえてそこに目をつぶり、まったく独断と偏見で来るべき南北海道大会を占ってみることにすると…。
 本大会での戦いぶりと過去の実績から見て、南大会は決勝に進出した北海、駒大苫に、東海四、北照あたりが甲子園を狙うチームとして名が挙がってくると予想する。

 まず北海であるが、例年と比べ打線が非常に活発なように見える。決勝戦だけではなく、本大会では過去の試合でも良く打って勝ち上がってきたようだ。ただし、投手陣がやや不安かな、という印象を受けるがどうだろう。

 駒大苫であるが、相変わらず一気にたたみかける打線は健在である。今日の試合でも迫力は十分に感じさせてくれた。問題の投手陣もエース伊藤君を中心に、続く投手を確立することができれば可能性がぐんと高まってくるのではないか、と思われる。

 東海四については、今春の選抜大会での大活躍で一躍全国区のチームとなった。夏には春のようなことはあるまい。大澤投手を中心として大本命といって良いのでは?

 北照はいつも好チームを作ってくる。今年は長年チームを引っ張ってきた河上監督が辞任したことの影響が出るかと思われたが、東海四を破るなどしっかりとチームを作ってきた感があるので、過去の実績も含めてダークホークス的存在である。

 6月下旬からは各支部において夏の大会の予選が始まる。残り1ヶ月の間で、各チームはどこまでチーム力を上げてくるだろうか。そして、前述した4チームを凌駕したり、脅かしたりするチームが果たして現れるのか、今年も興味は尽きない。

          
          ※ いつ聞いても心躍る音で選手たちを鼓舞する駒大苫とブラスバンド部です。

 それにしても、駒大苫のブラスバンドと控え選手を交えた応援はいつ見ても心躍るものがある。あの全国制覇したときにも甲子園に鳴り響いたが、チャンスとなると耳慣れたメロディーが球場内に響き渡り、選手たちを勇躍鼓舞する応援風景は、駒大苫ファンならずとも心躍るものがある。
 いや~、やっぱり夏は高校野球ですな!!



《ウォーキング覚書》   5月 21日 ~ 5月31日までの記録

〔月 / 日〕  〔 ウォーク歩数 〕        〔 備  考 〕
 5/21   10,819             競馬場コース
 5/22   12,288             藻岩山登山
 5/23   11,994             札幌駅往復
 5/24   11,313 + 3,500     琴似地区巡り
 5/25   14,021 + 3,000     円山動物園、北大講座
 5/26        0             翌日を控えて完全休養
 5/27   37,930             南幌町リベンジウォーク
 5/28   11,593             清掃ボランティア
 5/29    7,879 + 3,000     北大講座  
 5/30   11,739             競馬場コース
 5/31   10,545             円山球場往復

※ +と表示した部分は自転車で走った分を距離に換算したものである。10分=1,000歩に換算した。

◇11日間の総歩数 149,621歩  ◇10日間の一日平均歩数 13,602 歩

 この11日間の中での特記事項は何といっても27日の南幌町リベンジウォークだった。
 完全なリベンジとはならなかったが、長距離ウォークの楽しさを味わった。
 24日、琴似まで遠征して住宅街を歩いたが、これといった物件に出会うことが皆無だった。私自身の目が肥えてきた(?)ためだろうか?それとも?
 29日は、北大の講座を終えて帰宅してからのナイトウォークとなった。照明のある歩道ではあったが、あまり気持ちの良いものではない。明るいうちにノルマを果たさねば…。
 という11日間だったが、平均が1万3千歩を超えて順調である。

動物園の役割 種の保存

2015-05-30 23:41:30 | 環境 & 自然 & 観察会
 動物園の役割は、動物たちを展示するだけではない。“種の保存”も大切な役割の一つである、と飼育員(学芸員?)は強調された。今回、そんな動物園のもう一つの顔を見学する機会を得た。 

 5月18日(月)午後、「めだかの学校」の5月の野外学習は「円山動物園」だった。
 「めだかの学校」の企画担当者は、単に飼育されている動物たちを観るだけというのでは物足りないと考えたらしい。動物園に依頼し、一般には観ることのできない「猛禽類野生復帰施設」というちょっと厳めしい名称の施設を見学することを許された。

 施設は動物園の最奥部のあまり人目に付かないところあり、大きなゲージが建てられていた。周囲は柵で囲まれて鍵がかかり、一般人は近付けないようになっている。
 最近、新聞等でも見聞きするが、大型の猛禽類の生息環境が悪化するにつれ、事故などが多発しているという。そうした事故に遭った猛禽類が動物園に搬入される機会を増えたらしい。動物園では、それらを保護するとともに、野生へ還すための取り組みを「猛禽類野生復帰施設」で行っているということだった。

          
   ※ 猛禽類野生復帰施設の前で説明を聞く参加者たちです。左がオオワシ、右がシマフクロウが飼育されているゲージです。

 施設には、オオワシ2羽と、シマフクロウ2羽が飼育され、復帰訓練を受けていた。
 施設ではより自然に近い形で飼育させるため、池を設けてそこに生きた魚を放したり、止まり木の高さを自由に換えられるようにして飛び立つ力を付けさせるようにしたり、といった工夫がなされていた。
 しかし、自然に還すということは容易なことではなく、確か1年、2年という長いスパンで復帰を促すということだった。

          
          ※ 写真中央の止まり木に止まっているのが野生復帰訓練を受けるオオワシです。

「猛禽類野生復帰施設」の見学を終えて、円山動物園ボランティアの皆さんの案内で動物園内を観て回ったが、その際にも「種の保存」に関わって興味深いお話を聞くことができた。
 今、円山動物園ではホッキョクグマのララが産んだ8頭目の赤ちゃんの話題で盛り上がっているが、今後の国内での繁殖となると、国内で飼育されているホッキョクグマ同士の血縁関係が近いために繁殖が難しくなってくると言われているそうだ。
 それでは、外国の動物園で飼育されているホッキョクグマとの交換を考えれば、と考えるが、それが難しいらしいのだ。それは、日本の施設が諸外国の施設と比べて狭いなどの理由で、外国(西欧?)の基準に達していないために交換が難しいということだった。
 そのため、円山動物園ではホッキョクグマの飼育舎を外国の基準に合わせたものに建て替える計画を立てているとのことだった。

 ※ 本文には直接関係ありませんが、円山動物園のアムールトラはかなりの高齢で、数日前まで寝込んでいたそうです。それがようやく起き上がれる状態まで回復したとのことでした。ところが、正面から見ると堂々とした姿に見えますが、後姿を見ると異常に細くなった臀部の弱々しさが痛ましく感じられました。

          

          

 動物園の世界では、野生から動物を調達することはすでに禁じられていて、現在飼育されている動物たちによる繁殖によって展示動物を維持していかなくてはならない。そのため日本国内はもとより、世界の動物園と連携した繁殖を考えていかねばならない時代である。

 このことが、つい先日話題になった日本の「イルカ追い込み漁」について「世界動物園水族館協会(WAZA)」からの退会勧告などの強い警告に対して「日本動物園水族館協会(JAZA)」が「イルカ追い込み漁」で捕獲されたイルカの入手を禁ずることを決定に影響を与えたと言われている。
 それは主として動物園側が世界との連携の糸を断ち切られることに危機感を抱いたからのようだ。

 私たちを癒してくれる動物園や水族館の世界もなかなか難しい時代を迎えたようである…。

田中陽希のチャレンジがまた始まった!

2015-05-29 16:29:22 | スポーツ & スポーツ観戦
 4月に札幌でお会いした田中陽希さんの二百名山一筆書きのチャレンジが始まった。今月25日宗谷岬を出発し、今日29日、第一座目の暑寒別岳に登頂したというニュースが入った。 

            
  ※ 田中陽希さんの暑寒別岳登頂時の写真をアップしようと思ったが、まだ彼のHPにアップされていないため、実現できませんでした。

 移動手段も含めて全て人力だけで「日本百名山一筆書き」を田中陽希さんが達成したのは昨年の10月26日だった。
 その間、移動距離は実に7,800キロ、要した日数208日という壮大なチャレンジを終えて、まだおよそ半年しか経っていない。一般人にはまだ疲れも十分には取れていないのではないかと思われる中、さらなる百山(昨年のものと合せて二百名山)の踏破を目ざしてのチャレンジが始まった。

 今回は前回とは反対に北の宗谷岬から、南の鹿児島・佐多岬を目ざして約8,000キロの移動と百山の登山をしながら、計画では7ヶ月を要して佐多岬に到着を予定しているそうだ。それはちょうど今年の年末になるらしい。

 そしてまた、今回のチャレンジもNHK・BSでは密着して、その映像をお茶の間に届けてくれるようだ。昨年同様、テレビの前から彼の壮挙に声援を送ろうと思っている。

 今回の百山の中に、北海道の山は「暑寒別岳」、「天塩岳」、「石狩岳」、「ニペソツ山」、「芦別岳」、「夕張岳」、「カムイエクウチカウシ山」、「ペテガリ岳」、「樽前山」、「駒ケ岳〈剣ヶ峰〉」と10座も数える。だから、彼は6月いっぱい北海道内を移動し、各地の10の山の登頂を目ざす予定である。

 
 ※ 小さな印字で見にくいかもしれないが、今回挑戦する二百名山の中の百座です。

 さて、私はどうしよう?
 せっかくの機会だから、彼が実際にチャレンジしている様子を間近に見てみたいとの思いが強い。となると、最も近いのは「樽前山」である。
 しかし、おそらく相当な数の人たちが駆けつけるのではないか、と想像される。
 そうなると、狭い駐車場でのせめぎ合いが予想され、引いてしまいそうだなぁ…。
 う~ん。どうしよう???

ぐるっと南幌リベンジウォーク 後編

2015-05-28 20:31:06 | フットパスウォーク & トレッキング
 NPO法人「ふらっと南幌」副理事長の近藤氏の話は続く…。曰く、千歳川堤防沿いに南幌町、江別市の遊水池が完成した暁には、一大リバーサイド公園が出現すると…、等々。近藤氏の解説を伺いながらのウォークは快調に歩を進めた。 

 旧夕張川の右岸を千歳川との合流点に向かって進むウォークは、右手に南幌町の田園風景(特に田植えの終わった水田風景)、左手に旧夕張川の流れを垣間見ながらのウォークが続いた。
 近藤氏の話によると、南幌町の水田に導かれている水は空知川から導かれているということだった。しかし、遠く空知川から南幌町まで農業用水が導かれているということが俄かに信じられなかったので、調べてみると確かに赤平市にある空知川の頭首口から南幌町まで約80キロに及ぶ国内最大の農業用水路が造成されていることが分かった。

          
          ※ この水田はまだ田植え前のようですが、こうした風景が延々と続きます。

 スタートしてから7~8キロくらい旧夕張川を下ったろうか?千歳川との合流点に辿り着いた。といっても対岸だったために、合流点そのものはクリアに写真に捉えることはできなかった。
 合流点を過ぎると、川の流れが明らかに変わった。水の流れを豊富になり、ゆったりとした流れが左手に見えるようになった。
 堤防が千歳川沿いとなってからは、コースの状態もやや良くなったと言って良いのか、路上に雑草はなくなったものの、路上に敷かれた玉砂利が大きくて、かえって歩くには困難が伴うようになった。

          
          ※ 千歳川との合流地点が樹木の陰に隠れてしまい残念!左手上方から合流します。
 
 13時が過ぎた頃、堤防から川面に下りるコンクリートの階段があったところで昼食を摂ったが、心地良い風が頬を撫でる中での弁当は、いつにも増して美味しいものだった。
 昼食後、しばらく歩いたところで先日のウォークで私が再び堤防上に立った地点に至った。ここからは、あの日歩いた道を再びである。

 この日のコースは、南幌町の雄大な田園風景が広がるものの、どちらかと云えば単調な感じは否めない。徐々に疲労が蓄積する中で口数も少なくなり、黙々と歩を進めるようなウォークに変わりつつあった。

          
          ※ 千歳川の水量豊富なゆったりとした流れです。

 そんな中、堤防の内側(右手)で大きな工事が進行中だった。近藤氏によると、現在建設中の南幌町の遊水池建設工事とのことだった。 マップによると「晩翠遊水池」という名が付いていた。非常に広大な工事で、完成時には広さ170ヘクタールになるとのことだった。
 遊水池の造成目的は水害対策なのだが、地域住民やフットパスウォーカーにとっては、親水公園として楽しみができる。そのことを近藤氏は強調されていた。

 その「晩翠遊水池」が造成されているところからわずか2キロほど行ったところに、今度は江別市の遊水池の工事が行われていた。こちらの名称は「江別太遊水池」というようだ。江別太の広さは約190ヘクタールとやや広い遊水池となるようだ。
 完成予定は「晩翠遊水池」が平成29年、「江別太遊水池」が平成31年ということだ。両者が完成すると二つの遊水池が近いこともあり、両者を繋いだ「一大リバーサイド公園が完成する!」と近藤氏は大きな期待を抱いているようだった。

 かなりの疲労感も感じながらゴールの「江別河川防災ステーション」を目ざした。
 そして16時30分、約25キロのウォークを無事終えることができた。
 ゴールには朝スタート地点まで送っていただいたNPO法人の事務局の方が迎えてきてくれていて、まさに至れり尽くせりのフットパスウォークとなった。

          
          ※ ゴール間近!三人の脚もやや重くなりかけている様子です。

 近藤氏の他に同道してくれた井上さん、木村さんは、それぞれ南幌町においては公的な要職に就かれている方のようで、合間合間に南幌町の町づくりなどに関するお話をされていた。
 実は、NPO法人「ふらっと南幌」も、単にフットパスの普及に努めるだけではなく、環境保全の活動やECO田んぼオーナー制度の取り組み、など数々の地域づくり活動も展開しているとのことだった。

 今回の私の目的だった「ぐるっと南幌」フットパスウォークのリベンジは実は完全な形でのリベンジとはならなかったのだが、その点についてはここでは触れないことにする。
 それより、地元においてフットパスウォークだけに限らず、さまざまな地域づくりの活動を展開する三人の方とご一緒させてもらうことで多くのことを学ばせてもらったことを多としたいと思った一日だった。

          
          ※ 無事ゴールした4人を迎えにきたNPOの事務局の方が撮ってくれました。

 帰宅して歩数計を確かめると、37,930歩になっていた。だから正確な歩いた距離は25キロは少し切るのではと思われる。
 しかし、いろんな意味で楽しいフットパスウォークだった…。

ぐるっと南幌リベンジウォーク 前編

2015-05-27 21:39:16 | フットパスウォーク & トレッキング
 心地良い疲労感に浸っている。寒くもなく、暑くもなく、微風が頬をなでる最高のコンディションの中で25キロを歩いた。5月5日にチャレンジした際に、旧夕張川沿いでコースを見失い完全踏破ができなかったことへのリベンジに挑んだ。 

 完全踏破できなかった原因を探るべく、現地のNPO法人「ふらっと南幌」に問い合わせたところ、「ぜひ、一緒に歩きましょう!」とお誘いを受けていたが、それが今日実現したのだった。

 自宅から1時間強かけて南幌町の中心にある展望台(通称:ビュロー)に着くと、3人の方が待っていた。いずれもNPO法人「ふらっと南幌」(平成21年)を起ち上げたときからメンバーだというベテランの方々だった。リーダーはNPOの副理事長だという近藤氏だった。

          
          ※ 今回ご一緒していただいた3人の方です。河原に付いた階段で一休みです。

 10時30分、NPOの他のメンバーの車でスタート地点まで送ってもらい、スタートとなった。その際、「あれっ?」と思ったのだが、近藤氏が「ここから旧夕張川のコースが始まります」と言われたので、納得してスタートを切った。

          
          ※ 旧夕張川沿いの堤防の道路は写真のような草に覆われた田舎道でした。

 コースは雑草が多く、車の通るところだけが砂利が顔を出しているという典型的な田舎道であまり歩き良い道とはいえなかった。しかし、目に映る景色はどこまでも平坦な田園風景が広がっていて、遠くに山々の連なりが見えるという雄大な光景である。
 リーダーの近藤氏は、地域の歴史に詳しく、川の歴史、南幌の歴史を次々と披露してくれる。さらには、NPO法人「ふらっと南幌」の存在価値についても能弁に語ってくれた。

          
          ※ 堤防上から見える典型的な南幌町の田園風景です。

 近藤氏によると、旧夕張川は川としての働きはすでに他の川に譲り(夕張川、千歳川、空知川など)大きな働きはないということだが、ゆるやかな流れがときどき顔を見せてくれた。
 私がぐるっと回ろうとした、南幌町を囲む夕張川、旧夕張川、千歳川の3河川のうち、旧夕張川の堤防の一部が不通となっている現状を、町としては平成29年までには完成し、文字どおりぐるっと南幌町を巡る43キロのコースが完成する予定になっているということで、NPO法人「ふらっと南幌」の皆さんもその日を心待ちにしているということだった。

          
          ※ 写真の左側には旧夕張川の流れがちょっと顔を覗かせています。

 近藤氏の絶え間ないお話に耳を傾けながらのウォークは疲れも感じさない。
 聞こえてくるのは、ひばりやカッコーの鳴き声が聞こえてくるだけ…。穏やかな中、4人のウォークは続いた…。 (残りは後編に)

重荷感と重責感と…

2015-05-26 19:15:14 | ボランティア
 こんな日本語があるのか自信はないのだが、その感じは分かっていただけると思う。私には重荷なのだ…。私には重責ばかり感ずるのだ…。しかし、嘆いてばかりもいられない。今はやらねばならないと覚悟は決めているのだが…。 

 今日の話題はブログにアップしようかどうか、ずいぶん逡巡した。自分の胸にだけ仕舞っておくべきものではないのかと…。
 しかし、拙ブログが私の生きざまを余すところなく(?)書き綴ってきたのだから、この話題に触れないと、これからのブログが書きにくくなるのではないか、との思いからとうとう披歴する決心をしたのだ。

 拙ブログの中で、今までにチラっと某団体(某団体とはいっても指定○○団体ではないことをお断りしておく)の役職に就いていることを述べたことがあったと思う。毎日好き勝手に生きている中で、某団体の活動を少しだけお手伝いしてきた。
 それが今年になって「事務局に入ってほしい」という要請を受けたのだ。事務局に入ってしまうと、私のこれまでの自由気ままな生き方が相当に制限されると思い、頑なに拒んだのだが…。
 しかし、私が日頃から大変お世話になっている先輩の方からの強い要請を断りきることはできなかった…。

 3月に要請を受け、先日5月15日に団体の総会があり、私の事務局入りが正式に決定した。
 その事務局というのは、勢いが多少衰え気味とはいえ、全道約5,000人の大所帯の事務局である。現在明らかになっているだけで年間30回の会議が予定されている。事務局だからその諸会議の準備に費やす日数や時間を考えると、もう目の前が真っ暗になる思いである。

 人生の終末期を迎え、身体が自由に動くうちにあれもやりたい、これもやってみたい、と思っていたことがかなり困難になった思いがある。
 しかし、事務局入りが明らかになってかおよそ2ヶ月、現在では多少心の整理もついて、今は引き受けたからには「やらねば!」という思いに至るようになった。
 団体にはさまざまな課題が山積している。それら解決する術など持ち合わせてはいないが、私のできる範囲で団体を下支えしていけたらと思っている。

 基本的にはこれからも今までどおりの生き方をしていきたいという考えに変わりはないが、上述したような事情から「相当に影響が出るだろうなぁ~」という思いが現在の私を支配している。
 某団体への奉仕と、私自身の興味関心との間に上手く折り合いを付けながら2年間の任期を全うしたいと考えている今日この頃である。

デザイン vs アート

2015-05-25 22:33:43 | 講演・講義・フォーラム等
 デザインとアートは似て非なるもの、と講師の織田氏は云う。そして作品としてのハードルが高いデザインが日本においては軽視されがちな現状を講師は嘆いた。講師はデザインミュージアムをぜひ北海道に作りたいと語った。 

            
     ※ 開演前のステージです。両脇に並べられた椅子は世界的に有名なデンマークのデザイナーによる作品だそうです。

 5月23日(土)午後、紀伊國屋インナーガーデンにおいて「東海大学公開講座ヒューマンカフェ」に参加した。
 この日のテーマは「椅子と生活文化」と題して、東海大学名誉教授の織田憲嗣氏が講師だった。織田氏は椅子研究家として知られ、東海大学芸術工学部教授としてこの3月まで勤められ、4月より名誉教授となられた方だ。

 織田氏は冒頭「デザインとアートは似て非なるもの」と言った。
 そして織田氏は両者の本質的な違いの前に、両者の置かれている現状から語り始めた。
 それは監督官庁の違いに始まり(デザインは経産省、アートは文化庁)、日本国内にアート作品を展示する「美術館」は数多く存在するが、デザインに関する「ミュージアム」は皆無であると、その現状を嘆いた。

          

 そして両者の本質的な違いに言及した。
 アートは、作家本人が納得すればアートとして成立する。つまり作家の主観、感性が重んじられるのがアートであると…。
 一方、デザインはクライアントがいて初めて存在するとし、しかもクライアントの後ろにはエンドユーザーが控えているという。つまり、デザイナーはクライアントやエンドユーザーの要望を分かりやすく具現化することが求められているとして、そこには絶えず客観的評価が付いて回るし、論理性が求められるとした。
 織田氏は、デザインはアートと比較して非常にハードルが高いのだ、と強調した。

 一つのデザインを作品(商品)として完成させるためには、アートとは違い、チームワークが求められ、スケジュール管理もしなければならない。さらには経済的な制約も受ける。人的な制約もある。その上、作品には機能性、審美性、そして個性も求められる。
 こうした数多くのハードルを乗り越えて出来上がった作品の中には、多くの人が鑑賞するに値するものが多いし、それを保存する価値もあり、ぜひとも北海道に日本最初の「デザインミュージアム」を実現させたいと織田氏は語った。
 織田氏の尽力によって、ぜひ実現してほしいものである。

         

 ただ、織田氏はデザインの現況について一つの危機感を語った。それは、「デザインがアートに近づいている」ということだ。それは、デザインの世界において、クライアントの意向など考慮しないかのような、そして機能性とか、審美性を無視したかのような作品が登場していることについてだった。
 この点について、私は織田氏の言に素直には納得できなかった。
 というのも、デザインの世界も今や行きつくところまで行った感があるのではないだろうか?
 あまりにもアート的で、実用に供しないようなデザインは当然淘汰されていくだろうと思われる。そのことを嘆くより、織田氏が忌み嫌うような奇抜なアート的作品の中に、これまで考えつかなかったようなヒントが隠されているかもしれない、と考える方が建設的ではないのか、と思ったのだが…。

 講義はこの後、椅子の話に移っていったのだが、「家具デザイナーにとって、椅子をデザインすることは究極の目標」だそうだ。それは他の家具と違い、人の動きの中で使われる家具のため、「強度」が求められることで難易度が全く違ってくるから、ということだった。
 しかし、椅子の話は私の問題意識をそれほどくすぐってはくれなかったので、ここでは割愛させていただくことにする。

札幌グルメ紀行 12 広東料理 南園 

2015-05-24 18:55:57 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 久しぶりに中華を楽しんだ。お店の一押し(?)の「南園ランチ」。チンジャオロースに、麻婆豆腐、どちらも白飯に良く合う料理である。またこのお店のゆったりチェアが何ともいえず心地良い。 

 緊迫の中東情報から一転、なんとも緩~いグルメ情報を!この落差の激しいのが拙ブログの特徴でもあるのだが…。

 この日(19日)、妻からランチの提案があった。ランチに関しての主導権は全くと云って良いほど私に主導権はない。この日も京王プラザホテル内のレストランへ行くという。私は妻の提案に唯々諾々と従うのみである。私に言えるのは和食か、中華か、フレンチかという店の種類くらいである。そこで私はこの日「中華」を希望した。

          
          ※ 広東料理 南園のエントランスです。

 南園は3人以上で入店すると、非常に座り心地の良いチェア(ソファ)付きの席に案内される。この日は妻と二人だったが、幸運にもその席に案内されて、ゆったりと食事を楽しむことができた。

         
         ※ 写真で黒く映っている背もたれの高いソファタイプのチェアが心地良さを演出してくれます。

 私がオーダーしたのは、「南園ランチ」(1,500円)といって、10種の広東料理の代表的メニューから2品をチョイスし、それにライス・清湯・榨菜・コーヒー・杏仁が付いたものである。上述したように私は、チンジャオロースと麻婆豆腐をチョイスした。
 妻はセットものは敬遠するということで「五目入りつゆそば」(1,400円)を頼んだ。

          
          ※ 最初に出された前菜のサラダです。

 私がオーダーしたチンジャオロースも麻婆豆腐も、中華独特の濃厚さを残しながらも日本人好みにアレンジされた味は好ましいものだった。その上、白飯が絶品だった。濃厚な広東料理と白飯のハーモニーが素晴らしいと感じた「南園ランチ」だった。

          
          ※ 左から時計回りにライス、ザーサイ、麻婆豆腐、清湯、チンジャオロースと並びました。

 妻の「五目入りつゆそば」も彼女には満足だったようだ。
 そして、食後のデザート、コーヒータイムがゆったりソファだったことで、非常に心地良いひと時を味わえた今回のランチだった。

          
          ※ 食後の杏仁豆腐とコーヒーです。 
 
【広東料理 南園 データー】
北海道札幌市中央区北5条西7-2-1 京王プラザホテル札幌 B1F
電  話  011-271-3254
営業時間  ランチ/11:30~14:30
ディナー/17:00~21:30    
定休日   無休
駐車場   有(ホテル駐車場)
座 席   54席
入店日   ‘15/05/19

イスラーム国(IS)の内情

2015-05-23 23:16:44 | 大学公開講座
 イスラーム国の内情を知れば知るほど…。彼らのロジックを知れば知るほど…。暗澹とした気持ちになってくる。私たちがこれまで培ってきた既成概念をことごとく打ち砕かれる思いをするからだ。はたして彼らの未来は…。 

 5月22日(金)夜、北大スラブ・ユーラシア研究センター主催の公開講座「動乱のユーラシア」の第4回目講座があった。
 今回のテーマは「イスラーム国の脅威と国際社会」と題して、日本エネルギー研究所・中東研究センターの保坂修司氏が講師を務めた。

          

 まず彼ら(IS)の戦術として名高い「ジハード主義」についてだが、実は彼らがこうした主義を顕わにし、それを戦術として用い始めたのはそれほど歴史のあることではなく、1979年のソ連軍のアフガニスタン侵攻時のことだという。
 無神論の共産主義者(ソ連)がイスラームの国であるアフガニスタンを侵攻することに対して、ムスリム(イスラム教徒)がそれを駆逐するために戦うことは義務であり、聖戦(ジハード)である、という論理をムスリムたちに強いたのが始まりとされる。

 続いて、1990年の湾岸危機の際に米軍がサウジアラビアに駐留したのは、イスラームの聖地(メディナ)を占領したことになるから、アメリカ人はジハードの対象であるとして1996年に対米ジハードを宣言するのである。このことが2001年の9.11事件へと繋がっていった。
 このようにムスリムの指導者たちは、ジハードの対象を次第に広げていったのであるが、彼らはさらに変貌していった。

 2003年に勃発したイラク戦争において、イラクにには米軍主導のもとシーア派政権が誕生した。
 実は、ジハードにも〔大ハード〕と〔小ハード〕と二つの考え方があるらしい。大ハードは心の戦いを重視するのに対して、小ハードは武器を取り、自爆テロも辞さない戦いを重視する考え方で、大ハードがムスリム全体の考え方に対して、小ハードはスンナ派の一部が標榜している考え方だという。
 そうした中に誕生したイラクのシーア派政権に対して、スンナ派の指導者たちは「タクフィール主義」という論理(ロジック)を主張し出したそうだ。「タクフィール」とは、不信仰者認定ということで、シーア派は不信仰者であるからジハードの対象であるとして、彼らを攻撃し、イラクは内戦状態に突入するのである。

 そして、それは2006年のイラク・イスラーム国宣言へと繋がっていった。
 さらには、その後勃発したシリア内戦に乗じて勢力範囲をシリアにも拡大しているのが今日の状況と云える。

 このように、特にスンナ派の指導者たちは預言者ムハンマドの言を盾に次々と拡大解釈(?)し、ジハード主義を正当化し、それに盲目的に追従するムスリムの拡大によって今日の混迷が生れていると云ってよい。

 もちろん私のこのまとめは、私自身のためであり、非常に簡略化、単式化したものである。講義では複雑化・混迷化した状況について、もっともっと詳細な説明があったのだが、それら全てレポートする力は私にはない。

 問題は今日のように複雑化し、混迷化した現況をどう解きほぐし、彼らを論理的に説得できるかということなのだが、世界の英知を結集してもその答えをいまだ見出していないということだろう。
 まだまだ力対力の戦いが続けられるのだろうか?? う~ん………。

藻岩山の花たち in May

2015-05-22 15:23:32 | 北海道低山紀行 & Other

 藻岩山は今、春の花の盛りである。色彩には少し乏しいが、いろいろな山野草が咲き誇っている。5月の藻岩山に咲く花たちをレポートする。 

 今日(5月22日)、一日一万歩をクリアすることを兼ねて、夏山シーズンになって2度目となる藻岩山に登った。
 先日(17日)登ったときも多くの花を目にしたが、今日はそのときより多くの花を目にすることができた。
 植物には全く弱い(実は植物だけではないのだが)私だが、目にした花をなんとか判別することができた。そうした花々をレポートしたい。
(慈啓会口から登って、目にした順にレポートする)

◇クルマバソウ

     

     

 クルマバソウは前回(17日)に登った時にはあまり目立たなかったが、今日は登山口近くから目に入り、群生しているところもあった。今が旬の花の一つかもしれない。
  

◇ニリンソウ 

     

 ニリンソウも藻岩山では非常に目立つ花である。花弁が地に落ちているのも目立ち、あるいは盛りを過ぎようとしているのかもしれない。

◇エゾイチゲ 

     

 前回は目にしなかった花で、同定に苦労した花だったが、花の色、大きさと葉の形で決めてみたのだが…。

◇エンレイソウ 

     

 エンレイソウも藻岩山にはたくさん自生しているようだ。葉の大きさに比べて、花が小さいのであまり目立たない花である。濃い紫色の花が特徴だが、すでに実をつけているところをみると、花の季節も終わりに近いようだ。
 エンレイソウがたくさん自生していたので、あるいは白く大きな花が特徴のオオバナノエンレイソウが見られるかと、目を皿のように探したのだが、どうやら藻岩山には自生していないのかもしれない。

◇マイズルソウ 

     

 この花も、今日初めて目にした。葉の形が独特のため比較的容易に同定してみたが、はたして正解だろうか?

◇ヒトリシズカ

     

     
 
 私が山野草の中で、いま最も気に入っている花である。なんといってもネーミングがよろしい。静御前を彷彿とさせる楚々とした花の佇まいが何とも言えない気品を感じさせる。
 この花も藻岩山ではあちこちで群生していた。

◇ヤマスミレ 

     

     

 白っぽい色の花が主流を占める中で、薄紫の小さな花を咲かせるヤマスミレは登山者を和ませてくれる存在である。山野草のほとんどは登山道の脇に咲いているのだが、このヤマスミレだけは登山道の中の岩の陰にそっと咲いていたりして、その姿がいじらしさを醸し出す。


 実は前回(17日)、登山時に馬の背に入ったところで、薄紫の大きな花を付けたシラネアオイを一輪だけ目にした。
 その際は目にしただけで写真に撮ることをしなかった。下山時に写真を撮ろうとしたのだが、記憶にある辺りを探しても見つからなかった。
 今日はそのリベンジを!と思いながら登ったのだが、やはり見つけることができなかった。う~ん、どうしちゃったのだろう??
 山野草の女王然とした姿で優雅に咲くシラネアオイを藻岩山でもう一度見たい気がするのだが…。