田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

模擬裁判で裁判長を体験!

2019-05-31 16:16:27 | 「めだかの学校」関連

 「それでは被告人○○の窃盗未遂事件に対する審理を始めます」と私が宣言し、模擬裁判が開始された。実際の刑事犯の裁判を傍聴した体験はあったが、裁判所法廷を裁判官側の方から眺めてみるという貴重な体験をすることができた。 

 5月20日(月)午後、「めだかの学校」で私たちとは別のグループが企画・運営している「大人の社会見学」の第2弾として「札幌地方裁判所」を見学した。

 裁判所に入るためには、空港のように手荷物検査(X線検査)と人物に対する金属探知機を通過せねばならないというモノモノしさだった。以前にはなかったことだが、やはりこれも時代の趨勢ということだろうか?

 見学は、「法廷見学」「模擬裁判体験」がセットになったものだった。「法廷見学」は当日裁判が行われていなかった820号法廷に導かれた。対応するのは見学者担当の女性職員である。導かれた法廷は裁判員裁判が行える法廷で、裁判官(3人)の他に6つの裁判員の椅子が用意されていた。私たちは傍聴人席に座り、そこで裁判の制度、裁判所のことなどに関するDVDをまず視聴し、その後女性職員が私たちの質問に答える形だった。そのやり取りの中で、特に新しく知り得たことはなかったと記憶している。

 そして「模擬裁判体験」だった。当日参加した12人を籤でもって役割を分担することになったが、私は何と!裁判長の役を引き当ててしまった。他に裁判官2名、検察官3名、弁護人3名、被告人1名、証人2名と割り振られた。

 事件は、「被告人がデパートの時計売り場において、腕時計1個をポケットに入れて立ち去ろうとしたところを店員に見つかり、通報され逮捕された」という事件であるが、この行為が有罪か、無罪かを争う裁判であった。

 私は法衣を纏い裁判長席に座った。法廷の中で一段と高くなった位置から眺める法廷の景色はなかなか経験できるものではない貴重な体験だった。

          

          ※ 裁判長席から見た法廷の光景です。水色の女性は裁判所の担当職員です。

 模擬裁判は、裁判長役の私が「それでは○○の窃盗未遂事件に対する審理を始めます」と宣言して始まった。模擬裁判自体はあらかじめ用意されたシナリオをそれぞれが読み進める形で進められた。

 それはシナリオに沿って淡々と進められたのだが、途中証人役の方が宣誓書を読み上げた後、自分の氏名を述べるのを忘れてしまったシーンがあった。私はシナリオにはなかったが「証人はお名前を言ってください」と即座にそのことを指摘することができた。(出過ぎかな?)

 シナリオに沿って間違いなく、というほうに神経を注ぎすぎてしまったきらいがあり、 これといった感想は持てなかった。これが実際の裁判となると、裁判を正常に指揮することは大変なことなのだろうと思われた。(などという簡単な言葉では推し量れない資質と能力が裁判官には要求されるのだろう)

               

               ※ 私と同じように法衣を纏い私の横で裁判官役を務めたK氏です。

 無事にシナリオ通りに模擬裁判は終了した。そして担当の職員の方から「当事件について被告は有罪か?無罪か?」を問われた。その結果、有罪と判断した者が5名、無罪とした者が7名という結果で、全体としては「無罪」という判断になった。えっ?私はどちらに判断したかって?それは秘密にしておきましょう…。


ワンコインランチ紀行 58 BEER HALL BäRENWALD 南1条店

2019-05-30 16:31:57 | ワンコインランチ紀行 

 お店の名は「ベアレンヴァルト」と読むようである。ビアホールを標榜しているところをみるとドイツ語のようである。このお店のランチは、ビーフカレーの上にチーズがのっかったもので、濃厚な旨味が口の中に広がる満足度の高い一品だった。

           

           BäRENWALD」のエントランスですが、いかにもビアホールといった店頭です。

 BäRENWALDは電車通りに面した繁華街の一角にあった。店名に「BEER HALL」を標榜しているように、本来はビアホールのところをランチも提供しているといったお店だった。ビジネス街も近いせいだろうか、若い客を中心にけっこうなランチ客で賑わっていた。

          

          ※ 退店のときに撮ったので、客は少ないですが入店の時はほぼ満席でした。

 このお店のランパスメニューは焼きチーズビーフカレー」&「サラダ」&「ウーロン茶」(通常価格700円)である。

          

          ※ 食前に出されたサラダです。

 料理の前に出されたサラダを味わっていると「焼きチーズビーフカレー」が出てきた。「熱いので気を付けてください」というスタッフの言葉どおり、鉄鍋で焼き上げたビーフカレーが出てきた。カレーの上にとろけたチーズがのっかっていて、カレーと混然一体となって旨さを引き立たせる。その上「熱い!」ときて、ハフハフ言いながら食すると旨さは倍増である。

          

          ※ これが熱々の「焼きチーズビーフカレー」です。

 私は数年前に訪れて食した九州・門司市の「焼きカレー」を思い出していた。

 ハフハフいいながら、あっという間に完食した「焼きチーズビーフカレー」は満足度が高い一品である。

 実は私がこの店を訪れたのは2度目である。というのは、この店はランパスメニュー以外にもワンコインメニューを日替わりで提供している。以前に訪れたとき、私がオーダーしたのをスタッフが聞き違えたらしく、ランパスメニューではなく日替わりのワンコインメニューの料理が出てきたため、レポすることができず、2度目の訪問となってしまった次第である。

               

        ※ 私が座ったカウンダー席の目の前に掲示されていたシュール(?)な図案のトイレ案内です。

【BEER HALL  BäRENWALD 南1条店 データー】 

札幌市中央区南1条西9丁目 第2北海ビル1F

電  話  011-280-3000

営業時間  ランチ  11:30~14:30

      ディナー 17:00~23:30

     (ランチパスポート可能時間12:30~14:30)

定休日   土・日曜・祝日のランチ 

座席数   50席(テーブル席・カウンター席)

駐車場   無

入店日  ‘19/05/25


北大スラブ研公開講座№5 運命に翻弄され続けたユーゴスラヴィア文学

2019-05-29 21:25:07 | 大学公開講座

 かつてバルカン半島に位置していたユーゴスラヴィアという国は、今は存在しない。この地域は幾多の変遷を経ながら離合集散を繰り返してきた。そうした歴史の中で翻弄され続けてきたユーゴスラヴィア地域の文学事情を聴いた。 

 5月24日(金)夜、北大スラブ・ユーラシア研究センターの公開講座(統一テーマ再読・再発見:スラブ・ユーラシア地域の古典文学と現代」)の第5講が開講された。

 第5回目はユーゴスラヴィアとポスト・ユーゴスラヴィアの文学~多文化空間の語り部たち~」と題して東京大学大学院の三谷恵子教授が講義を担当された。

 今は無きユーゴスラビア地域は、私たち日本の一般人にはなかなか理解できないような幾多の変遷を経て今に至っている。それはスロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニアなどの民族が連合を組んだり、離散したりという歴史を繰り返している。その中で幾多の内戦も経験している。

 三谷氏は最初にユーゴスラヴィア地域の歴史を概観し、1990年代のスロベニア、クロアチアの独立宣言、それに続くボスニア戦争などの内戦の混乱時を境にして、それまでのユーゴスラヴィア文学(プレ・ユーゴスラヴィア)と、その後のポスト・ユーゴスラヴィア文学に大きく分けて論じた。

 そしてプレの時代の代表的な作家として①イヴォ・アンドリッチ、②ダニロ・キッシュ、③ミロラド・パヴッチを挙げた。さらにポスト時代の旗手として①ドゥブラヴカ・ウグレシチ、②スラヴェンカ・ドラクリア、③ミリェンコ・イェルゴヴィチ、④アレクサダル・ヘモンを挙げた。

          

 文学などには縁遠く、しかも日本から遠いユーゴスラヴィア事情に疎い私にはいずれも初めて聞く名前ばかりだった。三谷氏も受講者が私と大同小異なことは織り込み済みだったのだろう。講義の内容は、7名の作家たちの作品に深く立ち入ることはせず、その外観を紹介するに留められた。

 そして二つの時代のユーゴスラヴィア文学界の特徴を次のように大きく特徴づけられたと私は理解した。プレ時代の作家たちは自らの民族性を背景として、そのことを絶えず意識した作品であったとした。一方、ポスト時代の作家の特徴として、プレ時代の民族主義的風潮を批判する作品が目立っているとした。特にアレクサンダル・ヘモンはその主張の過激さから、民族主義に傾倒する側からの追求から逃れるため米国に移って活動を続けているという。

 今、ユーゴスラヴィア地域(実際には多くの国に分離しているが)においては、旧来からある民族主義に拘泥する層と、そうでない層とのせめぎ合いが存在するようである。

 プレ時代の代表的作家であるイヴォ・アンドリッチは1961年にノーベル文学賞を受賞しているが、その授賞式典で次のように講演している。

          

「何千という言語において…人々が絶え間なくまた果てし無く語り伝える人間の条件についての物語が紡ぎ出されてきました。物語を語る方法と形式は時代と環境に応じて変わるけれども、物語と、物語を語ることに対する人間の欲求は変わることがなく、そして物語はさらに遠くへと流れ、物語の語る流れが涸れ果てることはありません。そうすると、時にはこう思われることがあるでしょう-人類は、意識の最初の燭光が射した時から何世紀にもわたって物語を語りつづけてきたのであり、自分の肺の呼吸と脈拍のリズムに比せられるように、無数のバリアントのうちに同一の物語を絶えず語り続けてきたのだと。しかし物語は、伝説的な物語の語り手であるシェヘラザードに倣って、死刑執行人の気を逸らし、我々を脅かす悲劇的な運命の避けられない定めを執行猶予にし、生命と持続時間を引き延ばす希求に似ております。」

 このイヴォ・アンドリッチの言葉をどう受け止めるだろうか?その解釈はあなたに委ねます。 

 なお、言葉の中で使用されている二つの言葉について、ネット上で探索したものを参考に記しておきます。

〔バリアント〕 同一種の生物集団の中に見られる遺伝子型の違い。同一種であっても個体によってさまざまな遺伝的変異が存在し、その変異の総体をバリアント(多様体)とよぶ。

〔シェヘラザード〕「千夜一夜物語」に登場する語り手で、サーサーン朝シャフリヤール王の王妃であり、毎夜、命がけで王に物語を語る人として知られている。 


防綿毛ネットの敷設完了!

2019-05-28 19:33:02 | ボランティア

 6月の声を間近に聞くと、ポプラの綿毛が空を舞う季節が近づいてきたことを意識させられる。私たちにとっては悩み多きポプラの綿毛である。その綿毛から「ART」文字を護るため本日のボランティア活動時に防綿毛ネットを敷設した。

           

          ※ 私たちが育成・管理している「ART」文字です。(今の季節の写真ではありませんが)

 今朝(5月28日)は私たちがボラティア活動をしている近代美術館前の歩道の清掃活動の今季5回目の活動日だった。今朝は清掃活動を終えた後、防綿毛ネットの敷設作業を会員の皆さんと一緒に行った。

 私たちがボランティアで育成・管理している近代美術館前の「ART」文字の近くに大きなポプラの木が立っているため、毎年6月になると大量の綿毛を撒き散らしてくれる。これが私たちにとってはなんとも悩み多き存在なのである。ポプラの木の真下にある「ART」文字のところには綿毛がまともに降り注ぐのだ。あの白い綿毛が「ART」文字を形作るクサツゲの葉の間に絡まりつき、除去するのがとても困難なのだ。

          

          ※ 近代美術館の庭に降り注いだポプラの綿毛です。(2枚の写真はウェブ上から拝借)

          

 そこで3年ほど前から、私たちは少ない会費の中から工面してネットを購入して「ART」文字全体を覆うことにした。その作業を今朝無事に終えることができた。

          

          ※ このように「ART」文字全体を覆いました。

 今朝はそのこととともに、近代美術館前の歩道を飾るスピレアマジックカーペットという常緑の低木の端を切りそろえる作業も同時に行った。

          

          ※ スピレアマジックカーペットの端を切りそろえるのはけっこう神経を使います。

 また、30日(木)にはマンション内の居住者にも呼び掛けてマンション周囲の花壇(街路樹升内)に花苗の植栽をすることにしている。今朝はそのための準備も終えることができた。

 いよいよ私たちの周囲も初夏満開!といった様相となってくる。


炭鉄港を巡る旅 後編

2019-05-27 21:01:59 | 大学公開講座

 「炭鉄港を巡る旅」…、それは一見、兵どもの夢の跡とも映ったが、しかしそこには北海道の一大産業であった炭鉱の栄華の跡でもあった。主催者はそれを“すでに起きた未来”と言う。炭鉱の栄枯盛衰の跡から私たちは何を学ぶべきなのか、考え続けた旅でもあった…。

           

          ※ 赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設の売店で購入した「“炭鉄港”日本記念遺産認定記念まんじゅう」

            と「石炭かりんとう」です。最初の写真としては不似合いかも???

 5月23日(木)の講義に続いて、25日(土)は空知の炭鉱跡の施設を訪ね歩く旅だった。訪ねた施設は、

①旧住友赤平炭鉱立坑櫓(赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設)

          

          

         ※ 立坑櫓の内部です。この立坑から鉱員は現場に出向き、石炭が地下から運ばれてきたそうです。

          

 

②空知川河畔「石炭露頭」

          

          

          ※ 露頭はちょうど木の影になった黒いところなのが残念です。


③旧上歌鉱会館(現・悲別ロマン座)

          

          

 

④旧上砂川駅(悲別駅)

          

 

⑤三井砂川炭鉱中央立坑櫓

          

          

          ※ ここの立坑は廃止後に一時「地下無重力実験センター」として活用されていたそうです。


⑥かみすながわ炭鉱館

          

          

          ※ 炭鉱から排出された石炭以外の砂礫が積みあがったズリ山です。


⑦三菱美唄鉱竪坑

          

          

          ※ 地下から排出された選炭前の原炭が一時ストックされるヤード跡だそうです。


⑧アルテピアッツァ美唄・旧栄小学校

          

          

          ※ 木の陰になってしまいましたが旧栄小学校です。

          

          ※ その校内に展示された安田侃氏の作品です。

 

というように盛りだくさんの内容だったが、さらに車窓から何件かの施設も説明していただいた。

 私はこの中の⑦の三菱美唄鉱竪坑以外は、以前に空知管内市町村のフットパスコースを踏破した際に全て経験済みだった。しかし、今回は講師の札幌国際大学の吉岡宏高教授による詳しい説明付きだったこともあり、有意義な見学となった。

 特に①の旧住友赤平炭鉱立坑櫓は元炭鉱員のガイド付きで櫓内を見学することができ、規模の壮大さを実感することができた。

 意外に思ったのが世界的な彫刻家として名高い安田侃氏の作品が展示されている野外展示施設として有名な「アルテピアッツア美唄」が炭鉱遺産の一つとされていたことだ。ところが説明を聞くと、アルテピアッツア美唄のあるところは旧三菱炭鉱の炭住街だったところだという。その炭住街に最後まで残った旧栄小学校の木造校舎が保存され、やはり安田侃氏の作品の展示施設となっているということで納得することができた。

 こうした一つ一つの炭鉱跡の施設を見て歩くとどうしても寂しさは隠しようもない。しかし、日本遺産の認定を目ざした(すでに認定されたが)「炭鉄港推進協議会」はいう。

「明治の初めに命名された広大無辺の大地「北海道」。その美しくも厳しい自然の中で、「石炭」・「鉄鋼」・「港湾」とそれらを繫ぐ「鉄道」を舞台に繰り広げられた北の産業革命「炭鉄港」は、北海道の発展に大きく貢献してきました。当時の繁栄の足跡は、空知の炭鉱遺産、室蘭の工場景観、小樽の港湾そして各地の鉄道施設など、見る者を圧倒する本物の産業 景観として今でも数多く残っています。100 ㎞圏内に位置するこの3地域を原動力として、北海道の人口は約 100 年で100 倍になりました。その急成長と衰退、そして 新たなチャレンジを描くダイナミックな物語は、これまでにない 北海道の新しい魅力として、訪れる人に深い感慨と新たな価値観をもたらします。」と…。

 つまりただ衰退を嘆くだけではなく、栄華の足跡を辿ることによって、日本が近代国家として自立・発展する過程において北海道が果たした役割について再認識することの重要性を指摘している。協議会としては「日本遺産」に認定されたことを一つの起爆剤として国内外にアピールし、観光産業の発展に繋げたいと考えているようである。

          

          ※ 私たちに快適な旅を提供してくれた岩見沢観光バスです。

 今回、私たちが訪れることができたのは炭鉄港を語る上においてはほんの一部でしかない。もっと多くの施設を見て、体験し、理解し、それを伝えていくことが必要と思われる。しかし、そのようにして地域の活性化に繋げたとしても、日本の人口減少の勢いはとどまることを知らず、こうした地域もいずれは埋没してしまうことは避けられそうもない事実である。「すでに起きた未来」その現実を直視しながら、この先の日本の進路を考えるうえでも“炭鉄港”が教えてくれることは多いように思えた今回の「炭鉄港を巡る旅」だった。

          

          ※ 真ん中の体格の良い先生が吉岡宏高教授です。

 それにしても吉岡宏高教授のエネルギッシュな案内・指導には感謝したい。バスで移動中はずーっと炭鉄港に関わる説明が続けられた。そして吉岡氏の博識にも驚かされた。次から次へと淀みなく続く説明にまったく退屈することなく、たくさんの新しい知見を得ることができた旅だった。

 


北海道を歩こう! 無念のリタイア

2019-05-26 20:03:52 | 札幌ウォーク & Other Walk

 溜まりバネなどどこにも残っていなかった…。老いて伸び切った筋肉に真夏を思わせる強い太陽の光が容赦なく襲い掛かった…。徐々に、徐々に、頑張ろうとする気持ちが萎えていった…。スタートして10キロ、私は早くもリタイアを決断したのだった…。 

 本日、真駒内⇒支笏湖間33キロを歩き通す「北海道を歩こう!」(札幌スポーツ財団主催)が行われた。私は過去何度(確か3度)か出場していたが、今回は体力の衰えと、準備不足から不安を感じながらの出場となった。

 天気は朝からドピーカン。気温の上昇が心配された。

 朝8時15分、33キロの部1,001人、10キロの部509人がスタートした。

          

          ※ スタートして間もなく、真駒内川沿いを往く参加者です。

 過去3度の出場も特別準備はせずに出場していたのだが、体を休めていたことによる“溜まりバネ”を活かし、後はひたすら耐えることで、これまでは支笏湖までなんとか辿り着いていた。ところが今回はスタート直後から体が重い。溜まりバネなどどこにもない感じだった。日陰の多い真駒内地区を抜け、日当たりのよい石山通りに入ったころには体中が汗にまみれていた。スタートから4キロの表示を見たとき、もうはや「どこかで休もうか?」と考えていた。真夏を思わせる太陽の光は容赦なく老いた体を痛めつけた。

 長~く一列になった参加者が歩道を往くのだが、次々と後列に置いて行かれるようになった。

 8キロの表示を見たときは、コースは山中に入り、傾斜がついてきたころだった。悲しいかな、私はそのときすでに限界を感じていた。頑張ろうとする気持ちが湧いてこないのだ。暑さが私の気持ちを萎えさせていた。そして私はこのとき「10キロ参加者と同じ地点でリタイアしよう」と決断した。

 決断するまでの間、私はデジャブ(既視感)を感じていた。それは3年前にSea to Summitと称して富士市の海岸から4日間かけて富士山に挑戦した1日目の時だった。当日(8月21日)富士市の気温は30度を超える夏日だった。重いザックを背負いダラダラと続く坂道に私は完全にグロッキーとなり、脱水症状寸前の状態で宿舎に辿り着いた苦い思い出が蘇った。「あの苦しさは味わいたくない」と思った時、リタイアすることに躊躇はなかった。

 考えてみると、私はこれまで猛暑の中で体をいじめたという体験をほとんどしていないことに気づいた。冬なら相当の寒さの中でもスポーツをした体験は豊富なのだが…。

          

          ※ スタートから8キロ地点近く、コースは徐々に傾斜していきます。

 リタイアを決断した8キロ地点から10キロ地点までの2キロはきつかった。それまでにもう2度も休憩をとっていたので、それ以上休むわけにもいかなかった。自らを励まし、なんとかスタートから2時間20分後10キロの部のゴールに辿り着いた。

 事務局にリタイアを告げると、帰りのバスを案内してくれた。

 情けない途中リタイアとなった今年の「北海道を歩こう!」だが、このまま引き下がれない。今年は準備不足だったが、入念に準備をしてリベンジしたいと思う。

 

 ※ 今日は「真駒内支笏湖トレック ライブレポ」を発信予定だったのだが、なぜか発信することができなかった。


炭鉄港を巡る旅 前編

2019-05-25 21:10:41 | 大学公開講座

 “炭鉄港”…、まだまだメジャーな言葉ではない。しかし、関係者にとっては今年5月20日に文化庁から「日本遺産」に認定されたことから一気に一般の人たちに認知されるのではないかと熱い期待を寄せられている“炭鉄港”である。

          

             ※ 本日訪れた炭鉱跡施設の一つ、「三菱美唄鉱立坑」です。

 5月23日(木)と本日25日(土)の二日間にわたって札幌学院大学のコミュニティカレッジで開講された100年で人口100倍!北海道の推進力《炭鉄港》」という講座を受講した。

 講師は札幌国際大学の吉岡宏高教授が務められ、23日は講座、そして本日25日は現地学習というスケジュールだったが、私にとってはとても実り多い講座だったと振り返っている。

 まず、私にとっても耳慣れない“炭鉄港”という言葉だが、「炭」は石炭の、「鉄」は鉄鋼のであり、鉄道の、「港」は港湾のという三者の言葉を合わせた合成語だそうだ。

 つまり講座の概要は「空知の石炭、小樽の港湾、室蘭の鉄鋼、そしてこれらを結ぶ鉄道という《炭鉄港》のネットワークは、わずか100年で人口が100倍と急成長した近代北海道の原動力として活躍してきました。その歴史的な経緯を学び、空知の炭鉱跡を現地で学習する」という講座だった。

 講師の吉岡氏はNPO法人「炭鉱の記憶推進事業団」の理事長も務める方で、明治以来北海道が石炭産業を中心として急激に成長し、人口も膨張したものが、石炭産業の斜陽化に伴い、急激に衰退した産炭地をはじめとする関係市町村の推移をなんとか人々の記憶にとどめようと活動されている方である。そのための鍵と考えたのが「日本遺産」に認定されることによって、人々の認知度を上げたいとの考えだった。

 吉岡氏は「炭鉄港」の周辺で起こった歴史的な経緯を次のようにまとめた。

 まず明治期、北海道開拓のための基盤を形成し、人口を全国水準にまで引き上げた。そして今日まで続く近代北海道の基となった。

 そして戦争(日露戦争=樺太割譲、第一次世界大戦=企業勃興、太平洋戦争=国内資源供給基地)を発展契機として、全国平均を上回る人口水準を達成した。北海道の必要性が国内で最も高まり、北海道はその期待に応えた。

 そして近現代、国際化が進展する中で、太平洋戦争後から続く文脈・価値観の転換を図ることなく推移した。人口は停滞し、新たな活力や主体的な展望を開けないまま、外的環境の変化に翻弄された。

 こうした「炭鉄港」の周辺で起こったことを吉岡氏は「すでに起きた未来」と表現された。この言葉は重い、と私は思う。「炭鉄港」の周辺で起こったことが将来はもっと大きな範囲(北海道全体?)に広がっていく、ということを意味していないだろうか?

 吉岡氏たちNPO法人「炭鉱の記憶推進事業団」は、「炭鉄港」の周辺で起こった100年を顧みて、今後100年の進路を考えるべきではないか、と問いかけている。非常に難しい問題であるが、その問いかけを胸に秘めながら本日(25日)空知地方の炭鉱跡などを巡り歩いたが、そのレポは後編に譲ることにする。

 

 と言いながら、明日は以前から私が最も気にかけている「北海道を歩こう(真駒内~支笏湖33キロウォーク)」の当日である。今回で4度目であるが、年々体力の衰えを実感していて、はたして完歩できるかどうか不安でいっぱいである。例え完歩できても疲労困憊で帰宅するだろう。帰宅してからブログ投稿など到底無理である。そこで例の手のライブレポでお茶を濁すことにしたい。「真駒内支笏湖トレック33 ライブレポ」として何度か投稿したいと思っている。ですので、「炭鉄港を巡る旅」の後編は後日投稿することにします。 


北大スラブ研公開講座№4 チャペックの「ロボット」を読む

2019-05-24 16:10:34 | 大学公開講座

 チェコの国民的作家であるK.チャペックが戯曲「ロボット」を著したのは1920年である。当時は機械文明が発達し、欧米では大量生産・大量消費の時代が始まっていた。そのことに対するチャペック流の問題提起と読み取ることもできるのだが…。

  5月20日(月)夜、北大スラブ・ユーラシア研究センターの公開講座(統一テーマ再読・再発見:スラブ・ユーラシア地域の古典文学と現代」)の第4講が開講された。

 第4回目は「機械が機械でなくなる頃 ~K.チャペックの「ロボット」を読み直す~」と題して実践女子大学のブルナ・ルカーシュ准教授が講義を担当された。ブルナ・ルカーシュ氏はチェコ人である。

             

           ※ 講師を務められた実践女子大のブルナ・ルカーシュ准教授です。

 「ロボット」はK.チャペックの作とされているが、彼の兄で画家・詩人・作家として知られるヨゼフとの共作ともいわれている。それは当時の機械に対して「ロボット」と命名したのは兄ヨゼフだと言われているからだ。チャペックは「ロボット」を次のように説明している。「自然がまったく知らない、より簡単で、より作りやすく、より速い、別な方法がある。その方法で生命の発展がうまく進められるもう一つの道を私は今日見出した。労働のために直接に役に立たないものはすべて捨ててしまいました。それによって人間をやめにして、ロボットを作ったのです。」と…。

                 

               ※ 「ロボット」の訳本は岩波文庫から発行されています。

 講義では、この後に戯曲の内容を紹介しながら、チャペックが機械文明に対する不安や不信を描いていたと、私は受け止めた。(かなり強引な受け止めではあるが…)

 講義の終盤、ルカーシュ准教授は夏目漱石が1911年に著した「現代日本の開花」を紹介してくれた。その中で漱石は次のように述べている。「開化は人間活力の発現の経路である。(中略)この二様の精神すなわち義務の刺激に対する反応としての消極的な活力節約とまた道楽の刺激に対する反応としての積極的な活力消耗とが互に並び進んで、コンガラカッて変化して行って、この複雑極まりなき開化と云うものができるのだと私は考えています。」

 ここで漱石が言う「消極的な活力節約」とは、人間に義務付けられている仕事を指すという。対して「積極的な活力消耗」とは、人間は道楽・趣味に対して積極的に活力を使うということを指しているとの解説を聞き、私は腑に落ちる思いがした。

 さらに漱石はこうも言っている。「この怪物の力(=機械力)で距離が縮まる、時間が縮まる、手数が省ける、凡て義務的の労力が最小低額に切詰められた上にまた切詰められどこまで押して行くか分からないうちに、彼の反対の活力消耗と名づけて置いた道楽根性の方もまた自由我儘の出来る限りを尽して、これまた瞬時の絶間なく天然自然と発達しつつ留め度もなく前進するのである。(中略)この位労力を節減する器械が整った今日でも、また活力を自由に使い得る娯楽の途が整った今日でも生存の苦痛は存外切なものであるいは非常という形容詞を冠らしても然るべき程度なのかもしれない。」

 この漱石の言はいかにも示唆に富んだ言葉として現代にも十分に通用するのではないかと思われる。

                  

                  ※ 30歳のころのK.チャペックです。

 チャペックもまた、戯曲の中で次のように登場人物に述べさせている。「かつて奉仕することの中に何か良いものがあったし、恭順さの中に何か偉大なものがあった。ああ、ハリー、よく分からないが労働や疲労の中に徳のようなものがあった人間を完成させるのは“労働や疲労”というものではないか」

 チャペックも夏目漱石も、機械文明が発達し、人間にとっていくら便利で快適な世の中となっても、人間が生きるということは苦痛なことであり、人間の幸福というのは仕事(労働)をし疲労することの中にこそあるのではないか、と示唆していると私は受け止めたのだが…。


ワンコインランチ紀行 57 やば珈琲店 札幌店

2019-05-23 17:40:19 | ワンコインランチ紀行 

 「名古屋めし」を食することができる喫茶店だそうである。なるほどランパスメニューの「鉄板ナポリタン」は名古屋の食そのものといった感じの濃厚な味付けだった。う~ん、私にはちょっと胸焼け気味だったかな?

           

          ※ やば珈琲店の外観です。

 やば珈琲店はサンシャインスポーツクラブのエントランス横に併設されていた。店内に入ると高い椅子席になっているカウンター席と、低い椅子のテーブル席に分かれていた。

          

   ※ とてもゆったりとしたテーブル席ですが、スポーツクラブで汗を流した人がリラックスできるようにとの配慮でしょうか?

 幸いあまり混んではいなかったので、私はテーブル席をチョイスした。店のシステムは、はじめに会計を済ませるシステムだった。ここのお店のランパスメニューは「鉄板ナポリタンドリンクセット」(通常価格842円)である。ナポリタンは「シーフード」、「チーズ」、「唐揚げ」など9種類の中からチョイスできる仕組みである。私は最も基本の「昔ながらのナポリタン」を選び、ドリンクは「アイスコーヒー」とした。

          

          

          ※ オーダーと共に、ドリンクは自分で運んでくるシステムでした。

 ガイドブックに「名古屋めしを楽しめる」とあったので帰宅して調べてみると、なるほど本店は名古屋だった。

 ほどなくして熱々の「鉄板ナポリタン 昔ながらのナポリタン」が運ばれてきた。それはいかにも“名古屋!”という感じで、ケチャップをふんだんにふりかけた昔懐かしいスパゲッティが登場した。トッピングとしてはウイナーソーセージが乗っかっていて、麺に混じってマッシュルームとタマネギが含まれていた。味は予想どおり濃厚だった。サイズはSサイズだったのだが、私には十分だった。

          

          ※ こちらは店のスタッフがテーブルまで運んでくれました。

 昔懐かしい味と再会(?)した向きは一度訪れてみるのも良いかもしれない。

 

【やば珈琲店 札幌店 データー】 

札幌市中央区南3条東2丁目 サンシャインスポーツクラブ内

電  話  011-804-4780

営業時間  9:00~19:30

     (ランチパスポート可能時間11:00~15:00)

定休日   無 

座席数   40席(テーブル席・カウンター席)

駐車場   有(施設P 20分100円)

入店日  ‘19/05/19