田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

判官さまと枝垂れザクラ

2024-04-26 16:10:41 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 今、札幌の人に「判官さま」と云った時、どれくらいの人が判るだろうか? 北海道にとっては忘れることのできない恩人とされているが、今年は彼の歿後150周年に当たるそうだ。それを記念したパネル展を見てみた。

 「判官さま」と呼ばれているのは、「北海道開拓の父」と称される初代開拓判官・島義勇のことである。今年は彼の歿後150年に当たるそうで、北海道神宮では島義勇のパネル展が開催されていた。

    
    ※ 第二鳥居を潜った後の参道では満開のサクラが出迎えてくれました。

 本日は札幌も久しぶりの好天に恵まれたので、パネル展を見てみようと北海道神宮に向かった。併せて、4日前に北海道神宮内に建立されている島義勇像の前にある枝垂れザクラが蕾状態だったのが開花したかどうかも確かめたいと思った。
 北海道神宮内は好天も手伝っただろうか、外国人観光客も含めてかなり賑わった状態だった。
 パネル展は北海道神宮内の回廊に8枚ほどのパネルが展示されていて、島義勇の一生の事績が紹介されていた。

       
       ※ パネル展で表示された島義勇の全身写真です。
       
       ※ 北海道における事績が紹介されているパネルです。

 島義勇の生涯については、「めだかの学校」で「さっぽろの古を訪ねて」のパートⅠで取り上げたこともあり、私自身は彼の生涯について凡そ把握していたが、パネル展では彼の一生が簡潔に分かりやすく説明されていた。そこでも分かるのだが、彼が生きた幕末から明治にかけては激動の時代であったが、彼の一生もまた毀誉褒貶に富んだ一生だったことが良く分かる。彼にとって無念だったのは明治新政府の要人の一人として活躍しながら、最期は彼の生地・佐賀の乱の党首にまつり上げられ新政府に対峙した罪により斬罪梟首という非業の死を遂げたことである。
 しかし、彼が初代開拓判官として札幌の街づくり基礎を築いた恩人として、札幌(北海道)にとっては忘れえぬ人である。そうしたことから、島義勇は北海道神宮内と札幌市役所内の札幌の主だったところに二つの像が建てられたのである。
 さて、その島義勇像の前にある枝垂れザクラだが、一部の枝は開花していたが満開といえる状態となるにはあと2・3日必要かな?という状態だった。

    
    ※ 判官さま像前の枝垂れザクラは半分だけ開花した状態でした。

 さて「判官さま」と云えば、北海道境内の一角にある菓子メーカー「六花亭」の「神宮茶屋店」でしか購入できない焼き餅菓子「判官さま」が有名である。私も味わおうと店の前に行ってみると、なんと長蛇の列ができていた。大変人気である。行列の後ろについて待つこと約30分、ようやく入手することができた。

    
    ※ 六花亭神宮茶屋店前には焼き菓子「判官さま」を求める客が長蛇の列を作っていました。

 ホットプレートで温められた焼き菓子は、サービスのほうじ茶と一緒に味わうのだが、いつ食しても美味しいお菓子である。

    
    ※ 焼き菓子「判官さま」です。家まで持ち帰ったので少し形がいびつです。

 判官さまの前の枝垂れザクラは満開まで追い続けたい。

リニューアルオープンした青少年科学館を覗いてみた

2024-04-11 16:43:30 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 約一年半の休館を経て、4月1日にオープンしたという札幌市青少年科学館を覗いてみた。子どもたちが喜ぶように工夫された展示が並んでいた。しかし、当たり前のことだが青少年科学館は教育施設である。小学校高学年くらいの子たちに科学的興味を抱かせるような仕組みが随所に見られた施設だった。

   
   ※ リニューアルオープンした「札幌市青少年科学館」の正面入口です。

 学校の一学期が始まり、しかも平日ということでオープン当初の混雑は避けられるだろうとの読みで本日午前に青少年科学館を覗いてみた。
 入館料はシニア(65歳以上)で500円、さらにプラネタリウム観覧料が360円の計860円だった。
 「混雑はないだろう」という読みは、半分は当たっていたようだが、幼児を連れた親子連れがけっこう訪れていて、展示室はそれなりに賑わっていたが、休日ほどではないのだろう。
 内部の展示は、1階はプラネタリウムの観覧会場が主で、後はチケット売り場、売店などで展示室は2階、3階になっていた。
 リニューアルの目玉は、美しい雪の映像を楽しめる「スノードームシアター」や、食べ物になったつもりで迷路をたどって消化の過程を学べる「食べ物の旅」などが売りとなっていた。
 私はせっかく遠くまでやって来たのだからと一応全ての展示を見て回った。
 その中で2階の「環境・気象エリア」は雪国北海道の気候を中心とした展示が目を惹いた。クイズ形式で北海道の気象を理解させようとする展示は興味深かった。また、冬のスポーツである「スケルトン」、「カーリング」を模擬体験するコーナーもおそらく新しく導入された遊びのコーナーだったようだ。

   
   ※ 北海道の冬の気候を説明する展示です。
   
   ※ 今回のリニューアルの目玉の一つ、スケルトンの模擬体験コーナーです。
   
 3階展示での呼び物はやはり「食べ物の旅」を売り物にした「ボディアドベンチャー」だろうか? 開いた口の模型から人間の内に入り、食べ物の通り道を体験するというものだったが、入口の模様がけっこう刺激的なのだが、内部はそれほど精巧には再現できなかったきらいがあったと感じたが、他の人たちははたしてどのように感じられるのだろうか?

   
   ※ インパクトの大きい「食べ物の旅」の入口でしたが…。

 私はそれよりは3階のフロアで1時間ごとに行われる「サイエンスショー」に期待を抱いた。4月~7月は「炎いろいろ」というテーマでの15分程度のショーであったが、なかなか興味深かったが、これもまた小学校高学年くらいの子たちを対象としたもののようであった。

   
   ※ サイエンスショーで炎の色にもいろいろ違いがあると示した実験です。

 私はそれより興味を抱いたのは、今回のリニューアルで新たに導入されたらしい「企業展示エリア」だった。現在は(株)ドーコン、北海道ガス(株)、大和ハウス工業(株)の3社の展示がされていたが、興味を抱いたのは(株)ドーコンの展示だった。ドーコンとは総合建設コンサルタントの会社ということなのだが、同社が北海道の開発にどのように寄与しているのかについて、分かりやすくDVDで説明している展示が意外と良かったなぁ、と思われた。

   
   ※ (株)ドーコンが提案した(?)新札幌駅界隈のビル群の模型が展示されていました。

 教育施設において企業のPRとも思える展示はいかがなものか?という疑問がないわけではないが、社会的に意義深い(あるいは、科学的興味を促す)企業活動を展開している企業に展示スペースを開放することはもっと積極的になっても良いのではないか、と展示を見ながら思ったものである。
 以上、対象はあくまで小学校高学年を主としたものであろうが、どの年代の方でも興味は十分持てる施設である。夜空に夢を馳せるプラネタリウムと共に、一度は足を運んでみる価値のある青少年科学館だと私には思えた。

和田哲さんと巡る札幌路面電車ミニトリップ

2023-09-06 18:03:15 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 講師としての和田哲さんのお話は実に魅力的である。五日前に続き、また和田哲さんの話術を楽しんだ。札幌の路面電車にまつわるあれこれを豊富な知識をもとに聞き手の興味をそらさずに話される和田哲さんとの1時間のミニトリップを楽しんだ。
  
  ※ 北海道生涯学習協会の賛助会員約20名が参加してのミニトリップだった。
 本日午前、北海道生涯学習協会が賛助会員を対象に「賛助会員の集い」が開催され参加した。今年の集いの内容はタイトルにあるように、札幌の路面電車を貸し切りループ路線を一周する「和田哲さんと巡る札幌路面電車ミニトリップ」という興味ある内容だった。
  
  ※ 往時の札幌の路面電車の路線図を示しながら説明する和田哲氏です。
 電車は「すすきの」の貸切専用停留所からループ化された路線の内回り(つまり「すすきの」から中心街へ向かう方向)を一周するコースだった。
 和田さんのお話は、まず「すすきの十字街」を見渡すように掲げられているニッカウヰスキーの看板の話から始まった。現在掲げられているのは三代目だそうであるが、看板が掲げられたのは昭和44年で、描かれている「ヒゲのおじさん」はイギリス人の公爵ということだが、彼はウィスキーを飲んでいるのではなく、ウィスキーのティスティングをしている図だということである。
        
  ※ ご存じすすきの十字街を見下ろすニッカウィスキーの大看板です。
 そして「狸小路」のところへ差し掛かると、「狸小路」の命名の由来に触れた。その昔、「狸」とは「遊女」のことを差したそうだ。つまり「狸小路」界隈は昔は遊女がたむろする小路だったことから「狸小路」という名が付いたということだ。また、最近狸小路のところにできた複合ビルの「moyuku」とはアイヌ語で狸のことだということも教えられた。
 さらに進んで、「三越デパート」のところに差し掛かると、「札幌三越」同様、全国の「三越デパート」はなぜか駅前通りの一等地に立地しているそうである。じゃあ、札幌の老舗であった「丸井今井」はどうして駅前通に立地しなかったかというと、これはこれで理由があったそうだが、長くなるので割愛したい。
 というように、電車の行く先々で和田氏は豊富な知識の中から興味深い小ネタを次々とお話してくれた。
  
  ※ 私たちが乗車したちょっと古い型の路面電車です。
 札幌の路面電車は往時には札幌市内中心部全域に路線を巡らせていたそうだが、札幌冬季五輪の開催が決まり、地下鉄が整備されるに伴って昭和46年から次々と廃線されていったという。そして残された中心部の現在の路線が2015年にループ化され現在に至っているとのことだった。
 それからも和田氏の話は次々と続いた。その全てをここでは再現できないが、印象に残ったお話を2~3紹介することにする。
 まず、現在のループ化された線路は一見平坦に見えるが、実にその高低差が約20mもあるとのことだった。何度も電車に乗ったり、周辺を歩いたりしていたが、意外な思いだった。
 明治14年に明治天皇が「行幸」した際に、沿線の山鼻小学校の校庭でお休みになられた際に、そこに立っていた木を見て「この木は何という木か?」とお尋ねになったそうだ。そうした経緯からその木はその後「お声がかりの柏」と呼ばれることになったそうだ。その木は現在枯れてしまい、その木の株が山鼻小学校に保存されているという。また、南14条の通りは明治44年に当時皇太子だった後の大正天皇が通られたことから「行啓通り」と呼ばれ、現在もその名が使われている。
  
  ※ 途中休憩で立ち寄った電車事業所の車庫には冬になった出番のある名物のササラ電車が格納されていました。
 事程左様に和田氏は札幌の街を非常に詳しく調べられている。まさに「街歩き研究家」の面目躍如である。
 和田氏は最後に「路面電車のある街は優しく見える」と話された。ゆっくりと街並みを走る路面電車、CO₂を排出しないエコな乗り物、まさにおっしゃるとおりのように思える。和田氏のお話をこれからも機会があれば何度も聴いてみたいと思った。 

北海道神宮例祭の神輿渡御に遭遇しました!

2023-06-17 19:48:39 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 思わぬ形で北海道神宮例祭の神輿渡御に遭遇した。昨日午後、某講義を受講し地下鉄を降りて地上に出ると、なんとそこに北海道神宮例祭の神輿や山車が長々と列を作って行進していたのです!
   
 例年、北海道神宮例祭の神輿渡御は私の住むマンションのところを通過するので今年も楽しみにしていた。ところが事前に調べたところ、今年は昨年とコースが違い、別コースを通ると知りガッカリし、すっかり諦めていた。
それが偶然とはいえ、遭遇することができたので、私は神輿渡御が通り過ぎるまでおよそ30分間、カメラを構え続けた。
 報道によると、今年は昨年が規模を縮小して実施したのとは違い、例年通りに約1,300人の方々が行列に参加したという。神輿は4基、山車は9基だったという。神輿や山車の間には笛や太鼓の音色を響かせながら隊列はゆっくりと進んだ。
 行列がいかにも現代的だと思われたのは、私には何の役なのか分からないのだが、行列の先頭を比較的お歳を召した重臣役のような方たちが外車のオープンカーの後部座席に乗り、それが10数台連ねて行進していたことだ。日本の古来ゆかしき行事に “外国車” というのがなんともそぐわない気もしたのだが…。
 それにしても1,300人もの人たちが神輿渡御に関わるとは、その動員力(?)に驚いた。北海道神宮のHPによると、一部はボランティアの方々が応募しているようだ。若くて体力のある方にとっては、たとえ無償でも北海道神宮の神輿渡御に関わるということは己にとって意味あることだと考える人が多いということなのかもしれない。
 私が目にしたのが午後4時近くということで朝から炎天下の中の行進が続いて、行列に加わる人たちはかなり疲れていたのだろう。その表情からは緊張感が失せ、しかたなくやっている感が伝わってきたのはちょっと残念な光景だった。
 北海道神宮例祭の神輿渡御は明治11(1878)年から途中、戦時中やコロナ禍を除いて延々と続いてきた歴史的行事だそうだ。その重みを行列を見ている人たちに伝えていこうという意気込みを見せてほしいと願ったのは、贅沢な望みなのだろうか?
 以下、撮り貯めた写真の中から何枚かを掲載することにしたい。
(撮影地―大通西18丁目付近)
   

   

   

   

   

   

   

   

   

   
   
   

   

   
   



北海道旧本庁舎(赤れんが庁舎)の改修工事を観てきました

2023-06-05 16:29:42 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 遠くから見た時「えっ!?もう改修工事はこんなに進んだの?」と思った。ところが近づいてみると、それは原寸大の写真で工事現場が覆われていたのだった。見学施設から覗くと、大々的な改修工事が行われている最中だった。
        
    ※ 受付でいただいた改修工事を説明するパンフレットです。
 本日は特に予定もなかったことから、以前から一度覗いてみたいと思っていた北海道旧本庁舎(赤れんが庁舎)の改修工事を観てきた。
 赤れんが庁舎は、北海道開拓使が建設した八角塔の展望層を備えた洋風の開拓使札幌本庁舎が明治12年に焼失した後、明治21年に改めてレンガ造りで、開拓使本庁舎同様に八角塔を備えた洋風の庁舎を建てたのである。その庁舎はれんが造りの外観から「赤れんが庁舎」と呼ばれて道民から親しまれてきたという。そして今は北海道庁の本庁舎前に重要文化財として保存され、札幌市の重要な観光スポットの一つとなっている。
 その「赤れんが庁舎」が老朽化したのに伴い、令和3(2021)年からおよそ5年の工期を経て令和7年にリニューアルして復元した姿を見せてくれる計画になっているようだ。
 その間、工事の様子を見ることができる仮設見学施設を設けて、市民や観光客に提供していると聞いて本日午後訪れてみたのだ。
  
  ※ この様子を遠目から見たら「あれっ?」と思いますよねぇ~。

  
  ※ 庁舎右横に見学施設の入口があります。
 見学施設は赤れんが庁舎本体の前に、本体から取り外した八角塔を取り囲むように3階建ての仮の見学施設を建てて、八角塔及び庁舎本体の一部を窓越しに見えるように造ったうえに、内部には関連するさまざまなパネルが展示されていて札幌の歴史も知ることができる仕組みになっていた。
      
   ※ 見学施設の1階から見た八角塔です。

  
  ※ 見学施設の2階から見た八角塔です。屋根の一部が銅色になっていて近年補修されたことが分かります。
     
  ※ 見学施設の3回では八角塔の先端に付けられる北海道旗が突き出ていました。
 工事は主として、「保存修理工事」と「耐震改修工事」だという。「保存修理工事」は屋根の葺き替えや壁の欠損部の修復、内装材の張替えなど、「耐震改修工事」はれんが壁に鋼材を挿入するなど建物全体の耐震性を向上させるという。また、同時に改修後の公開時に見学者の便宜を図る施設の新設なども計画されているようだ。
  
  ※ 見学施設の窓からは赤れんが庁舎本体の改修工事の様子が見られました。
 今回の見学の大きな目玉は、八角塔を間近で見られることである。改修された後では高いところに設置されるために仰ぎ見ることしかできない。間近で見る八角塔の屋根部分は銅葺きで緑青色となっていたが、一部に銅色のところがあった。近年に補修されたところのようである。この八角塔の屋根は今回全てが葺き替えられるという。ということは改修後数年は銅色の屋根ということだ。緑青色に変色するには10年程度かかるという。完成後の八角塔の屋根に注目したい。
 パネル展示で興味深かったのは、赤れんが庁舎が建設された明治21年当時の札幌の街がパノラマ化された地図で表記されていたのが私には興味深かった。
  
  ※ 写真ではイマイチですが、周囲の建物の写真と真ん中の地図を見比べるのが興味深かったです。
 また、庁舎室内の壁に塗る「漆喰」について説明する動画を見ることができたが、改めて日本古来の壁材の素晴らしさを再認識させられた。
  
  ※ 見学施設3回から見た赤れんが庁舎の前庭の様子です。
 というように観る者によって観点は様々かもしれないが、一度は見る価値がある見学施設のように思う。見学期間は来年5月までだという。事前予約も必要なしで、誰もが見学可能である。何かのついでに道庁の近くを通った際にぜひ見学されることをお勧めします。


遅まきながらエスコンフィールド初見参!

2023-05-09 21:11:08 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 注目を浴びる日本ハムファイターズの新ホーム球場が今年3月にオープンしたが、なかなか球場に行く機会がなかった。本日、ようやくスタジアムツアーに参加し、新しい球場を隅々まで(?)見ることができた。 
※ この図は写真ではなく、Fビレッジ全体の概念図です。
 友人と「早く一度新球場に行ってみたいですね」と話していたが、なかなか機会に恵まれなかった。そうしている中、ファイターズの対戦がない日に「スタジアムツァー」を実施していることを知った。友人にそのことを話すと「それいいね!」ということになった。善(?)は急げである。スタジアムツアーには「ベーシックツアー」と「プレミアムツアー」の2種類があったが、私たちは無理をせずに「ベーシックツアー」(平日1,800円)をチョイスし、本日10時30分開始の回に申し込んだ。
 球場のある北広島市には、見学後に球場内で醸造されているクラフトビールを試飲することもありJRで向かった。北広島駅からは徒歩で球場に向かい、スタジアムツアーの受付のところへ行くと、たくさんの高校生の姿が目立った。高校の修学旅行でスタジアムツアーを組み込んでいる高校が多いようで、その後もたくさんの高校生が球場内に目立った。 
 
 ※ エスコンフィールドの正面入口です。
 いよいよスタジアムツアーである。ガイドはファイターズガールの植村ゆうなさんという方だった。しっかりと訓練を受けているようで歯切れの良い説明と、案内でスタジアムツアーを楽しむことができた。
 
 ※ 私たちのツアーのガイドを務めてくれたFガールの植村ゆうなさん。
 見学できたところは、バックネット裏の特別席である「ダイヤモンドクラブシート」に座っての球場の眺め、ファイターズの歴史を表示した一角、続いてプレミアム感漂う「ダグアウトクラブシート」席とその後方のレストラン、そしてガラス壁を隔てた「インタビュールーム」などを見て回った。
  
 ※ ファイターズのこれまでの歴史を概観するコーナーです。
※ 試合後のインタビューが行われる部屋をガラス越しに見ました。
 そしてそこからグランドに足を踏み入れて木製の椅子が特徴のダグアウトに腰かけて選手気分を味わった後に、グランドを実際に歩いてみた。(といってもアンツーカーの部分だけであるが)
※ グランドレベルから球場内を見たところです。
※ ファイターズ側のベンチです。新庄監督が座る席が特徴です。
 私たちはツアーを終えた後、ちょうどお昼時間だったこともあり、予定していた球場内のクラフトビール醸造所兼レストラン「そらとしば」でクラフトビールを味わいながら昼食を摂った。ビールは既成のビールとは一味違ったが美味しいビールだった。
※ 見学後にクラフトビールをグィッと…。
 その後、スタジアムツアーで回らなかった球場内の施設を見て回ろうとしたが、試合開催日でなかったために立入禁止部分があったりして、球場全体を見て回ることはできなかった。ただ、球場内は試合がないにもかかわらずかなりの人数の人が訪れていて、けっこうな賑わいを見せていた。
 
 ※ ホテル・タワーイレブンの入口前に描かれたダルビッシュと大谷選手の壁画です。
 全体を見て回っての印象であるが、本場アメリカの球場を参考にしたり、これまでの日本の球場の欠点を補正したりと、理想を追求した球場であるとの印象だったが、球場だけでなく周辺も含めた「Fビレッジ」構想が、地域の発展に繋がることを期待したい。

北海道最古の円形校舎を見る・観る・視る

2021-10-02 16:51:52 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 円形校舎として北海道で最も早く建てられ、最も最近まで現役として使われていたのが旧石狩市立石狩小学校である。その石狩小学校が児童数減によって2017(平成29)年に閉校となった。その校舎の見学が許され、本日石狩市まで走って見学してきた。

   

※ 旧石狩市立石狩小学校の円形校舎です。文字どおり丸い形をしていて地域の住民たちは「缶詰校舎」と呼んで親しんでいたという。

 北海道では1950~60年代にかけて円形校舎が盛んに建設されたという。その数は全道で12にのぼるそうだ。その中でも最も早く建設されたのが1956(昭和31)に建設された石狩小学校である。しかし、今では12の学校全てが閉校となり、一部は保存されているものもあるが、ほとんどは解体されてしまったそうだ。その中で石狩小学校は保存され、活用策を探っている現状のようだ。

   

※ 校舎裏側に回って撮った円形校舎です。緊急時の非常階段が設けられていました。

   

※ 児童数の増加に伴い、円形校舎に接続して教室が増築されたようです。教室棟の続きには体育館もありました。

   

※ 校門を設置する際に、このようなモニュメントも併せて作られたとのこと、これもユニークですね。

 その保存されている校舎の見学が可能との新聞報道が出た。物好きの私は早速見学希望を申し出た。幸い本日は他にも希望があったので見学が許された。

 朝10時、石狩浜(石狩市横町)の旧校舎に着くと、石狩市砂丘の風資料館の職員が出迎えてくれた。なるほど外観はきれいな円形をしている。住民の人たちは、その形が缶詰の缶に似ていることから「缶詰校舎」と呼んでいたという。

 中へ入らせていただくと、まずは円形のホールが出迎えてくれ、その周りに教室や校長室、職員室などが取り囲んでいた。ホールには卒業生が制作した校舎の模した立体模型が展示されていた。

   

※ 玄関を入ると写真のような円形ホールが出迎えてくれました。左右に階段があります。

   

※ 卒業生が制作した校舎模型です。ホールの左右に一階と二階の模型が掲示されていました。

   

※ この平面図はおそらく閉校時の平面図だと思われます。

   

※ 校長室は資料室的に使用されていました。

 階段はホールの左右に二つ設けられていたが、学校では上り階段と下り階段を区分けして使用していたという。

   

※ こちらは上り専用階段です。

 2階へ上がると主として学年の教室が取り囲んでいた。教室の形はちょうどバームクーヘンを8等分した形の一片を切り取ったような形をしていた。黒板は中心方向にあり、子どもたちは窓を背にして黒板方向に向いて学習をしていたようだ。建設当時、2階の教室には天井から外光を採り入れるガラスがはめ込まれていて(その後の改築でガラスは取り外されたようだが)、明るい室内だったようだ。

   

※ 学年の教室です。扇形の中心に黒板が設けられていました。

   

※ 教室の背後にあたる窓際です。

    

※ 図書室として使用されていた部屋です。

 ともかく当時としてはずいぶん斬新な校舎だったようだ。資料によると円形校舎のメリットは、廊下や壁が節約できるために建設費を抑えることができる。また、採光が児童の後方から受けるということで理想的といえた。しかしまたデメリットもあった。教室が扇形のため机の配置などが難しい。児童数が増加した際の増築が難しい。非常時の経路が中央の階段に限られる。等々の理由もあって校舎建築の主流とはなり得なかったようだ。

 ただ、子どもたちは道内でも数少ない円形校舎に誇りをもっていたという。長い廊下で繋がっている一般の校舎と比べ、休み時間になると中心にあるホールに集い、学年の分け隔てなく交流できたことは、この校舎で学んだ子どもたちとって何より大きなメリットだったのではないだろうか?

    

※ 写りは悪いですが、ウェブ上から拝借して校舎の空撮の写真を載せました。

 私と一緒に見学された二人の主婦は、この学校の卒業生だったようだ。当時の写真を持ってきて懐かしそうに振り返りながら談笑していた。その表情からはやはりこの学校の卒業生だったことに誇りのようなものを抱いているように私には見て取れた。


泡沫(うたかた)の夢の跡…

2021-08-21 16:11:31 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 東京オリンピックの競歩・マラソン競技に沸いた札幌都心はすっかり旧に復したかと思っていたが、まだまだ復旧作業の真っ最中だった。一方、意外な光景にも出会った。

 男子のマラソン競技を観戦して以来、近所のコンビニに買い物に行くか、清掃ボランティアで戸外へ出るくらいで、ほとんど家を出ることがなかった。

 それが本日、街中へ出なければならない用件があり自転車で出かけた。その帰路、オリンピックのために大通公園に建てられた各種施設はどうなっているだろうか、と気になったので立ち寄ってみることにした。マラソン競技を終え、すでに2週間近く経っているのですっかり片付いて、旧に復しているのではと思っていたのだが…。

 しかし、大通公園に行ってみるとまだまだ元に戻すための工事の真っ最中だった。私は                                                                                   関連施設は大通公園の3丁目広場と4丁目広場に設けられていたと思っていたが、今日行ってみて2丁目広場も使われていたことが分かった。傍にいた警備員に伺うと、2丁目広場は競技役員やボランティアの控室の建物が建てられていたということだったが、まだ金網の柵やプレハブが残っており、最も撤去が遅れているようだった。

   

   

※ 2丁目広場は、鉄柵がまだ残り、プレハブの建物も解体前と最も撤去作業が遅れている?   

 3丁目広場は各国の国旗などが立っていたところだが、もちろん国旗などは片付けられていたが、芝生の上を覆っている鉄板などはまだ敷かれたままだたった。

   

   

※ 3丁目広場は鉄柵は撤去されていたが、大型クレーンなどが残りプレハブ解体が進んでいた。

 最も撤去作業が進んでいたのは4丁目広場だった。周りを囲っていた鉄製の柵は取り除かれ、プレハブの建物なども撤去されて機材などを運び出すだけの段階となっているようだった。

   

   

※ 4丁目広場はプレハブなどはすでになく、作業は機材の搬出だけとなっているようだ。

 考えてみると4日間のオリンピック(札幌の場合)のために一か月以上(二カ月?)前から準備に入り、競技を終えてからも2週間近く経っても元に復していないということだから、改めてオリンピックというイベントがいかに大きく、特別な大会であるかを改めて教えられた思いである。

 いずれにしてもここ一週間以内には元通りの大通公園に復するのではないかと思われる。

 さて、意外だと思ったのは大通公園の10丁目広場に立てられていた「オリンピックモニュメント」である。東京などではすでに撤去され、代わりにパラリンピックのモニュメントが立てられているとニュースが伝えていたので、札幌のものも撤去されたものと思っていたのだが、なんとまだまだ健在(?)だった。今日は土曜日ということもあって人だかりまで出来ていて、ちょっとした観光名所になっていた?いつまで立てておくのだろうか?それとも永久保存?

   

   

※ 腰かけている人たちはそれぞれモニュメントの前に立ち記念写真(?)を撮っていた。

 オリンピックとは全く関係ないのだが、大通公園と道路一つ隔てて立つ北海道を代表する銀行の建物の壁面のウィンドウに日本ハムファイターズナインのプレーする姿がイラストで描かれていた。その中で最も大きく描かれていたのがこのほど巨人に移籍が決まった中田選手のイラストだった。「バチバチはとまらない」という文字と共に…。銀行も突然のことで困惑しているのではないだろうか?

   


札幌ぶらり散歩 93 札幌ドームに向かって

2021-04-08 17:08:25 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 いつも言うことだが、比較的歴史の浅い札幌の街は歴史的建造物も少なく、興味のある街の光景に出会うことも少ない。それでも子細に見ると、それなりに興味のある光景に出会うことがある。そんな街中の光景をスケッチした。

 一昨日、プロ野球観戦で札幌ドームに向かう際、交通機関を使わずウォーキングで向かうことにした。我が家から札幌ドームまでは14.8キロあった。私はできるだけこれまで通ったことのない道、歩いたことのない道を選びながら札幌ドームに向かった。そうしたこともあり、私が現在取り組んでいる「ロングウォーク」のカテゴリーに入れずに敢えて「札幌ぶらり散歩」としてレポすることにする。                               

えっ!?札幌にシーサーが??

 我が家をスタートしてそれほど時間が経っていないときだった。ある民家の車庫の上に、沖縄の家々の屋根に見かけたシーサーの置物が鎮座していた。札幌市内では某マンションの入口にライオン像が睨みを利かしているのに出会ったことはあるが、民家では初めての対面だった。もしかすると、某マンションのオーナー様の住宅なのかな?

   

   ※ 沖縄のシーサーの写しなのか?それとも単なるライオンの像なのか?

広~い、広~い、脇道

 道路幅が広いといわれている札幌の街でも、さすがに脇道に入ると狭く車がすれ違うのがようやくといった狭い道がほとんどである。ところが時々何らかの経緯で広いままの脇道になってしまったところがある。この日もそんな無駄(?)に広い脇道に出会った。はたさて、近隣の方々はその無駄(?)に広い脇道を有効活用しているのだろうか?

   

   ※ ふつうの脇道はこれくらいの道幅なのですが…。

   

   ※ ご覧のように広~い脇道はどのような利用方法があるのでしょうか?

賑やかに飾り立てたお家は?

田舎の街を走っていると、庭先に廃ペットボトルを使った風車が満艦飾のごとく風を受けて回っている光景にぶつかることがある。きっと現役を引退されたお爺ちゃんが暇を持て余して作られたんだろうなぁ、などと思いながら眺めたものである。ところがその都会版(?)が札幌の街中にあったのだ。何やら多数の小さな鯉のぼりが空を泳いでいると近づいてみると、鯉のぼりだけではなかった。さまざまなものが綱にぶら下がっていた。そして周りには何やら手作りらしき飾りがたくさん並んでいた。う~ん。この光景を周りの人はどのように見ているのだろうか?(所在地はあえて記さないことにします)   

   

   ※ 鯉のぼりだけではなく、いろいろなモノも一緒に泳いでいます。

   

   ※ 庭の前にはこのような飾り物も…。

伝説(?)の平岸高台公園            

伝説の…、と言われても関心のない方には「何それ?」と鼻でせせら笑われるかもしれない。「平岸高台公園」は、HTB・TVが制作した深夜番組で、後には全国的に評判を呼んだあの「水曜どうでしょう?」のオープニングとエンディングを飾る重要な舞台となった公園である。公園は傾斜のある芝地となっており、奇妙奇天烈な衣装に身を包んだ大泉洋や鈴井貴之が今にも坂の上から現れてきそうな雰囲気だった。なお、公園は「水曜どうでしょう」の聖地と呼ばれているそうである。

   

   ※ 今にも大泉洋があの松の木陰から現れてきそうな雰囲気です。

と以上、脈絡のない「札幌ぶらり散歩」でした。


札幌ぶらり散歩 92 西区役所界隈

2020-12-18 15:59:37 | 札幌ぶらり散歩 & Other

 白い雪に真っ赤なナナカマドの実が映えますねぇ。二宮尊徳も今や忘れられる存在なのでしょうか?札幌では比較的古い街並みの琴似の西市役所周辺を歩いた。

 どうやら札幌においても「ぶらり散歩」は厳しい時期となってきたようだ。道内各地ではかなりの積雪のニュースが流れても、今年の札幌は小雪傾向が続いていた。それがようやくこの2~3日路上に雪が目立ち始めてきた。今日はその雪が路上からやや消えかかっていたので、西区民センター図書室にDVD資料を借り出しに行った帰途、西区役所の周辺を歩いてみた。そのときも雪がちらほら舞っていた。こうなったら、早く雪が積もってスノーシューの季節が到来してほしいと思っているのだが…。                                   

白い雪景色の中に真っ赤なナナカマドの実が…

 西区役所脇の道路の街路樹はナナカマドだった。そのナナカマドは葉をすっかり落としていたが、真っ赤な実は鈴なりだった。周りが雪景色だったこともあり、赤い実の色が とても印象的だった。しかし、雪模様だったこともあり光量が不足していて写真では目で見たほど鮮やかでないのが残念である。接写の写真はフラッシュ使ったのだが、かえって不自然な色になってしまった。真っ赤な実は想像でお楽しみください。

   

   

   

二宮金次郎像も日陰の存在なの?

 某小学校と記しても、“西区役所界隈”というと直ぐに特定されてしまうだろうが、ちょうど校舎の裏側を歩いていたら見慣れた“二宮金次郎像”が目に入った。そこは職員の駐車場の入口であり、学校プールの脇だった…。多くの児童の目に触れやすい場所とはお世辞にも言えない場所である。

 設置場所についてはいろいろと議論を重ねた結果が今の場所なのだと思われるが、年配の私としてはちょっと寂しい思いがしたのは事実である。像の台座には「まこと」と記されていた。

   

        

比較的古い町並みはやはり混在地域であった…

西区役所付近は札幌市内の中でも、早くから琴似屯田兵村として開拓が比較的早くから行われたせいもあって、さまざまな要素が混在した街と私には映った。特に目立ったのが小規模のマンションというか賃貸と思われるアパート群が目立った。これは周りを開拓した子孫が周囲の市街地化に伴い、土地の有効活用のために賃貸アパート(マンション)を建設したのではと思われた。周りは戸建て住宅や町工場などとともにこうした建物が目立った地域だった。 

   

   

                      

「札幌ぶらり散歩」が私自身の健康づくりにも有効なことを今さらながらに気づいた思いだったが、雪が降ってはそれも難しい。しばらくの間は休まねばなるまい。