円形校舎として北海道で最も早く建てられ、最も最近まで現役として使われていたのが旧石狩市立石狩小学校である。その石狩小学校が児童数減によって2017(平成29)年に閉校となった。その校舎の見学が許され、本日石狩市まで走って見学してきた。
※ 旧石狩市立石狩小学校の円形校舎です。文字どおり丸い形をしていて地域の住民たちは「缶詰校舎」と呼んで親しんでいたという。
北海道では1950~60年代にかけて円形校舎が盛んに建設されたという。その数は全道で12にのぼるそうだ。その中でも最も早く建設されたのが1956(昭和31)に建設された石狩小学校である。しかし、今では12の学校全てが閉校となり、一部は保存されているものもあるが、ほとんどは解体されてしまったそうだ。その中で石狩小学校は保存され、活用策を探っている現状のようだ。
※ 校舎裏側に回って撮った円形校舎です。緊急時の非常階段が設けられていました。
※ 児童数の増加に伴い、円形校舎に接続して教室が増築されたようです。教室棟の続きには体育館もありました。
※ 校門を設置する際に、このようなモニュメントも併せて作られたとのこと、これもユニークですね。
その保存されている校舎の見学が可能との新聞報道が出た。物好きの私は早速見学希望を申し出た。幸い本日は他にも希望があったので見学が許された。
朝10時、石狩浜(石狩市横町)の旧校舎に着くと、石狩市砂丘の風資料館の職員が出迎えてくれた。なるほど外観はきれいな円形をしている。住民の人たちは、その形が缶詰の缶に似ていることから「缶詰校舎」と呼んでいたという。
中へ入らせていただくと、まずは円形のホールが出迎えてくれ、その周りに教室や校長室、職員室などが取り囲んでいた。ホールには卒業生が制作した校舎の模した立体模型が展示されていた。
※ 玄関を入ると写真のような円形ホールが出迎えてくれました。左右に階段があります。
※ 卒業生が制作した校舎模型です。ホールの左右に一階と二階の模型が掲示されていました。
※ この平面図はおそらく閉校時の平面図だと思われます。
※ 校長室は資料室的に使用されていました。
階段はホールの左右に二つ設けられていたが、学校では上り階段と下り階段を区分けして使用していたという。
※ こちらは上り専用階段です。
2階へ上がると主として学年の教室が取り囲んでいた。教室の形はちょうどバームクーヘンを8等分した形の一片を切り取ったような形をしていた。黒板は中心方向にあり、子どもたちは窓を背にして黒板方向に向いて学習をしていたようだ。建設当時、2階の教室には天井から外光を採り入れるガラスがはめ込まれていて(その後の改築でガラスは取り外されたようだが)、明るい室内だったようだ。
※ 学年の教室です。扇形の中心に黒板が設けられていました。
※ 教室の背後にあたる窓際です。
※ 図書室として使用されていた部屋です。
ともかく当時としてはずいぶん斬新な校舎だったようだ。資料によると円形校舎のメリットは、廊下や壁が節約できるために建設費を抑えることができる。また、採光が児童の後方から受けるということで理想的といえた。しかしまたデメリットもあった。教室が扇形のため机の配置などが難しい。児童数が増加した際の増築が難しい。非常時の経路が中央の階段に限られる。等々の理由もあって校舎建築の主流とはなり得なかったようだ。
ただ、子どもたちは道内でも数少ない円形校舎に誇りをもっていたという。長い廊下で繋がっている一般の校舎と比べ、休み時間になると中心にあるホールに集い、学年の分け隔てなく交流できたことは、この校舎で学んだ子どもたちとって何より大きなメリットだったのではないだろうか?
※ 写りは悪いですが、ウェブ上から拝借して校舎の空撮の写真を載せました。
私と一緒に見学された二人の主婦は、この学校の卒業生だったようだ。当時の写真を持ってきて懐かしそうに振り返りながら談笑していた。その表情からはやはりこの学校の卒業生だったことに誇りのようなものを抱いているように私には見て取れた。
東京オリンピックの競歩・マラソン競技に沸いた札幌都心はすっかり旧に復したかと思っていたが、まだまだ復旧作業の真っ最中だった。一方、意外な光景にも出会った。
男子のマラソン競技を観戦して以来、近所のコンビニに買い物に行くか、清掃ボランティアで戸外へ出るくらいで、ほとんど家を出ることがなかった。
それが本日、街中へ出なければならない用件があり自転車で出かけた。その帰路、オリンピックのために大通公園に建てられた各種施設はどうなっているだろうか、と気になったので立ち寄ってみることにした。マラソン競技を終え、すでに2週間近く経っているのですっかり片付いて、旧に復しているのではと思っていたのだが…。
しかし、大通公園に行ってみるとまだまだ元に戻すための工事の真っ最中だった。私は 関連施設は大通公園の3丁目広場と4丁目広場に設けられていたと思っていたが、今日行ってみて2丁目広場も使われていたことが分かった。傍にいた警備員に伺うと、2丁目広場は競技役員やボランティアの控室の建物が建てられていたということだったが、まだ金網の柵やプレハブが残っており、最も撤去が遅れているようだった。
※ 2丁目広場は、鉄柵がまだ残り、プレハブの建物も解体前と最も撤去作業が遅れている?
3丁目広場は各国の国旗などが立っていたところだが、もちろん国旗などは片付けられていたが、芝生の上を覆っている鉄板などはまだ敷かれたままだたった。
※ 3丁目広場は鉄柵は撤去されていたが、大型クレーンなどが残りプレハブ解体が進んでいた。
最も撤去作業が進んでいたのは4丁目広場だった。周りを囲っていた鉄製の柵は取り除かれ、プレハブの建物なども撤去されて機材などを運び出すだけの段階となっているようだった。
※ 4丁目広場はプレハブなどはすでになく、作業は機材の搬出だけとなっているようだ。
考えてみると4日間のオリンピック(札幌の場合)のために一か月以上(二カ月?)前から準備に入り、競技を終えてからも2週間近く経っても元に復していないということだから、改めてオリンピックというイベントがいかに大きく、特別な大会であるかを改めて教えられた思いである。
いずれにしてもここ一週間以内には元通りの大通公園に復するのではないかと思われる。
さて、意外だと思ったのは大通公園の10丁目広場に立てられていた「オリンピックモニュメント」である。東京などではすでに撤去され、代わりにパラリンピックのモニュメントが立てられているとニュースが伝えていたので、札幌のものも撤去されたものと思っていたのだが、なんとまだまだ健在(?)だった。今日は土曜日ということもあって人だかりまで出来ていて、ちょっとした観光名所になっていた?いつまで立てておくのだろうか?それとも永久保存?
※ 腰かけている人たちはそれぞれモニュメントの前に立ち記念写真(?)を撮っていた。
オリンピックとは全く関係ないのだが、大通公園と道路一つ隔てて立つ北海道を代表する銀行の建物の壁面のウィンドウに日本ハムファイターズナインのプレーする姿がイラストで描かれていた。その中で最も大きく描かれていたのがこのほど巨人に移籍が決まった中田選手のイラストだった。「バチバチはとまらない」という文字と共に…。銀行も突然のことで困惑しているのではないだろうか?
いつも言うことだが、比較的歴史の浅い札幌の街は歴史的建造物も少なく、興味のある街の光景に出会うことも少ない。それでも子細に見ると、それなりに興味のある光景に出会うことがある。そんな街中の光景をスケッチした。
一昨日、プロ野球観戦で札幌ドームに向かう際、交通機関を使わずウォーキングで向かうことにした。我が家から札幌ドームまでは14.8キロあった。私はできるだけこれまで通ったことのない道、歩いたことのない道を選びながら札幌ドームに向かった。そうしたこともあり、私が現在取り組んでいる「ロングウォーク」のカテゴリーに入れずに敢えて「札幌ぶらり散歩」としてレポすることにする。
えっ!?札幌にシーサーが??
我が家をスタートしてそれほど時間が経っていないときだった。ある民家の車庫の上に、沖縄の家々の屋根に見かけたシーサーの置物が鎮座していた。札幌市内では某マンションの入口にライオン像が睨みを利かしているのに出会ったことはあるが、民家では初めての対面だった。もしかすると、某マンションのオーナー様の住宅なのかな?
※ 沖縄のシーサーの写しなのか?それとも単なるライオンの像なのか?
広~い、広~い、脇道
道路幅が広いといわれている札幌の街でも、さすがに脇道に入ると狭く車がすれ違うのがようやくといった狭い道がほとんどである。ところが時々何らかの経緯で広いままの脇道になってしまったところがある。この日もそんな無駄(?)に広い脇道に出会った。はたさて、近隣の方々はその無駄(?)に広い脇道を有効活用しているのだろうか?
※ ふつうの脇道はこれくらいの道幅なのですが…。
※ ご覧のように広~い脇道はどのような利用方法があるのでしょうか?
賑やかに飾り立てたお家は?
田舎の街を走っていると、庭先に廃ペットボトルを使った風車が満艦飾のごとく風を受けて回っている光景にぶつかることがある。きっと現役を引退されたお爺ちゃんが暇を持て余して作られたんだろうなぁ、などと思いながら眺めたものである。ところがその都会版(?)が札幌の街中にあったのだ。何やら多数の小さな鯉のぼりが空を泳いでいると近づいてみると、鯉のぼりだけではなかった。さまざまなものが綱にぶら下がっていた。そして周りには何やら手作りらしき飾りがたくさん並んでいた。う~ん。この光景を周りの人はどのように見ているのだろうか?(所在地はあえて記さないことにします)
※ 鯉のぼりだけではなく、いろいろなモノも一緒に泳いでいます。
※ 庭の前にはこのような飾り物も…。
伝説(?)の平岸高台公園
伝説の…、と言われても関心のない方には「何それ?」と鼻でせせら笑われるかもしれない。「平岸高台公園」は、HTB・TVが制作した深夜番組で、後には全国的に評判を呼んだあの「水曜どうでしょう?」のオープニングとエンディングを飾る重要な舞台となった公園である。公園は傾斜のある芝地となっており、奇妙奇天烈な衣装に身を包んだ大泉洋や鈴井貴之が今にも坂の上から現れてきそうな雰囲気だった。なお、公園は「水曜どうでしょう」の聖地と呼ばれているそうである。
※ 今にも大泉洋があの松の木陰から現れてきそうな雰囲気です。
と以上、脈絡のない「札幌ぶらり散歩」でした。
白い雪に真っ赤なナナカマドの実が映えますねぇ。二宮尊徳も今や忘れられる存在なのでしょうか?札幌では比較的古い街並みの琴似の西市役所周辺を歩いた。
どうやら札幌においても「ぶらり散歩」は厳しい時期となってきたようだ。道内各地ではかなりの積雪のニュースが流れても、今年の札幌は小雪傾向が続いていた。それがようやくこの2~3日路上に雪が目立ち始めてきた。今日はその雪が路上からやや消えかかっていたので、西区民センター図書室にDVD資料を借り出しに行った帰途、西区役所の周辺を歩いてみた。そのときも雪がちらほら舞っていた。こうなったら、早く雪が積もってスノーシューの季節が到来してほしいと思っているのだが…。
白い雪景色の中に真っ赤なナナカマドの実が…
西区役所脇の道路の街路樹はナナカマドだった。そのナナカマドは葉をすっかり落としていたが、真っ赤な実は鈴なりだった。周りが雪景色だったこともあり、赤い実の色が とても印象的だった。しかし、雪模様だったこともあり光量が不足していて写真では目で見たほど鮮やかでないのが残念である。接写の写真はフラッシュ使ったのだが、かえって不自然な色になってしまった。真っ赤な実は想像でお楽しみください。
二宮金次郎像も日陰の存在なの?
某小学校と記しても、“西区役所界隈”というと直ぐに特定されてしまうだろうが、ちょうど校舎の裏側を歩いていたら見慣れた“二宮金次郎像”が目に入った。そこは職員の駐車場の入口であり、学校プールの脇だった…。多くの児童の目に触れやすい場所とはお世辞にも言えない場所である。
設置場所についてはいろいろと議論を重ねた結果が今の場所なのだと思われるが、年配の私としてはちょっと寂しい思いがしたのは事実である。像の台座には「まこと」と記されていた。
比較的古い町並みはやはり混在地域であった…
西区役所付近は札幌市内の中でも、早くから琴似屯田兵村として開拓が比較的早くから行われたせいもあって、さまざまな要素が混在した街と私には映った。特に目立ったのが小規模のマンションというか賃貸と思われるアパート群が目立った。これは周りを開拓した子孫が周囲の市街地化に伴い、土地の有効活用のために賃貸アパート(マンション)を建設したのではと思われた。周りは戸建て住宅や町工場などとともにこうした建物が目立った地域だった。
「札幌ぶらり散歩」が私自身の健康づくりにも有効なことを今さらながらに気づいた思いだったが、雪が降ってはそれも難しい。しばらくの間は休まねばなるまい。