田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌ぶらり散歩 17 えっ!? これでも大丈夫?

2014-10-31 18:55:55 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 中央区を歩いているときだった。突然、空中に飛び出したようなテラス状の建物が目に入った。えっ!?これでも大丈夫なの? 

 この日(10月27日)は自宅から中央区役所の西側を巡って歩いた。
 ところがなかなか私の琴線に触れるような光景に出会わない。やはり都心に近いところは再開発が進み、ビルが多くなってダメなのかなぁ、と思い始めたところでちょっと面白い光景に出会った。

               

 小路を入ったところに「焼きたてパン」という幟が目に入った。(中央区南2条西12丁目)パン屋さんである。その建物に目をやると、3階部分が建物からかなり外側に飛び出しているのだ。
 「えーっ、大丈夫なの?」とまず心配になった。
 よく見ると、下から金属の棒状のもので支えられている。それでも飛び出ている部分は2m近くあるのではないだろうか?3階の部屋のテラスになっているようだった。

               

 かなり都心に近いところだから、違法建築ということではないと思われるのだが…。ただ、見ている側に「大丈夫かな?」と思わせるほど飛び出たテラスだった。
 ただそれだけのことで、そこには想像を掻き立てるようなエピソードも浮かんでこなかった…。

               

 とまあ、少しインパクトに欠ける話題であるが、この日は一万歩以上歩いてもこれ以上のことには出会わない不作な一日だったぁ…。


          

 ところで、「札幌ぶらり散歩」の際の私の外見だが…。
 最近は私たちのようにリタイアした人たちが街中を歩く姿がかなり多くなってきていることを実感する。
 そうした人たちと街中で出会ったときの典型的なスタイルがキャップを被り、ザックを背にしていることである。確かに機能的なスタイルなのだが、なんだか「徘徊族」のユニフォーム化しているようで気になっているのだ。
 私も郊外などをウォークするときは雨具の用意や飲み物など荷物も膨らむのでザックは欠かせないが、市街地を歩くときにはできるだけそうしたスタイルを取らないように気を付けている。キャップは被らず、ザックも背にしないというように…。
 写真のカップル(?)などはまさに「徘徊族」スタイルから脱しようとしているご夫婦なのかもしれない…。

ロコモティシンドロームって?

2014-10-30 15:05:13 | 講演・講義・フォーラム等
 メタボリックシンドロームならすっかり耳慣れた言葉になったけれど、ロコモティシンドロームっていったい何なのか? う~ん、時代に附いていくのは大変なことじゃわい…。 

 少し時間が経ってしまったが10月20日(月)午後、かでる2・7において「道民カレッジ称号取得者セミナー」なるものが開催され参加した。
 その冒頭、北海道教育大の森田憲輝准教授が「加齢に伴う健康課題とその背景」と題しての基調講演があった。

 その講演の中で出てきた言葉が「ロコモティシンドローム」という言葉だった。
 この言葉の語源となった「ロコモティブ(Locomotive)」とは機関車のことである。人間でいう機関車とは各運動器官を指し、ロコモティシンドロームという言葉の意味は「運動器症候群」と呼ばれ、加齢に伴い各運動器に障害が表れ、「健康寿命の短縮」、「ねたきりや要介護状態」になってしまうリスクが高い状態を指す言葉だとのことだ。

 メタボリックシンドロームが「内臓の病気」が原因なのに対して、ロコモティシンドロームは「運動器の障害」という体の外部の原因によって、健康寿命が短縮したり、ねたきりや要介護状態になったりしてしまう高齢者が増えつつあるということだ。

 講演は、こうした内臓や運動器官の機能を保ち、症状の進行を遅らせる方策について示唆を受ける内容だった。つまり「健康に老いる」ということが私たち高齢者に求められていることであった。「健康に老いる」…、まさに私たち高齢者の誰もが求める姿である。

          

 さてそこでロコモティシンドロームに陥らないためには、ということだが…。
 まず講師の森田氏は当たり前のことだが「ヒトも動物」ということを強調された。動物であるからには健康のための運動は必須というわけである。
 メタボリックシンドローム & ロコモティシンドロームの予防には「運動が一番!」という、もはや常識といってもよい結論であった。
 その運動だが、厚労省が2006年に発表した「健康づくりのための運動指針2006」というレポートが今のところ最も信頼されているようだ。詳しい内容は省くが、指針に示したエクササイズを週に23エクササイズ消化することによって症候群の予防になるということである。そこで謳われたのが「一日一万歩」ということだったようだ。

 脚筋力を衰えさせないための「ロコトレ」の方法も学んだ。図のとおりなのだが、これは簡単で効果があるということから妻と一緒に実践してみたいと思っている。

          

 私たちが健康に老いるために「運動が大切」ということ百も承知なのだが、それを実践するとなると難しい。「分かっちゃいるけど、続かない」というのが偽らざる本音である。しかし、コトは自分自身のことである。今回の講演を機に実践に移したいと思ってはいるのだが…。

札幌ぶらり散歩 15 お尻隠して…

2014-10-29 14:51:45 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 この光景を目にした時には思わず笑ってしまった。こうした楽しい光景に出会えるのも「札幌ぶらり散歩」の大きな楽しみである。 

 「札幌ぶらり散歩」を楽しんでいると、さまざまな光景に出会う。私にとっては楽しい一瞬一瞬である。
 私はそうした光景を楽しんでいるが、今のところそれ以上の取材は考えていない。つまり外観だけを切り取り、それをレポートしようとしているのだ。そして私はその光景を私なりに解釈して、想像して楽しんでいる。したがって、真相はまったく別なところにあることもおおいにあることだろう、とも思っている。

          

 さて、本日の話題であるが、その光景を目にした時、笑うしかなかった。
 「八軒湯」を目にした同じ日に、そこからあまり離れていない住宅街でその光景に出会ったのだ。(八軒3条東1丁目)
 その光景とは? 建物の一階部分にある車庫から車のフロント部分が飛び出しているのだ。これから車を使用するためにちょっと車を出しているというのとは明らかに違う状況である。
 車庫の上の部分のシャッターは降ろされ、車の横の部分は木枠で閉じられている。明らかに車庫に収めたものの、車庫の長さが足りなくてフロント部分が飛び出ている状況なのだ。「お尻隠して、頭隠さず…」の状況である。

          

 建物を見てみると、2階建てで4~5戸が入居する賃貸マンションのようだった。そのマンションに附属した駐車場と思われるが、短いサイズの車しか駐車できないものだったのだろう。そこへ普通サイズの車の所有者が入居を申し込んだために、こうした光景が現れてしまったのでは、と想像してみたのだが…。
 わざわざ車の横の部分を木枠で閉じているところをみると、車の所有者もいろいろと工夫されたのだろうなあ、と思われる光景であった…。

          
          ※ 話題の車庫があった小規模の賃貸(?)マンションの建物です。

 次に新車を購入する場合は車種の選択の幅が限定されてしまうことになりそうだ。

5シーズン目のボランティア終了!

2014-10-28 20:23:15 | ボランティア
 マンションに居住する方々と語り合って始めた近代美術館前の歩道の清掃活動であるが、今年で5年目を迎えていたが、今年も15回の活動を今日終えて、今シーズンの活動の終了とした。 

 ボランティアに取り組んでいることを声高に語ることなどあまり歓迎されることではないと思っている。しかし、年に1~2度くらいはそのことに触れても許されるのかな?との思いから、本日の話題にすることにした。

               
               ※ 会の会報も数を数えてついに100号に達しました。          

 ボランティアを始めたキッカケについては過去にも触れているので割愛するが、今年も4月から2週間に1度程度の割合で、早朝にみんなで集まり清掃活動に取り組んできた。 
 今年は花壇の維持・管理活動も含めて合計15回の活動を行うことができた。

          
          ※ 竹ぼうきを手に枯れ葉を掃き集めます。

 今年の嬉しい出来事としては、新たに2家族の方が入会してくれたことである。
 お一方は、私と同年代の男性の方が入会し、熱心に活動に参加してくれている。(男性の会員の入会ということが何より嬉しい)
 またもうお一方は近年入居した方だが、若いながらも私たちの活動に共感し、入居直後に入会し活動に参加されている。この方は小さなお子さんを連れて活動に参加してくれている。この女の子が小さなホウキを手に健気に清掃する姿が可愛くて、会員の中ではすっかりアイドルとなって、早朝の空気を和ませてくれている。

          
          ※ 掃き集めた枯れ葉はボランティア袋(札幌市提供)に詰めてストックヤードへ。

 苦笑せざるを得なかったのは秋口に入ってからである。ご存じのように近代美術館前の歩道は樹木が覆いかぶさるように繁っている。いくら掃き清めても、直ぐに枯葉が落ちてくる。歩道がきれいな状態を見せるのはほんのひと時である。それでも私たちは「一瞬でもきれいな状態に」と活動を続けてきた。

          
          ※ 写真のような状態はほんの一瞬で、瞬く間に枯れ葉が歩道を埋めてしまいます。

 気になっていることが一つだけある。それは近代美術館側から何の反応もないことだ。
 ボランティアが自発性・無償性・奉仕性を基本としていることは十分承知しているが、しかしそれは対象からの何らかの反応がそのモチベーションになっているのではないだろうか? そうしたことをあまり気にせず参加してくれている方々の中からもさすがに疑問の声が上がるようになってきた。近代美術館側にも言い分はあるのかもしれないが、悲しい現実である。
 グループを主宰している私としては何らかの反応があることを望みたいが、それはそれとして私たちは身体が動くかぎり来年以降も活動を続けたいと思っている。(言いたいことが山ほどあるが、ここはグッとこらえて…)

札幌ぶらり散歩 14 昔ながらのお風呂屋さん発見!

2014-10-27 15:28:21 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 八軒には昭和の香りがぷんぷんするような懐かしいお風呂屋さん(銭湯)があった!今や残り少なくなったといわれる銭湯だが、時代の波に抗いながら懸命に闘っているように見えた。

           

 銭湯? そんなに珍しくはないだろう、と言われる方もいるかとは思うが、いわゆる今流行りのスーパー銭湯ではなく、昔からあるような銭湯はもはや消えつつある存在と云えるのではないだろうか?そんな昔風の装いのままの銭湯を八軒地区の住宅街で発見したのだ!
 その名もそのものずばり「八軒湯」(八軒5条東1丁目)という。

           
  

    
 その外見はテレビドラマで一世を風靡した「時間ですよ!」に登場する「松の湯」を彷彿させるような外見だった。
 外壁の上部には「ラドン風呂♨八軒湯」と大書されていた。
 そして入口にはちょっと時代がかった暖簾がかかり、ちょっと中を覗かせてもらうとやはり時代を感じさせる営業案内の札がかかっていた。

          

 内部もかなりレトロ感いっぱいのようだ。
 帰宅してから、ウェブ上を探ると内部を写した写真が公開されていたので、拝借することにする。
 下駄箱、そして籐で編んだ脱衣籠、さらに時代がかった按摩器と完璧である。

          

          

 建物の裏に回ると、大きな小屋があり、そこには燃料となる薪や廃材が山積みされていた。ちょうど主人らしい人がいたので「お風呂の燃料ですか?」と伺ったところ「そうだ」との答えが返ってきた。
 ご主人はかなり高齢のように見えた。おそらくご婦人と「自分たちが元気なうちは頑張ろうよ」と話し合っているのかもしれない。

          

 時代の波には抗えず街の風景が変わっていくのは(いや、八軒湯がなくなっていくということを言っているのではない!)いかしかたない面もあるが、近代化された住宅街の中にこうした光景を目にすると、なぜかホッと気が和むのも正直な心境である。
 感傷に浸っているだけでは問題解決にはならないのだが…。

田中陽希さん 遂に快挙達成!

2014-10-26 14:42:01 | スポーツ & スポーツ観戦
 総移動距離7,800km、日本百名山を登り降りした累積標高100,000mを人力だけで移動すること7ヶ月、今日彼は最後の利尻岳の登頂を果たし、その過酷な挑戦を成し遂げて見事に快挙を達成したという。 

          

 拙ブログで一週間前に取り上げたプロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんが、本日早朝から日本百名山の最後となる百座目の利尻岳に登頂し、午前11時15分、無事に登山口の利尻富士町に帰り着き、快挙が達成したことを彼のHPが伝えてくれた。

               
       ※ 田中さんが掛けているメダルは途中で知り合った島根県の保育園児から贈られたそうです。

 その過酷な挑戦の様子をNHK・BSプレミアムで、そして彼のHPで追い続けた私としては我がごとのように嬉しいニュースである。
 特に最後の利尻岳はいまや完全な冬山と化しているだけあって、2日前には8合目まで達しながら、強風のために登頂目前にして引き返すというこれまでにない経験もしたうえでの達成であった。

                    
          ※ 利尻岳山頂での田中さんです。山頂には写真のような祠があるようです。
            いつも彼は自分の携帯で自らシャッターを押しているようです。ですからいつも紙をくわえて写っています。

 その前の利尻島へのカヌーでの横断のことについて、まだHPでは触れられてはいないが冬の荒れた海に相当に手こずったようだ。パドルを漕ぐ手の皮が剥けていたと伝えられている。

 北海道の山で百名山に含まれる山は9座のみである。(羊蹄山、幌尻岳、十勝岳、大雪山、トムラウシ、阿寒岳、斜里岳、羅臼岳、利尻岳)
 しかし、この北海道を自分の足で移動するとなると、実に1,400Kmの移動を要したということだ。考えただけで気の遠くなる距離である。
 その北海道における田中陽希さんの健闘ぶり詳しく知ることができるのは、NHK・BSプレミアムで11月22日(土)午後9時から放送される。
 まだ一か月後のことだが、今から待ち遠しい思いである。

            

またまた合田一道節に酔う

2014-10-25 22:25:29 | 大学公開講座
 受講するのは今回で何回目だろうか?今年もまた札幌学院大学のコミュニティカレッジにおいてノンフィクション作家・合田一道氏の「古文書に見る歴史の変換点」を受講した。何とも心地良い合田節を聴きながら日本の歴史の一コマに思いを馳せた。 

 今年のコミュニティカレッジ「古文書に見る歴史の変換点」は、10月9日、16日、23日の3回にわたって開講された。
 その3回の内容は次のようなものだった。
 ◇10月 9日(木) 「会津戦争と集団自決を読み解く」
 ◇10月16日(木) 「『雨窓紀聞』を用い箱館戦争を読み解く」
 ◇10月23日(木) 「『大津事件』から大津事件を読み解く」
というものだった。

 「会津戦争と集団自決を読み解く」では、白虎隊の集団自決から唯一生き残った飯沼貞吉が事件後に話した内容を報じた官許新聞「天理可楽怖(テリガラフ)」第3号と、会津家老西郷頼母が書き残した「栖雲記(せいうんき)-一名雨の名残‐」を用いて、事件の真相に迫った。
 なお、飯沼貞吉はその後、札幌郵便局の工務課長を務めたということだ。私たち札幌人には不思議な因縁を感じるエピソードでもある。

               
               ※ 白虎隊で唯一生き残った飯沼定吉翁です。

 「『雨窓紀聞(うそうきぶん)』を用い箱館戦争を読み解く」では、旧幕府脱走軍の榎本武揚に仕えた小杉雅之進が投降後に獄中で綴ったものであるが、榎本軍側から見た箱館戦争についての回想録である。
 この「雨窓紀聞」であるが、もともとは小杉雅之進が「麥叢録(ばくそうろく)」と題して友人・知人に配布していたところ、何者かが題名を「雨窓紀聞」と変え著者名はそのままにして世に出したということだ。困った彼は改めて「麥叢録」を出版し、「雨窓紀聞」を絶版にしたらしい。
 不思議なのは絶版になったという「雨窓紀聞」が現代になって私たちの講座に用いられているというのは何故だろう?

          
          ※ 講義をするノンフィクション作家・合田一道氏です。
               
 「『大津事件』から大津事件を読み解く」は、明治24年、来日中のロシア皇太子が警備中の警察官に襲撃された事件(大津事件)であるが、この講座では古文書ではなく、合田氏の著書「日本史の現場検証-明治・大正編-」を読み進めることが主であった。併せて、皇太子が負傷した際に避難した太物商の永井長助が著した「露国皇太子殿下御遭難紀文」を読み進めた。
 当時の大国、ロシアの皇太子を襲うという前代未聞の事件は当時日本国内を震撼させた事件だったことが伝わってくる思いだった。

               
               ※ 合田一道氏が著し、今回の講座でも扱われた「日本史の現場検証」です。

 いずれの事件も興味深く受講することができたが、合田氏の講義の素晴らしさは、事件があった現場に全て出向いて、関係者に取材を重ね、その場の空気から感じ取ったことを伝えてくれることだ。そのことが聴いている私たちには独特の臨場感を伴って聞こえてくるのである。

札幌ぶらり散歩 13 蔦の葉に占拠(?)された家

2014-10-24 16:16:34 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 その家は建物も、建物の塀も、まるで蔦の葉にすっかり占拠されてしまったかのように覆われてしまっていた。その異様さに私は驚いてしまった…。 

 この日(10月21日)私は久しぶりに西区を散歩することにした。というのも、このところ中央区を中心に散歩をしていたのだが、なかなか「これは!」と思えるような光景に出会えず少々スランプ気分を味わっていた。
 そこで気分を変えようと、JR函館線の北側、八軒地区を歩いてみようと思ったのだ。
 ところがここでも初めのうちは特筆すべき光景には全く出会えなく、「なかなかおもうようにはいかないものだわい…」と思いながら散歩を続けたのだった。

          

 歩く歩数が5千歩を超えたころだったろうか? 住所的には八軒3条東2丁目付近だった。遠目に大きな木にツル性の植物が巻き付いているのが見えた。何という大木か判別しかねたが、その幹に赤く色づいた蔦の葉が絡まっていた。

               

 大木ばかりに目を奪われていたが、近づくと何とそこの建物の周りも蔦の葉に覆われているではないか。建物ばかりではない。建物を取り囲む塀もすっかり蔦の葉に覆われてしまっていた。
 面白いのは塀の蔦の葉は赤く色づいているのに、家の壁を覆う蔦の葉は全体としてはまだ緑色だったことだ。家を覆っている蔦の方が多少は低温から護られているからなのかもしれない。

          

          

 建物は住宅風ではあったが、一般住宅としては使われていないようだった。小さな看板が架かっていたが、住宅関係の工事を請け負う会社の事務所のようだった。
 建物を覆っている蔦の葉は意図的に育てているというよりは、蔦の葉が繁茂するも社業が忙しくて世話する時間がないために蔦が伸びるに任せているという感じだったが、はたして真相はどうなのだろうか?

          


この日、前半は不調だったが、この後からは次々と楽しい光景、面白い光景に出会えた散歩だった。
「札幌ぶらり散歩」楽しんでいます。


※ 今日はプロアドベンチャーレーサーの田中陽気氏の日本百名山登頂挑戦の100座目の利尻岳登頂のニュースを投稿予定だったが、田中氏は8合目まで登ったものの、悪天候で強風のため登頂を断念したらしい。登頂途中で引き返すことはこれまでの99座ではなかったとのこと。利尻岳がすでに完全に冬山になっているという証拠かもしれません。田中氏は好天を待って再挑戦するとのことです。

石狩湾岸 サケを巡るバスツアー

2014-10-23 16:16:48 | 環境 & 自然 & 観察会
 一日中バスを駆って石狩湾岸を巡り、サケに関した箇所を見て歩くツアーに参加した。専門家の解説付きでありながら参加料は無料、しかも道民カレッジの単位6単位が取得できるという超お得なツアーだった。 

 10月18日(土)、「石狩湾岸 サケを巡るバスツアー」なるものに参加した。
当初、主催は石狩市の主催と思っていたのだが、実際には「石狩湾自然史ネットワーク」という石狩市、小樽市、札幌市の博物館関係者でつくるネットワークが主催ということだった。
 巡ったところは次のとおりだった。
 ◇青島 ~ サケの定置網の様子を遠望する。
 ◇厚田キャンプ場 ~ 厚田川に遡るサケの様子を観察する。
 ◇古澤漁港 ~ 昼食を摂りながら漁港内でチカ釣りをする人たちと談笑する。
 ◇いしかり砂丘の風資料館 ~ 縄文遺跡から発掘されたサケ捕獲装置を見学する。
 ◇石狩弁天社 ~ サケ漁で賑わった石狩浜を護った弁天社を見学する。(ここで嬉しい出会いがあった)
 ◇石狩紅葉山49号遺跡 ~ 縄文時代のサケ捕獲装置が発掘された遺跡をみもの見学する。
 ◇星観緑地 ~ 星置川に遡るサケの様子を観察する。
という盛り沢山の内容だった。

 それぞれの見学地において、新たに獲得できた知見、あるいは感想を綴ることにする。
 まず、サケの定置網についてだが、潜水技術の発達が定置網漁法をより有効な手段とできるようになったという話は耳新しかった。定置網を設置する場合に潜水士が重要な働きをしていることを初めて知ることができた。

          
          ※ サケ漁の定置網が張られている様子を遠望しました。

 厚田キャンプ場内を流れる「厚田川の支流」は川の幅が僅か2m程度の川である。その川にサケが群がるように遡っていた。川に近づくと微かに腐臭が感じられた。それもそのはず、川辺には産卵を終え、力尽き果てた相当の数のサケがすでに横たわっていた。その横を、懸命に上流を目ざすサケの姿もまた目立った。

          
          ※ 勢いよく川を遡ろうとするサケがいたかと思うと…。

          
          ※ 体を横たえているサケ、すでに息絶えたサケを見ることができました。

 「古澤漁港」はチカ釣りの人たちとも談笑したが、海岸沿いの断崖に見事な地層を見ることができたのが印象的だった。

          
          ※ 古澤漁港の近くで見られる見事な地層の筋です。

 「いしかり砂丘の丘資料館」では紅葉山49号遺跡から発掘された縄文時代のサケの捕獲装置について、実物を見ながら説明を受けた。約4,000年前の木製の捕獲装置が現代までほぼ腐食せずに残ることができたのは、周辺に絶えず湧水が出ていためバクテリアなどが発生しなかったことで奇跡的に保存されていたということだった。こうした木製の装置が発掘されたのは世界的にも珍しい発見だということだ。

          
          ※ 「いしかり砂丘の丘資料館」に展示されている縄文時代のサケを捕獲するための木製の柵です。

 「石狩弁天社」は海上の安全、豊漁を祈願した地域の神社がその始まりであるが、特にこの神社には「妙亀法鮫大明神」という神様が祀られていることで知られている。つまり弁天社には亀に乗った神様(妙亀)と鮫に乗った神様(法鮫)の2体が祀られている。亀は和人の仏教を反映し、鮫は「チョウザメ」のことで、サケ漁に携わったアイヌの人たちがチョウザメを「石狩川の主」として敬ったことから、アイヌの信仰を反映したものとして祀られているとのことだった。

          
          ※ 「弁天社」の前で説明するボランティアガイドの石川治氏(白い上着)です。

 この石狩弁天社についての説明は、「いしかりガイドボランティアの会」の方が務めてくれた。この時のガイドがなんと私が石狩市民カレッジ「不思議いっぱい! 石狩川河口」の講師であった石川治氏だった。
 実は石川氏と再会する前日のことだった。石川氏が偶然にも私のブログの存在を知って、「不思議いっぱい! 石狩川河口」の講座の感想を投稿していていたブログを発見されたということで、私のブログを石川氏のHPにリンクしても良いか、という問い合わせがあったのだった。もちろん私はすぐさま了解の返信をしていたのだが、まさかその次の日にお会いできるとは夢にも考えていなかったので、その偶然に驚いた。石川氏もずいぶん驚かれていたようだった。
 この日の石川氏の説明も、氏の博学ぶりがいかんなく発揮され、弁天社のことをより深く理解することができたひと時だった。


 バスは「紅葉山49号遺跡」(現在は発寒川の遊水池になっている)を訪れたが、そこは微かに砂丘だった痕跡は残すものの、素人目には何も気づかないほどの原っぱだった。

          
          ※ 「紅葉山49号遺跡」跡です。現在は発寒川の遊水池になっているとのことです。

 そして最後の「星観緑地」のところを流れる星置川に架かる橋上から遡るサケを見学しようと計画されていたのだが、前夜来の雨で川が増水していたこともあって、サケの姿を見ることは残念ながらできなかった。

          
          ※ 星置川に架かる橋上から川を遡るサケを見ようとしたのですが…。

 このように内容の濃いバスツアーだったが、その箇所、箇所で専門の学芸員の方が解説してくれたのは何より参考になった。
 その中で学芸員の方が強調されていたことがあった。それは海と山が互いに栄養分を交換しているという話だった。
 森を整備し、森を育てることで海中の植生物に必要な栄養分を供給し、それが魚たちの成長に大いに寄与しているということだ。一方、魚とくにサケは上流まで遡り、そこで死に絶えることで森の木々たちに栄養分を供給しているという。
 つまり今回のバスツアーは、山と海の成分が互いに循環することによって自然界のバランスが適度に保たれているということを理解してほしい、という趣旨だったと理解した。

札幌ぶらり散歩 12 掲載はNGです!

2014-10-22 16:23:31 | 札幌ぶらり散歩 & Other
 円山地区にとても興味深い店が目に付いた。「ぜひともブログで紹介したい!」と思い店主に願い出たが、丁重に断られた。残念だがしかたない。ところがそこで店主と意外にも話が弾んでしまった。 

 その後も「ぶらり散歩」は順調に続いている。毎回コースを違えて、「これは!」と思う光景を探そうとしているのだが、最近はなかなか見当たらないことも多くなった。
 某日、円山界隈を散策しているときだった。北海道神宮の裏参道の近くの商店街の中に「なかよし商会」という名の商店が目に入った。
 近づくと、どうやら昭和時代の玩具などを扱う商店のようだった。「これは面白い!」と思い、店主の許可を得て店内を写させてもらおうとしたが接客中だったこともあり、断念した。

          
          ※ 店内はNGだったが、店の外観は許されるだろう。何とも気になる外観です。

 「なかよし商会」をどうしても忘れることができない私は、後日またそこへ赴いた。
 ドアを開けると、懐かしいブリキのおもちゃやセルロイドの人形などがところ狭しと並べられていた。そして店の奥の方から店主が現れた。
 私は来意を告げ、ブログに掲載させていただきたいと願い出た。すると店主は即座に「あっ、そうした類いのものは申し訳ないが全て断っています」と言われてしまった。テレビの取材も断っているとのことだった。

 そのように断られると、無理強いは禁物である。早々に退散しようとしたところ、店主の方から話しかけられた。「それより、あなた方の世代なら何か面白い玩具など家に残っていませんか?」と問いかけられた。
 これは商売熱心なのだろうか?それとも私に何らかのシンパシーを感じられたのだろうか?
 残念ながら、私は多少持っていたそうした類いのものも札幌へ出るときに全て処分してきたことを述べると、店主は大変残念そうな顔をしていた。
 そして私の願いを断ったことを多少気にされたのだろうか?「自分の店は札幌で最も古く、趣味の人などを相手にして、良心的な商売を心がけている」というようなことを私に語ってくれた。

 残念であるが、店外の様子を写した一枚だけを掲載することにする。
 昭和のレトロな玩具に興味がある方には必見のお店のように思われる。

 次の1枚(いや3枚になったが)は断られたわけではなく。街角の目立たないところに(南8西16付近)ちょっとおしゃれな建物が目に入った。帰宅して調べたところ写真家として活躍しているSAKAI Koji(酒井 広司)いう方の事務所らしいことが判明した。建物自体も新進気鋭の建築家の設計ということのようだった。

          
          ※ 住宅街にこうした建物を見つけると、とても気になります。

               
            ※ 酒井氏の代表作品だろうか?入り口ドアの横にこの写真が掲げられていました。

          
          ※ ドアの所に書かれていたこの文字が建物を知るための唯一の手がかりでした。

 寒くなってきた。「ぶらり散歩」には厳しい条件となってきたが、できるだけ歩き続けたいと思っている。自身の健康のためにも…。