田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

道美展 入賞おめでとうございます!

2024-09-14 15:26:13 | 作品展・展覧会等
 現在開催中の「道美展」(北海道美術作家協会展)の絵画部門において知人が北海道新聞社賞に輝いたことを知った。70人が出展する中で第3席(素人の判断だが…)に相当する入賞である。知人の長年にわたる研鑽に拍手を贈りたい。

     

 現在、札幌市民ギャラリーにおいて第56回の道美展が開催中である。昔、職場を共にしたOさんから開催を知らせる案内を受け取った。私は美術に関してはまったく疎く、関心も薄い。しかし、Oさんが出展しているとあってぜひ観賞してみたいと思った。というのも前々回の開催を私は偶然にも鑑賞する機会があり、そこでOさんの作品を観て他の作家とは違った淡い色遣いに興味をいだき、「今回はどんな画だろうか?」と興味をもったからだ。
 市民ギャラリーには、絵画、工芸作品、写真などの作品が市民ギャラリーのほぼ全館を占めるように展示されている様子は圧巻だった。
 私は全ての作品をじっくりと鑑賞するほど熱心ではない。ひたすらOさんの作品を探し求めた。するとまず「和」と題する作品が見つかった。期待どおりに淡い鮮やかな色遣いで日本の原風景のような田舎の景色が描かれていた。そこでOさんが道美展の「会友」であることを知った。

    

 Oさんの作品を観終わって、興味は入賞作品に移った。すると、奨励賞とか、会員賞、会友賞などの札が目に入ったが、大きな賞が見当たらない中、「えーっ!」と思わず声を出しそうになった。なんとOさんの二つ目の作品が「北海道新聞社賞」という札が付いているのを確認したのだ。作品名「回る!回る!」という100号の大作だった。色遣いはOさんの特徴である淡く明るい色調は変わらず、遊園地のメリーゴーランドの楽しい様子が描かれていた。
 「北海道新聞社賞」というのは絵画部門でいえば、「北海道知事賞」、「協会賞」に続いて第3席の位置付けのようだ。いやいや失礼ながらOさんがそれほどの実力者などとは知らなかった。素晴らしい快挙である!入賞おめでとうございます!
 Oさんのこれからの活躍にも注目したいと思う。

      
      

 ちなみに「北海道知事賞」は「白昼夢 Ⅰ」と題して札幌駅前の様子を描いた一枚だった。こちらは素人の私からも「さすが!」とは思ったのだが、「協会賞」に輝いた「集合写真2024」は作品全体が暗く、私にその良さは分からなかった。

    

       

 美術については腰が引け気味の私だが、食わず嫌いといわずに少しは関心をもちましょうか?

※ 絵画の写真については、私のカメラの性能が良くないために正確に撮れてはいないことをお断りしておきます。作者様には申し訳ありません。

さっぽろラウンドウォーク 事前踏査 セクション10

2024-09-13 19:57:32 | さっぽろラウンドウォーク
 体調を崩していたため久しぶりのロングウォークだった。本来なら事前踏査はセクション9なのだが、事情があり(後述)セクション10の「スズラン公園渓流口 ⇒ 地下鉄真駒内駅」間を事前踏査した。

      

 このところちょっと体調を崩していたため運動などは控えていたのだが、やや回復を見せ始めたので本日特に予定もなかったので懸案の「さっぽろラウンドウォーク」の事前踏査に出かけることにした。
 本来であれば今回はセクション9(アンデルセン福祉村 ⇒ すずらん公園渓流口)なのだが、セクション9のコースの大半は白旗山を縦断するコースなのだ。ということはほとんどが山道である。札幌の山道となると “ヒグマ” が懸念される。単独登行ではどうしてもその点が気になってしまう。そこで危険を回避してセクション10を先に踏査することにした。
 本日、地下鉄とバスを駆ってスタート地点の「すずらん公園渓流口」に向かい、午前10時05分、渓流口をスタートした。コンディションは曇り空、秋に入ったとあって気温も低めでロングウォークには適していた。

    
    ※ スタート地点のすずらん公園渓流口の広場です。

 コースはすずらん公園の渓流口を出て、道々341号線を札幌市内へ向かって進むが、直ぐに「モアイ像」や「頭大仏」で知られる「真駒内滝野霊園」に導かれる。霊園内を縦断するように進むが、霊園からイメージされる暗さはなく、公園内を往くような感じだった。

    
    ※ 観光客に大人気のモヤイ像(上)と「頭大仏」(下)です。
    

 一度、道々に戻るが、またまた「サンブライト」という新興住宅街に導かれた。真駒内の奥にこうした住宅街があることを初めて知った。
そして、「札幌芸術の森」、「札幌市立大学」の前を通り、「真駒内川」沿いの右岸、そして左岸を長々と歩かされた。

    
    ※ 札幌芸術の森の入口のゲートです。
    
    ※ 地形を利用した札幌市立大学の建物です。(上部の窓の階から奥に大学は伸びています)

 ここまでで休憩場所としては「真駒内滝野霊園」内で一度取り、昼食は「札幌芸術の森」の入口付近の東屋で適当かな?と見通しを付けた。
 「真駒内川」沿いを離れ、今度は道々341号線を跨ぎ、「石山緑地」に導かれる。「石山緑地」内の石のベンチで一休みもいいなぁ、と目途を付けた。

    
    ※ 石山緑地の入口に建つ、水が流れる彫刻スパイラルスプリングです。

 「石山緑地」から進み、旧定山渓鉄道の駅舎や札幌軟石性の旧石山郵便局を横目にし、今度は「豊平川」沿いに造成された「石山北公園」内の遊歩道をしばらく歩く。
 「石山北公園」を離れ、国道453号線の陸橋の下を潜り、北海道警察学校の前を通る「平岸通」をゴールの「真駒内駅」を目ざすが、途中から道路沿いを離れ、「真駒内駅」の背後に広がる通称「桜山」と呼ばれる「真駒内保健保安林内」に導かれ、真駒内駅直前で「桜山」を離れ地下鉄「真駒内駅」にゴールした。ゴール時間は14時30分だった。休憩、昼食時間を含めて所要時間約4時間30分だった。

    
    ※ 北海道警察学校の校舎です。
    
    ※ 桜山内の緑豊かな遊歩道です。

 距離はマップでは16Kmとなっているが、私の歩数計では18.3Kmと出ていた。おそらく10のセクション間でも最も長距離だと思われるが、コース自体はそれほど難しくない。ラウンドウォークの最後のウォーキングを楽しめるのではないか?と思えるコースだった。

    
    ※  ゴールの地下鉄「真駒内駅」です。

 ◇事前踏査実施日 9月13日(金)
 ◇事前踏査距離  約18キロ(マップ上では約16キロとなっているが…)


圧巻!ジミーオールスターズ & 鈴木聖美 in hitaru

2024-09-12 16:08:45 | ステージ & エンターテイメント
 圧倒的な音量、そして声量豊かな鈴木聖美の歌声、札幌文化芸術劇場hitaruの空間は耳をつんざくような大音量に包まれる中でJimmy All Starsの音を堪能した。ただ、最近こうしたコンサートから遠ざかっていたお爺にとってはどこかに違和感を持ちながらの2時間でもあった…。

    

 9月9日(月)夜、hitaruにおいてJimmy All StarsのPremium LIVE 2024に参加した。
 そもその私はこのLIVEに参加する予定などなかった。ところが!前日8日に「ギター音楽祭」に参加した際に、コンサートなどで良く顔を合わせる方と出会った。私はその方の名前も知らないのだが、顔を合わせれば挨拶するくらいの間柄だった。その方が私の席まで来て「お聴きになる音楽のジャンルにこだわりはありますか?」、「9日夜に何か予定はありますか?」と問うてきた。私は音楽のジャンルに特別こだわりはない。さらに9日夜の予定もなかった。すると「Jimmy All Stars Premium LIVE 2024」のチケットを「どうぞ使ってください」と差し出されたのだ。チケットの価格を見ると5,000円という価格に驚いて強く辞退したのだが「都合が悪くなったのでどうぞ使ってください」と強く勧められたので、いただくことにしてLIVEに参加したというわけである。

    
 Jimmy All Starsは、名ギタリストであった故ジミー東原氏がジャズミュージシャンたちに声掛けして、その都度集まり活動するというグループで、その後ジミー東原氏が亡くなった後もジミー東原氏の遺志を継いで活動を続けているグループである。その特徴は管楽器の実力者が揃っているということである。構成はトランペット3名、アルトサックス2名、トロンボーン、テナーサックス、バリトンサックス、各1名の8名の管楽器陣と、ピアノ、ギター、ベースギター、ドラムの全12名のバンドである。
 この日はその他にCrystal Snow Special Stringsという弦楽器陣8名がゲストとして加わった豪華演奏陣だった。
 LIVEは最初からノリノリでスタートした。「我が心のジョージア(Georgia on My Mind)」、「A列車で行こう(Take the “A” train)」とまずは耳馴染みの曲から始まった。その後からは司会の元STVアナの喜瀬ひろし氏が一つ一つ曲名を紹介しながら進行したが、私が耳慣れない曲であったことで、曲名もはっきりと聴き取れなかったことで紹介は叶わない。
 第1部の最後にはジミー東原氏の兄で、「株式会社 太陽グループ」の総帥・トランぺッターの東原俊郎氏が、太陽グループのCMのバックで流れるルイ・アームストロングの名曲「この素晴らしき世界(What a wonderful world)」をソロで披露した。
 第一部では途中からJimmy All Starsの専属歌手的な川島沙耶さんがクラシック畑の美声を披露した。

    
 第2部はゲスト主演で鈴木聖美が夫妻揃って(夫:ギタリスト)登場し、パワフルな歌声を響かせた。鈴木聖美は10数年前、毎年ばんけいスキー場で開催されていた「ばんけいミュージックフェスティバル」に毎回ゲスト出演していたが、久々の出演ということだった。帰宅して調べてみると彼女は御年72歳だそうだ。まったく年齢を感じさせないパワフルな歌声は驚くばかりだった。私にとっては彼女の歌う歌は全く未知の曲ばかりだったが、アンコールで披露した彼女の弟:鈴木雅之とデュエットでヒットした「ロンリー・チャップリン」が懐かしかった。
 とそれなりに楽しんだJimmy All Stars Premium LIVE 2024だったが、一つだけどうも馴染めないことがあった。それは、管楽器の音は生で十分音量が十分だと思うのだが、彼らの場合は一つ一つの管楽器の前にマイクが用意されていたのだ。彼らにとってはそれが当たり前のことだと思われるのだが、私のように門外漢は「なぜ、そこまで?」という思いが拭えなかった。それはまるで音の洪水で聴いている私たちの感覚を狂わすかのようにさえ感じてしまった。そのことで、ゲスト主演した弦楽器陣の音はほとんど私の耳には届かなかったのだ。(彼らの方にマイクはなかった)
 まあ、それがJimmy All Starsのコンセプトなのだとは思うが…。
 最近は私から見ると無駄にこうした拡声装置を使用している団体と時に出会うことがあるが、私的には「生の音を聴きたい」というのが本音である。


札幌の救急医療体制の今を知る

2024-09-11 17:53:48 | 「めだかの学校」関連
 札幌市の医療体制、並びに救急医療体制は他と比してかなり充実していることが理解できたが、課題がないわけではない。札幌市の担当者から、救急医療体制の今と課題についてお話を伺った。

 私が所属する「めだかの学校」の講座「賢いシニア生活を送るために」の第6回講座が9月3日(火)午後に開講された。講師は札幌市医療政策局ウェルネス推進課の課長が「急な病気になったら?~知っておこう!札幌市の救急医療体制~」と題してお話された。

   

 最初に札幌市の医療体制についてお話されたが、札幌市では今年4月現在、病院(ベッド数20床以上)が199ヵ所、診療所(ベッド数19床以下)が1,487ヵ所あるそうだ。この数は人口当たりでみると、病院は全国平均より多いが、診療所はやや少ないという。医師も札幌市は全国平均より多く、道内の地方では全国平均より少ない現状だそうだ。
 課題は、医師の労働時間の長さだという。現在、医師の診療時間は週平均53時間だというが、その他に待機時間や研修時間などに週17時間要しており、「医師の働き方改革」が課題となっているとのことだった。
 さて、救急医療体制であるが、札幌市の場合は救急隊が36隊、救急車が47台、救急隊員数が361名で、うち300名が救急救命士の資格を持っているとのことだった。なお、消防ヘリも2台所有しているそうだ。

   

 さて、その救急隊の出動状況であるが、昨年度の実績をみると出動数が実に119,872件あり、99,697人を救急車で搬送したそうで、救急車の出動数は右肩上がりの実状だという。
 問題は皆さまも想像されると思うが、搬送した被救急者の約半数が軽症の患者だったということだ。(つまり救急車を必要としないような症状での搬送)、さらに約半数が中症、重症患者はたった3%だったそうである。
 私は比較的札幌市の都心近くに住み救急病院も近いせいか、救急車のサイレンの音を聞くのが珍しくなくなっている。それくらい救急車の出動が日常茶飯事となっているということだ。
 救急車の出動数の増大は、救急車の所要時間の伸びにも繋がっている。最近は救急医療機関が減少傾向にあり、搬送する病院を探すことに多くの時間が費やされているという。現在救急車の所要時間は平均42.9分だという。そのうちのおおよそ2/3は救急搬送先を探すことに費やされているそうだ。
 つまり札幌市の救急医療体制は相当な危機的状況にあると云えそうだ。こうした状況を改善するためには、救急車の出動要請の改善だという。前述したように軽症患者が出動要請を回避すればたちまち救急医療体制の改善に繋がるというわけである。運営側としてそう考えるのはある意味当然とも言える。その改善策のとして強調されたのが「救急安心センター #7119」の利用を図ってほしいとの要請だった。「24時間365日看護師が相談に対応します」との謳い文句で、急な病気やケガで迷ったら「まず、救急安心センターさっぽろ」に相談してほしいと強調された。

          

 さらに講師は、ひとりひとりの心掛けとして、「診療時間内に受診する」、「普段から相談できるかかりつけ医を持ってほしい」、そして「救急車の適正利用を」と呼びかけ講義を終えた。
 講座を終え、私たちだけで交流を持ったが、最後に司会から代表としてまとめをしてほしいとの要請があった。私は「マスコミ報道などで救急車の不適切要請が増えていることが話題になっている。そのことはとても気になるが、いざ自分が急な病やケガに見舞われたとき救急車を要請すべきか否か迷うことがあるかもしれないが、その時は迷わず救急車を要請しましょう!」と呼びかけた。
 「大したことない」などと自己判断(素人判断)はせずに、自らの命は自らが守るためにも、迷った時には迷わず救急車を要請したい。迷ったこと自体が適正利用のことを心の片隅に置いている何よりの証拠なのだから…。

興味ある企画 札幌ギター音楽祭

2024-09-10 18:21:23 | ステージ & エンターテイメント
 興味あるとは…、札幌市民芸術祭「ギター音楽祭」はコンペティション形式をとっていることだ。ステージに上がったギター奏者の演奏は市民芸術祭大賞や市民芸術祭奨励賞の対象となっているのである。

 9月8日(日)午後、札幌コンサートホールKitaraの小ホールにおいて札幌市民芸術祭の「ギター音楽祭」が開催され、昨年に引き続いて鑑賞した。ギター音楽祭は「独奏部門」には〈小学生の部〉に3名、〈一般の部〉に7名の参加があり、「合奏部門」に4つの団体が参加した。このうち、〈一般の部〉が大賞や奨励賞の対象となるという告知だった。
 昨年は私が最も優れた演奏だと思われた方が奨励賞に輝いたのをみて、「これは面白い企画だな」と思ったのだが、今年も7名の中から「果たして大賞や奨励賞を受賞する奏者が現れるだろうか?」という興味を持ちながら演奏に聴き入った。
 〈一般の部〉の出場者は、予めオーデションが行われて通過した人だけが出場できるという仕組みだけあって、出場者のレベルは高かった。昨年度奨励賞を獲得した那須朱音さんも大賞に挑戦するため7名の一人として登場した。
 私は私なりに個人的な感想をメモしながら各人の演奏に聴き入った。そのメモには次のような記述が残っている。「う~ん」、「テクニックは相当。やや硬かった?」、「情感のこもった演奏。2曲目が…」、「歳に似合わず若々しく」、「ただ弾いていただけ?」、「聴かせた演奏。あるいは?」、「さすが!」などにメモが残った。
 那須さんの演奏は、やはり他の出場者と比べると一段上のレベルの演奏と感じられ、私の感想は最後の「さすが!」だったが、残念ながら大賞とはならなかった。
 残り6名であるが、3番目の演奏は1曲目が情感のこもった演奏で良かったのだが、2曲目に明らかなミスが2~3度あったのが残念だった。その点、6番目の演奏者は演奏技術も表現もまとまった演奏に聴こえた。
 演奏会の最後に審査員から結果が公表されたが、残念ながら今年は大賞も、奨励賞の対象者は無しという残念な結果となった。しかし、惜しくも受賞を逃した方もいたという講評があったが、それがどなただったのかは知る由もないが、あるいは私が「惜しい!」と感じた方だったのでは?などと夢想している。
 大賞、奨励賞の対象外だった〈小学生の部〉や「合奏部門」も楽しませてもらった。小学生の段階からクラシックギターに親しむことは将来楽しみである。
 「合奏部門」は、ギター教室等の指導者がいる教室の合奏が主であったが、「札幌室内ギター合奏団」はサークル的集まりのグループだったが、会員の高齢化が顕著だった。若者のクラシック離れが背景にあるような気がした。
 札幌市民芸術祭の「ギター音楽祭」…、ただ聴くだけではなくて結果を予想しながら聴くという企画は、なかなか興味深いものである。

歴史散歩~創成川の西と東

2024-09-09 21:31:47 | 講演・講義・フォーラム等
 札幌の街の始まりの地ともいえる創成川の界隈を歩いた。札幌の古き佳き時代を調べることをライフワークとしている案内人に連れられて興味ある数々のお話を聴くことができた歴史散歩だった。

 9月7日(土)午前、(一社)新渡戸遠友リビングラボが主催する「歴史散歩~遠友夜学校時代の創成川の西と東」に参加した。案内人は札幌建築鑑賞会代表の杉浦正人氏が務めた。

       
       ※ この日の案内人を務めてくれた杉浦正人氏です。

 私は以前に札幌建築観賞会が主催した「札幌軟石」製の建築物を探す催しに参加したことがあり杉浦氏は顔なじみの方だったが、杉浦氏は主として札幌の歴史的建造物を調べ、その保存に奔走されている方である。
  杉浦氏に案内されて見て回ったところは次の12ヵ所である。
① 都通に面する札幌軟石の元倉庫(現パタゴニア店舗)  南3条西2丁目
② 京城屋の小路(南北の仲通り)  南4条西1丁目
③ 竹山食品・Hさん宅  創成川界隈
④ 新渡戸記念公園  南4条東4丁目
⑤ 日本清酒工場・千歳鶴酒ミュージアム  南3条東5丁目
⑥ 三叉路  南2条東4・5丁目
⑦ 森田たま生家跡  南1条東4丁目
⑧ 創成川公園  
⑨ 豊平館跡 ハルニレの古大木 大通西1丁目
⑩ 「新渡戸稲造住居跡」銘板  北3条西1丁目
⑪ 札幌農学校演舞場跡碑  北1条西2丁目
⑫ 札幌時計台  北1条西2丁目
以上を見て回ったが、杉浦氏の説明の中で特に興味深かったのが、札幌の条・丁目がどのようにして定められたか?という説明だった。よく札幌市の街は碁盤の目状で分かりやすいと言われているが、実はそうでもない複雑さを内包している。

    
     ※ ②の京城屋の小路で杉浦氏の説明を聴く参加者です。

 札幌の街が本府と山鼻屯田兵村が別々に街づくりが行われた結果、その二つの街の道路の結節点で微妙に曲がっていることは「ブラタモリ」でも紹介され有名であるが、創成川界隈もちょっと複雑になっていることが説明された。もともと札幌の街は南北に貫く南1条通りを基本に道路割が決められていったそうだが、創成川の西側と左側では条・丁目区画の間に造られた仲通りが西側では南北に造られているのに対し、創成川の東側では仲通りが東西に通っている。これは東側が創成川の流れに沿って街づくりが進められたために、西側とは異なった通りが造られたそうだ。
 また創成川の西側は大きな通りを境に条・丁目が割り振られたが、東側は大きな通りに面する商店や事業所を同じ条・丁目とするために、条・丁目の境目が仲通りを境にして定められたという違いもあるそうだ。このあたりは、札幌を訪れた人たちには戸惑うところではないかと杉浦氏は説明された。
 札幌市の条・丁目の表示が大きな通りを跨いで定められていることに、もともと札幌人でない私は札幌に転居してから戸惑ったことがあったが、さらに複雑な決め方をしていることが今回の街歩きで知ることができた。
 また、「遠友夜学校」がなぜ南4条東4丁目に立地したのか?ということについても、「遠友夜学校」が創立された明治27年当時、辺りは商店とか工場などが密集していて、そこの子弟、働く人たちが満足に学校に通えない子が多かったことから、豊平川の分流となっていた河原のところ立地したそうだ。つまり繁華街の外れに位置していたということだった。

    
    ※ 遠友夜学校記念公園で新渡戸稲造の像の前で集合写真を撮りました。

 というように、私にとっては未知だったことが杉浦氏から次々と聴かされ、非常に興味深い歴史散歩となった。
 私は併せて、杉浦氏が最近刊行した著書「さっぽろ探見(たんけん)~ちょっとディープなまち歩き」を杉浦氏から購入したのだった。

        


先生、どうか皆の前でほめないで下さい

2024-09-08 20:00:21 | 講演・講義・フォーラム等
  1.  現代の若者論としては頷けることは多々あったが、はてして「北海道青少年育成大会」の講演として相応しかったのか、否か?いささか疑問が残った講演会でもあった…。

     
 9月6日(金)、かでるホールにおいて「北海道青少年育成大会」が開催され、午前中はすでに投稿したように「少年の主張」全道大会があったが、午後は講演会が行われた。その講演は、金沢大学の近間大介教授「先生が求める答えを提供する若者たち~いい子症候群の実像」題して講演された。今回のタイトル名はその近間教授の著書の題名でもある。
 近間教授はまず、次のようなエピソードを披露した。最近の若者は、高校や大学の授業において「皆の前でほめないでほしい」と言うそうだ。それは今の若者が周りから目立つこと、ひいては仲間内から特別な目で見られることを極端に嫌うという性向だという。

      
        ※ 講演をする近間大介金沢大教授です。

 そうしてリクルート社就職みらい研究所が大学生や大学院生に対して調査したある調査結果を示した。それによると、現代の若者の就職先志向が見事に現れていたという。それは、若者が望む就職先は「歴史や伝統がある企業」、「安定し、確実な事業成長が見込める企業」、「意思決定の際は、迅速性より正確性を重視する企業」等々、若者の安定志向が顕著だったそうだ。
 このことから今の若者の志向は、親の教えに従って一生懸命勉強し、失敗の恐れがあるような冒険はせずに、良い大学に入り、一流と言われる企業に就職して、周りと協調して皆と同じようにそこそこ出世すればそれで良い、的な考えの若者が多いということか?
 「拒否回避欲求」という言葉があるそうである。「拒否回避欲求」とは、他者から「嫌われたくない」、「変な人だと思われたくない」といった否定的な評価を回避しようとする欲求のことだという。つまり今の若者は、どんなに弱い拒否でもされることが怖い、あるいは拒否されそうなことは最初からしない、「ちょっと変わってる」「何それ」って思われるのが怖い、という傾向が強いそうだ。
 ここからは会社の上司論になるのだが、「拒否回避欲求」が強い現代の若者に対して、叱責したり、失敗を指摘したりすることは厳禁であるという。それよりは良いところを見つけて「ほめる」ことを心がけるべきと強調する。その「ほめ方」も留意する必要があるという。ダメなほめ方は「みんなの前ほめ」、「比較ほめ」、「デモグラほめ」、「裏があるほめ」だという。(それぞれがどのようなほめ方なのかはお調べください)反対に良いほめ方は「ラフほめ」、「最中ほめ」、「引用ほめ」などだそうだ。
 いやいや、ここまで私は聴いていて、もうお手上げだった。時代と共に価値観が流動していることは私でも肌で感ずるところがある。しかし、人生の先輩である会社の上司がここまで若者におもねなければならないのか?確かに組織を上手く回転させていくためには、過去の価値観だけにとらわれていては拙いことは分かる。しかし、だからといって「本当の人間の価値はどこに」、「組織人として在り方は?」等々、人生の先輩として教え諭すことも時には必要ではないのか?
 青少年の健全育成に携わっている方々への講演として果たして適切だったのか?私の中では???が頭の中で渦巻きながら会場を後にしたのだった。
(私の論旨が適切だったか否か、自信はないが本日の投稿とします)

200回記念!北一条教会昼休みコンサート

2024-09-07 17:53:48 | ステージ & エンターテイメント
 200回記念のコンサートは、教会音楽の主役でもあるパイプオルガンの演奏をたっぷりと聴くことができた。プログラムにも北一条教会のオルガニストの総出演と謳っていた。教会音楽というとJ.S.バッハである。バッハの曲が大聖堂内に響き渡った。

   
    ※ 札幌北一条教会の全景です。北一条通(旧国道5号線)に面しています。
 プログラムによると、札幌北一条教会の「昼休みコンサート」が始まったのは1993年9月が第1回目だという。そして今回が200回目だから、実に32年間にわたって営々と積み上げてきた実績である。その間、毎回無料で市民に開放しながら今日を迎えたのだから大変な地域貢献である。私もその恩恵をこうむってきた一人である。

     
     ※ 札幌北一条教会の礼拝堂です。私たちはこの椅子にかけて聴きます。

 上述したように今回は200回記念ということで、北一条教会のオルガニスト4名がそれぞれパイプオルガンの演奏を披露してくれた。その曲目と演奏者は…、
 ◇J.S.バッハ/トッカータとフーガ ニ短調 BWV565       〈山田 悦子〉
 ◇J.S.バッハ/「おおひとよ、汝の罪の大いなるに涙せよ  〈岡崎 恵子〉
 ◇J.S.バッハ/「主キリスト神の一人子」         〈岡崎 恵子〉
 ◇J.ブラームス/「おお神よ、汝慈しみの神よ」       〈中井美津恵〉
 ◇E.エルガー/「希望と栄光の国」            〈小泉 優香〉
  ◇T.ハーヘン/詩編150編「神を賛美せよ」        〈小泉 優香〉
以上だったが、前述したように教会音楽というと、やはり最初に来るのはJ.S.バッハである。
 1曲目の「トッカータとフーガ」は印象的な出だしから始まる。曲全体が不協和音のオンパレードのようにも聴こえてくるが、それがなぜかいつまでも耳に残る一曲である。続いての曲は、正反対に耳に心地良く、どこかホッコリとした柔らかな和音が耳に優しく届いた。この対比が面白いと思った。

    
    ※ パイプオルガンは私たちが座った椅子の後方にあるので背を向けながらオルガンの音を聴きます。

 私には音楽的な背景が分かっていないため、一般的に教会音楽はイマイチその良さを感得できないのだが、この日の演奏では5曲目の「希望と栄光の国」がどこかで聴いたことのある曲に聴こえてきた。それもそのはずである。原曲は行進曲「威風堂々」だったのだ。オーケストラとは一味違っていたが、その特徴あるメロディーはどこかホッとさせるものがあった。
 予告では次回もパイプオルガンオンリーのコンサートとなるようである。奏者は今回とは違う5名が演奏するとのこと。都合が悪くない限りまた聴かせてもらおうと思っている。

※ 最近はどこのコンサートも写真撮影NGとなってしまった。そこで今回はウェブ上から札幌北一条教会の写真を拝借してお茶を濁すこととした。


瑞々しい感性はお爺の心に響いた!少年の主張大会

2024-09-06 20:29:59 | イベント
 中学生が発表した主張の数々はお爺の胸の胸を激しくノックした。世情の垢にまみれたお爺には中学生が発する瑞々しい感性が眩しすぎた。彼らが今の思いを忘れずに成長してほしいと願うばかりだった。

    

 本日午前、道民活動センター「かでるホール」において「少年の主張 全道大会」が開催され、少年たちの主張に耳を傾けた。(この大会はこの日開催された「北海道青少年育成大会の一環として開催された)
 出場者は16名。それぞれが管内大会(札幌市だけ代表が2名)で最優秀に選ばれた生徒たちばかりだった。

     
                 ※ 出場者全16名が初めに壇上に立ちました。(この写真で個人は特定されませんよね)


 出場者の氏名・学校名・主張テーマは次のとおりである。
 ① 細川 優菜 札幌市立日章中学校    「ジェンダーの平等の実現に向けて」
 ② 光枝 美優 礼文町立香深中学校    「『かわいそう』は無責任
 ③ 貝島 優羽 倶知安町立倶知安中学校  「一歩踏み出して」
 ④ 尾坂 空音 岩見沢市立明成中学校   「しあわせの形」
 ⑤ 山本結千花 浦幌市立浦幌中学校    「私らしい生き方」
 ⑥ 篠田 涼帆 長万部津町立長万部中学校 「多様性の時代」
 ⑦ 河本さくら 別海町立上春別中学校   「雑草」
 ⑧ 白井遥ノ椛 洞爺湖町立虻田中学校   「言葉の力とは」
 ⑨ 糸畑  雫 江差町立江差北中学校   「男女差別」
 ⑩ 藤原 拓也 鶴居村立鶴居中学校    「未来の舵取りを担う」
 ⑪ 鎌田 千弦 札幌市立平岡緑中学校   「とくべつなくふう」
 ⑫ 高林  恵 遠軽町立遠軽南中学校   「挑戦」
 ⑬ 平田 琴音 様似町立様似中学校    「青春のありか」
 ⑭ 田村里々香 遠別町立遠別中学校    「油断から広がる危険性」
 ⑮ 大串 雪花 北海道教育大旭川中学校  「性別をこえた平等へ」
 ⑯ 数馬 灯里 恵庭市立恵み野中学校   「未来に咲く今」
 テーマを見ると多種多様だったが、それぞれが自分の身の回りに起こったことへの疑問や改善案、あるいは自らの将来に対する思い、等々…。その中で特徴的だったのは「ジェンダー」に関する思いや提案を訴える主張が多かったことだ。(私のカウントでは5名)
 そのことと出場者の多くが女子生徒で、男子生徒は1人のみだったのはこの年代のある意味での特徴なのだろうか?
 各人の主張を聴いていると、どの生徒も論旨が明快で、堂々と主張する様子はさすがに選ばれた生徒たちといった印象だった。

      
      ※ 少年の主張の発表の様子です。

 私は各生徒の主張を聴いていて、どの主張にも頷けるところがあり、彼らの思いに共鳴しながら聴いていた。そしてこうした主張に優劣を付けることの難しさを感じていた。しかし、結果は発表された。
 その結果、最優秀賞は恵庭市立恵み野中学校の「未来に咲く今」をテーマに発表した数馬灯里さんが選ばれた。数馬さんの主張は、数馬さんのお兄さんがけっして模範的な学生生活を送った人ではなかったために希望どおり職種に就職はできなかった。しかし、就職したお兄さんがその職場で不満も漏らさず、一生懸命勤めることによって職場でも認められ、今生き生きと生きている姿から、自分もお兄さんのように今の境遇に不満を漏らすことなく、「今を懸命に生きたい」と主張した。印象的だったのは主張の中にノートルダム清心学園理事長の渡辺和子さんの名言「おかれた場所で咲きなさい」という言葉を効果的に挿入したところだ。
 数馬さんの力強い主張は、この後全国でも主張の機会を得た。数馬さんの健闘を祈りたい。同時に、他の生徒たちも自らの主張に自信をもって生きていってほしいと願うばかりである。

無声映画「番場の忠太郎 瞼の母」を観る、聴く

2024-09-05 16:43:36 | 映画観賞・感想
 久しぶりに活動弁士の名調子を楽しもうとしたのだが、思わぬアクシデントにより、その期待が不完全燃焼に終わってしまったのは残念だった…。

     

 昨日(9月4日)午前、札幌市資料館において北海道生涯学習協会主催による「賛助会員の集い」が開催された。「賛助会員」とは、北海道生涯学習協会の趣旨に賛同し個人として寄金する団体である。例年、年に一度その会員の集いが開催されているのだが、今年は札幌市資料館において「無声映画のつどい」が開催された。
 何故に無声映画を札幌市資料館で?との疑問もあろうかと思われるが、一つは歴史的建造物である札幌市資料館がその舞台に相応しい、ということと弁士であるいいむら宏美氏が定期的に札幌市資料館で「無声映画の会」を開催していることから開催会場として選ばれたものと推定される。
 会はまず、札幌市資料館のボランティアガイドを務める武石詔吾氏から「札幌市資料館」の前身である「旧札幌提訴院」についての説明があった。それによると…、

  
  ※ 札幌市資料館(旧札幌控訴院)です。

 ◇旧控訴院は東京、札幌をはじめ全国7ヵ所に存在した。
 ◇その後旧控訴院は地方高等裁判所に衣替えした。
 ◇旧控訴院時代の建物が現存しているのは、札幌市と名古屋市だけである。
 ◇旧札幌控訴院は外壁が札幌軟石、内部がコンクリートの組構造である。
 ◇建設費は当時(明治19年)で22万円、現在価格で22億円程度である。
等々の説明があった。
 続いてメインの「無声映画のつどい」に入った。
 活動弁士は前述したように札幌市内では唯一の「いいむら宏美氏」である。氏によって上映前に無声映画について若干の説明があった。それによると…、

       
       ※ 札幌唯一の活動弁士のいいむら宏美さんです。

 ◇1890年頃に初の映画が制作された。(無声映画)
 ◇無声映画に弁士が付いて楽しんだのはアジア各国だけで、欧米にはなかった。
 ◇アジアで流行ったのは、アジアには「言葉の芸」を楽しむという習慣があった。
 ◇活動弁士の最盛期は1910~1920年代で、札幌市だけで110名もの弁士が活動していた。
 ◇また、同時に楽団も付き、多い場合は14~5名の楽団が付くこともあった。
というような説明があった後、いよいよ映画「番場の忠太郎 瞼の母」の上映、そしていいむら宏美氏弁士の登場となった。映画は長谷川伸の原作、監督は新進気鋭の稲垣浩で1931(昭和6年)制作となっている。
 と、ここまで文章を綴ってきてストーリーの内容を確認しようとウェブ上を繰っていたときに、私のブログの投稿に出会った。なんと私は2020年12月4日に同じ札幌市資料館で開催された飯村宏美氏が弁士を務めた同じ映画をすでに体験していることが判明しのだ!(う~ん。私の記憶装置もかなりガタがきている?)
 その際に私は次のように記している。
「時に主演の片岡千恵蔵は28歳、妹を演じた山田五十鈴が14歳の時の作品だという。片岡千恵蔵は当時から時代劇六大スターと呼ばれて大人気を博していたということだが、私たち世代が知っている片岡は渋い中年俳優として銀幕を飾っていた方との印象が強いが、若き日の表情にその面影を見ることができ嬉しい一瞬だった。」
この思いは昨日も同じだった。
 さてアクシデントのことである。映画はDVDに再収録したものを放映したのだが、前半は何事もなく進行していた。そして忠太郎が苦労の末に5歳の時に生き分かれた、母らしき人・おはま(常盤操子)と出会ったのだが、おはまは頑として母親であることを認めない。それを見ていた娘のお登世(山田五十鈴)が説得するのだが…。

     
     ※ 番場の忠太郎と母おはまの再会の場面です。

 アクシデントはその時起こった。なんとDVDが度々ストップしてしまうのだ。肝心の親子の対面の場面が台無しとなってしまったのだ。
 何としても残念なことだったが、機器が相手だと文句も言えない。ちょっと不完全燃焼に終わってしまった「無声映画のつどい」だった。もっとも、私は一度親子が抱き合う最後の場面を一度観ていたのだが…。