田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北大スラブ研公開講座№7 シベリア・サハの永久凍土

2018-05-31 21:07:39 | 大学公開講座
  国土の半分近くが北極域に属するシベリア・サハ共和国には永久凍土帯が広がっている。その凍土帯が徐々に融解しているという。そしてそれが独特の地形(アラース)を作り、農業に大きな影響を与えているという。サハの農業事情を聴いた。

 5月28日(月)夜、スラブ研公開講座の最終講義の第7講が開講された。
 この日のテーマは「サハにおける人間と環境の相互作用」と題して、スラブ研の特任助教である後藤正憲氏が講師を務めた。

             
             ※ 講義をする後藤正憲特任助教です。

 サハ共和国はロシアの北東に位置し、その面積はおよそ310万㎢と日本の約8倍もの面積がある。国土の約40%が北極域にあり、国内の全ての土壌は永久凍土に覆われているともいわれている。

             
             ※ ロシア北東部に位置するサハ共和国の位置です。(緑色の部分)

 その永久凍土が徐々に融解消失に向かっているという。溶解の原因は地球温暖化が直接の原因とはいえず、約1万年前の最終氷期が終わった後から始まっているという。
 永久凍土が解け始めると、そこが窪地となり水が溜まるが、やがてそれも消失してそこに塩分を多く含む良質の牧草地となるそうだ。それをアラースと称しているという。

 そのアラースを利用して、サハでは牧畜が盛んにおこなわれているそうだ。
 サハ人はもともと騎馬民族であったために、当初は馬の飼育が盛んだったようだが、17世紀頃からは牛の飼育が増加していったという。
 しかし、ソ連崩壊により国営農場が解散した後は、再び馬の飼育の割合が多くなってきているともいう。

                  
          ※ サハ共和国における馬(青)と牛(黄)の飼育頭数の変化です。ソ連崩壊後は馬と牛が同数程度になっています。

 最後に講師の後藤氏はサハのレナ川の両岸に広がる今日の牧畜経営の状況を調査した結果について報告した。
 レナ川の両岸の状況は対照的だという。右岸のチュラプチャ地区はアラースが点在する牧畜地だそうだ。一方、左岸のゴールヌイ地区は緩やかな台地が広がる牧畜地だという。
 両岸にはそれぞれの農家の生産品の流通・加工・販売を担当する消費者協同組合が存在するが、その経営状態も対照的でアラースを有するチュラプチャ地区が順調なのに対して、左岸のゴールヌイ地区は経営に苦しんでいるという。

             
             ※ 後藤氏が調査・研究の対象地域とした地域です。真ん中にレナ川が細く走っています。

             
             ※ 永久凍土が溶解し、アラースになっていく過程をあらわした図です。

             
             ※ 永久凍土が溶解して土地が崩れていく様子を写したものです。

 後藤氏はチュラプチャ地区の経営が順調なのは、アラースという自然の恵みだけがその原因ではないという。チュラプチャ地区では1940年代に干ばつに苦しめられ北部の漁村に強制移住させられたという辛い歴史があるという。住民たちはその悲劇を「チュラプチャの悲劇」と呼んで語り継いでいるという。
 後藤氏はチュラプチャ地区が今豊かなのは、ただ天与の自然があるだけでなく、そこに人間の営み(文化)が関与することによって、自然だけに頼らない状況を作り出す「第二の自然」としての側面も持つ、と結論づけた。

 この第7講によって、今回のスラブ研の公開講座「ロシアと北極のフロンティア:開発の可能性と課題」の全講座が終了した。(私は都合により第4講を欠講した)
 地球温暖化の進行が北極域の自然・環境にさまざまな影響を与えだしていることが各講座の中から垣間見えてきた。
 温暖化による功罪、温暖化による環境の変化をビジネスチャンスと捉える考え方等々、多方面にわたってその変化の状況を学ぶことができた。

 スラブ・ユーラシアの世界は、私たちにとってまだまだ分からないことも多い。一方、その広大な自然は大きなポテンシャルを秘めているようにも思える。世界の中でもホットな地域の一つとして目が離せない地域でもある。
 来年度のスラブ・ユーラシア研究センターの公開講座も心待ちにしたい。 


片山善博氏 地方創生を語る

2018-05-30 19:46:27 | 講演・講義・フォーラム等
  地方自治について、その理論、経歴、実績からいって、今やこの人の右に出る人はいないのではないかと思われる片山善博氏が来札し、その持論を披瀝した。明快に地方創生について語る片山氏の論には頷けるところが多かった。

             

 5月26日(土)午後、全労済協会が主催する「ほっかいどうの地方創生」と題するフォーラムが道新ホールを会場に開催されたので参加した。
 フォーラムの基調講演は早稲田大学大学院教授の片山善博氏「地方創生のいま ~地方自治と地域の発展に向けて~」と題して講演された。
 片山氏は、東大卒業後、旧自治省(現総務省)に入省し地方税務署長、鳥取県総務部長鳥取などを歴任した後、鳥取県知事を2期務めた。その後、慶大教授に転身したが、菅民主党政権時に総務大臣に就任した。総務大臣退任後は再び慶大教授に復帰したが、2017年4月からは早大大学院教授を務めている。大学では慶大でも、早大でも地方自治論を講じているという。

                  

 片山氏の論旨は明快だった。
 地方創生の目的とは、「出生率の上昇を図ること」と「人口流出の歯止め」だという。それに対する国の政策は「プレミアム商品券」とか、「ふるさと納税」の奨励策だという。
 片山氏は指摘する、はたして「プレミアム商品券」とか、「ふるさと納税」を奨励することで、出生率が上がったり、人口流出に歯止めがかかったりするだろうか?と疑問を呈するというよりは、明らかに失敗であったと断じた。
 特に「ふるさと納税」は地方自治体の税金の奪い合いになっているとした。

 片山氏が問題にするのは、地域の課題について、地域が主体的に課題解決に発揮できる仕組みとはなっておらず、中央官庁が取り仕切っているところに大きな問題点があると指摘する。
 その中央官庁の役人は、都市育ちの人が多く、地方の実状をよく理解しておらず、彼らの考える政策はピント外れだとも指摘した。
 地域が主体的に課題を解決できる仕組みに補助金交付のモデルを変える必要があるのだが、中央官庁はそれをなかなか手放そうとしないという構図となっているとした。

 そうした状況の中で、はたして突破口はあるのか?
 片山氏は鼓舞する。北海道こそ、その先兵にと…。
 今でこそあまり注目されていないが、第一次安倍政権において「道州制特区」のことが喧伝された。その際、まず「北海道」が先行実施されることが提起された。片山氏は言う。そのことに北海道はあまり熱心でなかったように見受けたが、北海道はもっと国に要求すべきだと…。

             

 道州制は、国の形を根本から変える究極の地方分権改革だともいう。しかし、中央官庁の姿勢を見れば、容易なことでは改革は進展しないのではと思われる。
 道州制について、国あるいは地方自治体が現在どの程度真剣に取り組まれているのか私は承知していないが、片山氏が指摘しているように先行実施を提起された北海道がより積極的に(あるいは可能なところから)国に対して地方分権を要求していくことが望まれているような気がしたのだが…。

 片山氏の基調講演の後、秋元札幌市長などが登壇したパネルディスカッションがあったが、所用のため私は中座したため聴くことができなかった。

札幌学院大公開講座④、⑤ 地域で暮らすこと、地域で育つこと

2018-05-29 20:51:52 | 大学公開講座
 人口減少時代において、大学は地域と連携し、学生を積極的に地域へ出すことで、地域に溶け込み、地域で育たねばならないという。地域で暮らすこと、地域で育つことの意味を考える講座だった。 

 5月19日(土)午前、札幌学院大学公開講座の第4講、第5講が開講された。
 第4講は、「地域で育てソーシャルワーカー」と題して、学院大人文学部の中田雅美准教授が、第5講は「地域で学ぶということ、地域で暮らすということ -政治経済論の立場から-」と題して学院大経済学部の浅川雅己准教授がそれぞれ講座を担当した。

 二つの講義を並べてみて、中田准教授の講義は実学的であり、論旨が明確で共感する部分が多々あったのに対して、浅川准教授の講義は観念的な話に終始し、何を言いたいのか私には最後まで明確にならない講義となってしまったことが残念だった。

             

 中田氏の講義では、まず「ソーシャルワーカー」について次のように定義した。「社会に何かしらの生きにくさを抱えている人、生活課題がある人の話に耳を傾け、その課題の原因を分析し、緩和・解決するのを助ける福祉制度や専門職、機関や施設を紹介したり、それらを組み合わせて支援チームを提案したりする仕事をする人」であり、資格とか、職種ではないということだ。職種的には、社会福祉士、精神保健福祉士、ケアマネージャー、施設の相談員、病院のメディカルソーシャルワーカーなどが、ソーシャルワーカーと呼ばれているとのことだった。
 つまり、ソーシャルワーカーとは、その語義のとおり「社会に働きかける人」ということができる。

 したがって講義の趣旨は、社会に働きかける人(ソーシャルワーカー)を育てるには、地域に入り、地域の実情を把握し、理解する力を付けることがより実践的な学習となる。札幌学院大の中田氏の講座では積極的に大麻の街に出かけて地域を把握する学習を重ねているとの話があった。

 国では2025(平成37)年を目途に全国に地域包括支援センターの整備を進めているという。ここには社会福祉士というソーシャルワーカーが必置となっている。
 特に私たちシニア世代にとって地域包括支援センターはこれから頼らねばならない存在となってくる。そこに勤めるソーシャルワーカーが地域の実情を把握する目をもって赴任してくれることは何より心強い。そうしたソーシャルワーカーが増えていくことを望みたい。

            

 さて、もう一方の浅川氏の講義だが、なんとかその趣旨だけでもレポしようと試みてみたのだが、私には難しかった。下手に曲解したレポをするよりは、ここは潔く断念することにした。

北大スラブ研公開講座№6 シベリアの少数民族の人々の生活

2018-05-28 20:54:42 | 大学公開講座
 日本の研究者たちは今や世界の果てまで赴いて研究をしているようだ。今回の講義は、ロシアのウラル山脈の山懐にあって、かつロシアの大河オビ川の流域深く入ったところの民族を研究対象としているお話だった。 

             
             ※ シベリアのウラル山脈の麓で生活する先住民の暮らしの一風景です。

 5月25日(金)夜、北大スラブ研の公開講座の第6回目の講座があった。
 今回のテーマは「シベリア北方少数民族の年金生活者:村落におけるマイナーサブシステンスと交換の役割」と題して、日本学術振興会特別研究員の大石侑香氏が講師を務めた。

             
             ※ 日本の女性も逞しくなりました。こうした女性がシベリアのウラル山脈の奥深くまで行って調査研究をするのですから…。

 まず講義題の中に、私にとってまた新しい言葉が出てきた。「マイナーサブシステンス」なる言葉である。事前に調べたところsubsistence(サブシステンス)とは、「生きるにあたって必須不可欠な要素」とあった。その頭にminor(マイナー)が付くので、「村落のような小さな単位における必須不可欠な要素」と私は解した。

 大石さんの研究フィールドは、北極圏域に近いにシベリアの森林地帯で、一つはオビ川の支流スィニア川の流域のハンティという地域と、そこから少し離れたヌムト湖畔の地域だという。
 そこへ行くには、オビ川に面する中心集落までヘリコプターで飛んだあと、ボートをチャーターしてオビ川、スィニア川を遡って到達するそうだ。このことを聞いただけでもずいぶん山懐深く入った地域であることが想像される。

             
             ※ 大石さんが調査研究をした二つの地域です。

 そんな山懐深いところで、先住民族たちはトナカイ牧畜、漁撈、狩猟、そして採集などで生活を営んでいるという。
 これらの先住民族は、ソ連時代にはそれぞれトナカイ牧畜や漁撈などのソホーズ(国営企業)に属して働いていたのだが、ソ連崩壊とともにほとんどの人が個人で生きていく道を選択したという。彼らは高齢ということもあり、国からの年金を受給しながら、個人で細々とトナカイ牧畜や、川での漁撈などで生計を立てているという。
 そこにおいて、生活する人たちの間にはトナカイ肉や毛皮と魚とを交換したり、あるいは家畜の飼育を委託したりという関係が成り立っているということだ。つまり彼らは自らの生産物を贈与交換することによってサブシステンスの仕組みが出来上がっていると大石氏は観察したという。

 一方で現代ロシアが抱える問題点も先住民居住地域では課題となっているという。それは、若者の就業先が限られており、たとえ就業できても親もとへ帰ってきて親の年金を頼りに、親の生業の手伝いをしながら生活している若者が多いという。

             
             ※ オビ川の支流のスィニア川の上流域には図のように転々として戸数2~3戸の小集落が点在しているそうです。

 ポスト社会主義時代(ソ連邦崩壊後)は、ロシアの人々の生活を大きく変えたようだが、その波はロシアの僻地であるウラル地方に住む先住民族にもその波が及んでいるということのようだ。
 大石氏が研究対象としたフィールドは、現在地下資源が有望視されている地域でもある。はたして彼らの生活がこれまでのように続いていくのか否か?

 北極海の環境が変わろうとしている今、北極域における経済活動や環境保護にかかる問題に関する国際的な協議の場として「北極評議会( Arctic Council)」が設けられ、先住民族6団体が常時参加者として加わり、議論に参加している。
 先住民族が暮らす地域の環境が保たれ、持続可能な形での開発となるのか、注目される地域の一つである。
 

真駒内~定山渓20キロウォーク

2018-05-27 21:31:13 | フットパスウォーク & トレッキング

 これ以上は望めないと思われる北国の春を凝縮したような爽やかな空の下、真駒内から定山渓までの20キロウォークを楽しんだ。しかし、今の私にとっては20キロもかなりの距離…。友人と語らいながらのウォークは楽しくもあり、辛くもあり…。

             
             ※ スタート地点の真駒内中学校のグランドでスタートを待つ参加者たちです。

 本日(5月27日)、さっぽろスポーツ財団などが主催する「北海道を歩こう」(とてもオーバーなネーミングですが)に参加した。
 私はこれまで3度ほど支笏湖を目ざす33キロコースに参加していたが、今年にかぎり「北海道命名150年記念」ということで定山渓コース(20キロ)が特設されたので、そちらに参加を申し込んだ。
 これまではいつも単独での参加だったが、友人で最近ウォーキングを楽しんでいるというO氏を誘い、二人で参加した。(彼とは先日の東札幌~北広島ウォークも一緒した)

             
             ※ 私のゼッケンには「楽しく!ファンウオーク」と記しました。

 朝、スタート地点の真駒内はどんよりとした曇り空に覆われていた。
 33キロ、10キロコースが先にスタートした後、8時25分定山渓20キロコースがスタートした。
 定山渓コースは、北海道の「名付けの親」ともいわれている松浦武四郎が歩いたところも含まれていることから、記念の今年にかぎりコースが特設されたということだ。

             
             ※ スタートゲートをくぐって、いざスタートです。

 コースは真駒内の住宅街を抜け、藻南公園の脇を通り、豊平川河畔を往く、というようにできるだけ交通量の少ないところを巧みにコース取りして設定されたコースだった。
 豊平川河畔を歩きながら遠くにまだ残雪を残す無意根山が見えて来たころだった。曇天の空が青空に変わってきたことに気づいた。

             
             ※ スタート直後、空は曇っていたのですが…。

             
             ※ 向こうに無意根山が見えてきたころから空が青く晴れ上がってきました。

 コースはやむを得ず国道脇を通ることもあったが、巧みなコース取りで豊平川の対岸を走る市道へと導かれた。私も何度かウォーキングを楽しんだ道である。
 道中、ずーっとO氏と会話を楽しみながら進んだ。O氏は同業者であり、昔たったの1年間だったが職場を共にしたことがあり、共通の話題も多く話が弾んだ。

             
             ※ 給水所ではスポーツドリンク1本が支給されました。

 途中、9キロ地点に給水所があり、気温も上がってきたので小休止を取った。
 コースの中で八剣山トンネルを通ったときは、トンネル内の冷気が心地よかった。歩いてトンネルを通過することはあまり気持ちの良いものではないのだが、ここのトンネルの場合は歩道の幅も広くむしろ快適だった。

             
             ※ 今回のコース中、最も素晴らしいシチュエーションに思えた水田のあぜ道を往くコースです。

             
             ※ 八剣山トンネル内を往く参加者たちです。

 私は左膝に不安を抱えていた。最近、自転車に乗った後に左膝が痛むことが多かった。そこで左膝にサポーターを装着して臨んだのだが、心配していたような事態にはならなかった。

             
             ※ 延々と参加者の列が続きます。

             
             ※ 振り返ると、特徴のある八剣山の稜線が見えました。

 市道から国道に移り変わるところに、先日訪れた「小金湯さくらの森」がある。そこを訪れた際に、センターハウスの中に絶好の給食ポイントがあると睨んでいた。コースから少し外れているせいか、大会参加のウォーカーは誰もいず、椅子とテーブルを確保し、ゆっくりと弁当を食べ、休むことができた。

             
             ※ 小金湯さくらの森の入口ですが、向こうのセンターハウスで昼食を摂りました。
             

 残り4キロ、あとはひたすらゴールの定山渓神社を目ざすだけである。
 この頃になると、疲れてスピードが落ちてくる人もいた。前半の私たちは若い人にどんどん追い抜かれることが多かったのだが、この頃になると私たちが先行者を抜くようなケースも出てきた。

             
             ※ 定山渓が近づいて車と並走しながらのウォーキングが続きました。

             
             ※ 定山渓のトンネルです。ここを過ぎるとゴールはもう直ぐ。

 けっして快調だったというわけではなかったが、まあまあのペースで歩き切ることができたのではないか?
 それでも、もし今回33キロコースに出ていたとしたら?相当に苦戦したのではないだろうか、と思った。鍛え方も足りないが、加齢による体力の衰えも自覚させられた20キロだった。
 13時20分、無事にゴールの定山渓神社に到達した。昼食・休憩時間を除くと、約4時間、時速5キロというところか。
 ゴール後に缶ビールで完歩を祝った二人だった…。

             
             ※ ゴールの20キロ地点で完歩証を抱えてのの記念撮影です。

 

 


文学で旅する北海道

2018-05-26 20:24:46 | 講演・講義・フォーラム等
 恥ずかしながら講師の木原直彦氏について私の知識は皆無だった。木原氏はご自身が創作活動などをすることは少なかったようだが、北海道と文学に関する収集したり、北海道文学館の設立運動に関わったりして、北海道の文学を語るうえで欠かせない人のお一人のようである。 

             

 ちょっと話は古くなったが5月21日(月)、本年度第2回目の「ほっかいどう学」かでる講座が開催された。
 この回から私は講座の運営ボランティアを依頼され、開会前の会場設営や閉会後の会場整理などを担当することになった。(毎回ではないのだが…)
 この日のテーマは「文学で旅する北海道 ~北の大地生まれの名作を語る~」と題して、北海道立文学館名誉館長である木原直彦氏が講師を務められた。

             
             ※ 講演をされる木原直彦氏です。

 木原氏は若いころから北海道文学館の設立運動に関わり、昭和42年に北海道文学館という団体が旗揚げされたときに初代の事務局長に就任している。(ここでいう北海道文学館とは建物ではなく、団体である)その後、平成7年に道立北海道文学館が設立されると、〔公益財団法人 北海道文学館〕は、そこを拠点にして、館の運営を担いながら今日に至っているというよう、私など門外漢からするとちょっとややこしい関係のようだ。

 さて、木原氏であるが本年88歳と大変にご高齢である。さすがに足腰はだいぶん弱られている様子だったが、お話されることは理路整然とした確かなお話だった。
 木原氏は昭和63年に「名作の中の北海道」(その他多くの著作有り)を上梓されているが、お話はその中に書かれたことを中心とされていたようだ。

               
               ※ 木原氏の著作「名作の中の北海道」
   
 その土地の文学を語るとき「風土」ということが話題に上がるが、「風土とは人間が住むことによって練り上げられたもの」と木原氏は語った。よくマスコミなどの表現で「日本は小さい。しかし、北海道は大きい」などと表現する。そうした中で北海道の風土は、日本の風土に対して「異風土」などと称されることもあるという。
 そうしたことから、北海道から生まれる文学、さらには北海道を訪れて著した作家の北海道を描く表現には独特のものがあると木原氏は評した。

 例えば、詩人・石川啄木はわずか1年の間に北海道内を渡り歩いているが、彼の独特の感性で各都市を表している。「函館は、北海の喉。内地の人は函館を見ただけで北海道を見た思いになる」、「札幌は、真の北海道趣味を味わうことができた。田舎の賑わい」、「小樽に来て初めて新開地を感じた。男らしい自由な空気」と啄木独特の感性で北海道の各都市を観察し、表現したという。釧路については、残念ながら私が聞き逃した。

 また、亀井勝一郎によると「小樽はリアリズム」、「札幌はピューリタリズム」、「函館はロマンチズム」の街と称したという。
 その他の作家たちも、それぞれの表現で北海道を称しているということだったが、メモしきれなかった。

 最後に木原氏は、著「名作の中の北海道」で取り上げた50の作品について触れ、それぞれについて短いコメントを入れられた。選定にあたっては北海道全域に目配りして選定したとのことだった。
 その中で、私にとって印象的な作品は、やはり北海道に住まわれながらセンセーショナルな作品を世に出した原田康子の「晩歌」であり、三浦綾子の「氷点」であろう。
 さらに私の好みでいえば、新田次郎の「昭和新山」、戸川幸夫の「オホーツクの老人」(森繁久彌主演の「地の涯に生きるもの」の原作)などが挙げられる。

 柄にもなく、文学の世界に浸った2時間だった…。
 

焼き鳥を一工夫

2018-05-25 20:29:33 | その他
 鶏肉だけを詰め込んだ焼き鳥を私はあまり好まない。そこで私は一工夫を施して焼き鳥を楽しんでいる。それは…。 

             
             ※ 私流のタマネギを鶏肉に挟んだ焼き鳥が完成した図です。

 たまぁ~には趣の変わった話題もいいのでは、と呑気な話題を綴ってみることにする。

 居酒屋などで供される焼き鳥を私はあまり好まない。なぜかというと、鶏肉(あるいはその他の部位にしても)だけを串に詰め込んでいるからである。基本的に肉類をあまり好まない私には肉だけを食することがどうも苦手なのである。焼き鳥のメニューの中には「ねぎま」と称して長ネギが間に挟まれたものもあるが…。

 だから私は家庭で焼き鳥などをすることは皆無に近かった。
 それが先日、むか~しキャンプに出掛けた際に、串に刺された鶏肉を一度バラして、肉の間にタマネギを挟んで食したときに、私にはとても好ましかったことを思い出した。
 そこでさっそく、妻に鶏肉を購入してきてもらい、鶏肉を適当な大きさに切り分け、そこに同じくらいの大きさのタマネギを挟み、串にさして私流の焼き鳥の準備をした。
 あとは、塩コショウを振りかけて、我が家では魚焼き機で焼くだけである。

             
             ※ 写真のように鶏肉の間にタマネギを挟みます。

             
             ※ 全ての作業を終えて、後は焼くだけです。

 本当に久しぶりの私流焼き鳥だったが、これが私には大満足だった。
 鶏肉の旨味とタマネギの甘味が混然一体となって絶妙の美味しさと私には感じた。だからビールもことのほかすすんだ。
 以来、我が家では夕食に焼き鳥が登場することが多くなった。
 
 鶏肉の間にタマネギを!美味しいこと受け合います。
 ぜひお試しあれ!

北大スラブ研公開講座№5 パラディプロマシーって何??

2018-05-24 19:10:19 | 大学公開講座
 また新しい言葉を教わった。パラディプロマシー…。ディプロマシーとは「外交」、パラとは「平行」とか、「準」とか、「疑似」と解釈されるという。温暖化により北極が俄かに注目される地域となりつつある今、国単位の外交だけではなく、もう一つの「外交」も取りざたされるようになったという?? 

 私のスラブ研公開講座のレポに№4が欠落している。というのは、№4の講義が行われた5月18日(金)はどうしても抜けられない会議があり、受講できなかったため№4が欠落してしまったということである。

 さて5月21日(月)夜、第5講目が開講された。この回は「北極域におけるパラディプロマシー ~北極政治を理解するために~」と題して、北大スラブ研助教の高橋美野梨氏が講師を務めた。高橋氏の名前からあるいは女性か?とも思われる向きがあるかもしれないが、男性である。

             
             ※ 講義前の高橋助教の表情です。

 高橋助教の問題意識は、地球の温暖化の進行によって、北極航路が開かれる可能性が出てきたり、地下資源の掘削が可能となってきたりと、北極域が俄かに注目され状況となってきた。
 そうした状況の中で既存の国々の思惑が蠢く一方で、長い間そこで生活していた先住民や現地住民も北極域の開発という点において意思決定に参加する立場にあるのではないか、つまりそこにはパラディプロマシーが存在するのではないか、というのが高橋助教の論調と理解した。

 北極域をめぐる国際的な枠組みとしては、まず「北極評議会」がある。これは1996年に設立されたもので、北極域に属するカナダ、デンマーク(グリーンランド、フェロー諸島を含む)、フィンランド、アイスランド、ノルウェー、ロシア、スウェーデン及びアメリカ合衆国の北極圏8カ国が参加する国際協議体である。そこには、決定権は持たないが常時参加者として先住民6団体が参加して意見を述べることができ、一定の影響力を与える存在となっているという。

 一方、2008年に上記8カ国からアイスランド、スウェーデン、フィンランドを除いた5カ国で「北極海会議」を起ち上げている。これは、除かれた3カ国は北極域には属するものの、直接に北極海には面していないという理由から除外されたようだが、除外された3カ国には大きな不満を抱かせたようだ。なお、この組織においては先住民について特別の考慮はされていないようだ。

 北極域が通商路としても、資源の埋蔵地としても、有力視される時代となって、そこを平和裏に、そのうえ持続可能な地域としてあり続けるために、国同士の交渉だけではなく、地域や住民たちとも交渉することが大切な時代となってきたのだ、と私は解釈したのだが…。

 これまで外交というと、国 対 国、あるいは安全保障上の問題から同盟 対 同盟という形での交渉が主であったが、今後は北極域のように未開の地を開発する場合には、そこに住んでいる人、あるいはずっと以前からそこに住み着いていた先住民の主張も織り込みながら課題解決を図らねばならい時代になったということのようだ。

 最近は、北海道知事が直接東南アジアに道産品のPRに出かけたり、沖縄知事が基地問題について直接アメリカ政府に訴える、といった記事も目に付く。外交というものが今や国だけではなく、自治体においても課題の一つとなっている。こうした現象もパラディプロマシーの一つの側面と言えるのかもしれない。お勉強させていただきました。

北海道の百年記念施設をどうするか?

2018-05-23 21:51:06 | 講演・講義・フォーラム等
 北海道100年を記念して建設された「北海道博物館」、「北海道開拓の村」、「北海道百年記念塔」をどう引き継いでいくのか?これらの施設を管理する北海道が道民の意見を聞く場の一つして道民ワークショップが開催され、私も参加してみた。 

             
             ※ 北海道百年記念施設の中でその存続について論議されている「北海道百年記念塔」です。

 5月19日(土)、20日(日)の両日、「百年記念施設の継承と活用に関する道民ワークショップ」が開催されると知って私も応募し、私は20日の部に参加が決まった。
 日程的には、10時30分から昼食をはさんで13時45分まで三つの施設の見学会(希望者のみ)、14時から17時までが趣旨説明、グルーブ討議、グループ発表という日程だった。

             
             ※ 「北海道開拓の村」で博物館学芸員から話を聞く参加者たちです。

 当日はスカッと晴れた5月の空の下、「北海道開拓の村」から見学会が始まった。
 説明役は北海道博物館の学芸員が務めた。その後の「北海道百年記念塔」、「北海道博物館」もそうだったが、純粋に施設についての説明をするだけで、ワークショップに関わるように言説は一切なかった。主催者から予めサゼッションのようなものがあったのだろう。
 そのこともあって、私にとってはいずれの施設とも以前に何度か訪れていたので新たな発見のようなものはなかった。

             
             ※ 北海道博物館で副館長から話を聞いています。

 14時から博物館内の記念ホールにおいてワークショップが開催された。
 その中のオリエンテーション、さらには事前に送付されていた資料から、ワークショップの課題を私は次のようにとらえた。
 「北海道博物館」については、リニューアルしたことにより利用者増の傾向はみられるが最盛期に及んでいない。さらなる魅力向上が課題となっている。
 「北海道開拓の村」については、各建造物の老朽化、利用者の減少傾向が課題であるが、財政的な問題も懸案となっている。
 「北海道百年記念塔」については、老朽化が顕著で立入禁止措置が取られているが、今後の維持のためには多額の費用が必要となっている。と捉えてグループ討議に臨んだ。

             
             ※ グループに分かれてワークショップに臨む参加者たちです。            

 グループ討議は参加者40名を8名ずつ5班に分かれて行われた。
 最初に互いに自己紹介したが、私たちのグループの内訳は高校生(新聞局)、大学生、青年会議所の方、大学図書館勤務職員、北海道開拓の村ボランティア(主婦)、大学の教員、そして職をリタイアした私ともう一方という8人だった。
 グループ討議をリード(コーディネイト)したのは、主催者から委嘱(?)された民間のコンサルタント会社のスタッフだった。(非常に手慣れたリードぶりに思えた)
 グループ討議は大きく二つの点について交流した。一点目は百年記念施設の価値や魅力について、二点目はその価値や魅力をより多くの人に体感してもらうための取り組みについて、だった。
 
 討議の方法は、いわゆるKJ的方法で、各自が自分の考え付箋紙に書き込み、それを発表するという方法で進められた。討議と称しているが、各々の考えを擦り合わせるようなことはなく、グループとしてまとめることもしなかった。(お互いの考えを尊重するということだろう)
 討議に参加して思ったことは、さすがに自ら進んで参加された方ばかりである。さまざまな考え、アイデアが出された。それも数多くである。対して私は考えもアイデアも枯渇していた。

 私が付箋紙に書き込んだことは一点目も、二点目もわずかだった。
 一点目では、開拓の村については「北海道の開拓の歴史を伝える文化遺産」、百年記念塔については「雄大な北海道を象徴するシンボル」と書き込み発表した。
 二点目については、利用者増の策については「発信力の強化」、「都心との間にシャトルバスの運行」、財源を得る策としては「熊本城再建のための『熊本城主』的なアイデアの採用」、「クラウドファンディングの活用」と書き発表した。

 他の方々の付箋紙には、私が考えつかないような斬新な考えやアイデアがずいぶんたくさん提起されたように思えた。
 最後に各グループで出された考えやアイデアが発表されたが、それぞれのグループにおいてまとめることをしなかったことで、なんとなくワークショップ全体の印象が希薄な感じは否めなかった。

        
        ※ 判読は難しいと思うが、私たちのグループから提出された考え、アイデアが張り出された模造紙です。
        

 問題は、私たちのグループ討議がどれだけ活かされるのだろうか、ということである。私たちの提起したことが専門家の目からすると、実現性に乏しいことが多いのだとは思うが、どこかに多少とも生かされることを願いたいものである。
 いずれにしても北海道の抱える課題の一つについて考える機会を得たことは貴重な経験だった。



札幌学院大公開講座②、③ 大学と地域の連携

2018-05-22 21:33:34 | 大学公開講座
 大学生が地域に出向いて地域のことを学ぶ、地域は若い学生の力を借りることによって活性化を図るというwin-winの関係が生まれているという。高知大学地域協働学部、江別市の学生地域定着推進広域連携協議会(通称:ジモ×ガク)の事例を学んだ。 

 5月19日(土)午前、札幌学院大学公開講座の第2講、第3講が開講された。(学院大公開講座は一日に2講座開講されるので、タイトルの方は②、③とした)
 第2講は「域学連携~体験から学びの場へ~」と題して、学院大法学部の石井和平教授が担当した。
 私がいま一つ理解できなかったのは、石井教授の立ち位置である。本講座の主催は人文学部である。法学部の石井教授は学生に対して地域へ出で行く、地域で学ぶことを教える立場ではないようなのだ。なのにこの講座を担当したことがいま一つ理解できなかった。
 石井教授は専門外(?)で見聞したことを話されたようなのだが…。

 石井教授の講義で学んだことの一つは「域学連携」という言葉である。域学連携とは、大学生と大学教員が地域の現場に入り、地域の住民やNPO等とともに、地域の課題解決や地域づくりに継続的に取り組み、地域の活性化や人材育成に資するような取り組みを指すようである。
 その一例として、高知大学地域協働学部の事例をDVDで視聴することができた。高知大学の例は、「域学連携」をそのまま学部として実現したような事例だった。
 さらに外国の事例としてスコットランドのエジンバラ大学の事例も紹介されたが、こちらの方はいま一つその利点を理解することができなかった。

          
 
 第3講は、「学生の地域活動について」と題して、NPO法人えべつ協働ネットワーク事務局長の成田裕之氏が講師を担当した。
 えべつ協働ネットワークは、江別市において数多くの事業を展開しているようだが、その一つとして「学生地域定着推進広域連携協議会(通称:ジモ×ガク)」というずいぶん固い名称の協議会のコーディネーター役を務めているということだ。
 通称:ジモ×ガクは、江別市内にある4つの大学に通う学生を対象として、江別市を中心とした7市町村が地域のさまざまな活動に若い力を必要としたとき学生に応援を依頼し、そのことを通して学生が地域のことを知り、地域の人々との交流が生まれることを期待する取り組みだそうだ。
 また、協議会の名称にもあるとおり、活動を通じて地元の良さを知り、できれば学生が将来地元の定着してほしいとの願いもあるという。

 協議会は平成27年12月に発足したばかりで、実績は昨年1年間の活動実績だけということだが、登録した学生が466人、要請したプログラムは77プログラム、実際に参加した学生は延べ778名ということだ。
 参加した学生の評判も良く、協議会のねらいどおり学生が地元企業や役所などに就職した例も出てきたという。

 地域に4つもの大学が存在するという特性を活かした取り組みとして注目に値する取り組みと言えそうである。
 人口減少時代を迎え、地方は疲弊するばかりというニュースに接する機会が多くなった。そうした中、この「ジモ×ガク」の取り組みは若い力を積極的に呼び込もうとする挑戦であり、これからの成果に注目したい。