かつて商業都市として栄華を誇った小樽市には街中いたるところに往時を偲ばせる歴史的建造物が満ちあふれています。
昨年訪れた函館市とは違った意味で観光資源を豊富に抱えていた小樽市でした。
「ウォーキングマップ北海道」によると小樽西部地区のウォーキングコースとは、「小樽総合博物館」から小樽運河、そして硝子工芸品、土産物屋、飲食店などが並ぶ観光メインストリートの「堺町本通り」を小樽オルゴール堂に至るまでの約3Kmのコースです。
「旧日本郵船小樽支店」から小樽運河に戻りましたが意外に観光客が少ないなぁと思いました。運河横の遊歩道にもあまり人の姿が見えません。
しかし私の見方は早計でした。観光客は市の中心部に近い竜宮橋と中央橋のわずかな区間に密集していました。そこにはまたさまざまなクラフト作家などが店を広げています。
ほんのさわりだけをつまみ食いする日本人観光の典型がここでも展開されていました。(私の場合も同類じゃないかと揶揄されそうですが・・・)
コースは硝子工芸の店や土産物店、飲食店などが立ち並ぶ「堺町本通り」に導かれます。
いる!いる!いる!いる!土産物袋を手にした老若男女がそぞろ歩きをしています。
私が注目したのは店の中に陳列されているものではなく、店の外観です。いかにも由緒ありそうな建物が次々と目に飛び込んできます。
その中の何点かを写真とともに紹介することにします。
※ 旧名取高三郎商店 各歴史的建造物の建物の横には
写真左のような紫色の説明版が立ててありました。
※ 旧久保商店
※ 旧百十三銀行小樽支店
※ 旧塚本商店
※ 旧第四十七銀行小樽支店
※ 旧安田銀行小樽支店
紹介できたのはほんのごく一部です。小樽にはこうした歴史的建造物が街中いたるところに見られます。調べたところ国指定重要文化財である「旧日本郵船小樽支店」「旧手宮鉄道施設」をはじめとして、小樽市の歴史的建造物は70を下らないほど数多く存在しているようです。(興味のある方はこちらを⇒)小樽市はなかなか懐が深いようです。
コースの最後が「小樽オルゴール堂」になっているのは市内に数店舗展開している店の本店ということでコースのゴール地点にしたのでしょう。
一応、店内をぐるっと回ってみましたが、私には「猫に小判」の例えのように何の興味も湧かず早々に退散しました。
※ 小樽オルゴール堂の本店の建物です。
この日、小樽水族館から小樽オルゴール堂まで歩いた距離は総計約8Kmになりましたが、なかなか興味深い小樽の一面を見ることができました。
前編で巡った祝津地区で「ウォーキングマップ北海道」で示された小樽西部地区のウォークは終了です。(約2Km)祝津地区は漁業で成り立っているようですが、割合大きな家が目立ちそれなりに漁業は潤っているのではと見ましたが、さて実際は?
西部に続く東部地区のスタート地点(手宮の総合博物館)までは距離がありましたが(約3Km)、この間も歩くことにしました。
祝津地区から小樽市街へ向かうには海岸線に設けられた三つのトンネルを潜らなければなりません。
新祝津トンネル(235.5m)、豊井トンネル(146m)、新高島トンネル(519m)と次々とトンネルが現れます。比較的広い歩道が設置されていて不安なく通ることができました。
※ 面白くもなんともない写真ですが、新祝津トンネルの入口です。
※ トンネルを抜けると、すぐにまたトンネルと三つが続いています。
三つのトンネルを抜けた後に現れた高島地区は祝津地区に比べやや寂れているように見え、最近少し元気がないといわれる小樽の一面を見たような思いです。
※ 歩道の花壇は草ぼうぼう…。ちょっと極端なところを撮
ってしまいました。花が植わっていた花壇もありました!
総合博物館がある手宮地区に入ると大型商業施設も見え始め活気も感じられるようになりました。
手宮地区でまず訪れたのは「手宮洞窟」です。ここだけはぜひとも訪れたいと思っていたところだったのです。とても小さな洞窟ですが、手宮洞窟には1,600年前頃の洞窟画(壁画)が発見された洞窟として有名です。確かに壁には石斧などで刻んだと思われる「陰刻(いんこく)画」が認められました。(手宮洞窟について詳しく知りたい方はこちらをクリックしてください⇒)
※ ちょっと味気ないエントランスですが、中には貴重な壁画が!
手宮洞窟の直ぐ横が鉄道機関車の動態保存などで有名な「小樽市総合博物館」があります。博物館を見学するには時間の関係上、小樽ウォークを断念せねばなりません。悩んだ末に小樽ウォークを優先することにした田舎おじさんでした。
※ 一般の博物館と違い、構内が広いのが特徴的でした。
博物館から少し歩くと、いよいよ小樽観光のメインである「小樽運河」が見えてきます。
小樽運河の西端のところに「運河公園」があり、公園の内外に石造りの建物が目立ちます。これは小樽らしさを表すために軟石造りの倉庫を再現したようです。それらは休憩棟や遊具施設棟になっていました。
公園の正面には「旧日本郵船小樽支店」の立派な建物が聳え立っています。
商業都市として一世を風靡した小樽の歴史的建造物群のパレードの始まりです。
※ 石畳、石造り倉庫…、小樽市の気合いが感じられる運河公園です。
※ 旧日本郵船小樽支店の堂々たる建物です。前庭の池
にも意味が込められているとか…。
明日は運河を見た後、その歴史的建造物のオンパレードとまいりましょう。乞うご期待!
27日(土)小樽の街を歩いてきました。
「札幌ウォークも終わっていないのに、なぜ小樽まで足を延ばすのか?」という突込みが入りそうですね。
しかし、今回は小樽を歩くことが目的ではなく、27日開催された「小樽カントリー&ウェスタンフェスティバル」に参加することが主目的でした。(別にレポートします)
田舎おじさんは転んでもただでは起きないのです。小樽に行くと決めて、一粒で二度美味しい計画を立てました。
カントリー&ウェスタンフェスティバルが13時開始なので、その前に小樽の街を縦断する計画を立てました。
具体的には「ウォーキングマップ北海道」(法研)で紹介されている小樽西部、東部の二つのコースをウォークすることでした。
私には珍しく午前6時前に起床し、7時10分の高速バスで小樽に向かい、市内バスに乗り継ぎ、8時45分スタート地点になる祝津地区の小樽水族館前に立ちました。
※ 小樽水族館はまだ会館前で人もほとんど見当たりませんでした。
水族館を見物する時間はありませんから、すぐに近くの日和山(ひよりやま)灯台に向かいました。けっして大きな灯台とは思いませんでしたが明治16年設置と北海道では二番目に古い灯台ということです。
※ ちょっと小型(?)の日和山灯台です。
灯台のすぐ傍には「小樽市鰊御殿」があります。鰊御殿とは網元の居宅兼漁業施設(番屋)を指し、この鰊御殿は現在の泊村に建設されたものを移築したもので現存する中では最大規模のものだそうです。
※ 岬の突端に建てられていた小樽市鰊御殿です。
内部は大広間、床の間、漁に従事する労働者(ヤン衆)の宿泊所など、なかなか興味深いものでした。その他に当時の鰊漁の道具が陳列されていました。
※ 当時の網元の贅沢さを彷彿とさせる大広間です。
続いて祝津地区観光の最高の目玉(?)旧青山別邸に向かいました。
その途中、ちょうどこの日は祝津地区の神社の祭典だったらしく御輿の行列に出会いました。ここで懐かしいものを目にしました。各戸の庭先に〈祭り花〉が飾られていたのです。私の小さい頃にはどこの祭りにも各戸の軒先には〈祭り花〉が飾られていたものですが、最近は目にすることもなかったものですからとても懐かしく感じました。
※ 小さな地区の祭りの御輿行列にしては立派でした。
※ 懐かしい懐かしい祭り花が各家に飾られていました。
旧青山別邸は鰊御殿と称することもありますが、別邸というくらいですから正式には居宅のことをいう鰊御殿ではなく、鰊漁で巨万の富を得た青山家が別荘として立てた豪壮な邸宅だったようです。入館料も高く(1000円)ゆっくり見学できる時間もなかったので建物の外観だけを写して小樽市街を目指しました。(中編に続く)
※ 豪壮な雰囲気を醸し出す青山別邸の外観です。
今週は珍しく二度もクラッシックのコンサートを聴く機会に恵まれました。といっても私のことですから両方とも無料のコンサートです。
一つは24日(水)の「かでる2・7のロビーコンサート」でヴァイオリンの長谷川加奈さん、ピアノの小林もえさんによるデュオのコンサートでした。
もう一つは、26日(金)の「時計台まつり記念演奏会」におけるオーボエの高島拓哉さんをメインとするクインテットのコンサートでした。
かでる2・7におけるコンサートのときでした。ヴァイオリンの比較的聴き馴染みのある曲が次から次へと演奏され、心地よく聴いていたのですが…。
私の横に座った3人の婦人たちが演奏中もおかまいなしにおしゃべりを続けるのです。前に座った人たちも気になる様子です。3曲目くらいだったでしょうか。たまらなくなった私はとうとうその婦人たちに注意をしました。いくら出入り自由とはいえ、まるで一休みするために椅子に座ったかのような婦人たちの様子には唖然とするばかりです。
時計台のコンサートでは、海外で活躍する高島拓哉さんのオーボエの素晴らしい音に聞き惚れていたのですが…。
私の後ろに座った婦人が演奏中に咳をしました。それが1~2度ならしかたないなと思うのですが…。出物腫れ物は仕方がないだろうとでもいうように、10数回にもなるでしょうか、私の背後で思いっきり咳を吐き出すのです。せめてハンカチなどを使い遠慮がちにするのならまだ許せるのですが…。
さらには休憩時間のときでした。私の前に座っていた婦人二人が携帯のメールアドレスのやりとりを始めました。休憩時間が終わってもその作業が終わらなかったらしく、演奏が始まっても携帯を見ながら二人でやりとりをやっているのです。もう初老に入ったような年代になりながら、こうしたことを恥と感ずる感性も持ち合わせていないようなのです。
若者が公衆の面前で眉をひそめるような行動を批判したり、戒めたりするべき年代の私たち同世代が反対に彼らの行動に影響され、染まってしまったかのようです。
二つのコンサートの奏者とも素晴らしい技量の方たちばかりで、改めてクラッシックの良さを感ずることができたのですが、同時に後味の悪さも残ってしまいました。
新川沿いの直線路を淡々と歩くウォークにちょっぴりガッカリといったところでしょうか・・・。
北区で最後に残っていたコースは、正式名も同じ北区・新川コース(コースマップはこちら⇒ 約4.6Km)です。
なぜ私が北区のウォーキングコースに期待していたかというと、これまで体験した北区のウォーキングコースがいずれも素晴らしかったからです。ところが…。
新川コースはマップでご覧のとおり直線のワンウェイです。コースを往復するという方法もありましたが、次の予定も立てていたことから私は地下鉄とバスを駆使してこのコースに挑みました。(「挑む」というほどのことではないですけどねぇ…)
午前9時に家を出て、地下鉄とバスを乗り継ぎ新川2条10丁目のスタート地点に立ったのは午前9時45分でした。スタート地点のところに札幌市消防学校の大きな敷地が広がっていました。
※ スタート地点となった札幌市消防学校の建物と敷地です。
コースは新川右岸の川辺に造られていて、(過日は西区のコースとして左岸も歩いています)マップの説明では「新川緑地は散策緑地帯として整備された都市空間を十分に満喫できます」とありました。
※ 真っ直ぐに掘削されて造られた「新川」の流れです。
しかし、新川が掘削してできた川のためコースの右手は高さ数メートルの崖となっており、そこにはイタドリがコースに覆い被さるように繁茂しています。一方、左手の川面にも雑木が繁茂しているため、確かに散策路にはなっているものの草木以外は目にすることができず、とても都市空間を満喫するといった気分にはなれません。
※ コースの両側はご覧のように深い草や木で覆われていました。
ときおり橋の下を潜るときに現在地を確認できる程度で、何も見えずただひたすら歩を進めるしかありませんでした。
そんな中、どこからか種が飛んできて根を生やしたのかマーガレットの白い花の群落が目を和ませてくれました。
※ 突如現れたマーガレットの群落です。
また、コース後半にハマナスの花が目立ちましたが、ハマナスというと私にはオホーツクの海岸に咲いていた腰の高さ程度の木を思い浮かべるのですが、コースに植わっていたハマナスは2mをはるかに超えるほどの大きな木に育っていたのが印象的でした。
砂浜と違い、水分も養分も十分に与えられると驚くほど成長に違いが出来るという見本のようなものです。
※ 大きく成長して人の背丈以上になったハマナスの樹です。
コースの終点は中の川が新川に合流する地点にある水門のところでした。
※ ゴール地点の中の川との合流地点に設けられた水門です。
周りが見えず、平坦な直線をただひたすらに歩くというコースは、私のような札幌探訪を兼ねたウォーカーには不向きなウォーキングコースとなってしまいます。
それでも私の北区のウォーキングコースに対する全体の評価は変わりませんよ!
帰りもまたバスに乗り、地下鉄駅まで帰ってきたのでした。
《ウォーク実施日 ‘09/06/13》
峻険な劔岳の山容を実写であますところなく映し出す壮大な画面、バイプレイヤーとして名高い浅野忠作、香川照之の存在感溢れる演技力、見終えた私はしばし充実感に浸っていた・・・。
我が国屈指の映画カメラマンとして五十年のキャリアを誇る木村大作が渾身の力を込めて挑んだ初監督作品「劔岳 点の記」をぜひ見たいと思っていました。
公開から間もない6月23日(火)夜、勤務を終えてから札幌シネマフロンティア(場所はこちら⇒)に足を運びました。
※ 今回の画像は映画館内に掲載してあるポスターを写しました。
まず圧倒されるのは劔岳をはじめとした立山連峰の大自然をどのようにして撮影したのかと思われるほどのスケール感で映し出していることです。CG(コンピュータグラフック)は一切排除しているということですから、どれほどの困難が伴った撮影だったのか素人には推し量ることができないほどです。
映画カメラマン五十年の木村大作監督の面目躍如といったところですが、この画面を見るだけでこの映画を見る価値あり!と思うほどです。
さらには主役の浅野忠作、香川照之の渋く存在感のある演技が画面を引き締めます。そしてその二人を役所広司、夏八木勲、井川比佐志、仲村トオル、宮崎あおいなどといった芸達者が脇を固めます。
※ 柴崎芳太郎(浅野忠作)
明治末、陸軍参謀本部陸地測量部の測量手・柴崎芳太郎(浅野忠作)は、当時難攻不落といわれていた劔岳頂上に「日本初登頂を果たすと共に、三角点を設置せよ」という理不尽な命令を受けた。柴崎は山の案内人・宇治長次郎(香川照之)の助けを借りながら命懸けでこの困難な命令に挑戦する、というのが主な筋書きです。
実話の映画化だけに見る者にとって当時の困難さに思いを馳せ、手に汗しながら映画に魅入りました。
奇をてらわず直球で勝負するこの作品は間違いなく第一級の映画です!
※ 宇治長次郎(香川照之)
それにしても私たちの世代になると映画は安価に楽しめる素材であることを再認識させられました。(特に良質の作品に出会ったときにはその感を強くします)
夫婦二人で2,000円で済むのですから・・・。
私たちは感動からそのまま帰宅する気にはなれず、某酒房にてその余韻を楽しんだのでした…。
少し長くなるかもしれませんが、札幌ツーデーマーチを私なりに振り返ってみたいと思います。
※ 朝のスタート前の様子です。思い思いに準備しています。
今もまだ左膝に違和感が残ります。
ということは、私にとって30キロ+30キロというのは必要以上に身体に負担を強いる距離だったということになるようです。
午前8時にスタートし、午後3時までにゴールするためには30キロの場合時速5キロで歩き続けて6時間、余裕は1時間しかありません。
時速5キロというと健脚ならいざしらず、私のような並脚にはかなりのペースで歩き続けることを意味します。
コース途中の名所で見物をしたり、美味しそうな食べ物屋さんに立ち寄る余裕もありません。
私は全国各地で行われているウォーキング大会とは、その土地の名所を巡りながら、なおかつ健康を謳歌するようなものとイメージしていました。
ところが実際は速歩でひたすら歩き続けるスポーツ的志向の参加者が多いように思われます。(特に30キロの場合はそのようです)
二日目に私としばらく並んで歩いた富山県からの方は周りを見ることもなく、下を向いて懸命に歩き続ける姿を見て「もっと札幌の景色を見てくださいよ」と思ったものでした。
※ 大通公園を行く大会参加者です。
そこで私の結論です。
私のような並脚の持ち主には現在の大会ルールだと20キロが適当な距離ではと考えています。
20キロだと時速4キロで歩き続けて5時間。余裕も2時間もありますから、名所でゆっくり見物する時間もできるでしょう。時速4キロの速さ(並足?)だと少し頑張るとさらなる余裕の時間も生まれてきそうです。
そうすることで街並みを少しは眺める余裕ができ、かつ自らの健康づくりにも役立てることができて楽しいウォーキングが実現できるように思います。
私は物好きにも7月4・5日の旭川の大会にもエントリーしています。そこでは20キロ+20キロにエントリー変更して参加しようかと思っています。
さて、個人的なことだけではなく大会そのものを振り返ってみようと思います。
※ コースはこうした山里深くにも設定されています。
《素晴らしいコース設定》
30キロに関していえば、両日とも札幌の魅力を伝えることのできた素晴らしいコース設定だったと思います。
一日目は札幌の象徴「大通公園」を一丁目から十三丁目まで横断し、中盤には「旭山公園」に導いて札幌市内を眺望し、最後は札幌市民の母なる川「豊平川」河畔を歩くという札幌の魅力が満載されてコースでした。
二日目は再び「豊平川」河畔を北上し、札幌市民の自慢の「モエレ沼公園」「さとらんど」に誘い、「北大構内」を経由するというコース設定でした。
二日間とも道外からのウォーカーには好評だったのではないでしょうか。
※ 給水ポイントです。青色のジャンパーはお世話をしてく
れる運営者です。お世話になりました。
《足りなかった?運営者》
一つの大会を運営するということは相当数の運営者が必要となります。
今回の札幌ツーデーマーチの運営は「札幌あるこう会」の方々が主として運営に当たっていたようです。
参加者にとって最も頼りとするのはコースの誘導をしてくれる人たちです。特に分岐点や、曲がり角などはマップや掲示の案内だけでは不安な場合があります。そうしたところに大会運営者が立っていてコースを誘導してくれると安心します。
ところが今大会においては、一部の地点で運営者がいないばかりに迷ってしまい、不安を覚えたところが何ヶ所ありました。
中には完全にコースを間違えてしまった参加者もいたようです。
限られた数での運営を強いられているのだと思いますが、コース誘導にだけは重点的に配置してほしいものと思いました。
※ 懇親交流会での抽選会の様子です。
《ウォーキング大会はスポーツか否か》
私はこれまで昨年の「札幌ツーデーマーチ」(20キロ+20キロ)、「函館ツーデーウォーク」(30キロ+20キロ)、そして今年の「花・水・木ウォーク」(18キロ)、今回の「札幌ツーデーマーチ」(30キロ+30キロ)と参加してきました。
そこで感じたのは、30キロ、20キロの場合は土地の名所や景観を味わうというよりはウォークに徹したスポーツ的な色彩が濃いということでした。20キロの場合は中には昼食にしっかり時間を取っている人も見受けられましたが、30キロではそうした人もほとんど見られません。
「札幌ツーデーマーチ」の二日目、私と同様に後方を歩いていた婦人が一日目は10キロに参加したということでした。彼女は「いや~、30キロは速いですねぇ。10キロはそんなことなかったんですけど~」と話をしていました。
これまで参加した大会では「花・水・木ウォーク」が私の脚力、そしてウォーキングに対する思いが最もフィットしていたかな、と思っています。
しかし、まだまだ大会参加歴の浅い私です。もう少しいろいろな大会、距離を経験してみて私なりのウォーク観なるものを考えてみようかな、と思っています。
※ こんな素敵なところはウォーカーの心も和みます。
《ライブレポートとアクセス数》
札幌ツーデーマーチのライブレポートを行った二日間のアクセス数は次のとおりです。
〈閲覧数〉 〈訪問者数〉
6月21日(土) 1,033 257
6月22日(日) 1,190 248
私がいつも注目しているのは〈訪問者数〉です。つまり何人の方がその日私のブログにアクセスしてくれたかを表す数字です。おかげさまでこのところ〈訪問者数〉が200を超えることが多くなり、6月に入ってからは週平均でも200を超えるようになりました。
今回私が注目したのは〈閲覧数〉の方です。私のブログの〈閲覧数〉は通常500前後を行き来しています。ところがこの二日間はご覧のように1,000を超える〈閲覧数〉がありました。このことは、お一人の方が一日に何度も私のブログにアクセスしてくれたことを示しているようです。
ウォーキングの様子をライブでレポートしたことがみなさんに興味をもっていただいたのかなぁ、と思っています。
※ モエレ山の山頂から別角度で撮った風景です。
《ウォーキング考》
と、いたって真面目に振り返ってきましたが、いいかげんなところが多分にあり、移り気なのが私の特徴(特長?)です。
体験がまだまだ少ないですから体験を重ねることによって考えが変わってくることも十分に予想されます。
ただ、基本はやはり「無理せず楽しく!」でなけりゃ、と思っています。
健康に感謝しながら、生きている悦びを実感するためにこれからもウォーキングを楽しみたいと思っています。
※ 写真の重複を避けるように心がけましたが、この一枚
だけは二度使わせてもらいました。
ふ-っ、長くなっちゃいました。
6月8日付けのブログで私はその存在を容認するかのような発言をしましたが、その後の様子を見て「やっぱりヤマダ電機かぁ…」という思いになりました。
その後のアクセス分析でも「ヤマダ電機」に関する投稿への関心が高いのは何故なのでしょう? ヤマダ電機の開店は一つの社会現象なのでしょうか?
ところで私は6月8日付けの投稿で(そのページはこちら⇒)「しかし、建物自体は思ったほどではなく、周りから浮き上がっているというほどの印象も与えていません。」と記しました。それは建物全体の壁が薄いブラウン系と一部に黒色系の鏡面を施した比較的落ち着いた色彩に映ったからでした。
ところが開店が近づいてきたある日、そのブラウンの壁面に赤や青、緑の原色の宣伝文句がペインティングされたのです。
さらに開店当日の建物の周りにはおきまりの黄色い旗が何本も立ちました。
「やっぱりなぁ…」という思いです。(ヤマダ電機札幌本店の場所はこちら⇒)
※ ご覧のような派手なペイントが四面の壁に描かれました!
企業として経済性、採算性を優先して考えるとき、目立たせること、刺激を与えることという景観性とは真逆の論理が優先してしまうのでしょう。
予想されたこととはいえ愕然としてしまいます。
※ 開店を告げる旗もまた乱立していました。
このことは一企業にその責を問うべきとは考えません。企業としてはルールに則ったある意味では当然の行為なのでしょうから・・・。
それよりは問われるべきは、私たち日本人の都市景観に対する考え方なのだと思います。
私たちは都市の中に無秩序に氾濫する看板や宣伝媒体に対して麻痺してしまっているところはないでしょうか?
※ 開店を待ちわびて並んだ市民の長蛇の列です。
醜悪にさえ映る派手な色遣いの建物が街中に徐々に増えつつあるのを憂います。
なんとかこうした傾向を止める手だてはないものでしょうか?
法やルールで縛るのも一つの方法ですが、それより私たち市民のひとり一人がもっとこうしたことに敏感になることが大切なのでは、と私は考えるのですが…。
16日朝、出勤途中に思いもかけていなかった札幌まつりの御輿渡御に遭遇し、その壮麗な明治絵巻にデジカメのシャッターを押し続けました。
札幌まつりは正式には北海道神宮例大祭と称し、北海道を代表するお祭です。
その御輿渡御の様子は「素晴らしいですよ~」と職場の知人から伺っていたですが、勤務日と重なることもあり意識の中からは遠のいていました。
ところが16日は遅番出勤だったこともあり午前10時過ぎに自宅を出て、厚生年金会館のところに差しかかったところ鉦や太鼓の音色に先導された壮麗な行列に行き当たりました。それが北海道神宮例大祭御輿渡御の行列だったのです。
その行列は私の想像していたものを遙かに超える壮大なものでした。
シャッターを押し続けながら、見送れども、見送れども最後列が見えないのです。
最終的には出勤時間が迫り、最後まで見届けることができませんでした。
後から資料を繰ってみると、行列の長さは1Km以上、かかわっている人の数約1,500人ということですから、その規模の壮大さはお分かりいただけると思います。
行列は全体として明治維新隊を模したものとのことですが、あるブログで「歴史の浅い北海道でこのような神がかり的行事は滅多にお目にかかれない」と記されていましたが、私も同感です。
何枚かの写真を添付しますが、説明はできません。来年は説明もできるようにじっくりと観察してみたいものです。
※ さらに沢山の写真、そして詳しい様子を知りたい向きは「秘境100選 Ver Ⅱ」(こちらをクリック⇒)の16日、17日分をご覧ください。
とにかく二日間で合計60キロのウォーキングを今終え、自らに課したノルマを果たすことができホッとしているところです。
正直に言いまして、私にはかなりの負荷がかかったウォーキングでした。
果たして運動不足の上、メタボ正規軍(?)の私に適した距離であったかどうかについては明日改めて考察したいと思っています。
途中で左膝の痛みについて触れましたが、その後思ったほど痛みがひどくならなかったことは幸いでした。私はすっかり忘れていたのですが、実は20代の頃に左膝に水が溜まったことがあったのです。ふだんは何も感じていなかった個所なのですが、酷使することでやはり弱い部分が顕在化したということでしょうか…。
今日はゆっくり休み、疲れが取れた時点で今回のツーデーマーチを振り返ってみたいと思います。
写真は今日のウォーキングのハイライトのモエレ山です。