※ 例によって魚眼風のアクセサリーでドーム全体を捉えました。観衆がやや少ないのが残念です。
本日(4月30日)、来年札幌でも試合が行われる「ラグビーワールドカップ2019」のプレイベントの一環として大学ラグビーの公式試合が開催され、知人で明治大学OBのH氏と共に観戦してきた。
試合は関東大学春季大会の一戦で、今年1月の全国大学ラグビー選手権の決勝カードと同じ、明治大学 vs 帝京大学という好カードが札幌で実現したのだ。しかも、今回は無料で観戦できるというサービスだった。
※ 試合前に整列した明治大学のフィフティーンです。
※ こちらは帝京大学のフィフティーンです。
試合前に両チームが整列した時、外国人選手を含む帝京大学の方が明らかに体格的に勝っているように映った。
それでも明治は善戦した。試合開始10分もならない時点で、集団で持ち込んだ明治が見事に先制し、ゴールも決めて7対0とした。その後、PG(ペナルティゴール)も奪い10対0としたのだが、前半終了直前、帝京の個の力に隙を突かれ10対7で前半を折り返した。
※ ラグビーの醍醐味の一つ、スクラムの場面です。
試合はポテンシャルで勝る帝京を、集団の連携で防ぐという構図で前半を終えたが、後半になってスタミナが切れてきた時点であるいは帝京が逆転するのでは、と心配された。
※ こちらもラグビーの試合でよく見られるラインアウトの場面です。
後半、明治にもチャンスはあった。しかし、帝京の鉄壁の防御の前に決めきれずにいたところ、またしても帝京の個の力が明治防御陣のほころびを突いて、後半66分に10対14と逆転した。このまま明治崩れるか、と思えたのだがピンチをしのぎ、試合終了直前には帝京ゴール前で最後の猛攻撃を仕掛けた。試合終了1分前、個では勝てない明治だが、執拗な集団での攻撃が実を結び、執念の逆転トライを決めた。
※ 試合終了直前の最後の攻防、明治が帝京陣へ懸命に押し込んでいる一場面です。
17対14というシーソーゲームは観ている者も十分に楽しめた一戦だった。
おまけに、心密かに応援する明治の勝利が嬉しかった。明治OBのH氏の喜びは私より何倍にも勝るものだったようだ。
というのも、関東大学春季大会は今年が第7回大会ということだが、これまで6回の大会で帝京大学がすべて全勝優勝しているということだ。それが今季初戦でその帝京大学を撃破したというのだから喜びもひとしおであろう。
※ 最後の最後に、ようやくトライをゲットし、勝利を確信した明治のフィフティーンです。
私が明治大ラグビーを心密かに応援している、ということに関して昔に書いた一文があることを思い出した。それは平成4年12月8日付ということだから、実に26年前の文章である。その文章を引っ張り出すことができたので、ここに再現してみたい。
明治が好きである。
明治といっても明治製菓ではない。
明治大学ラグビーフットボールチームが好きなのである。
私は、無類といってよいほどテレビのスポーツ観戦が好きである。
テレビのスポーツ中継が集中する日曜日など、スポーツ観戦を主にしてスケジュールを立てるほどである。
なぜスポーツ観戦か、なんて深く考えたことはないけれど、今夜はちょっと考えてみよう。
スポーツはよく筋書きのないドラマだと言われる
まさにそのとおりである。試合終了の合図があるまで勝利がどちらにころぶかわからないスリリングさは、ありふれたドラマの比ではない。
また、スポーツはルールのある戦争に例えられる。
だからそこには、人間の知力を駆使した戦略・戦術が展開される。
そこを読むのがたまらなく楽しい。
その他、それぞれのスポーツが固有に持つ魅力に触れることができるのも、スポーツ観戦の楽しみである。
しかし、私がスポーツ観戦に魅かれる最大の理由は、選手たちの“ひたむき”さが伝わってくることが魅力なのである。
数多いスポーツの中には、その“ひたむき”さが伝わってこないスポーツもある。そんなスポーツは、私にとって魅力あるスポーツとは言えない。
6日(日)、早明ラグビーを観戦した。
むろん明治大学を応援しながらである。
私が明治ラグビーに魅かれるのは、強いからというミーハー的な部分も確かにある。
しかし、それ以上に明治ラグビーの底に流れる愚直なまでの戦いぶりに魅力を感じている部分が大きい。
90歳を超えた北島監督の「前へ!」という教えを体現しようとする15人の戦士たちは、局面によっては別な戦術があるだろうと素人の私でも考えるのに、ひたすら前へ、前へと突進する愚直にも見えるその戦いぶりに共感をおぼえるのだ。
いったい、私たちの前から“ひたむき”さが消えてしまったのはいつの頃からだろうか。
“ひたむき”な生き方を、ダサイなどと一言で片づけるようになったのはいつ頃からなのだろうか。
うまく生きる、策略を張って生きる、…そんな生き方を否定していた若者がやがて大人になって、何の疑いも反省もせずに同じような生き方を志向しているのを見る時、私は怒りすらおぼえるのである。
冬は、ラグビーをはじめとして、サッカー、マラソンとビッグイベントが目白押しである。彼らの“ひたむき”さに共感しながら、今冬もテレビの前から声援をおくろうと思っている。
※ ラグビー特有のセレモニー(?)である。ノーサイドに笛の後は、両チームお互いに健闘をたたえ合う。
26年も前に書いた恥ずかしい文章である。確か職場の若い人向けに書いた文章である。
当時は北海道の片田舎に住んでいて、スポーツ観戦といえばテレビ観戦しかなかった。それが今は、東京のように自由にというわけにはいかないが、本日のように生観戦も可能となった環境に感謝している。
これからもできるかぎり、スタジアムなど現場に出向いて生観戦したいと思っている。