昨日(30日)朝、近代美術館前の歩道を清掃するボランティアの第13回目の活動を行い、今シーズンの活動に終止符を打った。2010年から始めたこの活動を6年間継続することができた。そのことを私は感慨深く振り返っている。しかし、ある課題が浮上し、私を悩ませている…。
※ ある日のブリリア会の活動の様子です。
「近代美術館前庭の緑に癒されている私たちが、近代美術館の美化に少しでも役立とう!」という趣旨のもと、「近美を愛するブリリアの会」を起ち上げたのは2010年の7月だった。
以来、夏の間およそ2週間に1度の割合で、早朝に歩道の清掃をするとともに、歩道上にある花壇の整備も併せて行ってきた。
※ 活動の中には、写真のように花壇の除草など花壇の維持管理も行っています。
会員は6年間の中で多少の出入りがあったものの現在19戸を数えている。(その中には直接活動には参加できないが、会費だけ納入してくれているサポーター会員も含まれる)
この間、私から会員向けに発行された「近美を愛するブリリアの会 会報」も122号を数えるまでになった。
2週間に1度、朝6時、毎回8~10人程度が三々五々集まり、路上を清掃し、花壇を整美する活動を6年間に渡って続けてきた。
会は一見順調に推移しているように見えるのだが…。
※ ボランィア袋にはこうして落ち葉や枯れ葉が集められます。
会を主宰する者として、今頭を悩ましているのが会員のモチベーションの維持である。
モチベーションなどという外来語を使用したが、つまりは会員の方々が会の活動に対していかに意欲を持ち続けてくれるか、という問題である。
そのことを私が感じざるを得ない原因が私の中では二つある。
一つは、私も含めた会員の高齢化である。活動自体は簡単な活動なのであるが、やはり徐々に活動が身体の負担になっていることによって意欲の低下が見えているように思われる。
もう一つの理由がマンネリ化という問題である。
このことについて私は最も意を払い、これまでも会報を通じて手を変え、品を変え、会員に呼びかけてきたつもりだが、それも今底をつきかけた感がある。
私が最も気になっているのは、私たちの活動が外部評価を得られないことにあるように思っている。私自身はそのことをそのことをあまり気に留めないようにはしているし、会員の方も普段そうしたことを口に出すことはない。
しかし、ある時ある会員が「○○は私たちの活動のことをどう思っているんでしょうね」という趣旨の発言をされた。私はそうした思いがきっと一人ひとりの会員の中にあるのでは、と思っているのだ。
※ 「ART」文字を作るクサツゲを雪の害から守るために一つ一つの株を縛りました。
「近代美術館前庭の緑に癒されている私たちが、近代美術館の美化に少しでも役立とう!」というピュア(?)な趣旨にどこまで会員の方々が賛同し、活動を維持し続けることができるだろうか?
会が曲がり角にきていることを感ずる日々である。
11月半ばには、今シーズンの活動を振り返る反省交流会を開くことにしている。その席でどんな話が出るのだろうか?
※ ある日のブリリア会の活動の様子です。
「近代美術館前庭の緑に癒されている私たちが、近代美術館の美化に少しでも役立とう!」という趣旨のもと、「近美を愛するブリリアの会」を起ち上げたのは2010年の7月だった。
以来、夏の間およそ2週間に1度の割合で、早朝に歩道の清掃をするとともに、歩道上にある花壇の整備も併せて行ってきた。
※ 活動の中には、写真のように花壇の除草など花壇の維持管理も行っています。
会員は6年間の中で多少の出入りがあったものの現在19戸を数えている。(その中には直接活動には参加できないが、会費だけ納入してくれているサポーター会員も含まれる)
この間、私から会員向けに発行された「近美を愛するブリリアの会 会報」も122号を数えるまでになった。
2週間に1度、朝6時、毎回8~10人程度が三々五々集まり、路上を清掃し、花壇を整美する活動を6年間に渡って続けてきた。
会は一見順調に推移しているように見えるのだが…。
※ ボランィア袋にはこうして落ち葉や枯れ葉が集められます。
会を主宰する者として、今頭を悩ましているのが会員のモチベーションの維持である。
モチベーションなどという外来語を使用したが、つまりは会員の方々が会の活動に対していかに意欲を持ち続けてくれるか、という問題である。
そのことを私が感じざるを得ない原因が私の中では二つある。
一つは、私も含めた会員の高齢化である。活動自体は簡単な活動なのであるが、やはり徐々に活動が身体の負担になっていることによって意欲の低下が見えているように思われる。
もう一つの理由がマンネリ化という問題である。
このことについて私は最も意を払い、これまでも会報を通じて手を変え、品を変え、会員に呼びかけてきたつもりだが、それも今底をつきかけた感がある。
私が最も気になっているのは、私たちの活動が外部評価を得られないことにあるように思っている。私自身はそのことをそのことをあまり気に留めないようにはしているし、会員の方も普段そうしたことを口に出すことはない。
しかし、ある時ある会員が「○○は私たちの活動のことをどう思っているんでしょうね」という趣旨の発言をされた。私はそうした思いがきっと一人ひとりの会員の中にあるのでは、と思っているのだ。
※ 「ART」文字を作るクサツゲを雪の害から守るために一つ一つの株を縛りました。
「近代美術館前庭の緑に癒されている私たちが、近代美術館の美化に少しでも役立とう!」というピュア(?)な趣旨にどこまで会員の方々が賛同し、活動を維持し続けることができるだろうか?
会が曲がり角にきていることを感ずる日々である。
11月半ばには、今シーズンの活動を振り返る反省交流会を開くことにしている。その席でどんな話が出るのだろうか?