田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

山岡荘八著「徳川家康」に熱中しています!

2024-10-16 15:39:23 | 本・感想
 “何を今さら” と揶揄されるかもしれないが、この歳になってようやく歴史物に興味を抱きだしたという極晩熟(ばんじゅく)の私である。山岡荘八全集の中で「徳川家康」編は26巻あるのだが、現在8巻まで読み進めた。面白い!熱中しています。

 ある時、某氏と話をしていた際に、私が「山岡荘八の伊達政宗を読んでいる」と話したところ、その某氏が「じゃ、次は徳川家康だね」と言われ、主体性のない私は某氏のお勧め通りに「徳川家康」に手を染めたということなのだ。

   
 いや~、実に面白い!その第一の要因は山岡荘八の筆致の巧みさに私が単純に酔っているということなのだが、人の命を虫けらのごとく扱う戦国時代において、家康の戦略家のとして読みの鋭さ、そして人間としての奥の深さが私にはとても興味深い。
 第1巻「出生乱離の巻」
 第2巻「獅子の座の巻」
 第3巻「朝露の巻」
 第4巻「葦かびの巻」
 第5巻「うず潮の巻」
 第6巻「燃える土の巻」
 第7巻「颱風の巻」
 第8巻「心花の巻」
と読み進めてきたが、第8巻において風雲児とも称された織田信長が京都「本能寺」において家臣であった明智光秀の謀反によって倒されたところである。

   
 考えてみると、戦国時代において全国制覇を狙っていた今川義元、武田信玄、そして織田信長といった傑物たちが次々と倒れていった時代である。その時代を生きた徳川家康自身がどう考えていたか知る由もないのだが、少なくとも表面上はけっして野心を剥き出しにするようなことがなかったのは事実のようだ。

   
 物語はまだ1/3も読み進んでいない。この後、残った羽柴秀吉とどのような丁々発止を繰り広げてゆくのか、いやいや家康のことだから柳の木が風に逆らうことなく流されるようで、流されることなく、自らの意志を深く潜航させながら貫いていく様がどのように描かれていくのか興味を持ちながら読み進めたい。
 とは云っても、私の読書時間はけっして多くはない。だいたいが寝る際に睡眠薬代わりに読むことがほとんどであるうえ、遅読ときているから、遅々として先へ進めないのが現実である。残り18巻の完読が何時になるのか?予測もつかない。おそらくお正月を過ぎてもまだまだその途中であろう。今のペースなら来年一年間はかかるかなぁ…。
 私のペースで、焦ることなくじっくり味わいながら読み進めたいと思っている。

山岡荘八著「伊達政宗」全八巻を読む

2024-08-29 08:00:00 | 本・感想
   歴史小説というのは、登場人物の関係を把握することがこれほど難しいことなのか、ということを嫌というほど味わわされた。また登場人物の氏名も私にはことのほか難しかったぁ…。それでも伊達政宗の人となりを理解することができたのでは?と思っているのだが…。

      

 今ごろになって歴史小説に興味を持ち始めた。吉川英治著「宮本武蔵」全八巻に続いて、BOOK OFFで山岡荘八の歴史文庫「伊達政宗」全八巻を購入することができたので、凡そ一か月をかけてこのほど読了することができた。
 伊達政宗について私のこれまでの知識は幼少の頃の病気で隻眼になったということ、そして「伊達者」という言葉もあるように派手な装いをしていたということくらいの知識しかなかった。
 しかし、今回読了することによって伊達政宗が大変な策略家であり、時の将軍だった徳川家康からも一目おかれた存在であったことを知ることができた。思えば伊達政宗生きた時代とは、群雄割拠の時代で常に緊張しながら、世の中の勢を見ながら策略を練ることが求められた時代であった。
 伊達政宗が生きた時代(1567〜1636年)。特に家督を継いだ1584年(政宗18歳の時)以降、時代を共にした主な武将として名が挙げられるのは豊臣秀吉、その子の豊臣秀頼、織田信長、そして徳川家康、その子である徳川秀忠、孫の徳川家光と、ちょっと挙げただけで錚々たる顔ぶれが並ぶ。こうした中で丁々発止のやりとりをしながら逞しく政宗はその存在感を発揮しながら生き抜いていくのである。

    

 よく「もし政宗が20年早く生まれていたら、天下を取ったのではないか」と言われているそうだ。ところが現実は政宗が本当に力を持った時に、政宗の前に徳川家康が大きく立ちはだかっていたのだった。家康を前にして政宗は丁々発止の仕掛けをあれこれと企むのだが、家康の泰然とした対応の前に、政宗はなすすべに事欠いたというのが、実相だったようだ。そうした経緯を辿る中で、政宗は大望を胸にしまい込み、家康と共存共栄を図る道を選択したようだ。そして、政宗は領地である仙台の地の繁栄に力を注ぎながら、家康と共に歩む道を選択したのである。そして三代将軍:徳川家光の代には家光の後見人という実質的に副将軍の地位を得たということである。
 識者によれば政宗は「類まれなる情報収集力と分析力を持ち、それを基にした決断力があった」からこそ、当時辺境の地であった仙台藩主という立場にありながら、絶大なる権力を発揮した希代の名君として名を馳せたということだろう。
 著者の山岡荘八は、史実に沿いながらも、細部においては氏の創作も巧みに織り込みながら筆を進めたという。そうした創作姿勢が多くの読者の支持を得たということなのだろう。私もおおいに楽しめた全八巻だった。




ぼくがぼくに変身する方法

2024-08-22 19:53:06 | 本・感想
 SF童話の書名である。とうとう入手することができた!作品は今年の「第37回福島正美SF童話賞」大賞を受賞した作品である。この作品の作者の「やませたかゆき」氏は知人(と云っても良いのかな?)の一人ということもあり首を長くして出版を待ち望んだ一冊だったのだ。

      

 やませたかゆき氏とはブログを通してもう10数年以上にわたってお付き合いさせていただいている方である。
 そのお付き合いとは、主として拙ブログにやませ氏からコメントをいただくことが多く、同じく毎日のようにブログを発信しているやませ氏のブログに私からコメントを入れることは少ない傾向がある。それはやませ氏が私より15歳くらい若いこともあって、感性の違いを感じてしまうところがあるのだ。私のブログはいわば直球一本やり、対してやませ氏のブログは一捻り、二捻りした投稿が多いこともあり、私からのコメントを控えてしまうことが多いのだ。もっともそうしたところにやませ氏の作家としての資質もあると思われるのだが…。
 さて、やませ氏にとって作家デビュー作ともなった「ぼくがぼくに変身する方法」であるが、過日書店に行った際はまだ札幌には入荷していないということで、予約していたところ昨日「入荷した」という連絡があり、本日購入して早速読ませていただいた。
 児童書など私はほとんど読んだことはない。息子に読み聞かせた記憶もないなぁ…。

     
  ※ タクミが変身して空高く飛び上がったシーンです。(絵ははせがわはっち氏です)

 ストーリーは大要次のような内容である。
 主人公のタクミ(小学4年生)はフリーマーケットで中古の変身ベルトを手に入れた。もちろん4年生にもなったタクミは変身できるなどと思って買い求めたわけではなかった。ところが同級生で体格の良いクラスのボスの剛太(ボスノ)がタクミに意地悪をして変身ベルトをぞんざいに扱った。体格に劣り力の弱いタクミは「サンダー仮面に変身して、剛太をやっつけてやりたい!」と強く願った。すると、なんと願いが叶ってしまう…、という流れである。
 ストーリーとしてはあり得る話かな?と思われるが、おそらく作者のやませ氏が小学生の頃に夢見た話だったのでは、と思われたのだが…。だから設定も、ストーリーも無理なく、あるいは小学校の低学年の子が読んだとしたら「えっ?ぼくも願ってみようかな?」と思わせてくれるのではないだろうか?
 70歳過ぎのお爺ちゃんもスイスイと読み進めることができた。

       
       ※ 「ぼくがぼくに変身する方法」の裏表紙です。

 やませ氏によると、こうした児童文学賞で大賞を受賞し出版した場合、その後に児童文学賞に応募することはないそうである。(つまり、児童文学作家として認められたということのようだ)したがって、今後は児童文学作家として活動していくことになるそうだ。幸い、やませ氏は会社員として生活に一区切りをつけ、現在は再雇用で以前の会社に務められているようだが、近く完全にフリーの身になるとも聞いている。これからは創作活動に専心できるようである。そうなるとますますの活躍が期待できる。
 さらなるやませ氏の活躍を見てみたい(願いたい)ものである。

吉川英治著「宮本武蔵」を読む

2024-06-20 20:12:28 | 本・感想
 遅ればせながらこの度「国民文学作家」とも称された吉川英治が著した「宮本武蔵」の文庫版を読了した。非常に興味深く物語に没頭されられながら読んだのだが、昭和初期の作品とあって、今読むと若干の違和感が拭えなかったのも事実だった。

   

 私はあまり熱心に読書に勤しむというタイプではない。だから現代小説もそれほど手に取ることはなく、ましてや時代小説などほとんど読んだことがなかった。
 それが某日、中古本販売の大手「△△△△OFF」を覗いてみたら、講談社文庫版の「宮本武蔵」が格安で全8巻が並んでいた。「うん、時には時代小説もいいなぁ…」程度の軽い気持ちで購入した。(何せ格安である)
 早速読み始めてみると、これが期待どおりに面白い。
 吉川作品によると武蔵は関ヶ原の戦いで西軍に加わり参戦し、西軍敗戦後は隠遁し、剣の道に精進し、魂の求道を通して鏡のように澄明な境地に達する過程を詳細に描いているのだが、その過程の多くは吉川英治の創作と言われている。例えば、関ヶ原の戦いにおいて武蔵の父は東軍に加わったという史実が残されているという。親子が東西に分かれて戦うのは不自然ではないか、と主張する史家も多い、といったように…。
 吉川作品はある意味で、自らの創作も交えて宮本武蔵を希代の英雄としてまつり上げる上で大きな役割を果たしたようである。

      
      ※ 「宮本武蔵」の著者・吉川英治氏です。

 さて、物語全体についての私の印象であるが、私のように知識の浅い者にとっては “宮本武蔵” というと佐々木小次郎との “巌流島の決闘” が直ぐに思い浮かぶ。私はその場面が「いつ来るのか、いつ来るのか」と読み進めたのだが、いっこうにその場面が表れない。なにせ文庫本は一冊が400ベージほどの量で8冊もあるのだが、物語の大半は、武蔵は野にあって自ら剣を磨きながら、二人の弟子(三木之介、伊織)を相前後して従えつつ、幾多の決闘を勝利する場面もあるが、その他武蔵を恋い慕う “おつう” とのまるでメロドラマのようなすれ違い、あるいは武蔵を宿的として命を狙うことに執念を燃やす “お杉ばば” の武蔵追跡劇、もちろん武蔵の本当の宿敵・佐々木小次郎もところどころで登場するが…。
 結局、私が期待しながら読み進めた “巌流島の決闘” 場面は第8巻の357~366頁の僅か10頁足らずで描き、それがこの「宮本武蔵」の終焉だった…。
 吉川英治としては「巌流島の決闘」を最大最高の見せ場として、そこにいたる大河のような流れをそこに収斂させるという手法を取ったのだろう。
 しかし、私のような時代小説を解しない者にとっては、例え「巌流島の決闘」を最後の見せ場とするとしても、武蔵と小次郎のそれまでの生き様や二人の生き方の違いなど、巌流島に至る二人の英雄の過程をもっと詳細に描いてほしかった思いが残った。また、巌流島の後の武蔵の生き様も知りたいと思ったのは素人の浅はかさなのだろうか?

          
         ※ 宮本武蔵自らが描いたとされる自画像です。

 「国民文学作家という大家の作品に向かって、お前はなんてことを言うんだ!」と多くの方々からお叱りを受けそうだが、素人ゆえの怖さ知らずで書いてしまったことをお許しいただければと思います。
 吉川英治著「宮本武蔵」を数週間にわたって楽しませてもらいました。
 (私の文章中に事実誤認のところがあったとすれば、全て私の責任です)


直木賞受賞作品「ともぐい」を読む

2024-02-20 14:19:13 | 本・感想
 作品の冒頭からぐいぐいと惹き付けられた。これほどの骨太の文章が女性の手によって紡がれたとは!道民にとっては最大・最強の害獣ヒグマとの壮絶な闘いを繰り広げる “熊爪” になり切ったかのような作者のリアルな表現に惹き込まれた。

      

 令和5年度下半期(第170回)の芥川賞・直木賞の受賞作が1月下旬に発表された。その直木賞受賞作に北海道在住の河崎秋子さんの「ともぐい」が選ばれたが、その文体が話題を呼んでいると聞いた。話題作ということで受賞発表後は店頭からすぐに姿を消したと聞いていた。一日も早く読んでみたいと思っていたが、入手は困難かな?と思っていた。それでも「あるいは?」との思いから2月入ったある日、書店を覗いてみたらなんと店頭に山積みとなっていたのを見て喜んで購入した。
 読み始めてみると、冒頭から河崎ワールド全開だった!その冒頭を紹介すると…、

 鼻から息を吸い込む。決して音を立てぬように深く。零下30度の冷気は鼻毛と気管を凍てつかせ、氷塊のように体の中を滑り落ちていく。夜明け頃、一日でもっとも気温の下がる時間帯。その外気が肺を冷やして脳髄を鮮明にしていく。
 肺に満ちた空気を、ゆっくりと細く吐く。温かく湿った息は口元を覆った髭に細かな氷の粒を作る。
 熊爪は深い呼吸を三度、繰り返した。

 主人公の熊爪がヒグマと対峙する場面である。
 私はこの「ともぐい」を読みながら、作者の河崎氏は別海に生まれ、大学を卒業した後も別海に住んでいたと聞いていたので、「きっと河崎氏は熊撃ちの経験がある方に違いない。そうでなければ、こんな迫真のある場面描写はできないはずだ」と思い込んでいた。
 ところが2月のある日、北海道新聞に河崎氏が「直木賞を受賞して」という一文を寄稿していた。それによると、河崎氏は鉄砲を撃った経験も、ヒグマと戦った経験もないという。

    
 ※ 受賞直後の記者会見での河崎氏です。牛の姿が描かれたTシャツ、そしてイヤリングイヤリングに河崎氏のこだわりがあったと新聞は伝えていた。

 そして河崎氏は「作中の描写の要素になったのは、実際の猟師さんたちが書かれた手記や私の山歩きの僅かな経験によるものだ。あくまでフィクションである」と述べている。
 なるほど別海町は熊との距離も近く、日常的に熊のことが話題になるような地であることは容易に想像できる。そうした地で育ち、生活してきた河崎氏にとっては、例え体験はなくとも迫真のシーンを表現する素地は無意識のうちに育まれていたのかもしれない。
 そして河崎氏は断言する。「それで(フィクション 註:私)いいと思っている」と…。そしてさらに「現実と空想を混ぜて物語と為す。それこそ最も人の心に届きやすい道だと私は思い定めて小説を書いてきた」
 舞台は明治の北海道の僻地。熊撃ちだけが生きる糧だった熊爪(名字ではなく、同じく熊撃ちだった養父に名付けられた愛称のような名である)のヒグマとの闘い、そして彼の山の中での生活を骨太の文章で描き切ったものである。
 河崎氏は10年前くらいから執筆活動を始められていたようで札幌市図書館にも蔵書が10数冊あるようだが、さすがに時の人である。全てが貸出中だった。折を見て、また彼女の作品に接してみたいと思っている。 
 

コミック「ゴールデンカムイ」を読む

2024-01-08 19:34:45 | 本・感想
 映画化とともに注目を浴びるコミック「ゴールデンカムイ」だが、こ漫画のどこが魅力なのか? そのことを知りたくて、今日、札幌市中央図書館に入り浸って読んでみたのだが…。
 今日の札幌は大雪になったこともあり、予定していたことを中止せざるを得なかった。そこで私の周りで以前からよく話題となっていたコミックの「ゴールデンカムイ」を読んでみようと思い立った。というのも、某ブログで中央図書館で単行本を読むことができると書かれていたことから、「私も行って読んでみよう!」と思い立ったのだ。

  
  ※ 札幌市中央図書館の閲覧コーナーはとても快適でした。

 午前10時半、中央図書館まで出向き、図書館職員にお尋ねすると、2階閲覧室の奥の方の書棚に全31巻が揃っていた。

  
  ※ 書棚には「ゴールデンカムイ」全31巻と関連本が揃っていました。

 私は10時半から午後4時まで、昼食も摂らずに読み続けた。なのに私は遅読ためか5巻まで読み終えるのが精一杯だった。
 「ゴールデンカムイ」とは、そもそもどのような漫画なのかというと、同じ棚にあった紹介本によると、次のように紹介されていた。
       
 アイヌから奪われた莫大な金塊が、北海道のどこかに隠された。
 その在り処を示すのは、脱獄囚人たちに彫られた刺青の暗号のみ――。
   ある目的のために大金を求め北海道を訪れた “不死身” の異名を持つ男 杉本佐一。
 金塊を奪った者に父を殺されたと語るアイヌの少女 アシㇼバ。
 隠された黄金と暗号の話を知った二人は互いの目的のために手を組み、刺青
囚人を追う旅へと出発する。

 という紹介文のとおり、この「ゴールデンカムイ」は杉本佐一とアシㇼバが中心となって物語は展開していく。ところが私が5巻まで読み終えた段階でも、登場人物が多数登場して、その人物相関図が描きづらいのだ。5巻まででそうなのだから31巻となるとその複雑さはさらに混迷の度を加えるのではないだろうか?そう思うと、これ以降の私の読書欲が沸いてこないのが実際のところである。
        
        ※ シリーズ第1巻の表紙です。顔は主人公の杉本佐一です。

 ただストーリートは別に、作者の野田サトル氏はアイヌ文化について詳細に取材したようで、まだ和人との交流が進んでいない明治期のアイヌ文化や風俗、食生活などについてとても詳しく表現されていたところが多く得るところが多かった。しかし、複雑な人物相関図やリアリティーにやや欠けるストーリーにはどうしてもついていけなかった。
 映画の方は1月19日公開だと聞いている。こちらはぜひ観賞してみたいと思っている。映画を観賞することによって6巻目以降の読書欲が沸いてきたなら、また中央図書館に入り浸ってみたいと思ってはいるが…。 
        
        ※ こちらは映画版のポスターです。                      

今さらながら池井戸潤に嵌まっています

2023-07-16 16:37:22 | 本・感想
 「何を今さら…」と嘲笑されそうだが、私は今池井戸潤の作品にどっぷりと嵌まっている。おそらく多くの池井戸ファンはずーっと以前に彼の作品をむさぼり読んでいるはずだ。それを遅まきながら、今私がやっているのだ。
        
                                   ※ 池井戸潤氏の近影です。
 先日、文庫本で750ページもある池井戸潤作「陸王」を二晩寝ずに読み切った。(昼に寝ていたが…)その前の「七つの会議」もやはり寝ずに読み切ってしまった。
  
 もちろんその前に彼の代表作である「半沢直樹」シリーズの「オレたちバブル入行組」「オレたち花のバブル組」「ロスジェネの逆襲」「銀翼のイカロス」が私の池井戸潤ワールドに魅了される入口だった。
        
 続いては、これもテレビで話題となった「下町ロケット」シリーズの「下町ロケット」「下町ロケット ガウディ計画」「下町ロケット ゴースト」「下町ロケット ヤタガラス」を立て続けに読了した。
        
 なんで池井戸に嵌まったのか?振り返ってみた。するとそのキッカケは3月に観た映画池井戸潤原作の「シャイロックの子供たち」だったなぁ、と思い出している。巧みなストーリ展開、いかにもありそうな銀行内部の人間模様、胸をスカッとさせてくれる終末の描き方を観て、改めて池井戸潤に興味を抱いたのがそのキッカケだったように思う。
 そのことがキッカケとなって「池井戸潤を読んでみよう!」思い立ち、久しぶりに図書館利用が始まった。
 池井戸本がなぜエンターテイメント小説として多くの人に支持されるのか、ちょっと考えてみた。それは先にも触れたように、巧みなストーリ展開、いかにもありそうな業界内部の人間模様、胸をスカッとさせてくれる終末の描き方、etc.…つまりエンターテイメント小説として求められている要素がふんだんなく盛り込まれていることだと思う。
 「半澤直樹」シリーズなどは、彼のやり方に反旗をあげた輩には終末で完膚なきまでに叩きのめすところなどは、読者をスカッとさせるに十分である。
 彼は2011年、「下町ロケット」で直木賞を受賞しているが、それ以前も候補に何度か挙がっていたが、彼の作品は「文学性に乏しい」という理由で受賞できなかったという。池井戸はそのことをあまり気にしていなかったようだ。つまり彼は「痛快で単純に読者に楽しんでもらう」ことに主眼をおいていたという。ただ、最近は少し傾向が変わりつつあるともいうが…。
 今、私は池井戸潤に嵌まっているが、これがいつまで続くか分からない。私は典型的な熱しやすく冷めやすい人間だと自己分析しているからだ。食べ物然り、読書然り…。あれだけ夢中になっていた「丸亀製麺」も遠い昔の出来事といった感じである。これまでの読書遍歴も思い出すだけで何人もの作家を渡り歩いてきた。いつ池井戸潤から離れてしまうか自分でも皆目分からない。まあ、離れることはなりゆきに任せ、それまでは嵌まり続けたいと思っている。
 「陸王」と「七つの会議」を読み終えた私は、続いて今図書館に「空飛ぶタイヤ」上・下、そして「アキラとあきら」上・下を予約している。夜を徹することなどしないようにしながら池井戸潤ワールドに浸りたい。

60年ぶりに再読!小田実著「何でも見てやろう」

2022-12-08 10:55:33 | 本・感想

 私が「何でも見てやろう」に出会ったのは16歳、高校2年生の時だった。読み終えた私は興奮していた。「こんな方法で世界を巡ることができるんだ!」と…。この「何でも見てやろう」は私の人生に大きな影響を与えた一冊だった。その一冊をこのほど60年ぶりに再読した。

          

   ※ 私が高校2年生の時に読んだ初版本です。字が小さすぎて今の私が詠むには辛過ぎました。そこで…。

 今となっては記憶が定かではないが、道東の片田舎にある町のたった一軒の本屋さんで私はその一冊に出会ったと記憶している。読書の習慣など無かった私だが、「何でも見てやろう」だけは特別だった。その一冊にだけはぐいぐいと引き寄せられた。

 著者の小田実は「1日1ドル」という極小予算でアメリカからヨーロッパ、中近東、アジアを巡って歩いた旅行記だった。「このような旅なら、自分にもできないだろうか?」…、そんな思いがムクムクと湧いてはきたが、自分にはしょせん儚い夢でしかなかった…。

 お――っと、私の思い出話を語る投稿ではない。再読の話である。

 60年ぶりに頁を開いた「何でも見てやろう」は、60年前と同じように魅力に満ちていた。粗筋的には東京大学の文学部大学院に学ぶ作家のタマゴの小田実は、「アメリカを見てやろう」とフルブライト留学生に応募し、見事に選考を通過し、渡航、生活費などを先方持ちで留学することになった。(このあたりは小田が秀才であるが故に可能なのだが)

 アメリカでの1年間の留学生活を終え帰国するに際して、小田はアメリカから日本へ直接帰らず、ヨーロッパ、アラブ、中近東、アジアを回って帰国することを画策した。作家志望である小田はアメリカでも各地を巡っているが、より多くの国々を巡りより多くの事物、人物に接したいと考えたのだ。そう「何でも見てやろう」と思い立ったのである。

 「何でも見てやろう」はユーモアと機知に富んでいて、読んでいてとても楽しませてくれた。低予算の旅のため、訪れた国々の底辺をさ迷いながら、小田の観察眼は冴えわたる。それは単なる旅行記の範疇を超え、鋭い文明批評の様相も呈した内容だった。小田が旅した1958~1960年というと、昭和33年~35年にあたる。

 「何でも見てやろう」で小田が書く文明批評的文章を当時の私が理解できるはずもない。私はただ、ただ、小田の無鉄砲とも思える旅の方法・手段に引き寄せられたのだった。その時、私の中で残った小田の言葉で覚えているのは、「インドのカルカッタは世界最悪の都会」ということと、「日本列島はアメーバ運動のようである」と称したことだ。アメーバ運動とは、アメーバはてんでばらばらに偽足を出して動きながら、それでいてある一定の方向をさして移動していくが、日本の国内もまたてんでばらばらの動きに見えるが、確かに良い方向を目指して動いているように見える、と小田は喝破したことは鮮明に覚えていた。(小田は本書で「アミーバ」と表記しているが、私が「アメーバ」と一般に流通している言葉に置き換えた)

            

  ※ 今回詠んだのは、講談社文庫から出版された文庫本となり文字も大きくなったもので詠みました。

 面白いことに、私が敬愛するノンフィクション作家の沢木耕太郎もまたこの小田実の「何でも見てやろう」に接してインスパイアされ、あの名著「深夜特急」を産み出したアジア・中近東・ヨーロッパ放浪の旅に出たのだった。

 さて、私はというと、「何でも見てやろう」から受けた衝撃は大きく、この本に出合ってから5年後の大学3年生を終えた時に大学を1年間休学してヨーロッパ、中近東、アジアの彷徨の旅に出かけたのだった…。

 小田実著「何でも見てやろう」を今回60年ぶりに再読している間、私は65年前の甘酸っぱい青春の旅の再現していたのだった…。(いつかまた、そのた旅を語ってみたい、とも思っているのだが…)             


吉村昭著「桜田門外ノ変」上・下

2022-09-10 19:16:31 | 本・感想

 水戸学の薫陶を受けた尊王攘夷派の水戸藩の脱藩士(薩摩の脱藩士一人を含む)18人が江戸城桜田門外において、時の大老・井伊直弼を暗殺した事件の襲撃の指揮をとった関鉄之助の視点で、事件前の安政4(1857)年から事件後の鉄之助の逃亡、捕縛、斬首までの6年間を克明に描いたものである。

        

 時は激しく動いていた。江戸末期である。

 鎖国政策を執っていた徳川幕府は諸外国からの執拗な開国要求に揺れ動いていた。

 徳川御三家の一つ、水戸藩は江戸末期において時の藩主・斉昭が水戸学の立場から強硬な攘夷論を主張した。時の大老・井伊直弼は開国政策をとったために水戸藩と激しく対立することとなった。

 攘夷論が藩論となった水戸藩では、藩士たちが激しく動いたが直弼はそれらの動きを厳しく罰した。「安政の大獄」である。この直弼の措置が水戸藩の藩士たちをいっそう頑なにした。

 水戸藩の尊攘派の藩士・高橋多一郎や金子孫二郎を中心として井伊直弼の暗殺を企てる。 その暗殺現場の指揮を執ったのが吉村昭著「桜田門外ノ変」で主人公として描かれる関鉄之助である。鉄之助は下級藩士の出だったが、藩校の弘道館で頭角を現し、藩に仕えてからも注目され暗殺の実行部隊の指揮者として抜擢されたのである。

 本著においても吉村昭の筆は冴えわたる。それは彼の執拗な取材の賜物である。登場人物の生地に赴き、その地の資料館において市史に触れるのはもちろんとして、関係者にも可能なかぎり会い取材を重ねている。また本書の場合は主人公の関鉄之助が日記を事細かく記していたことも幸いしている。ともかく、吉村はまるで影武者のごとく至近距離から見ていたかのように仔細に描いていくのだ。それが読者を一層ストーリーに飲み込ませるのである。

         

 結局、史実のように安政7(1860)年3月3日「桜田門外の変」において、井伊大老暗殺という目的は達せられたが、暗殺に関わった藩士たちはその場で悶死した者、傷つき自刃した者、後の探索で捕らえられ処刑された者、と首謀者の高橋多一郎や金子孫二郎も含めてほぼ全員が命を長らえることはなかったし、後の歴史が示すように尊王攘夷論は歴史の彼方へ葬り去られることになった。

            

            ※ 関鉄之助の顔写真です。(ウェブ上より拝借) 

 そうした中、ただ一人関鉄之助は「桜田門外の変」後、尊王攘夷派の立起を促すために探索の目を逃れながら薩摩などに向かうも、その願いは叶わなかった。傷心の鉄之助はその後、探索の目を逃れてひたすら逃亡の身となった。その逃亡劇は、まるで「長英逃亡」の高野長英の逃亡劇と重なるかのようなスリリングな展開の連続だった。しかし、逃亡生活1年半、彼も探索の目を逃れることはできなかった。水戸藩に逃れていたところを捉えられ、文久2(1862)5月11日、刑場の露と消えたのである。齢37歳だった…。

 本作も吉村昭の巧みな筆致に酔わされた数日間だった。                  


吉村昭著「冬の鷹」

2022-09-01 17:10:57 | 本・感想

 我が国の近代医学の礎を築いたとされる「解体新書」の成立過程には、私のような者には思いつかない想像を絶する困難を乗り越えねばならない作業があったこと、また「解体新書」を共同で著したとされる前野良沢と杉田玄白の間には知られざる相克があったことを著者・吉村昭は克明に描いてみせた。

         

 私の吉村昭を追いかける旅はまだまだ続く。今回もまた時代は江戸末期である。吉村にとって江戸末期とは時代が激しく揺れ動いた時代であったために、ノンフィクション的手法をとる彼にとっては題材が数多転がっていた時代でもあったのだろう。

 今回の題材も1760年代から1810年代頃(ちなみに江戸時代は1603年~1868年とされる)それぞれの属する藩の藩医であった前野良沢杉田玄白らによってオランダ医学書「タ―ヘル・アナトミア」を翻訳し、発刊した「解体新書」の翻訳過程、そして発刊後のことについて克明に追ったノンフィクションである。

 吉村がこのことに興味を抱いたのは二人によって発刊された「解体新書」の著者名(訳者名)に前野良沢の名はなく杉田玄白一人の名になっていたことに興味を抱いたのだった。そこから吉村の精緻な取材活動が始まり、その過程で著者名の件も明らかになるにつれ、吉村は前野良沢の生き方に強く心を惹かれるようになったようだ。そこで前野良沢を主人公に据えて本書「冬の鷹」を著そうと決心したようである。

 良沢は長崎にオランダ語を学びに遊学した際に解剖書「ターヘル・アナトミア」を入手した。一方、玄白は知人の中川淳庵を通して「ターヘル・アナトミア」を入手したことが二人を結び付けた。そして二人は罪人を処刑する江戸の「骨ヶ原刑場」で死体の腑分け(解剖)を見たことで、「ターヘル・アナトミア」の正確さに驚いた。そこで二人(正確には二人とさらに、小浜藩医の中川淳庵、幕府奥医師の桂川甫周も加わっていた)は本格的に「ターヘル・アナトミア」を翻訳することを決意した。

 翻訳するとはいっても、玄白にオランダ語の素養はなく、わずかに良沢が長崎に学んだことから、良沢が頼みの全てだった。とは言っても、良沢のそれも初心者の域を出ないものであり、もちろん蘭和辞典など無い時代であり、その道程は途方もなく遠く高いものであった。それでも良沢を中心としてあらゆる手がかりをもとにしながら、蟻の歩みのごとく休むことなく、コツコツとその作業を進めた。そうして苦節3年5ヶ月、翻訳作業は一応に完成をみたのだった。

   

 その際、編集者的役割を担っていた玄白は、翻訳作業の中心的役割を担った良沢に「解体新書」の序文の執筆を依頼した。ところが良沢はこの依頼を決然として拒否したのだった。その理由は、翻訳した「解体新書」がまだまだ完全なものではなく、訳者としてそこに名を連ねることを良沢は良しとしなかったのである。ここが二人の分岐点だった。

 「解体新書」の著者(翻訳者)名は杉田玄白となり、その後の彼は画期的偉業を成し遂げた医師として名声を上げ、豊かな後半生を送った。それに対して、前野良沢は藩医ではあったものの、その後もオランダ書の翻訳に拘泥し続けたことで、生活も困窮し、寂しい最期を迎えたのだった。

 「解体新書」の翻訳・執筆に関わった前野良沢、杉田玄白の二人は対照的に後半生を送ることになってしまったことに対して、吉村は前野良沢のオランダ語研究者としての姿勢に心をより惹かれたことが執筆の契機となったとあとがきで述べている。

 私の記憶では、中学時代だったか、高校時代だったか判然としないが、社会科の教科書で「解体新書」の著者は前野良沢と杉田玄白の二人だと記憶している。それはおそらく後世になって訂正された結果なのかもしれない。ただ、今回吉村の著「冬の鷹」によって、その舞台裏を知ることができたことは私にとって大きな収穫だった。

   

 なお、私は本書を読み続ける中で、書名「冬の鷹」という題名について考え続けた。その結果、特別な考えには至らなかった。「鷹」は速く飛び、力強いというイメージがある。つまりオランダ語に秀でた前野良沢を “鷹” とたとえ、その “鷹” が厳しい冬の中で生きたという意味からこうした書名を冠したのかな?と考えたのだが、どうだろうか?

※ 「解体新書」と杉田玄白、前野良沢の図はいずれもウェブ上から拝借しました。