いよいよ今日(31日)で札幌東宝プラザが閉館する。先週「さよなら上映会」と銘打った3本立て映画をレポートした。ところが、今週上映フィルムを替えて再び3本立て上映をしていたので最終日の今日私も再び観てきた。
3本のラインナップは次のとおりである。( )内は制作年度
◇「『無頼』より 大幹部」(1968年)
◇「仁義なき戦い」(1973年)
◇「網走番外地 大雪原の対決」(1966年)
前回のも含めてラインナップを見てみると一つの特徴に気付く。
それは6本全てが1960年代後半から1970年代前半の10年間くらいに集中していることである。
上映作品を選定したのは映画館オーナーやスタッフが相談した末なのだろうが、これほど時代が集中したのは単なる偶然だろうか?
私にはどうもそうとは思えないのだ。この時代は日本の映画が最後の輝きを放った時代だったのではないかと思うのだ。この時代が過ぎると世の中の娯楽の中心はテレビに移行し、映画は衰退の一途を辿ることになる。
その最後の輝きを放った時代の代表作ともいえるのが「仁義なき戦い」や「網走番外地」のシリーズ物だったのではないか。
さて、映画を観ての感想だが、「『無頼』より 大幹部」、「仁義なき戦い」の2本はヤクザ物である。どちらも実際の手記などがベースになっているということだが、映画のテーマ自体はいずれもヤクザを否定しているが、どこかで若者などがヤクザ世界に憧憬を抱くような描き方になってはいないだろうかと少々気になった。
「仁義なき戦い」は11作制作されたシリーズの第一作であるが、深作欣二監督の斬新な構成・カメラアイが評判となり、それ以降の大ヒットに繋がった記念碑的作品であるが、今見ても色あせない迫力があった。
また、「網走番外地 大雪原の対決」は「番外地」シリーズ18作が制作された中の第7作でシリーズの中で最もヒットした(年度興行収入第一位)作品である。
題名どおり全てが冬のシーンで、網走ロケが相当部分を占めていたが、内容的に特筆すべきところはなく、シリーズ化した力と高倉健の魅力で観客を集めたということではないだろうか。出演当時20歳の大原麗子の可愛らしい美しさが際立っていた映画でもあった。
※ 館内にはこれまで上映された作品のチケットが展示されていた。
※ 写真は東宝プラザの前身の映画館です。始まりは「三友館」と称していたようです。
最終日というにもかかわらず、観客の入りはそれほどでもなかった。もっとも私は一番早い回だったので、夕方から夜にかけては客足が増えたかもしれない。
映画館の一隅にはこれまで上映したチケットが陳列されたり、歴代の東宝プラザの映画館の写真が掲載されたりして閉館ムードが醸し出されていた。
また、テレビ局も最終日ということで取材に訪れていた。
※ 最終日ということでテレビが取材に訪れていました。
私は新作なども東宝プラザで上映されているときはシネコンに行かず、東宝プラザに来てゆったりと観るのが楽しみだった。
そうした映画館がまた一つ閉じてしまうのは残念なかぎりである。
8月27日(土)北大病院腫瘍センターが開催した市民公開講座「大腸がんを知ろう!」に参加してきた。
会場の札幌教育文化会館には関心の高さを示して多くの市民が集まり用意された椅子が足りないほどだった。
北大病院は平成21年に厚生労働大臣から「がん診療連携拠点病院」に指定されたことから、がんに関する研究・研修活動と共に、こうした市民への啓蒙活動も行うこととなり、今回がその第1回目だった。
講座は、大腸がんの知識と見つけ方、外科的治療、薬物療法と大腸がん全般についての解説だった。
その中から私が印象的だったことを記すことにする。
一つは外科治療、つまり手術によってがんの部位を除去する方法である。
現在では「腹腔鏡下手術」が主流になってきているということだった。腹部に穴を開けてモニター映像を見ながら患部を除去するのだが、その手術の動画も見せていただいたが素晴らしい技術の進歩である。
開腹手術を免れることは体へのダメージも少なく大きなメリットがあるようだ。
以前は「腹を切る」などと言われたが、そうしたこともこれから昔話になるかもしれない。
次に抗がん剤の話である。
抗がん剤もこれまでのイメージを覆すような新薬が開発されているということだ。
それは「分子標的治療薬」と称して、がん細胞だけを標的として壊滅させようとする治療薬だということだ。
これまでの抗がん剤は正常な細胞までも痛めつけるために副作用も大きかったということだ。
ただ、この「分子標的治療薬」はだ完全なものではなく、発展途上の薬ということなのでこれからのさらなる開発が期待されるということだ。
抗がん剤というと、慶大医学部講師の近藤誠氏が文芸春秋誌で「抗がん剤は効かない」という記事を読んで、抗がん剤に疑心暗鬼になっていたのだが、こうした新薬の登場はそうした論争にも大きな影響があるのではないだろうか?
大腸がんももちろんそうだが、どのようながんにおいても、その治療が最も効果を発揮するのは「早期発見」であることは言うまでもない。
二人に一人ががんに罹患すると言われると、もっと真剣に考えなくちゃいけないなぁ…。
昨日レポートした「グローバリズムと北海道経済」の講演を聴いた後、教育文化会館で行われる講座を受講する前に腹ごしらえをしなくてはと思い、教育文化会館近くの食堂や食事を対供するカフェを物色するうちに「冷やしラーメン」の文字を見て入店した。
珈琲舎パルは南大通に面したビルの1階にあった。
店内はそれほど広くなく、インテリアなどについてもリード文で紹介したようにこれといった特徴はなく、よくある街中の喫茶店といった感じだった。
オーナー(?あるいはオーナーの夫人?)は中年のご婦人だがとても気さくな人のようで、そのことが常連さんを呼んでいるのではと思わせられた。
オーダーしたのはメニューには書かれていなかった「冷やしラーメン」セット(+ブレンドコーヒー 800円)を注文した。
「冷やしラーメン」はメニュー表に載っていなかったのだが、店外に表示が出ていることを告げると、夏季間だけ提供しているというのでお願いした。
最初にコーヒーが出てきたが、私には合っている味だった。ただし、コクという点ではやや物足りない味といえるかもしれない。
「冷やしラーメン」は家庭の味といった感じで、けっしてプロの味というわけではなかったが、好ましく感じられる味だった。
ビジネスに疲れたとき、友人と談笑するとき、などにちょっと立ち寄るカフェには相応しい店である。
【珈琲舎パル データ】
札幌市中央区南大通西14丁目 北日本南大通ビル 1F
電 話 011-271-3673
営業時間 平日 7:45~19:00
土曜 7:45~14:00
定休日 日・祝祭日
座 席 30席
駐車場 無
入店日 ‘11/08/27
講師は農業経済学が専門の本間正義氏(東京大学教授)だった。
本間氏は主張する。グローバル化の進展は、単なる貿易自由化が進むというだけではなく、制度の統一化、競争条件の共通化へと進展するだろう。制度や競争条件を協議するとき、そのネットワークの内にいるべきである。外にあることによって日本の産業がガラパゴス化するリスクは避けなければならない。
したがって、TPP(環太平洋戦略的経済協定)には参加すべきである、というのが本間氏の主張だった。
8月27日(土)、小樽商科大学創立100周年記念国際シンポジウムが京王プラザホテルで開催され、参加してきた。
本間氏の講演はシンポジウムの基調講演として行われたものだった。
本間氏は帯広畜産大学を卒業し、小樽商大で助教授、教授を勤めた経歴を持ち、北海道の経済、特に農業について相当に深く研究された方である。
賛否が入り混じるこの問題、特に農業関係者からは猛烈な反対論が渦巻くこの問題に対して本間氏は明解に論じてみせた。
TTP問題は国の食料の確保という問題、あるいは農産業の保護という問題と絡んで、国内的には難しい問題であり、私などの素人が口を挟む問題ではないのかもしれない。
しかし、本間氏の講演を聴いた感想くらいは述べることを許されるだろう。
本間氏は道農政部が試算した資料も提示してくれた。
それによると、TPPに参加した場合北海道の農業産出額は現在のおよそ半分となり、コメ、小麦、てん菜などは壊滅的な打撃を受ける。そして農業経営者の3/4は廃業に追い込まれると道農政部は試算したという。
こうした試算があるにもかかわらず本間氏はTPPの参加を促す。
その根拠の一つは、試算そのものは関税を突然撤廃した場合の試算であり、実際は10年以上の期間にわたって段階的に撤廃することが認められているという点である。
根拠の二つめとして、例えTPPに参加しなくとも市場開放要求は繰り返され、関税削減は避けられない趨勢にあるということを根拠として挙げる。
そして本間氏はこの問題に対して「冷静な議論とマクロ的長期的視点から判断」することを求めている。
1人の話を聴いただけでこの問題を論ずるつもりはないが、本間氏の明解な解説には頷ける部分も多々あった。
できれば反対の立場に立つ方からの話も聴いてみたいと思った。
※ 午後の国際シンポジウムの部は、他の講座を受講するために聴くことができなかった。
※ ご覧のように外観はカフェというよりは、居酒屋や食事処といった感じである。
南蛮屋珈琲店は札幌医大からほど近い、飲食店などが立ち並ぶ一角にあった。南蛮屋珈琲店自体も一見したところではカフェと喫茶店には見えない外観だった。
店内に入ってもその印象は変わらず、けっしておしゃれな店とはいえない店内である。
※ 店内も特別おしゃれという感じではなくありふれたものだった。
ただし、コーヒーにはオーナーのこだわりがあるようであった。
狭い店内であるが、しかりと焙煎室を備えていて、焙煎した豆はもちろんのこと、焙煎前の白色の豆も販売していた。
※ こうした壁に向かったカウンター席もあった。
提供しているコーヒーの種類も多い。
いろいろなストレートコーヒーがメニューにはたくさん並んでいた。それほどコーヒー通ではない私はいつもブレンドコーヒーをオーダーするのだが、そのブレンドコーヒーにしても、A「酸味(acid)」、B「苦味(bitter)」、C「中性(neutral)」と3種類あった。
私たちは3人ともブレンドの中性(500円)をオーダーした。
さすがにコーヒーにこだわった店のコーヒーである。
オーダーが受けてからコーヒー豆から挽いて、それから淹れていた。
ブレンドコーヒーではあったが、私には適度な酸味と苦味があり美味しく感じられた。
※ 私がオーダーしたブレンドコーヒーです。写真からは味は分かりませんねぇ…。
ところで店の名前の由来である。
マスターに伺ったところ、日本にコーヒーが伝来したのは長崎・出島のオランダ商館を通して日本に伝えられたということである。当時オランダをはじめヨーロッパ諸国を「南蛮」と呼んでいた。そこでコーヒーのルーツを意識してそうした名前を店の名としたということだった。
【南蛮屋珈琲店 データ】
札幌市中央区大通西16丁目
電 話 011-621-4822
営業時間 8:00~21:00
定休日 日・祝日 その他不定休
座 席 20席
駐車場 無し
入店日 ‘11/08/18
「忍び合う恋よ包む夜霧よ~♪」…、と歌う祐ちゃんの唄でお馴染みの 「夜霧よ今夜も有難う」である。戦後日本の映画界を席巻した石原裕次郎の映画である。良くも悪くも大スター石原裕次郎だった。
バタ臭いとか、演技がヘタとか一部から酷評された石原裕次郎だが、その存在感は抜群だった。
日本が戦後の復興期から高度経済成長に向かう中、裕次郎野の格好良さと全体から発散する育ちの良さは当時の若者が憧れ熱狂した。さらには、日活映画のアクション路線が昨日レポートした健さんのヤクザ映画にも通ずる勧善懲悪ものだったところが当時の人たちを捉えたのだと思われる。
健さんの映画も、日活アクション映画も最後は暴力に訴えて解決を図るところはけっしてほめられたものではないのだが、正義を貫くためには暴力を用いることもいたしかたなしという雰囲気が当時はあったということだろうか?(もちろん映画というフィクションの世界のことだが…)
※ 映画の中の一コマで主役の二人が顔を合わせたところである。
さて、映画が制作されたのは1967(昭和42)年である。当時石原裕次郎は33歳、浅丘ルリ子は25歳だった。この映画に出演するまでに石原裕次郎はすでに80本の映画で主演し、すでに押しも押されぬスターとして君臨していた。
記録を振り返ると年間に10本もの映画に出演していた年もある。殺人的なスケジュールで仕事をこなしていたことが伺える。
しかし時代は映画からテレビに移りつつある時代だった。事実裕次郎の映画出演の数もこの年あたりからは徐々にその本数が減ってゆくのである。
そして1973年、テレビはカラーテレビが白黒テレビの契約数を上回ったこともあって映画は国民の娯楽の主役から退いていくことになる。
※ 石原裕次郎若き日のポートレートである。
そうした中、裕次郎もまた活躍の場をテレビの世界に移していった。
「太陽にほえろ」、「西部警察」など石原軍団と称された石原裕次郎を中心とした一団がテレビの世界でも視聴率をおおいに稼いだことを知っている人は多い。
話が「夜霧よ今夜も有難う」のことからずいぶん離れてしまった。
この映画も含め、先に触れたように裕次郎の映画のほとんどは勧善懲悪ものであり、ストーリーは荒唐無稽ともいえるものが多かったが、それが当時の多くの若者、庶民に歓迎されたのだ。
そして石原裕次郎はあの時代に一世を風靡した大スターであったことは間違いない事実である。
ご存知高倉健さんのヤクザ映画である。強きを挫き弱きを助ける任侠ものを演じる高倉健さんは寡黙なイメージも相俟って庶民からおおいに支持された。共演の藤純子さんの美しさにも目を惹かれた。
※ 珍しくポスターをコピペすることができた。
高倉健さんの代表的シリーズとなった「日本侠客伝」は1964年から1971年にかけて11作品が作られ、「日本侠客伝 昇り龍」はその第10作とのことだ。
制作年は1970(昭和45)年、高倉健さんは当時39歳、共演の藤純子さんは25歳ということである。
※ 高倉健さんの当時のプロマイドではないかと思われる。
時代は大正時代半ば、北九州の若松市の港で石炭の荷降ろしに従事する組の「玉井組」の小頭というのが健さんの役どころである。
時代背景が大正時代だったから、というわけではあるまいがフィルムの保存状態がよくなかった。肝心なところでフィルムが切れてしまった箇所が何度かありちょっと残念だった。(もっとも映画館側では入場する際にそのことを断ってはいたが)
健さんの映画のあまりの人気に全国を何度も巡り歩くうちにフィルムも擦り切れてしまったということだろうか?
高倉健さんは当時39歳と書いたが、その背中に刺青を入れる場面がある。映画俳優として摂生し鍛えていたからだろうか、39歳には見えない肌の張りが印象的だった。
また、当時25歳の藤純子さんのスクリーンを圧するような妖艶な美しさも瞼に残った。25歳にして妖艶な雰囲気を醸し出というのは彼女の一つの才能だったのだろう。
※ こちらは時代がだいぶん経ってからの藤純子さんの写真である。
昨日も述べたが1970(昭和45)年というと日本は高度経済成長の真っ盛り、世の中は好景気に沸いていたのだろうが庶民の暮らしはというとまだまだその恩恵に浴していない時代だったといえるだろうか?そうした背景があって強きを挫き弱きを助けるこうした任侠映画が人気を博していたのではないかと想像される。
当時の私は?というとちょうど大学を卒業して就職した頃である。当時の生活を振り返ってみると、「私たちのような庶民でもマイカーが持てる時代が来るのかなぁ」と思っていた。それがその後間もなく私はマイカーを手にすることができた。
私が就職した時代から以降、庶民にも高度経済成長の恩恵が行き渡り始めたのかな、との思いがある。
高倉健さんの軌跡を見ても、この後5年くらいでヤクザ映画から遠のいているところに日本の時代の変遷を伺うことができる…。
1968(昭和43)年制作の森繁久彌さん主演の喜劇「社長シリーズ」の第28作目の作品ということだ。館内には笑い声が絶えず、肩の凝らない楽しい映画だった。
また一つ札幌市内から映画館が消える。
昨年の東宝公楽に続いて、狸小路で頑張っていた「東宝プラザ」が8月31日をもって閉館と報じられた。寂しいかぎりであるが、シネコンの攻勢には耐えられなかったということだろうか。
東宝プラザでは閉館を前にして「さよなら上映会」と銘打って懐かしいフィルム三本立ての映画会が今日から始まった。
今日からその三本の映画について順にレポートすることにする。
まず、「社長繁盛記」である。
森繁久彌さん主演の「社長シリーズ」は1956~1970年まで33作品創られたそうである。したがってこの「社長繁盛記」はシリーズ後半に創られたもので、出演者たちの息も合い、笑いが随所に散りばめられ、私たちもおおいに笑いに誘われた。
※ 森繁久彌さん
感慨深いのは主な出演者である森繁久彌さん、小林桂樹さん、加東大介さん、谷啓さんのいずれもが既に他界されてしまっていることだ。
映画出演当時は、森繁久彌さん55歳、小林桂樹さん45歳、加東大介さん57歳、谷啓さん36歳だった。
いずれもが芸達者ぶりを発揮するのだが、特に谷啓さんの意外な芸達者ぶりを発見した(今ごろ遅い!)思いだった。
※ 小林桂樹さん
映画のストーリー自体は他愛ないものなので割愛するが、フィルムから時代的な特徴で気付いたところを記すことにする。
1968年というと我が国は高度経済成長の真っただ中にあって、ちょうど国民総生産(GNP)が資本主義国の中で世界第2位に躍り出た年である。
森繁社長の住宅内が映し出されるが、当時の上流階級ではすでに現代に近いような生活様式が実現されていたようである。(当時としてはきっと人々の憧れの生活と映ったのだろう)
ただ、街を走るバスや乗用車の形からは時代を感じるところもあった。
そして煙草である。会社で執務中、あるいは街を歩いている時など煙草を吸っている場面が数多く出てきたが、この場面にも時代の推移を感じた。
※ 加東大介さん
フィルム自体の保存状態は良く何のストレスも感ずることなく見ることができたが、音声の技術はまだ発達していなかったとみえ、声質が硬く、高音のため耳障りな感じがした。
※ 谷啓さん
時代は右肩上がりに成長を続けている真っ最中、画面全体に平和で幸せ感が漂っているように感じられた。(もちろん喜劇だということもあるのだが…)
さて、明日は任侠映画である。乞うご期待!?
札幌駅を通過して間もなく北海道大学の広いキャンパスが広がっている。
そのキャンパスの南東の角のところに「北大正門」がある。重厚なたたずまいではあるが、威圧感を感ずるほどのものでもない。
正門を入り中央ローンに向かう途中、その昔札幌市内に数多くあったメム(湧水)の名残を残すサクシュコトニ川が流れていて広大なキャンパスに一層の趣を添えている。
さらに進むとキャンパス全体を南北に貫く「中央通路(メインストリート)」が伸びている。この中央通路に面して各学部の建物がずらりと並んでいる。
今回のウォークで唯一の新発見は広い構内を構内周回バスが走っていたことだ。さすがに広いキャンパスだけのことはある。(ただ写真が撮れなかったのが残念!)
中央通路の真ん中付近から東に紅葉(黄葉)で有名な「銀杏並木」が伸びている。黄葉の季節になるとカメラを抱えた人たちで溢れかえるほどの人気スポットだ。
さらに中央通路を進むと突き当たりに達するが、そこには重要文化財・北海道遺産に指定されている「札幌農学校第二農場」の建物群が保存されている。モデルバーン(模範家畜房)とも称されているが北大の前身札幌農学校の育ての親であるクラーク博士がアメリカから移入した農業用の建築物が大切に保存されている。
モデルバーンから西に向かうが、その地下には札幌市内の幹線の一つ環状道路のトンネル(エルムトンネル)が通っている。以前は細い道路ながらも混雑した道路だったとのことだが、今では静かな散策路となっていて、「エルムトンネル上部緑地」と称されている。
散策路は二色に塗り分けられていて右側は自転車用、左側が木材チップを固めて歩きやすくした歩行者用の道路が設けられている。
その上部緑地の終点のところにはぽっかりと「トンネルの出口(入口)」が開けられ多くの車が通行していた。
コースは北大のキャンパスを離れ、「札幌競馬場」の脇を南下することになる。札幌競馬場は高い塀に遮られていて、競馬場内はまったく見ることができない。
競馬場脇を歩くこと約1km、コースはやがてJR函館線の高架を横に見ながら進む。するとやがて高架上に設けられた「JR桑園駅」に達する。桑園駅の隣の建物はJR北海道の本社社屋である。
桑園駅を越え高架下を札幌駅方面に伸びているのが「札幌桑園停車場緑道」である。この緑道は1991年函館線の高架化に伴って造成されたと思われるのだが、そのネーミングが恐ろしく時代がかっている。“停車場”なんて言葉が今の人たちに通ずるのだろうか?
緑が豊かで、晴れた日の昼下がりなど木漏れ日が美しいこの通路のネーミングを何とかしようという機運はないのだろうか?
コースは続いて「北大植物園」に達する。札幌都心にこれほど広大な緑が残されているのは札幌の財産の一つとも言える。緑の生育条件としては厳しい条件かもしれないが、いつまでも残してほしい植物園である。
ここからは帰りを急ごう。
コース途中には「STV(札幌テレビ放送)」の社屋が建っている。
大通公園、狸小路と北海道大学に向かった時も通ったところを通過し、ススキノ繁華街の外れを越えると道が突き当たりになってしまった。札幌でも最も広大な敷地を有する(?)東本願寺の境内である。
突き当たりに位置していた「東本願寺山門」をカメラに収め歩こう会の事務局に戻った。
久しぶりのウォーキングで体にはけっこうな疲労感が残ったが、その疲労も心地良いものだった…。
《ウォーク実施日 ‘11/08/22》
「登山がダメならウォーキングがあるさ!」とばかりに、好天に恵まれた今日(22日)札幌都心を巡る12Kmのウォーキングに汗を流した。
猛暑のために登山もウォーキングもしばらく休んでしまったが、暑さもやや峠を越えたようで「体を動かさなきゃ」と思い、昨日樽前山登山を計画したが無念な結果となってしまった。(その様子は昨日のブログで)
今朝起きてみると、またまたピーカンの天気に「それじゃ、ウォーキングだぁ!」とばかりに現在取り組んでいるイヤーラウンドコースを巡るウォーキングに汗を流した。
現在私は「札幌歩こう会」が管轄するイヤーラウンドコースに挑んでいる。「札幌歩こう会」は7つのコースを管轄しているが、これまで私は3コースをこなし、今日は4コース目の「北海道大学コース」と名付けられた北海道大学構内がコース内に組み込まれたコースだった。
「札幌歩こう会」の事務局が札幌市内の南、そして北海道大学は市内の北に位置しているため、札幌都心を南北に縦断するコースである。
コース内の全ての事物が見慣れたものばかりで、取り立てて特記すべきものもなかった。
そこで今回は写真とともにコースを紹介する形でレポートすることにする。
(札幌をよく知る人にとってはつまらない写真です。知らない人にとってはそれなりの写真です)
「札幌歩こう会」の事務所は中央区の南11条西7丁目にあります。小さいですが一つのビルを借り切って(?)います。NPOとしては力がある団体のようです。ちなみに私は入会を誘われているのですが、現在のところ入会してはおりません。
コースは「札幌歩こう会」の事務所を出て直ぐ、西6丁目を南北に走る市電通りに沿って北上します。界隈は繁華街のススキノが近いということもあるのか、札幌としては比較的雑然とした雰囲気に包まれています。
市電が東に右折するところに市内中心部の4小学校を統合して新設された資生館小学校が建っています。
2004年に開校した資生館小学校はミニ児童館・子育て支援センター・保育所などを併設した複合施設として建てられており、これからの学校施設の一つの在り方を示すモデルともなっているようです。
コースはススキノ繁華街に入っていきます。飲食店街の入口に私には意味不明な彫刻が鎮座していました。どのようないわれがあるのか、機会があれば調べてみたいとも思っています。
この写真は札幌ススキノを表す光景としてよく登場する写真です。西3丁目のビル全体を覆うネオン広告はあまりにも有名です。
コースはここから真っ直ぐ札幌駅を目ざします。
先日、拙ブログでも取り上げた狸小路です。この写真は狸小路4丁目を写したものです。
続いて大通公園です。その中でも丁目広場に立つ本郷新制作の「泉の像」と噴水、そしてテレビ塔の三点セットが写った写真が有名ですが、私も真似てみました。
大通公園を過ぎて札幌駅に近づいたところですが、地上を行き交う人がやはり少ないですね。完全に地下歩行空間に人は流れているようです。地上の商店の方たちにとっては頭の痛い問題でしょうねぇ…。
そして札幌駅に至ります。すっかり整備され、今では「サツエキ」などと称され、大通よりも人出は札幌駅周辺の方が多いとか…。
両者が互いに工夫を凝らして集客作戦を展開することが札幌市内をいっそう賑わうことに繋がるわけですから両者の健闘を期待しましょうか…。
というように札幌のメインストリートを巡ってきましたが、知っている人にとってはまったくつまらない写真、知らない人にとってはそれにりの写真ではなかったかと思っております。
後編では北海道大学構内をウォークした写真を中心にレポートします。
《ウォーク実施日 ‘11/08/22》