田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

めだか会議 放談会「札幌の好きなところ、残念なところ」

2024-11-12 18:38:38 | 「めだかの学校」関連
 平均年齢が70歳を超える会員の方々は、それぞれさまざまな地での在住経験がある方だったが、総じて札幌の街が気に入っている方が大半だったようだ。その中、残念なところについて話が盛り上がった?

    

 先月から始まった「めだかの学校」の「めだか会議 放談会」だが、昨日2回目の放談会が行われた。今回のテーマは「札幌の好きなところ、残念なところ」について話し合ってもらった。
 先ずは最初に全員がテーマに沿って発言した。それによると、それぞれがさまざまな地での居住経験を経て、札幌に落ち着いた方が多かったが、総じて札幌の地が「好きだ」という方がほとんどだった。
 その理由として「自然環境が良い」、「気候が良い」、「交通、医療、教育などの環境が整っている」、「文化的環境に優れている」等々の理由を挙げる方が多かった。
 私はというと、人生の大半を北海道の片田舎で過ごしてきた目には、札幌の良いところばかりが目に付くというのが本音である。特に私の場合は、現職時代に飢えていたのだろうか?講演会やコンサートが目白押しの札幌はリタイヤ組には理想的な環境と日々コンサートに講演会にと駆け巡りその環境に満足している。
 その私は、今回は敢えて札幌の “環境” に着目して発言させてもらった。私が道外旅行している時に一人旅をしている女声と出会った。その方は大阪の方だったが、札幌の印象を聞いてみた。するとその女性は「札幌はきれいな街ですね」と答えてくれた。私もまったく同感だった。外国人客から「日本の街はゴミも目立たなくきれいだ」と言われるが、私は措の日本の街の中でも札幌は特に街並みが整いきれいだと思っている。北国の冷涼な気候がそれを後押ししているのかもしれない。
 反対に残念なところとしては、札幌の主要な道路の歩道との境に時折り雑草が繁茂しているのが目に付くことである。特に私の場合、15年間にわたり近代美術館前の歩道の清掃活動をしていたから、特にその点が気がかりなのだ。立派な会社や団体の建物の前に雑草が蔓延っている様を当該の施設を管理している方は何も思わないのだろうか?その点がとても残念に思う。
 さて、放談会の方では “残念なところ” としてどのようなことが多かったかというと、やはり「雪」の問題だった。特に住宅街で一戸建てに住んでいる方にとって、積雪による住宅周囲の除雪、さらには主要道ではないところの除雪が後回しとなることによる交通障害は頭の痛い問題のようだ。(私は幸いマンション住まいなのでそのような問題に悩まされることはないのだが…)この問題は切実な問題のため、たくさんの方から発言があった。
 ただ、中には「雪」の効用を説く人もあった。冬の降雪があるから水資源に事欠かない。畑作にとって降雪は不可欠である。あるいは観光資源としての雪の恵みを挙げる人もいた。
 結局、「雪」にもメリット、デメリットがあるということで、北国札幌にとって「雪」は避けて通れない自然現象である。デメリットを克服しつつ、雪もまた自然の一つとして四季のはっきりした札幌を楽しみましょう!ということに落ち着いた第2回目の放談会だった。
 ちょっと古くなるが、サザンクロスという歌謡グループが歌ってヒットした「好きですサッポロ」という歌謡曲は一時札幌市民の愛唱歌だった。札幌市民の多くが札幌の街が好きなようである。 
     


あなたの健康法は?「めだか会議 放談会」

2024-10-15 16:44:30 | 「めだかの学校」関連
 めだかの学校の会員の方々が実に多彩な健康法を実践していることを知ることができた!食事に気を付けている方、体力づくりを計画的に実践されている方、積極的に外出し講座、講演を聴いている方、人それぞれであったが参考になることが多かった。

 私が所属し、代表を務めているシニアの生涯学習グループ「めだかの学校」では、本日より今年度下半期の学習企画を実施することとなった。下半期は二つの企画を実施することにしている。
 その一つが、「めだか会議 放談会」と称して、テーマを設定し、そのことについて会員同士が自由に発言し、交流を図るというものである。
 そしてもう一つが、「DVDフォーラム」と題して会員所蔵のDVDを視聴して感想を語り合うという企画で、両者を交互に月に1度ずつ実施していく計画である。
 本日はその初回として「めだか会議 放談会」が「私の健康法」をテーマに交流を図った。
 すると、めだかの学校の会員は “意識高い系” が多いのか、次々と自らの健康法を語ってくれた。

   

 曰く、食事(特に朝食に)に必ず体に良いもの(酒粕、玉ねぎ、ヨーグルト、ブロッコリー等)を採り入れているという人、3食をしっかりと摂るよう心がけているという人、玄米採食を摂っている人、と様々ではあったがいずれもが “健康の源は食事である” ということを意識し、食事には特に注意を払っている方が多かったようだ。
 続いて、運動である。こちらはラジオ体操、そして歩くことを心がけている方が多かった。年代としてはそれが妥当かな、と思われた。中にはボランティアに取り組むことで自然と身体を動かすことに繋がっていると発表された方もいた。
 さらにボケ防止のために、新聞の社説や歳時記の書写を習慣化している人、積極的に講演・講座の受講を心がけている方。また、 “健康検診” の必要性を主張する方も多かった。そして「めだかの学校」に参加することによって交流を図ることができていることに感謝する言葉もあった。
 私は?というと、ふだんあまり健康法を意識することなく暮らしている自分に気付いたが、最近少し体力の衰えを感ずることが多くなってきたので、自分はふだんどうしているのかについて振り返る良い機会だった。
 そうして振り返ってみると、食事に関しては毎朝一杯のトマトジュースを飲むことと、朝食後にヨーグルトを摂ることをここ20数年間継続していることに気付いた。食事自体については妻に任せっきりであるが、食卓にはいつも多品種の食品が並べられていることが健康に繋がっているものと妻には感謝している。
 運動については、近年はやはり “歩く” ことが中心となっている。しかし、毎日決まった歩数を歩くという方法ではなく、その日その日によって歩く距離も、歩くところもマチマチである。ただ、スマホの歩数計を見るかぎり今年の一日平均歩数が今のところ一万歩を超えているのでまずまずかな?と思っているところだ。ただ、筋肉系の運動が不足していることが反省点である。
 また、ボケ防止という点では、札幌に住んでいるアドバンテージを活かして積極的に講座、講演、そしてステージにと毎日のように歩きまわり、それをブログとして投稿していることがボケ防止に繋がっているのではと思っているところだ。
 私の反省点としては、もっと意識を高く持って意図的な健康法を実践することかな?と反省しているところである。

   

 放談会は自分の実践していること交流し合い、そこから学ぶことを狙いとしているが、今回はゲストに招いた道民カレッジの事務局(生涯学習振興課長)の方のアドバイスもいただき、実り多い放談会になったと振り返っている。今後の「放談会」も楽しみになってきた。

「さっぽろの古を訪ねて Ⅲ」山鼻屯田兵村を訪ねる

2024-09-26 11:59:15 | 「めだかの学校」関連
 札幌近郊の屯田兵村を訪ねる企画の最終回「山鼻屯田兵村」を訪ねた。この日(9月24日)は秋日和に恵まれて、気持ち良く屯田兵村の史跡を訪ね歩くことができた。
    
         
 
 私が所属する「めだかの学校」では、今期野外見学学習として札幌近郊の屯田兵村を訪ね歩く企画に取り組んでいる。実はこの企画は「さっぽろの古を訪ねて」という大きく企画の一環で、「Ⅲ」と示すとおりに3年目の企画なのだ。
 1年目(2018年度)は特にテーマは設定せず、札幌の開拓に携わった人物の史跡を訪ねて回った。
 2年目(2019年度)は、「お雇い外国人の史跡を辿る」をテーマに、各所を巡った。
 そして今年度が3年目ということである。その間4年の空白があるが、これはコロナ禍によって中断を余儀なくされ、今年度ようやく3年目で「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」をテーマとして行うことができたのだ。
 さて、その3年目の最終回「山鼻屯田兵村」を訪ねるでは、次のところを巡り歩いた。
 ① 山鼻屯田記念館
 ② 明治天皇御駐蹕(ごちゅうひつ)の地
 ③ お声掛かりの柏跡(その二世の若木)
 ④ 山鼻屯田兵村開設碑
 ⑤ 行啓通り
 ⑥ 山鼻神社
 山鼻屯田記念館は、(一財)山鼻記念碑保存資産が1988(昭和63)年に建設した3階建の建物で、1階は店舗として貸出、2階が資料室となっている。(3階の用途は不明)

   
   ※ 山鼻屯田記念館の担当者から説明を聴く「めだかの学校」の会員です。

 記念館では担当者から説明をいただいたが、ややあっさりとした説明でやや物足りなさも感じたが、資料としては当時の生活道具や開村当時の地図、西南戦争に赴いた資料など興味深い資料を見ることができた。

   
   ※ 山鼻屯田記念館の資料室の展示の一部です。

 問題はその後だった。というのも、琴似屯田兵村や野幌屯田兵村では、それらについて詳しく説明してくれる方がいたのだが、山鼻屯田兵村ではそうした方が見当たらなかった。
 窮余の策として、私が俄か勉強で取得した浅はかな知識を伝えることでお茶を濁すことにした。
 資料などから得た知識では通り一遍のことしか伝えられなかったきらいはあったが、それなりに会員の方々に伝えることができたかな?と自己評価している。
 面白いと思ったのは、「明治天皇御駐蹕の地」の碑は山鼻小学校のグランドと仕切られた金網の外側に建てられているのに対して、その目前にあったと思われる「お声掛かりの柏」の跡は金網の内側(つまり学校のグランド内の一角)に木片で円形に描かれて残されていたことだ。

   
   ※ 「明治天皇御駐蹕の地」の碑です。

 道路を隔てた「山鼻公園」内の中央付近に「山鼻屯田兵村開設碑」が建てられている。高さ6mの堂々たる石碑だった。そこから少し離れたところに「お声掛かりの柏」二世の若木が育っていた。「山鼻公園」で存在感を放っていたのはスズカケノキ(別名:プラタナス)の大木である。合せて3本ほどあったと思われるが、いずれも見上げるほどの大木で、屯田兵村開村以前から植わっていたものではないかとも思われるが、どうなのだろうか?

   
   ※ 「山鼻屯田兵村開設碑」の横の説明を見入る「めだかの学校」の会員です。

 「山鼻公園」から「行啓通り」を東方向に1キロほど行ったところに「山鼻神社」が祀られている「札幌護国神社」に向かった。「山鼻神社」そのものは現在「札幌護国神社」内の「多賀神社」に相殿されている。その「山鼻神社」の碑や祠は「札幌護国神社」内の「彰徳苑」という戦没者慰霊碑がたくさん立ち並ぶ奥の一角にひっそりと建てられていた。
 以上、予定していた史跡等を巡り歩き今回の学習を終えた。
 私たち「めだかの学校」では、これまでの3年間にわたる「さっぽろ古を訪ねて」の見学学習を終え、その成果を顧みることも必要ではないか、という声から来年度の企画として(仮題)「 “さっぽろの古を訪ねて” から学んだこと」の企画が進んでいる。私たちが棲む札幌のことをより深く知るというところに大きな意味があると思っている。



札幌の救急医療体制の今を知る

2024-09-11 17:53:48 | 「めだかの学校」関連
 札幌市の医療体制、並びに救急医療体制は他と比してかなり充実していることが理解できたが、課題がないわけではない。札幌市の担当者から、救急医療体制の今と課題についてお話を伺った。

 私が所属する「めだかの学校」の講座「賢いシニア生活を送るために」の第6回講座が9月3日(火)午後に開講された。講師は札幌市医療政策局ウェルネス推進課の課長が「急な病気になったら?~知っておこう!札幌市の救急医療体制~」と題してお話された。

   

 最初に札幌市の医療体制についてお話されたが、札幌市では今年4月現在、病院(ベッド数20床以上)が199ヵ所、診療所(ベッド数19床以下)が1,487ヵ所あるそうだ。この数は人口当たりでみると、病院は全国平均より多いが、診療所はやや少ないという。医師も札幌市は全国平均より多く、道内の地方では全国平均より少ない現状だそうだ。
 課題は、医師の労働時間の長さだという。現在、医師の診療時間は週平均53時間だというが、その他に待機時間や研修時間などに週17時間要しており、「医師の働き方改革」が課題となっているとのことだった。
 さて、救急医療体制であるが、札幌市の場合は救急隊が36隊、救急車が47台、救急隊員数が361名で、うち300名が救急救命士の資格を持っているとのことだった。なお、消防ヘリも2台所有しているそうだ。

   

 さて、その救急隊の出動状況であるが、昨年度の実績をみると出動数が実に119,872件あり、99,697人を救急車で搬送したそうで、救急車の出動数は右肩上がりの実状だという。
 問題は皆さまも想像されると思うが、搬送した被救急者の約半数が軽症の患者だったということだ。(つまり救急車を必要としないような症状での搬送)、さらに約半数が中症、重症患者はたった3%だったそうである。
 私は比較的札幌市の都心近くに住み救急病院も近いせいか、救急車のサイレンの音を聞くのが珍しくなくなっている。それくらい救急車の出動が日常茶飯事となっているということだ。
 救急車の出動数の増大は、救急車の所要時間の伸びにも繋がっている。最近は救急医療機関が減少傾向にあり、搬送する病院を探すことに多くの時間が費やされているという。現在救急車の所要時間は平均42.9分だという。そのうちのおおよそ2/3は救急搬送先を探すことに費やされているそうだ。
 つまり札幌市の救急医療体制は相当な危機的状況にあると云えそうだ。こうした状況を改善するためには、救急車の出動要請の改善だという。前述したように軽症患者が出動要請を回避すればたちまち救急医療体制の改善に繋がるというわけである。運営側としてそう考えるのはある意味当然とも言える。その改善策のとして強調されたのが「救急安心センター #7119」の利用を図ってほしいとの要請だった。「24時間365日看護師が相談に対応します」との謳い文句で、急な病気やケガで迷ったら「まず、救急安心センターさっぽろ」に相談してほしいと強調された。

          

 さらに講師は、ひとりひとりの心掛けとして、「診療時間内に受診する」、「普段から相談できるかかりつけ医を持ってほしい」、そして「救急車の適正利用を」と呼びかけ講義を終えた。
 講座を終え、私たちだけで交流を持ったが、最後に司会から代表としてまとめをしてほしいとの要請があった。私は「マスコミ報道などで救急車の不適切要請が増えていることが話題になっている。そのことはとても気になるが、いざ自分が急な病やケガに見舞われたとき救急車を要請すべきか否か迷うことがあるかもしれないが、その時は迷わず救急車を要請しましょう!」と呼びかけた。
 「大したことない」などと自己判断(素人判断)はせずに、自らの命は自らが守るためにも、迷った時には迷わず救急車を要請したい。迷ったこと自体が適正利用のことを心の片隅に置いている何よりの証拠なのだから…。

「さっぽろの古を訪ねて Ⅲ」野幌屯田兵村を訪ねる

2024-08-27 19:01:32 | 「めだかの学校」関連
 生憎の雨天となり、実施か?中止か?の判断を迷ったが、プジェクトチームで話し合って実施することにした。結果、雨の状態もそれほど酷くはならず、計画どおりに実施することができ、今はホッとしている心境である。
    
    ※ プロジェクトチームの仲間が作成した今回の学習の案内文書です。

 本日(7月23日)朝10時から午後3時まで「めだかの学校」野外講座「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を訪ねる」の現地見学の第4弾、「野幌屯田兵村の史跡を訪ねる」を実施した。
 今回は上記のとおり午前と午後を使った全一日講座として実施した。というのも、これまでの屯田兵村跡と比較し関連史跡が多かったことによるのだが、私たちにとってはこのシリーズのハイライトと考えた回だったのだ。
 今回訪れた関連史跡とは、
《午前の部》  
 ◇野幌屯田兵屋

    
    ※ 屯田兵屋の前で説明員(手前の人物に被っている)の話を聴く参加者です。

 ◇野幌屯田兵第二中隊本部(屯田資料館)

    
    ※ 野幌屯田兵第二中隊本部の全景です。
    
    ※ 野幌屯田兵第二中隊本部の内部で説明員のお話を伺いました。
 ◇被服庫
《午後の部》
 ◇野幌公民館
 ◇野幌兵村練兵場
 ◇開村記念碑 野幌兵村

    
    ※ 開村記念碑 野幌兵村の前で説明する江別市観光ボランティアの方です。

 ◇開村記念五十年碑
 ◇野幌公会堂 

    
    ※ 幾多の変遷を重ねながら現在も保存・使用されている野幌公会堂です。
  
 ◇ガラス工芸館
 ◇子ども盆踊歌 詩碑
 ◇経緯度・標高銘石
 ◇屯田の木像さん(天徳寺)

    
    ※ 天徳寺に祀られている屯田兵(そうではない兵も含まれているという)の
      木像です。

 中には直接屯田兵と関連のないものも含まれてはいたが、以上を案内され、見学することができた。
 案内されたと記したが、午前は江別市郷土資料館説明員の方が、午後からは江別市観光ボランティアの3人の方々が、それぞれ案内・説明をしてくれた。
 印象的だったのは、やはり◇屯田兵屋、◇屯田兵第二中隊本部だった。両方ともに当時のままの姿で復元・保全されており、当時の屯田兵の生活、そして兵隊組織としての体裁が整えられていたことが偲ばれるものであった。また、説明員の方から詳しく野幌屯田兵村の全体像の説明を受け、現在の野幌の国道より北側全体が屯田兵村であったことがよく理解することができた。 
 午後からの見学では、◇開村記念碑、◇開村記念五十年碑の説明が印象に残った。
 開村記念碑の前では、毎年7月1日に「野幌屯田兵村開村記念式典」が催されているという。その際に、子孫や江別第二中学校、江別第二小学校の児童・生徒によって「野幌屯田兵村開村記の歌」が斉唱されているという。その歌をボランティアの方はスマホに収録していて、私たち聴かせていただくという配慮を示してくれた。

    
    ※ 今回案内していただいた3人の江別市観光ボランティアの方々です。
    
    ※ 江別市観光ボランティアのユニフォームTシャツです。

 また、開村記念五十年碑の碑文には野幌屯田兵村が子弟の教育にいかに力を注いだかについて記されていると聞かされた。また裏面には、野幌屯田兵村に入植(入団?)した225戸全員の名が記されていた。
 この他の場面でも、ボランティアの方々は私たちが理解しやすいように用意周到に準備され、私たちを迎えてくれた。こうした配慮に感謝したい。
 天候は幸いなことに小雨がばらつく程度で、予定していた見学箇所を全て見学することができたのだが、最後の見学箇所だった天徳寺の「屯田の木像さん」の見学を終えると激しく雨が降っていた。これも天の配慮と感謝しながら、ボランティアの方々に厚くお礼を述べさせていただき、本日の予定を終えることができた。
 このシリーズの残りも9月末に訪れる予定の「山鼻屯田兵村」で終了である。野外学習の難しさも味わいながら、なんとか無事に終了したいと願っている。
 それにしても、こうして屯田兵村を訪ね歩いてきてみて、一つの感慨が私の中で芽生えだしている。それは、こうして巡り歩いてみて、私たちは屯田兵の、そしてその家族の方々の味わった寒冷地における開拓の大変さをどれだけ理解できたのだろうか?という率直な疑問である。私たちはなんとなく屯田兵の歴史の表面のみをなぞっただけではないのか、という思いを拭えないのだ。
 今後、そうしたことについても仲間と議論してみたいと思っている。

住宅に潜む火災の危険とは?

2024-08-14 17:56:31 | 「めだかの学校」関連
 誰もが自分は火災などには遭わないと思っているだろうが、そこには意外な盲点があると講師は云う。人が一生において住宅火災に遭う確率は1万人のうち約2.9人だという。その2.9人の一人とならないよう留意点を聴いた。

       

 昨日、私が所属する「めだかの学校」の「賢いシニア生活のために」の講座5として、札幌市中央消防署の防火推進係長の大森一貴氏をお招きして「ご存じですか?住宅に潜む火災危険と対策」と題しての講義を拝聴した。
  
    
    ※ 講義をされる札幌消防署の大森防火推進係長です。

 大森氏はまず、リード文でも触れたように人が住宅火災に遭遇する確率を表記のような提示した。そしてその2.9/10,000の当事者とならないためには、普段の生活から留意しなければならない点を生活の場面別に留意点を提示してくれた。それを列挙してみる。
《場面1 コンロ火災》               
 住宅火災で最も多いケースがコンロ火災だという。調理中は絶対にその場を離れないことが鉄則と強調された。また、近年多くなってきたIHヒーターも火を使わないから安全と思っているのは大違いだと指摘された。
《場面2 ストーブ火災》
 ストーブの周りに燃えやすいものを置かないということだが、これは鉄則だろう。また、ストーブの定期的な点検整備も火災予防のための必須事項であるとの指摘があった。
《場面3 電気火災》
 電気コードの上に重いものをのせたり、束ねたりすることは避けるべきとの指摘があった。またコンセント周りのほこりが発火の原因となる(トラッキング現象)場合があるので定期的にプラグを抜いて清掃することも必要だとの指摘もあった。もちろんタコ足配線などは論外である。
《場面4 たばこ火災》
 お年寄りや一人暮らしのかたなどがつい寝たばこをするケースがあるが、絶対にやめていただきたいとの指摘があった。また、吸殻をためずに、灰皿はいつもきれいにしておくことも肝要であるとの指摘もあった。
《場面5 放火火災》
 家の周りは、放火火災の危険がいっぱいあるという。狙われてしまったらお手上げである。そうならないために、「ゴミは収集日の朝に出す」、「新聞や郵便物をためない」、「家の周りを整理整頓し、燃えやすいものを置かない」などのことを徹底してほしいとのことだった。
 こう書いてくると、いずれもが私たちが少し注意するだけで住宅火災に遭うことを避けられることばかりである。こうしたことを日常生活の中で徹底していくことが住宅火災に遭わないための鉄則と言えるかもしれない。

    

 大森氏は、この日の主題に入る前に、タイムリーな話題として台風や地震の遭遇した場合の避難指示について触れてくれた。市町村から避難情報は次のように理解してほしいとのことである。
《レベル3》「高齢者避難」 この発令では高齢者や障がい者などは避難を開始すべきとのことだ。
《レベル4》「避難指示」  この発令では危険な場所から全員避難すべきとのことである。
《レベル5》「緊急安全確保」 この発令では自らの命を守るための最善の活動をとることを指示されたと受け止めるべき。
 そして札幌市の場合、「基幹避難所」としては市立の小中学校が指定されているという。「基幹避難所」には避難物資なども完備されているという。札幌市の場合、このほかに「地域避難所」という箇所もあるという。そうした場所について各々が情報を得ておくことも必要だと強調された。
 こうしたお話を繰り返し聴きながら「はたして自分は賢いシニアになっているのだろうか?」と自問自答しているのだが、「まあ、繰り返し聴くことによって知識として蓄積され、あるいは自らの生活にも反映されているのだろう」と淡い期待を自らに求めながら、これからもこうしたお話をできるだけ聴くように心がけたいと思っている。

「さっぽろの古を訪ねて Ⅲ」新琴似屯田兵村を訪ねる

2024-07-24 19:28:51 | 「めだかの学校」関連
 前回6月に訪れた篠路屯田兵村に先んずること2年前の1887(明治20)年に九州、四国出身の士族146戸が入植して開村したのが新琴似屯田兵村である。私たちは「新琴似屯田兵中隊本部保存会」の事務局長さんから新琴似屯田兵村の歴史について詳しく説明いただいた。

 昨日(7月23日)午後、「めだかの学校」野外講座「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を訪ねる」の現地見学の第3弾、「新琴似屯田兵村の史跡を訪ねる」を実施した。
 見学先は、◇新琴似屯田兵村中隊本部◇新琴似神社境内の関連史跡◇屯田兵が掘削した人工河川「安春川」と関連壁画の3ヵ所だった。
 最初に訪れた「新琴似屯田兵村中隊本部」は、現在新琴似神社の境内の一角に建っているが、実際に当時と同じところに、当時と同じように厳めしい構えで建っていた。

    
     ※ 新琴似屯田兵中隊本部の外観です。

 私たちは建物の中の新琴似屯田兵村の様子がジオラマで再現されている部屋に導かれて、「新琴似屯田兵中隊本部保存会」の事務局長を務められている大西様から入植当時の様子や兵村の日々について詳しく説明いただいた。

    
    ※ ジオラマの前で大西氏の説明を聴く「めだかの学校」の会員です。

 そのお話の中で新琴似屯田兵村の最大の特徴は、兵村の造りが「琴似屯田兵村」とは違い、分散制(粗居制)だったということだ。札幌に最初に入植した琴似屯田兵村は集住制(密居制)で一戸あたりの面積が150坪だったのに対して、新琴似屯田兵村の場合は一戸あたり4,000坪が兵屋のまわりに与えられたそうだ。(もちろん琴似屯田兵村に入植した屯田兵にも郊外に同面積の開墾地が与えられたのだが…)二つの制度は屯田兵としての任務も考えるとそれぞれ長短はあったが、未開の地を開墾するうえでは分散制(粗居制)の方が住居の近くに開墾地があるということから有意だったようである。

    
    ※ 中隊本部内の中隊長の執務机が再現されていました。

 なお、新琴似屯田兵村は前述したように当初は146戸の入植だったが、翌年に74戸が入植し計220戸が入植し、第一大隊第三中隊が編成され、そこに建てられたのが「新琴似屯田兵村中隊本部」である。
 大西氏によると、当時の新琴似地区は密林状態で大木が生い茂っていたそうだが、屯田兵並びに家族はその密林を畑地に変えるために人力だけを頼りに開墾の鍬を振るったという。
 ところが、当地は発寒川や琴似川の下流だったことから泥炭質の一大湿地帯だったそうだ。そこで屯田兵本部の三沢毅中尉(後の初代中隊長)の指導で人工河川(排水溝)「安春川」を掘削した。そのことによって優良な農地に変貌し、新琴似の農業に発展に繋がったそうだ。
 説明は新琴似神社境内の記念碑群に移った。境内には13基の記念碑が建っているが、保存会から「神社境内の記念碑群」という冊子が配られ、それが大いに参考になった。ここの記念碑はいずれもが巨大な岩石を使用した立派な碑が多いことだった。その維持管理も大変ということだが、新琴似地区住民の方々の理解を得て保存費用の寄付も集めることができ、順次整備しているとのことだった。

    
    ※ 巨大な拓魂碑の前で説明を受ける「めだかの学校」の会員たちです。

 記念碑以外で私が注目したのは中隊本部横に屹立する大木だった。確か高さ30メートル以上とのことだったが、見上げても樹全体が視界に入らないほどの大木である。樹種は「シロヤナギ」とのことだったが、これほどの巨木を市街地で見ることができるので珍しいことだ。

        
        ※ 巨大なシロヤナギの樹高には驚きました。

 ここで大西氏の説明は終わり、大西氏にお礼を告げて、私たちは中隊本部からは少し離れたところを流れる「安春川」沿いに移った。
 現在の「安春川」は宅地化が進んだこともあり当初の役割は終えているが、市の整備事業により下水道の高度処理水を新たな水源としてかつての〈せせらぎ〉が復活し、散策路が整備されている。その一環として水辺に屯田兵関連のタイル画が掲示されている。

    
    ※ 「安春川」の川沿いには、その由来を説明する碑文がありました。

 それを確認するために「安春川」を遡ったのだが、この日の蒸し暑い気候のために会員の方々は次々とリタイアしてしまい、結局タイル画が見えるところまで行きついた会員は4名となってしまった。

    
    ※ タイル壁画の一つ、畑を耕す屯田兵です。

 私は体調が優れなかったのだが、この企画を主宰する一人としての責任もあったので最後までお付き合いをし、8枚のタイル壁画、7枚の足元のタイル画、さらに橋の欄干に掲げられた銀製(?)の彫刻画を確認し、帰路に就いた。

    
    ※ 橋の欄欄に掲げられた木を切り倒す様子を描いた銀製の彫刻画です。

 札幌近郊の屯田兵村を訪ねる本企画も残り、野幌屯田兵村と山鼻屯田兵村の二つとなった。特に次回の野幌屯田兵村は残された史跡も多く、一日をかけて巡り歩くこの企画の中でも最も充実した現地見学となるはずだ。一か月後が待ち遠しい思いである。

あゝ、キャッシュレス時代…

2024-07-08 18:12:53 | 「めだかの学校」関連
 講師は云う。いずれ日本において現金決済はますます減っていきキャッシュレス全盛時代になると…。アナログ人間を脱しきれない私などは “生きた化石” となってしまうのだろうか?…。ため息ばかりつきながら講師の話に耳を傾けた。

 本日午後、「めだかの学校」「賢いシニア生活を送るために」の第4回講座が開催された。今回のテーマは「キャッシュレス決済との付き合い方」と題して、札幌市消費者センターからの派遣講座で、フィナンシャルプランナーの加藤桂子氏が派遣され講師を務められた。

      
     ※ 講師の加藤桂子氏です。相当に聡明な方とお見受けしました。

 講座の概要は、
 ①キャッシュレス決済の現状と背景
 ②各種キャッシュレス決済のそれぞれの特徴
 ③キャッシュレス決済のメリットとデメリット
 ④キャッシュレス決済の留意点及び詐欺への警戒
といった内容だった。
 まず一口にキャッシュレス決済と云っても、クレジットカード、デビットカード、電子マネー、プリペイカード、スマホ決済、etc…とその種類の多さに驚いた。さらには、それぞれのカードなどには何種類もの会社(機構)が参入していて、私などから見たら目が回るほどその種類が多いことでギブアップの感じだった。
 講師はあくまで「キャッシュレス時代に乗り遅れるな」という論調で私たちに親切・丁寧に説き続けたのだが、聴いている私はため息ばかりをついていた。

    
    ※ 講師の話に真剣に耳を傾ける「めだかの学校」の会員の方々です。

 今回、講座担当が事前に私たちのキャッシュレス決済に対する現状のアンケート調査を実施していた。回答は15名でそのほとんどが70歳代なのだが、その中で「ほとんどキャッシュレス決済を使用している」と答えた者が6名と半数近くいた。私はそこには含まれず、「使用を限定している」と答えたはずだ。私の現状は、クレジットカードは一つだけ所有し、スマホ決済も一つとだけ契約し、コンビニなどで時折り使用する程度で、現金決済が圧倒的に多い。う~ん。私はこの時点で乗り遅れている。(もっとも家庭経済について私はノータッチなのだが…)
 たしかにキャッシュレス決済に利点が多いのは理解できた。しかし、アナログ人間の私にはサイバー空間(メタバース)で行われる経済のやり取りについて、どうしてもいま一つ信用がおけないという思いが抜けきらないのだ。そんなことを言っているから “生きた化石” などと自己否定せざるを得なくなってしまうことは理解できるのだが…。
 あゝ、これではダメだ。すでに周回遅れになっている感はあるが、なんとか今の社会で生きていくためにも、ため息を漏らすのではなく、必死に喰らいつき、楽しく生きていけたら思ってはいるのだが…。

「さっぽろの古を訪ねて Ⅲ」篠路屯田兵村を訪ねる

2024-06-26 19:02:06 | 「めだかの学校」関連
 琴似屯田兵村に遅れること14年。札幌近郊の屯田兵村の入職としては最も遅い1889(明治22)年、西日本を中心に7県から220戸、1,056人が入植したという篠路屯田兵村は辛苦の末に札幌一の美田を完成させたという。しかし、そも水田も今は跡形もなく、完全な住宅街に変貌していた。

 昨日(6月25日)午後、「めだかの学校」野外講座「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を訪ねる」の現地見学の第2弾、「篠路屯田兵村の史跡を訪ねる」を実施した。
 見学先は、◇屯田郷土資料館◇屯田開拓顕彰広場◇江南神社境内の3ヵ所だった。

    
     ※ 最初に訪れた「屯田郷土資料館」です。

 最初に訪れた「屯田郷土資料館」では、資料館の説明員である小澤隆様から説明を伺った。小澤様ご自身は屯田兵の子孫とは明言されなかったが、屯田兵について深く研鑽されているようで大変詳しく説明いただいた。

    
    ※ 説明員の小澤隆様(奥の人)の説明を聴く「めだかの学校」の会員たちです。

 それによると、篠路屯田兵村に入植したのは熊本、山口、和歌山、石川、徳島、福井、福岡の各県の氏族220戸ということだった。いずれもが温かい地方出身のため北海道の寒さには非常に苦労したらしいということだった。そのために開拓を諦めて土地を離れた屯田兵も少なくなかったということだった。
 当初は与えられた土地で畑作主体の農業だったが農家経済が成り立たず、入植後23年目に土功組合を結成して、水田主体の農業に切り替えたことが功を奏し、やがては札幌一の水田単作地域となったそうだ。

    
    ※ 資料館内を巡りながら小澤様の説明をお聞きしました。

 見学させていただいた「屯田郷土資料館」は、1998(昭和63)年の開基100周年の記念事業として建設費を地域住民が拠出するなかで建設されたものだという。内部には当時の農機具やさまざまな関連資料が展示されていたが、大きな目玉は当時まだ「篠路屯田兵屋」が保存されていたものを解体・修復して資料館内に完全復元して展示されていることだ。賛否両論があるかもしれないが、私はこのようにした方が老朽化を防ぎ長く保存できる方法ではないかと思うのだが…。

    
 ※ 郷土資料館内に復元された屯田兵屋の内庭には当時の生活用具が展示されていました。

 「屯田郷土資料館」の見学を終えた後は、残る「屯田開拓顕彰広場」と「江南神社境内」を巡ることだった。ところが、こちらの方は特に説明していただく方を見つけることができなかった。止むを得ず私が書籍やイーターネットなどを頼りに資料を作成して説明役を務めることになった。

    
    ※ 第一大隊第四中隊本部跡の碑を前に説明をする私です。

 「屯田開拓顕彰広場」というのは、当時の篠路屯田兵を指揮・訓練をする第一大隊第四中隊の本部跡に屯田兵に関する史跡を一堂に集めた広場である。(正確には本部は広場からやや東側に寄ったところにあり、広場は練兵場跡だという記録が鋸っているようだ)この広場には「屯田兵第一大隊第四中隊本部跡」、「屯田兵顕彰之像」、「馬魂の像」、「水田開拓記念碑」、「開拓碑」、「戦没者顕彰碑」が集中して建立されていた。
    
    ※ 顕彰広場の中で最も大きな碑が「屯田兵顕彰之像」でした。

 5月に事前視察で訪れた時には広場は雑草が繁っていたので心配していたが、今回訪れた時にはしっかりと除草されていた。
 続いて、道路一本隔てた東隣にある「江南神社」の境内を訪れた。神社の境内には、「望郷のアカマツ」、「開基九十周年記念顕彰碑」、「篠路兵村移住記念碑」があった。  

    
    ※ 「望郷のアカマツ」を前にする会員の方々です。

 「望郷のアカマツ」は、当時の屯田兵本部が兵員とその家族の心を慰めるために故郷を偲ぶアカマツと水松(オンコ)の苗木を各戸に無償で配布したのだそうだが、その中の一本が現在も境内に残っているということである。
 「屯田開拓顕彰広場」の史跡も含めて、簡単ではあったが私の方からそれぞれ説明させていただいた。当事者でもなければ、専門家でもない私の説明では不十分だったかもしれないが、それなりに務めを果たせてホッとしている。

    
 ※ 「開基九十周年記念顕彰碑」(左)、「篠路兵村移住記念碑」(右)の説明を聞く会員の方々です。

 この後、私たちの屯田兵村巡りは「新琴似屯田兵村」、「野幌屯田兵村」、「山鼻屯田兵村」と9月まで巡り歩くことにしている。巡り終えた時、会員の方々はどんな感想を持ってくれるだろうか?それを伺うことも楽しみにしている。
 

地下鉄でもし災害に遭ったら!?

2024-06-12 18:31:21 | 「めだかの学校」関連
 地下鉄の駅で、あるいは地下鉄車内で、地震や火災、あるいは大雨や洪水に遭ったら…。そうしたケースは考えたくもないが、しかしそうした危険はいつやってくるか分からない。そうした「もしも」のための対処方法を学んだ。

        

 私が所属し、代表を務めているシニアの生涯学習グループ「めだかの学校」では、現在「賢いシニア生活を送るために」というテーマのもと、私たちシニアの周りに生起すると考えられるさまざまな危険に対処するための講座を実施している。(もう一つの野外講座も同時並行的に実施しているが…)
 その第3回講座を去る6月10日(月)に札幌市交通局の担当者をお招きして「地下鉄で災害発生!~安全に非難する方法を教えます~」というテーマで実施した。

    

 まず、地下鉄での災害と考えるときには次のようなことが考えられる。「地震」、「火災」、「水害」、「停電」などである。その災害も地下鉄駅内で発生した場合と、地下鉄車内で走行中に発生した場合に対応に違いが要求される。
 私がまず学んだことは、地下鉄駅内で災害が発生した際、避難の方法が二分されると学んだ。「火災」、「水害」、「停電」では、できるだけ早く駅外に逃れることが先決となるが、「地震」の場合は駅内に留まることが肝心ということを学んだ。「地震」の場合だけ駅内に留まることが肝心だとは、地下にある駅舎は地中の動きと同調して揺れるため被害は少ないが、駅舎外では落下物などの危険が大きいことが予想されるためと説明された。

    

 一方、「火災」、「水害」、「停電」の場合は、いち早く危険から遠ざかることが肝心のため、安全に配慮しながら駅外へ逃れることが肝心とのことだった。
 一方、地下鉄車内で走行中に災害が発生した場合は、乗務員や駅員の指示に従って行動することが被害を最小限に止めることである。走行を停止する、次の駅まで走行させる、といったことは、全て交通局、あるいはそこからの指示に従っている運転手に委ねればならない。だから乗客は、自らも含めパニックにならないように努めることが先決である。そして駅員の到着を待つべきだと担当者は強調された。
 日頃から訓練を受けた駅員が現場に到着したら、駅員の指示に従って避難することが何より大切であることを担当者は強調された。
 交通局では冒頭に示した「安全ガイド」を配布したり、定期的に避難訓練も実施したりしていると聞いた。
 我が国の新幹線は世界で最も事故の少ない交通機関であるということを聞いたことがある。それに倣うように我が国の公共交通機関の安全性は相当程度信頼できる交通機関だと私は信じている。地下鉄も同様である。それでも時には想像もつかないような事故が発生してしまった場合が過去にあった。
 万が一に備えて、心構えをしっかりとしておくことの大切さを学んだ今回の講座だった。