田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ヘルシーウォーキング㊼ 歴史・伝統・風景を楽しめるまち「もりおか」を感じる盛岡ウォーク

2024-11-07 20:57:27 | JRヘルシーウォーキング
 コース名が誇るとおりまさに盛岡市の歴史・伝統・風景を楽しませてもらったヘルシーウォーキングだった。街中に古い建物が多く残り、古代と現代が見事にマッチしていて楽しく歩かせてもらった10.5キロだった。

    

 11月3日(日・祝)、私にとって道外におけるヘルシーウォーキングに参加するのは初めて参加する「盛岡ウォーク」だった。(主催のJR北海道では年に1~2度東北の地で開催している)
 朝、8時半過ぎ盛岡駅をスタートした。天気は快晴のウォーキング日和だったが、朝の冷気の残る中でのスタートだった。

    
    ※ 新幹線駅と同居する盛岡駅です。

 まずは駅前から北上川沿いを北上し、「旭橋」を渡る。その際、ブログでも投稿したが橋上から北上川の流れ、そして岩手山を遠望できるという素晴らしい光景に出会った。

    
    ※ 旭橋の橋上から見た北上川の流れと、その向こうに岩手山が望めました。

 その後は盛岡の中心街をやや外れた地域を周回するコースで特に印象に残る光景とは出会わなかった。私のペースはきわめてゆったりしたペースで進んだ。途中、信号待ちのところで夫妻で参加しているペアと一緒になったので「地元の方ですか?」と声をかけてみると「函館からです」という答えが返ってきた。今回はJR北海道とJR東日本の共催事業なので北海道民以外も沢山参加されているようだった。
 およそ3キロも進んだろうか?「盛岡地方裁判所」の前庭に立つ「石割桜」を見物した。巨大な花崗岩の割れ目から、樹高110メートルとも云われている巨大な江戸彼岸桜が屹立していた。一帯は官庁街が岩手県庁、そして岩手県公会堂と並んでいた。

    
    ※ 盛岡地方裁判所の前庭に植わっている「石割桜」です。
    
    ※ 手前が岩手県議会議事堂、奥が岩手県庁です。
    
    ※ ちょっと歴史を感じさせてくれた岩手県公会堂です。(現在は貸館だそうです)

 私は今回はゆったりとウォークすることを心がけていた。5キロも進んだろうか?公園のベンチで一回目の休憩をとった。休憩後に中津川を渡ると盛岡市の旧市街のような地区に導かれた。辺り一帯は「紺屋町番屋」と呼ばれる江戸時代(?)の頃の火消番屋の鐘楼が今の残り、他の建物も歴史を感じさせる風情を残していた。それらの建物はカフェとか土産物屋として活用されているようだった。

    
    ※ 歴史を感じさせる消防の鐘楼が珍しかったです。

 そして盛岡の歴史的建造物の一つである「岩手銀行赤レンガ舘」の前に立った。赤レンガ舘は拙ブログでもレポしたが、東京駅を設計した盛岡出身の葛西萬司氏が設計したとのことで東京駅の面影を感じさせる外観となっていた。館内では八幡市の漆器工房の職人さんたちが漆器の工程を実演していて、それをじっくりと見学させてもらった。漆器は漆を何度も何度も塗り重ねられて完成していることを実感させてもらった。

    
    ※ 存在感のある岩手銀行レンガ館の外観です。
    
    ※ レンガ館の中では漆器職人が漆塗りの実演をしていました。
 
  赤レンガ館の傍ではショッピングセンターの販促活動の一環だろうか「盛岡さんさ踊り」を小学生たちが踊り、その周りを多くの人たちが取り巻いていた。

    
    ※ レンガ館横のショッピングセンター前では小学生の「盛岡さんさ踊り」が披露されていました。

 そしてコースは「鶴岡八幡宮」を目ざす参道に入った。この辺りは下町的な雰囲気もあったが、そこで気付いたことがあった。歩道が狭いのだ。本州の歴史のある町では時折りそうした狭い歩道に出会うことがあるが、改良は難しいのかもしれない。
 「盛岡八幡宮」は、祝日そして日曜日とあって多くの善男善女で賑わっていた。特にこの時期は「七五三」のお祝いにお参りされている方の姿も目立った。

    
    ※ 風格ある盛岡八幡宮の本殿です。
    
   ※ 盛岡八幡宮の境内では、写真のように七五三を祝うお子さんの姿が目立ちました。

 「盛岡八幡宮」を後にすると、「盛岡町屋」と呼ばれている一帯を通過する。この一帯も古い街並みが続いていた。

    
    ※ またまた昔の鐘楼に出会いました。盛岡市内にいくつ残っているのかな?
    
    ※ 盛岡町屋と呼ばれる一帯の歴史を感じさせる建物が並んでいました。

 そして中津川の川辺に建つ「新渡戸稲造生誕の地」を見て、中津川を再び渡ると「盛岡城跡公園」に導かれた。盛岡城跡公園をグルっと一回りするコースだったが、私はもちろん公園内も巡り歩いた。小高い丘に上に位置する城跡だが、特に残存する建物はなかったが、本丸が建てられていたと思われるところに銅像の台座のようなものが残っていた。調べてみると、それは盛岡藩主・南部家の子孫である南部利祥氏が日清戦争に従軍した際、明治維新で盛岡藩が朝敵となった “汚名” を注ぐ活躍をしたが戦死したことを市民が悼み有志で銅像を作成したそうだ。(明治41年)しかし、太平洋戦争の際に戦時動員で銅像は供出され(昭和19年)、今は台座のみが残っているのを私が見たということだ。

    
    ※ 盛岡出身の新渡戸稲造の銅像が建てられていました。
    
    ※ 盛岡城跡の本丸跡と思われるところに残されていた台座です。

 城自体は高い石垣だけが当時を偲ばせている。公園内にあった「もりおか歴史文化館」は今回はパスした。

    
    ※ 盛岡城跡公園で唯一城跡と分かる石垣が周りを取り囲んでいました。

 公園を一周するといよいよラスト1.5キロである。北上川沿いの道路を北上して盛岡駅を目ざすと、古い盛岡から新しい盛岡を象徴するように高いビル群が目に入ってくる。

    
    ※ 盛岡駅に近づくと、近代的なビル群が目立ちました。

 最後に北上川に架かる「不来方橋」を渡るとゴールの盛岡駅だった。

    
    ※ 盛岡駅近くの「不来方橋」から見る北上川と岩手山です。

 記録は取っていなかったが、掛けた時間は4時間前後だった。いつもの倍近い時間をかけて10.5キロを歩いた。私にはこれが心地良かった。
 何も時間を競うウォーキングではない。それと分かってはいてもついつい先を急いでしまうのがこれまでのJRウォーキングだった。今さらながらにウォーキングの楽しさに気付いた思いである。楽しく、充実した思いでゴールできたことが何よりだった。
◇ウォーク実施日  2024年11月3日(日・祝)
◇歩いた距離    約10.5 km

ヘルシーウォーキング㊻ 発寒鉄工団地から宮の沢をめぐる、白い恋人パーク&宮丘公園・発寒ウォーク

2024-10-27 17:10:43 | JRヘルシーウォーキング
 「この日のような天気を小春日和と云うんだろうなぁ…」という心地良い中でスタートしたが、後半は厚い雲が垂れ込める天気となるなど不安定なところもあったが、概ね良いコンデションの中でウォーキングを楽しんだ??

    

 昨日(10月26日)、JRヘルシーウォーキングイベントウォークの「発寒コース」(約11.0km)に参加した。
 ずいぶん長いコース名であるが、穿って考えるとコース自体にあまり特色がないためにこうした名にせざるを得なかった?それはともかく、前半は発寒の工場が立ち並ぶ鉄工団地の中を直線状にひたすら歩くコースだったが、最近体調のすぐれない私は早くも疲労を覚え始めた。
    
    ※ 今回のスタート&ゴールとなったJR「発寒駅」です。空は晴れています。
    
    ※ スタート直後はこのように工場群が立ち並んでいました。

 新川まで北上した後、新川沿いを少し歩いて折り返したところの公園(発寒西稜公園)で少年たちが野球の練習をしていたので、その様子を眺めながら早くも休憩する羽目となった。

    
    ※ 秋色が濃い新川の川沿いです。
    
    ※ 少年たちのはつらつとした姿はいつ見てもいいものです。

 一休みして今度はひたすら南下するコースだったが、その距離3キロ以上あったのではないだろうか?その直線状のコースはさまざまな建物が混在する特色のないコースだった。

    
    ※ 札幌市内を取り巻くように走る高速道「札幌新道」を下を潜って進みます。

 その直線状のコースの最後にある「札幌市生涯学習センター(通称:ちえりあ)のところを右折し「北5条手稲通(旧国道6号線)」を往くと札幌市の観光名所の一つ「白い恋人パーク」に建つチョコレートファクトリーのメルヘンチックな建物が目に入ってくる。

    
    ※ 私も時折り利用する「札幌市生涯学習総合センター」(ちえりあ)です。
    
    ※ 「白い恋人パーク」内に立つチョコレートファクトリーの建物です。

 建物の角を今度は左折し、「さっぽろラウンドウォーク」のセクション2のゴールだった「宮の沢ふれあい公園」の横を通り、「宮丘公園」を目ざす。「宮丘公園」は小高い丘の上に位置するため、疲れた足でここを上るのがこの日一番つらかった。

    
    ※ 秋色を纏った「宮丘公園」内に光景です。

 「宮丘公園」の高台を上り切ったベンチのところでたまらずこの日2回目の休みを取った。この頃からだったろうか?スタート時には「小春日和か?」と思われたような天気が、気が付くと空一杯に雲が覆い始めていたことに気付いた。
 コースは残り4キロを切って、「宮丘公園」からは坂を下るだけのコースだったこともあり、疲れていたが脚は比較的スムーズに動いた。
 私の中でマイブームだった時には何度か訪れたこともある「丸亀製麺宮の沢店」の前を通り過ぎ、「追分通」を北上して「DCMホームセンター」のところから右折してゴールの「発寒駅」に着いたのは11時35分だった。

    
    ※ ルートの終盤、お馴染みの「丸亀製麺」です。空の色が激変しています。

 前述したが、コースとしてはやや平凡かな?と思えた11キロだった。札幌も宮の沢まで都心から離れると(地下鉄「東西線」の終着駅である)特色ある建物とか、施設、史跡などが少ないのは致し方のないことか?
 それより私が今回痛感したのは、私自身の体力がかなり老化してきたことを自覚せざるを得なかったことだ。先週日曜日に富良野市を15キロ歩いたときは3日間くらい疲れが取れなかった。この日も歩き出して1時間も経たないうちに休憩を取らざるを得なかった。これまでの私は自分の体力を過信し、ふだんの体力維持を疎かにしてきたところがあった。もうそうした無理が効かなくありつつあることを痛感し、自分の老化と真剣に向き合う必要性を感じさせてもらった今年の秋である。
◇ウォーク実施日  2024年10月26(土)
◇歩いた距離    約11.0 km

ヘルシーウォーキング㊺ 食と自然を独り占め富良野ウォーク

2024-10-21 19:14:09 | JRヘルシーウォーキング
 いや~、寒い一日でした。遠く十勝連山の峰々には白い雪が被り、近くの山々もすっかり紅葉する中、ブドウ畑や秋まき小麦の畑の田園風景を見ながらのウォークとなった。ワインとチーズもしっかりとゲットしながら…。
           
 ※ JRウォーキングのマップでは初めて2枚組のマップでした。

 10月20日、予告どおりJR北海道の「一日散歩きっぷ」(2,540円)を利用し、JRヘルシーウォーキングの「いつでもウォーク」として設定されている富良野コースを歩いた。
 「なぜわざわざ遠く富良野まで出かけて歩かねばならないの?」と事情を知らない方は訝るかもしれない。趣味の世界というのは、関心がない人にとっては「何が面白いの?」ということになる。
 私の場合は、昨年からこのJRウォーキングに取り組んでいるのだが、このJRウォーキングはポイント制を採用しているところが参加者をくすぐるのだ。私は昨年30ポイントを獲得し、主催者からささやかなプレゼントをいただいた。今年も「ぜひ30ポイントを!」と思い取り組み始め、春先は順調に道内各地を巡りポイントも積み重ねだのだが、途中から「さっぽろラウンドウォーク」にも取り組み始めたために、こちらの方がおろそかになっていたのだ。ウォーキングシーズンも終わりに近くなり、慌てて帳尻を合わせようと思い始めて、まだ歩いたことのない富良野コースを選択したということなのだ。
 昨日の朝、札幌駅発6時35分の鈍行列車に乗り、岩見沢、滝川で乗り継いで富良野駅に到着したのは10時46分だった。(鈍行列車は辛い!滝川駅で1時間半も待たされた)

    
    ※ JR富良野駅です。駅内には「駅そば」が開店していました。

 駅そばで腹ごしらえをしたり、トイレを使ったりしてスタートは午前11時富良野駅前をスタートした。

    
    ※ 富良野駅からは西側と南側に駅前通が伸びといるが、写真は西側の駅前通です。

 すると厚目のアウターを羽織っていたのに「寒い!」のだ。それもそのはず、遠く十勝連峰の峰々は白い雪が被っていたのだ。この日私が札幌を出る時も雨が霰に変わり道が白く染まり始めていた。

    
    ※ 十勝連峰の峰々はすでに真っ白くお化粧をしていました。

 ルートは駅前から直ぐに郊外の田園風景と変った。初めは普通の畑作地帯だったが、しばらく進み道を折れ曲がると、周りは一面ブドウ畑に変わった。富良野市のウリの一つである「富良野ワイン」の原料となるブドウ畑が連なる道を歩いた。

    
    ※ 写真のようなブドウ畑が延々と伸びていました。

 そのブドウ畑の中にたくさんの車が駐車している「カンパーナ六花亭」が建っていた。「カンパーナ六花亭」は、本業の菓子の販売はもちろんのこと、ちょっとオシャレなランチの場ともなっているようだ。六花亭は札幌でもそうだが、ちょっとハイクラスなお店づくり長けているように思える。ここを通った時、ちょうど正午だったのだが、建物の一部に鐘楼があり、正午を伝える鐘が鳴り渡った。

    
    ※ たくさんの車が駐車している「カンパーナ六花亭」です。鐘楼は写真の右側に建っていました。

 さらにその先には「ふらのワイナリー」の工場が建っていたが、先を急ぐ私は工場には寄らず通過した。

    
    ※ 「ふらのワイナリー」の建物です。

 ルートは街中近くの住宅街に導かれ、さらには街中へと一時戻ったが、そこには「富良野神社」が建ち、さらにその向かいには「富良野小学校」が建っていた。その小学校の校庭には「北海道中心標(正式には、「北海道中央経緯度観測標」)」という高さ4m、重さ34トンという大きな標石が置かれていた。富良野市は「へそのマチ」として知られているが、その由来がこの中心標が立てられていることによるようだ。

    
    ※ 富良野神社の第二鳥居と本殿です。
    
    ※ 富良野小学校の校庭に立てられていた「北海道中心標」です。
    
    ※ 中心標の傍には「北海へそ祭り」をPRする人形も立っていました。

 ルートは富良野の道の駅的存在でもある「ふらのマルシェ」という富良野地方の産品を一堂に並べて販売するマーケットであるが、ここも私は一度訪ねたこともあり、時間的に余裕もなかったのでパスして先へと進んだ。

    
    ※ 「ふらのマルシェ」は大盛況のようで、第二会場も建設されました。

 ルートはまたまた田園地帯へと導かれる。ほとんど休みらしい休みもとらず10キロ近くも歩き続けたことでかなり疲労がたまってきたようだった。畑は収穫が終わり、整地されていて単調な風景だった。中に一部緑色の畑が見えたが、秋まき小麦が芽を出した状態のようだった。

    
    ※ 秋まき小麦の畑では?と思われますが…。

 ルートの目的はただ一つ、畑作地帯の先にある「富良野チーズ工場」を目ざすことだったが、疲れた体にはこれが遠かったぁ…。畑作地帯の外れ小高い丘の中腹にそれはあった。日曜日とあって観光客がたくさん詰めかけていた。私はこうした時に、土産などは購入しない主義なのだが、せっかくの記念とあって妻に富良野ワインとここの工場で生産されたチーズをお土産を購入した。

    
    ※ 「富良野チーズ工場」の庭(写真上)と工場・売店の建物です。
    

  あとは一部来た道とルートは違ったが、一路約4キロをゴールの富良野駅に向かって歩み続けるだけだった。

    
    ※ 富良野駅から南に伸びている駅前通です。こちらがメインかな?とも思われました。

 ゴールの富良野駅に着いたのは午後2時40分。つまり所要時間3時間40分を要したのだった。コースは約15キロということだったが、途中私の地図読みの甘さから2度ほどルートを間違えてあちこちと彷徨ったこともあり、私の歩測計では約17.5キロと出ていた。
 富良野市での滞在時間は4時間15分。私はその大半を歩いていたことになる。そして札幌からは遠方ということで2ポイントを獲得し、札幌駅へは午後6時47分に帰り着いたのだった。

        ※ 若い頃、何度も何度も、何度も滑った富良野スキー場(旧称:北の峰スキー場)です。

 私は今後さらに2コースのJRウォークを予定している。なんとか目標の30ポイントを獲得できるのではないかと計算している。
◇ウォーク実施日  2024年10月20日(日)
◇歩いた距離    約15.0 km

ヘルシーウォーキン㊹ 人と自然が輝く清流と健康のまち、むかわウォーク

2024-09-22 19:09:23 | JRヘルシーウォーキング
 恐竜のマチ・むかわは静かだった。鵡川高校の野球部の練習で発する監督の声が拡声器を通じて街中に伝わるほどだった。意外だったのはコース途上で稲刈りの様子を窺えなかったことだった。

    
 「むかわコース」は昨年歩き、今年も同様のコースだったので歩くつもりは全くなかった。しかし、JRウォーキングの仕組みが私をむかわ町に向かわせた。というのも、JRウォーキングでは参加するごとにポイントを付与する仕組みを取っている。
  この仕組みが参加者をくすぐらせるのだ。(私もくすぐらされている一人である)JRウォーキングでは、一度参加するごとに1ポイントが付与される。(ただし、札幌から遠方の宗谷、オホーツク、釧路、渡島などの各地に参加した場合は2ポイントが付与される)
 このポイントを積み重ねて年度末に集計し、ポイント数に応じてささやかな景品が授与されるのである。私は昨年34ポイントを獲得して、30ポイント獲得の景品(下図)をいただいた。



 今年は夏季間に休んだことが響き、現在まだ22ポイントしか獲得していない。私としてはできれば今年も30ポイント以上を獲得したいなぁ、と思っている。そこで、苫小牧コースを歩いている中で、「そうだ!ポイントを稼ぐために鵡川にも行ってみよう!」と思い立った。列車時間を調べたが日高本線はローカル線のために適当な時間に列車は走っていない。そこでバス時間を当たってみたら、ちょうど良い時間にバス便があることが分かった。
 10時45分に苫小牧駅からバスに乗り、約1時間後11時50分に鵡川駅前に降り立った。帰りのJR便が14時11分で、次は16時20分ということだったので、ここは禁を破りショートコース(7km)を歩くことにした。
JRウォーキングには距離が12~15キロという〈基本コース〉と、基本コースの半分、あるいは2/3程度の距離の〈ショートコース〉がある。私は〈基本コース〉を歩くことを旨としているのだが、今回は帰りの時間を考え、やむを得ぬ選択をした。
 さて、〈むかわコース〉のレポである。
 鵡川駅前に降り立つと、気温が低いというよりは肌寒いくらいだった。鵡川駅は今は無人駅となってしまったが、駅舎はとても立派で、この日も駅舎の屋根や外壁の塗り替え作業をしていた。

   
   ※ 鵡川駅は現在、化粧直しの最中だった。

 正午のサイレンが鳴り渡る中、駅舎を出て、駅裏の住宅街を往く。そこを過ぎると一時野球部の活動が活発だった「鵡川高校」の横を通ったのだが、ちょうど昼休みとあって野球部の練習している光景には出会えなかった。

   
   ※ 甲子園にも出場した子ともある名門・鵡川高校の正面です。

 「鵡川高校」を過ぎるともう田園地帯である。道路の両側を見ると、水田はまったく見られなかった。主な作物は豆類が多いように思えた。昨年〈基本コース〉を巡った時には、確か市街地から遠く離れた一帯には水田もあったように記憶していたが、今回の〈ショートコース〉では全く水田は見当たらなかった。

   
   ※ 畑ではごらんのような豆類が多かったようです。

  道路沿いに国内最大級の「むかわ竜」が発掘された地であることを誇らしく宣伝する看板が掲げられていた。(もっとも発掘されたのは当時の鵡川町ではなく、別の町だった穂別町で発掘されたのだが、現在は両町が合併されて〈むかわ町〉となったことから「むかわ竜」と命名されたようだ)
 むかわ竜は、JRの列車の車体にも「むかわ竜」の画が描かれていた。
    

    

 そうした畑作地帯を折り返して、市街地に向かっている時だった。拡声器を通した大きな声が聞こえてきた。はじめ私はトラクター同士が話し合う声なのかな?と思っていたのだが、どうもそうではないらしい。話す内容までは聴き取れないのだが、何かを励ますような声に聴こえてきた。誰かに確かめようとしても人は辺りに見当たらない。そのうち、「あるいは、鵡川高校の野球部の先生が部員の練習を励ましている声なのでは?」と思い始めていた。しかし、周りに人は見えず確かめようがなかった。
 コースは市街地近くに戻ってきた。そこに「鵡川スケートセンター」が見えた。走路をコンクリート舗装した本格的なもので、夏の間はおそらく何にも使われていない施設と見えた。さすがにオリンピック選手の橋本聖子選手(現参議院議員)を輩出した町である。夜間照明も完備された施設だった。

    
    ※ コンクリート舗装された400mトラックは奥の方に見えます。(夜間照明の完備されています)手前の囲まれたところはアイスホッケーリンクのようです。

そして、これも鵡川の名物(?)河川の鵡川沿いに広がる「たんぽぽ公園」に至った。タンポポの開花時はきっと見事の花園となるのだろうが、季節外れに訪れたこの日は緑色が広がる原っぱだった。

    

 その「たんぽぽ公園」の近くでようやく何かの作業をしている人に出会った。そこで、そのときにも微かに聴こえていた拡声器の声について「あの声は鵡川高校の野球部の監督の声ですか?」と聞くと「そうですよ」という答えだった。さらに私は聴いた。「鵡川高校は今も野球部は元気なのですか?」と…。するとその方は「元気ですよー!」と答えだった。そして「実は私も鵡川高校野球部の出身です。佐藤富太郎監督の教え子です!」と胸を張って答えられた。私は知っている。佐藤監督が指揮を執っていたころ、鵡川高校野球部は全道に強豪として鳴り響いていた時代だったのだ。私は「それは嬉しい出会いです」と話すと、件の彼は嬉しそうだった。
 その後、街中を複雑に曲がりながら鵡川の道の駅「むかわ四季の館」で「むかわウォーク」参加の証明をいただき、13時45分に鵡川駅にゴールし、14時11分のJR苫小牧行に乗車し、苫小牧、千歳と乗り継いで、16時30分過ぎ自宅に帰り着いたのだった。
    
     ※ 道の駅「むかわ四季の館 」の建物です。
◇ウォーク実施日  2024年9月21日(土)
◇歩いた距離    7.0 km

ヘルシーウォーキング㊸ 港湾都市の街並みと「ふるさと海岸」・苫小牧ウォーク

2024-09-21 20:30:21 | JRヘルシーウォーキング
 昨年のコースと違い、海岸線を往くコースが設定されていたために港湾都市・苫小牧に相応しいコースだったように思われた。本日は気温も低くウォーキングには最適のコンデションの中で楽しむことができた。
   
    
 
 当初、本日の〈イベントウォーク〉の苫小牧コースは参加しない予定だった。というのも、私は一度参加したコース(昨年も含めて)は基本的に参加しないことにしていた。というのは、私の参加の目的の一つが道内の街の様子を知ることにあるからだ。
 ところが、苫小牧コースのマップを見た時、昨年とは全く違うコースを歩くことになっていたため、急遽参戦してみようと思い立ったのだ。昨年の苫小牧のコースは苫小牧が海に面していながら、全く海を望めないコースだったのだが、今年は違っていた。
 今朝、6時30分に家を出て、地下鉄、JRを乗り継いで、苫小牧駅に8時15分に降り立った。ちょうどスタート受付が始まったところだったので、コースマップを受け取り、早速スタートした。苫小牧には「めだかの学校」の「さっぽろラウンドウォーク」にも参加しているウォーキング仲間もいるのだが、その際は集団ウォークをしているので、今回は単独ウォークをさせてもらうことにした。

   
   ※ 苫小牧駅南口です。

 今回のコースはJRの室蘭本線と海岸の間にコースが設定されていて、苫小牧駅からまずは海岸の方に向かって繁華街を縦断するような形で進んだ。しかし海岸まで真っすぐに進むのではなく、まずは市街地を周遊するような形で進んだ。市民会館、科学センター、美術館、図書館など公共施設がある箇所を巡るように進むのだが、街並みも整備され気持ち良く歩を進めることができた。
 歩き始めは、今シーズン初めてウィンドブレーカーを着込んでスタートしたが、ウォーキングを進めることで体が温まったこともあり、スタート後30分ほどで脱ぐことになってしまった。

    
    ※ 苫小牧市民会館です。
    
    ※ 公共施設を繋ぐ散策路です。

 コースは一度国道36号線沿いを真っすぐ東方向に進むことになったが、この区間は単調で距離もかなりあり、退屈なコースだった。
 しかし、この区間で面白い出会いがあった。私の前を小学校3~4年生くらいの男の子と、その両親の3人組が歩いていた。男の子はちょっと小太りの子だったので私はよく憶えていた。確か美幌町と滝川市のコースで出会ったことを記憶していた。彼らを追い越すときに「ご家族で道内を巡っているのですか?」と問いかけたら、父親が「ええ」と答えてくれた。私は「それは素晴らしいですね」と返すと、両親はとても嬉しそうだった。私は想像した。きっとご両親は息子の肥満対策も兼ねて、家族の絆を深めるためにJRウォーキングに参加されているんだなぁ、と想像を膨らませたのだが…。
 コースは国道を離れ、苫小牧市の内陸に深く切れ込んだ「苫小牧港」の北埠頭に導かれる。フェリーなどの姿を見ることはできなかったが、埠頭前は「キラキラ公園」という不思議な名前がついた中を港を横目に見ながら進んだ。

    
    ※ 苫小牧港です。
    
    ※ 「キラキラ公園」(右側)とその横の遊歩道です。


 一度、港から離れてさらに海岸に向かって進むのだが、海岸が近づくと今や苫小牧の名物の一つともなっている「海の駅ぷらっと みなと市場」という一角に導かれた。まだ観光客が来るには早い時間で、市場の人たちは準備に大忙しといった様子だった。

    
    ※ 開店前(?)の「海の駅ぷらっと みなと市場」の様子です。

 そしていよいよ太平洋が間近に見える「ふるさと海岸」という場所に出た。辺りは整備され、海水浴場かな?と思われたが「遊泳禁止」の看板が立てられ、遊泳は禁止されているようだった。

    
    ※ 太平洋を目ざして歩くウォーカーです。
    
    ※ これが本物の大平洋です。

 海岸を離れると、少し遠回りをしながらもゴールの苫小牧駅を目ざしてのウォークとなる。途中、苫小牧駅の西隣に大きな敷地を占めて稼働している「王子製紙苫小牧工場」があり、工場の高い煙突が苫小牧市内を睥睨するように聳え立っていた。

    
    ※ 王子製紙苫小牧工場の煙突です。

 そして最後に、駅前の「シンボルストリート」に還ってきて、駅の直ぐ近くの公園内に明治から昭和にかけて支笏湖と王子製紙苫小牧工場を結んでいた「王子軽便鉄道 “山線” 4号機関車」が現物保存されていた。

    
    ※ 苫小牧駅前の「シンボルストリート」です。
    
    ※ 現物保存されている王子軽便鉄道の4号機関車です。

 ゴールの苫小牧駅に着いたとき、時計は10時40分を指していた。意外に順調に歩けたことに自信を持ち、私は急遽近くの〈いつでもウォーク〉コースを設定している鵡川町に移動して、こちらのコースも歩いたのだが、明日レポートしたい。

    
    ※ 苫小牧駅前にはアイスホッケーの街らしく、アイスホッケー少年の像が立てられていました。

◇ウォーク実施日  2024年9月21日(土)
◇歩いた距離    11.0 km

※ 〈イベントコース〉と〈いつでもコース〉の違いについて
 〈イベントコース〉とは、JRが期日を設定して「この日に集まりましょう!」と呼びかけ、担当者を配置して、多くのウォーカーが集まって歩くコースです。今年は一部東北の都市の開催を含め全道各地で計25回開催されます。(土・日に開催されます)

    
    ※ 〈イベントウォーク〉ではコース各所にこうした表示があるので安心して歩けます。〈いつでもウォーク〉にはありません。

 一方、〈いつでもコース〉は、JRの方で全道各地にコースを設定して、参加者の都合が良い時に歩き、確かに歩いたことを該当駅にて証明してもらうという仕組みです。今年は全道各地に30ヵ所のコースが設定されています。


ヘルシーウォーキング㊷ 旧弁華別小学校と田園風景・当別ウォーク

2024-09-19 18:54:11 | JRヘルシーウォーキング
 コースの大半は、コース名のとおり田園風景が延々と続くコースだった。その行きついた先にあった旧弁華別小学校は、当時北海道最古の木造校舎だったという面影を残した風情を感じさせる建物だった…。
      
 実に2ヵ月ぶりのJRヘルシーウォーキングだった。今年は「JRヘルシーウォーキング」「さっぽろラウンドウォーク」の二つに取り組んでいるために、二兎を追う形となり、どうしても集中力に欠けるきらいがある。
 7月半ばまではJRヘルシーウォーキングの方も順調に参加できていたのだが、夏場に入り暑さもあって両方ともにペースが落ちていたのだが、特にヘルシーウォーキングの方はこの2ヵ月間全く参加していなかった。それではならじと、本日近場で「いつでもウォーク」が設定されている当別町コースを歩くことにした。
 当別町はこれまで車で郊外の石狩高原スキー場に来たり、伊達記念館を訪れたりしたことはあったが、いわば点として訪れただけで、その他は通過街でしかなかった。今回初めて自分の足で街の中を巡ることになった。
 朝、JR学園都市線で当別駅まで移動した。駅舎は意外に立派な建物だった。
    
    ※ JR当別駅の北口です。

 9時25分、当別駅北口をスタートした。北口は繁華街とは言い難く住宅が立ち並ぶ住宅街を進んだ。しかし、小さな町とあって住宅街は直ぐに途切れ、道路の両側には畑が続く田舎道となった。

    
    ※ このような道路が旧弁華別小学校まで延々と続いていました。

 道路は神居尻山の登山口がある「道民の森」に続いているが、目指すは閉校するまで北海道で最も古い木造校舎として知られた「旧弁華別小学校」である。途中には私も滑ったことがある「石狩高原スキー場」の入口の看板が見えて懐かしかった。

    
    ※ 秋を象徴するコスモスと「石狩平原スキー場」の案内板です。

 スタートから1時間後、「旧弁華別小学校」(「べんけべつ」と読みます)に着いた。弁華別小学校は2016(平成28)年3月に閉校するまで北海道最古の二階建て木造校舎として知られていて、閉校後は社会福祉法人が建物を利用しているとも聞いていたが、実際に行ってみると入口は固く閉ざされていた。現在ははたして活用されているのだろうか?

    
    ※ 当時、全道最古の木造校舎と言われた旧弁華別小学校の建物です。

 校舎の壁には「123周年 閉校記念テーマ 夢に向かって 飛び立て あそ岩っ子!」と掲げられていた。「あそ岩っ子」という表示が私には奇異に思えた。帰宅して当別役場に問い合わせてみたが、担当者も分からないらしく「調べて回答する」と言われ、原稿を記述している現在まだ回答は届いていない。(届き次第後日お伝えします)

          
          ※ 弁華別小学校にも二宮金次郎像が立てられていたんですね。

 「旧弁華別小学校」からもと来た道を折り返して当別の街中を目ざすという退屈なコースだった。当別の田園地帯はそれほど水田が多いとは言えない感じだったが、それでもところどころにある稲田ではコンバインによる稲の刈り取り作業が行われていて、秋到来を感じさせてくれた。

    
    ※ 米作地帯の秋を象徴する光景です。

 街中に入る前に当別高校があり、その後街中へと進んだ。途中には「百年会館」、「伊達記念館・伊達邸別館」などに建物がコース沿いに建てられていた。その後「阿蘇公園」内にある「当別神社」を経たところでコースが不明となり、迷いつつ当別の繁華街へと導かれた。つまり当別の街は当別駅の南口の方が繁華街を形成しているようだ。

    
     ※ 北海道当別高等学校です。
    
    ※ 伊達記念館・伊達邸別館です。
    
    ※ 「阿蘇公園」内に鎮座する「当別神社」です。

 途中、2回ほどゆったりと休憩を取ったこともあったが当別駅南口にゴールしたのは12時20分だった。
 コンデションは気持ちの良い秋晴れに恵まれ、心地良い風も吹いていて、背中に多少汗はかいたものの、気持ち良く12.5キロを歩くことができた。

    
    ※ JR当別駅の南口です。

 私は秋日和の中を歩きながら10数年前の10月に木曽路を歩いたことを想い出していた。4泊5日の旧道を往く歩き旅は天候にも恵まれ、とても想い出多い旅となった。私はその時、柄にもなく何編もの俳句を創ったことを思い出していた。そして今日もまた、一句捻り出してみた。というのも、近く「俳句」創りの授業を行わねばならない必要に迫られている。
 私は10数年前の旅のある光景を思い出していた。山道を歩いた末に、ある集落に辿り着いたときだった。一軒の住宅の庭に豆類などの収穫物を庭一杯に広げで乾燥している光景に出会った。まさに日本の農家の原風景を見ているような光景だった。その光景が突然私の中に蘇った。そして捻り出したのが次の一句である。
  庭先に 実りを広げ 秋日和
 全くの素人の一句である。俳句に取り組んでいる方からは問題にもされない駄作である。
 でも私にはあの日の光景が忘れられないだけに産み出すことができた一句に満足している。

 ◇ウォーク実施日  2024年9月19日(木)
 ◇歩いた距離    12.5 km

ヘルシーウォーキング㊶ オホーツクブルーの澄んだ空、太陽に愛された町・遠軽ウォーク

2024-07-19 13:51:49 | JRヘルシーウォーキング
 遠軽町のシンボル「瞰望岩」を中心とした「太陽の丘 えんがる公園」の広大さには驚いた。さらにそこが見事に整備されていたことも感動した。しかし、過疎が進行している遠軽の街の実状も垣間見せてくれた遠軽町ウォークだった。

    

 美幌町の〈イベントウォーク〉に参加した翌15日、遠軽町まで足を延ばし〈いつでもウォーク〉の対象となっている「遠軽町」のコースを歩いた。

    
 ※ 遠軽町のシンボル「瞰望岩」を撮っていたところJRの列車が通過するというシャッターチャンスを逃しませんでした。

 私は遠軽町在住の経験はないが、当時隣町だった生田原町に3年間勤務した経験があった。(現在生田原町は合併して遠軽町となっている)だから買い物などでよく遠軽町を訪れていたので、やはり私にとっては〈ふるさとウォーク〉の一つと思いながら歩いた。
 遠軽駅をスタートしたのはこの日も早く、朝7時50分にスタートした。この日の遠軽は曇っていて、気温も低く午前8時、街角の温度計は17℃と歩くには絶好のコンディションで気持ち良くスタートを切ることができた。

    
    ※ スタート & ゴールの遠軽駅は依然と同様に周りから一段高いところにありました。

 駅をスタートして直ぐに真新しい大きな建物が目に入った。マップには「遠軽町芸術文化交流プラザ(愛称:メトロプラザ)」とあった。遠軽町は音楽が盛んな街で、特に遠軽高校吹奏楽部は全国大会に何度も出場経験のある学校で、街全体でも音楽が盛んだと聞いているが、町の人たちにとってはシンボル的存在の建物ではないかと思われる。

    
    ※ 「遠軽町芸術文化交流プラザ(愛称:メトロプラザ)」の建物です。
 
 コースは遠軽駅の近くに聳える「瞰望岩」の真下に導かれる。垂直に切り落とされたような大きな岩は迫力十分である。その「瞰望岩」の真下に「遠軽神社」があった。

       
    ※ 「瞰望岩」の真下から撮った一枚です。
    
    ※  「瞰望岩」を背にして建つ「遠軽神社」です。

 「瞰望岩」を巻くようにして、「瞰望岩」の頂上に通ずる上りが続いた。歩き始めで気温も低かったために、思っていたほど困難も感ずることなく「瞰望岩」の頂上に立った。「瞰望岩」からは遠軽の街全体がパノラマのように見渡すことができる絶景を楽しむことができた。
    
    ※  「瞰望岩」の頂上から遠軽の街を俯瞰した一枚です。
※ パノラマ機能も使ってみました。

 「瞰望岩」を折り返してから、それに続く「太陽の丘 えんがる公園」に歩を進めたのだが、目的地は秋には丘全体がコスモスの花で埋め尽くされる「虹の広場管理棟」ということだったのだが、これが私を大いに迷わせた。公園内の散策路とあって目印になるものがなかったこともあり、地図読みを誤ってしまったようだ。広大な公園内を右往左往してしまうことになった。苦労して目的地には到達したものの、かなり時間を要してしまった。管理棟のところで同じくヘルシーウォーキングに取り組んでいた方から「迷ったでしょう」と声をかけられた。その方もかなり迷ったようだ。できれば分かりやすい目印のようなものがあると良いと思ったのだが…。管理棟のところから広がるコスモス園に花が満開になる様子を一度は見てみたいと思わせてもらったが、果たして実現できるだろうか???

    
    ※ 「虹のひろば」と称するコスモス広場を楽しむ施設です。
    
    ※ 前面の丘全体がコスモスの花で埋め尽くされるようです。    

 「太陽の丘 遠軽公園」を下ると、街の中心から外れた住宅街歩きとなった。退屈な住宅街の一角に、「遠軽小学校」の真新しい校舎が建っていた。

    
    ※ 真新しい遠軽小学校です。

 「遠軽小学校」を後にすると、住宅は疎らとなり変哲のない田舎道が延々と続いた。およそ4キロにわたる住宅街、それに続く田舎道は退屈なウォーキングだった。

    
    ※ このように田舎道が延々と続きました。

 やがてコースはJR石北本線を跨ぎ、国道242号線に出た。ここまで来ると見覚えのある風景となった。国道242号線を駅方向に向かって進むと、路傍に  「木楽館」と称する木工芸品の展示即売する建物が建っていた。

    
    ※ 遠軽町産の木工製品が展示即売されている「木楽館」です。

 コースは直接遠軽駅には向かわず、湧別川の堤防に導かれ、遠回りするようにゴールの遠軽駅に向かう。
 堤防沿いに「遠軽高校」があった。高校の野球グラウンドでは野球部が練習をしていた。確かこの時期、遠軽高校野球部は高校野球北北海道大会に進出を決め、大会地の旭川市に遠征しているものと思っていたのだが…。(後ほど調べてみると、1回戦に勝利し、翌日対白樺学園戦に備えて自校へ帰って調整していたようだ。翌日の対戦は残念ながら白樺学園に敗戦したとニュースが伝えていた)

    
    ※ 遠軽高校野球部が練習していました。

 遠軽高校は先に記した吹奏楽部の他に、ラグビー部、野球部など部活が盛んな高校で、オホーツク管内から生徒が集まっているとも聞いている。今後の活躍も期待したいと思う。
 堤防歩きも2キロ弱はあったのではないだろうか?この湧別川の河川敷はかなり大きく、その昔に私は3度にわたって「湧別原野オホーツククロスカントリースキー大会」に出場した経験がある。その距離85キロである。私は朝早くからまる一日かかって白滝の山の中から湧別町まで走った(滑った?)のだが、ここの河川敷も息絶え絶えに通過したことが思い出された。
 堤防歩きが終わり、湧別川に架かる「いわね大橋」を渡り、遠軽の中心街に還ってきた。

    
    ※ 遠軽の中心街と住宅街を結ぶ「いわね大橋」です。

 コース途中に私が生田原町に在住当時から営業していたショッピングセンターは健在だったが、街そのものはすっかり元気を失っているように映った。

    
    ※ 閑散とした印象があった遠軽の中心街です。

 街を歩く人にも出会わずにゴールの遠軽駅に着いたのは10時45分だった。前日の美幌町のコースより時間がかかってしまったのは「太陽の丘 遠軽公園」で右往左往してしまったことが影響したようだ。                        
 ◇ウォーク実施日  2024年7月15日(祝・月)
 ◇歩いた距離    11.0 km

ヘルシーウォーキング㊵ 豊かな緑と川をいかした、自然と調和するまち・美幌 ウォーク

2024-07-18 13:02:40 | JRヘルシーウォーキング
 3年間もお世話になった街なのに初めて見る光景が多々あった。いかに自分が住宅と職場をひたすら往復していただけだったかを痛感させられた「ふるさとウォーク」だった…。

    

 今回は遠路遠征して美幌町で開催された〈イベントウォーク〉に参加した。
 実は私は1983年4月から1986年3月まで(40年前になるのかぁ~、遠い昔だなぁ…)、北海道教育委員会から派遣されて美幌町の社会教育を応援する任務に就いた。その美幌町で〈イベントウォーク〉が開催されると知って「ぜひとも参加したい」と思い、馳せ参じたのだった。

    
    ※ スタート地点となったJR美幌駅です。

 朝8時15分、美幌駅をスタートした。美幌駅前は私がいた当時は、美幌峠、屈斜路湖観光の玄関口として賑わっていたのだが、現在はバス会社の小さな社屋はあるものの当時に賑わいは感じられず昔日の感があった。

    
    ※ 美幌駅前通りです。どうしても寂しさは隠せません。

 スタート時はまだ時間が早かったためか参加者はまだ疎らだった。
 コースは直ぐに網走川にかかる「美禽橋」に向かう。その手前に「旅館 青葉荘」が目に入ったが、私が在町当時からあった旅館で懐かしかった。

    
    ※ 「青葉荘」は私が在町当時も営業されていた旅館でした。

 「美禽橋」からは網走川河畔を使っての「第43回美幌和牛まつり」の開催準備が進んでいた。ちょうど私が在町当時に始められたお祭りで、私も青空の元で牛肉を頬張った思い出が蘇ってきた。

    
    ※ 美幌観光和牛まつりの会場では開催準備が進められていました。
    
※ 網走川の流れです。和牛祭当日はいかだ下りの催しも行われ、職場の仲間といかだで川下りをしたことも思い出です。

 橋を渡って川向には「美幌みどりの村森林公園」が広がっていた。その傍らには町民スキー場「リリー山スキー場」があり、当時は指導員として活躍中だったこともあり懐かしいスキー場だった。

    
    ※ 規模の小さなスキー場ですが、街から近いことが利点でした。

 森林公園内には、「美幌博物館」やキャンプ場、運動広場などが広がっており、町民の文化・スポーツを楽しむ拠点的な存在となっているようだった。運動広場では、私がいた当時から美幌町ではフランス生まれの「ペタンク」という競技が静かなブームになっていたが、この日もたくさんの老若男女が集い「ペタンク」に興じていた。

    
    ※ 私が離町した後に建設された美幌町博物館です。
    
    ※ ペタンクに興じる人たちです。

 森林公園を後にすると、田園風景が延々と続いた。北見地方名産の玉ねぎ畑や、種類は分からないが豆類の畑などが広がっていた。

    
    ※ 北見地方の名産、玉ねぎ畑が広々と広がっていました。

 網走川を再び渡り対岸に移っても田園風景は延々と続いた。

    
    ※ コースの中にはこうした砂利道もありました。年寄りには危ないコースです。
    
    ※ 美幌神社の鳥居と奥には本殿が見えます。

 コースを3/4周ほど終えたところで美幌の市街地に戻ってきた。そして「魚無川」というなんとも恐ろしい(?)名前の付いた川沿いに導かれた。こうした川があったことも在町当時は知らなかった。この川沿いは住宅地に近いこともあってだろうか?とても良く整備された散策路になっていた。

    
    ※ 魚成川沿いの散策路です。

 そしてさらに街中に導かれると真新しい「美幌町役場庁舎」が建っていた。2021年に供用開始ということで北海道内初のZEB庁舎だということだ。私がいた当時の役場は古くて狭く、私が勤務していた社会教育課も庁舎内ではなく、外部施設に事務所を構えていた。

    
    ※ 新装なった美幌町役場庁舎です。

 コースはそのまま町の中心部に近いところに位置する「美幌小学校」校舎を横目に、「なかまち緑道」という素敵な遊歩道に導かれた。日曜日10時過ぎだったが残念ながら散策する町民の方に出会うことはなかった。

    
    ※ 街中にある美幌小学校の校舎です。
    
    ※ きれいに整備された「なかまち緑道」です。

 そして午前10時30分頃、人の姿がほとんど見えない美幌駅にゴールした。
 ゴールした後、美幌駅からほど近いところに私が勤務した社会教育課の事務所が入っていた「美幌町コミュニティセンター」に立ち寄ってみた。体育館を併設した建物そのものは当時の姿のままだったが、社会教育課の事務所はやはり新庁舎内に移動したとみえ、関連の表示は見当たらなかった。

    
    ※ 私が在町当時勤務していた「美幌町コミュニティセンター」です。

 それにしても前述したように、私は3年間お世話になった町にも関わらず初めて見る光景が多々あった。「美幌みどりの村 森林公園」、「魚成川の散策路」、「なかまち緑道」と…。
 あるいは私が離町した後に整備されたところなのかもしれないが…。しかし、40年前に見た光景が残っていたところも確かにあった。40年という時間は「懐かしさ」と「寂しさ」が入り混じった複雑なウォーキングとなった…。                                           
◇ウォーク実施日  2024年7月14日(日)
◇歩いた距離    11.5 km

ヘルシーウォーキング㊴ in 新十津川・滝川をめぐる、一町一市ウォーク

2024-07-07 20:38:10 | JRヘルシーウォーキング
 時折り雨が降るコンディションの中、なかなかタフな15キロだった。ただ、湿度は高いものの気温は20℃前後と、汗は一杯かいたものの気持ち良く二つの街を歩くことができたヘルシーウォーキングだった。
 
    
 
 数日前から体調を崩し、「今回はどうしょうかなぁ?」と考えていたのだが、昨日になって体調が回復したこと。そして〈イベントウォーク〉の場合は、今年はこの日しか歩くことができないという制約があるため参加を決めた。
 今回は、この「新十津川・滝川をめぐる、一町一市ウォーク」だけの参加だったので、JRの「一日散歩きっぷ」(2,540円)を利用して滝川へ向かった。
滝川駅に下車後、8時40分、直ぐにスタートした。まず感じさせられたのが滝川駅前の寂しさだった。(このことについては後述したい)
 
※ 掲載写真が雨天だったこともあり、全体に暗い感じになっていることをお断りします。
 
    
    ※ スタート&ゴール地点のJR滝川駅です。
 
 コースは駅前の住宅街(商店街ではなかった)を通過して、石狩川河畔に導かれた。その河畔には滝川市が誇る「たきかわスカイパーク」が広がっていた。滝川市は道内のスカイスポーツ(グライダー)のメッカとして有名であるが、河畔に広がる緑の滑走路が眩しかった。
 
    
    ※ 石狩川河畔に広がる「たきかわスカイパーク」です。
 
 そこから石狩川に架かる長~い「滝新橋」(滝川市と新十津川町を結ぶ橋という意味?)を渡って新十津川町に入った。
 
    
    ※ 橋上だけで直線1キロはあったのではと思われる長~い「滝新橋」です。
    
    ※ 「滝新橋」から撮った石狩川の流れです。
 
 新十津川ではマップで推奨されていた「中央公園」内にある「新十津川開拓記念館」に立ち寄った。展示物は各地にある郷土資料館と大差なく、開拓時の農機具とか、生活用品などが展示されていたが、私の目を惹いたのは開拓当時の開拓農家の住宅を再現した建物だった。ちょうど今、私たちは札幌近辺の屯田兵屋を見て歩いているが、屯田兵屋から見るとかなり粗末な住宅で生活していたことが偲ばれた。
  
    
    ※ 新十津川町の「開拓記念館」の建物です。
    
    ※ 開拓農家の住宅内を再現したものです。
 
 新十津川の街は車でよく通過する街だったが、歩くのは始めてだった。日曜日でしかも雨とあって、街中に人はほとんど見当たらなかった。新十津川の造り酒屋「金滴酒造」の横も通ったが、以前に立ち寄ったこともあり今回はパスして、石狩川に架かるもう一つの橋「石狩川橋」を渡って滝川市へと戻ってきた。
 
    
    ※ 金滴酒造の本社兼売店だと思われます。
    
    ※ 金滴酒造の倉庫群の一部です。
 
 ここからが長かった。石狩川沿いを上流に向かってひたすらサイクリングロードで遡った。このサイクリングロードが堤防上ではなく、堤防と堤防下の土地とのちょうど中間に造成されていた。そのため川面や河原を見ることできなく、堤防下の住宅の背面ばかりを眺めてのウォークだった。雨は降ったり止んだりを繰り返し、その都度傘を開いたり、閉じたりしながらウォークは続いた。
 
    
    ※ サイクリングロードは写真のように堤防の中間の高さに造成されていました。
    
 サイクリングロードは3キロくらい続いたろうか?その最後の部分で堤防上に導かれて河原の方を見ると「滝川市民ゴルフ場」のグリーンが広がっていた。
 
    
    ※ 石狩川河畔に本格的なゴルフ場が広がっていました。
 
 折り返して市街へ向かう途中「池の前水上公園」というところに導かれたが、そこに「滝川市B&G海洋センター」の建物が建っていた。その前には「ラウネ川」という石狩川の直線化工事によって生まれた川があったが、そこが流れが穏やかなこともあってカヌーやヨット・ローボートなどの海洋性レクレーション基地となっていて、それを主導しているのが「B&G海洋センター」ということのようだ。滝川市は空と海洋性スポーツと二つの特徴的スポーツを推進している街のようだ。
 
    
    ※ ラウネ川とその袂に建つ「B&Gセンター」です。
 
 その後もJR函館本線の西側(滝川市の中心市街はJRの東側と理解しているが)の住宅地を黙々と歩いた。
 そしてJR函館本線の跨線橋を潜り、中心街と思われる東側に移り歩いたのだが、東側に移っても、その寂しさは変わりがなかった。
 滝川市は調べてみると1980(昭和60)年代には人口が52,000人を数えたのが、現在は37,000人強となっていて、確かに人口減少が激しいようだ。ただ街の中心が寂しいのは国道のバイパス化によって街の中心がそちらの方へ移動したことも大きいのではないかと思われるのだが…。
 
    
    ※ これが滝川駅前の光景です。
    
    ※ アーケード街も閑散としていました。
    
    ※ 街の主要道路もご覧の通りです。
 
 15キロを歩いて帰ってきた滝川駅前の寂しさは隠しようなないほど顕著だった。そのことを一番嘆いているのは滝川市民なのかもしれないが、人口に見合った街づくりをぜひ進め、駅前にもう一度賑やかさを取り戻してほしいと願った私だった。
 この駅前でハプニングがあった。私がゴールし、昼食のできるような店を探していると、なんと「さっぽろラウンドウォーク」に一緒に取り組んでいるN氏とばったり出会ったのだ。お互いにこのヘルシーウォークに出ることを話し合ってはいなかったので、この出会いにびっくりした。私は列車の発車時間がまだ1時間以上あることを話すと、N氏は車で参加していたので「じぁ、私のクルマで帰りましょう」と誘ってくれたので、厚意に甘えることにした。N氏は苫小牧市から参加だったので、野幌駅まで送っていただき、そこから私は列車で自宅に戻った。Nさんどうもありがとうございます!                                              
◇ウォーク実施日  2024年7月07日(月)
◇歩いた距離    15.0 km
                                             

ヘルシーウォーキング㊳ 豊かな緑に囲まれた田園風景・深川ウォーク

2024-07-01 16:05:27 | JRヘルシーウォーキング
 一昨日(6月29日)、二か所目のヘルシーウォーキングとなった深川ウォークを実施した。午後の暑さと、二か所目のウォークということで、疲労が蓄積し、スピードも大幅ダウン、日陰があるとすかさず水分補給をくり返しながらのウォークだったが、深川らしさも垣間見たウォークとなった。

    

 旭川市の〈イベントウォーク〉を終え、休む間もなく〈いつでもウォーク〉を踏破すべく深川市に移動した。昼食もクルマの中でパンとバナナを頬張るだけで済ませた。
 スタート地点の深川駅をスタートしたのは12時40分だった。気温が最も高くなる時間帯だった。(この日の深川市の最高気温は午後2時現在で29.6℃だった)

    
    ※ スタート地点となったJR深川駅です。
    
    ※ 深川駅前はかなり整備された印象を受けました。

 コースは駅から真っすぐ南下して石狩川堤防に導かれた。この辺りの「石狩川」はかなり大河となっており、河原も広がっていた。河原は「石狩緑地」と称され、広大な森が広がっていた。

    
    ※ 石狩川と堤防の間の河原が「石狩緑地」となっていました。
    
 途中から石狩川堤防から、石狩川の支流にあたる「入志別川」沿いに導かれた。その先には深川市の野球場、陸上競技場、テニスコート、総合体育館が集中する「滝川市総合運動公園」に至った。

    
    ※ 深川市の総合体育館の建物です。

 そこから折り返し「大正緑道」なる緑道に導かれた。この「大正緑道」にはコース中で3度も出会ったのだが、深川市の街の光景を語る一つの特徴かもしれない。というのも、もともと深川市は空知の米どころである。そのため大正年代に市内には水田に水を引くために灌漑設備が縦横に走っていたようだ。その灌漑溝を「大正用水」と呼称していたという。灌漑溝には、やがて蓋がかけられて(ボックス化)、上部を緑道化して市民の散策路が造られたようだ。資料によると、市内には「大正緑道」と称する緑道が延長6.5キロとも表示されていた。

    
  ※ 深川では住宅街のすぐ裏に水田が広がり、まさに米どころといった感じでした。
    
    ※ 「大正緑道」の成り立ちを説明する掲示板です。
    
    ※ 最初に出会った「大正緑道」です。まだ通路が付いていますが、二か所目は雑草が生い茂り、どこを歩けばよいのか迷うほどでした。
    
 ただ、私が歩いた3ヵ所の「大正緑道」のうち、2ヵ所は整備が行き届いていないのではと思われたのだが…。(緑道内の歩くところがはっきりしていなかった?)最後に訪れたJR函館本線沿いの「大正緑道」は、緑道下の流路を大量の水が流れ、地上にも市民が憩えるような小川が流れ、歩行路もしっかりと整備されていた。

    
    ※ 「大正緑道」の所々では、このように緑道下を潅漑水が流れていることが確認できました。
    
   ※ 3番目に出会った「大正緑道」は大変整備され、地上にも小川が配されていました。

 最初の「大正緑道」を歩くあたりから、疲労と暑さから緑道内の東屋を見つける度に一休みし水分補給をしなければならなかった。
 3ヵ所の「大正緑道」巡りをする中、街中からやや離れたところを歩いたが、その途中踏切を横切った。マップを確かめると「留萌本線」の踏切だった。 

    
    ※ 2026年には廃線となる予定の留萌本線の踏切です。

 「留萌本線」というと、2016年12月に増毛⇔留萌間が廃線となり、昨年(2023年)4月には留萌⇔沼田間が廃線となり、残る沼田⇔深川間も再来年の2026年3月をもって廃線することが決定しているようだ。したがって、私が渡った踏切もやがては無くなる運命ということだ。道民としては鉄路がだんだん短くなってしまうことは断腸の思いがする。
 コースの途上に「深川西高校」があった。その校舎の壁に「今、青春爆発中」という生徒会作成のスローガンが大書され、掲げられていた。こうしたスローガンを照れもせずストレートに表現している「深川西高校」の生徒たちが眩しく思えた。

    
    ※ 深川西高校の校舎の壁の真ん中ほどに「今、青春爆発中」というスローガンが掲げられていました。

 そしてコースの後半、再び石狩川堤防に導かれた。その河原近くに「グリーンパーク21」と称する整備されたパークゴルフ場があったが、プレイしている人は見当たらなかった。さすがの暑さにプレイする意欲が起こらなかったのかもしれない。

    
    ※ プレイする人が見当たらなかったパークゴルフ場です。

 堤防に上がると、前半の「石狩緑地」とは別の「石狩緑地」が広がっていた。こちらは緑というより野球場やサッカーコートなどが広がっていた。

    
    ※ こちらも「石狩緑地」と称していますが、こちらはスポーツグランドが広がっていました。

 そしてスタートした深川駅に帰り着いたのだが、暑さと疲労が重なりなかなかタフなウォーキングとなったが、これで私は今季14コースを踏破したことになる。 

    
    ※ コースを踏破したことを証明していただく駅の窓口です。
                                             
 ◇ウォーク実施日  2024年6月29日(土)
 ◇歩いた距離    11.0 km