田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

アカデミー賞作品賞を振り返る

2020-03-31 15:52:46 | 映画観賞・感想

 2010~2020年の日米のアカデミー賞作品賞を巡る旅は心楽しい日々だった。さすがに各々の一年間の中で最優秀に選ばれた作品である。どれもが見応え十分だったが、それらの作品の中から私の目から見たベストスリーを選んでみた。

アメリカアカデミー賞 作品賞受賞作

 まずアメリカのアカデミー賞作品賞の歴代の受賞作である。

 なお、作品名の前に〇印が付いているのは以前に映画館で観た作品、★印が付いているのは今回DVDで観た作品である。

〇【2020】パラサイト 半地下の家族

     

★【2019】グリーンブック

★【2018】シェイプ・オブ・ウォーター

★【2017】ムーンライト 

★【2016】スポットライト 世紀のスクープ

     

★【2015】バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

〇【2014】それでも夜は明ける

★【2013】アルゴ

★【2012】アーティスト

〇【2011】英国王のスピーチ

     

★【2010】ハート・ロッカー

私がこの中からベストスリーを選ぶとすると、難しい課題だったが、「英国王のスピーチ」(2011)、「スポットライト 世紀のスクープ」(2016)、「パラサイト 半地下の家族」(2020)の三作品を挙げたい。その理由については後述する。

 

日本アカデミー賞 作品賞受賞作

続いて日本のアカデミー賞作品賞の2010~2020のラインナップである。

★【2020】「新聞記者」

     

〇【2019】「万引家族」

★【2018】「三番目の殺人」

★【2017】「シン・ゴジラ」

★【2016】「海街 diary」

★【2015】「永遠の〇」

★【2014】「舟を編む」

★【2013】「桐島、部活やめるってよ」

〇【2012】「八日目の蝉」

     

〇【2011】「告白」

     

★【2010】「沈まぬ太陽」

 この中からベストスリーを挙げるとすると、私は「告白」(2011)、「八日目の蝉」(2012)、

「新聞記者」(2020)を挙げたい。

 さてその選定理由であるが、日米6作品のうち、3作品(「英国王のスピーチ」、「スポットライト 世紀のスクープ」、「新聞記者」)が事実に基づいた(あるいは事実と想像される)作品である。映画のストーリーが事実であるということは観る者にとってはとてもインパクトが大きい。それをエンターテイメントに仕上げたのは監督をはじめとするスタッフの力だと思う。

 残る3作品(「パラサイト 半地下の家族」、「告白」、「八日目の蝉」)はいわゆるフィクションである。フィクションの場合は原作、あるいは脚本の力が映画の出来を大きく左右する。その点においてこれらの作品はいずれもが原作・脚本の力が大きいと言えるが、それとともに演ずる俳優たちの演技力も問われる。「パラサイト」のソン・ガンホ、「告白」の松たか子、「八日目の蝉」の井上真央、永作博美たちの演技力が光っていた。

 ともっともらしい理由を述べてきたが、私が映画に期待するのは何より映画を観て楽しみたいということだ。つまり、映画においてはエンターテイメント性こそ最も問われるところだと私は思っている。そういう意味で、日米のベストスリーは私を十分に楽しませてくれたということが最も大きな理由である。

 ところで、日米のアカデミー賞の比較だが、これは問うこと自体が無意味なのかもしれない。アメリカのアカデミー賞はハリウッドの大資本をはじめ、英語圏全体の中から選ばれるのだからその底辺に圧倒的な差がある。残念ながら今のところ日本の映画はそのスケールや底力ではまだまだ及ばないことを認めねばなるまい。ただし、2020年のアカデミー賞において「パラサイト 半地下の家族」が選定されたことはセンセーショナルな出来事としてとらえられている。それは英語圏以外で初めて選出された作品賞だからである。英語圏以外で作られた映画でも映画自体に力があれば選ばれる可能性が出てきたということだ。そうなると、他の映画祭では日本の映画もその力量が認められつつある。スケールではかなわなくとも、日本人特有のきめの細かさ、心情の機微を描く繊細さ、などが理解されてくると、いずれ本場アメリカでのアカデミー賞作品賞の受賞も夢物語ではないのかもしれない。

 今回はコロナ禍によって思わぬ形で2010~2020の日米アカデミー賞作品賞の受賞作品を全てカバーすることができた。レンタルDVDがなければこうした試みはおよそ不可能だった。そういう意味では家庭のテレビでDVDを観賞することもまんざら避け続けるべきではないのかもしれない。ただ、やはり私にはあの暗い空間において映画自体に没頭できる映画館やホールでの映画観賞をこれからも大切にしたいと思っている。

 それと同時に、何かテーマを決めて古い映画を観ようとしたときの手段としてレンタルDVDも悪くはないと思えたのが今回の収穫だった…。


春を探して in 円山公園

2020-03-30 16:04:52 | 環境 & 自然 & 観察会

 春の陽射しが公園内の大木に遮られて、公園内は雪と枯草の茶色がまだら模様だった。それでも春の兆しが公園内のあちこちに顔を覗かせていた。春は近い♪…春は近い♪…足音が近い♪

 借りていたDVDを返却したその足で、陽気に誘われて札幌市民のオアシスの一つ円山公園まで足を伸ばしてみた。円山公園内は大木が生い茂っていることもあり、全体としてはまだ雪が消えずに残っているところもあり、雪と茶色のまだら模様だった。

   

 公園内で例年いち早く鮮やかなチューリップが咲き誇る花壇のところへ行ってみた。すると、雪が溶けているところではチューリップの芽がたくさん顔を出していた。あるいは、あと一週間も経つと鮮やかな色のチューリップが花を咲かせるのではないか?そんな期待を抱かせるほど、チューリップの芽は元気そうに空に向かっていた。

   

   

 私は次に公園の縁辺にあたる方へ行ってみた。そこには私の手が届くようなところに枝が垂れ下がっている桜の木があるのを知っていた。桜の蕾はどんな状態なのだろうと近寄ってみた。予想どおり蕾はまだまだ堅かったが、その様子からは今年もまた爽やかな花をたくさんつけてくれることを予感させてくれるものだった。

   

   

 桜の蕾を見ると、梅の蕾も見たくなった。円山公園の隣の北海道神宮内の梅園に向かった。梅園もまたまだら模様だった。そこで梅の木に近づいてみると、やはり蕾は付いているもののまだまだ堅そうだった。

   

   

 梅園では梅の木を管理されている方が枝を剪定していた。たくさんの蕾を付けた枝が惜しげもなく剪定されていた。それを見ていた婦人が剪定された「枝をいただいても良いか?」と聞いたところ「どうぞ!どうぞ!」と言っていた。私は婦人に聞いた。「これ、家に持って帰って咲くのですか?」と…。「昨年はたくさん咲かせましたよ」と言うではないか!私は婦人に倣って3本の枝を持ち帰った。果たして梅の花は咲くのだろうか?

   

   ※ 北海道神宮の梅園で剪定された枝を持ち帰り、花瓶にさした梅の枝です。

 帰り道、日当たりの良い家々の庭を注意しながら歩いていると、ようやくそこここに春の花が顔を出していたのでカメラに収めさせてもらった。

   

   

   

 春が確実に近づいてきたことを感ずることができた今日の午後だった。春の到来とともに、コロナウィルスの方は遠ざかってはくれないものか…。

   

   ※ おまけの一枚です。我が家で咲いている桜の花です。妻が買い求めたものです。

 春の到来を感ずると、私は自然にリード文にあるような歌が口をついて出てくる。何という歌かも知らずに…。そこで何という歌なのか調べてみた。すると1972~1973年にかけて放送されたTVドラマ「冬物語」の主題歌だと判明した。(私も古い人間である)作詞:阿久悠、作曲:坂田晃一、歌:フォーククローバーズとなっていた。

 「春は近い♪春は近い♪足音が近い♪」などというフレーズはさすが言葉の魔術師と言われた阿久悠氏らしい言葉の紡ぎ方だなぁ、改めて阿久悠氏を偲んでいる。(私は阿久悠氏の「甲子園の詩」に接して彼の凄さを知った)


映画 ハート・ロッカー №283

2020-03-29 18:46:30 | 映画観賞・感想

 戦時下における爆発物処理という特殊部隊の任務を描く、生きるか死ぬかの迫真のドラマは見ていて非常にスリリングである。しかし、これがアカデミー賞の最優秀作品賞と聞くと、若干首を傾げざるを得ないと思ったのだが…。

        

 私の2010~2020年までの日米アカデミー賞の作品賞を巡る旅もいよいよ最後となった。その年度の最優秀作品賞とあって見応えのある作品が多かったが、私からみて「これがどうして?」という作品も中にはあった。そうしたことも含めてこの2週間ほどはどっぷりと映画の世界に浸かった2週間だった。

 ということで、アカデミー賞を巡る旅の最後の作品は2010年度のアカデミー賞最優秀作品賞に輝いたキャスリン・ビグロー監督の「ハート・ロッカー」(2008年制作)である。          

 映画は2004年夏、戦時下のイラク・バグダッドで爆発物を解体処理に従事する特殊部隊の活躍と任務を描く戦争ドラマである。その特殊部隊の一つの班に新リーダーとして赴任してきたのがジェームス2等軍曹(ジェレミー・レナー)だった。ジェームスは爆発物処理の専門家であり、解体した爆弾は873戸以上というベテランだったが、危険を顧みないその行動が班の中に波紋をおこすのだった。

    

    ※ 主演のジェームス2等軍曹(ジェレミー・レナー)です。

 映画に特にストーリーはない。次々と危険な現場に立ち入り、爆発物の処理やイスラム人テロと対峙する場面に次々と遭遇する。その際に、ジェームスは他の制止を振り切り危険も顧みず爆発物の処理に率先して当たるのだった。その行動は私からみてもあまりにも無謀に思え、いくつ命があっても足りないのではと思わせるほどだった。

 典型的な場面は、ある夜バグダッド郊外で大規模な爆発事故が起こった。ジェームスは「爆発を起こした人間は近くのビルから爆発の様子を確認していたはずだ」と主張し、暗闇のビル内に立ち入り、爆発をさせた人物を射殺しようとビル内を捜索する。しかし、これは自殺行為そのものではないだろうか?爆発させた人物たちからジェームスたちはまる見えである。およそ正常な判断をする軍隊がするはずがない行為ではないかと私には思えた。映画はもちろんジェームスを死なせるはずはないのだが…。

      

      ※ 夜間のビル内の捜索です。私には無謀と映ったのだが…。

 映画は特別に戦争反対や軍制度を批判したり、イラク側を非難したりすることは表立ってはなく、ひたすらジェームス班の行動を追い続けることに終始するものだった。

 そのジェームス班も任期が来て、一人は負傷退任し、一人は除隊する。しかし、ジェームスは休暇を取った後、再び一年の任期で爆発物処理のため戦地に赴くのだった…。

       

       ※ テロの仕業で原型をとどめないジープです。

 映画を観終えて、私はどこがアカデミー賞の作品賞に値するのだろうか?と首を傾げた。しかし少し考えてみると、アメリカの若者にとっては日本とは違って軍隊がかなり身近な存在としてあるということなのだろう。そうした中で、軍隊に入隊して戦地に赴いた者にとって、自らの死は直ぐ身近に感ずるものなのではと思われる。そうした中に身を置いた時、人は正常な判断力が麻痺してしまい、危険に身をおいてこそ生きている実感を得るという哀しい、危険な実態を世に訴えようとしたのだろうか?だとしたら、アカデミー賞受賞も納得するのだが…。はたして私の見方は??

 なお、タイトルの「ハート・ロッカー」とは、「苦痛の極限状態」や「棺桶」を意味するアメリカ軍のスラングだそうである。


映画 シン・ゴジラ №282

2020-03-28 16:56:51 | 映画観賞・感想

 「シン・ゴジラ」の「シン」とは、“新”なのか?“真”なのか?はたまた“神”なのか?おそらくその全てを抱合した意味なのだろう。新たな「ゴジラ」の登場が日本中を恐怖の底に陥れる。果たして日本の運命は!?エンターテイメントとして純粋に楽しめた映画だった。

   

 映画「シン・ゴジラ」(2016年制作)は、2017年度日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。

 ゴジラ映画は日本映画界において独自の境地を開発し、一部熱狂的ファンに支えられこれまで28作も作られ、海外でも制作されるなど反響を呼んだゴジラ映画である。しかし私には奇想天外なストーリーに興味がなく、ほとんど観た記憶がなかった。今作は28作目だそうだが、前作が作られて以来12年ぶりのゴジラ映画だそうだ。

      

 さて、「シン・ゴジラ」であるが、ストーリーは東京湾羽田沖に巨大不明生物が出現し、首都東京を破壊し始めるのだが、政府はただちに対策本部を設置し、日本政府 対 ゴジラの総力戦の様子を描く。

 ゴジラのつくりやCGの描き方など、マニアによってはそのディテールに注文をつける方もいるようだが、私にはそうしたことには知識もなく、興味もない。設定は奇想天外とはいえ、政府全体が巨大不明生物に対して総力を挙げて対峙するストーリーはある種の緊張感を覚えながら楽しむことができた。それは現在、私たちが初めて遭遇する新型コロナウィルスの感染拡大という未曽有の事態に遭遇しているという背景もあったからかもしれない。

   

 また、セットの豪華さ、CGの進歩、戦闘場面における自衛隊の協力などが迫力ある場面を現出させたことも観客を惹き付ける要素となっていたといえる。

 ただ、迫真の場面を演出させるためには致し方のないことではあるのだが、出演者たちが発する早口のセリフには参ってしまった。私の衰えた聴力では細かなセリフがなかなか届いてこなかったのが残念だった。

   

 なお、この映画は作品賞の他に、監督賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞とこの年度(2017年)のスタッフ賞の最優秀賞を総なめにしている。それだけ映画そのもののつくりがしっかりしていたという証拠だと思われる。

 楽しめた映画だった!


映画 ムーンライト №281

2020-03-27 15:50:04 | 映画観賞・感想

 難しい映画だった…。哀しい映画だった…。この世に生まれた属性、環境によって人の一生が決まってしまっているような現実になんともやりきれなさを感じながら画面に見入った私だった…。

         

 コロナ禍によって外出自粛要請が発出されてから、すっかり外出が億劫となってしまった。そして考え付いたのが「家でDVDを観よう!」ということだった。その際に「この10年間に日米のアカデミー賞の作品賞を受賞した作品を観る」という一つの“枷”を自分に課した。その自分への課題もここへきて残り「シン・ゴジラ」(2016年制作)と「ハートロッカー」(2008年制作)の二作品だけとなった。

 ということで本日は2017年のアカデミー賞最優秀作品賞の輝いた「ムーンライト」(2016年制作)の感想を記すことにしたい。

 映画は、マイアミのアフリカ系アメリカ人が集住する貧困地域に生きる母子家庭の少年シャロンの物語である。シャロンの役を成長の段階に従い3人の俳優が3つの年代(幼年期、少年期、青年期)で演じる中で、自らのアイデンティティを模索しながら生きる姿を追ったものである。   

 幼年期のシャロン(アレックス・ヒバート)は体が小さく、そのこともあってか恥ずかしがり屋で、引っ込み思案だったために黒人の多い学校の中でいつも苛められていた。そんなシャロンを助けたり、可愛がったりしたのが地域の麻薬の売人のフアン(マハーシャ・アリ)だった。

      

     ※ 麻薬の売人フアンはシャロンに自らの幼少時代をみたのだろうか?

      シャロンをまるで実子のように優しく接する。

 少年期になってもシャロン(アシュトン・サンダース)はいつもおどおどしていて、周りからの苛めの対象だった。彼を助けていたフアンはすでに亡くなり、唯一の肉親である母親は麻薬のおぼれ、麻薬を入手するために売春まで手を染めるなど、シャロンは救いようのない環境の中で生きていかねばならなかった。そうした中、彼の唯一の友人はケヴィン(ジャレル・ジェローム)だったが、ケヴィンもまた苛めのグルーブには逆らえなかった。ある日、いつものように苛めを受けたシャロンは、次の日に彼を苛めた少年を椅子を振り上げて徹底的にやり返す。そのため彼は少年院に送られてしまう。

 それから数年後、20数歳になったシャロン(トレヴァンテ・ローズ)は、まるで別人のように筋肉隆々の青年となっていた。彼は少年院で知り合った仲間から麻薬の道に引きずり込まれ売人として生活していた。そうした中で古い友人だったケヴィンと再会を果たすのだが…。

   

   ※ 左から順にシャロンの成長に応じて俳優が変わっていった。

 映画を観ながら、私はやりきれなさを感じていた。アメリカの黒人の貧困地区においては暴力が支配し、行き場のないやりきれなさを麻薬に逃避する…。そうした中で育った少年はそのことを忌み嫌いながらも、いつしかまた自分もその世界に染まっていく…。そうした悪循環を生んでいるのではないだろうか、と…。

 私はこの映画の良さを十分に受け止めたわけではない。専門家の評によると、「本作は、人種的マイノリティの中のさらにジェンダー的にマイノリティの主人公が受ける何重もの苦難を描きながら、美しい恋愛映画でもある」という。恋愛という意味では、シャロンは唯一心を許したケヴィンとの間に友情以上のものを感じながら生きてきたことを示唆しながら映画は終わる。またある評では「きらめく映像美」との評も見られたが、私にはそうとはどうしても思えなかったところがある。ただ、シャロンが慕ったフアンと海辺にいる時に、フアンが「月明りで、お前はブルーに輝く」とシャロンに話すシーンがある。そこにはどんな人種であろうと、月明かりの下ではそれぞれの個性がより輝くということをフアンは言いたかったのかな?と思われる。そしてその言葉はこの映画のタイトルともなっている。

 時にアカデミー賞は凡人をおおいに悩ませる…。


映画 沈まぬ太陽 №280  

2020-03-26 18:12:09 | 映画観賞・感想

 山崎豊子著の長編「沈まぬ太陽」の映画化である。映画の方も上映時間3時間22分という長時間の映画である。映画では原作の要点を余すところなく表現していたが、それが良かったのかどうかは評価が分かれるところである。

※ 映画タイトルの後にナンバーリングを付けた。この数字は私が2007年に札幌に転居後に観た映画の通算の映画の数である。「映画は最高のエンターテイメント」と考える私にとって、これからも有料・無料にかかわらずできるだけ映画を観ていこうと思っている。

          

 映画「沈まぬ太陽」(2009年制作)は2010年度の日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。同時に最優秀主演男優賞(渡辺謙)、最優秀編集賞も受賞している。

 ご存知の方が多いと思うが、原作の山崎豊子著の「沈まぬ太陽」は第1部「アフリカ篇」上・下、第2部「御巣鷹山篇」、第3部「会長室篇」上・下と三部構成、全5冊からなる超の付く長編である。

 映画は恩地元(渡辺謙)が所属する国民航空の飛行機が御巣鷹山に墜落・激突するシーンから始まった。私はそのシーンを観て、「あゝ、御巣鷹山墜落事故を中心に描くのだな」と思った。というのも、私は原作に目を通していたので、映画を観る前からとても全編を映画化するのは無理だ、と思っていたところがあった。ところが案に相違して映画は、時間軸をあちらこちらへと移動してアフリカ篇も会長室篇も余すところなくカバーしていた。

 映画の主題は?と考えると、国民航空の社員の待遇改善のために組合の委員長となって会社と対峙した恩地が、その後の会社人生を会社の報復人事に翻弄されながらも、自らの意志を貫き通すというところにある。一方で、恩地と同じく組合の副委員長として闘った行天四郎(三浦友和)は会社側からの懐柔策を受け入れ、出世の道を歩み、その対比を描いた。

     

     ※ 組合委員長時代、会社側と対峙する恩地(渡辺)と行天(三浦)の二人。

 会社は恩地を海外の困難地域といわれていたパキスタンのカラチ支店勤務を命じる。そこから日本に呼び戻されることなく、イランのテヘラン支店、ケニアのナイロビ支店と足かけ8年も海外支店をたらいまわしにされる左遷人事で辛酸を舐めさせられた。会社の懐柔策は続いたが、恩地はけっして会社の言いなりにはならなかった。

 海外から帰国すると、国民航空の御巣鷹山墜落事故の事故処理、遺族謝罪廻りとまたまた陽の当たらない部署での勤務が続いた。

 そうした中、半官半民の会社だった国民航空は政府が会社の経営が危ないとみて、関西の紡績会社の会長である国見正之(石坂浩二)を国民航空の会長に据える。すると国見は会社改革のために過去の恩地の経歴を買って会長室勤務を命じた。恩地は初めて会社の中枢において会社改革に乗り出すのだが…。

          

        ※ カラチ赴任時に海岸に立つ恩地と妻のりつ子(鈴木京香)の二人です。

 つまり映画は原作を余すところなく描こうとするのだが、そのために一つ一つのエピソードを深く描き切れていない印象がどうしても残ってしまうのだ。

 あの超の付く長編をうまく一編の映画にまとめることができた、とも評されるかもしれないが、私にはどうしても映画全体が平板に映ってしまった印象から逃れることができない。ただ、映画として3時間22分という長い上映時間だったが、観る者を退屈させなかったところはさすがだと思えた。

 私が恩地の立場だったら、どうしただろうか?そのことについては敢えて封印することにしたい。

 


映画 スポットライト 世紀のスクープ №279

2020-03-25 16:37:37 | 映画観賞・感想

 映画は事実を基に構成した脚本である。ストーリーは新聞記者たちがアメリカの病巣を暴くものだったが、終始緊張感に包まれ、エンターテイメントとしても十分に楽しめる内容だった。

        

 映画「スポットライト 世紀のスクープ」(2015年制作)は2016年度のアカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。

 映画はボストングローブ紙の中で特集記事を扱う少数精鋭(4人)取材チーム「スポットライト」のキャップ:ウォルター・ロビンソン(マイケル・キートン)が、新しく赴任した編集局長のマーティ・バロン(リーヴ・シュレイバー)からカソリック教会の神父の子供への性的虐待事件をチームで調査し記事にするよう依頼されたのが始まりである。

   

※ 本作の主要なキャスト、右からロビンソン、バロン、マイク、サーシャ、ベン、マットです。

  (本稿の最後に役名と本名を紹介します)

 ロビンソンのチームは、それまでの別の調査を中断して性的虐待事件を調べ始めた。すると事件は予想していた以上の広がりを見せ、実に87人もの神父たちが性的虐待をしていた事実を掴むに至った。またそうした事件をボストンのカソリック教会が隠蔽している事実も掴んだ。

 しかし、アメリカにおいてカソリック教会は地域社会に大きく根を張り、影響力も大きいために、そうした隠蔽体質に目を瞑るようにという働きかけが周囲から彼らのチームに有言無言の圧力をかけてくる。そのことに対して、バロンはひるむことなく取材を続け真実に迫れと、ロビンソンを激励する。

 ボストングローブ紙はロビンソンら「スポットライト」チームの取材に基づき、大々的なスクープを打ち出し、アメリカ社会の闇を明らかにしたのだった。

   

   ※ 本作において、第一線の記者役を演じたマイクことマーク・ラフェロです。

 こう紹介すると、何のひねりもなく正義漢に満ちた新聞記者たちの成功噺に聴こえてくるが、私は映画を観ながらアメリカ社会に巣くう闇の深さを感じていた。これまでも宗教者である神父が年少者に性的虐待を加えるという事件は時々メディアなどで報じられていた。そうしたニュースに接した時、私は数多くいる宗教者の中には病的異常者が存在するのだなぁ、という程度の認識だった。しかし、本作においてはアメリカの一地域において長年にわたって87人もの神父たちによって行われていたというのだから戦慄ものである。そして、その事実を把握しながら蓋をし続けた教会(枢機卿)の姿勢。また、地域社会の大物たち…。私はアメリカ社会の闇の深さを知る思いだった。そして欧米社会における宗教の影響力の大きさを知った。

   

   ※ 本作のモデルとなったウォルター・ロビンソン記者(右)と、その役を演じたマイケルキートン(左)です。

 そうした中における「スポットライト」チームの取材は困難を極めるものだったが、さまざまなプレッシャーと戦いながら勇気をもってアメリカの恥部を炙り出した取材ぶりは終始緊張感に満ち、観ている者を十分に楽しませてくれるフィルムだった。

※ 本作のキャスト( )内が本名です。

  ◇バロン(リーヴ・シュレイバー)・・・・・・・編集局長

  ◇ベン(ジョン・スラってリー)・・・・・・・・部長

  ◇ロビンソン(マイケル・キートン)・・・・・・「スポットライト」キャップ

  ◇マイク(マーク・ラフェロ)・・・・・・・・・「スポットライト」記者

  ◇サーシャ(レイチェル・マクアダムス)・・・・「スポットライト」女性記者

  ◇マット(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)・「スポットライト」記者

 


残念!「さっぽろの古を訪ねて」企画 来年に延期!

2020-03-24 18:14:45 | 「めだかの学校」関連

 私たちが企画し、準備を進めていた野外講座「さっぽろの古を訪ねて」第3弾「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」は、折からのコロナ禍によって実施することが困難となり、企画を来年まで持ち越すことにした。

          

        ※ 3月3日付でも添付した第3弾の受講者募集パンフレットです。

 拙ブログの3月3日付で「『さっぽろの古を訪ねて』第3弾の企画案完成!」と題してレポ(https://blog.goo.ne.jp/maruo5278/e/be1dcc359d0a42eaf270e9cfd6fcd4c7)したばかりだったが、昨日「めだかの学校」の運営委員会において、時節柄実施は困難と判断して、延期することを決定した。

 運営委員の皆さんからは、「準備万端整っているので、4~6月は回避して、7月実施を目指しては?」という意見もあったが、私の方から「6回の講座をワンクールとして実施してこそ意味があると考えるので、企画一切を来年に実施させていただきたい」と申し入れ、皆さんから了承を得た。

 思えばこの半年くらいはこの企画立案、そしてその実施準備のために忙殺されていたと言っても過言ではない。この企画は私とS氏の二人の二人のプロジェクトとして企画し、準備を進めてきた。

 まずは「さっぽろの古を訪ねて」第3弾として「屯田兵」に焦点を当てることを決め、テーマを「北の守りと開拓を担った屯田兵の史跡を辿る」とし、6回の講座の組み立てを考えることからスタートした。そして1回の座学と、5回の現地見学とすることを決め、各回における講師やガイドの交渉を行った。その結果、全ての回に講師やガイドを配置することができた。また実施案を作成するにあたって、現地の様子を把握しなくてはならないのでS氏と3回にわたって現地の事前踏査を行った。

 その結果をもとにして実施計画案を練り上げ、運営委員会において承認を得たのち、3月3日付でレポしたような受講者募集のパンフレットを作成したのである。

 その後は二人して資料作りに専念した。講座全体を説明する概説、関係年表づくり、各回毎に見学する施設の説明資料、各回の集合場所の案内図、そしてこれも各回毎に行うアンケート等々、都合A4版35枚の資料等を用意した。後は受講者の人数分だけ印刷するだけだった。

   

   ※ 用意した資料の一部です。

 私たちの講座の一つの特徴は、受講者一人一人にファイルノートを用意して、そこに用意した資料を綴じ込むのである。これが受講者からは好評を得ている。というのも、私たちが用意した資料と共に、見学先で入手するパンフレットなども一緒にファイルノートに綴じ込むことによって、一つの講座を終えたときにはまとまった資料集が出来上がるという考えなのだ。私もこれまで二冊の立派な資料集を手にすることができた。

        

      ※ 写真のようなファイルノートを用意して、資料を綴じ込みます。

 と精魂(?)を込めて準備してきたのだが、残念ながら来年に持ち越しとなった。こうなったからには、用意した資料を眺め直し、来年に向けてさらに充実した資料を準備することができたなら、延期したことにも意味を見出せるかもしれない…。

 


映画 三度目の殺人 №278

2020-03-23 18:11:27 | 映画観賞・感想

 今や日本映画界の巨匠の一人と目される是枝裕和氏が原案・脚本・編集・監督を務めた法廷サスペンス映画である。やや凝り過ぎた感がないでもないが、弁護士役・福山雅治と殺人犯役・役所広司の迫真の演技が見物である。

        

 

 映画「三度目の殺人」(2017年制作)は2018年の日本アカデミー賞作品賞の最優秀賞を受賞した作品である。同時にこの映画では監督賞(是枝裕和)、脚本賞(是枝裕和)、助演男優賞(役所広司)、助演女優賞(広瀬すず)、編集賞(是枝裕和)のそれぞれの部門でも最優秀賞を獲得している。

 映画は、解雇された工場の社長を殺害して死体に火をつけた容疑で起訴された三隅高司(役所広司)を、裁判で勝つことだけを至上命題とする弁護士・重盛朋章(福山雅治)が三隅の弁護を受け持ったところから始まる。供述がコロコロと変わる三隅に翻弄される重盛だが、そのあたりから重盛と三隅の心理戦は展開される。そこに殺された社長の娘の山中咲江(広瀬すず)が絡んでくるのだ。

       

       ※ 裁判で証言台に立つ山中咲江(広瀬すず)です。

 この映画の鍵は、三隅の殺人は2回目なのにも関わらず、題名が“三度目の”となっている点である。つまり、三隅は自分自身を裁判において死刑に処せられることによって三度目の殺人を果たそうとしたのではないか、という暗示が三隅と重盛の接見室でのアクリル板越しに演じた迫真の対決にあったと見たのだが…。

   

   ※ 接見室のアクリル板越しに対峙する重盛(福山)と三隅(役所)です。

 ただ映画を観ていた私には、そのあたりの二人の心理的なやり取りを推し量る洞察力に欠けていたからか、なんとなくモヤモヤ感を残したまま観終えてしまった。

 それまで是枝監督は、「そして父になる」、「海街diary」など家族愛や、家族間に生起する機微などを描いて高い評価を得てきたが、新境地を開拓しようとした作品だったようだ。そのこともあってだろうか?やや凝り過ぎたきらいはなかったろうか?いや、多くの賞を獲得したことから、専門家筋からは高い評価を得たのだろう。しかし、私のような者にとっては、一見しただけではその良さ、監督のねらいを感得することができなかったことを正直に吐露したい。

    

    ※ 左からこの映画の主要な是枝監督、福山雅治、役所広司の三人です。

 サスペンス映画として見たとき、結末がどうなるのかとヒヤヒヤしながら見守ったのだが、なんとなくモヤモヤ感が残ったままTHE ENDを迎えてしまった。そう思ったのは、私だけだったのだろうか??


映画 シェイプ・オブ・ウォーター №277

2020-03-22 16:44:32 | 映画観賞・感想

 この映画がなぜアカデミー賞最優秀作品賞に選出されたのか、私には理解できなかった。半魚人と人間の恋といっても現実感がないし、ファンタジーといわれても、常識の垢にまみれ、感性の衰えたおじいちゃんにはサスペンスとしての面白さは感じたものの、その良さを感ずることはできなかった…。

        

 映画「シェイプ・オブ・ウォーター」(2017年制作)は2018年のアカデミー賞最優秀作品賞を受賞した作品である。

 映画は1962年の冷戦下のアメリカである。主人公のイライザ(サリー・ホーキンス)は発達障害のために言葉を話すことができない。そのイライザは政府の極秘研究所「航空宇宙研究センター」に清掃員として勤務していた。

   

   ※ 水槽のガラス越しに ”半魚人” と対面するイライザです。

 そこへ人間ではない、アマゾンでの奥地で神として崇拝を受けていたという“半魚人”が運ばれてくる。“半魚人”を秘密兵器として活用しようという計画からだった。その“半魚人”がおかれていた部屋に入ったイライザが互いに言葉を発しないことも手伝い、親密さを増していく…。

     

 “半魚人”が移送されることを知ったイライザは、“半魚人”をアマゾンの奥地へ帰すために開放することを画策するのだった…。

 この映画は、2018年のアカデミー賞に作品賞のみならず13部門にノミネートされ、結局作品賞、監督賞など4部門を受賞し、2018年の最多受賞映画となったという。それほど専門家、映画通から高い評価を受けたにもかかわらず、その良さを感得できない自分がちょっと悔しい。

      

      ※ 清掃員の同僚ゼルダはいつもイライザの理解者であり、協力者だった。

 しかし、題名の「THE SHAPE OF WATER」の意味を調べたときに、「水の形」とか「水の姿」という意味だということが分かったのだが、その意味をこの映画の監督のギルレモ・デル・トロ氏に問うた時に返ってきた言葉を知り、少しは理解できた気になった田舎おじいちゃんだった…。その言葉とは、

 「水はどんな形にもなる。柔軟で強力だ。それは愛だと思う。愛する対象により形を変える。相手が誰であろうと、全てに適応する。水は強力にやさしい物質だ。水の形は愛の形なんだ。」

 う~ん。深いんだなぁ…。