かつて栄えたニシン漁の基地、小樽市・高島地区、祝津地区を歩いた。往時の栄華を伝える鰊御殿を訪ねるとともに、名残は残りつつもどこか寂しさが残る両地区には再び群来(くき)がやってくることを夢見ているのだろうか?
昨日の小樽市の「自然観察会」は午前中で終了した。せっかくの機会なので午後は小樽市のどこかを訪ねたいと思った。手持ちのガイドブック「北のウォーキング おすすめ45コース」の中に、かつてのニシン漁の浜を訪ねる「盛衰ニシン漁ロード」というコースを見つけ、そこを歩いてみようと思い立った。コースは、「高島」⇒「豊井浜」⇒「旧青山別邸」⇒「祝津」⇒「鰊御殿」という順に訪ねるコースだった。
車で小樽市郊外の高島地区まで移動し、高島漁港に駐車した後早速ウォーキングを開始した。かつてはニシン漁に沸いた高島漁港なのだろうが、現在はホッケ、スケソウダラ、カレイ、イカなどが主に水揚げされているという。
※ 高島漁港です。漁閑期のためか港はひっそりとしていました。
ガイドブックのお勧めどおり、まずは高島地区を一望できる高台にある高島稲荷神社に登った。
※ 高島稲荷神社にいたる参道です。
※ 高島稲荷神社の境内から望んだ高島地区の様子です。
その後、先へと進むのだが、連続して三つのトンネルが待ち受けていたのには閉口した。そのトンネルとは「新高島トンネル」、「豊井トンネル」、「新祝津トンネル」である。トンネル内は空気が悪いうえ、車の排気音が響き渡り、気分の良いはずがない。ウォーカーとしては、トンネルの外側の海岸沿いを歩きたいのだが、崖崩れなどがあって通行禁止となっているということで断念し、しかたなくトンネル内を歩いた。
※ 第一のトンネル「新高島トンネル」の入口です。
※ 第二の「豊井トンネル」の入口から、第三の「新祝津トンネル」の入口が望めます。
三つのトンネルを通過すると、祝津地区になる。祝津にも祝津漁港がある。祝津漁港は漁港であるとともに、ヨットの基地になっているようで、ヨットがたくさん係留してされていた。
※ 祝津漁港です。こちらもひっそりとしていました。
※ 祝津漁港から目ざす「鰊御殿」、「日和山灯台」が指呼の距離に見えます。港にはたくさんのヨットのマストが乱立しています。
祝津地区には道路から少し離れた小高いところに「旧青山別邸」がある。「旧青山別邸」とは、ニシン漁で栄華を極めた網元・青山家の豪邸で、1923(大正12)年にできた北海道では珍しい銅板瓦屋根の木造建築である。贅の限りを尽くしたニシン漁の網元の栄華が伝わってくるようだった。ただ入場料が1,100円というのはやや高いのではと思われる。民間が運営しているということで仕方のないところもあるのだが…。
※ 「旧青山別邸」には道路から左折して向かいます。
※ 見えた建物が「旧青山別邸」です。
※ 入口です。正面に見える建物は別邸とは違う建物のようです。別邸は右側です。
※ 別邸内は写真撮影はNGでした。唯一エントランスの天井は写させてもらいました。
天井には見事な絵が描かれていました。
※ 本宅の正面に設えられた枯山水り庭です。
※ 内庭に設えられた池です。
別邸を後にして、最終目的地の「鰊御殿」を目ざすが、途中道路沿いに「群来陣」と称される建物もあったが、そこはパスして高島岬の丘に建つ「鰊御殿」を訪れた。こちらは入場料が300円と良心的(?)な額だった。こちらの建物はニシン漁が盛んな頃に建てられた網元の住居兼作業場である。資料によると、1897(明治30)年に積丹半島の泊村に建てられたものということだが、1958(昭和33)年にこの地に移築されたものだという。実際にニシン漁に従事したやん衆と網元が同居する建物であるが、内部ははっきりと分けられ、網元の住まいの豪華さが見て取れる建物だった。
※ 高島岬の突端に移築された「鰊御殿」です。
※ ニシン漁に使用された漁具の数々が展示されていました。
※ やん衆たちの居室跡です。物置状態になっていましたが、狭い居住区です。
※ 太い梁が印象的な建物です。
「鰊御殿」のすぐ裏には映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった「日和山灯台」が聳えていたが、内部が見られないということで遠くから眺めて帰路についた。
※ 鰊御殿の全景と、その後に建つ日和山灯台です。
※ 鰊御殿の丘から祝津漁港を望んだところです。
帰路もウォーキングでと考えたが、三つのトンネルを再び通ること考えると尻込みしてしまい結局バスで高島地区まで帰って来た。
したがって、歩いた距離はそれほどでもない。昨日、「自然観察会」と合わせた距離、歩数は次の通りである。
◇この日歩いた距離(総計)10.7km ◇歩数 14,625歩 ◇上がった階段