田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

北海道の開拓期の女学校

2024-12-21 16:01:38 | 講演・講義・フォーラム等
 北海道において開拓期に女学生のために学校を拓いたのは私立の学校だったそうです。北海道の開拓期の状況を調査・研究する学芸員の方から北海道の開拓期の女学校の様子についてお話を伺った。

   

 一昨日(12月19日)夜、札幌市豊平館において豊平館と北海道開拓の村の共催による「歴史連続講座」(全4回開催)の第1回講座が開講され、受講しました。第1回講座は「開拓期の女学生」と題して、北海道開拓の村学芸員の西田結香さんが講師を務められました。

      
      ※ 講師を務めた西田結香さんです。

 開拓期における女子教育の推進に努めたのは、開拓次官だった黒田清隆だという。黒田は明治4年に「開拓の要は人材教育、その根本は母となる女子の教育にある」として、わずか8歳だった津田梅子(後の津田塾大を創設した人物)をはじめとする5人の少女をアメリカに留学させた人として知られています。
 一方で黒田は、明治5年に東京芝増上寺境内に4月に男子の「開拓使仮学校」を創立したのに続いて、9月には「開拓使女学校」を創立させたそうです。それは、女学校卒業後に北海道で開拓事業に従事する者の配偶者として、開拓に協力する花嫁を養成する目的があったそうです。
 明治8年、男子の「開拓使仮学校」は「札幌学校」と名を改め札幌に移転したのに続いて、「開拓使女学校」も「札幌女学校」と改称して札幌に移転しました。ところが官員と女生徒の間に醜聞が発生したことで当時の開拓大判官の松本十郎が激怒して翌明治9年に廃校となってしまったそうです。
 その後の女子教育は、明治11年になって函館に三人の修道女がやってきて教育事業を興した(現在の函館白百合学園)のが本格的な女子教育の始まりとされています。
 続いて明治15年、同じ函館にメソジスト派のメリマン・ハリス夫妻によって「カロライン・ライト・メモリアルスクール(現在の遺愛学院)」が創設されました。
  明治20年になって札幌にも「スミス女学校(現在の北星学園)」が新渡戸稲造の支援もあって創設されました。また、函館にはさらに仏教系の「六和女学校(現在の函館大谷高校)」も創設されています。
 こうして紹介してくると、北海道の女学校の始まりは全て私立の学校であることが特徴の一つです。公立の女学校はそれから遅れること15年。明治35年になってようやく北海道庁立札幌高等女学校(現在の札幌北高校)」が始まりでした。その後は、北海道各地に公立の高等女学校が次々と創設されていきました。
 講師の西田さんは、直接「遺愛学院」に赴き、学校の実態調査を行ったそうです。創設当時から保管されていた明治期の資料は明治40年函館大火により大半を焼失してしまい、現存するのは大正以降の資料だったということですが、当時の入学願書、在学保証書、成績表、学校日誌、等々貴重な資料を確認することができたということで、そのうちの何点かを写真で拝見することができました。校内の様子も古き良き時代の雰囲気を残したものを写真で確認させていただきました。
 「函館遺愛学院」というと、校舎の壁がピンク色に彩られていて、いかにも女子高という感じですが、私も函館を訪れた際に校舎を外側から見させていただいたことを思い出しました。

    
    ※ ピンク色の壁が印象的な函館遺愛学院の校舎です。

 現在、道内の女子高校は全て私立で、函館に3校(遺愛女子高校、函館大妻高校、函館白百合高校)、札幌に2校(藤女子高校、北星女子高校)の5校だけとなってしまいました。(札幌聖心女子学院高校は、本年度で募集停止となりました)時代の流れとはいえ、女子高の卒業生や関係者にとって寂しさは隠せないものと想像される。講師の西田さん自身、女子中学、女子高校の卒業生ということでしたが、彼女がその想いについて語ることはありませんでした。しかし、彼女が女子教育の歴史を研究テーマとしていること自体が、彼女の女子教育に対する思いが伝わってくるようでした…。

札幌おもしろ歴史散歩 by 和田哲氏

2024-12-19 22:08:12 | 講演・講義・フォーラム等
 和田氏のお話を伺うのは今年5度目である。さすがに博学の和田氏でもネタ切れの感があった感じです。それでも私は和田氏のお話を楽しくお聴きしたのでした。

   

 昨夜(12月18日)、連続受講している「労文協リレー講座」の第3回講座が北海道自治労会館で開講されました。第3回目のテーマは「札幌おもしろ歴史散歩」と題して街歩き研究家の和田哲氏が講師を務められました。
 和田氏のお話は、今年に入って「ほっかいどう学かでる講座」で1回、「札幌学院大コミュニティカレッジ」で3回、いずれも同じテーマでこれまで受講してきました。
 「あるいは同じような話を聴くことになるかも?」と思っていたところもあったのですが、さすがにいくら博学の和田氏とはいえ、おもしろそうな札幌の歴史の話がそうそう多くは転がっていなかったようです。私にとっては、聴いたことのあるお話が多かったのも仕方のないことだと思えました。

    

 昨夜お話された内容は、①札幌の条・丁目、②北海道三大名橋、③札幌市電+名古屋市電、④北海道私鉄物語、⑤アンパン道路、⑥冬季札幌オリンピック、⑦ススキノの劇場&狸小路、⑧北海道盆踊り、⑨幻の藻岩山スキー場、そして「おまけ」として藻岩山中腹に設けられたスキー神社のお話、といったラインナップでした。
 いずれもが、以前にお聞きした話で、拙ブログでもその多くを触れているので、本稿では、①の札幌の条・丁目のお話を少し深堀してみたいと思います。
 まず、街の中心部を「北○条・西丁目」というような企画割りしている都市は他府県には存在しないということです。北海道内には札幌に倣って20数市町で採用しているものの、他府県では街の名称を付けているということです。例えば東京都では大手町1条1丁目というように…。もちろん札幌でも、郊外へ行くと平岸2条3丁目というような表示はありますが、札幌市の中心部のほとんどは北〇条西〇丁目というように表示されていて、私たちとしてはそれが当たり前のように思っていますが、全国的に見るとそれが当たり前のことではないことが分かりました。
   
※ 少々図が不鮮明ですが、東京の街名が非常にたくさん付けられていることが分かる図です。

 そして札幌の条・丁目がどれだけ広がっているかというと、「条」では南は南39条、北は北51条まで広がっています。「丁目」の方は東西ともに30丁目まで広がっています。
 そして条・丁目の一つの区画は道路を除き一辺が109mの正方形で区角割りされています。ですから歩くときに目的のところまで凡その距離を知ることができるのです。
 ところが特例はどこにもあるようで、区画が正方形でないところも存在します。その中でも南10条西2丁目は、ほんの小さな三角形の区画で一周しても僅か40mに満たない広さで、札幌市内で最小の条・丁目だそうです。もちろん住んでいる人はいないそうです。
 一方、桁違いに広い条・丁目は北16条西16丁目で、ここは札幌競馬場がすっぽりと入る区画だそうです。こちらは一周約4kmだそうです。
 また、札幌の街は前記したように正方形で条・丁目が区角割して街づくりをしたために、碁盤の街とも称されますが、NHKテレビの「ブラタモリ」でも話題になったように、街中で微妙に道路が屈曲しているところがあるのです。その理由は、北海道開拓使が区角割をした際に、大通に対して現在の国道230号線(通称「石山通」)を接続する際に直角ではなく95度で接続したことに原因があるそうです。(これは磁石上の南北を基準としたため)

  
  ※ 大通公園(緑色の区画です)とそれに接続する赤い縦の線(国道230号線)が微妙に歪んで接続されていることがお分かりかと思います。

 札幌本府は大友堀(現在の創成川)を基準として街づくりを進めたのに対して、当時は札幌本部とは離れた山鼻地区の開拓に入った山鼻屯田兵村は国道230号線を基準に(つまり磁石の北を基本に)街づくりが進められたそうです。そのため街が発展し、札幌の中心街と山鼻地区が結ばれたときに道路に微妙な差が生じたそうです。その微妙な差が今現在もその痕跡を残しているそうです。
 そのことについて、和田氏は札幌本府の街づくりを担当したのが岩村通俊だったのに対して、屯田兵制度を指揮したのが黒田清隆だったことに遠因があるのでは、推測を述べられました。つまり岩村と黒田は互いに反目し合っていた間柄だったそうで、岩村は山鼻屯田兵村の区角割をする際、札幌本府の街づくりに準ずることが当然と考えていたのだが、黒田は岩村の思いなどには一顧だにすることなく独自の街づくりを指示したために、今のように微妙な差が生じてしまったのではないか、との推測を述べられました。果たして真相は?? 
 いや~、歴史って面白いですね。和田氏には、これからも札幌の街を隅々まで巡り歩いて新たな発見をしていただき、それを私たちの提供していただけたらと勝手な願いを持っているのですが…。                                     

改めてACP(人生会議)について学ぶ

2024-12-17 20:57:43 | 講演・講義・フォーラム等
 今年に入ってから何度か「人生会議」という言葉を聴く機会がありました。「人生会議とは何のことか?」おぼろげながら概要は把握していましたが、今回改めて「人生会議」について学ぶ機会を得ることができました。

   

 12月15日(日)午前、札幌市立病院市民公開講座が開講されたので参加した。テーマは「自分の価値観や希望を、大切な人に、医療関係者に伝えるために」というもので、札幌市立病院の看護関係職員の方3名の方が「人生会議」について様々な角度から説明してくれました。
 そもそもACPとは、Advance Care Planningの頭文字を取ったもので、Advanceとは「進む」とか「進める」という意味があるようです。Careは「心配」とか「不安」という意味です。そしてPlanningは「計画」とか「立案」という意味があります。つまり直訳すると「不安なことに対して、計画的に解決に向けて進める」というような意味になろうかと思います。もう少し意訳をすると「人生の最終段階における医療・ケアについて、本人が家族や医療・ケアチームと共にあらかじめ話し合うプロセス」のことを日本(厚労省)では「人生会議」と称したようです。
 各講師のテーマは以下のとおりです。
 ◇「大切な人とあなたの人生会議」
 ◇「もしもに備えた私の心づもりを考える」
 ◇「APC 人生会議~自分の価値観や希望を大切な人や医療者に伝えるために~」
と三者が講義をされたのだが、三者の内容に大きな違いはありませんでした。そこで本稿では、三人の講師が説かれた内容を統合して記録することにします。
 「人生会議」を行う時、大切にしたいことは「自分が何を大切としているのか。どのように生き方を望むのか。繰り返し考え、話し合い、家族や医療・ケアチームと共有する」ことが大切だということです。 

     
 具体的には、
 ① 病気の有無に関わらず、「日々を過ごすうえで大切にしたいとや希望は何か?」
 ② もしも治らない病気などになった際に、「延命治療を望むのか?」それとも「痛みや辛さを緩和する治療のみを希望するのか?」
 ③ 治療やケアについて、自分が決められなくなったとき、代わりを誰に頼むのか?
 ④ もしも治らない病気などになった場合、最期をどこで過ごしたいのか?
 ⑤ だんだん口から栄養が取れなくなった時、「栄養点滴」、「鼻から管で栄養を入れるのか」、「胃ろうを希望するのか」、「自然の経過でいいのか」、どれを希望するのか?
 ⑥ 治らない病気で療養中に、急に心臓や呼吸が止まった時、延命措置を希望するのか、希望しないのか?
 等々について、家族や医療従事者と話し合い、希望を伝えおくことを「人生会議」と称しているようです。
 この希望は、時と共に、あるいは病変によって変わっていくことも一向にかまわないと言います。今現在の本人の希望や気持ちを周りに伝えておくことが大切だと各講師は強調されました。

    
    ※ 札幌市立病院の全景です。

 自分らしく最後まで生きるために、現在の自分の気持ちを周りに伝えておくことにより、自分も、そして周りの人たちも納得できる最期を迎えることができる、というのが「人生会議」の大きな特長であることを教えられました。

さっぽろ漫画人協会忘年展 2024

2024-12-10 19:31:33 | 講演・講義・フォーラム等
 毎年恒例の「忘年展」である。風刺の効いた “笑い” を求めて、「ほくほく札幌ビル」の「らいらっく・ぎゃらりー」(大通西2丁目)を覗いてみた。

 本日(12月10日)より16日までの日程で、「さっぽろ漫画人協会忘年展」が開催されていることを知り覗いてみた。この忘年展は毎年開催されており、今回で51回目だという。
 あまり広くはない会場に一般の漫画による作品が15点、「川柳画」と称する川柳と同時に画が描かれた作品が33点展示されていた。
 それぞれクスッと笑わせられる作品が所狭しと展示されていた。プロとは違うアマチュアの作品だから、全てが観る者を唸らせるような作品ばかりでない。中には「ひねりが足りないなぁ」という作品や、「画がイマイチかなぁ」という作品も混じってはいた。そこで私なりに漫画の部、川柳画の部、それぞれのベスト5を選定させていただき、その作品を紹介することにします。ベスト1は貴方がお選びください。
 まず「漫画の部」です。(なお、漫画の部は「新」というテーマとの部と一般の部に分かれていた)
 まずは「新」の部から3点紹介します。    
 今年はこの人のことは外せないでしょう。大谷翔平選手にまつわるたくさんの「新」を携えた戦国武将が登場しました。大谷選手の今年は、「新チーム」、「新居」、「新婚」、「新家族」、「新記録」そして「新通訳」と、「新」づくめの一年でした。
     
    
 続いては、今春の「能登地震」を題材にし「謹賀年」から「謹賀年」にしたいという願いが込められた一作ですが、能登半島の擬人化が優れていますね。
    
    
 次は「軽めの紙幣、首相 大丈夫?」とタイトルが付けられた作品です。新首相についてはなんとなく分かる気もしますが、新紙幣の渋沢栄一にもそうした評価が囁かれているのですか?
    

 4作目は一般の部から、トランプ米大統領の選出をカードのトランプに掛け合わせた作品ですが、トランプさんの顔のイメージではなく、好々爺に見えているところは減点でしょうか?
       

 最後は強烈な皮肉が笑いを誘います。題して「総裁選 クレーンゲーム」として今年の自民との総裁選をゲームセンターのクレーンゲームに例えています。恋人(?)の二人の会話がまた笑わせます。(彼女)「どれでもい―よね―」(彼)「いんじゃね―」  ※ ガラスで光源が写り込んでいるのが残念!
   

 続いて「川柳画の部」です。
 最初に「寝転んで カステラ食べて 金メダル」です。道民にとってパリオリンピックで旭川市出身の北口榛花選手の金メダルは嬉しい出来事でした。また、彼女の明るいキャラクターも全国的な人気でしたね。
     
 
 2作目は、「始球式 人より上手く 運べるワン」 ここでも大谷選手がらみです。愛犬の「デコピン」は大人気でした。
      

 3作目は、「政治家も イモもミカンも 小粒なり」これは痛烈な皮肉の一句ですね。政治家の奮起を期待したいものです。
      
 4作目は、「ハラハラで 何も言えない しゃべれない」〇〇ハラスメントという言葉が世の中に氾濫しています。おじさんが心に浮かんだ言葉は、「きれいだね」、「髪切った?」、「頑張れ!」、「その服似合ってるね」…。難しい世の中になりましたなぁ。(リタイア親爺の感懐です)
     

 最後の5作目は「石破氏を たたいて渡る 総選挙」、「石破氏」と「石橋」を掛け合わせたものですが、果たして石破首相は石橋を叩いて渡るような総選挙したのでしょうか?そこは疑問も残りますが…。
       

 さて、あなたはどの作品をベスト1に選びますか?
 全48作品、それぞれに工夫があり、クスッと笑わせてくれて、楽しいひと時でした。
 忘年展の会期は16日までです。時間がありましたら覗いてみてはいかがでしょうか?その他にあなたの気に入る作品があるかもしれませんよ!

ブラボー!プレットロ ノルディコ マンドリンコンサート

2024-12-08 19:47:40 | 講演・講義・フォーラム等
 それは「ブラボー!」と喝采を送るに相応しい演奏だったのではないだろうか?マンドリンの繊細な音に酔った。そして管楽器が加わっても、そのバランスが絶妙だった。歴史を刻んだプレットロ ノルディコの素晴らしいコンサートだった…。

    

 本日午後、札幌コンサートホールKitaraの大ホールにおいて「プレットロ ノルディコ」「第30回記念定期演奏会」が開催されたので駆け付けた。入場が無料ということもあって満員に近い聴衆が入った中での演奏会となった。
 楽団名の「プレットロ ノルディコ」とは、イタリア語のPlettro(爪、ピック)とNordico(北の、北国人)を組み合わせ「北国のマンドリン合奏団」という意味を込めた名称で、もともとは小樽市を中心に発足したのだが、その後幾多の変遷があり、1993年に新たに結成されたマンドリンの合奏団だという。その「プレットロ ノルディコ」が毎年定期演奏会を開催し、今回30回目の節目を迎えたということだ。
 演奏会は3部に分けられて構成されていた。そこで演奏された曲目は…、
 【第Ⅰ部】
  ◇G.ラヴィトラーノ/雪~ロマンツァとボレロ~
  ◇S.ファルボ=ジャングレコ/間奏曲
  ◇A.アマディ/海の組曲
     第一楽章 ナイアーデのセレナーデ
     第二楽章 オンデーナの踊り
     第三楽章 シレーナの唄
     第四楽章 トリトーネのフーガ
 【第Ⅱ部】
  ◇久石譲/オーケストラストーリーズ「となりのトトロ」  
    1.さんぽ  2.五月の空  3.ススワタリ~お母さん 
    4.トトロがいた!  5.風の通り道  6.まいご  7.ネコバス  
    8.となりのトトロ
 【第Ⅲ部】 
  ◇鈴木静一/スペイン第二組曲
     第一楽章 汽車の窓から
     第二楽章 モロッコへの憧れ
     第三楽章 悲しき闘牛
     第四楽章 祝宴
  ◇鈴木静一/劇的序楽『細川ガラシャ』
 【アンコール】
  ◇中島みゆき/糸

 
※ 最近の演奏会はどこでも写真撮影はNGである。この日ももちろん「演奏中の写真撮影はお控えください」というアナウンスがあった。これは「会場での撮影はご遠慮ください」という意味なのかもしれない。しかし、「演奏中の」というアナウンスを拠りどころとして演奏後の写真を一枚撮らせてもらった。その写真を掲載させていただいた。

 第Ⅰ部は、弦楽器陣56人による演奏だった。マンドリンを中心とする弦楽器のみによる演奏は、繊細な音が魅力的で「これぞマンドリンオーケストラの音!」といった魅力にあふれた演奏だった。特にギターやコントラバスの音が効果的に聴こえてきて素晴らしかった。その中でも私は「間奏曲」が最も素晴らしく聴こえてきた。
 第Ⅱ部は56人の弦楽器陣に11人の管楽器、パーカッションが加わっての演奏だった。さらには札幌市立北辰中学校合唱部の19人も加わった。
 私は管楽器が加わることによって弦楽器の音が後方に消されてしまうのではと恐れた。(つい先日11月30日のコンサートを思い出したのだ)ところが管楽器陣の音が適度に抑えられた形で、弦楽器とよく調和している音として聴こえきた。プログラムを拝見すると、全ての曲が楽団の方によって編曲されていることが分かった。つまり、全体のボリュームを適度に調整しながら演奏されているようだったのだ。このことで、弦楽器だけの音とはまた違った魅力を感ずることができた。また、最初と最後の曲には合唱も加わったことでより効果的なステージになった。
 私としては、前述したように危惧していただけに演奏後の感動は倍増した。
 そうしたこともあり【第Ⅲ部】は同じく管楽器も交えた演奏だったが、あまり記憶に残るものとはならなかった。
 そして最後【アンコール】は、またまた弦楽器だけで中島みゆき作曲の名曲「糸」が静かに、繊細に演奏されコンサートは閉じた。
 今回はマンドリンオーケストラの魅力をたっぷりと味わえたひと時だった。
 近く12月21日には、実力派の北大のチルコロ・マンドリニスティコの演奏会も控えている。聴き比べが楽しみである。

えっ!人類は100%絶滅する!?

2024-12-07 19:43:41 | 講演・講義・フォーラム等
 恐竜研究者として我が国の第一線で活躍する北大の小林快次教授は「人類は100%絶滅する」と明言された。え――――っ!それはどういうこと? 本日開講された「サイエンスフォーラム in さっぽろ」における小林教授のお話に耳を傾けた。

 本日午後、札幌市中央図書館で開講した「サイエンスフォーラム in さっぽろ」「恐竜研究最新研究 in 2024」と題して、小林快次北大教授(恐竜学、北大総合博物館副館長)が講演された。

     

 小林氏はまず、「これまでの歴史上、空間を最も支配した生物は恐竜だった」とし、その恐竜時代は2億3千年前から6千6百年前までの、およそ1億6千万年もの長い期間だったとし、恐竜が絶滅した原因は大規模な隕石の衝突が原因だとしたが、ここまでは教科書でも習う知識である。

       

 そしてその後、小林教授から衝撃の発言「人類は100%絶滅する」という発言が飛び出した。「世界中の人が今、日本人と同じ生活スタイルをしたとき、地球3個分が必要だ」と言うのである。さらに「30年後には地球7個分が必要になってくる」とも話された。科学者から見ると、それだけ今の地球環境は危機的な状況になっていると警告したのだと受け止めた。(この問題については後述する)
 さて、肝心の恐竜の話であるが、現在も生息する鳥類というのは、羽毛の生えた羽毛恐竜(獣脚類)が進化したものであり、鳥類は恐竜の仲間とも言えるということである。となると今現在も世界中には1万種ほどの恐竜類が生息しているとも言えるということだ。

     

 そして最新研究では、鳥類の鳴き声などを研究してくるにつれ、恐竜の声帯を研究する中でも恐竜も声を出してコミュニケーション取っていた可能性が高くなってきたということだ。
 恐竜学者にとっても、恐竜ファンにとっても夢のような話であるが「恐竜復活の夢」があるという。生物の復活のためにはDNAを採取することが前提だが、それは DNAの寿命が690万年程度のために難しいという。ただし、コラーゲン(アミノ酸配列)は採取することができているので全く不可能というわけではないが、現時点ではまだまだ夢の話の段階だという。
講演の後半は小林氏が恐竜の化石発掘のため、あるいは恐竜が生きた痕跡を求めて近年歩いた諸外国でのフィールドワークのことについて、興味深くお話された。
 そうして諸外国を訪れ、地球を俯瞰的に見た時に、いかに地球破壊が進んでいるかということを身に沁みて実感するという。
 小林氏は最後に「例え人類が絶滅することが避けられないとしても、その時期を遅らせることは私たちの努力で、いくらでも遅らせることができるはずだ。地球破壊を遅らせるために今生きている人たちが、その努力をすべきではないだろうか?」と聴衆に訴えて講演を終えた。
 私たち世代は戦後の貧しい日本に生まれ、高度経済成長の中で徐々に豊かさを獲得し、経済が失速したという今も生活の豊かさへの欲求は止まず、今のような便利で快適な生活を手にすることができた。そのレベルはおそらく世界でも相当上位に位置していることは間違いない。そんな豊かさ、ある意味では贅沢な生活を見直してみるべき時期に来ていると小林氏は警告したと受け止めたい。
 小林氏のお話をお聞きし、日々の生活を見直す契機としたいと思った。人類絶滅の日を少しでも遅らせるために…。                                                                                                                                                                                               



道新 みんなの終活フェア 第二日

2024-12-02 19:06:29 | 講演・講義・フォーラム等
 いや~、自分は改めて経済音痴であることを思い知らされた…。経済より私の場合はやはり “健康” かなぁ…。カラダに良い食べもの、そしてヨガのセミナーの方が興味深かった。そしてあの山田邦子さんと…。

 北海道新聞社が主催する「道新 資産運用・みんなの終活フェア」の第二日、私は次のような講演、セミナーに参加した。
 ◇終活セミナー「どうしょう?私の終活 相続・遺言・成年後見」
     講師 札幌司法書士会スタッフ
 ◇特別講演「日本経済の現状と投資戦略」  
     講師 経済アナリスト 森永 康平 氏
 ◇終活セミナー「カラダは食べものからできている」
     講師 (株)明治管理栄養士     
 ◇終活セミナー「膝に優しい 座ってできるヨガ~みつヨガ~」
     講師 みつわ整形外科クリニック理学療法士
 ◇特別講演「笑顔で行こう!~これからの人生もいきいきと~」
     講師 タレント 山田 邦子 氏

 最初の相続・遺言・成年後見だが、これまで何度か「エンディングノート」に関する講座を受講した経験があるが、未だにエンディングノートに記入したことがない。今回受講したことを契機に一度記入してみようかな、と思ったのだが…。          
 問題は森永氏の特別講演だった。氏はお父さんの森永卓郎氏とは違い、聴衆に阿るようなところはなく、氏が観察する日本経済ついてある意味で淡々とその考えを披露された。私は講演の初めに紹介されたディマンドインフレとコストプッシュインフレについては理解できたが、その後の投資に関する実践編になるととたんに興味を失ってしまった。私に投資話はまったく向いていないことを悟らざるを得なかった。
                  

 午後からの二つの終活セミナーは興味深かった。
 「カラダは食べものからできている」は、講師が話される一言、一言に納得ができ、これまでも同種の講座を何度も受講しているが、私たちの年代になると食べもの一つとっても、十分に留意しながら摂取することの大切さを再度教えられた思いである。最近どのセミナーに出席しても語られるBMI値について留意していこうと思った。
 この日4講座目の「ヨガ」である。理学療法士の方の指導のもと、椅子に座ったままでできるヨガを体験した。ヨガなどと聞くと女性が取り組むものなどと思っていたが、実際に体験してみると、けっこうな負荷がかかりセミナーを終えるころにはかなり身体も温まり、心地良くなっていた。これは簡単に取り組めて、適当な負荷も与えてくれる我々世代には適した運動であるように思えた。
     

          
 最後はお笑いタレントとして一世を風靡した山田邦子氏の登場である。いや~、彼女の持ち時間一杯、ひと時も休まず早口で捲し立てる様はある種の“天才”だと思わせてくれた。特に何かを主張したわけではなく、「楽しければ人生はハッピー!」ということを言おうとしたのではないか?「笑いは健康の源」とも云われるし…。彼女は十数年前に乳がんを患い、それを克服して今があるという。絶えず聴衆の笑いを誘いながら、機関銃のように早口でまくしたてる山田邦子さんにとっては舞台に立って聴衆を笑いに誘うことが、彼女の健康法のように思えた。
                

 しかめ辛しく生きるよりは、楽しく生きること、それが健康寿命を延ばす秘訣なのかもしれない。
 今回のようなフェアに参加するのは昨年に続いて2度目であるが、ただ聴くだけできなく、実践に移さねばといつも受講直後は思うのだが、実際にはなかなか…。そこを乗り越えねば…。
        


道新 みんなの終活フェア 第一日

2024-12-01 19:56:41 | 講演・講義・フォーラム等
 菊地幸夫弁護士は誠実な方なんだなぁ…。タレントの吉村崇はかなり資産形成に励んでいるんようだ…。核家族化が進む中、家族の代わりを務めるサポート体制が進んでいることを知った…。等々さまざまな思いを抱かせてくれた「みんなの終活フェア」の第一日だった。

 昨日と本日、北海道新聞社が主催する「道新 資産運用・みんなの終活フェア」がグランドメルキュール札幌大通公園を会場に開催されたが、参加を希望したところ運よく全ての講演・セミナーに参加が許可されたので参加してきた。
 フェアは前述のとおり二つの目的を持ったフェアが同時開催されたのだが、私は資産もなく、その方面への興味も全くないことから「みんなの終活フェア」の関するセミナーを中心に受講した。もっとも、全国的に知名度の高い方が講演された特別講演は全て聴講させてもらったが…。
 ということで、今回は昨日31日(土)の分についてレポすることにしたい。
 昨日、私が受講した講演・セミナーは次のとおりである。
 ◇終活セミナー「不安を安心に!家族の代わりを務める『つなぐて』の身元保証サポート」  講師(一社)つなぐてスタッフ
 ◇特別講演「菊地流・魅力的人生のススメ~皆さまがお考えになるほど相続は甘くない~    講師 菊地幸夫弁護士
 ◇特別講演「先生教えて! 吉村さんと学びなおす、賢い資産運用講座」
     出演 吉村崇(タレント) 田中大貴(アナウンサー)
     講師(先生役) 加藤桂子(ファイナンシャルプランナー)
 ◇終活セミナー「達人が教える認知症と介護~認知症に備える」
     講師 西村敏子(北海道認知症の人を支える家族の会事務局長)

 まず、一般社団法人「つなぐて」だが、近年の日本は核家族化、少子化、超高齢化、関係の希薄化、都市集中化が進み、子どものいない人、親類縁者との関係が希薄化している人、子どもや親類縁者がいたとしても遠隔地に住んでいるなど、身元保証人が不在のケースが増えてきているという。そうした問題に対処すべく(一社)「つなぐて」は、その代理を務め、併せて子どもや親類縁者に代わり、高齢化に伴う様々なサービスも代理してくれるところだという。時代が生んだ組織だなぁ、と聴いていて思った。幸い、私自身は「つなぐて」にお世話にならずに済みそうであるが、将来に不安のある人にとっては心強い組織にように思われた。

       
 特別講演の菊地幸夫弁護士のお話は、弁護士活動を通じて遭遇したさまざまな相続に関するトラブルに遭遇した事例をお話してくれた。遺言書には「自筆証書遺言」と「公正証書遺言」の2種類があるそうだが、それぞれのメリット、デメリットについても説明していただいた。最後に菊地氏は、関係者同士が生前から良くコミュニケーションを取っておくこと、家族の絆が何より大切であると強調された。菊地弁護士はテレビで拝見するのと同じように誠実なお話の仕方が印象的で、信頼されている弁護士なんだろうなぁ、と思わせてくれた。

       
 もう一つの特別講演は北海道出身のお笑いタレントの吉村崇さんが、自ら投資体験を面白可笑しく紹介しながら、ファイナンシャルプランナーの加藤さんに教えを伺うという形で進められた。前述したように私は資産もなければ、投資に興味もないため、登壇者が話す専門用語さえ理解できないため、話されている大半は理解できなかったが、最後に加藤さんが話された「元本保証を望むのであれば、それは投資の対象外」、また投資をする上での留意点は「長期、分散、積立」がキーワードである、という言葉が記憶に残った。

 この日の最後の認知症については、これまでも何度か認知症についての講座を受講した体験があり、特に目新しいことは伺えなかったが、認知症の介護に関しての留意点は①一人が抱え込まない。②100%の介護を目ざさない。③被介護者に寄り添うことも大切だが、介護者自身も大切にする心構えが必要。④認知症患者のプライドを傷つけない。などのアドバイスをいただいた。
 「資産運用」と「終活」では相反するような趣旨にも思われるが、これから終活を意識する世代の方々にとっては、老後の資金の問題も大きな課題となってくる。そういう意味では二つは相関関係とも云えるのかもしれない。だからだろうか?会場は多くの市民で賑わっていた。
 明日は第二日目の様子についてレポしたい。


道民カレッジ「学びカフェ」in 新篠津

2024-11-29 20:08:05 | 講演・講義・フォーラム等
 実にお元気な80歳以上の方々である。私たちと学び合う「学びカフェ」で2時間、興味深々といった様子で私たちの話を聴いていただいた。私が今年担当した6回目の「学びカフェ」だったが、今年はこれで一応終了ということになった。

 本日(11月29日)午前、私にとっては初めてとなる新篠津村において道民カレッジ「学びカフェ」で国語科を担当した。
 「学びカフェ」は、以前の投稿でも触れたと思うが、今年度は試験的な実施のため十分なPRも不足していたため、新篠津村の場合は村の中心部の80歳以上の方を対象とした交流の場「ゆうあいの会」の年間活動の一つに組み入れていただき実施することになったと道民カレッジの担当者から伺った。
 名簿を見せていただくと、新篠津村の中心部の80歳以上の方は実に143名もいるとのことで、本日はその中から29名の方の参加があったと聞いた。

       
  ※ 新篠津村のキャラクターは米どころの新篠津らしく「おこめちゃん」だそうです。

 その方々が前述したように私の国語科、そしてもう一人の指導者の「社会科」の2時間の授業(お話)を姿勢も崩さずしっかりと参加された。本当に皆さんお元気な方ばかりだった。
 さて、私の授業内容は11月初旬に帯広市で行った「難読地名を読みましょう!」を新篠津版に改めて実施した。

   
   ※ 新篠津村の80歳以上の方々を前に授業をする私です。

 前半の流れは帯広と同様「北海道民でも読めないかもしれない難読地名26選」でまずは難読地名に興味を持っていただき、その後に私が調べて見つけた新篠津村に近い「石狩湾岸の難読地名」(こちらも27地名)について、一つ一つの地名を紹介し、その由来などを紹介する形で進めた。その難読地名とは?
 ①雄冬、②床丹、③幌、④群別、⑤茂生、⑥毘砂別、⑦愛冠、⑧送毛、⑨濃昼、⑩安瀬、⑪発足、⑫別狩、⑬押琴、⑭古潭、⑮望来、⑯正利冠、⑰聚富、⑱知津狩、⑲若生、⑳生振、㉑花畔、㉒銭函、㉓張碓、㉔於古発、㉕文庫歌、㉖忍路、㉗畚部
 さあ、この中であなたはいくつ読めたでしょうか?新篠津の参加者の方々はさすがに地元に近いとあって半分くらいの地名を言い当ててくれました。
 最後に帯広の時と同様に次のようにお話をして授業を〆た。
「私たち道民にとって難解な地名は、北海道を訪れる他の都府県民にとってはまるでチンプンカンプンということかもしれません。観光客などから地元の地名を尋ねられることがあるかもしれません。そうした方々に案内することができたら楽しいのではないでしょうか?これを機会に地元の地名に精通しませんか?」と話し、この日の授業で出てきた地名の解説を私がまとめた小冊子を参加者にプレゼントした。

    
    ※ 最後まで真剣に授業を受けていただいた新篠津村の皆さんです。

 授業を終えた時、一人お年寄りが私に話しかけた。「JR札沼線(現在は廃線となった)の駅名にもアイヌ語が由来の駅名があります」とお話され、「それは知来乙(ちらいべつ)駅です」と…。
帰宅して調べたところ、アイヌ語で「チライ・オッ」と発音し、「イトウがたくさんいるところ」という意味があることを教えられた。このような反応は授業を担当したものとしてはとても嬉しい反応である。
 その後の「社会科」の授業においても参加した方々は最後まで興味を失わず、授業者のお話に耳を傾けていた姿が印象的だった。
 今年一年間、私は都合6回の授業を担当させていただいたが、僅かではあってもどなたかのお役に立てているという実感を得ることができたことが何より嬉しかった。
 ちなみに先の難読地名の解答を載せておきます。
 ①おふゆ、②とこたん、③ぽろ、④くんべつ、⑤もい、⑥びしゃべつ、⑦あいかっぷ、⑧おくりげ、⑨ごきびる、⑩やそすけ、⑪はったり、⑫べっかり、⑬おしこと、⑭こたん、⑮もうらい、⑯まさりかっぷ、⑰しっぷ、⑱しらつかり、⑲わかおい、⑳おやふる、㉑ばんなぐろ、㉒ぜにばこ、㉓はりうす、㉔おこばち、㉕ぶんがた、㉖おしょろ、㉗ふごっへ゜

札幌学院大コミュニティ・カレッジ 札幌歴史雑学(3)

2024-11-28 18:57:35 | 講演・講義・フォーラム等
 今回も札幌の面白歴史雑学をたくさん聴くができた。この講座は今回で三度目だったが、残念ながら最終回だった。今回もまたお聴きした中から三つのテーマに絞ってレポすることにしたい。

 本日午後、札幌学院大学のコミュニティ・カレッジ「誰かに話さずにはいられない 札幌歴史雑学」第3講(最終講義)が札幌学院大の新札幌キャンパスで開講したので受講した。講師はもちろん街歩き研究家の和田哲氏である。

     
     ※ 講師を務められた和田哲氏です。
  
 今回の全体テーマは「冬とスポーツの物語」と題して9つのテーマについてお話を聴いた。その9つのテーマとは…。
 ① スケート事始め
 ② スキー事始め
 ③ 山小屋
 ④ 戦後のスキー場
 ⑤ 中島スポーツセンター
 ⑥ 幻の札幌オリンピック
 ⑦ スポーツ史を変えた大会
 ⑧ 札幌冬季オリンピック
 ⑨ おまけ
どれも興味深かったが、本欄では②、⑤、⑦についてレポしたい。
 その前に、和田氏は札幌がいかに冬季スポーツに適した街であるかについて言及された。良く知られた(?)ことであるが、札幌の降雪量が年平均で479cmもあり(600cmを超えた年もあったという)、世界の大都市ではダントツに多い積雪量であることを紹介し、冬季スポーツに適した条件とは、①低温、②降雪量、③スキーに適した地形の三条件が必要だが、その三条件が揃った大都市は世界の中で札幌市外にはない、と強調された。
 さて、その上で「スキーの事始め」であるが、一般には1911(明治44)年にオーストリアから来日したレルヒ少佐が新潟県高田(現在の上越市)においてスキーを指導したのが最初と伝えられている。しかし、それより遡ること3年前の1908(明治41)年に札幌農学校のドイツ語教師として来日したスイス人のH.コラーがスキーを持参し楽しんでいたそうだ。ただし、コラー氏はスキー技術が未熟だったこともあり、スキー史には取り上げられなかったようだ。初めて耳にしたお話だった。

       
       ※ 日本に初めてスキーを伝えたとされるレルヒ少佐です。
            コラー氏の写真は探しましたが見つかりませんでした。

 続いて「中島スポーツセンター」は、1954(昭和29)年、国民体育大会のメイン会場として建設されたという。当時は国内最大級のスポーツセンターで2階の観客席だけで1,777席あり、1階のアリーナに客席を作ると6,000人を収容できたという。そのためコンサート会場や大相撲の巡業会場として重用されたが、最も中島スポーツセンターを有名にしたのは、プロレス会場として使用され大人気を博したそうだ。そこで行われたプロレスの中で「雪の札幌テロ事件」とファンの中で語り継がれた事件(?)があったそうだ。

     
     ※ 健在だったころの北海道立札幌中島スポーツセンターです。

 三つ目のテーマは「スポーツ史を変えた大会」である。
 札幌では1940(昭和15)年、開催が決定していた冬季オリンピックが戦争のために開催中止となったが、その後のオリンピックの参加も受け入れられない状況の中、国際スケート連盟は1954(昭和29)年、世界スケート大会の会場として札幌市を選定した。この大会は今では当たり前のように開催されている各種スポーツの世界大会で初めての世界大会だったそうだ。大会は円山陸上競技場を会場に開催されたそうだが、連日観衆が推しかけ大盛況だったそうだ。国際スケート連盟の役員は、大会の完璧な運営、そして熱狂的な観衆の様子にいたく感激して、帰国してその様子を報告したという。札幌での開催が契機となり、その後次々と各種スポーツの世界大会が実施されるようになったという。この話をお聞きするのも初めてだったが、なんだか誇らしい気がしてきたのだった。

   
   ※ 現在の冬季の円山陸上競技場のスケートリンクです。
      競技用ではないので、400mの長さはないリンクです。

 そうした先人たちの業績があったからこそ、1972(昭和47)年の札幌冬季オリンピック大会の誘致に繋がったことは想像に難くない。
 3回にわたってお聞きした和田哲氏の「札幌歴史雑学」であるが、これまで和田氏を初めてとして多くの方から札幌の歴史についてお話を聴く機会があったが、今回の講座で初めてお聴きすることも数多かった。機会を見つけてこれからも札幌の歴史を追いかけてみたい。