田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

ラグビー界のレジェンド 大畑大輔氏饒舌に語る

2018-08-31 15:40:59 | 講演・講義・フォーラム等

 ラグビー界において瞬足ウイングとして一世を風靡した大畑大輔氏が来札し、自己の来歴、ラグビートップリーグ、そして来年のWCラグビーについて明るく饒舌に語った。

           

          ※ トークショーは向こう側のフリーアナウンサーの方の質問に大畑氏が応える形ですすめられました。

 8月29日(水)午後、道新プラザDO-BOXにて「大畑大介トークショー」が開催されると知り駆け付けた。

 トークショーはフリーアナウンサーの方の質問に大畑氏が応える形ですすめられた。

 

 トークショーは大畑氏のラグビー事始めから語られた。

 大畑氏はけっしてスポーツ万能の少年ではなかったという。ただ、足だけは速い少年だったそうだ。そのため、大畑氏が育った大阪においてはラグビーこそが自分の居場所を見つけられるスポーツだったそうだ。

                

               ※ ラグビー選手としてはけっして大柄ではない大畑氏ですが、その脚力は群を抜いていたようです。

 高校は東海大暁星高校に進学するが、暁星高校は当時大坂の強豪校ではなかった(現在は強豪校)ので、自分の力が生かせるチームだと思っての進学だったという。

 すると、その暁星高校において、現在巨人軍の上原投手、元日本ハムの館山投手が同じクラスだったそうだ。そのことが縁で今も館山氏とは交友が続いているそうだ。

 

 大学も、高校進学と同じ考えで京都産業大学に進学し、そこで日本代表に選出され、やがては「日本代表に山畑あり」と注目されるようになった。

 その後は神戸製鋼のチームに加わり、実業団でも日本代表でも大活躍したのは多くのラグビーファンの知るところである。

           

          ※ 私は最前列に陣取ったために、このように大写しした一枚もモノにできました。

 山畑氏は現在「SPORTS JAPAN アンバサダー」として、全国各地や各種メディアなどでラグビーの振興・普及活動に努めている。

 自己の来歴を語った後は、アンバサダーとして9月から始まるラグビー日本トップリーグ、さらには来年開催のラグビーWCのPRに努めた。

 大畑氏によると、サッカーのJリーグ発足が日本サッカーのレベルを飛躍的に向上させたのと同様、2003年トップリーグができたことによって日本のラグビーのレベルは相当に向上したそうだ。

 そうした状況の中、今シーズンは神戸製鋼に世界最高のスタンドオフと言われているニュージーランドのドン・カーターという選手が加入したことが大きな話題となっているそうだ。

 その神戸の公式戦、神戸製鋼 vs 宗像サニックスの対戦が9月8日(土)、月寒屋外競技場で行われる。

 トップリーグに参戦している選手たちにとっては、来年のラグビーWCの代表選手に選出されるための真剣な闘いが繰り広げられため「半端ない緊張感の中で行われる」とした。

          

          ※ トークショーを終えた後も、会場外で気軽に写真撮影に応えてくれました。

 大畑氏はメディアの露出も多く、また大阪人だからだろうか? とても饒舌で、面白おかしく語り続け、会場は終始笑いの中ですすめられた。

 大畑氏は「SPORTS JAPAN アンバサダー」として最適な人なのかもしれない。


我、未だ田舎おやじの域を脱し得ず…

2018-08-30 19:59:24 | その他

 昨夕(8月29日)のことである。ある会合がススキノのとある居酒屋で行われるとあって出かけたのだが…。私はその居酒屋を見つけるのに30分以上右往左往する事態になった。我、未だ田舎おやじの域を脱し得ていないことを痛感させられた…。

 

 私が所属する退職組織が取り組んでいる児童会館での夏季の「学習支援活動」を終えての反省慰労会をススキノの居酒屋で行う、と幹事から連絡があった。その居酒屋は中央区の南4条西4丁目にあるという。私は居酒屋の名前と住所をメモし、昨夕指定された時間に間に合うように地下鉄を駆って向かった。

 

 南4条西4丁目というから地下鉄「すすきの」駅から出ると直ぐのススキノのランドマーク的商業施設「ラフィラ」がその地番なので、「ラフィラの周りにある居酒屋だろう」と思い、その周辺を探し始めた。

 周辺をぐるっと回ってみたのだが、居酒屋が入っているというビルも、居酒屋の看板も見当たらない。見落としたのかもしれない。そこで反省慰労会に出ているであろう方の携帯電話にかけてみたのだが、二人とも電話に出ない。

 仕方がないので再び周辺を慎重に回り始めたのだが、一向にそれらしき店は見当たらなかった。集合時間は刻々と迫っている。

 

 「これはもうだめだ。仕方ない、帰ろう」と思い始めた。「まてよ?」その前に一応スマホで店をググってみることにした。すると店のマップが出ていて、それを見ると…。なあ~んと、店の位置は電車通りの向かい側にあるではないか!?

 店に入ったときは開始時刻ギリギリだった。ホッ。

 この後は、「学習支援活動」を振り返りながら、和気あいあいと楽しいひと時を過ごした私たちだった…。

 

 それにしても私が思いもよらず苦労してしまったのは、札幌の地番の付け方の特徴を忘れてしまっていたからだった。

 札幌の街の条・丁目表示は本州各県の表示方法と違うと以前に聞いたことがある。つまり本州では一つのブロックに条・丁目の表示が付いているのに対して、札幌の地番の付け方は、通りに面している両側が同じ条・丁目になっているのだ。

 例えば、北1条西〇丁目という場合、広い北1条通りを挟んだ北側と南側が同じ「北1条西〇丁目」となっている。

 したがって、私が苦労してしまった「南4条西4丁目」も電車が走る広い4条通りを挟んだ北側と南側が同じ地番だったのだが、私は南側ばかりを探し回っていたのだ。

 

 こうした札幌市の地番の付け方の特徴を忘れてしまうようだと、私はまだまだ“札幌人”になりきっていないことを覚らされた思いである。

 札幌へ転居して12年。「我、未だ田舎おやじの域を脱し得ず」を露呈したエピソードだった。

 


一芸に秀でる素晴らしさ 古地図を辿る

2018-08-29 17:18:52 | 講演・講義・フォーラム等

 一芸に秀でることの素晴らしさを教えていただいた思いである。北海道の古地図を辿るお話はお聴きしていて非常に興味深いものだった。講師は在野の研究者なのだが、一つのことにこだわり続けることで大きな成果を挙げられた典型のようなお話だった。

 

 今日(8月29日)午後、かでる2・7において生涯学習協会が主催する「学習成果実践発表会 in 道央」と称する講座があり参加した。

 講座は実践発表と講演で構成され、実践発表では中富良野町に在住する天池一宣氏「地図学習の成果」を、講演では札幌在住の高木崇世芝氏「北海道地図のあゆみ」と題されて、それぞれお話された。

                

 天池氏の実践も素晴らしく一つの生き方として参考になったが、私が特に感動したのは高木氏のお話だった。

 高木氏について私はまったく知らない方だったが、講師紹介によると古地図の研究においては国内でも相当に名の知られた方だという紹介だった。

 ところがご自身の自己紹介によると、高木氏は中学校の美術教師で古地図研究はまったくの専門外なのである。自己紹介では道南の僻地校での勤務が長かったために美術だけでなく、国語や社会なども担当したことから古地図の面白さに目覚められたようである。

 

 高木氏の講演は現存する北海道(蝦夷)の地図を年代順に15枚提示しながら、その背景を語るものだった。

 現存する最古の地図は、正保元年(1644年)に松前藩が幕府からの命によって提出した「国絵図」である。正確な測量などおよそ考えられなかった時代であるから、その図も実際の北海道とは似ても似つかぬものであった。

          

 写真は元禄10年(1697年)に第2回の幕命によって松前藩が提出した「国絵図」であるが、前回から50年経っていたが、あまり変わりはない奇妙奇天烈な北海道(蝦夷)であった。ただ、地名などはアイヌからの聞き取りなどによってかなり現在の地名が記されているともいう。

 

 また、同時代には民間人が自己の商売のために作成された蝦夷図がけっこう残されているが、それらもまた現実とはかなりかけ離れたものだった。

          

 現実の北海道(蝦夷)に近い地図が作成されたのは享和2年(1802年)に幕臣である近藤重蔵が作成した蝦夷図である。近藤がどんな資料に基づいて作成したのか解明されていないということだが、高木氏によると完成度は80%と話されるほど現実の近いものである。

           

 そして日本全土を測量した大御所・伊能忠敬の登場である。伊能は寛政12年(1800年)幕府に願い出て、東蝦夷地を測量探検したが、その能力が認められ翌年享和元年(1801年)から17年間に渡って全国測量という偉業を達成し、最終的に文政4年(1821年)写真のような北海道地図が作成されたのである。

           

 続いて、蝦夷地探検家として知られる松浦武四郎が、伊能が北海道の外縁をなぞったのに対して、内陸を探検して内部の様子を書き加えた「東西蝦夷山川地理取調図」を作成した。

           

 このレポにおいては提示された15枚すべての地図について触れることはできないが、高木氏は一枚一枚の古地図について、実に精力的にお話された。それは高木氏が一枚一枚の古地図を苦労されながら収集されたことの裏返しのように思えた。

 長年にわたり古地図についての研究を続けてこられた高木氏にとって、生き生きと語るその姿からは一つのことを長く探求されてきたことへの誇りと自信が溢れているように思えた。

 一芸に秀でることの素晴らしさを教えていただいた思いであるが、私にとっては叶わぬ夢でもある…。

※ なお、ここで使用させていただいた地図の写真は全て講義中に映し出されたスライドを写させていただいたものである。

  貴重な資料をアップさせていただきました。

 


再びパーキンソン病について学ぶ

2018-08-28 19:48:26 | 講演・講義・フォーラム等

 パーキンソン病に罹るとは、認知機能障害を伴う場合が多いという。それはパーキンソン病が脳の機能障害からきていることによるようだ。その症状と対策についてお話を聴いた。

 

 先月に続いて札幌西円山病院が開講する「地域で暮らす高齢者のための医療公開講座」の8月講座を受講した。(8月25日午後、かでる2・7)

 今回のテーマは7月講座と連動した形で「パーキンソン病を知る(その②)~認知機能障害~」と題して、同病院医師の千葉進氏と、作業療法士の富居泰臣氏が講師を担当した。

           

 最初に講義を担当した千葉医師は前回に続いての講義だったが、その要旨は前回の講義を専門的に語るものだったが、正直に言ってあまりにも専門的で例え患者の家族であっても聞いて参考になるのかなぁ?という思いで聞いていた。

 その中で、パーキンソン病に伴って現れる認知症は「レビー小体型認知症」だということだ。しかし、聞いている私たちにとってはたとえ何型であろうが認知症自体陥ることが怖いことなのだが…。

 最後に認知症予防のための食べ物、心身の健康法、認知症患者への接し方などについて話されたが、このことについてはこれまで他の認知症に関する講座でも聞いていたことだったので割愛したい。

           

 続いて講義した富居作業療法士のお話は、パーキンソン病における認知症機能障害の症状について詳しく説明してくれた。それによると四つの機能障害がるあという。それは①遂行機能の障害、②注意機能の障害、③運動イメージの障害、④情動の障害(うつ・アパシー)があるという。

 自分や身近な人に認知症の機能障害について不安が出た場合などは、有効なチェックポイントになりそうだ。

 

 さらに富居氏の話で、転倒を繰り返していたパーキンソン病患者に作業療法士としてリハビリテーションに介入した事例を紹介してくれたことが興味深かった。

 具体的な患者の情報が紹介され、それに対して病院が対処した方法など、病院が病気(パーキンソン病)に対してどのように介入するのかが具体的に分かり、現代の治療実態を知ることができたことは収穫だった。

 

 今回の講義から私が得たことは、たとえこのような講義を受けたとしても生半可な判断をすべきではなく、病気が疑われたら早期に病院において専門的な診断を受けるべきであろう、という極めて当たり前の結論だった。


さっぽろの古を訪ねて 第5講

2018-08-27 21:10:53 | 「めだかの学校」関連

 私たちプロジェクト〇(ゼロ)が企画実施している野外講座「さっぽろの古を訪ねて」が今日5回目の講座を実施した。今回も事後アンケートでは参加者からは概ね好評をいただき、ホッと胸をなでおろしている。

           

          ※ ラフィラ前で観光ボランティアガイドの方から薄野遊郭について説明を受ける参加者たちです。

  今日(8月27日)午後、「めだかの学校」の5回目の野外講座は薄野界隈を中心に実施した。

 今回は、「岩村通俊が造ったススキノ・鴨々川を訪ねよう!」をテーマに薄野界隈を巡る野外講座で、担当者は私だった。

 担当の私は現地に二度ほど足を運び、参加者の年齢構成なども考え、コースを一部短縮する形で、札幌市観光ボランティアガイドの方との打ち合わせを終え本日を迎えた。

          

          ※ 薄野娼妓並びに水子哀悼碑などがあり、薄野遊郭との繋がりが深い歴史を持つ豊川稲荷です。

 そのコースとは、次のとおりである。

 ①ススキノ遊郭跡(ラフィラ前)⇒ ②豊川稲荷(・薄野娼妓並びに水子哀悼碑 ・丸山常山句碑 ・三岸好太郎生誕地碑)⇒ ③成田山札幌別院 新栄寺(・光明殿「四国八十八カ所お砂踏み巡拝霊場」体験 ・針塚 ・木遣塚 ・頌徳碑)⇒ ④ジャスマックプラザ前(地番の高低差を確認する)⇒ ⑤鴨々川(園生橋上から)⇒ ⑥大典記念文庫 ⇒ ⑦飯沼貞吉ゆかりの地碑 ⇒ ⑧鴨々川・創成川合流点 という行程だった。

          

          ※ 新栄寺の地階にあった「四国八十八カ所お砂踏み巡拝霊場」体験場の様子です。光の丸の中にそれぞれの寺社の砂が埋まっているそうです。      

 今回の一連の講座では、訪れた先の施設の職員とか、札幌市の観光ボランティアガイドの方々の協力を仰いでいる。

 この方法が功を奏していると私は判断している。私たちの浅い知識や俄か勉強では、とうてい参加者たちの要求には応えることができないだろう。特に観光ボランティアガイドの方々の豊富な知識はさすがである。私も多くのことを学ばせてもらっている。

 例えば、薄野の小さな通りにそれぞれ名称(愛称)が付けられていたことなど、今日初めて知ることができた。

          

          ※ 現在「鴨々堂」と名乗っている木造の建物は、遊郭当時の見番の建物だということを初めて知りました。          

 私たちは毎回実施後にアンケートを取らせていただいている。

 今日も参加者25名の内、帰りを急ぐ中で15名の方がアンケートに協力いただいた。

 その結果は…。(評価は5段階評価で実施した)

 Q1.本日の講座全体の満足度はいかがでしたか?

     評価5 → 13人   評価4 → 2人

 Q2.講座の運営についてはいかがでしたか?

     評価5 → 12人   評価4 → 3人

 Q3.ガイドの説明はいかがでしたか?

     評価5 → 13人   評価4 → 2人

 Q4.は自由記述で感想などを記していただいたが、その内容は割愛したい。

           

          ※ 会津白虎隊の隊士の一人で生き残った飯沼貞吉は札幌の電話施設普及に活躍しましたが、その居住地跡ということです。

 アンケート結果については、主催者への配慮があるにしてもとても良い結果をいただいたのでは、と受け止めている。

 「めだかの学校」の野外講座も残すところ9月24日の第6回講座を残すだけとなった。

 最後まで気を許すことなく準備し、丁寧な運営を心がけたいと思っている。

 


ちえりあフェスティバル2018

2018-08-26 20:14:34 | イベント

 大人気の「動物ふれあい広場」、「みんなで囲碁・将棋教室」、「真夏の川柳教室」、「絵本・折り紙教室」などなどが、ホールでは「北大落研口演」が、そしてちえりあの屋外広場では「宮の沢若者活動センター祭」が、いつも多くの市民が利用するちえりあだが、今日はとびきりの人出で賑わっていた。

           

 札幌市生涯学習総合センター(通称:ちえりあ)は、本日(8月26日)年に一度、一日のみ全施設を開放してのフェスティバルが開催された。

 今日は博物館の講座に参加する予定だったが、孫たちが「ちえりあフェスティバルを見た後に我が家に遊びに来る」と聞いて、少しはお爺ちゃんの真似事をしなくてはと思い、講座をキャンセルし、私も「ちえりあフェスティバル」に駆け付けることにした。

 

 ちえりあへ駆け付けると、屋外広場にはたくさんの人たちが集っていた。こちらは「宮の沢若者活動センター祭」ということで、「ちえりあフェス」とコラボした祭らしい。配布されたパンフレットによると、札幌市内の大学生、高校生で実行委員会を構成し、地域の主として子どもたちに楽しい場を提供する祭のようだった。

          

          ※ ちえりあの野外広場では、「宮の沢若者活動センター祭」が「ちえりあフェス」とコラボして同時開催されていました。

 広場には、射的、的あて、輪投げ、ヨーヨー、スーパーボール、かたぬき、段ボール迷路などが配され、それぞれのところで子どもたちが楽しんでいた。

 また一方では、焼き鳥、焼きそばなど美味しそうな屋台も軒を並べていた。

 そして特設ステージでは、タイムテーブルに沿ってさまざまなパフォーマンスが披露されていた。

 暑くもなく、寒くもなく、絶好のコンディションの中、たくさんの親子連れが楽しんでいた。

          

           ※ 特設ステージ(?)では、さまざまなパフォーマンスが一日中披露されていました。

 一方、ちえりあ内では賑々しく「ちえりあフェスティバル」が開催されていた。

 フェスティバルは主として1階、2階の研修室や講義室を会場としていたが、一部は5階、6階も会場となっていたようだ。

 それぞれの会場では、囲碁や将棋教室、川柳教室、絵本・折り紙のお部屋、あるいはロボットをプログラミングして遊ぶ会場などなど、盛りだくさんで全てを紹介するのが難しいくらい。ちえりあ内のリサイクルプラザでは、おもちゃ病院、リユース食器市、洋服の交換会などが行われていたようだ。

          

          ※ ちえりあのロビーでは、外国人留学生のグループが外国の子どもダンスを紹介していました。

          

          ※ こちらはちえりあ内でさまざま催されていたものの一つ、クレイクラフト体験の会場だと思います??

 最も子どもたちで賑わていたのは、ノースサファリの提供で設けられた「動物ふれあい広場」だった。子どもにとってミニ動物はやはり愛玩の対象のようだ。

           

          ※ この人出、大混雑といった感じの「動物ふれあい広場」です。

          

 さらに今回は時間の関係で聴くことはできなかったが、ちえりあホールの方では北大の落研の人たちが落語口演をするとの告知が出ていた。

 

 孫たちも各会場を回って思いっきり楽しんでいた。

 楽しそうな孫の姿を見てお爺ちゃん冥利を感じた一瞬だった。

 孫たちと会場を回っていた息子が「会場で子どもの相手をしたり、指導したりしていたのは教員OBの方たちなのだろうか?」と話していたが、確かにそのような雰囲気がうかがえたが、教員OBばかりではないだろうが、こうした場でも多くのボランティアの方々が活躍している姿に接することができ、おおいに刺激をいただいた。 


北大法学研究科公開講座「アジアと向き合う」③ & ④

2018-08-25 20:45:45 | 大学公開講座

 「日中戦争」がなぜ起き、なぜ拡大していったのか?日中双方がその資料を公開しないまま歴史認識をめぐる争いが絶えない状況があった。講義では最近になって公開された資料をもとにその実相に迫るという興味深い内容だった。

                

 北大法学研究科の公開講座「アジアと向き合う ~温故知新~」の第2回講座のレポ(8月7日)から日が経ってしまった。その後、8/9に第3回、8/23に第4回の講座が開講され、4回シリーズの講座の幕を閉じた。

 

 第3回講座は「日中の法文化論:法規範の現地化とその論争」と題して法学研究科の講師である郭薇氏が講師を務めた。郭氏はその名前からも類推されるように中国人の方である。

          

          ※ 講師の郭薇氏は非常に表情豊かに講義されました。

 この郭氏の講義が私には難解を極めた。

 講義前の案内では、日中両国は近代化の過程において西洋の法制度や法学を導入しようとした際、両国は訴訟による解決よりは儒教的な伝統が強いため刑罰より教化を重視してきた伝統があったという。そうした中で、日中両国がいかにして西洋的な法制度や法学(法文化)を導入してきたのかを解き明かすこと、と理解していた。

 ところが実際の講義において、郭氏は突然のように日本の法学者である「川島武宣」を登場させて、川島理論を中心として日中両国の変遷を説き始めたのだ。「川島武宣」なる法学者についての予備知識のない私にはお手上げだった。

 ということで、私は第3回目の講義についてのレポは諦めることにした。

 

 お盆を挟み、最終第4回の講義し8月23日(木)に法学研究科の岩谷將教授「日中戦争」と題して講義された。

          

          ※ 講師の岩谷將教授です。

 岩谷氏はリード文で触れたように日中戦争に関する新たな資料が公開されたと話したが、具体的にどこから提供されたについては触れなかった。

 講義は、満州事件から塘沽停戦協定、日本軍の華北分離工作、盧溝橋事件、そして全面戦争と時系列に沿って詳細に解き明かしてくれた。

 

 講義の詳細をレポすることは割愛するが、一連の流れを見るかぎり、その節目節目での日本の判断に誤りがあったことは率直に認めねばならないのではないかと思った。

 軍内部において、戦線の拡大を主張する派と、不拡大派が存在していたが、国民の声が後押しするなどして深みにはまっていったことが、その足跡(歴史)から見て取れた。

 

 歴史においてタラレバは禁句だというが、今だから当時の判断を誤りだったと指摘するのは簡単である。しかし、当時の世相、風潮においてはやむを得ぬ判断だったとする見方もあるのだろう。

 こうした微妙な問題に私がコミットすることは控えるが、今回の講義のように新たな資料をもとに史実を見直し、より実相に迫ることは非常に興味深いことである。

 

 以上、4回シリーズの法学研究科の「アジアと向き合う ~温故知新~」が終わったが、私の中ではいま一つ四つの講座の関連性について理解できない思いが残った…。


小郷正彦 ジャズギターコンサート

2018-08-24 16:17:21 | ステージ & エンターテイメント

 生ギター一本でのジャズは初めて聴いたように思う。トリオとか、カルテットでの演奏が多いジャズのコンサートが多い中、ギター一本の演奏は私にとっては新鮮だった。聴きおぼえのあるメロディーが、ジャズの旋律の中からこぼれ出るのを聴くのも悪くはない。

           

          ※ ちょっと寂しいステージだが、ロビーコンサートはこれくらす簡素な方がいいのかな?

 私にとっては珍しく3日続けて同じジャンル【ステージ & エンターテイメント】の投稿である。まあ、それだけ最近はアウトドアに出かけることが減ってしまい、内心忸怩たるものがあるのだが…。

 

 今日、中央区民センターで正午より「ロビーコンサート」が開催された。

 そのコンサートのゲストがジャズギタリストの小郷正彦さんだった。

 小郷さんは当年46歳になる方で、札幌市を中心にしていろいろなジャズミュージシャンとユニットを組み活動されている方のようである。

 先に生ギターと紹介したが、純粋の生ギターではなく、拡声装置を備え私たちはスピーカーを通して小郷さんの演奏を聴く形だった。

          

          ※ ラフなジーパン姿で登場するところは、いかにもジャズミュージシャン? 

 演奏された曲は…、

 ◇Stella by starlight (星影のステラ)

 ◇Meditation (瞑想)

 ◇The shadow of your smile (映画「いそしぎ」主題歌)

 ◇When you wish upon a star (映画「ピノキオ」より「星に願いを」)

 ◇蘇州夜曲

 ◇You are the sunshine of my life (ステービーワンダー作曲)

           

 私にとっては「いそしぎ」や「星の願いを」などなど、聴きおぼえのあるメロディーがジャズの旋律からこぼれ出るのを耳にすることは新鮮なことであり、ジャズギターの良さを少しは感じ取ることができたのかな?と思えたジャズギターコンサートだった。


女性コーラス ピッコロ・ヴェルデ

2018-08-23 17:02:35 | ステージ & エンターテイメント

 えっ? 前身がPTAのママさんコーラスだって!? とてもそうは思えないほどの実力派グループのミニライブだった。歌われた楽曲は全て親しみのあるものばかりだったが、その歌声は実力十分だった。

           

 今日は午前も午後も、かでる2・7(道民活動センター)で道民カレッジのボランティアで缶詰めになっていた。お昼に弁当を食した後ロビーに降りてみると、今日は「かでるコンサート」の日だったことに気付いた。

 「かでるコンサート」とは、最近いろんな公共施設で行われているロビーコンサートの一つである。105回もの回数を数える「かでるコンサート」の今回の出演は、「ピッコロ・ヴェルデ」という女性コーラスだった。

 ピッコロ・ヴェルデは、もともとは真駒内緑小学校のPTAコーラスが前身だと渡されたパンフレットに書かれていた。メンバーは10名ということだが、今日出演していたのは9名だった。(お子さんが病気?あるいはご本人が体調を崩した?)

 

 最初の曲「アイスクリームのうた」を聴いて「おおっ!」と思った。なかなかの実力派グループなのだ。私の中に前身がPTAコーラスだから…、という思いがあったことは否めない。

 その後に繰り出されたどの曲も聴き応え十分だった。

 

 プログラムを紹介すると…、

 ◇アイスクリームのうた

 ◇あめふりくまのこ

 ◇かわいいかくれんぼ

 ◇ほたるこい

 ◇北海道物語(ストーリー) 函館女 - ソーラン節 - 北海盆歌 - この道 - 虹と雪のバラード - 北の国から - 大空と大地の中で -知床旅情 - 黒百合の歌 - 霧の摩周湖 - 襟裳岬

 ◇上を向いて歩こう

 

どの歌も私たちにとっては聞き覚えのある曲ばかりである。それらの曲が、9名のコーラス用に編曲されていたのだが、その編曲自体も素晴らしいと思った。

 パンフレットには、出演者の紹介があったが、それによると専属の指揮者とピアニストがいるようなのだ。その二人の履歴を見ると、二人とも音楽の専門大学を出て、現役で活躍している方である。きっと、指揮者を務める尾崎あかりさんが編曲され、合唱の指導もされているようで、本格的なコーラスグループなのだ。

                 

                ※ 指揮者であり、指導者である尾崎あかりさんがミニライブのMCも務めました。

 私は想像する。PTAのコーラスグルーブに集ったママたちが、どこかのステージに立った際にきっとその力量を激賞されたのではないか?それくらい力のある方々が集っていたのだろう。

 自信を得たママさんたちは「このまま解散するのは惜しい!」ということになり、グループを結成したのでは?そこに指揮者の尾崎あかりさんとピアニストの豊田早苗さんが加わったことで力量はさらにアップしたということでは、と私は想像する。

           

           ※ かでるコンサートのの様子です。椅子席は全て埋まっていました。

 どの曲も素晴らしいコーラスだったが、私には「北海道物語」で歌われた一つ一つの曲が、さまざまな思い出を呼び覚ましてくれたこともあり、特に印象的だった。

 ピッコロ・ヴェルデのみなさんのますますの活躍を祈りたい。


オペラ モーツァルトの夕べ

2018-08-22 21:40:19 | ステージ & エンターテイメント

 私にとってオペラ観劇はハードルの高い分野であるとは以前にも投稿したことがある(その投稿はこちら➪)。しかし、知人の娘さんの晴れ舞台である。今夜、私は迷わず駆け付けたのだが…。

               

 今夜(8月22日)、教育文化会館で行われた北海道二期会コンサートに参加した。

 二期会とは、ご存知の方が多いと思うが、声楽家の団体であり、主としてオペラに取り組んでいる団体だと私は認識している。

 その北海道二期会が今夜と明日と別々の演目で二日間にわたってコンサートを開催する。

 その第一夜に知人の娘さんが出演するということで、割引チケットを手配するとの連絡をいただいたことから駆け付けることにした。

 

 今夜のテーマは「モーツァルトの夕べ ~ウィーン時代のモーツァルトとダ・ポンテ三部作~」と題して、モーツァルトが手がけたオペラの曲を演ずる(歌う)ステージだった。

 今夜の演目、出演者は別表のとおりである。

                 

 オペラというと、オーケストラが付き、ステージは舞台装置で彩られる中で行われるものだが、今夜のそれはオーケストラではなくピアノ伴奏であり、舞台装置はなく出演者が衣装だけは役柄にそった衣装を身につけるというステージだった。こうした簡素化したオペラのステージを何と言うのだろう?

 

 私にとってオペラはやはり難解だった…。

 進行役(MC)の方が解説を入れてくれ、歌手の方たちも表情を付けてくれるのだが、どうしても歌の意味が分からなく、ステージに集中できないのだ。特に一部は、ダイジェスト版的なためになおさらだった。その点、第二部は全体が一つのストーリーで流れていて、合間合間に解説が入ったこともあり、少しは理解できた思いだった。

 

 ところで、知人の娘さんというのは、プログラムの中に二度にわたって登場している亀谷泰子さんという方である。彼女はもう10数年にわたって札幌の声楽界の第一線で活躍し続けている方である。

 小学校の教員をされ、さらには確か二人のお子さんの母親である。そのうえで声楽家として活躍するというスーパーママである。

 声楽の世界などについては何ら素養のない私だから、彼女の力量がどれくらいなのかも推し量ることはできない。ただ、常の第一線で活躍しているということはそれだけの力量を備えていることだと理解している。

 以前から彼女のステージを何度も拝聴している私の印象では、やはりママさんになってからは一段と落ち着きと自信がみなぎっているように私には映る。

 

 私にとって難解なオペラの世界だが、縁を感じながらこれから機会があれば観劇してみたいと思っている。