田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

札幌グルメ紀行 20 こう楽

2015-11-30 16:29:52 | 札幌麺紀行 & グルメ紀行
 大通ビッセビル4階、絶好のロケーションに位置する「こう楽」はおしゃれで、美味しい店だった。お店はその名のとおり和食系の店である。メインは「鳥焼とおでん」なのだが、私たちはまったく違ったものをいただいた。 

                    

 「ホテルカレーが食べたいね」と妻と二人で、以前に食して美味しかったホテルオークラのレストランに向かった。ところがこの日は日曜日とあって生憎満席だった。その後に私の予定もあったため、断念して大通ビッセのレストラン街(4階)に「確かオムカレーを食することができる店があるはず」と向かった。しかし、そこも満席だった。

               
               ※ 「こう楽」のお店の外観です。

 こうなっては、予定の時間も迫っていたのでカレーに拘らず、ということでレストラン街を巡っていたところ、リーズナブルなランチメニューが表示されていた鳥焼き・おでんの「こう楽」の暖簾をくぐったのだ。
 店内は奥行きのあるゆったりとしたカウンターが鉤型につくられていて、寛げる雰囲気になっていた。他に個室もあるということだ。

               
            ※ この写真はウェブ上から拝借したものです。夜の感じですが、カウンターの感じがよく分かります。

 オーダーしたのは、妻も私も「ミニ天丼と蕎麦」のセット(1,080円)だった。ただし、妻は冷たい蕎麦、私は温かい蕎麦だったが…。鳥焼きとおでんの店で、蕎麦や天丼という話もないと思われるかもしれないが、鳥焼きやおでんは夜のメニューになっていた。
 ほどなく出てきた「ミニ天丼と蕎麦」は店にとってはけっして看板メニューではないので際立った特徴は感じられなかったが、どちらも板前さんが作る安定した味で、量的にも満足だった。

               
               ※ 私が食した「ミニ天丼と蕎麦」のセットです。

 板前さんやホールスタッフの接客も気持ち良く、店の雰囲気もゆったりとしていて、ちょっと寛いだランチには適している店だと思った。

               
               ※ カウンター席にあったメニュー表です。

【鳥焼きおでん こう楽 データー】
北海道札幌市中央区大通西3丁目7 大通ビッセ4F 
電  話  011-271-5089
営業時間  ランチ  11:00~14:00
      ディナー 17:00~22:00
定休日   第2、第4月曜日
駐車場   無
座 席   30席(カウンター18席 個室6×2=12席)
入店日   ‘15/11/22

12月7日は「あかつき」に注目を!

2015-11-29 15:53:31 | 大学公開講座
 JAXAの金星探査機「あかつき」が12月7日(月)金星の周回軌道への再投入が予定されている。その「あかつき」の企画・製作に関わった研究者の話を聴いた。 

               
               ※ 金星探査機「あかつき」が金星の周回軌道を廻る想像図です。

 11月24日(火)夜、北海道情報大学の札幌サテライトにおいて「金星探査機「あかつき」を応援しよう ~2015年12月軌道投入再チャレンジ!~」という公開講座があり参加した。
 講師は同大の渡辺重十教授だったが、渡部教授は北大教授時代に「あかつき」が構想され、その企画から製作まで関わっていて研究者だった。
 渡部教授は地球物理学者にしては素人にも分かり易く「あかつき」の誕生秘話などについて説明してくれたため、私にとっても楽しい講座だった。

                   
                   ※ 講義をしていただいた渡部重十教授です。

 渡部教授たちは2000年に登別に全国の研究者・学生を約100名集めて「プラネットWS2000」というワークショップを行い、日本の惑星探査の探査先を「金星」にするようJAXAに提案したことがキッカケとなって、現在の金星探査機「あかつき」が誕生したという秘話を披露してくれた。
 
 その秘話の中で面白い話をうかがった。
 なぜ日本の惑星の探査先が「金星」に決まったか、ということについてである。
 渡部教授は日本には木星や金星の観測はできないと言った。その理由は明らかにされなかったが、日本の国力(予算的)やロケットの発射技術などから、現実的に難しいということなのだろう。そうした絞り込みの結果、「金星」が目指す惑星として最適となったようである。

               
               ※ 講義中の様子です。渡部教授が関わったカメラが金星を捉えた写真が提示されました。

 金星探査の目的であるが、金星の表面温度は実に480℃という高温だという。その金星の誕生の謎を解明することが、地球の温暖化を阻止のために役立てることができるのでないかということだ。(もちろん、その他にもたくさんの目的があるのだろうが…)

 さて、探査機「あかつき」本体の製作についてだが、設計はJAXAの研究者や大学の研究者によるものだが、機体の製作そのものはすべて日本の企業群が担ったということだ。 
 渡部教授が担ったのは、探査機に付けられたカメラの部分ということだった。カメラそのものはドイツ製ということだったが、他は全て日本製で、過酷な宇宙空間で稼働すること、あらゆる角度の映像を記録することなど、難しい課題を日本の企業の研究者たち共同作業で課題を克服していったそうだ。

               
               ※ 渡部教授たちがドイツのメーカーに製作を依頼したCCDカメラです。実物を持ち込んでくれました。

 その探査機「あかつき」だが、2010年に打ち上げられ、その年の12月7日に金星軌道への投入が試みられたが、メインエンジンの故障のため投入には失敗してしまっていた。
 計算から「あかつき」が金星の周回軌道に最接近するのが5年後の2015年(今年)12月7日ということが判明し、これまでそのための準備を進めてきたということだ。
 来る12月7日の再投入の試みは、メインエンジンが故障した中での再投入となる。その推進力となるのは、「あかつき」の姿勢制御用に装着していた補助エンジンを使用しての再チャレンジだそうだ。
 エンジンの推力はけっして大きくないが、再投入のために必要のない燃料を捨ててまで、ワンチャンスに賭けるということだ。
 最後に渡部教授は、このJAXAのチャレンジに対して、ロバート・H・グラード(正確な名でない可能性がある)の言葉を紹介してくれた。
 「何が不可能であるかを言うことは難しい。昨日の夢は、今日の希望であり、明日の現実である」

 12月7日の金星探査機「あかつき」の金星周回軌道への再投入のチャレンジに注目していただきたいと思う。

会津のお殿様の話を聴く

2015-11-28 19:56:30 | 講演・講義・フォーラム等
 松平家の第14代当主、松平保久氏の話を聴く機会を得た。戊辰戦争において朝敵となった松平家だったが、さまざまな苦難を乗り越え、明治42年、松平家から秩父宮雍仁親王の妃として松平節子親王妃が嫁いだことによりその汚名も返上できたというような松平家の歴史を語った。 

                    
                   ※ 講演をする松平家の第14代当主、松平保久氏です。

 11月22日(日)夕方、札幌ホテルヤマチ(琴似1-3)において、松平家第14第当主松平保久氏「愚直ノススメ」と題して講演するのを受講した。
 主催は「琴似屯田兵入村140周年記念」の記念事業に一環として行われたものである。この記念事業では、琴似屯田兵に関わる島津家、伊達家、松平家のそれぞれの当主を招
いての講演会が企画され、今回はその最終回ということだった。
 実は、この記念事業に関わっては私の知人が企画の中心を担っていたことから「ぜひ聴講を!」と誘われていたのだが、都合がつかずに最終回にようやく受講することができたのである。

 保久氏は、会津松平家の藩祖で徳川第2代将軍秀忠の四男保科正之が作成した「会津松平家 家訓十五か条」について触れた。
 その第一条には「一、大君の儀、一心大切に忠勤に励み、他国の例をもって自ら処るべからず。若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず 面々決して従うべからず。」とある。
 その意味するところは「将軍家にはひたむきに忠義を尽くせ。たとえ自分の子孫でも徳川将軍に逆意を抱く藩主が現れたら従わなくともよい」ということだという。
 第二条以降にも松平家の教えが種々続いているが、何といってもこの第一条の意味するところが大きい。この第一条が、第九代藩主松平容保が京都守護職の就任を渋ったときに足枷となり、やがては朝敵となっていく遠因にも繋がったのである。

                  
                  ※ 会津藩の藩祖保科正之の画像です。

 さて、会津藩は子弟の教育にも熱心だった藩として知られている。第5代当主容宏のときに藩校「日新館」を創立した。そこでは「什(しじゅう)の掟」いう掟があり、藩士の子弟に徹底された。そこには、

 一.年長者の言うことに背いてはなりませぬ
 一.年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ
 一.虚言(うそ)を言うことはなりませぬ
 一.弱いものをいじめてはなりませぬ
 一.戸外でものをたべてはなりませぬ。
 一.戸外で婦人(おんな)と言葉を交わしてはなりませぬ。

 そして最後に「ならぬことはならぬものです」と書かれてあるそうだ。
 この「日新館」の教え「ならぬことはならぬものです」こそ、会津人の魂を醸成したと保久氏は強調する。だから会津人は「愚かなまでに真っ直ぐ生きる」DNAを宿しているとして講演題を「愚直ノススメ」としたようである。

 藩祖の保科正之の教えに従い京都守護職として、その務めを懸命に果たした松平容保だったが、思いもよらぬ展開から朝敵とされてしまい、薩長に対していくら嘆願しようが聞き入れられず、ついには自死の道を選ばざるを得なくなり、その時容保が発した『儀に死すとも 不義に生きず』という言葉が会津人の心を捉えて離さないようだ。

                    
                   ※ 第九代藩主の松平容保の写真です。

 最後に保久氏は、心ならずも明治の時代に北海道・琴似の地に居を移さねばならなかった会津人の末裔たちが、会津の誇りを忘れずに北の大地で立派に花咲かせてくれたことを誇りに思う、と語って講演を終えた。

 会場は琴似在住の会津藩の末裔の方々を中心に多くの方が保久氏の話に聞き入っていた。時代が平成の世になったとはいえ、会津人にとってお殿様から聴くお話は、私には想像のつかない有り難いお話と映ったのたろうか?

レバンガ北海道 パブリックビューイング 3

2015-11-27 22:44:18 | スポーツ & スポーツ観戦
 なんとも重た~い雰囲気が会場内を包み込んでしまったパブリックビューイングだった。惜敗なら会場内が湧く瞬間もあったかもしれないが、完敗ではなす術がない…。やはりスポーツは贔屓チームが勝たねばなりませんなぁ。 

               
               ※ 今回の会場となったヨーロピアンダイニング LUGAR(ルガール)のエントランスです。

 なす術がない、とは今日のレバンガ北海道のような場合を指すのだろう。
 苦戦が予想されていたとはいえ、少しオーバーに言えば第1ピリオドで試合は決してしまったような試合だった。
 試合結果は70 対 89 と19点差をつけられての敗戦だった。その試合経過を表すと、( 第1ピリオド~16 対 26  第2~20 対 22  第3~12 対 21  第4~22 対 20 )という試合経過だった。
 第1ピリオドに10点という大差をつけられ、その後その差が徐々に開いていくという試合展開で、おそらく日立側から見ると非常に楽な試合展開ではなかったろうか?
 第4ピリオドに若干意地を見せた格好であるが、それも試合の帰趨が決まって、日立がペースを落としたためのように思われた。

               
               ※ 会場内は100人弱か? 意外に少ない感じ出した。

 会場が沸いたのは試合開始後の2~3分だけだった。そこまではまだシーソーゲーム的だったからだ。
 今回のパブリックビューイングは、CS放送を利用したものだと思われるのだが、放送のアナウンスを消して、会場内のMCの応援実況に折茂選手の解説が入るという形で進められた。二人は私の席のすぐ後ろに陣取って話されていた。
 その折茂選手の解説が非常に自チームに厳しい解説をするのだ。
 折茂選手が特に指摘していたのが、レバンガはオフェンス(攻撃)のときに、ボールをインサイドに入れることがほとんどできていないという点だった。そのため、ゴールはいつも外側からねらう形となり、得点が伸びないということを強調していた。

               
               ※ 私の席の後ろでMCの方と折茂選手(左側)がトークを繰り広げました。

 試合前、折茂選手は非常に明るく、軽快なトークを展開していたのだが、試合が始まると一変、自チームの力の無さを強調し始めた。その口調は会社の経営者としての立場はどこかへ行ってしまい、完全にチームの選手として、あるいはチームの大黒柱的として、選手たちの不甲斐なさを遠慮なく指摘する口調だった。
 それはまるで、折茂選手がいくつになってもバスケット小僧だということを如実に物語っているかのようだった。

               
               ※ ハーフタイム時にはちょっとした抽選会が行われました。

 これまでパブリックビューイングではサッカー、ラグビーと体験してきたが、やはり会場内が盛り上がるのは、当たり前だが贔屓のチームが相手より上回っている場合であるが、ときには健闘したり、惜敗したときで自チームに大きな声援が送られる。今回はそれすらもなかったのが残念だった。
 バスケットボールのゲームそのものは非常にスピーディで観る者を楽しませてくれるのだから、レバンガの選手たちの奮起を期待したい。

 ということで、せっかくのビールもいつもよりちょっと苦味の効いたビールとなってしまった…。

               
               ※ ピザを一口食べて、ビールも一口飲んでから、あわててシャッターを切りました。

レバンガ北海道 パブリックビューイング 1

2015-11-27 18:20:03 | スポーツ & スポーツ観戦
 ススキノにある「ヨーロピアンダイニング ルガール」というお酒も提供されるレストラン風の店に来ています。

 というのも、これからこのお店でレバンガ北海道の戦いぶりを中継放送するパブリックビューイングが行われるのです。

 なんでも体験してみたい私はその目的のためにだけススキノにのこのことやってきたというわけです。

 今夜のパブリックビューイングは、レバンガ北海道の社長であり、しかも現役選手でもある折茂選手が怪我のためチームに帯同せずに、解説をしてくれるというのも楽しみです。

 これからビールで喉を潤しながら、試合開始を待とうと思います。

 本日の対戦はレバンガ北海道が苦手(?)とする日立サンロッカーズです。しかも日立のホーム、東京墨田体育館での試合です。厳しい戦いが予想されますが、精いっぱい声援をおくろうと思います。

 その様子は帰宅してからレポートすることにします。

パリ・ミュゼット 素敵な音に出会った!

2015-11-26 22:06:06 | ステージ & エンターテイメント
 どこかに懐かしさを感じさせながら、賑やかに、華やかに、時に哀しく奏でるパリ・ミュゼット…。素敵な音に出会った! 満員の聴衆はきっと私と同じ思いを抱いたに違いない。そんなパリ・ミュゼットの音だった…。

               
               ※ 演奏中の写真はNGなので、出演前の赤れんが庁舎のステージを撮った。

 11月22日(日)午後、今年の「アートパフォーマンス in 赤れんが」の第1回のステージがあり、道庁赤れんが庁舎(北3西6)に駆け付けた。
 今回のパフォーマーは、「バル・ミュゼット楽団 La Z0ne(ラ・ゾーヌ)」というグループだった。
 彼女たちは陽気な音楽と共に入場してきた。その音は古きパリの街中から流れてくるような懐かしさを感じさせる音楽だった。
 彼女ら、と表現したがLa Zoneは女性ばかりの5人のインスツルメンツのグループだった。
 
 ところで「パリ・ミュゼット」とは、資料によると20世紀初頭のパリで大流行した、アコーディオン中心のアンサンブルによって演奏される大衆音楽とあった。当時のパリ庶民は、軽快でありながら哀愁を帯びたこの音楽が流れるガンゲット(ダンスホール)やバル(ダンス酒場)で、踊り、語らい、そして酒を飲み交わしたという。
 だから、パリ・ミュゼットとも、バル・ミュゼットとも称するようだ。

                 
                 ※ 彼女らのセカンドアルバム「札幌バルミュゼット」です。

 楽器の構成は、ボタンアコーディオン、ピアノ、バンジョー、クラリネット、パーカッションの五つの楽器で構成されている。
 パリ・ミュゼットで特徴的なのは、ボタンアコーディオンである。このアコーディオンの独特の奏法がパリ・ミュゼットを特徴づけていると言える。
 そのボタンアコーディオンを担当するのが、リーダーの長峰久美子である。彼女は独学でアコーディオンをマスターしたらしいが、続いてパリ・ミュゼットの特徴の一つであるキャブレット(バグパイプ)も自分のものにしたという。その上、現在は音楽文化政策の研究のため北大大学院にも籍をおいているという努力家のようだ。

 よく調べてみると、La Zoneのコアのメンバーは、ボタンアコーディオンの長峰、ピアノの三重野直美、バンジョーの小林朋子の三人のようだ。クラリネットの長崎亜希子、パーカッションの佐藤いずみはサポートメンバーということだ。この日はさらにヴォーカルとしてダイナマイトあさのという男性ヴォーカルがサポートとして加わっていた。この佐藤がいい味を出していた。

                  
              ※ コアの三人メンバーです。写真でお分かりのようにけっして若い方たちではありません。

 パフォーマンスは約1時間、アンコールも含めて8曲を披露してくれた。曲名は一応メモしたのだが、十分に聞き取れなかったこともあり割愛することにする。
 私が魅了されたパリ・ミュゼットとはどんな音楽なのか?ユーチューブを検索したところたくさんあったのだが、残念ながら当日演奏した曲を探し出すことはできなかったが、その雰囲気を良く伝える「J'AI MA COMBINE」という曲を聴いていただきたい。

 La Zoneはパリ・ミュゼットを専門とする楽団としては国内唯一のグループということだが、その実力は十分で2010年にはパリ公演も果たしているという実力派である。
 すっかり魅了された私は彼女らのライブを探してみた。すると、メンバーの三重野を店長とする「ガンゲット・ガイマ」というライブ居酒屋を開いていることが分かった。
 いずれ彼女たちの本拠地にお邪魔しようと思っている。

地球の深部を探る

2015-11-25 21:58:02 | 大学公開講座
 理系の先生のお話をうかがっていると、いったいこの方の頭の中はどうなっているのだろう? 研究をされていて何が面白いのだろう? と思うことがある。本講座がまさにそれだった.凡人の私にはチンプンカンプンの講座だった…。 

 なかなかレポできずにいた講座だった。いっそ止めてしまおうか、とも思ったのだが、それも情けない話だと思い直し、敢えて分からない話をレポすることにした。
 
 私は北大の総合博物館が開催する「土曜市民セミナー」を一昨年くらいから都合がつくかぎり受講するようにしてきた。博物館の主催であるから、当然のように理系の話が主なのであるが、これまで受講した際の話はなんとか付いていくことができた。しかし、今回は完全にマイッてしまった。
 11月14日(土)午後、「地球深部にひそむ隕石をさぐる」と題して、北大総合博物館の山本順司准教授が講義した。山本准教授の専門は「固体地球惑星物理学」だそうである。他にも複数あるようだが、これだけ聞いても私の頭はクラクラっとする。

               
               ※ 講義をする山本准教授です。

 さて、そんな山本氏の講義の中で、私がメモをし、なおかつ多少とも理解できたことについてレポすることにしたい。
 まず、私たちの住む「地球は隕石でできている」ということである。
 その隕石の構成は、鉄隕石が6%、石鉄隕石が2%、石質隕石が92%の割合らしい。そしい石質隕石のうちコンドリュールという物質を含むエイコンドライトが8%、それを含まないコンドライトが84%ということだが、このあたりから私の頭の中では拒否反応が起こってきたようだった。
 なお、私のメモによると、一時ヒーローともなった「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」から持ち帰った微粒子は地球のものとは異なるコンドライトであることが確認されたそうである。(と私のメモにはあるのだが、はたして正確か?)

 地球の生成であるが、古来(40数億年前)宇宙空間に漂っていた小さな隕石が衝突や合体を繰り返しながら、現在のような地球が生成されたと考えられているということだ。その生成過程において、重いものから順次、地球内部に沈んでいき、内核・外核・マントルというような地球内部が構成されたという。
 なお、隕石の衝突時に隕石内部に含まれていた二酸化炭素・水・窒素などが放出され、それが地球の大気を生成していったと考えられているそうだ。
 
 太陽系の他の惑星も生成過程については地球同様であるということで、木星などは厚い大気に囲まれていて、その大気を含めて私たちは木星の形を認識しているということだった。

                  

 私がかろうじてメモし、理解できたのはここまでである。山本氏の研究は、地球内部のことを調べることによって地球の生成過程を探求することらしいが、地球の中心まではおよそ6,300kmといわれている。現在、人間が機械で到達できているのは1万m内外である。
 未知のことを探求するのが科学の世界の研究者たちの使命なのだと思うが、手の届かない世界を相手にする研究っていうのは、いったいどのような感覚なのだろうか?
 難解な故、またやりがいも大きいということなのだろうか??

 いやいや、私にとっては難解すぎる講座でした。はい。

映画 144 ガイアシンフォニー & 瀧村仁監督

2015-11-24 22:56:42 | 映画観賞・感想

 龍村監督は饒舌だった。映画「ガイアシンフォニー(地球交響曲)」の舞台裏を、ご自身を、制作の苦労話を、一見脈絡なく、しかしエネルギッシュに語った。 

                    
                    ※ 地球交響曲第八番のポスターです。

 良い映画は何度観てもいい!
 先月、恵庭市まで行って観た「地球交響曲 第八番」(その際の投稿はこちら ⇒ 前編 後編)を札幌でも上映するということを耳にして、私は再び出かけることにした。それは観賞代が無料だったということもあるが、監督の龍村仁氏の話が聴けるということが大きな引力だった。
 その映画会は、11月21日(土)夜、西区にある「浄国寺」という曹洞宗の寺院本堂で行われた。
 1ヶ月ぶりに観る映画は少しも色褪せることなく、素晴らしい映像と共に、樹の精霊と対話し続ける7人の方たちをドキュメンタリータッチで、ある意味淡々と追いかけるところに一種の説得力を感じた。
 そして今回改めて気付いたことだが、ナレーターの榎木孝明(俳優)の声が効果を発揮していることを感ずることができた。

 映画が終わると、小柄な龍村監督がジーンズをはいたラフな姿で登場した。
 龍村監督は話したいことがあり過ぎて、何をどのように話したらよいのか、整理がつかないままに話し始めたようだ。話はあちこちと飛んだが、私なりに聞き取り、メモできたことを整理してみたい。
 
 龍村監督を知る人にとっては周知の事実であるが、NKKのディレクターとして活躍していた時に、その作品を巡って上層部と衝突し、最終的には解雇という形でNHKを辞めた方である。
 そのため、ドキュメンタリーの作家として自らの思いを表出する手段として映画が最も適切だったと話した。それは映画の場合は、制作した映画を自主公開映画方式によって制作資金を回収するという方法が可能だったから、と龍村氏は述べた。なるほど、私が過去に観た「地球交響曲」の第五番、第七番、そして今回の第八番も全て、映画館ではなく自主公開方式の映画を観ていた。

               
               ※ 浄国寺で講演する龍村仁監督です。

 龍村氏は言う。「こんな地味な映画は、映画館などは相手にしてくれない」と…。しかし、派手ではないが「この世の中、何か変だ。どこか間違っていないか」という問題意識に共感を抱く人たちが彼の映画を今日まで支え続けて来たのだ。
 龍村氏の問題意識。日本人の精神性に関わることで、日本の歴史の中で一万年以上にもわたって栄えた縄文時代の自然と人間の関係性が疎かにされているのではないかという問題意識である。
 だから龍村氏は「地球交響曲」の中で、「神道」を積極的に取り上げている。私が観た三作では必ず神道の行事や、民俗信仰・自然信仰の場面が登場し、それが映画全体の中で重要な役目を果たしている。

 参会者の一人が「龍村さんの映画には天川神社が何度も登場するが、何故ですか?」と問うた。すると龍村氏は「天川神社は神社の祭祀など、他のところでは撮影の許可がでないが、天川神社は許してくれるからだ」というちょっと意外な答えが返ってきたが、天川神社での祭祀の様子はいつも厳かな感じが醸し出され、観ている者の背筋がピンとなる思いである。

 齢75歳を数える龍村氏はまだまだ意気軒高である。配布されたパンフレットにコメントを寄せている音楽家で指揮者の小林研一郎氏が「ベートーヴェンの第九交響曲に匹敵する龍村仁の第九交響曲を心から待ち望んでいます」という言葉に私も期待したい思いである。


鳥越俊太郎のポジティブシンキング

2015-11-23 20:14:42 | 講演・講義・フォーラム等
 ジャーナリストの鳥越氏にとっては、専門に関する講演ではないとあってどこかリラックスしたままの90分間だった。4度の癌の手術を乗り越え、75歳を迎えた鳥越氏からはどこか達観したような姿勢がうかがえた。 

               

 11月21日(土)午後、札幌グランドホテルにおいてJTB旅行文化講演会が開催され、知人たちと共に受講した。講師はジャーナリストとして名高い鳥越俊太郎氏で、演題は「スーパーポジティブに生きる」というものだった。

 冒頭、鳥越氏は「今ここに立って、何を話すかまったく考えていない」と語った。私にはその言葉が案外本音ではないか、と思えた。というのも、「旅行文化講演会」である。主催者からは、旅行の体験や、ご自身の癌から立ち直った経験を話してくれ、という要請があったのではないか?しかも政治的発言はなるだけ控えてくれ、などと…。
 そうなると鳥越氏にとっては気楽である。与えられた90分間を軽~いお話をして過ごせば、少なくない講演料が得られるというわけだからだ。
 と思えてしまうほど、私には緩~い話に聞こえてきた。鳥越氏にはいささか失礼とは思うが、そう聞こえて来たから仕方がない。

 鳥越氏は最近の自らの旅行体験であるエーゲ海や地中海のクルーズ体験を語り、クルーズの旅がいかに快適であるか、を滔々と語った。旅行会社JTBを意識したものと解されるが、「ちょっと待ってくれよ」と横やりの一つも入れたくなった。
 クルーズの旅など、我々庶民にとっては高根の花である。三百人くらいいた聴衆の中で数人くらいには興味ある話だったかもしれないが…。

 というような、私にとっては聞いても聞かなくとも良い話が続いた中で、鳥越氏が唯一話そうと用意してきていたのではないか、と思われる話題について触れた部分があった。
 それが、鳥越氏がこれまで生きてきて、仕事を通してさまざまな体験をしたり、癌を患ったりする中から導き出されたことなのだと思われるが、「人生、楽天的に生きる」ことだという。
 楽しく、前向きに生きることによって体の「免疫力」も高まることは病理学的にも証明されていて、鳥越氏の場合も免疫力を高める生き方をしてきたことが、癌を克服することに繋がったのではないか、という。

               

 「人生、楽天的に生きる」こととして、鳥越氏は三つのことを意識しているという。それは、(1)努力をしない。(2)いい加減に生きる。(3)なんとかなるだろうと考える。という三点だそうだ。

 生き馬の目を抜く、と言われるようなメディアの最前線で生きて来た鳥越氏がそのように生きてきたとは露ほどにも思わない。むしろ、まったく正反対の生き方を長年されてきたと思う。
 そのように生きてきたからこそ、そして癌という大病から回復した今だからこそ、そうしたことが言える心境となったのではないか。
 そして、それは聴衆の大多数を占めたシニア層への応援歌でもあったのかもしれない…。