これ以上は望めないほどのベストポジションで第30回朝日新聞HTB花火大会を堪能してきました!
何にでも物見高い私ですが、花火大会からは足が遠のいていました。
札幌に転居しておよそ2年半、これまで5回のチャンスがあったのですがどうしても「見物しよう!」という気持ちになれないでいました。
それはあの群衆の中に身をおくことの辛さに耐えられる自信がなかったからです。
※ ビルの下はご覧のようにびっしりと大観衆が・・・
ところが今回、高校時代の友人から突然電話が入りました。
「会社の屋上を開放することにしたのでぜひ来てみないか」というお誘いでした。
それはチャンス!とばかりに今夕妻を伴ってお誘いに甘えました。
その会社は豊平川河畔の南大橋のたもとにあり、花火の打ち上げ場所が目と鼻の先にあるという絶好の場所でした。
地上5階のビルの屋上はまさにベストポジションです。ビルの下は観衆が押すな押すなの人で大賑わいでしたが、私たちは椅子を与えられてまるで別天地。
※ 私たちが花火を楽しんだビルの屋上です。
午後7時45分、花火大会が始まりました。
眼前で鮮やかな色彩の花火が次々と炸裂します。
花火が打ち上がるところから、火花が夜空に消えるまで全てを見通せます。
息もつかせぬ早撃ちのあとにはため息とも、嘆声ともつかぬ声が周りからもれます。
※ 比較的良く撮れたものでこの程度です。(クシュン・・・)
※ 仕掛け花火ですが煙の向こうに富士山が煙っています。
約1時間、3,000発の花火が夜空に消え、泡沫のひと時が終わりました。
私はほんとうに久しぶりの花火を堪能することができました。
その鮮やかさを切り取り、ブログで伝えようと思いましたが、悲しいかなその腕がありません。まったく雰囲気を伝えることができない写真となってしまいました。
皆さんに伝えることはできませんでしたが、私の瞼にはしっかり焼き付けることができました。
このような素晴らしい機会を提供してくれた友人に心から感謝です。
ありがとうK君!

アリスは若き日に私を熱くさせてくれた一人(一組)に間違いない。そんなアリスに関して忘れられないエピソードが私には二つあります。
振り返ってみるともう三十数年前のことになります。
私は小学校の教師として4年生を担任している時でした。
学期の終わりに子どもたちに計画・準備させて「お楽しみ会」を行いました。
ふだんの厳しい(?)指導が子どもたちに浸透していたとみえて、子どもたちはあまりハメを外すことなく、控えめに楽しんでいるように私には映りました。
私は子どもたちに「お楽しみ会なんだから、もっともっと楽しんだら?」と云いながら、持参のテープをラジカセにかけ「あなたは稲妻のよ~に♪」といきなり歌い出したら、子どもたちは一瞬きょとんとしましたが、その後から大歓声で手拍子を打ち大喜びでした。
その後からは「お楽しみ会」が盛り上がったことは云うまでもありません。
時代的には同じ頃の話です。
自分が住んでいた街ではありませんでしたが、高校時代の同級生の所へ遊びに行くと決まって誘ってくれたスナックがありました。
そこのスナックのマスターは一時歌手を志したことがあるということで、客がカラオケでコーラス曲を歌うとドラムを叩きながらハモってくれました。
そのスナックで私は決まってアリスの曲を何曲も歌いました。
するとマスターが必ずハモってくれるのですが、彼がこぼすのです。
「お客さんは主旋律を歌っていたかと思うと、突然副旋律に移るので大変です」と…。
私がアリスの歌を覚えるのはレコード(CDではありませんよ!)からです。すると、耳から入ってくる音が、時には副旋律の方がよく耳に届いてくる場合があったのです。(そんな覚えありません?)それくらいアリスのちんぺいとべーやんの歌声は微妙なバランスの上に成り立っていたとも云えるのではないでしょうか。
そんな他愛ない昔のことを想い出させてくれた今回のアリスの復活ライブでした。
全国40ヶ所のツアー終了後は、またそれぞれのソロの活動に戻るということです。
これまでも何度か復活したアリスですが、この後再びの復活ははたしてあるのだろうか・・・。
私が最悪と評するその道路は北二条の北大植物園の脇を通る歩道です。
その歩道は凝りすぎた造りになっているため、かえって歩きにくくなった道路であると私は見ていました。
北二条通り~SAPPORO ROMANET~がどのような造りなのか描写してみることにしましょう。(うまく伝わるでしょうか?)
歩道全体は花崗岩を小さな正方形にしたものを埋め込んでいます。その成型は意図的なのでしょうか、表面が滑らかではなくゴツゴツしているものですから歩きにくいことこのうえありません。

※ 比較的状態の良いところを写したものです。ここで黒く
見える石はアクセントとして配置された石です。
さらに歩道にアクセントをつけるためでしょうか、ところどころに斜め状に鉄平石を敷いています。

※ 歩道の左脇と中央を斜めに鉄平石が敷き詰められています。
確かに無味乾燥な歩道が多い中では美的な効果をねらったのかもしれません。
まさにROMANET(この言葉はRomanticとNetworkとの合成語のようです)な通りを思い描いたのかもしれません。
ところが、正方形の花崗岩は隙間無くびっしり埋め込んだのとは違い、石と石の間に多少の隙間を作りながら埋め込まれているため石が何かの関係で抜けたり、欠けたりすることがあるようです。また、鉄平石も丈夫なものではありませんから割れたり、剥がれたりしてきます。そうしたところは応急的(?)にアスファルトを埋め込んでいるので、歩道のあちらこちらが痘痕(あばた)のようになっています。

※ 大きく黒くなっているところはアスファルトで補修したところです。
これでは美的な歩道どころか、醜悪な歩道となってしまっていました。歩きにくく、醜悪に見える歩道では最悪と云わざるを得ません。

※ こちらはさらに広く補修したために醜いばかりです。
調べてみると国土交通省の肝いりで札幌市建設局土木部が取り組んだ事業とのことです。
私が見たところでは普通の歩道よりはかなりの費用を要して造られた歩道のようです。
しかし、今・・・。
この歩道をバリアフリー化のためと称して(盲人用の点字ブロックを敷く)、全ての石を剥がしてごく普通のコンクリートブロックを並べた歩道に切り替える工事をしています。
あゝ、なんて無駄なことをしているのでしょう・・・。

※ 一部改修を終えた北2条通りです。スッキリしていますね。
アスファルトで塗り固められた歩道が良いというわけではありませんが、道路は私たちが移動する場であるはずです。だとしたらその機能性を第一に考えてほしいものです。その上に立って、心地良く使うためのデザインや色、素材など考えるべきなのではないでしょうか。(と田舎おじさんは珍しく意見文を投稿したのでした。)

※ 今回のツァー「ALICE LIVE ALIVE 2009」のポスターです。
記録によるとアリスのデビューは1972年の「走っておいで恋人よ」です。
私もこの歌は知っていますが、いわゆるカレッジフォークぽい曲です。
先日のライブでも第一部で歌われた曲はこうした傾向の曲がほとんどでしたが、この頃の彼らは鳴かず飛ばずの状態でした。
そうした中1977年、曲想をガラッと変えた「冬の稲妻」で大ブレークするのです。
以後は、リード文でも紹介したようにメガヒットを連発し、ニューミュージック界に一時代を築いたのでした。
さてなぜアリスは時代に受け容れられたのでしょうか?
一つは一連の曲に共通するビートの利いたアップテンポの曲調(専門用語ではドライブ感って言うのでしょうか?)がフォークぽい曲に飽き足らなかった層に歓迎されたということでしょう。そういう意味ではアリスの中で存在感が薄く思われがちなドラムスの矢沢透ですが、彼の存在は大きいといえます。
二つめには何と言っても谷内新司と堀内孝雄のツインボーカルの素晴らしさでしょう。
金属質の谷内の声と野太いまでの声質の堀内という全く異なる声質の二人が奏でるハーモニーが絶妙であったといえるでしょう。
当時、彼らに憧れてNHKのど自慢ではよく男性ディオが出場し、彼らの歌を歌っていたように記憶しています。
また、それぞれの特質を生かしたソロの曲もまたアリスの魅力の一つでした。
彼らの歌(詩)に私はあまりメッセージ性を感じません。
彼らと同世代の団塊の世代は、豊かさが実現した日本の中で育ち、ライフスタイルにカッコ良さを求めた世代だったように思います。
そうした時、アリスはドライブ感の溢れるビートの利いた曲をツインボーカルで歌い上げる様がまさにカッコ良く彼らには写り(もちろん私にも)、多くの若者から支持されたのだと思います。
アリスのことといえば、私には二つのエピソードが思い出されます。その話はまたブログの話題が尽きたときにでも・・・。
えっ!?
今朝の私のブログへの訪問者数(IP)を確認すると340をカウントしていました。
昨日290を数えて新記録を喜んでいたところでしたのに、いきなり50の上積みです。
要因を考えると、アリス、そしてフォークジャンボリーとステージ関係の話題だったからでしょうか?
6月下旬くらいから訪問者数が常時200を超えるようになって手応えは感じていたのですが、この2日間の数は驚きです。みなさんに関心をもっていただいたことを嬉しく思うとともに、アクセスいただいたことに感謝します。
でも一度こんな数字をカウントすると、200を切った数字が表示されるとガクッとくるんでしょうね…。
またまた雨…。
しかし、キタオンのステージには夏川りみ、伊勢正三、太田裕美、大野真澄、加藤和彦、そして南こうせつの懐かしい歌に、おとうさん・お母さんたちは酔いしれたのでした。そしてサブライズが!

※ ブロガーには厳しいご時世です。どこのコンサートも写真
はご法度です。前唄なら許されると思い一枚パチッと。
アリスの余韻も冷めやらぬ中、またまた懐かしコンサートに参加してきました。
毎年、南こうせつを中心にして岩見沢公園野外音楽堂キタオン(場所はこちら⇒)で開催されていたフォークジャンボリーにいつかは参加したいと思っていました。
妻が重い腰を上げたこともあり、二人して参加してきました。
ところが…。天候は降ったり、止んだりの雨模様。
会場にはカラフルな雨具の花が咲いて…。(傘の使用は禁止です)
ややばっちい感があったものの、彼らの歌を十分に楽しみました。

※ 雨が上がっていたときの芝生席の様子です。
夏川りみの透明感のある高音はいつ聴いても心の奥底にまで響いてきます。
元かぐや姫の伊勢正三、元ガロの大野真澄、そして太田裕美の三人は「なごみーず」というグループを結成して活動しているとのこと。三人の昔のヒット曲をなごみーずバージョンで聴かせてくれました。
そして元フォーククルセーダーズの加藤和彦は、フォークル時代の歌やソロ活動で創った歌を大人の歌い方で披露しました。
最後は大御所南こうせつの登場です。60歳を超えているというのに彼の高音のキレは相変わらずです。相当のトレーニングと節制をしているせいでしょうか。

※ 同じ角度から雨が降っているときの芝生席の様子です。
ここでサプライズがありました!なんとあの「松山千春」が登場したのです。
千春が登場すると、ステージは一気に千春ワールドです。千春節炸裂で会場を沸かせてくれました。彼の好き嫌いは分かれるにしても、その存在感は抜群です。彼の持ち歌「長い夜」と、かぐや姫の「神田川」の2曲を歌っただけだったのですが、南こうせつもすっかり喰われた形となってしまいました。
初めて参加したフォークジャンボリーでしたが、特に芝生席はピクニック気分で参加する観客が多かったようです。クーラーボックス持参でビールや食料を持ち込んで家族や仲間で楽しんでいる姿が目立ち、中には大きなテーブルを広げたグループもいましたよ。
私たちも負けじと売店で生ビールやつまみを購入し、ピクニック気分を味わいました。

※ テーブルを広げて、完全にピクニック気分のグループです。
次回は(次回があるのかな?)友だち夫婦を誘って、私たちもクーラーボックス持参で参加してみようかな、と思ったフォークジャンボリーでした。
初めての厚別競技場でのボランティアでした。
あいにくの雨の中での対岡山ファジアーノ戦、勝利したから良かったもののどっと疲れた雨中のボランティアでした。
7月の休日は他のスケジュールが詰まりなかなかコンサの試合に足を向けることができませんでした。(その間もコンサの戦績はパッとしませんでしたが…)
25日は今季3度目のボランティアでしたが、厚別競技場(場所はこちら⇒)は初体験でした。
青空の下でのサッカーは大歓迎ですが、雨の中はいただけません。
大雨ではなかったものの試合開始直後から止むことなく雨は降り続けました。

※ ご覧のように会場内はコンサ仕様の真っ赤なポンチョで埋まりました。
担当任務はアウェイ側のSB自由席ゲートのチケットチェックです。
コンサ仕様のポンチョに身を包み任務に励みました。
比較的観客が来ないゲートでしたので(これも観客動員に悩むコンサとしては辛い話なのですが…)チケットチェックをしながら、試合も横目で観戦することができました。

※ 担当業務に入る前準備体操をして体をほぐします。
今季のコンサとしては珍しく2点先制し、その後1点取られたら1点取り返し、さらに1点を献上した後にも1点を取るという試合運びでヒヤヒヤドキドキすることなく4対2で久しぶりの勝利を手にすることができました。
しかし、2点差の勝利とはいえ相手に2点を献上しての勝ちはいただけません。同じ2点差の勝利なら2対0で勝ってほしかったと思います。(チームを愛するが故の辛口批評です)
ボランティアはここからが大変。
観客が退場した後の会場清掃です。
観客のマナーが向上しているとはいえ、会場を一周して観客の残したゴミの整理です。
一般席はほとんどゴミはなかったのですが、声をからしジャンプして声援を続ける熱烈サポーター席のペットボトルが目立ったのが残念でした。
この清掃時にこれまで濡れていなかったズボンの裾が雨にさらされました。
立ち番(チケットチェック)で疲れた身体を鞭打って、雨に濡れながらの清掃作業はおじさんの身体には相当のダメージでした。
どっと疲れて帰宅したのですが、これからも愛するコンサのためにささやかな協力を惜しまぬつもりでいます。

※ 同じく試合前、コンサドールズはダンスのチェックをしていました。
20数曲を熱唱し、超満員の2300人のファンは彼らの声に酔った一夜でした。
行ってきました!「ALICE LIVE ALIVE 2009」
会場の札幌厚生年金会館には30数年前にアリスとともに青春時代をおくったおじさん、おばさんたちが全道各地(いや全国からも)詰め掛けました。
概観すると女性の姿が目立ちます。夫婦ペアの姿もけっこういたようです。また、会社帰りのスーツ姿の人も目に付きました。

※ 全席指定席でしたが長蛇の列ができた会場前です。
開演時間、アリスの三人は舞台袖から谷村新司の「ただいま~」の声とともに現れました。
聞くと1980年10月31日、アリスは札幌の地で解散ツァーの最後を飾ったとのこと。以来28年間の長い時を経て、今度は札幌をスタートの地として全国40ツァーを敢行するとのことでした。
ステージが始まりました。ところが…。
最初の数曲は相当なアリスファンでなければ聴いたことのないアリス初期の歌が続きました。私もそうですが、会場全体も少し戸惑っているような雰囲気でした。
会場が沸いたのは堀内孝雄の「左利きのあなたの手紙~♪」で始まる「終止符」の音が流れたときでした。
第一部はいわゆるアリスサウンドが誕生する前の彼らがブレークする前の初期の歌がほとんどだったこともあり、会場内は比較的静かでした。

※ 開演中はもちろん撮影禁止です。開演前に一枚撮らせ
てもらいました。
第二部、こちらは最初からアリスサウンド爆発です。
「今はもう誰も」「狂った果実」「ジョニーの子守唄」「冬の稲妻」「涙の誓い」「BURAI」…。
会場は総立ちで彼らの歌に手を合わせます。誰もが自らの青春に重ね合わせながらひと時を酔っていたようでした。
谷村新司の「帰らざる日々」、堀内孝雄の「遠くで汽笛を聞きながら」の名曲も現役感いっぱいの歌声を聴かせてくれました。
最後は彼らの最大のヒット曲(?)「チャンピオン」で締めてくれました。
彼らが30年前、なぜメガヒットを次々と打ち出せたのか?
あるいは異論百出するかもしれませんが、ちょっと考察してみたくなりました。
それは次回の投稿とします。
そこは私にとって極上の書斎である。
そこは私しか知らない(わけはないのだが・・・)、私一人が寛いでいる極上の書斎なのだ。
今年4月から私の職場の昼食・昼休み時間が45分間から1時間に延長されました。
15分間の延長によって昼休みの過ごし方が変わってきました。
これまでなんとなく慌ただしかったものが、どことなくゆとりが出てきて「さあ、どうして過ごそうか」ということになってきます。
私は以前にもちょっと触れましたが、この時間を歴史小説を読む時間にあてています。
その読む場所なのですが・・・。
※ ご覧のようにナラの大木が頭上を覆い尽くしている通りです。
最近、天気の良い日には決まって出かける場所があります。
そこは私の事務所が入居するビルの横なのです。
横と云ってもそこは歩道上に設けられたレンガの囲みのところです。
※ 私の定席はナラの木の根元の、車が停まっているあた
りの角のところです。
頭上をナラの大木が覆い、いくら天気が良くても陽射しは遮られます。まして辺り一帯をナラの木が覆っているために空気自体がひんやりと自然のクーラーが効いているように心地良いのです。まさに極上の空間といえます。
私はレンガの上に腰を下ろし、おもむろに読書を始めるのです。
周りを人が行き来し、車も通ります。しかし、気にしません。誰一人私を知っている人などいないのですから・・・。(都会は匿名社会とも云われますが、このことを悪用するのは問題ですが、こうしたことでは許されますよね。)
※ このようにレンガの上にハンカチを敷いてしばし寛ぎます。
今日も約30分、「徳川家康」の世界に浸りました。
松平八千代から、元服して松平元信となり、いよいよ独り立ちして家康ワールドが展開されようとしています。
これからも天気の良い日は極上の書斎で読書を楽しもうと思っています。
(余話)
いよいよ今夜、アリス復活ライブです。
退勤の途上、会場の厚生年金会館の前には地方から来た中高年の女性でしょうか、開場までまだ3時間近くあるというのに会場の周りで写真などを撮っている姿がありました。
彼女たちも期待で待ちきれないのでしょう。私も彼女たちに負けないように楽しんできたいと思います。それでは!
コースの正式名東区・美香保公園・大学村の森・北園公園コースB-2(コースマップはこちら⇒ 約4.3Km)は、スタート&ゴールを地下鉄「元町」駅とする周回コースです。

午後の陽がじりじりと照りつける中、元町駅をスタートしました。
スタートしてほどなく住宅街の中に「北園公園」がありました。この公園は札幌市内では最初の冒険公園として造られた公園だそうです。
なるほどカラフルな遊具や大型の遊具がたくさんあり、子どもの冒険心をくすぐりそうです。暑さにもかかわらず、たくさんの子どもたちが遊具と格闘していました。


北園公園を過ぎると、東区の住宅街をジグザグに進みますが、これといって特徴のない平凡な街並みが続きます。暑さで注意力も散漫になっていたのでしょうか、面白い光景を発見することもありませんでした。
そうこうするうちに「大学村の森」に到達しました。
明治時代、周辺には札幌農学校の農場が広がり、現在の「大学村の森」辺りは教官の宿舎があったところだそうです。貴重な自然が残されていたため札幌市が都市緑地と整備して今に至っているようです。これまであった自然をそのまま生かすように配慮さたれ緑地(公園)づくりがなされているように感じられました。


大学村の森を過ぎると、もう見るべきものもありません。一路ゴールの元町駅を目ざします。
元町駅近くになって「東区体育館」と人形劇の専門劇場「やまびこ座」があります。
「やまびこ座」は以前訪れていましたので、体育館を覗いてみました。ちょうどバスケット大会が終わった後で、アリーナは閑散としていました。


東区のウォークはこれからですが、これまで3コースを終えてみて、東区は高低差もなく川もない地区で、典型的な住宅地域のようです。こうしたところで特徴あるウォーキングコースを設定するには苦労が多かったのでは、と想像してしまいます。
これからの東区のコースには興味のあるところも登場してくるのでしょうか?
《ウォーク実施日 ’09/07/12》
(余話)
アリス復活ライブ in 札幌がいよいよ明日に迫りました。
アリスの面々も、そして迎える私たちもそれぞれ年齢を重ねました。
はたしてどのようなステージが実験するのでしょうか?
興味津々!期待ワクワクです!
栄西まちづくりセンターからつどーむに至るコースは通称ナナカマド並木と称されているようですが、ナナカマドは街路樹としての存在感が小さいなぁと思いながら歩を進めました。
つどーむ・ひのまる公園・百合が原公園コースC-3(コースマップはこちら⇒ 約2.3Km)はスタート地点の栄西まちづくりセンター(栄42条会館)からつどーむ(札幌市スポーツ交流施設)に至るコースです。

主なコースはナナカマド並木と称する地下鉄「栄町」駅に通ずるメインストリートです。
確かにナナカマドが植わってはいるのですが、他の並木道のように街路樹としての存在感が薄く感じられます。ナナカマドの葉は大きくなく、木自体もまだ若いためかと思われます。

このあたり一帯は以前「烈々布(れつれっぷ)」と呼ばれていたところで、コース途上に「烈々布神社」というなかなか立派な神社がありました。

その道路向かいには「ひのまる公園」という自然林を残した野趣豊かな公園がありました。
ところで「ひのまる」という名称に興味を惹かれ、少し調べました。
すると明治時代にこの地域で化学肥料や農機具を手広く商っていた「日の丸商店」の店主松本菊次郎という人が周辺の土地を譲り受け、化学肥料や農機具の試験場として「日の丸農場」を興し自ら農業に従事したところの一部が現在の「ひのまる公園」となったということが分かりました。
明治時代ならではのネーミングともいえますね。

残念に思われたのはその「ひのまる公園」の横に手つかずに放置されている林がありました。街の中にあってはいかにも不自然です。何か理由があるのでしょうが、住民の安全面からも何らかの対策が施されるべきなのではと思ってしまいました。

やがてコースは地下鉄「栄町」駅付近の繁華街を過ぎ、突き当たったところで大きな屋根のドームが目に飛び込んできます。軟式野球なら十分可能な広さを持つこのドームは各種スポーツイベント、その他のイベントにも多種活用されているようです。
屋内に設けられた一周400mのランニングコースも魅力です。
この日は中古車市が開催されていたようですが、中に入ることはパスしてウォークを終えることにしました。

《ウォーク実施日 ‘09/07/12》