田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

待ってました!小遊三師匠

2016-09-30 20:53:18 | ステージ & エンターテイメント
 いくら周りから揶揄されようが、下ネタ、コソ泥ネタを連発する三遊亭小遊三師匠のシュールなギャグが大好きである。そんな小遊三師匠が札幌に登場した。小遊三師匠をはじめとした江戸落語を堪能した「ちえりあ寄席」だった。 

                                   

 今日(9月30日)の午後、三遊亭一門、桂一門の落語家が登場する「ちえりあ寄席」が札幌市生涯学習センター(通称:ちえりあ)ホールで行われ、私も参加して耳を傾けた。

               

 今年の「ちえりあ寄席」は9月29日から10月2日まで計6回の寄席が設けられ、演者(落語家)が入れ代わり立ち代わり登場する寄席である。今年の目玉は、三遊亭小遊三、三遊亭遊雀、春風亭昇太などである。やはり一番人気は春風亭昇太のようだが、私は迷わず三遊亭小遊三が出演する日を選んだ。

               

 29日(金)の「昼の部」の出演、演目は次の通りだった。
 一. 初天神       桂   竹わ
 一. 庭 蟹       三遊亭 遊里
 一. 堪忍袋       三遊亭 遊雀
 一. 秘伝書~かっぽれ~ 桂   竹丸
    ~ お 仲 入 り ~
 一. 転失気       三遊亭 遊馬
 一. 色 物(曲芸)   鏡味  初音
 一. 引越しの夢     三遊亭小遊三


               

 今回は登場するどの落語家の噺も楽しめることができた。それぞれに個性が感じられ、また江戸落語の場合は特に歯切れがよく感じられ、噺の内容もよく私の中に入ってきた。
 特に私には、前座の桂竹わ、二つ目の三遊亭遊里に続いて登場した三遊亭遊雀の話芸にはさすが真打の芸、と思わせる違いを感じた。

 その後の桂竹丸、三遊亭遊馬もそれぞれ真打の確かな技量を感じさせてくれた。

 曲芸の鏡味初音は若い女性の曲芸師だったが、会場を沸かせたという意味では最も沸かせたかもしれない。日本古来のオーソドックスな曲芸が高齢者が比較的多かった観衆を惹きつけたようだった。

               

 そしてトリとして登場したのが期待の三遊亭小遊三である。
 私は密かに小遊三師匠は、本題よりはマクラにおいてTV番組「笑点」の裏話や、小遊三師匠特有の下ネタ、コソ泥ネタで観客を沸かしてくれるのではと期待したのだが、まったく私の期待は裏切られた。
 ただ、本題へ入るつなぎとして、「私の興味は夜這いにあるのですが…」と笑いを誘いながら、夜這いが主題の「引越しの夢」に入っていったところに小遊三師匠の片りんをみせてくれたと思った。
 地方ファンには、テレビでの顔だけでなく、落語芸術協会副会長としての顔を見せねばならないということなのかもしれない。 

               

 いずれにしても、楽しい笑いをたくさんいただいた「ちえりあ寄席」だった。

 それにしても、ちょっと驚いたことがあった。それは入場の時に受け取った大量の落語会開催のパンフである。こんなに札幌で落語会が開かれるのだと…。いただいたパンフを時系列的に並べてみる。
◇10月 6日 「道新寄席」 柳家花緑
◇10月11日 「大札幌落語会」 桂米團治、柳家さん喬、桂枝光
◇10月16日 「落語会寄席」 落語&お笑い研究会(落笑会)
◇10月30日 「シアターZOO寄席」 桂雀三郎、桂枝光、極楽とん暮
◇11月 5日  「狸寄席2016」 柳家三之助、春風亭柳朝、柳家小菊、オクラホマ
◇11月 6日  「新作落語ができるまで」 三遊亭天どん
◇11月16日 「大札幌落語会」 春風亭昇太、桂枝光
◇11月24日 「歌丸・小遊三・談笑 極上落語」 桂歌丸、三遊亭小遊三、立川談笑
◇11月26日、27日 「秋の札幌で生喬まるかじりの会」 笑福亭生喬
◇11月28日 「大札幌落語会」 柳家権太楼、桂枝光
◇11月30日 「道新寄席」 柳家さん喬
◇ 1月20日、21日 「札幌成金」 桂宮治、瀧川鯉八、柳亭小痴楽、神田松之丞(講談)

 いや~、これには驚きました!特に11月後半はラッシュアワー状態です。あなたはどれをチョイスしますか?

                

今どきの葬儀事情

2016-09-29 19:49:14 | その他
 若いころお世話になった叔母さまが亡くなったという連絡が入った。一昨々日のお通夜から、一昨日の本葬、繰り上げ法要まで、一連の葬儀に出席させていただいた。葬儀に出席する機会の少なかった私の目から見た今どきの葬儀の様子をレポしてみたい。 

          
          ※ 里塚斎場の一角です。静謐で、落ち着いた雰囲気が印象的でした。

 9月26日(月)、叔母さまが亡くなられたとの連絡を受けた。私が若いころはよくお会いすることがあり、いつも優しく声をかけていただいた方だった。最近は残念ながらあまりお会いすることもなくなっていたが、逝去の報に何をさておいても駆けつけることにした。

 翌27日夜がお通夜、28日午前が本葬だった。会場は葬儀業の大手〇〇コ会館である。葬儀は今流(?)の親類と親しい友人のみの家族葬だった。
 〇〇コ会館のお通夜、本葬の取り運び方は、家族の心情に寄り添い、そつなく、滞りなく取り運ばれた。会場の設営、運営には、その端々に企業としてのポリーシー、職員への教育が行き届いていることを感じさせてくれた。

 お通夜の席で、司会の方から個人の来し方が紹介された。
 叔母さまは、早くにご主人を亡くされ、一人娘を育てるためにずいぶんご苦労されたことが紹介された。
 私がお会いするときは、いつも温かな笑顔で接してくれたのだが、その笑顔の陰にはたくさんのご苦労があったことを改めて知らされて、叔母さまの在りし日を想いグッとくるものがあった。

          
          ※ 里塚斎場の入り口です。次々と遺族を乗せたバスが入ってきました。

 火葬場は清田区にある里塚斎場だった。私は初めて訪れたところだったが、大きな森に囲まれ、静謐な雰囲気に満ちたところだった。
 さすが札幌である。里塚斎場には次から次へと、バスが入ってきていた。

 里塚斎場は2009年に大規模改修が行われ、再び供用が開始された斎場ということで、全ての施設・設備が新しく感じられた。
 また、職員の対応も傷心の家族に対しての心遣いがあらゆるところに感じられて、こちらの職員教育も行き届いていることを感じさせてくれた。

          
          ※ 駐車場には遺族の送迎用のバスがズラーッと並んでいました。写真に写った以外にも…。

 今回一連の葬儀に参列してみて、葬儀会場、斎場ともに、遺族の心情を慮った配慮をいたるところに感じることができた。見方によっては、システマチック過ぎるという見方もあるかもしれないが、肉親の死という悲しみに沈む家族に寄り添いながら、滞りなく葬儀を進行させるという仕組みがしっかりと確立されていることを改めて知ることができた。

北海道日本ハムファイターズおめでとう!!

2016-09-28 22:47:00 | スポーツ & スポーツ観戦
 道民として今夜の話題はこれ以外に考えられないだろう! 遂に、遂にメイクドラマ(懐かしい和製英語ですねぇ)を完成させた。今夜はごく一部の天邪鬼を除いて、全ての道民が幸せな夜に浸っているに違いない。私もその輪に加わろう!

          
          ※ 栗山監督の胴上げのシーンですが、上手く撮れなかったのが残念! 

 今夜の対ライオンズ戦は、今年のファイターズの試合を象徴するようなハラハラドキドキの展開だった。なにせ、得点はレアードのソロホームランの1点のみ、それを大谷投手が見事に完封勝利で優勝を決めるというスリリングな展開だった。

          
          ※ 圧巻の一安打完封ピッチングを魅せた大谷翔平投手の表情です。

 6月時点でソフトバンクと11.5ゲーム差がついたときに、誰もがこの差を埋めて逆転することなど夢想にすらしなかったはずだ。それくらいソフトバンクの戦力は充実しているとみられていた。
 ところが6月19日から始まった連勝街道は、あれよあれよという間に15連勝という爆発力をみせ、俄かに優勝戦線が面白くなり、終盤のマッチレースを制して4年ぶりのパリーグ制覇を成し遂げた。

          

 ファイターズの優勝の要因は何だろうか?と私なりに考えてみた。
 まずは何といっても大谷翔平選手の存在だろう。投打に球界の常識を塗り替える活躍ぶりは誰からの異論も許さないはずだ。本当に超弩級の選手がファイターズに在籍していたことの幸運を誰もが感じていると思われる。

          
          ※ あの温厚な武田勝投手が「俺のために優勝しろ!」という檄文がとても印象的だった。

 その幸運はホームラン王を確実にしているレアード選手の存在もまたしかりである。

 好機に弱い弱いと言われながらも打点王をものにした中田選手の存在も忘れてはならない。私もチャンスに打てずに情けない中田選手の姿を何度も目にしたが、それは彼自身が一番歯がゆい思いをしていたはずだ。
 今日の試合でも何度もチャンスが回ってきたが、ことごとく期待に応えられなかった。しかし、その中田選手が優勝が決まる前にすでに感極まっている姿をテレビカメラがとらえた。その姿に、私は彼の心の内を見た思いがした。

          
          ※ 優勝決定の瞬間を写した一枚です。

 そして若手の台頭である。これが今季のファイターズ躍進の最大の原動力かもしれない。
 高梨、加藤、有原らの若手投手の独り立ち、完全に主力の一人にのし上がった西川選手、いぶし銀の活躍を見せ続ける中島選手、入れ代わり立ち代わり現れる若手野手と、次々と若手選手が育っていることがとても誇らしい。

          
          ※ こちらは優勝決定の瞬間、ベンチでコーチと抱き合う栗山監督です。

 そしてそして、最高の殊勲者はやはり栗山監督なのではないのかと思う。
 何といっても、球界の常識を覆す大谷選手の起用法を確立したことだ。球界の姦しい評論家の言に惑わされず、頑なに大谷選手の二刀流を貫き通し、今ではアメリカ野球界でも投打両面で大谷選手を評価していると聞いている。

          
          ※ 優勝監督インタビューで晴れやかな表情を見せる栗山監督です。

 さらには、増井投手の役割をシーズン中に大転換させたことだ。クローザーとして不振を極めた増井投手を、先発投手に配置転換させ、見事に復活させたのは栗山監督の大決断がそうさせたと聞いている。

 栗山監督の采配については、いろいろと異論を挟む人も多いようだ。私もその一人だった。先発メンバーが日替わりのように変わることを好ましくは見ていなかった。
 しかし、そうして起用された若手選手が活躍する場面が今年は特に目立った。岡が、杉谷が、谷口が、レギュラーとはいえないまでも、昨シーズンよりは確実に上達した姿を見せてくれた。

          
          ※ 重責を果たしてホッとしている大谷投手の試合後の表情です。

 唯一、個人的に不満なのは、昨シーズン3割以上を打ち、確実にレギュラーに定着したかに見えた近藤選手の起用法に不満が残った。故障上がりとはいえ、もっと彼を信じて使い続けてほしいと思った場面がいくつもあった。

 ともかく、見事パリーグ優勝という素晴らしい結果をもたらしてくれたことに、ファイターズの関係者すべてに感謝したい。

          
          ※ 胴上げを終え、応援席の歓声に応える選手たちです。

 優勝監督インタビューで栗山監督は、ホーム札幌ドームでのインビューではなかったにも関わらず、最後に「ファイターズの選手たちは北海道の誇りです!」と高らかに言ってくれたことに、栗山監督に深い北海道愛を感ずることができ、見ていた、聞いていた北海道民は誰もが感激したに違いない。

 日本一を目ざしての戦いは、これからまだまだ続くが、今夜は幸せな夜を満喫したい…。


※ 優勝の瞬間、胴上げの様子をテレビ画面から写し撮ろうとしたが、満足な写真が撮れなかったことがちょっと残念です。

大通公園の野外彫刻を見る!観る!視る!

2016-09-27 22:10:39 | 「めだかの学校」関連
  1.  あれっ?どこかで見たようなタイトル名では? それはそれとして私が初めて企画・立案した野外講座である。普段何気なく見ている大通公園に設置されている野外彫刻を、詳しい方にガイドしていただいて、より深く野外彫刻を知り、親しもうと企画した講座だったが、はたしてねらいは達成されたのか? 

                   
                   ※ ガイドの説明を聞きながら大通公園を巡る参加者たちです。

     9月26日(月)午後、「めだかの学校」の野外教室が実施された。
    実施にあたって企画・立案を担当せよ、と代表から指示されて、私としては初めて「めだかの学校」の企画・立案を担当することになった。
     野外彫刻のガイドをお願いしたのは「札幌資料館ボランティア」の方々で、3名の方が協力してくれることになった。
     そして私は行事名を「大通公園の野外彫刻に親しもう!」と名付けて参加者を募るリーフレットを作成した。
     リーフレットには、次のような案内文を付けて募集した。

                   
                   ※ 公園内にある作品の一つ、峯孝作「牧童」です。

     秋も深まった一日、大通公園に遊びませんか?
     公園内にはたくさんの彫刻作品があることは知られていますが、みなさんはそれらについてどれくらいの知識をお持ちですか?
     大通公園には数え方にもよりますが20数体の野外彫刻作品が建っていると聞いています。
     彫刻作品に詳しい方のお話を聞きながら、大通公園を散歩しませんか?
     

     募集の結果、参加を希望する方43名が集まった。

                   
                   ※ こちらは坂胆道作の「石川啄木像」です。

     さて、当日だが企画・立案者としては大きな失敗と評価しなければならないことがあった。それは、当日の大通公園は「オータムフェスタ」の開催中だったことだ。多くの観光客が行き交い、出店した店の人たちが呼び込みをする中での見学会は落ち着いた雰囲気でのものとは到底なりえなかった。
     ただ、担当として苦しいのは、「めだかの学校」の年間計画の中で日程が固定化されていて、私自身がどうこうできる問題ではなかったのだが…。次年度以降への反省点である。

                   
                   ※ 大通6丁目広場に建つ峯孝作「奉仕の道」です。周りの花壇の花がきれいでした。

     それでも、そうした観光客には目もくれず、参加者の方々はガイドの説明に耳を傾けてくれていたようだった。
     秋の気候としては、少し暑いくらいの気温だったが、途中落伍者もなく見学を終えることができたことは何よりだった。

     私自身は、一受講者としてガイドの説明に耳を傾けたのだが、過去に同種の見学会に参加していたこともあり、やや説明が易しすぎたかな?という感想であるが、参加者のみなさんおおむね満足されていたように私からは見えた。

                   
                   ※ 大通公園の花壇の一つにビールの原料のホップがたわわに実っていました。

     初めての企画・立案、そして運営を担当だったが、参加者が満足していたように見えたものの、反省すべき点も多く、今後に生かしていかねばならないと思った。

ジオパークって何?

2016-09-26 23:58:26 | 講演・講義・フォーラム等
 最近になって関係者の間では俄かに盛り上がっている“ジオパーク”だが、いまひとつ一般には浸透していないように感じられる。北海道博物館が主催するフォーラム「ジオパークへ行こう!」に参加して、関係者の話に耳を傾けてみた。 

 9月25日(日)午後、北海道博物館においてフォーラム「ジオパークへ行こう」が開催され参加してきた。

 主催者から先ずガイダンスがあった。
 ジオパークとは?という問いに対して、ジオ(Geo)=地球、大地 それに対ししてパーク(Park)=公園、つまりジオパークとは「大地の公園」が直訳であり、もう少し掘り下げれば「地球と人を見つめ直す公園」と定義することができるという。

               

 日本におけるジオパークは、現在39の地域が日本ジオパーク委員会から認定され、そのうち5つの地域は世界ジオパークネットワークからも認定されているそうだ。
 北海道では、洞爺湖有珠山、アポイ岳、白滝、三笠、とかち鹿追の5地域が日本ジオパークから認定され、うち洞爺湖有珠山と、アポイ岳は世界ジオパークとしても認定されているという。
 そしてジオパークとしての活動は、①保全、②教育、③ジオツーリズムの三つに要約されると担当者から説明があった。

               

 フォーラムはまず、日本や世界のジオパークの認定審査に携わってきたという徳山大学の柚洞一央(ゆほらかずひろ)准教授が「日本と世界のジオパーク審査から見えてきたもの」と題して基調講演を行った。
 その話の中で、柚洞氏は日本の関係者の関心がジオパークに認定され、観光客を呼び込み地域の振興を図ることに関心が傾き過ぎているのではないか、と苦言を呈した。つまり、認定を受けてもリオツーリズムへの関心は高いが、保全や教育への関心は低いと指摘した。

 その後、北海道内で認定されている五つの地域のジオパーク推進協議会の事務局の方が各地の事例報告を行った。いずれもが役場職員、あるいは地域おこし協力隊の方ではと思われる方々による報告だった。
 報告を聞いていて、やはり彼らの関心もジオツーリズムの振興に関心があるように聞こえてきた。
 しかし、それもある意味では仕方のないことか、という思いが私の中にはあった。地方が急速な過疎化によって疲弊する中、何かに頼って地域振興を図ろうとする必死な姿の一つなのではないかと思えてくる。その何かが、この場合ジオパークだったと…。

               

 地域がジオパークに認定され、ジオツーリズムに高い関心を示すことは悪いことではないと思う。問題はたくさんの観光客を呼び込むためにも、保全や教育にも力を入れることではないだろうか。
 そうした魅力あるジオパークとして進歩・発展したとき、多くの観光客を呼び込めることに繋がるのではないか、と思った。
 私も洞爺湖有珠山、アポイ岳は訪れた経験があるが、他の三つには今のところ「行ってみようかな?」という思いが出てこない。
 そういう思いにしてくれることを他の三つの地域には期待したいと思う。
 

道新幹線は道の未来を拓くのか?

2016-09-25 22:55:15 | 講演・講義・フォーラム等
 北海道新幹線が新函館北斗まで開業して半年、さまざまな変化や影響がみられるという。そうした背景をもとに、2030年の札幌までの延伸に向けて各界の方々の期待と夢を語るシンポジウムに耳を傾けた。 

 9月24日(土) 午後、読売新聞社が主催する「北海道新幹線開業半年記念シンポジウム」がSTVホールで開催され、参加してきた。シンポジウムのテーマは、「札幌延伸に向けて 未来を拓こう」というものだった。

 基調講演は、作家の荻野アンナ氏「アンナの観光物語」と題して話された。荻野氏は政府の「観光立国推進有識者会議」のメンバーの一員ということもあって招請されたようであり、氏の話も北海道というよりは、日本全体の観光振興をいかに図っていくか、という観点からの話が多かった。

                  

 その中で、印象的だったことを2~3紹介すると、日本は「自然・文化・気候・食」と観光振興のための4つの条件がそろっているとした。

 さらに観光だけで成り立っているパラオの例を取り上げ、パラオのような場合は「観光先進国」とは言えず、他の基幹産業同様に観光産業も成長させた国を観光先進国と言えるのだとした。

 そして何より、日本の場合は諸外国からも注目されている「クールジャパン」を素材とした訪日観光客の誘致を図るべきと主張した。

 さらに、訪日観光客の場合、東京→京都→大阪というゴールデンルートが存在するが、二次ルートの開発が課題であると指摘した。例として、桜前線とともに北上するルート、国内の小京都を巡るルート、北前船の航路を往くルート等々…。

 氏は北海道観光の振興についてはほとんど触れなかったけれど、ヒントになることは多々含まれていたようだ。
 氏から一つの言葉を教えてもらった。それは「NO JOURNEY NO LIFE」という言葉が欧米ではあるそうだ。「旅がなければ、人生じゃない」

 後半は、荻野氏を含めて4名の方が登壇してのパネルディスカッションだった。
 登壇したパネリストは、北海道知事の高橋はるみ氏、経営共創基盤代表取締役CEOの冨山和彦氏、JR北海道社長の島田修氏、そして荻野氏の4人と、コーディネーターとして札幌国際大学学長の塚越宗孝氏が登壇した。
 この中で、「経営共創基盤」という言葉が私には耳慣れなかった。ディスカッションの中では理解できなかったが、帰宅して調べてみると、前身が「産業再生機構」で、そこの中心メンバーによって民営化した会社のようだ。主として東北地方のバス会社の再生などに対して事業戦略の立案をしたり、M&Aによる実行支援をしたりしている会社のようだ。

                  

 その冨山氏は、自らが東北地方の地方バス会社の再建という難しい事業に携わっているからか、東北地方と比較すると北海道の観光にはポテンシャルがあると力説していたのが印象的だった。

                  
                  
 島田氏は、半年前に北海道新幹線が開業したことによる観光客増加について図や表を示して説明されたが、期待したとおりの効果が出ていると断言されなかったところに苦悩があるようにも見て取れた。過疎化が一段と加速する北海道における鉄道事業は難しい舵取りが求められているものと思われた。

                  

 意外に元気だったのが高橋知事である。その言葉には、暗い見通しなど道民の前ではけっして語らない、という氏の姿勢を垣間見れたようにも思われた。
 氏が話すように北海道の定住人口の減少は避けられない現実だが、北海道の魅力を発信し続け交流人口の増加を図りたい、ということだ。 このことは良く言われていることだが、決定打はいまだ見つかっていないように思える。知事のリーダーシップによって、ぜひとも魅力ある北海道の発信に尽力いただきたいものである。

 最後に、金原亭駒ん奈の講座名を持つ荻野アンナ氏が「北海道新幹線とかけて、ジャガイモと解く」と言い、そのココロは「これからだんだん美味しくなるでしよう」と締めた。そうなることを願いたいものだ。シャンシャン。

あなたはだれかのために、何ができますか?

2016-09-24 22:06:50 | その他
 いつもの話題とは少し趣を変えて、私の公務(?)にかかわるシリアスな課題についてレポすることにした。ここ一年の間、ず――――っと考えてきた課題だった。そのことに対して、このほど私なりに一つの結論を出してみた…。 

 私の公務に関してはあまり露わにすることは、いろいろと支障が生じる恐れがあるので控えさせていただくが、私が現在、ある団体の事務局長という役割を担っているということについては過去にも述べたと記憶している。
 その団体が抱える課題は、団体の目ざすねらいをいかに分かりやすく市民に伝えられるか、ということだった。これまでもアピール文としては市民にいろいろ提案していたのだが…。
 私は市民に伝えるには、アピール文ではなく、キャッチコピー的なものが相応しいのではないかと考えた。

 しかし、簡単には名案は浮かんでこなかった。職責として、そのことをず―――っと考えてはいたのだが…。
 そこで、私は団体がねらいとする全てを包括したようなものではなく、最初の年としてねらいの一部を表現することでも良いのではないか、と考えた。
 ともかく現状からの脱却を考えねばという思いが私を支配した。

 奥歯にモノが挟まったような言い方が続いているが、団体が抱える課題とは、有り体に言えば、市民に対して「教育」の重要性をいかに分かりやすくアピールできるか、ということだった。
 そこで私は「教育」とは?という問いに対して「ヒト(動物)が人間化することを助ける(支援する)営み・仕組み」ではないかと仮説を立てた。
 ヒトが人間化するとは、ごく粗い言い方であるが、人間社会において他から必要とされる存在となることではないか、と考えた。
 あくまで「教育」というものの一側面として…。

 そこから導き出された言葉が、「あなたはだれかのために、何ができますか?」というキャッチコピーだった。併せて、団体が目ざす方向として ~子どもたちに「共に歩もうとする力」を~ というサブコピーも付けることとした。

 このキャッチコピーは、事務局の会議を経て、先日の団体の会議でも承認され、これから市民に直接アピールしていくこととなった。はたしてどのような反応があるのだろうか? 私の中では期待と不安が相半ばしている。
 ご意見・ご感想をいただければ幸いです。

     あなたはだれかのために、何ができますか? 
               ~子どもたちに「共に歩もうとする力」を~

北海道低山紀行 66 恵庭岳〈ポロピナイコース〉(1319.6m) 後編

2016-09-23 21:17:35 | 北海道低山紀行 & Other
 “おそれ”の山・恵庭岳は予想どおり険しく、厳しい山だった。3時間を超える厳しい登りの連続は、私をおおいに苦しめた。苦しんだ後には、素晴らしいご褒美が待っていることを信じて登り続けたのだが…。

 霧が漂う針葉樹林の中を進むが、霧は薄くなるどころか、ますます濃くなっていくように思えた。
 斜面は間断なく急角度で登っていく。途中で支笏湖が望めるのではと思われる地点があったが、濃い霧はまったく支笏湖を見せてはくれなかった。

            

 登り始めて2時間が経とうとしていたとき、凄い斜面が現れた。コース上に「登り専用」と書かれたコースである。見ると何本ものロープが垂れ下がったロープ場である。ロープがなければ、私のようなものはとても登れない。そのロープ場がおそろしく長いのである。(100m近くあったのではないか?)
 その上、あまりの急斜面のため上からこぶし大の岩石が時おり転がり落ちてくるのだ。私が登っているときにも3~4個落ちてきて冷汗をかいた。それまでに体中汗まみれだった私の身体に、さらに冷汗が加わり、大変思いをしてそのロープ場を乗り越えた。

            

            

            

 ロープ場を超えて、雑木林を抜けたところが第一見晴台だった。ガイドブックでは「その名の通り一気に展望が開ける地点で、爆裂火口を挟んで頂上岩塔が望まれ、眼下には紺碧の支笏湖の湖面が広がる」とあるが、両者ともにまったく見えず、濃い霧の中だった。

                     
 もう展望は望むべくもないが、第二見晴台を目ざして出発しようとしたところ、「この先はさらに険しいルートです」と書いた立て看板があり、「えーっ、あのロープ場より険しいところがあるんだろうか?」と若干ビビったが、せめて第二展望台まで行かないと恵庭岳に登ったことにはならないと、カラ元気を出してスタートした。

            

 なるほど急斜面は続いたが、ロープ場のようなとんでもない急斜面は現れなかった。途中で私を追い抜いて行った人が降りてきた。「第二見晴台は凄い風ですぐに引き返してきました」と話しながらすれ違った。
 第一見晴台から50分、第二見晴台に到着した。すれ違った人が話していたとおり、第二見晴台は濃い霧に包まれたうえ、強風が吹き荒れていた。そこには「恵庭岳」の表示が掛けられてあったが、おそらく本来の山頂まで行くのは危険なために、山頂には向かわないようにという措置なのだろう。
 私を追い抜いて行った何人かとは、その後すれ違わなかったので、おそらく警告は警告として、自己責任で山頂に向かったのだろう。私にはそのような勇気も、元気も、根性もない。私の中ではこの第二見晴台を恵庭岳の山頂とした。
 長時間の苦闘は報われず、少々むなしい山頂となったが、これも自然の一面である。

            

            

            

            

 風の強い第二見晴台を避け、風が当たらないところで一休みして下山に移った。
 下山もけっして楽ではなかった。登る際に苦労した一段一段の落差の大きさが膝に響く。できるだけ膝に負担をかけないようにと慎重に下山を続けた。

            

 登りで3時間超、下りで2時間超の山は私の登山歴の中でも長い方に属する。こうした長い時間に耐えうる脚筋力が相当に衰えていることを自覚させられた恵庭岳登山だった。
 長時間の登山が厳しくなってきたのかもしれない。それでも楽しむ方法はあると思っている。まだまだあきらめないぞ!

 そんなことを思いながら、登山口に着いたところ、駐車場はいっぱいだった。おそらく最盛時には30台くらいの車が駐車していたのではないかと思われた。やっぱり恵庭岳は人気の山なのだ。

            

【恵庭岳(ポロピナイコース) 登山データ】
標 高  1319.6m (標高差  1,010m)
駐車場  登山口のところに30台程度駐車可能
行 程  ※ グランドシニアの足とお考えください。
     登山口→(2時間25分)→第一見晴台→(50分)→第二見晴台(仮の山頂)→(25分)→第一見晴台→(2時間)→登山口 
時 間  上り(3時間15分) 下り(2時間25分) ※ 休憩時間含む
天 候  曇り、第二見晴台は霧、強風
登山日  ‘16/09/22


北海道低山紀行 66 恵庭岳〈ポロピナイコース〉(1,319.6m) 前編

2016-09-22 21:58:42 | 北海道低山紀行 & Other
 「富士山Sea to Summit」から一か月、久しぶりの山行に選んだ山は憧れの山、恐れの山、そして畏れの山、恵庭岳だった。なぜ“おそれ”の山かというと、私にとって恵庭岳は険しくて危険な山というイメージがあり、近づくべきではない山と思っていた…。

 “おそれ”の山だった恵庭岳に、今年に入ってから「できれば登ってみたいなぁ」という思いが芽生えてきた。近郊に未踏の山が少なくなってきたこともあるが、「ゆっくり、注意深く登れば私だって登れるはず…」との思いが支配し始めたからだった。

 久しぶりの山行とあって、少し興奮していたのだろうか?午前4時前に目覚め、準備をして午前5時前に車中の人となっていた。
 支笏湖近くにある登山口に着いたのは午前6時頃だった。ところが駐車場には車が一台も停まっていなかった。
 恵庭岳は近隣では人気の山であり、まして今日は祝日とあって、たくさんの登山者が詰めかけていると思っていたのに予想外だった。ガイドブックには「週末は駐車場が満車になることが多い」と出ていたのだが…。

            

 誰もいない中、6時15分に登山を開始した。天候は曇り、しかし天気予報では午前中は晴れるとの予報を信じて山行を決めたのだ。
 ポロピナイコースの始まりは、巨大な砂防ダムから始まる。まずはその作業道(車道)歩きから始まり、砂防ダムが終わると、水が流れていない沢歩きがしばらく続く。大雨が降ったら大濁流に変わるものと思われる。

            

            

            

 沢がだんだんと狭くなり、ついに沢が切れたところから樹林地帯へと変わる。その樹林地帯には風倒木が非常に目立った。根こそぎ倒れている木、根元から折れてしまった木、等々…。これまでの登山でも風倒木を見ることはあったが、これほど大量の風倒木を見た経験はなかった。
 風が強いせいだろうか?それとも地盤のせいだろうか?

            

            

            

 コースの案内はかなり整備されていて、赤いテープが間断なく木に付けられていて、また脇道に入らないためのロープもいたるところで目立ち、迷う心配は全くなかった。
 そうするうちに、私より後発した若い人たちが次々と登ってきて、私を追い抜いて行った。私には彼らに伍するほどの体力はすでになく、マイペースでゆっくりと登ることに徹した。

            

            

 山の紅葉はまだ始まってはいなかった。唯一、オオカメノキの葉だけが赤く変色していたが、他の木の葉はまだまだ緑色を保っていた。

            

 登り始めて2時間くらい経過し、高度が600mを超えたあたりだったろうか?樹間に白いものが漂い始めたのに気付いた。霧である。辺り一帯が霧に覆われ始めたのだ。
 なんだか嫌な予感が私の中に生じ始めた。しかし、「きっと風が霧を飛ばしてくれる!」そう信じて登り続けた。

            

 けっこうな疲労が私を支配している。明日は大事な会議も控えている。今日はここまでとして、明日後編を綴りたい。

映画 174 壁男

2016-09-21 16:24:14 | 映画観賞・感想

 常識人だと自認しているおじさん(私)には、またまた難解な映画だった。映画を通して何が言いたいのか? どこが面白いのか? ホラーコミックが原作ということだが、おじさんには何一つ謎が解けないまま映画は終わってしまった感じだった…。 

                  

 道立近代美術館の常設展「北海道美術紀行」に関連する映画会の三本目の映画「壁男」が9月19日(祝)に上映されたので、またまた足を運んだ。(無料というのは魅力である)

 映画は、諸星大二郎のホラーコミックを原作として、コミックと同名の映画化である。
 監督・脚本は北海道在住(名古屋出身)の早川渉という方で、舞台が札幌、早川氏以外のスタッフもほとんどが北海道に縁のある人が務めたという、キャスト以外はオール北海道的な映画であり、監督自身も「北海道発」を意識した映画だ、言っているそうだ。

 映画のストーリーは、『テレビ局でレポーターをつとめる響子(小野真知子)のもとに視聴者から「壁男の噂、知っていますか?」という葉書が届く。壁の中には人間でも妖怪でもない「壁男」というものが住んでいるという噂。これをきっかけに響子の担当する番組で壁男の追求が始まり、次第にこの噂は社会現象の様相を呈していく。響子自身は「単なるテレビネタ」として取り扱っていたが、恋人の仁科(堺雅人)は異常な程興味を持ち、壁男とのコミュニケーションを試みるが…』

 そもそもコミックなどとは無縁の生活をしてきたおじさんにはこの映画を観る資格がなかったのかもしれない。ましてやホラーコミックである。
 映画をどうとらえたらよいのか全く見当がつかないのだ。
 堺雅人演ずる仁科が、「壁男」に興味を抱き、どんどんとのめり込んではいくのだが、それは夢の世界のできごとで、ハッと目覚めて現実に戻るような場面があったり、いややっぱり現実の中でものめり込んでいく様子が描かれたり…。
 いったい何が言いたいんだい?とオヤジ的な突っ込みを入れたくなるような内容だった。
 ホラーとは、観るものに恐怖を抱かせることが第一のねらいのようなのだが、映画に入り込めないために、その恐怖心さえ沸き起こってこない。

            
            ※ JRタワーの最上階から札幌の街並みを背景に語り合う仁科と響子のシーンです。

 なんだか消化不良のまま観終わってしまった映画であるが、どうやら私のような常識人(?)が観るべき映画ではないのかもしれない。この「壁男」という映画は、ある種の不思議さ、難解さを映画に求める人たち向けの映画なのかもしれない。

 「映画は最高のエンターテイメントだ!」と信じているきわめて常識人(?)であるおじさんには、万人向けの誰もが分かる、誰もが楽しめる映画を観るべきである、と教えられたような気がした「壁男」という映画だった。