「つま恋 2006」はあくまで『吉田拓郎』のコンサートでした。
つまり今回のコンサート名は「吉田拓郎 WITH かぐや姫」とするのが正しいのでしよう。
構成的にはそれぞれが独立して各部を構成していましたが、それも拓郎の体調を整える時間を確保するように構成されていると感じました。それくらい、かぐや姫は拓郎に気を遣っているのかなぁ、と見受けられました。
吉田拓郎は確かに日本の音楽シーンの一時代を画したという意味においてはかぐや姫よりは遥かに大きな存在であることは疑いようもありません。
しかし、私にとってかぐや姫も「つま恋へ!」と一時は駆り立てた大切な要素の一つでした。
というのも、私にとってはかぐや姫(南こうせつ)の方がずっと身近な存在だったからです。
彼らは私の期待を裏切りませんでした。
南こうせつは、衰えの知らない高音域の美しさを十分に聴かせてくれました。
山田パンダは、人の良さがにじみ出たような温かな歌声が共感を呼びました。
伊勢正三は、年齢に似合わない甘ったるい声(私はダメだが)と、ギターテクニックを魅せてくれました。
そして何より「エンターテイメントとは何か」ということをしっかり実践してくれる南こうせつに大きな共感を覚えました。
彼の歌「満天の星」でコンサートが終わったら、きっと盛り上がったろうなぁと思ったのは、もしかしたら私だけかな???
TV中継の案内を担当した坂崎幸之助(アルフィー)が、拓郎の歌に対して「現役感」という言葉を何度か使っていましたが、私は南こうせつの声の方がまだまだ「現役感」を感じさせてくれました。
まあこのあたりは、個々人によってその評価が大きく分かれるところですので、深追いすることは避けたほうが賢明ですので止めましょう。
今回のコンサートは、はたして現在の音楽シーンになんらかのインパクトを与えたのでしょうか。そのあたりを次回「つま恋 2006」シリーズの最終回として考えてみようと思います。
つまり今回のコンサート名は「吉田拓郎 WITH かぐや姫」とするのが正しいのでしよう。
構成的にはそれぞれが独立して各部を構成していましたが、それも拓郎の体調を整える時間を確保するように構成されていると感じました。それくらい、かぐや姫は拓郎に気を遣っているのかなぁ、と見受けられました。
吉田拓郎は確かに日本の音楽シーンの一時代を画したという意味においてはかぐや姫よりは遥かに大きな存在であることは疑いようもありません。
しかし、私にとってかぐや姫も「つま恋へ!」と一時は駆り立てた大切な要素の一つでした。
というのも、私にとってはかぐや姫(南こうせつ)の方がずっと身近な存在だったからです。
彼らは私の期待を裏切りませんでした。
南こうせつは、衰えの知らない高音域の美しさを十分に聴かせてくれました。
山田パンダは、人の良さがにじみ出たような温かな歌声が共感を呼びました。
伊勢正三は、年齢に似合わない甘ったるい声(私はダメだが)と、ギターテクニックを魅せてくれました。
そして何より「エンターテイメントとは何か」ということをしっかり実践してくれる南こうせつに大きな共感を覚えました。
彼の歌「満天の星」でコンサートが終わったら、きっと盛り上がったろうなぁと思ったのは、もしかしたら私だけかな???
TV中継の案内を担当した坂崎幸之助(アルフィー)が、拓郎の歌に対して「現役感」という言葉を何度か使っていましたが、私は南こうせつの声の方がまだまだ「現役感」を感じさせてくれました。
まあこのあたりは、個々人によってその評価が大きく分かれるところですので、深追いすることは避けたほうが賢明ですので止めましょう。
今回のコンサートは、はたして現在の音楽シーンになんらかのインパクトを与えたのでしょうか。そのあたりを次回「つま恋 2006」シリーズの最終回として考えてみようと思います。