田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

つま恋 2006 その3

2006-09-27 21:43:00 | ステージ & エンターテイメント
 「つま恋 2006」はあくまで『吉田拓郎』のコンサートでした。
 つまり今回のコンサート名は「吉田拓郎 WITH かぐや姫」とするのが正しいのでしよう。
 構成的にはそれぞれが独立して各部を構成していましたが、それも拓郎の体調を整える時間を確保するように構成されていると感じました。それくらい、かぐや姫は拓郎に気を遣っているのかなぁ、と見受けられました。
 吉田拓郎は確かに日本の音楽シーンの一時代を画したという意味においてはかぐや姫よりは遥かに大きな存在であることは疑いようもありません。

 しかし、私にとってかぐや姫も「つま恋へ!」と一時は駆り立てた大切な要素の一つでした。
 というのも、私にとってはかぐや姫(南こうせつ)の方がずっと身近な存在だったからです。
 彼らは私の期待を裏切りませんでした。
 南こうせつは、衰えの知らない高音域の美しさを十分に聴かせてくれました。
 山田パンダは、人の良さがにじみ出たような温かな歌声が共感を呼びました。
 伊勢正三は、年齢に似合わない甘ったるい声(私はダメだが)と、ギターテクニックを魅せてくれました。
 そして何より「エンターテイメントとは何か」ということをしっかり実践してくれる南こうせつに大きな共感を覚えました。
 彼の歌「満天の星」でコンサートが終わったら、きっと盛り上がったろうなぁと思ったのは、もしかしたら私だけかな???

 TV中継の案内を担当した坂崎幸之助(アルフィー)が、拓郎の歌に対して「現役感」という言葉を何度か使っていましたが、私は南こうせつの声の方がまだまだ「現役感」を感じさせてくれました。
 まあこのあたりは、個々人によってその評価が大きく分かれるところですので、深追いすることは避けたほうが賢明ですので止めましょう。

 今回のコンサートは、はたして現在の音楽シーンになんらかのインパクトを与えたのでしょうか。そのあたりを次回「つま恋 2006」シリーズの最終回として考えてみようと思います。

つま恋 2006 その2

2006-09-25 21:39:04 | ステージ & エンターテイメント
 23日、TV中継が終わり10時頃にY氏宅を辞して、帰りの車の中で交わした妻との会話は「正直に言うともう少し期待していたんだけどなぁ」ということでした。
 こんな発言をすると、拓郎のコアなファンの方からお叱りを受けそうですが、偽らざる私の感想として記しておきたいと思います。
 
 そう感じた理由を2~3考えてみたいと思います。
 一つには、拓郎自身が終始大人の振る舞いをしようとしていたと私には映りました。31年という時は経ても、私の中では密かにあの時のような熱気の再現を期待していたところがありました。しかし、今になってあの頃の熱気を再びというのは、かっこ(恰好)悪いことなのでしょうか?今回の拓郎のようにクールを装うほうがかっこいいことなのでしょうか・・・。
 
 二つ目には、やはり拓郎自身の体調の変化というか、いろいろな意味での衰えを感じざるを得なかったということです。声は出ていたと思うし、拓郎節も十分聴かせてもらいました。しかし、どこか声の張りに往時のものを感じることはできなかったし、叫ぶように歌う場面も目撃することができませんでした。

 三つ目は、やはりエンディングの物足りなさです。以前の投稿で私は「歴史的な・・・」と記しました。せめて最後だけでも大盛り上がりに盛り上げて終わるのかなぁ、と想像(期待)していたのですが・・・。これもまた大人の終わり方というのでしょうか?

 など、など、と記しましたが、TV画面を冷静に見ていた私の僻み目なのかもしれません。コンサートに参加し、大観衆の真っ只中で聴いたとしたら、感想はまったく別なものになっていたんだろうと思います。

《特記》突然ステージに現れて、1曲だけ歌いさっとステージを去った中島みゆきの存在感が際立っていたように思いました。

つま恋 2006

2006-09-24 14:00:23 | ステージ & エンターテイメント
 たっぷり6時間40分、拓郎を、こうせつ(かぐや姫)を堪能しました!
 13時15分頃でしょうか、ステージに拓郎、そしてかぐや姫が顔を揃え、「旧友再会フォーエバーヤング」から~つま恋 2006~は始まりました。

 第一部は拓郎が初めの曲を入れて10曲を、小休憩を挟んで第二部はかぐや姫が14曲まで歌ったところで大相撲中継のために中断しました。
 放送再開の18時からの放送では、ちょうどかぐや姫の第二回目(第四部)が始まったところでした。ここでかぐや姫が15曲、そして最後(第五部)は拓郎が15曲を歌い切ってエンディング。
 この後、当然アンコールがあってそれぞれが1曲ずつ歌い本当のエンディングとなりました。ちょっと「最後があっさりかなぁ」と思いましたが、テレビでは拓郎の歌を合計27曲、かぐや姫の歌を30曲も聴くことができました。(中断時間はそのほとんどの時間を拓郎が歌ったとのことで、この時間内に彼が9曲、かぐや姫が3曲歌ったようです)

 つま恋に集ったファンは約35,000人、台風14号の影響が心配されましたが、やや風が強かったとはいえ青空と雲のコントラストが鮮やかな秋空の中でのコンサートとなりました。
 観客は圧倒的に私と同じおじさん、おばさん世代が占めていたようですが、それぞれがさまざまな感慨を抱きながら拓郎やかぐや姫の歌を聴き、そして会場を後にしたことでしょう。
 私も私なりの感想を今後2~3回に分けて綴ってみたいと思っています。

ビンテージ物

2006-09-22 19:20:18 | ステージ & エンターテイメント
 前回の投稿を読んでくれた札幌在住のT氏から連絡がありました。
 T氏が吉田拓郎の「LIVE73」というLPを所蔵しているとのことです。 実に33年前のビンテージ物です。しかも保存状態は最高で、今も時々引っ張り出して聴いているというのです。
 そんな貴重品をT氏は私に「譲ってもいい」と言ってくれました。
 恐れ多くも、そんな申し出を私は「はい、ありがとうございます」と言うわけにはいきません。
 それよりこれでT氏のお宅を訪れる楽しみが増えました。
 レコード(!)をがんがん鳴らし、33年前の拓郎の若々しい声を堪能しながら、私たちの33年前を回顧したいなぁ、と思ったのでした。

 いよいよ「吉田拓郎 & かぐや姫コンサート in つま恋 2006」は明日に迫りました。
 Y氏のお宅にずうずうしくお邪魔し、拓郎を、こうせつを、心の底から堪能しようと思います。

やりますねぇNHKも・・・

2006-09-20 20:24:46 | ステージ & エンターテイメント
 いよいよ23日に行われる「吉田拓郎 & かぐや姫 2006 つま恋」が近づいてきました。
 最近になって、ネット上ではチケットがダブつき気味のようですが、萎えてしまった気持ちは今さら奮い立たせようにもありません。
 私はTVで我慢することを決めてしまいました。

 そのTVですが、NHKもずいぶん思い切った番組構成を考えたものですね。
 NHKのハイビジョン放送ですが、実に6時間という大枠を設けての放送ということなんですよね。13時から21時まで(途中、相撲放送のため16時~18時まで中断)の7時間の生放送ということなのです。歴史的(?)なこととはいえ、たった2組のアーチストのために7時間を割り当てるとはNHKもやりますねぇ。
 もっとも私にとっては、とても嬉しいことですが…。

 ところが我が家のTVでは残念ながらハイビジョン放送が受信できないのです。
 そこで、ハイビジョン受像機を備えている知人にお願いして見せていただくことにしました。
 知人のTVは50インチの大画面です。臨場感いっぱいのコンサートが楽しめそうです。
 おそらく私たちおじさん(おばさん)世代にとっては二度と経験できないほどのビックイベントではないかと思います。
 TVの前とはいえ、おじさんは精一杯楽しもうと思っています。
 

運動不足

2006-09-18 21:15:35 | その他
 今日、私が所属するある会でパークゴルフを楽しみました。
 参加者の一人のA氏と話をしました。
 私 「パークゴルフをするのは4年ぶりですかねぇ」
 A氏「何かふだん運動はしていますか」
 私 「何にもしていませんねぇ」
 A氏「散歩などはされていないのですか」
 私 「それもしていませんねぇ」
 
 先週木曜日、職場のレクでソフトボールがありました。
 自分では出来る!と思っていましたが、思惑通りにはいかず、散々なものでした。
 そして、その後3日間腰は痛いし、体のあちこちも痛みが出て、年齢を痛いほど感じさせられました。
 考えたら、今の自分は何一つ運動もせずに日々を過ごしています。散歩の一つもしていません。
 日々の職務に没頭しているからとは、言い訳に過ぎません。
 フルマラソンに挑んだ30代、100kmカントリースキーを何度も完走した40代、あの頃の面影は遠い記憶となってしまいました。
 それではならじ、と思うのですが、今現在その気力は起こってこないのです。
 せめて、半年後にリタイアした時には、もう一度計画的に自らの体力づくりを考えなくては、と思っているところです。

 息子から有意な情報を得ました。私が住む予定のところに、適度なジョギングコース、散歩コースがあるとのこと…。
 楽しみにはしているのですが、意思があるなら今から始めなければダメなのですよねえ。う~ん、少しまじめに考えてみることにします。
 







北海道論 Part Ⅳ 地域を考えるということ

2006-09-13 16:46:32 | 札幌学 & ほっかいどう学
 今日の投稿で私は自分の職業を明かさねばならなくなりました。
 私の職業について薄々感じていた方もいらっしゃるのではと思いますが、大方の方が予想される(?)とおり、私の職業は小学校の教員です。実は今日の話題が、私の教え子に関することなのです。

 私の教え子であるA氏は現在45才、某町の町議会議員として活躍しています。
 某町は第一次の市町村合併は回避しましたが、次の機会には合併やむなしの機運が町の中に広がる中で、なんとか自立の道はないものかと奮闘しています。
 そんなA氏と会った時、二人の間で次のような会話が交わされました。
 「先生、退職後はどこに住まわれるのですか?」
 「息子のいる札幌に行くことにしたよ」
 「えーっ、先生は田舎暮らしが似合うと思うんですけどねぇ」
 「・・・・・・」

 A氏がそう言うのには理由があるのです。
 私は一時教員の道を離れ、社会教育の仕事を6年間ほど経験しました。
 その時、私は社会教育の立場から地域づくりに関わり、生き生きと仕事をしていた姿を彼は覚えていたのです。
 確かに、自分の手の届く範囲に収まるような小さな地域において、地域に積極的にコミットすることによって、地域に刺激や影響を与える醍醐味を味わうことができました。
 教え子は言外に、札幌のような大都会に住めば、地域のことを考え、行動しようと発想すること自体しなくなくなり、自らの身辺に関心事が移ってしまい、小さくまとまってしまうということを指摘しているのだと思います。

 確かに教え子の指摘は的を得たものだと思います。札幌のような大都会では、地域づくりといっても、どこに、どのようにコミットすべきかも分かりませんし、難しいことでしょう。
 しかし、反対に札幌に住むことによって、地域という概念をもっと広い視点で見て、考えることができるのでは、とも思います。つまり道都に自らの身をおくことによって、今と比べ、より「北海道」というものを全体として考えられるようになるのではないかと自分自身に期待しているところもあるのです。
 そこで思ったこと、考えたことを、こうしてネット上に発信していくことができれば、リタイア後の姿としてはベストではないでしょうか。
 リタイアということは、何かに対して直接的にコミットするという行為から一歩退くことを意味するのではないか、とも考えているのです。

 これにて、ひとまず拙い「北海道論」を閉じたいと思います。
 次回からはもっと身の丈に合った話題を、と考えているのですが…。

北海道論 Part Ⅲ 北海道再生そのキーワード

2006-09-11 19:48:33 | 札幌学 & ほっかいどう学
 完全に荷が勝ちすぎた今回のテーマです。
 各界、各層が語る北海道論にはそれぞれ重みがあります。それについて私が論ずるなどと発想したこと自体が身分不相応、失礼千万なことでした。恥ずかしいかぎりです。
 しかし、始めたからにはそれなりの閉じ方をしなければなりません。
 そこで、Part Ⅲでは今回のテーマのきっかけとなった北海道新聞に掲載された8名の方々の「私の北海道論」で語られたキーワードを私の視点から整理してみようと思います。次回Part Ⅳでは、私的な北海道論、地域論を述べてこのテーマを閉じたいと思います。

 「私の北海道論」では、どの方も北海道のおかれている自然的、社会的条件が本州各県に比べて厳しいこと(デメリット)を意識した発言をしていることです。
 北海道の自然的、社会的なデメリットについて整理してみると、
 ① 冬の寒さが厳しい(生産コスト、生活コストがかかる)
 ② 雪が物流の阻害要因となっている。
 ③ 中央から遠方にある。
 ④ 面積に比し人口が少ない。(人口密度が小さい)
⑤ 経営規模の小さい企業が多い。
 ⑥ 歴史が浅く、国の支援、助成に頼ってきた側面がある。
などの点について各氏は言葉として発していないものもありますが、一様に述べているように思います。
 
 さて、そうしたデメリットを前提として、各氏はどのような提言をし、北海道を叱咤激励しているのでしょうか。これもキーワードとして列挙してみます。
 ① 志を高く持て! 本気になれ!
② 国の支援や補助金をあてにするな!
 ③ 北海道の自然環境は有力な資源である。(寒暖の差も作物栽培には優位)
④ ハンディを逆手に!(切迫感が新発想を生む)
 ⑤ 外からの視線、声から学べ!
⑥ 厳しい経営環境に立ち向かう強固な意志を持て!

総じて各氏が指摘していることは、「北海道人はまだまだ甘い!」ということでしょうか。自然が厳しいから、人口が少ないから、中央から遠いから、といろいろ並べ立て中央(政府)に頼っていた部分が大きかったのではないか、と各氏は指摘します。
 しかし、いくら嘆いても条件は変わらない、財政逼迫の中で中央からの支援もあてにできない。こうした状況に私たち北海道人はもっと危機感、切迫感を抱くことが必要なのだと感じます。
 特集の第3回に登場した柿沼氏は「切迫感から新発想が生まれる」と言っています。「必要は発明の母」という諺もありますが、厳しい条件を克服するために、私たち庶民レベルでも自らの周りに工夫改善できることはないのか、という視点に立つことが必要なのだと思います。そうした一人一人の思いが、行動が、やがて北海道全体の土壌や風土となっていくのではないでしょうか。
 私たちの身近で成果をあげた旭山動物園の工夫・努力を次に繋げていく意欲や意志をもちたいものです。
 特集の第6回に登場した熊本県小国町長の宮崎市は、条件の厳しさを逆手にとって見事な町づくりを進めています。道内にも雪を資源として活用しようとする試みや雪国のハンディをものともせず全国三連覇に挑んだ駒大苫小牧高の例があります。
 ハンディをバネとして、厳しさを逆手にとって、条件に恵まれている本州の各県に伍して、躍進する北海道を一人一人が夢に描き、本気になってそのことを追求することが、今私たちに求められているのだと思います。(ふ~っ、疲れました~)

魅力たっぷり 札幌市

2006-09-09 10:06:46 | 札幌学 & ほっかいどう学
 「北海道論」という私にとっては重すぎるテーマをどう扱ったらよいのかと苦慮していたところ、9月7日付け北海道新聞の夕刊一面に本日のタイトルのような見出しが躍っていました。

 新聞を読んでいない方、見逃した方のために概略説明しますと、コンサルティング会社「ブランド総合研究所」が「地域のブランド力」に関する全国調査を行った結果、「魅力的な都市」として札幌市が全国のトップにランク付けされた!というニュースでした。
 調査はインターネットを通じて、全国の779都市を対象として、約25,000人に調査した結果だということです。調査分母が選挙報道などと比べても一桁違いますから、調査としての信用度はかなりのものと判断してよさそうです。
 発表されたベスト20は次のとおりです。(数字は得点)
  1位 札幌市   60.5    11位 長崎市   44.2  
  2位 神戸市   58.0    12位 金沢市   42.3  
  3位 函館市   57.6    13位 別府市   40.7
  3位 横浜市   57.6    14位 福岡市   38.5
  5位 京都市   56.3    15位 大阪市   38.1
  6位 富良野市  55.4    16位 仙台市   37.6
  7位 小樽市   54.6    17位 奈良市   37.3
  8位 鎌倉市   53.3    18位 旭川市   35.9
  9位 那覇市   48.0    19位 倉敷市   35.4
 10位 沖縄市   45.0    20位 登別市   34.7

 さて、「①都市の魅力度」とは、いったいどのようなことを指すのでしょうか?
 研究所のHPを開いてみましたが、はっきりした解説は掲載されていませんでした。ただ、同調査によると魅力度以外にも様々な項目の調査がなされていました。その項目とは、②認知度、③情報接触度、④居住経験、⑤居住意欲、⑥観光経験、
⑦観光意欲、⑧産品購入経験(食品)、⑨産品購入意欲(食品)、⑩産品購入経験(非食品)、⑪産品購入意欲(非食品)と11項目にわたっていました。
 その中で、札幌市は魅力度以外に⑥観光意欲と⑦産品購入経験(食品)においても1位にランク付けされていました。
 上記11項目を並べてみると、「魅力度」がきわめてイメージ的な側面を測っているのに対して、他の項目は具体的にYes-№を問うているように私には思えるのです。そうしたことから、現時点では何を基準として札幌市が魅力度№1とランク付けされたのか判然としないというのが私の印象です。

 同調査は、別に779市のイメージついても10の項目についても調査を行っています。その項目は、①都会的である、②親しみがある、③憧れる、④活気がある、⑤センスがいい、⑥安心できる、⑦環境にやさしい、⑧他にない魅力がある、⑨豊かさを感じる、⑩情緒がある、の10項目です。
 この調査で私が分からないのは、魅力度№1の札幌市がどの項目においてもベスト3に入っていないということなのです。私はますます札幌市が魅力度№1となった理由が分からなくなってしまうのです。
 調査の詳細(解説)は、ブランド総合研究所より9月下旬に関係者に公表されるということですから、そこで私の疑問が明らかになるのかもしれません。

 そうした私の疑問があったとしても、私が来年移り住もうとしている札幌市が都市の魅力度において、全国779市のトップに位置づけられたというニュースはビッグニュースであることには違いありません。

 私の現在の宿題である「北海道論」にも通ずることですが、道都に位置づけられる札幌市が全国の人たちからその魅力度を支持されたという事実を、ぜひとも北海道の前進を語るときのバネにしてほしいと思うのです。
 















オシムの序章

2006-09-06 23:47:41 | スポーツ & スポーツ観戦
 北海道論を一休みして、今終えたばかりのオシムジャパンの戦いについての感想を記そうと思います。

 オシムジャパンの第4戦、対イエメン戦を今終えたところですが、試合はロスタイムに入って、我那覇選手が押し込み、かろうじて1対0で勝利することができました。

 この戦い、ジャパンは三重苦にさらされた戦いでした。
 その1は、高度2,300mというとんでもない高地。酸素が平地の3/4だそうです。
 その2は、日本では考えられないようなデコボコのピッチ。
 そして3つ目は、異様な音に包まれたスタジアム。(異様な音とは、中近東特有の音楽と、打楽器が絶えず鳴り響く会場という意味です)
 さらには、前戦(対サウジアラビア)から中2日での強行軍ということもありました。

 そうした三重苦、四重苦のせいでしょうか、オシムが目指すピッチを駆け巡るサッカー、素早いパス回し、といったところは影を潜め、選手の体は重く、キレも欠いていたように見えました。(それだけ高地は厳しいということなのでしようね)
 ボール支配率は圧倒的であったにもかかわらず、ゴールをおびやかすような場面は数少なかったように思えました。

 条件が過酷であったという面を考慮したとしても、オシムが考えているサッカーを具現するにはまだまだ時間がかかるということでしょうか。
 それでも、アジア予選の最終戦の対サウジアラビア戦(11月に日本で)までは時間もあるし、ホームでの戦いとなるので、オシムの考えるサッカーをある程度具現し、リベンジする姿を見せてくれることを期待したいものです。