石狩大橋 ~ 美原大橋 トレッキング月日 ’15/01/29
石狩大橋を越えても私の足は順調だった。天気はますます晴れ上がり、おまけに無風である。雪上での昼食も快適だった。すっかり余裕のできた私は…。
午前10時、「石狩大橋」の下に到達した時、橋脚のところで何か作業をしている人たちが目に入った。
傍に寄って伺ってみると、「橋に手すりを取り付ける工事の際に組んだ足場を回収しているところだ」ということだった。
誰にも出会わない雪原の上では、こんなちょっとした会話も嬉しいものである。
※ 自分たちが今乗っている足場を回収する作業を行っていました。
「石狩大橋」を越えると、対岸の左岸側には王子製紙工場の建物が石狩川を挟んで正面に見えるようになった。冬空にもくもくと煙を吐き出している。
※ 対岸に見えた王子製紙工場の工場群です。
一方、私が往く右岸側は何もない雪原が広がっている。
時おり姿を現す灌木の枝に乗った雪がさまざまな表情を創り出しているのが美しい。
冬らしい木の肌と雪とのコントストを何枚かカメラに収めた。
天気はますます晴れ上がり、風もなく、私の身体も順調ときては、もう歌い出したくなる気分である。
広い雪原に出たとき、私は思わず蛇行するようにスノーシューの跡をつけるのだった。
※ 雪上にこんないたずらをしていると…
※ 野生生物(キタキツネ?)が直角に曲がった足跡を付けていました。
石狩川は相変わらず、水面が顔を見せたり、ハスの葉氷を漂わせたりという表情が続いた。
そうこうするうちに、本日のゴール地点に予定している「美原大橋」の橋脚が遠望できるようになった。前編でも触れたが、そうかといって直ぐにゴールに辿り着けるということではない。広い雪原で見る大きな構造物は、なかなか近づいてくれないのだ。
※ 遠くにぼんやりと吊り橋の柱が見えてきましたが、ここからが遠い…。
川の近くに何かの印のように立つ小さな鉄柱を見つけた。赤と黄色に塗り分けられた鉄板を付けている。何だろう?石狩川河岸をずーっと歩いてきたが、初めて見たものだった。そしてこれ以降も見かけることはなかった。
疑問に思うとすぐに質問したくなる私だが、昨年別件で北海道開発局に尋ねたところ「河原を歩くのは十分に注意ください」と忠告を受けてしまったので、今回はそっとしておこうかな?
※ これはいったい何なのだろうなぁ…?
そうしているうちに、「美原大橋」がだんだん大きく見えるようになってきた。
もうそれほど遠くはない。時計を見ると11時15分だった。朝食が5時過ぎだったことを考え、少し早いが適当なところで昼食を摂ることにした。
昼食ポイントは、丘のように雪が盛り上がっていた陰のところに、座って食事ができるように工作したお食事処(?)を作った。
※ 橋の姿がかなりはっきりてきました。近付いた兆候です。
※ 腰を下ろして食事ができるお食事処を作りました。
昼食として私が用意していたのは、カップラーメン、ポタージュスープ、それにカステラ類だった。そして、ステンレスボトルに入れた熱湯である。
この中からカップラーメンをチョイスして熱湯を注いだ。通常3分待つところを、念のため5分待ってから食したが、まったく問題はなかった。これまではガスストーブを用意していたが、ステンレスボトルで十分だった。
私のボトルは500cc入りなので、残りの湯でカフェラテを作ると湯はなくなった。
温かく無風の中での食事、そしてコーヒータイムは格別だった。
35分の休憩後、再スタートした。
「美原大橋」に近づくにつれて石狩川は大きく左に迂回するが、再スタートから30分後の12時20分、「美原大橋」のたもとに着いた。
ここで私はスノーシューを脱いだ。今回のスノーシューイングの終了である。
歩数計を確認するとスノーシューでの歩数は12,327歩だった。距離に換算すると7キロ前後か?
※ もっと近づいた「美原大橋」を撮ったつもりでしたが、まだまだ離れていますね。
スノーシューを脱いでも、この日の行動は終わりではなかった。「美原大橋」から江別駅までの行軍(?)が待っていた。
江別駅までが遠かったぁ…。国道沿いの歩道を歩くこと1時間15分! 13時35分にJR江別駅に着いた。
※ 「味原大橋むの橋の上からの一枚です。
※ 「美原大橋」の上から見た石狩川の表情です。
そしてJRを駆って、桑園駅まで移動し、再び歩いて帰宅したのだった。
今回4度目となる「冬の石狩川河岸を遡る」の中では最も早く行動を終え、明るいうちに帰宅できたのは初めてのはずである。
体の方は疲れはあるものの、いつものようにヘトヘトになっての帰宅ということではなかった。
その要因は何か? いろいろと考えられるが…。
まずは、これまでと比べ距離的に短かったことがある。正確な距離は分かりかねるが、今回はこれまでと比べるとおおよそ2/3程度の距離だったことが幸いした。
二番目は天気である。晴れていて、風もない絶好のコンディションで気分的にも爽快だったために、疲れも吹っ飛んでしまったようだ。
三番目に私自身の体力のことが考えられる。やはりこれまで取り組んできた一日一万歩が私にそれなりの体力を付けてくれているようだ。
ともかく、快適に終われたことは何よりである。次へのモチベーションも当然のように高揚している。昨日は心地良い疲れにあった私だが、今日にはほとんどその影響が残っていない。
一昨日の私は、スノーシューで12,327歩、徒歩で11,720歩、合計24,047歩と大きく歩数を稼いだ一日だった。
さて、次はどうする??
新石狩大橋 ~ 美原大橋 トレッキング月日 ’15/01/29
どうしようかと逡巡していた昨年の続編となる「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトだが、昨日(29日)とうとう実行に移した。「どうして逡巡していたの?」と自らに問いかけてみたくなるくらい快適なスノーシューイングを楽しむことができた。
昨年、三日間をかけて石狩川河口から新石狩大橋まで、直線距離にして約20Km強スノーシューを駆って遡った私の勝手なプロジェクトだが、その後をどうするか逡巡していた。それは自らが立てた企画ながら、自分にとってはあまりにも過酷なプロジェクトのため、続編を実行するのをためらっていたのだ。
しかし、それから一年が過ぎて、私の中の好奇心の虫が疼き出した。
そしてとうとう昨日、慎重な気持ちは好奇心に勝てず、実行へと突っ走ったのだった。
朝、札幌バスターミナル発、午前6時45分の江別行のバスに乗るべく、午前5時に目覚めた。
準備を整えるのに時間をくってしまい、バスの出発時刻に間に合わないのではと思いタクシーを使う羽目になったのは誤算だった。
予定どおり6時45分発のバスで、今回のスタート地点の近くにある「新石狩大橋」停留所に向かった。昨年、厚田に向かう一番バスに乗ったときは溢れるくらいの乗客がいたが、今回の江別行は乗客が少なく閑散としていたのは意外だった。
※ 雪のために表示も見えない「新石狩大橋」の停留所です。
バスターミナルから40分後の7時25分、誰も下車しない「新石狩大橋」停留所に降り立った。停留所は石狩川の左岸側にあるのだが、私がスノーシューで歩くのは右岸側である。したがって、まずは「新石狩大橋」を歩いて渡らなければならなかった。
ところが、これが大変だった。何故かというと、「新石狩大橋」には歩道が付いていなかったのだ。しかたがない、私は車が行き交う道路の端を恐る恐る渡る羽目になった。
乗用車はスピードを緩めずに走り去るが、トラックの運転手は私を認めるとスピードを緩め、さらには僅かでも道を空けようとしてくれたのが嬉しかった。
※ ご覧のように「新石狩大橋」には歩道が付いていないのでした。
約20分かけて「新石狩大橋」を渡り終え、石狩川右岸の橋のたもとに着いた。
さっそく準備をしてスノーシューイングの開始である。
始めて直ぐに、私の見込み違いに気付かされた。それは、ここ数日の暖気で道路は融けたたり、凍ったりを繰り返している。雪原の雪も表面はきっと固く締まっているだろう、と予想していた。ところが!石狩川河岸の雪は新雪状態だったのだ。スノーシューで踏み込むと15~20Cmくらい沈み込む。う~ん、街中と自然の中では雪の状態もずいぶん違うものだと教えられた思いだった。
※ 「新石狩大橋」の右岸側のたもとです。
※ 写真のようにスノーシューは思っていた以上に雪の中に潜り込みました。
もう一つ意外だったのが、石狩川の様子だった。昨年は川面が完全に凍っていて、その上に雪が積もっている状態だった。ところが今年は、一部氷が浮かんではいるものの、川面に水面が見えるのだ。最近の暖気が石狩川の氷を融かしているということだろうか?
※ 石狩川の様子です。一部に浮き氷も見えますが、全体としては水面が見えています。(昨年とは大違い!)
昨年の過酷な経験が蘇り、ゆっくりゆっくり歩くことを心がけた。
それでも歩きはじめて間もなく、背中に汗を感じた。急いでインナーの一枚を脱ぐことにした。また、当初は予定していなかったのだが、意外に足が沈み込むので、靴の中に融けた雪が侵入しないようにスパッツも装着することにした。
石狩川河岸は無音ということはない。遠くからは工場が稼働している音や、車が行き交う音も耳に入ってくる。しかし、私の目の前には誰も踏み入れていない真っ白な雪原が広がっている。そこに私の踏み跡だけが残っていく…。
※ こちらの写真は川面がけっこう凍っています。流れが緩やかな所のようです。
朝方曇っていた天気も、雲の間から太陽が顔を出し、コンディションはますます良い状態になってきた。
左岸は江別の工場が軒を並べているが、右岸には何もない。昨年は河岸の灌木群にずいぶん悩まされたけど、この日はときどきお目にかかるくらいで、歩きやすい雪原が広がっていた。
※ 行く手には写真のような灌木や草が茂っているところもありましたが、大半は広い雪原でした。
そんな中、1時間くらい経ったころ、河岸に何かの構造物があるのが目に入った。近づいてみたが、何か分からない。ワイヤーのようなものが認められたので、あるいは昔の渡しの施設の残骸かな?とも思ったがはっきりしたことは言えない。
※ 単調な景色の中で何やら見えたので近寄ってみました。
※ すると、写真のようにワイヤーと滑車が見えました。何でしょうか?
まだまだスノーシューイングは始まったばかり。疲れはまったく感じない。遠くに王子製紙の大きな工場が目に入ってきた。その前には、この日の第一の目的である「石狩大橋」も目に入ってきた。
あたりに何もない雪原を往くスノーシューイングの場合、大きな工場とか、橋が見えても、実際には意外に遠くにあることを昨年いやというほど教えられたので、内心は「まだまだ」と思いながら歩いた。
※ 遠くに王子製紙工場の煙と、「石狩大橋」が見えてきました。
そうして、スタートから2時間10分を経過した午前10時、「石狩大橋」の橋下に到着した。ここまで地図上で直線にして2.5Kmくらい。ゆっくり歩いたとはいえ、やはり雪の中を進むのは労力、体力との勝負である。
※ 午前10時、「石狩大橋」の橋の下に到着です。
(続きは明日へ)
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先週末の私は音楽づいていた。24日の「市民吹奏楽祭」、25日午後の「北部方面隊コンサート」、そして同じ25日夜の「北海道交響楽団コンサート」と続いて、まるで音楽漬けの2日間だった。
25日(日)、午後の「北部方面音楽隊」のコンサートを楽しんだ後、自宅には帰らず街で食事をし、カフェで時間を調整して、再びキタラに向かった。
北部方面音楽隊ほどではなかったが、たくさんの聴衆を集めて「北海道交響楽団 第77回演奏会」は19時開演した。
演奏された曲は次の3曲である。
◇「パッサカリア 作品1」 ウェーベルン
◇「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 イ短調 作品102」 ブラームス
( 休 憩 )
◇「組曲『展覧会の絵』」 ムソルグスキー(ラヴェル編曲)
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私にとってはいずれも耳慣れない曲ばかりだったが、唯一「展覧会の絵」だけは一部旋律に聞き覚えのある箇所がある程度だった。
吹奏楽ばかり聴いていた耳に弦の音色が優しく耳に飛び込んできた。
「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」には、ヴァイオリン独奏に鎌田泉、チェロ独奏に石川祐支というプロの奏者を招いての演奏だった。さすがにプロの演奏であるが、道響の音もけっしてそれに劣るものではなかった。
今回、道響として最も力が入ったのは、やはり最後に演奏した「展覧会の絵」だろうが、そんな彼らの心意気が伝わってくるように熱演だった。
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総勢70名を超える団員たちは、日常それぞれの職務をこなしながら技術の向上を図っているものと想像されるが、しっかりした技量を維持していることに敬意を表したい。
その70名を超える団員たちを強力なリーダシップで牽引しているのが指揮者の川越守氏ではないかと想像している。(その内実はまったく知らないのだが…)氏は現在83歳と高齢であるが、その生涯のほとんどを北大交響楽団と道響の指導にあたっていると聞いている。
ステージに登場する足取りにはやや衰えも見えるが、まだまだ指導の第一線で活躍されてほしいものである。
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1月25日(日)午後、キタラ(札幌コンサートホール)で陸上自衛隊 北部方面音楽隊第73回定期演奏会が開催され、入場券を申し込んだところ、運良く入場券が舞い込んだので会場に赴いた。北部方面音楽隊の人気は高いようで、大ホールはほぼ満員の聴衆で埋まった。
演奏は、聞き覚えのあるワーグナーの「歌劇『タンホイザー』より大行進曲」から始まった。さすがにプロの集団である。前日聴いた「市民吹奏楽祭」に出演した団体との格の違いをみるような演奏だった。演奏陣も総勢60名を超え、音に厚み、音のバランス、全てが一級品といった感じだった。
その他のプログラムは次のとおりだった。
◇「吹奏楽のための序曲」 F.メンデルスゾーン
◇「4つのスコットランド舞曲」 M.アーノルド
《 休 憩 》
◇「パンチネロ」 A.リード
◇「シンコペーテッド・マーチ『明日に向かって』」 岩井 直博
◇「吹奏楽のための交響詩『ぐるりよざ』」 伊藤 康英
このラインナップを見て、音楽ファンならいざ知らず、一般の方でどれだけの方が聞き覚えのある曲が入っているだろうか? 私は残念ながら、最初の「タンホイザー」以外は初めて聴く曲ばかりだった。
何かのイベントを盛り上げるために演奏するのとは違い、定期演奏会であるから自分たちの最高のものを披露しようとする姿勢は理解できるが、それにしても1~2曲程度は親しみのある曲の選定はできないものなのだろうか?
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私が心地良さをいま一つ感ずることができなかった二つ目の理由は、加藤音楽隊長の指揮をはじめとして、音楽隊全体の雰囲気がとても固く感じられたことだ。自衛隊という組織内の音楽隊であれば、くだけた感じの演奏はもちろんご法度だろうが、それにしても…、である。ピシッときまった制服姿もそれに輪をかけていたように思われた。
とここまで書きながら、それは自衛隊音楽隊がもつある種の宿命なのかもしれない、とも思っている。彼らの曲の選択、彼らの醸し出す雰囲気、それこそが自衛隊音楽隊に求められているものなのだろう。
そうしたことを、彼らの音楽を楽しむときには楽しむ側も理解して参加せよ、ということか?
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最後の曲「吹奏楽のための交響詩『ぐるりよざ』」は、海上自衛隊佐世保音楽隊の委嘱によって作曲された、鎖国時代の長崎の隠れキリシタンの文化に着想を得た曲だそうだ。この曲はいわば自衛隊の音楽隊にとっては特別な意味を持つ曲なのだと思われる。
演奏には旭川護国神社の宮司による龍笛とのコラボの場面もあり、特に力を入れた演奏だったようだ。
なお、「ぐるりよざ」とは、キリスト教の聖歌"Gloriosa"が訛った言葉だと言われている。
北部方面音楽隊は、毎年2回の定期演奏会を行っているようであるが、次回は会場が教育文化会館だという。もしかすると、会場によっても曲の選定が違ってくるのだろうか?次回ももし入場券が手に入るようであれば、聴いてみたいと思っている。
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私にとって1月は吹奏楽月間と称していたが、その第2弾である。
1月24日(土)、札幌市民芸術祭の一環として、教育文化会館において「札幌市民吹奏楽祭」が行われた。市民芸術祭は、札幌市が市民の芸術活動を支援し、振興するために音楽・演劇・舞踊などについて発表の舞台を用意し(今年の場合9分野の発表があったようだ)、市民にふだんの練習の成果を披露する場として設定しているようである。
今年の「札幌市民吹奏楽祭」にはプログラムを見ると47団体が出演したようである。それだけ多くの団体が出演するため開演は10時15分だったが、私が会場についたのは11時頃だった。したがって、最初の頃に演奏した小学生の演奏は聴くことができなかった。
昼食時間にも中座したので、結局私が聴くことができた団体は、出演47団体中、38団体だった。
出演47団体の内訳は、小学生4、中学生17、高校生14、中高合同1、高校・OB合同1、大学・一般10という内訳で、吹奏楽はやはり中学校、高校で盛んなことが分かる。
中学や高校の演奏を聴いていて、二つの特徴に気付くことができた。
一つは、吹奏楽を志す人たちは圧倒的に女子が多いということだ。男性はたくさんの女子の中では数えるほどである。そのことが特に顕著だったのは屯田北中学校の総勢43名の団員に対して、男子はたったの3名だったが、他の団体でも大同小異の状況だった。
もう一つは、各団体の編成数の差が、団体の志の差になっているのではないかと思われたことだ。編成数が20名前後と少ないところは、吹奏楽部として維持することに精一杯なのではと思わされた。一方、団員数が40名を数えるようなところは士気も高く、演奏自体にもかなり力がこもっているように感じられた。
中学校では屯田北中、啓明中、北辰中、高校では白石高、山の手高、東海四高などの団体の演奏は音としての迫力もあり、技量にも鍛えられたものを感ずることができた。
また、札幌ハーモニーオーケストラの演奏は、いかにも大人の演奏という落ち着きを感じさせてくれる演奏だった。
ちょっと残念に思えたのは、管、とくにトランペットやコルネットの高音の音が割れて聞こえてきたことがあった。演奏技術については全く素人であるが、一つはチューニングの問題、そして吹き方の問題があるのではと思われるのだが、その点はもちろん指導はされていると思われるのだが…。
会場の教育文化会館の前の様子を見ていて「大変だなぁ」と思った。吹奏楽の場合、楽器は全て持ち込みのようなのだ。個人所有の管楽器は良いとしても、大太鼓、ティンパニー、ドラムス、ボンゴ、鐘、シロフォン、ヴィブラフォンなどは全て持ち込みである。教育文化会館前はトラック業者が運び込む楽器で大混雑していたが、わずか1曲披露するために各団体は大変な苦労をされていることが分かった。
例え演奏の巧拙はあったとしても、たくさんの団体が一堂に会し、どの団体も懸命に演奏する様子を、一度に聴くことができた「札幌市民吹奏楽祭」は私にとって貴重な一日となった。
《ウォーキング覚書》
1/21~1/25の5日間も無事に毎日一万歩をクリアすることができた。特に25日は最近にない歩数を記録した。
◇1/21 11,927歩 ◇1/22 12,402歩 ◇1/23 15,022歩 ◇1/24 10,352歩 ◇1/25 18,439歩
◇5日間合計 68,142歩 ◇1/21~1/25の一日平均 13,628歩
1/25は18,000歩強歩くことができた。この日はキタラで午後と夜と2回のコンサートがあった。その行きと、合間に都心への往復で歩数が増えた。1/23は私としては珍しく地下道をバスセンター方面を往復した。
反対に1/24はぎりぎり一万歩である。この日は自宅近くの教育文化会館でほぼ一日のイベント(市民吹奏楽祭)があり、その帰りにぐるーっと回り道をしてなんとか一万歩にした日だった。
最近、ほんの僅かだがウォーキングの効用を感じ始めている。いい感じである。
沙翁劇、すなわちシェイクスピア劇として有名な「じゃじゃ馬馴らし」の白黒サイレント映画である。典型的なドタバタ喜劇であるが、楽しく見ることができた。
私が通学する(?)「めだかの学校」では、昨年末で「映像で綴る昭和の記録」を全て視聴し終え、その後の学習として「『懐かしの映画』観賞会」が始まった。
その第1回目として、1月19日(月)午後、取り上げた映画が、「キートンの探偵入門」(1924年)と「じゃじゃ馬馴らし」(1929年)の二つの作品が取り上げられた。
「キートンの探偵入門」も楽しませてもらったが、ここではダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォードの二人が演じた「じゃじゃ馬馴らし」を取り上げることにする。
※ ダグラス・フェアバンクス
この作品はシェイクスピアの代表的な作品の一つで、いろいろなところで、さまざまな俳優たちが演じている作品としても有名だという。その中でも映画としてはこの作品が最初のようだ。
映画は、生意気で、生意気で、手におえない女(あゝ、現代にもたくさんいそうだなぁ…)を男がめちゃくちゃに苛めたために、最後はさすがの女も泣き出してしまうというストーリーが大受けしたようである。
※ メアリー・ピックフォード
なお、使用したDVDが「淀川長治名作映画ベスト&ベスト」だったために、上映前に淀川長治さんの名解説が入る。その一部分を転写する。よりこの映画の面白さが分かっていただけると思う。
「どんな話かといいますとね、もう生意気で、生意気で、手に負えない女がいるんですね。
その女を男がいじめるために、大事に、大事にしたように見せかけて、ご馳走並べて「さあ、おあがりなさい」と、その女に言うんですね。
女は、「まあうれしい。お腹すいたわ、いただきましょう」と思ったら、パーン!とそのご馳走みんな捨てちゃうんですね。
この娘に、こんな貧しいものを食べさせちゃだめだよ…と、また出すんですね。
これでいただける、思って食べようとしたら、またパーン!とやって、いくら出しても食べさせないで、もうその女が半泣きになるんですね。
おなかすいた、おななかすいた、今まで威張っていた女が泣くんですね。
それが『じゃじゃ馬馴らし』ですね。」
「キートンの探偵入門」は活動弁士が付くことを想定して作られたためか、字幕もほとんどなかったのに対して、こちらは字幕が付いていたこともあり、より理解することが容易だった。
映画で主演した二人はプライベートでも、その後結婚した(後には離婚)ということも興味深いことだった。
今後も、昭和初期の頃に公開された洋画が用意されているようである。
楽しみに通学したいと思っている。
1月の某日(ずいぶん日が経ってしまったので敢えて日付はボカすことにする)、すでに辺りは何度も通っていたところだったので、珍しい物件はないだろうと思いながら歩いていた。
すると、目の前に突然、素晴らしい物件が現れた。
以前に在った建物の跡がくっきりと残った建物に出会った。「これは〔原爆タイプ〕だ!」と思った。しかし、傍によって子細に観察すると、どうやら以前にあった建物は現在残っている母屋と完全に繋がっていたようだ。
その建物を除いたときに、繋がっていた部分をコンクリートで塗り固めたようだ。これは〔ヌリカベタイプ〕に分類するのが相応しいだろう。
そこで、この物件を〔ヌリカベタイプ-1〕として、私が勝手に「トマソン物件 札幌第12号」に指定することにした。
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※ くっきりと前の建物の跡が残っている、と思ったのだが…。
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※ 傍に寄ってると、コンクリート(モルタル?)で厚く塗り固められていた。
〔ヌリカベタイプ〕を提唱者の赤瀬川原平氏は次のように説明する。
「建物の壁に見られる絵の具の厚塗りのような痕跡。形状は四角、丸、台形など多数あり、材質はモルタルが多い。無用となった建物の穴や破損個所を塗り込めたものと推察される。その多くは無用窓、無用門、原爆タイプなどに分類整理されるが、そのどれにも入れにくいものがヌリカベである。周囲と同じ材質にしようとしながら、色などが少しズレてしまうところに味があったりする」
その建物の反対側に回ったところ、またまたトマソン物件の登場である。こちらも建物が切り離された跡を、トタン板で覆っていた。やはり〔ヌリカベタイプ〕であろう。
こちらはトタン板が母屋の形状に沿って途中で曲がっているという芸の細かさである。
こちらの物件を〔ヌリカベタイプ-2〕として、「トマソン物件 札幌第13号」に指定することにした。
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※ 同じ建物の反対側はトタン板で覆われていた。
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※ トタン板の壁の途中を見ていただきたい。建物の膨らみに合わせて折り曲げています。
《おまけの物件》
そのトマソン物件からそれほど離れていないところに派手な色遣いの壁が現れた。
よく見てみると、それは奇抜な店舗づくりで有名なハンバーグレストラン「びっくりドンキー」の駐車場の壁だった。目立つことがコンセプト(?)の店の戦略に乗せられたようにも思うが、ここは敢えて乗せられて記録しておくことにした。
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外岡氏は札幌生まれ、札幌育ちの方で、大学に入るため(東大)に東京に出て、そのまま朝日新聞社に入学したため、2011年に早期退職したことにより40年ぶりに札幌へ帰ってきたという。
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1月18日(日)午後、ルネサンスサッポロホテルで札幌南ロータリークラブの創立50周年記念講演会において、外岡秀俊氏が「戦後70年と、これからの社会」と題して講演したのを拝聴する機会を得た。
外岡氏の話で興味深かったのは、氏が海外特派員としての生活が長かったことによって感じたこととして、日本のマスコミの特徴として①ノーベル賞、②国連、③オリンピックに関することについて、日本のマスコミは突出してこだわることだそうだ。この三分野についてのマスコミの扱いは海外メディアとは対照的に扱いが大きいという。つまり外岡氏が言うには、日本の国民性(あるいはそれを先導するマスコミ)は必要以上に外国(欧米)を意識しているということが言えるということだ。
さらに外岡氏の目から見る40年ぶりの札幌は、お祭が非常に多いことに驚いたという。さらには人口が急増したこと、札幌への一極集中が進んでいること、人口が急増しているにもかかわらず、モノづくの産業が発展せず、サービス産業ばかりが増えていること、等々について触れた。
そして、急激に膨張した札幌市も2015年を境に緩やかな減少に転じ、急激な高齢化を迎えるとした。(この点については多くの方々が共通に認識しているところだ)
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外岡氏の話は日本全体のことに移っていった。
話は「人口再生産力」人口の減少の深刻さについて触れた。
「人口再生産力」とは、20~39歳の出産可能とされる女性の人口を指す。この「人口再生産力」人口が50%以上減少する自治体が2040年までに半数以上、実に896の自治体にのぼるという。それらの自治体は「消滅可能性都市」と称されているという。このことが少子高齢化に拍車をかけることは言うまでもないことだ。
そして外岡氏は別の指標も提示した。「米国家情報会議」は国の人口動態が国の勢いに直結するとして、各国の今後の行方を予想している。それによると、日本は1965~1995年にピークを迎えているという。これからにピークを迎える国としては、ブラジル、インド、イランなどがあり、現在勢いに乗っている中国も2025年にはピークを迎えるとしている。
このような状況の中で、外岡氏の処方箋は前後70年だけではなく、明治維新から敗戦までの77年間も含めて時代を概観することを提唱した。それは、明治維新からの77年間を前後期に分けて、前期を「近代前期」、後期を「近代後期」とし、戦後の70年間を「現代前期」と「現代後期」に分けて考えてみるという。
そして外岡氏は、それそれ時代を次のように概観した。
◆近代前期 「富国強兵」、「植民地」、「追いつき追い越せ」
◆近代後期 「一億一心」、「鬼畜米英」、「神国日本」
◆現代後期 「平和国家」、「経済大国」、「科学立国」
◆現代後期 「平和国家」、「成熟国家」、「少子高齢化」のモデルとなるべき。「小さくても、ゆとりのある社会」
外岡氏は指摘する。「現実から目をそらすな」と…。
つまり日本は人口もピークを過ぎ、国としての勢いもピークを越えていることをしっかりと認識したうえで国の行方を考えることが必要ではないかということだ。
先の米国家情報会議の指標は、アメリカをはじめ欧州各国は軒並みピークを過ぎている。つまり、これまで先進国といわれていた国々はこれからは「成熟国家」として国の在り方を考えていくべきだ、というのが外岡氏の意見と私は捉えた。
最後に外岡氏が強調したことは、教育の重要性だった。教育こそが成熟国家として在るべき姿を希求していく際に欠かせぬ大切な要件であると強調された。
一部、私の聞き違いや思い込みの部分があると思われるので、その点は留意してお読みいただきたい。
かなり日が経ってしまった。1月9日は我妻の〇○歳の誕生日だった。
乏しい小遣いの中からやり繰りして、以前から気になっていた我が家からほど近い創作フレンチを謳う「Nouvelle Pousse(ヌーベル プース)」に前日に予約を入れ、妻の誕生日を祝うことにした。
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※ ヌーベル・プースのエントランスです。いたって簡素です。
Nouvelle Pousseは北1条通りに面したマンションの1階部分に開店しているお店である。
私たちは予約した18時に入店したが、私たち以外にお客はいなかった。
店内は照明を落とし、装飾も派手ではなく、落ち着いた感じだった。
オーダーはシェフのお任せコース(3,500円)と妻の希望で岩見沢の宝水ワイナリー産の白ワインをボトル(2,850円)でオーダーした。
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※ 店内の様子です。ロウソクが落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
スープから始まり、前菜、魚料理、肉料理、デザート、ハーブティーとフルコースである。
感動したのは料理の味と共に、ホールスタッフ(女性)の親切な応対だった。一つ一つの料理を素材と共に丁寧に説明してくれた。
その場でメモするわけにもいかず、日が経ってしまい内容は失念してしまったが、シェフの創意工夫が生かされ、手間のかかった料理の一つ一つは満足するに値するものだった。
ワインもとても喉越しが良く、すっきりした味わいだった。
スタッフにはマナーが悪いと思われたかもしれないが、一つ一つの料理を写真に写させていただいた。何はともあれ、それをご覧いただきたい。(照明が暗いため、はっきりと写ってはいないが…)
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※ この充実した前菜だけでも感動ものです。
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※ 魚料理です。この日は北海道が時化だったため、鯛の包み焼です。菜の花の緑色のスープがきれいです。
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※ 肉料理です。詳しくは忘れましたが鳥もも肉のソテーだと思います。
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※ こちらはアイスと果物のデザートです。
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※ こちらもデザート?の焼き菓子です。ハーブティーのお伴?
その日は天気が良くなかったこともあって、在店した2時間には私たちしか客はなかったが、店を辞するときシェフも見送りに現れて、声をかけてくれた。
食べ物にはうるさい妻が珍しく気に入ったようで「また、訪れたいね」と話していた。
大人がゆっくりと料理とワインを楽しむにはいいお店である。
なお、ヌーベル・ブースとは、「新しい芽」いう意味だそうだ。
【フレンチレストランNouvelle Pousse データー】
住 所 札幌市中央区北一条西15-1-3 大通ハイム 1F
電 話 011-887-7891
営業時間 ランチ 11:00~14:30
ディナー 17:00~21:30
定休日 水曜日(他に月1回)
駐車場 無
座 席 テーブル席 16席
入店日 ‘14/12/03
《余話》
アジアカップにおけるサッカー日本代表は今夜UAEと準々決勝戦を戦い、よもやの敗戦を喫してしまった。1対1の同点のまま、延長戦を戦い勝敗がつかず、PK戦となり、本田と香川の両エースが外すという、今大会を象徴するような結末だった。
試合の中で彼らが好機に決めることができれば、というチャンスが何回もあった。
前の試合から中2日という過酷日程のため体のキレが戻っていなかったのかなぁ…。
試合後の長谷部主将、長友選手のコメントが潔かった。「弱いから負けたんです」と…。
う~~~ん。それにしても残念である。
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その後も《ウォーキング覚書》で報告しているように毎日一日一万歩を目標にウォーキングを続けている。できるだけ新しい道を、と思いながらルートを決めているのだが、最近はなかなか「これは!」という光景に出会うことが難しくなっている。
その理由の一つは我が家から歩くことができる範囲の鉱脈は掘り尽くしてしまった感があるということだ。
そして、もう一つは「雪」である。「色白は七難隠す」という諺があるが、大量の雪が面白い、あるいは特異な光景を隠してしまっているようにも思える。雪が消えるまでは仕方がない。しばらくの辛抱である。
雪は歩くのにも、 珍しい光景を探すのにもプレッシャーとなっているが、一方で、カラフルな建物に出会ったときには、その色を鮮やかに演出しているように見えてくる。
そのような物件を三件集めてみた。
一件目は、ご存じ札幌を代表する歴史的建造物である「豊平館」である。豊平館は現在改修工事中であるが、私が訪れたときはちょうど壁の塗り替えを終えた時期だったようだ。
豊平館特有のウルトラマリンブルーが一段と雪に映えていたように私には映った。
なお、豊平館の改修工事は平成28年3月までが工期で、開館は来年3月以降となる予定のようである。
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二件目は、昨年12月27日、中央区の南地区を歩いていたときだった。
ちょうど晴天だったこともあり、鮮やかな黄色の壁が飛び込んできた。集合住宅のようであるが、あまりにも鮮やか過ぎて「住んでいる人たちは落ち着かないのでは?」などと考えたが、まさか内部まで同じ色彩ということではないだろう…。
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三件目は、いささかこじつけである。今日(1月22日)桑園地区を歩いているときだった。同じような建物が並んでいたのだが、一軒一軒がそれぞれ違った色遣いをしている建物に出会った。雲が垂れ込めるような天気だったため、鮮やかさには欠けるが面白い物件と思い、ここに取り上げることにした。
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以前、漫画家の楳図 かずお氏が吉祥寺の自宅を改装する際に、壁をトレードマークの赤白のボーダーラインにしたときに周辺住民から景観を損ねると訴えられたことがある。最近は建物のカラーもさまざまである。現状を見てみると基本的には制限はないものと思うが、やはり周りとの調和ということも家の色を決める際は大切な要素なのでは、と私は思うのだが…。