私などよりはるかに旅の経験が豊富な方たちは誰もが感じていることかもしれない。旅することによって、体験したその地はそれまでの想像の地から、実感を伴った地へと変貌するということを…。
※ NHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」の舞台になった小浜島の民家です。(テレビでは民宿「こはぐら荘」として)
「八重山諸島の旅を振り返る」シリーズをあれこれと綴ってきた。気が付くと一週間以上も続けていた。まだまだ感じたこと、テーマとして取り上げたいこともあるが、いつまでもというわけにはいくまい。私はすでに日常に戻っている。そこで今回で一応の締め括りとすることにしたい。そこで改めて、旅についての私の思いを綴ってみることにした。
旅する度に思うことがある。
それは旅した地が、訪れる前と後とでは、その地に対する思いにかなりの隔たりを感ずることが多い。
それはどういうことか?
※ 黒島にあった「仲盛御嶽」です。
自分にとって未体験の地を旅するということは、情報が発達した現代においてはかなり詳しい現地の情報を入手できたとしても最終的にはそこは想像の地でしかない。だから、例えばその地についてのニュースに接したとしても、それはリアル感の伴わないニュースとしてしか伝わってこない。
※ 竹富島にあった「世持御嶽」です。
対して、その地を訪れた後で同じニュースに接したとしたら、「あゝ、あの建物の横にはこんな風景が広がっていたなぁ…」とか、「あそこの周りはこうだったなぁ…」というように、リアル感をもってそのニュースに接することができる。
また、その地の情報に接したときにも、その情報を無批判に受け入れるのではなく、自らの体験も踏まえて判断することができる。
例えとして、あまり相応しくないかもしれないが、国際的な政治や経済を論ずるアナリストたちは頻繁に諸外国を訪れているという。それはやはり伝わってくる情報だけから分析し、論ずるのではおそらく不安なのだと思われる。問題となっている地、話題となっている現場に身を置き、関係者に取材することで的確な分析・評論が可能なのだと思う。
※ 小浜島で見かけたお墓です。3軒分くらい並んでいます。
旅から帰ってきて、STVの人気番組「一八行こうよ!」を観ていたら、出演の大泉洋と木村洋二アナが石垣島を訪れた様子を放映していた。すると、映し出される景色の中に見覚えのあるところが映し出され、彼らが何に驚き、何を面白がっていたかが、私には実感を伴いながら彼らの言動を理解することができた。
※ 竹富島の道路脇で見かけたお墓です。ちょっと本州のものとの折衷案的お墓にも思われます。
私が旅した経験はそれほど多いとはいえない。しかし、体験した地は間違いなく私の中の記憶に残り、その地が想像の地から、実感を伴った地へと変貌を遂げていることを感ずる。
手前味噌ではあるが、私がこだわる旅する形がより記憶に深く刻み込まれることに作用しているだろうことも感じている。
加齢と共に、私が志向する旅する形をいつまでも続けることは難しくなってきたかもしれない。
さて、次はどうなるのだろうか…。
これにて「八重山諸島の旅を振り返る」シリーズを閉じたいと思います。お付き合いありがとうございました。
※ 竹富島で見かけた民家です。シーサーが屋根で見守っています。
※ 今回掲載した写真について若干の説明が必要のようだ。沖縄(八重山)というと、信仰心に溢れた地域という一面がある。その信仰のシンボルが「御嶽(うたき)」という社である。どういう基準で建てられているのかは分からないが、ともかくいたるところに「御嶽」が存在する。おそらく地域の人たちは何かある度にそこに集まって祀りごとを催しているものと思われる。
もう一つの特徴が「墓」である。ともかく規模が大きいのだ。おそらく相当の費用をかけて建てられるものと想像される。沖縄(八重山)では、命日などのときは墓の前に一族が集い、そこで酒食を共にすることが習わしとも聞いている。
そして、沖縄(八重山)らしい古くから伝わる形をした民家の写真を載せることにした。
旅は日常生活をしている土地を離れ、訪れた土地の文化や景色を見たり触れたりすることだというが、そこに住む土地の人たちと話をすることで、旅がより豊かになることを改めて感ずることができた旅だった…。
前回の旅(昨年春の「奄美群島を往く旅」)では、旅する前から「人との出会い」を旅の一つのテーマとして旅立ち、多くの人に絶極的に話しかけることによって旅がより豊かになったと感じていた。
ところが今回は特にそうしたことは意識しないまま旅立った。
それでも私の中に昨年の経験が生きていたように思われる。けっして積極的ではなかったが、可能なかぎり話しかけるように努めた。そうしてお話できた人たちを振り返ったみたい。
※ 小浜島の細崎に向かうとき、電線の多さが気になって収穫作業のお茶休みだった若者に話しかけた。
最初は小浜島でサトウキビの収穫作業をしていた若者たちだった。
若者たちは島の若者ではなかった。話しかけても島のことをあまり知らないようだったので不思議に思い尋ねたところ、サトウキビの収穫作業を応援するために本州などから駆け付けた若者だったようだ。
お茶休みをしているところだったが、サトウキビの茎を器用に削って齧らせてくれた。なるほど甘い汁が口の中に広がった。
※ 若者はこうしてサトウキビの茎を削って、味わってくださいと私に手渡した。
続いて、やはり道路沿いでサトウキビの収穫作業をしていた夫婦がいたので話しかけてみた。サトウキビの茎を一本一本丁寧に整えている。整えるとは、トウキビにもある細い葉のような部分を取り除いて茎だけにし、茎の長さを揃えていた。大変な手作業である。
昨年の旅の際、徳之島で機械によるサトウキビの収穫作業を見た経験があったので「機械は使わないのか?」と問うてみた。
すると、「機械を使って収穫するのは白糖の方で、黒糖の場合は余分なものが混じらないようにいまだ手作業が中心なのだ」ということだった。そのための道具が写真のような「脱葉鎌」(何と呼ぶのだろう?)という特殊な道具を使うそうだ。
※ ご夫婦二人でサトウキビの収穫作業を行う方に話を聞きました。
※ 収穫作業の際に使用する「脱葉鎌」という農具です。
そこからまた少し行くと、収穫作業を終えたキビ畑に、サトウキビの茎(種)を植え付けている人に出会った。これもまた機械ではなく、手作業で行われていた。サトウキビはこの時期植えたものは、来年の春に収穫することになるそうだ。(夏に植えたものは再来年の春に収穫する)
※ 収穫作業を終えた畑では、直ぐに次の種となるサトウキビの苗を植え付けていました。
※ 手前は来春収穫するキビ、向こうは今春収穫するキビです。
いずれも仕事中だったので長居はできず、僅かな時間の会話だった。
翌日、黒島での出会いについては一部旅の途中でもレポートしたが、一人は黒島のビジターセンターの管理人を務める通称「てっちゃんオジー」との出会いだった。
てっちゃんオジーは黒島に住む先祖たちがいかに優秀な舟づくりの民だったかを滔々と語った。ビジターセンターの横には、当時の舟を再現したものが島の祭りのために収納されていた。
そのてっちゃんオジーだが、私が思いついた先島諸島の人たちは、どこの島でも島の中央部に居住しているのは津波被害を避けるための先人たちの知恵ではないのか、という問いに必ずしも同意しなかった。
彼は「黒島では海岸部にも集落はある」と言う。しかし、私はさらに食い下がった。すると、彼の思いを汲み取ることができた。八重山諸島では過去に明和地震による30m級の津波被害に襲われたそうだ。30m級だと黒島は全島が波の下に沈んだそうだ。何せ黒島では最高地点で海抜9mしかないのだから無理もない。
てっちゃんオジーが素直に私の考えに同意できなかったもの頷ける。しかし、先島諸島のほとんどを巡った私の思いは確信に近い。
※ 黒島の港に着くと、黒島の最大の祭り「牛まつり」の開催をPRしていました。訪れた日の6日後の開催です。
同じ黒島を巡っているときだった。煙草を片手に牧場を眺めつづけている初老の男性がいた。
私は躊躇なく自転車を降り、彼に話しかけた。「ご自分のところの牛を見ているのですか?」と…。彼は「そうだ」と答えた後、黒島での肉牛農家の経営のあれこれを饒舌に私に語ってくれた。話は20分以上続いた。それを詳細に綴っていくと膨大なものになる。肉牛農家の苦悩、後継者問題、TPP、etc.…。
一人で長い時間その場に居続けたこともあったのだろう。久しぶりに話し相手を得たかのように、見ず知らずの旅人に対してあれこれを語ってくれたことが、私には何より嬉しかった。旅する醍醐味を感じながら彼の話に耳を傾け続けた。
※ 放牧されて飼育されている肉牛です。今では少数派とのことです。
ただ通過してしまうだけではけっして得られなかった得難い経験をさせてもらった思いだった。これこそが私が求める旅の形だった。
しかしこの後、西表島を訪れた私は一日目はバス、二日目はレンタカーだったこともあって、島の人たちと触れ合うことができなかったのは残念なことだった。
※ 何だか北海道の牧場風景に似ていませんか?黒島ではこうした風景が広がっていました。
最後にちょっとしたエピソードのようなことを一つ…。
西表島でのバスの移動は運転手兼ガイド兼ツアー担当者というように一人何役もこなす方だった。
私がバスの乗客の中で唯一カヌーをする客だったため、私と彼は二言、三言話を交わす機会があった。すると彼は「お客さんは北海道の方でしょう?」というのだ。これには正直いって驚いた。「えーっ!なぜ?」と問うと、語尾が北海道の人らしいというのだ。
私 は別に「だべさー」とか、「だべぇー」などという言葉はけっして発していなかった。それなのに見抜かれた(聞き抜かれた?)のだ。よく聞くと、彼は北海道の長万部出身だということだった。
同郷の人に会い、彼の中に故郷への懐かしさがこみ上げてきたのだろうか。面白い体験だった…。
尾籠な話と侮るなかれ!コトは私たちにとって大切なトイレの話である。私は西表島で逆ショックな一件に遭遇した。日本は失われた10年とか、20年と言われているが、旅する環境は着実に改善・整備されているようだ。
※ トイレの話のお口直しに、八重山のきれいな海を特集します。写真は小浜島の海岸です。
西表島の宿に着いて一息つき、私は用(大の方)を足すことにした。用を終えて、当然のようにしてトイレットペーパーで後始末をした。
その時、ハッと気付いたのだ。便器を良く見ると、その便器がウォシュレットタイプだったことにその時初めて気付いたのだった。
※ この写真もレンタサイクル店の主人イチオシの海辺の様子です。
私の中では、離島にある普通の旅館(バストイレ付ではあったが)だから、当然ウォシュレットなど無いものと頭から決め込んでいたのだ。
というのも、私の中に刷り込まれた現象があったのだ。
少し以前の話になるのだが、2008年に妻と沖縄本島を旅したことがあった。その時の宿は沖縄でも高級に属するリゾートタイプのホテルだったので、当然ウォシュレットタイプだろうと思っていたのが見事に裏切られた記憶があった。ホテルの名誉のために書き添えておくと、ホテルのコモンスペースにあったトイレはウォシュレットタイプだったが…。
※ こちらは小浜島の細崎という岬から遠くに西表島を望む一枚です。
あれから7年、時間は経ったとはいえ、沖縄本島からはるか離れた八重山の離島の和式の宿のトイレがウォシュレットタイプだったとは嬉しい誤算だった。
※ この海岸はウミガメが産卵に上陸するという黒島の海岸です。
そんなことがあって旅をふりかえったみたところ、離島とはいえ観光スポットに設けられたトイレはいずれも水洗トイレがもちろん整備されていた。西表島から水道を引いているという黒島の海辺にあった公衆トイレも水洗トイレだった。
ここのトイレなどはシーズンオフだったせいかもしれないが、人っ子一人訪れていない海岸だったのだが立派に整備されていた。
※ 小浜島のフェリーターミナル近くの海岸ではカイトを使ったボードで遊ぶ若者がいました。
ことほどさように、観光地だけではないと思われるが、日本におけるトイレ事情はかなりのスピードで改善されているようだ。トイレが水洗化されているということは下水道の施設設備が整っているということになる。(もっとも中には簡易水洗で単独で浄化槽を設置している場合も考えられるが…)
日本は失われた10年とか、20年とか言われ、社会基盤(インフラ)の整備が遅れがちとも云われていたが、どっこい着実にその基盤は整備されているのではないか、と思わせられた一件だった。
※ 西表島の「星砂の浜」ですが、星砂はすでに獲りつくされてしまったようです。
《ウォーキング覚書》
2/21~2/25の5日間も着実に毎日一万歩強のウォークを実施することができた。
我が家から一万歩圏内はほとんど歩き尽くした感があり、札幌珍景的なものを見ることも少なくなったが、それでもこれまで撮り貯めた中で報告できていないものがある。近々報告できたらと思っている。
◇2/21 11,361歩 ◇2/22 12,897歩 ◇2/23 10,986歩 ◇2/24 11,583歩 ◇2/25 12,059歩
◇5日間合計 58,886歩 ◇2/21~2/25の一日平均 11,777歩
この5日間は2/24を除いて連日のように講演や講座に参加した。その会場までの往復路を歩いたのだが、それでは一万歩に達しない。そこで始まる前に会場まで遠回りをするようにして歩数を稼ぐようにした。2/23などは歩数計を眺めながらギリギリで一万歩をクリアした。
イリオモテヤマネコは国の特別天然記念物に指定されていることはよく知られていることだが、現地へ行ってみてイリオモテヤマネコが西表島においてかなり特別な存在であることを痛感した。
西表島でバスに乗っているときだった。路上に茶色い縞模様が見えてきた。そこをバスが通ると、ガタガタと小さく車体が揺れた。運転手さんによると「ゼブラゾーン」と称して道路に凹凸を付けているそうだが、目的は道路を車が通過していることをイリオモテヤマネコに知らせることだという。
※ 島内の道路の各所に設けられていたゼブラゾーンです。
このことが契機となって、運転手さんはイリオモテヤマネコを西表島全体でいかに大切に保護しようとしているかについて饒舌に語った。
イリオモテヤマネコは島全体で100匹程度しか生存していないと推定されているそうだ。
そのネコが路上で車に轢かれて死んだ動物たちを食しようと道路に現れ、そこで車の轢かれて死んでしまうケースが増えているそうだ。(年間3~4件の事故があるようだ)
そうしたケースを減らすためのゼブラゾーンであり、私たちは見ることができなかったが、道路の下にはネコが横断するための動物用トンネルも造成されているという。
※ 仲間川に架かる橋の欄干に設置されていたイリオモテヤマネコの石像です。(実物より大きい)
地元紙(八重山毎日新聞)ではちょうどイリオモテヤマネコの保護について研究者たちの会合があったことを報じていた。その記事には「ロードキルを減らせ!」という見出しが付いていたが、それはイリオモテヤマネコが路上で殺されることを防ごう、という呼びかけであった。
そのことを知った翌日、レンターカーで西表島内を走った。
すると、道路のそこかしこにイリオモテヤマネコに注意を促す道路標識が目立った。
その度に車をストップし、カメラに収め続けた。
※ 歩道脇をよく見てください。ネコの飛び出しを防止する黒いネットが張られています。
シャッターを押しながら思った…。
中国のパンダがそうであるように…。ニュージーランドのキーウィがそうであるように…。絶滅危惧種となっているイリオモテヤマネコを生体で捕獲し、人工的な増殖を図るという手立てはとらないのだろうか?そして、その生体の一部を飼育ゲージ越しに観光客にも見てもらう、というようなことは考えられないのだろうか?
関係者の間ではいろいろと議論が進んでいるのだろうが、何せ生存数が限られているため、現在はどこにも生きた形で捕獲されたイリオモテヤマネコがいないことも分かった。
1995年には保護増殖事業・調査研究の実施・普及啓発等を推進する「西表野生生物保護センター」が設置されたという。設置目的に「保護増殖事業」という項目があるので、きっと近い将来にはイリオモテヤマネコにとって福音となるニュースがもたらされるかもしれない。
イリオモテヤマネコは西表島にとってはシンボルである。そのシンボルの絶滅を防ぐために努力されている方々にエールを送るとともに、イリオモテヤマネコが島の永遠のシンボルとして在り続けることを願いたいと、島を訪れた一人として思ったのだった…。
麺好きの私は今回の旅におけるランチは、徹底して沖縄そばにこだわった。食した沖縄そばは「八重山そば」、「ソーキそば」、「味噌そば」、「牛そば」の4種である。それぞれに特徴があり面白かった。
「沖縄そば」とはいっても、食した経験のある方ならお分かりだと思うが、いわゆる蕎麦とは食感がまるで違う。それもそのはず、「そば」とはいえ蕎麦粉はまったく使われておらず、小麦粉が原料であって食感はむしろ「うどん」に近い食感なのが沖縄そばである。
札幌でも沖縄そばを食しようと思えば、沖縄料理店などで食することができるのだろうが、札幌においては他の麺料理が美味しいため沖縄そばに触手を伸ばすことはない。ところが、沖縄へ行くと無性に食したくなるのだ。
ということで、今回もランチは沖縄そばにこだわった。
まずは、石垣市内の中心部で「八重山そば本店」と大きな看板を掲げた「夢乃屋」というそば屋さんに入った。
オーダーはまずは基本に忠実に「八重山そば」(626円)とした。八重山そばは、私の理解ではトッピングが沖縄本島のものとは違うだけと理解した。つまり、赤身肉とかまぼこが載っているのが八重山そばの特徴である。しつこくない薄味のスープが私的には好みである。
※ 「八重山そば」です。暗い中での撮影のためあるは美味しく見えないかしれないが、十分に美味しかった。
続いて、次の日も石垣市内の目抜き通りにあった「そば処 まーさん道」という派手な店構えの店に入った。
オーダーは「ソーキそば」(842円)にした。ソーキそばは、厚い豚のあばら肉がトッピングされたそばだが、味としては基本的に八重山そばとそれほど変わりはなかった。
そのことより、昼どきをやや過ぎ、他に客のいない中で、いかにもやる気のなさそうなスタッフがそばを運んできたのが気になった…。
※ こちらは「ソーキそば」です。八重山そばとはトッピングの肉が違っただけ?
三日目は黒島のフェリーターミナルの前に唯一あったカフェ&食堂「ハートらんど」というコンテナボックスでできている店に入った。
オーダーは、そば類として店のメニューに唯一あった「味噌そば」(600円)にした。
味噌そばとは、島味噌を使用したものだが、やや癖のある香りが初めは気になったが、食べ進むうちになかなか面白い味で気に入った。トッピングには厚い豚肉とニラとモヤシが入っていた。
島味噌とは、ふつう大豆と米を原料とするところを、大豆と麦を原料として作る味噌のことだという。
※ 私が最も気になった「味噌そば」です。他とはスープの味がまったく違いました。
西表島の二日目、島内を巡っていて「星砂の浜」(実際にはもう星砂はほとんど採集できないらしい)という海辺にあった「ほしずな亭」という食堂に入った。老夫婦二人で経営するあまり清潔とは言い難い店だったが、メニューに「牛そば」(980円 高い!)があったので、妥協することにした。
そばは牛のエキスが抽出されたスープと、牛肉がたっぷりとトッピングされたものだった。私としてはやや牛肉が多すぎるのでは、と思われたが牛そばらしさを十分に味わえた一杯だった。
※ 一番高価だった「牛そば」です。こちらも牛肉たっぷりでした。
というように、今回の八重山諸島の旅においては沖縄そばを堪能することになったのだが、それぞれ面白い味であった。その中でも私としては「味噌そば」が特に気になるそばだった。
麺好きの私としては沖縄そばも十分に美味しく食することができたのだが、文中でも書いたとおり、札幌へ戻ってくると他の麺の方に触手が動く。
つまり、食の味覚、好みというのは長い期間かかって刷り込まれているために、そうそう簡単には心が動かない、ということなのかもしれない…。
旅の楽しみの一つにその土地の特色ある食を楽しむことがある。あまり食にこだわりのない私であるが、それでも今回の旅でいろいろと八重山の食を楽しんだ。
※ 石垣牛を供する店として、私が訪れた「石垣牛 MARU」のエントランスです。
石垣市の食を代表するものといえば「石垣牛」であろう。
パンフレットでも石垣牛を提供する店が満載されているし、石垣市内を歩けば石垣牛の看板が目白押しといった状態である。
しかし、ブランド牛だけあって、価格の方もそれなりである。
私は予算との絡みもあり、石垣市での最後の夜になった18日の夜に、「こだわりの石垣牛、黒毛和牛を堪能できるお店! 石垣牛MARU」という店を訪れた。
※ 「石垣牛 MARU」の店内です。中級店といった趣きだろうか?
肉はあまり好みではないので、札幌でも牛肉を提供する店に入ることなど皆無といってよい私は、何をどのようにオーダーすればよいのか分からなかった。そこでスタッフに伺うと「観光客の方は、三種盛り(4,000円)をよく注文されます」とのことだったので、その助言に従うことにした。
三種盛りとは、上カルビ、上ロース、ゲタカルビの三種をそれぞれ60グラムずつ盛ったものだという。それを焼肉店の要領で、自分で焼いて食する方法である。
※ 私が食した「三種盛り」です。写真上から時計回りに、上カルビ、上ロース、ゲタカルビの順です。
食した感想は旅の途中でも書いたが「こんなものか…」というのが率直な印象である。その中でも上カルビの脂こってりの食感は私にはあまり歓迎したくない味だった。
黒島で出会った牧場主が言っていたが、日本のブランド牛は運動をさせないように畜舎に繋ぎとめて栄養のある飼料を与え続けて脂分たっぷりの肉を作るという。いわば高級牛といわれる牛肉は不健康な牛の肉なのだ。そう考えるとあまり有り難いと思えなくなる。
その他の八重山食としては、島唄ライブを聴いた「結風(ゆいかじ)」で「八重山らしい食材を!」とお願いしたら、「島らっきょう」とか「海ブドウ」とかを推薦されたが、私はどちらもダメなので、「ラフティー」と「グルクンの唐揚げ」を注文した。
ラフティーは沖縄料理で豚の角煮のことである。また、グルクンは沖縄の魚にも指定されている熱帯域の魚である。
ラフティーの方は甘辛く味付けしてありまあまあだったが、グルクンの方はさっぱりした味ではあったが、特別に美味しいとも思えなかった。
※ ラフティー(居酒屋価格で620円)です。
※ こちらはグルクンの唐揚げ(同じく620円)です。
※ 島唄ライブの店「結風」のライブ風景です。
その他では、17日のツアーが昼食付きで、島のホテルで島料理満載の弁当をいただいた。
ゴーヤチャンプルー、もずく酢、パパイアの佃煮、シマカボチャ、あんだーす(油味噌)、トンボマグロ(ビンチョウマグロ)の塩焼き、などなど…。これはバラェティ―に富んでなかなか美味しくいただいた。
※ 島料理たっぷりのお弁当は私にはなかなか嬉しい弁当でした。
最後に同じく17日、西表島の宿の夕食でも島料理が出たが、その中に「フエフキダイ」の姿煮(塩煮)が出されたが、私の口にはまったく合わなかった。(甘辛煮だったらどうだったか?)
※ せっかくの姿煮のフエフキダイ(右側)がちょっと残念だった。
と、八重山の食した一部を紹介してきたが、食にあまりこだわりがないせいだろうか?正直言って八重山(沖縄)の食にはそれほどの感動はなかった、というのが正直なところである。
海のものについては北海道の海産物の方が私の口には合っているし、一歩上をいっているのではないか、というのが正直な感想である。
投稿した翌日(24日)になって、リード文と結論とに齟齬が生じていることに気が付いた。
私の思いとしては、八重山の食と北海道の食の違いを感じながら八重山の食を楽しんだ、というのが本当の結論である。
※ この項で「沖縄そば」についても触れたかったが、行数が多くなったので明日別に項立てをして報告することにする。
私の旅が一般的な60代の方々の旅と違うとしたら、それは旅の中にかならずアクティビティーを取り入れていることであろう。その地の景色や文化を見たり、触れたりするだけではなく、その地に自ら働きかけることによって、より豊かな旅になると信じているからだ。
※ レンタサイクルの主人が小浜島でイチオシの海岸として推奨してくれた浜辺です。
今回の旅において、私の旅が一般的な60代の方々の旅と異なった旅の形だとしたら、それは島内の移動に自転車や車を使ったり、山に登ったり、カヌーイングやトレッキングなどを取り入れていることだろう。
それは単にバスで移動し、景色や文化などを見て回る一般と旅とは大いに異なると自分では信じている。
確かに私もその地を観光で訪れているのだから、名所旧跡はできるだけチェックするように心掛けている。ただ、私の場合はそれだけではどこか物足りないのだ。訪れた地にもっと自ら働きかけてみたい、するとそこには一般の旅では得られない何かが得られるはずだ、という思いが常にあるのだ。
今回の場合、まず小浜島、黒島の島内移動にはレンタサイクルを選択した。その理由は、島内滞在の時間から判断して自転車が最適と判断したからだが、自転車での島内巡りは島に吹き渡る風を感じ、道端に居た土地の人たちとの会話を産み出してくれた。
また、アシスト付き自転車の初体験については旅の途中からも報告したが「笑っちゃうくらい上りが楽だった!」という迷言を編み出した。
※ 西表島で使用したレンタカーです。マツダ製の1,300CCの車でした。自転車は残念ながら写真はありません。
西表島はその島の大きさからレンタカーとした。それは私が宿泊先とした大原地区にはレンタバイクの店がなかったことによる。一日の移動距離が80キロ程度だったからレンタバイクで十分だったのだが…。(昨年の奄美群島の旅ではレンタバイクが大活躍だった)
山に登ったと書いたが、これはそれほどのことではない。小浜島の中央部にちょこっと小高い丘がある。島の最高峰(?)「大岳(うふだき)」である。300段の階段がついている可愛い山(?)だった。山頂からは小浜島全体が見渡せた。これとて、一般の観光客は登ることはないだろう。というよりも、小浜島自体一般の観光ツアーには組み込まれてない島である。
※ ご覧のような小高い丘が小浜島の最高峰「大岳(うふだき)」です。
※ 「大岳」山頂から見た景色です。海の向こうに無人島の「嘉弥真島」が見えます。
カヌーイングについては旅の中でも報告したが、今回の旅のハイライトであったが、下半身がびしょ濡れになりながらも十分に楽しめた。これも特別に希望しないかぎり一般のツアーでは体験できないものであろう。
※ カヌーではすぐ目の前まで行ってヒルギの根を写真に撮ることができました。
※ 大サービスです!スタッフに撮っていただいた私がカヌーを漕ぐポーズをしているところです。
トレッキングもそうである。こちらは二つの滝(マリユドゥの滝、カンピレーの滝)までの往復路で、高齢者の方にもけっこう出会うことができたが、それらの方々はそのことを目的にして島を訪れた方のようだった。
※ 二つの滝へ向かうトレッキングコースです。こうした道を2.2キロ山奥へと進みました。
※ 一つ目の滝「マリユドゥの滝」の遠景です。この滝は近づくことができません。
※ もう一方の滝「カンピレーの滝」です。こちらは直ぐ近くまで近寄れました。
このように私は旅の中に積極的にアクティビティーを組み込むようにしている。アクティビティーとは言っても、若者たちが好むシュノーケリングとか、ダイビング、キャニオリングなど、よりアクティブなことはちょっと無理であるが、私にも可能なアクティビティーはこれからの旅でも組み込めたらと思っている。
そうすることが同世代の方々より、より豊かな旅が実現できているという思いがあるからだ。
※ 小浜島で道の両側をサトウキビに囲まれた一本道のため「シュガーロード」と呼ばれている個所です。
※ 私の旅を称して、年齢的にはアクティブな旅と称する方がいるが、年代の平均的な旅からすると多少はそう言えるかもしれないが、我々年代でもっともっとアクティブに行動されている方がゴマンといるのも事実であり、私自身そのことは十分に承知しているつもりだ。
今回の旅の航空機はニュージーランドの旅以来恒例となったLCC、そして宿はこれも私にとって常宿となりつつある○横INNでの宿泊だった。
※ 今回、唯一撮ったピーチ航空機の写真です。千歳で雪に見舞われているところです。
航空機はピーチ航空が関空から新石垣空港までの直通便を就航させていることを知り、ピーチに決めてしまった。LCCの圧倒的なコストパフォーマンスの良さを知って以来、私の中にはLCC信仰のようなものが宿ってしまったが、このことには今後少し懐疑的になってもいいのかもしれない。
というのも、LCCにこだわるあまり、今回私は往路便において関空で一泊しなければならないはめになってしまった。ここは前回の八重山諸島の旅で利用した1泊8日間のようなスケルトンツアーも検討の対象とすべきだったと、帰ってきてから反省している。
※ 関空での朝7時、同じ時間帯に4~5便が飛び立つために大混雑ののピーチ航空のターミナルの様子です。
しかし、今やLCCは相当な人気ぶりである。新千歳⇒関空、関空⇒新石垣、新石垣⇒関空、関空⇒新千歳と計4便利用したが、どれも満席状態だった。LCCの登場は既存の大手にとっても脅威の存在となっているのではないだろうか?
今回の旅の宿については、関空(泉佐野市)と西表島を除いては石垣市の○横INN石垣島に4泊した。
最近の私の旅で○横INNのホテルがあるところでは必ずといって良いほど○横INNを利用している。その理由もやはりコストパフォーマンスの良さである。
○横INNは、企業として実に緻密に計算したしたたかな企業経営をしていると思う。
そのことを感ずる点は多々あるのだが、○横INNの場合「宿泊特化型ホテル」を標榜し、施設・設備は必要最小限のものを提供することで徹底したコスト削減に努めている点がある。現在、全国245店舗(含む韓国)を展開しているそうだが、全国どこへ行っても同様の施設・設備が準備されている安心感も心強い。
設備の面で水回りの3点ユニットが大柄な人には若干窮屈かな?という印象もあるが、これも私にとっては問題ない。もちろん清潔さは十分に確保されている。
また、女性スタッフで運営されている点も、ソフトなサービスを目ざす企業戦略のように思える。
私は今回の旅で、部屋のエアコンが不調のことがあった。電話で訴えると直ぐに対応してくれた。また、荷物がちょっと増えて宅急便を使用することになったときにも、とても親切な対応をしてくれた。いつも笑顔を絶やさず、終始気持ち良く利用することができた裏には会社の社員教育の徹底があるような気がした。
サービス業であるからそれは当たり前、という考えがあるかもしれないが、少し高級なホテルにある慇懃無礼な対応などは私の好みではない。むしろ自然に振る舞う彼女たちの対応の方が私には好ましい。
一時、バリアフリー設備の不備が問題となり、創業者の西田氏の対応が批判を浴びたことがあったが、○横INNがホテル業界に登場したことによって、ホテル業界もまたおおいに刺激されたのではないだろうか。
エアーもベッドも、現在のところ私のような年金族には最適と判断しているが、こうした業界は競争も激しい。絶えず変化と進化が図られているので、利用する際には情報を収集し、より良いものの選択をしていきたいと考えている。
※ 石垣島での石垣である。竹富島でも目立ったが、ごらんのようにサンゴ礁を利用した石垣が目立ちました。
《ウォーキング覚書》
2/11~2/20の10日間の覚書となってしまった。この間「八重山諸島の旅」があったために、書き記すことができなかった。旅の途中でも書いたが、自転車などの移動手段を使っているのに、移動で一日を費やした2/19以外は一万歩以上を記録した。旅とは(特に私の旅は)やはり足が重要であることを再認識した。
◇2/11 11,276歩 ◇2/12 5,456歩 ◇2/13 20,028歩 ◇2/14 11,837歩 ◇2/15 18,120歩 ◇2/16 10,629歩 ◇2/17 11,062歩 ◇2/18 15,172歩 ◇2/19 8,486歩 ◇2/20 10,205歩
◇10日間合計 122,271歩 ◇2/11~2/20の一日平均 12,227歩
この10日間では2/12の日が不覚だった。この日の午後遠方で会議があり夕方近くまでかかってしまった。日没まで時間があまりなく、目標の半分にとどまった。
2/13は大阪・泉佐野市で市が設定したウォーキングコースを歩いたことによる。
2/18も少し多いのは、レンターカーで島を回ったにも関わらず、滝を見るために山道トレッキングをしたせいである。ともかくこの10日間も一日平均一万歩を確保できたことを良しとしたい。
私は旅する形にこだわっている。旅する形とは、一言でいえば「セルフプロデュースの旅」に徹することである。妻と一緒の旅は別として、一人旅の場合はセルフプロデュースの旅にこだわってきた。その心とは?
※ 竹富島は島全体が徹底して観光客向けにできている。写真の家も昔風の造りだが、普通に人が住んでいる家である。
私が一人旅を計画する際、旅行会社等が発行する旅に関するパンフの類は一切見ない。
私の中に誰かがお膳立てした旅程に乗って旅することを良しとしない気持ちがあるのだ。
自分が行きたいところ、自分が見たいところ、自分が体験したいことを、自分自身の手で計画し、準備し、実施することにこだわりたいのだ。
旅行会社の企画に乗って旅を楽しんでいる人には申し訳ないのだが、いいとこ取りしたように名所旧跡を次々と訪れるだけの旅にはどうしても馴染めないところがある。
今回の場合、私はいつものように寒さを逃れ、南の島を旅したいと思った。
そう思ったとき、幾多の思い出が詰まっている6年前の八重山諸島の旅が思い出された。「そうだ!あの時の旅で行けなかった島へ行ってみたい」という思いが浮かび上がった。
※ 郵便局もご覧のとおり、景観を壊さぬよう民家と同じような体裁を施しています。
行くところが決定したら、交通手段と宿の手配である。
私の旅はまた、リーズナブルな旅を志向する。交通手段と宿については別途項を起こして述べるつもりだが、私は旅に優雅さなどは求めない。できるだけ少ない費用で、できるだけ多くの日数を旅に充てたいと思っている。妻と一緒の場合はそうはいかないが…。
今回の旅で私が費やした交通費と宿泊費を披瀝すると…。
交通費(飛行機代)29,050円、宿泊費(6泊)32,739円、合計で61,789円だった。
ところが安いと思っていた私の旅の費用だが、旅行会社もさすがにプロである。
私は帰途、札幌駅構内に事務所を構える旅行代理店の棚からパンフをいただいてきた。
それを見てみると、JALパックで飛行機とホテルがセットになったもので、4泊5日の旅程のものが、私と同じ時期で63,800円と出ていた。それほど違わないのである。(このパックの場合はいわゆるスケルトンツアーで、現地での行動はそれぞれが考えるというツアーであるから、私の旅の形に近い。私が6年前に八重山諸島を旅したときはまだLCCが就航前だったこともあり、1泊8日というスケルトンツアーを利用した)
※ 竹富島名物の水牛車で集落内を巡る観光客です。道の両側の石積みの塀がずーっと続いています。
日数的には私の方が多いが、費用的にはけっして私の旅の形がリーズナブルである胸を張って言えるほどではないことも事実だ。
ただ、全てを自分の手で行うところに、私自身は意味を見出しているつもりである。
現地の事情に疎い。旅のプロでもない。そんな私が自分でプロデュースするのだから、無駄や齟齬が多いことも事実だ。そうしたことは織り込み済みで、私は私の旅する形に固執する。
そのことが、旅を豊かにしてくれる形だと信じて…。
帰宅報告をしなかったために、旅の期間中ずーっとコメントをいだいていたあさぎ氏から、無事に帰宅したかどうか心配(?)するコメントをいただいてしまった。
大変に申し訳ありません。
昨日、午後7時前に無事帰宅いたしました。
帰宅して直ぐに安着祝いとなった。
それを終え、一息ついたら帰宅報告を投稿しようと思っていたが、そこに息子が乱入してしまった。
そのため安着祝いは延々と続いてしまい、息子が帰った時にはもうブログを投稿できるような状態ではなく、直ぐにバタンキューの状態だった。
やはり我が家は良い。特に予定がなかったこともあり、ぐっすりと寝てしまい起床が大幅に遅れてしまった。
※ 西表島の名所の一つ、「大見謝ロードパーク」の海岸風景です。
今回の私の旅を追っていただいた方にはちょっと心配させてしまったかもしれないことをお詫びしながら、「八重山諸島を往く」シリーズを閉じたいと思う。
今夜から、続いて「八重山諸島の旅を振り返る」シリーズをスタートしようと計画している。また、お付き合いいただければ幸いです。