私はここ十数年、月刊誌「文藝春秋」を定期購読しています。
今月号に定年後の生き方に触れた記事がありました。そうすると、私たちの定年後の生活の経済生活はかなり厳しいものであることが記述されていました。
「何を今さら」と思われる方もいらっしやるでしょう。しかし、私はまったくこの点に関してはノー天気なのです。
私(私たち)の老後は、公的年金が唯一の頼りなのです。その年金制度がかなり危機的状況にあるという認識は一応持ってはいても、自分の問題として切実に感じられないところに私のノー天気さがあります。
田舎から都会に移り住むということは、これまでは必要でもなかったことに経費がかかってくることもあるんだろうと思われます。そしてまた、ノー天気に私は退職後の海外旅行を夢見ています。
いったい大丈夫なんだろうかと、自分のことながらこの「文藝春秋」の記事を読んでいて不安になっています。
これまでは入ってくる給料の範囲内でのつつましい生活をしてきました。これからもその延長のように考えていたのですが、その頼りとする年金の支給額が将来どんどん減額されてしまうとしたら…。今になってからでは遅いのですが、ノー天気な私は今になって、自分の置かれている状況がこの先バラ色などではなく、かなり灰色っぽいことを自覚しなくちゃいけないのかなぁ、と思いはじめました。
まさにノー・マネー、ノー・フリーダムです。
さあ、どうしようか・・・。
今月号に定年後の生き方に触れた記事がありました。そうすると、私たちの定年後の生活の経済生活はかなり厳しいものであることが記述されていました。
「何を今さら」と思われる方もいらっしやるでしょう。しかし、私はまったくこの点に関してはノー天気なのです。
私(私たち)の老後は、公的年金が唯一の頼りなのです。その年金制度がかなり危機的状況にあるという認識は一応持ってはいても、自分の問題として切実に感じられないところに私のノー天気さがあります。
田舎から都会に移り住むということは、これまでは必要でもなかったことに経費がかかってくることもあるんだろうと思われます。そしてまた、ノー天気に私は退職後の海外旅行を夢見ています。
いったい大丈夫なんだろうかと、自分のことながらこの「文藝春秋」の記事を読んでいて不安になっています。
これまでは入ってくる給料の範囲内でのつつましい生活をしてきました。これからもその延長のように考えていたのですが、その頼りとする年金の支給額が将来どんどん減額されてしまうとしたら…。今になってからでは遅いのですが、ノー天気な私は今になって、自分の置かれている状況がこの先バラ色などではなく、かなり灰色っぽいことを自覚しなくちゃいけないのかなぁ、と思いはじめました。
まさにノー・マネー、ノー・フリーダムです。
さあ、どうしようか・・・。