田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

切り刻まれる大地

2007-05-31 18:18:50 | 札幌(圏)探訪
 札幌に限ったことではないのでしょうが、舗装された道路があまりにも切り刻まれてはいないでしょうか。
 通勤の途中で目にする光景に、「試される大地」ならぬ「切り刻まれる大地」などというコピーがうかんできました。

 さまざまな理由や必要性があって、一度舗装した道路を切り刻み、掘り返して、地下に何かを施しているのでしょう。まあ、考え方によっては、切り刻まれる度に都市としてのインフラが整備されていくということなのでしょうが・・・。
 それにしても、同じ所を何度も切り刻んだのではないかと思われる道路の表情は醜悪ですらあります。

 私の住居の近くの歩道は、丸みを帯びた石(コンクリート?)がきれいに並べられた歩道だったのですが、そこも掘り返されていました。工事が終わった後は石が並び直されるのかと思っていたのですが、おざなりの簡易舗装のようなものがされただけでした。

 道路設置者(国?道?市?)は、あのようなおざなりの修復で許可を与えているのでしょうね、きっと・・・。
 しかし、都市をできるだけ整備する立場の行政が、あのように醜悪としか思えない修復で良しとするのは解せません。
 一度クレーマーとやらになってみようかな???

広~~い (?) 北大構内

2007-05-29 21:46:31 | 札幌(圏)探訪
 こちらに来てから知り合いになった方の一人に林心平さんという方がいます。
 彼は最近「札幌はなぜ、日本人が住みたい街№1なのか」という本を発刊しました。
 その中で彼は、大学の構内に巨木が茂っていると母校の北海道大学を描写しています。

 そんな巨木が繁る北大構内を散策しようと27日(日)例によっておにぎりを抱えて出かけました。
 なるほど北大構内にはたくさんの巨木が生い茂り、札幌の都心に近いにもかかわらず静かな環境が醸し出されていました。
 日曜日だったこともあって、学生より観光客が目立ちましたが、その人たちに混じりながら クラーク会館 → クラーク像 → 交流プラザ「エルムの森」 →総合博物館 → ポプラ並木 → 札幌農学校第2農場 (モデルバーン) → 平成ポプラ並木 と巡り歩きました。
 方向的には、構内の南端から北に向って横断した後、西に向って縦断し、西門(と明示されてはいませんでしたが…) から抜けて帰路につきました。

 ちょっと余談です。
 途中、獣医学部の側のベンチでおにぎりを頬張ろうとしたときです。
 それを目ざとく見つけたハシブクガラスが舞い降りてきました。追い払おうとしたのですが、敵はなかなかしぶとく簡単には引き下がらないどころか、隙あらばおにぎりを奪おうとさえ見える態度です。隣ではカラスの攻撃を受けた女性が悲鳴をあげています。
 よく見ると黒光りした太い嘴と鋭い眼光は不気味に思え、これではゆっくり休めないとおにぎりを味わうのをあきらめました。

 北大構内観光ツァーの感想の一部を・・・。
 「ポプラ並木」はご存知のように、半数近くのポプラが倒壊してしまっているため、往時の面影はなくなっています(写真)。それに代わる「平成ポプラ並木」が造成されていますが、並木と呼べるようになるにはあとどれくらいの年月が必要なのでしょうか?

 「札幌農学校第2農場」は、札幌時計台(農学校演舞場)などと共に、農学校開設当時の建物を集めて修復し、現物保存・展示しているところです。
 私はそれらを見たとき既視感のようなものを覚えました。建物の内部が、小さい頃よく訪ねた祖父の家の倉庫や馬小屋によく似た造りだったからです。ということは、北海道の農業においてはつい最近(?)まで明治時代にアメリカからもたらされた農業の形態が引き継がれていたということなのかもしれません。

 お勧めは「北大博物館」です。
 時間がある方はぜひゆっくりご覧になると良いでしょう。一級品がたくさん展示されています。
 特に地球物理学、動植物に関する展示が充実しています。

 南北約2km、東西約1kmに広がる北大構内は、広いことは広いのですが、なんとなく手狭な感じもしました。というのも、各学部の建物や研究施設があまり間をとることもなく整然と並んでいるように思われたからでした。

 総合大学としてあらゆる学部・学科と大学院を備え、さらには附属の各種研究機関が次々と増設されることによって、開設当時は本当に広々としていたのでしょうが、現在ではもう目一杯といったところでしょうか・・・。
 とは言いつつ、

  北海道大学の構内には巨木が生い茂り、札幌の都心近くに豊かな自然を現出し、学生たちに、市民になんともいえない癒しの空間を提供してくれている。

と感じました。そして私たちは広い構内を歩き巡り、すっかり疲れ果てて自宅に帰りついたのでした。
 

リラ冷えの街

2007-05-28 21:09:01 | 札幌(圏)探訪
 妻に誘われるまま26日、ライラックまつりが行なわれていた大通公園に出かけました。
 雨が上がったばかりで肌寒く、コートを羽織り、傘を持ってのまつり見物となりました。

 まつりは大通公園の4丁目から7丁目が会場でした。
 会場に着いたのですが、人影が多くありません。わずかにワインガーデンのところに人影が目立つくらいでした。
 それもそのはず、メイン行事の一つである音楽祭が雨のため中止になっていたのでした。

 その他、野だてなど小さな催しはたくさんありましたが、どうも盛り上がりに欠けたように私には映りました。
 寒さや雨が人出を遠ざけたのでしょうか。それとも、花がメインのまつりは、本来このように静かなまつりなのでしょうか。

 救いは、大通公園の周囲に咲くライラック(リラ)の花が、薄紫色の花を満開にして微かな香りを漂わせていたことです。

  まつりは人出が多ければよいというものではありませんが、それにしても今年のライラックまつりはちょっと寂しい感じがしました。 26日のサッポロの街は文字通り「リラ冷えの街」になったようでした。

散っても美し・・・八重桜

2007-05-27 17:07:29 | 環境 & 自然 & 観察会
 夏らしくブログの背景を更新してみました。
 さらに掲載する写真の大きさをもう少し大きくしようと試みたのですが、なかなか思うようにいきません。
 もっともっと勉強ですね。

 さて本日の話題です。
 ソメイヨシノやエゾヤマザクラはとうの昔に散りましたが、サクラレースの最後を飾るように咲いていたヤエザクラ(八重桜)もとうとう最後の時を迎えたようです。
 先日(5月23日)出勤のためいつものようにミニ大通を歩いていたら、通路に散ったヤエザクラの花びらが通路を埋めるように溜まっているところに出会いました。
 私は思わず足を止め、カメラに収めたのでした。
 その様子を見た出勤途中の若い(?)女性も「きれいですねぇ」と声をかけてくれました。

 うら若き女性が、見知らぬ男に思わず声をかけるくらい見事な光景だったいうことです。 

 ※ いろいろ工夫した結果、写真が願っているように大きく掲載されたようですね。
 

札幌生活の先輩たち

2007-05-26 21:48:03 | その他

 沢木耕太郎のこだわっているうちに一週間が過ぎてしまいました。
 話は少し古くなるのですが、先週一週間はまるで示し合わせたかのように、以前に交流のあった方で札幌市に転居され、札幌生活において先輩の方々と交歓する機会を三回も持つことができました。

 まず、網走管内で同じ職業で、同じ町で勤めた二組のご夫婦との会がありました。
 次に、私が30代後半の頃、同じ学校に勤めていた元同僚の方と交歓する機会がありました。
 最後は、私の教え子で札幌でサラリーマン生活を送っている一人と一献を傾ける場をもちました。

 最初のご夫婦は、私と同じように第一線を退いた方々ですが、二番目、三番目の方々はまだまだ現役ばりばりで、それぞれ仕事のやりがいを語り、未来を語ってくれました。
 私は彼らに心からエールを贈りました。未来に向って、夢に向って突き進め!と・・・。

 それとはまったく違った形で、最初のご夫婦たちとの会話は私をおおいに刺激してくれました。
 二組のご夫婦はそれぞれ私たちより4~5才年上の方々です。
 二組に共通するのは、とても健康的であったということです。
 それもそのはず、一組は登山やトレッキングを楽しんでいるということでした。もう一組はスキューバーダイビングに、スノートレッキングとこちらも活動的です。
 そうして、それぞれの趣味の幅を広げるべく全国各地に出向いて楽しんでいるとのことでした。

 リタイアして生き生きと過ごすためには、まず先立つものが必要ですが、それとともに、
 夫婦ともに健康で、できれば夫婦共通の趣味をもつことが秘訣
なのだと思います。

 さて、私のところはどうなのでしょう???


沢木耕太郎 Ⅴ

2007-05-24 21:28:42 | 本・感想

 沢木耕太郎讃歌(?)も今回で終わりにしようと思います。

 沢木氏はこれまで、あらゆるジャンルの、あらゆる人物や事象をルポルタージュしてきました。それはけっして有名だから取り上げたということではなく、有名・無名にかかわらず、あくまで沢木氏が書きたい意欲をかき立てられた対象であったということなのでしょう。
 そうした意味で沢木氏の初期の作品「人の砂漠」は、ほとんど無名といえる人たちを取り上げた作品集で、私の好きな作品の一つです。

 沢木氏はあらゆるジャンルをルポルタージュしてきたと先に書きましたが、そうした中でも彼が最も得意とするのはスポーツ分野ではないのか、と私は思っています。(ただ、それは単に私がスポーツ好きというだけのことかもしれないのですが・・・。)
 事実、彼の作品にはスポーツを扱ったものがけっこうあるのです。思いつくまま列挙してみると、

◇「敗れざる者たち」  志半ばで夢やぶれたスポーツマンを描いた短編集
◇「一瞬の夏」  ボクサーのカシアス内藤と夢を追った一年の物語
◇「王の闇」  さまざまなボクシングチャンプの内側にせまったルポ
◇「オリンピア ナチスの森で」  ベルリンオリンピックの内側の真実に迫る秀作
◇「冠(コロナ) Olympic Games」  アトランタオリンピックの沢木流観戦記
◇「杯(カップ)World Cup」  日本・韓国WPを両国を漂流しながらの異質のサッカー観戦記
◇「カシアス  「一瞬の夏」以降のカシアス内藤を描いたカシアス応援記

このほかにも、短編で数多くのスポーツノンフィクションを手がけています。

 そのスポーツノンフィクションの中でも、初期の沢木氏はボクシングに特別なこだわりをみせています。カシアス内藤と夢を追い続けたのも然りですが、彼はモハメド・アリ(カシアス・クレイ)やジョー・フレイジャーを追いかけて世界中を飛びまわってレポートしました。
 そして私はその当時の彼の文章がことのほか気に入っています。

 しかし、今再びあのときのような文章を望むことは無理なのだとも思っています。
 それは彼が進化を続け、成熟さを増していることとともに、カシアス内藤のように可能性を秘め、かつ愚直なまでの人生を歩むボクサーに出会えていないだろうから・・・。
 辰吉丈一郎も、亀田興起も沢木耕太郎にとっては関心外のボクサーでしかあり得ないのでしょう。

 沢木氏が同世代のライターとして誕生したときから伴走することができた幸運を噛み締めながら、これからもずーっと彼を伴走していきたいと思っています。

 


沢木耕太郎 Ⅳ

2007-05-23 21:43:55 | 本・感想

 もう少し沢木耕太郎論を・・・
 沢木耕太郎は映画評論でも一家言をなしています。

 これまで彼が映画評論を論じたものとして、「世界は『使われなかった人生』であふれている」「シネマと書店とスタジアム」、そして今回発刊された「『愛』という言葉を口にできなかった二人のために」と三冊あります。

 私は映画嫌いではありませんが、どちらかというと積極的に映画を楽しむ方ではありません。ですから、これらの沢木氏の映画評論については、一つの読み物としてし接していたというのがこれまでの姿勢でした。
 しかし、今回は私の中に少し余裕ができたせいでしょうか。沢木氏が論ずる映画を見てみようという意欲が出てきました。

 「『愛』という言葉を口にできなかった二人のために」では32編の映画について評論しています。
 この本の中で紹介され、DVD化された映画をレンタル店から借りてきて見ています。現在まで7本を見終わりました。その都度、沢木氏の評論を読み直し、私なりの感想を記すことを自分に課しています。

 この本で紹介されている32編の映画にしても沢木氏らしさが存分に発揮されています。
 32本の中にいわゆるハリウッド映画はほとんど登場しません。(「フィールド・オブ・ドリームス」はハリウッド物か?)
 彼が選定するのは一貫してヒューマンタッチのものなのです。(サスペンス的なものも一部ありましたが)
 沢木氏の選定は、
  人のさまざまな人生を描き、人のさまざまな思いを描く、内面を映すような映画でなければ筆が動かない、とでも言うように徹底しています。


 ※ 我が愛するコンサドーレは今夜も湘南に競り勝ちました!
   この勢いはいよいよ本物のような気がします。
   気を緩めることなく、ゆけ!コンサ!


沢木耕太郎 Part Ⅲ

2007-05-22 19:27:41 | 本・感想

 沢木耕太郎にもう少しこだわってみたいと思います。

 彼の最新刊の日記風エッセイ「246」に次のようなくだりがあります。
 ある書店に立ち寄った際、友人が店の主人に沢木を紹介したときのエピソードです。

 店の主人が「あなたの本はすぐに売れるんだ・・・・・・」ふむふむと喜んで聞いていると、さらにこう付け加えた。「でも、すぐに売れなくなる」なるほど申し訳ありませんと、早々に引き下がった。しかし、それは私の本の読者について非常に的確な情報を与えてくれたもののような気がする。つまり、何人かの読者は私の本が出るのを待っていてくれており、出るとすぐ書店に走ってくれるのだが、その数は大したものではないため、すぐに売れ行きが止まってしまう。なるほど、ほるほど・・・・・・。

 このエピソードを読んで合点がいきました。
 一昔前の私は書店に行くと、まず文芸書の「さ」欄に目をやり新刊が出ていないかチェックしていました。現在はインターネットでチェックし、新刊が出たとなるとエピソードのように書店に走ります。
 その数が大したものではない、というのは沢木氏の謙遜でしょうが、確かに沢木ファンには私のように「彼の著書については全て把握したい」という思いをもっている人が多いのかもしれません。

 彼のカッコイイ文章を一つ紹介しましょう。ただし、昭和53年の文章ですから(今から29年前?)、それから彼自身はどんどん進化しているのですが・・・。

  私の部屋の窓の外ではまだ冬が足を止めているらしい。弱々しい陽光がかすかにあたっている街路樹には外套のようなワラがかぶせられ、孫だろうか幼女の手を引いている老人は灰色のマフラーで口元をおおっている。
  私がこれから語ろうとしているのは、しかし冬のことではない。春でもなく、秋でもない。夏だ。私たちが熱く焼けた鉄板の上を裸足で疾走するように過ごしてきた、夏のことだ。正確には夏から夏までの一年。だが、私にはその一年がひとつづきの夏だったように思えてならない。しかも、一瞬の夏。私はその熱く長かった一瞬について語ろうと思っている。

 この文章は、彼の代表作の一つ「一瞬の夏」の新聞連載を始めるにあたっての「著者の言葉」だそうです。
 本編でなくとも沢木らしさを感ずることのできる一文です。
 まだ沢木を未体験な方にはぜひ一度沢木ワールドを体験していただきたいと思うのですが・・・(好き嫌いはあるかな?)


沢木耕太郎 Part Ⅱ

2007-05-21 16:30:27 | 本・感想

 このブログの趣旨とはちょっと違うのですが、沢木耕太郎論を少し続けます。

 沢木耕太郎に惹かれる理由の一つに、自分と彼が同世代であるということが挙げられます。
 彼はノンフィクションライターとして、人物を観察し、モノを凝視し、対象を分析します。それらが彼の考察のフィルターを通過して文字 (文章) 化されたとき、そこに「沢木ワールド」が実現するのです。
 その「沢木ワールド」に遊ぶとき、彼と同世代であるということで共感できる部分がずいぶんあることに気付かされます。
 それは、私が彼の言葉によって覚醒させられたり、意識付けられることが数多くあった、という意味においてです。

 二つ目の理由ですが、こちらのほうが主たる理由かもしれませんが、ともかく文体がカッコイイこと、そして深いことなのです。
 なんとも説明の術がないのですが、「ここにこんな言葉を置くことで、文章がこんなにも輝いてくるんだ!」とか、「どうしてこんなに深く人物を、対象を見つめることができるんだろう」という感動を何度も味わわせてくれました。
 それがけっして気張っていたり、肩肘張って書き進んだ文章というのではなく、むしろ淡々と書き進む中でそうしたことを読者に味わわせてくれるのです。

 彼を評する次のような文章を目にしました。
「沢木耕太郎には、一種不思議な魅力がある。家柄の良さとは違う、育ちの良さがあるのだ。清潔な洗い立てのしかも糊のついた白いシャツ、男っぽいのに、脂ぎっていず、ソフトでソフィスティケートされている。それなのに素人っぽくもあり、知的すぎない。」
 
 彼を評するに最もふさわしい文章の一つといえるかもしれません。


沢木耕太郎 Part Ⅰ

2007-05-20 20:45:00 | 本・感想

 四月に入ってから・・・、ということは札幌に来て以来、私は「沢木耕太郎」の最近刊の著書二冊を読了しました。
 その二冊とは、日記風のエッセイ「246」と、映画エッセイの「『愛』という言葉を口にできなかった二人のために」という二冊で、いずれもこの四月に刊行されたものです。

 私が沢木耕太郎の存在を意識したのは、私の記憶ではもう三十数年前のことですが、とある書店に入ったとき、平積みされた本の帯に「ニュージャーナリズムの旗手現わる!」というようなキャッチフレーズが書かれた「若き実力者たち 現代を疾走する12人」という本を手にしたときでした。

 読み終えた私の中を鋭い衝撃と感動が走りました。
 精緻を極める人物観察、独特の視点、そしてそれらを作者の言葉へと昇華していく中で見事な沢木ワールドが形成されていたのです。
 私はこれまで出会ったことのない(大して読書経験があるわけではありませんが・・・)文章との出会いで、一気に沢木ワールドに魅了されてしまいました。

 記録を調べると、「若き実力者たち 現代を疾走する12人」は1973年(昭和48年)刊行となっています、彼はその前の1970年に「防人のブルース」でデビューしたとなっています。この本ももちろん読んではいるのですが、おそらく私の中では順序が逆なんだと思います。

 それ以来、私は沢木耕太郎が出版する新刊はほとんど全てを購入し、読んできました。
 それというのも彼は寡作の人でしたので、(彼の代表作の一つ「深夜特急」の第三部は、第二部が出てから6年も経過してようやく出版されたくらいですから…)私のようなものでもそのほとんどをチェックできたということなのです。
 とはいっても三十数年の時間は、私の本棚のかなりの部分を彼の作品が占めることとなり、私の本棚の一角は「沢木コーナー」となっています。

 なぜそんなにも魅了されてしまったのか、もう少しそのあたりを振り返ってみたいと思います。