なぁ~んで年金暮らしのオヤジが3度も大通ビアガーデンに顔を出しているんだい?そういって息子あたりから訝しがられるんじゃないかと思われるのだが、今年は何故か大通ビアガーデンに顔を出す機会が多い…。
いやいやいやいや~、実に爽快なんである。
そうそうそうそう~、実に痛快なんである。
札幌の夏の風物詩の一つである大通ビアガーデンが始まって2週間が経ったが、そのうち私は3度も顔を出してしまった。
若い人ならいざ知らず、いい歳をしたオヤジが3度も顔を出してしまうのは自分自身でもどうかと思う。
それが、それぞれに必然の理由(あくまで私から見てなのだが…)があるのだが…。
(1)7月20日(日)、道東からサッカー観戦に訪れたT氏は「できれば大通ビアガーデンで乾杯したい」という。遠く道東から来た彼の希望を聞いてやらねば…。
(2)7月28日(月)、オヤジの会例会で幹事が「大通ビアガーデンで懇親会を行います」と連絡があった。幹事の意向に従わねば…。
(3)7月30日(水)、その昔一緒の仕事をした知人が二人札幌在住である。三年ぶりの再会だった。どこか希望があるかと問うと、「まだ大通ビアガーデンに行ったことがない」という。彼らの念願をきいてやらねば…。
とまあ、それぞれもっともな理由(?)をつけてはいるのだが…。
この3度の機会だが、それぞれサッポロ、アサヒ、キリンと三大メーカーを渡り歩いた。
3度ともに天候もビール日和だったこともあり、どの会場もびっしりと酔客が集まっていた。ススキノや駅前の居酒屋さんの関係者が見たら卒倒しそうなほどの盛況ぶりである。
けっして安くはないビール代、そしてフード代金である。懐具合がいつも気になるが、あの解放感は代え難い。
今年はもう繰り出す機会はおそらくないと思うが、北海道の短い夏を謳歌する酔客たちによって最後まで賑わうことだろう…。
受講記録を見ると平成24、25年度の受講が多くなっていて、この頃から道民カレッジに関心を傾注していったことが分かる。
ただし、必修講座だけは早々と単位を取得している。これはHBC・TVで放送されたTV講座を視聴して、その感想などをレポート提出することによって単位を取得するものである。この講座だけ私は律義にレポートを出し続けたのだった。
《必修講座》
◇放送大学講座レポート提出 「こころの健康のために」
北翔大学 【講師】稲田 尚史、村瀬嘉代子 氏 (1単位) 21/11/14
◇放送大学講座レポート提出 「北海道ブランドの健康食品」
北海道情報大学 【講師】西平 順 氏 (1単位) 21/11/21
◇放送大学講座レポート提出 「北海道のブランド生産」
北海道医療大学 【講師】高上馬希重 氏 (1単位) 23/10/08
◇放送大学講座レポート提出 「やっかい物を資源・エネルギーへ」
北海道教育大学 【講師】角 一典 氏 (1単位) 23/10/15
◇放送大学講座レポート提出 「地域に学生を送り込め!」
北海道情報大学 【講師】安田 光孝 氏 (1単位) 23/10/22
◇放送大学講座レポート提出 「環境と子どもの健康」
北海道大学 【講師】岸 玲子、荒木 敦子 氏 (1単位) 23/10/29
以上計 6単位
《専門コース ほっかいどう学》
◇歴史講座「対雁に移住させられた樺太アイヌの暮らし」 (3単位) 24/11/11
◇北大博物館土曜市民セミナー (2単位) 25/05/11
◇札幌学院大コミュニティカレッジ「アイヌ民族の碑が訴え~」 (6単位) 25/05/24
◇北海道山紀行「駒ケ岳」 森誘クラブ (3単位) 25/06/21
◇札幌学院大コミュニティカレッジ「大学的北海道ガイド」 (6単位) 25/07/17
◇開拓記念館歴史講座 「歴史の中の『開道百年』」 (2単位) 25/09/29
◇ほっかいどう学 かでる講座 (2単位) 25/10/09
◇COOPさっぽろ文化教室「オトナ学」 (9単位) 25/10/10
◇開拓記念館歴史講座 (2単位) 25/10/20
◇札幌学院大コミュニティカレッジ「古文書に見る歴史の転換点 (6単位) 25/10/24
◇国際シンポジウム「越境するメディアと東アジア(1)」 (6単位) 25/11/02
◇国際シンポジウム「越境するメディアと東アジア(2)」 (6単位) 25/11/03
◇国際シンポジウム「越境するメディアと東アジア(3)(4) (6単位) 25/11/04
◇ほっかいどう学 かでる講座 安部 幹雄 氏 (2単位) 25/11/12
以上計61単位 ※1単位は繰り越し
《選択コース》
(教養コースから)
◇札幌市民カレッジ 「蝦夷地から北海道へ」 (8単位) 21/0603
◇東海大学公開講座「発想の転換で~」秋山仁教授 (2単位) 23/07/08
◇北大博物館土曜市民セミナー (2単位) 24/05/12
◇東海大学公開講座「ロシア領事館でロシア文化を学ぶ」 (2単位) 24/10/06
◇武蔵短大教養セミナー公開講座 (2単位) 24/10/27
◇開拓記念館文化の日講演会 (2単位) 24/11/03
◇武蔵短大教養セミナー公開講座 (2単位) 24/11/10
◇東海大学公開講座「韓国領事館で韓国文化を学ぶ」 (2単位) 24/11/24
◇北大公開講座 「世界のリーダー交代を考える」 (6単位) 24/12/20
◇北大博物館土曜市民セミナー (2単位) 25/01/12
◇北大博物館土曜市民セミナー (2単位) 25/04/13
◇北大博物館土曜市民セミナー (2単位) 25/06/08
以上 計 34単位
以上の100単位の中で、ほっかいどう学の一つである「越境するメディアと東アジア」という講座で計18単位を取得している。これは北大のメディアコミュニケーション研究院が主催したものだが、18単位とは18時間の講座である。三日間6時間ずつ受講するというハードな講座だった。
趣旨は中国、韓国といった近隣諸国と良好な関係とは言いづらい日本が、メディアを通じて民間交流をより活発化させようという試みだったと受け止めた。研究者の発表が主であったから、私たち一般人には難解な場面もあったが、民間交流の活発化によって政治の壁をなんとか低くしてほしいと思うのだが…。
※ 毛利元就の肖像画であるが、その表情からも知略家らしい雰囲気が伺えますね。
歴史に詳しい人はこの稿は読まないでいただきたい。それほど私の歴史に関するレポートは拙い内容だからである。
7月28日(月)午後、毎月開講している「ほっかいどう学 かでる講座」の7月分の講座があった。講座は「戦国時代における大名の権力構造」と題して、北大文学研究科の助教・平井上総氏が務められた。
平井氏はテーマについて論じるにあたって、毛利家を題材として論じられた。
その講義の要旨を私なりにまとめてみることにする。
戦国大名の基本構造は、特定の武士の家(毛利家)が中核となり、それに多数の武士の家が従う、主従関係を基礎にして権力を構成するもの、とまずおさえた。
毛利家とて最初から特定の家だったわけではなく、中国地方(安芸国)に在する数多くの国人領主(小国の大名?)の一人にすぎなった。
元就が毛利家の家督を継ぐまでに安芸国は離合集散によりかなり国人領主は整理され、数は減っていたが依然として群雄割拠の状況には変わりなかった。
そうした中において知略に長けた元就は宿敵を撃破し、そして勢力を拡大した後は政略結婚などにより、ついには安芸の国を平定するまでに至ったのである。
※ NHK大河ドラマ(1997)で元就を演じた中村橋之助さんです。
さて戦国大名の権力構造とは、大名に従う家臣団にも二つのタイプがあるという。一つは主人に人身的に専属・隷属する「家人型」、そしてもう一つが主人への従属が定量的・契約的な「家礼型」の二つである。信長時代の柴田勝家や羽柴秀吉は「家人型」、徳川家康は「家礼型」と言えるだろうと平井氏は説明した。
そうした権力構造が西国一の大々名まで上り詰めた毛利元就を不安に陥れたようだ。
元就は当時の武家には珍しく筆まめだったようで、彼の書になるたくさんの文書を残したという。その中で、彼の嫡男隆元、吉川家に送り込んだ次男元春、小早川家に養子に出した三男隆景に対して、懇々と毛利家の安泰のために力を尽くすことを要求するのである。
その文書を現代文風に訳したものを平井氏が提供してくれたので、転写する。
(1)何度も言うように、毛利の名字が末代まで腐らないように心掛けるように。
(2)元春と隆景は他家を継いだが、これは今だけのこと。毛利を疎かにしてはいない。
(3)三人の仲が悪くなったら三人とも滅亡すると思え。(後略)
※ こちらはよく分かりませんがゲームか何かのポスターでしょうか?
平井氏は他にも元就が不安や後顧のために認めた文書を示してくれたが、多くの国人領主を従え大々名になったとはいえ、その多くは「家礼型」の家臣であったため、功成り名を遂げた元就でも不安は消えなかったのであろう。
「三本の矢」で知られる毛利元就だが(一般に知られているこの伝説はフィクションらしい)、戦国時代の権力構造の中で、頼りになるのは自分の肉親であり、息子たちだったということのようである。
こうして振り返ってみると、単位を取得し始めたのは平成21年からであるが、少し真面目に受講し始めたのは平成23年くらいからであることが分かる。
表の見方だが、講座名の後にできるだけ講師名を入れるようにした。単位数は2~3単位の場合は一日日程の講座だが、8~10単位の場合は数日かけた連続講座である。
最後の日付は受講日を表すが、連続講座の場合は最後の日を表す。なお、放送大学講座の場合は放送日を記した。
《必修講座》
◇放送大学講座レポート提出 「歯磨きで医療費ダウン!」
北海道医療大学 【講師】西 基 氏 (1単位) 21/10/03
◇放送大学講座レポート提出 「江戸のリアリズム」
北海道教育大学 【講師】小栗 祐美 氏 (1単位) 21/10/10
◇放送大学講座レポート提出 「北海道らしい健康運動」
北海道大学 【講師】川初 清典 氏 (1単位) 21/10/17
◇放送大学講座レポート提出 「北海道と温暖化」
東京農業大学 【講師】塩本 明弘 氏 (1単位) 21/10/24
◇放送大学講座レポート提出 「すべての人々に健康と幸福を」
旭川大学 【講師】松浦 智和 氏 (1単位) 21/10/31
◇放送大学講座レポート提出 「グローバル化の波にのれ!」
北海学園大学 【講師】菅原 秀幸 氏 (1単位) 21/11/07
計 6単位
《専門コース ほっかいどう学》
◇「ほっかいどう学」かでる講座 小菅恵美子氏 (2単位) 21/09/24
◇「ほっかいどう学」かでる講座 大平まゆみ氏 (2単位) 21/11/24
◇「ほっかいどう学」実践講座 (3単位) 21/12/12
◇「ほっかいどう学」実践講座 (3単位) 22/12/12
◇観察会「春の花を見つけよう」 野幌森林公園 (2単位) 23/04/21
◇東海大学講座「山菜観察 & 試食会」 (4単位) 23/05/07
◇札幌市民カレッジ「石狩川とともに」 鈴木 英一 氏 (8単位) 24/06/27
◇札幌学院大コミュニティカレッジ「初夏のフットパスを楽しむ」(10単位) 24/07/05
◇土曜市民セミナー「北海道大学総合博物館」 若菜 勇 氏 (2単位) 24/08/11
◇北大公開講座「東アジアのなかの北海道」 (8単位) 24/08/23
◇日本山岳会北海道支部講座 花島徳夫氏 (2単位) 24/08/28
◇日本山岳会北海道支部講座 京極絋一氏 (2単位) 24/09/25
◇札幌学院コミュニティカレッジ「北の歴史が動いた」 (6単位) 24/10/25
◇観察会「秋のありがとう観察会」 野幌森林公園 (2単位) 24/11/11
◇「ほっかいどう学」かでる講座 合田一道氏 (2単位) 24/12/11
◇日本山岳会北海道支部講座 滝本幸夫氏 (2単位) 25/03/11
計60単位
《選択コース》
(能力開発コースから)
◇「暮らし役立つ図書館活用術」 北海道立図書館 (2単位) 24/06/20
◇北海道立図書館「インターネット活用術 1」 (2単位) 24/11/15
◇北海道立図書館「インターネット活用術 2」 (2単位) 24/11/22
◇「超高齢社会に対応する北海道のまちづくり」北翔大・道工大 (3単位) 24/11/28
(健康・スポーツコースから)
◇「登山と高山植物観察会」 道民の森 (6単位) 23/06/05
◇東海大公開講座「スポーツと人間教育」 (2単位) 23/06/28
◇東海大公開講座「スポーツを友だちとして人生を楽しく」 (2単位) 23/07/09
◇えべつ自然散歩講座「雪解けの森の径と活動する生物たち」 (2単位) 24/04/14
◇えべつ詩是散歩講座「森の樹の花 草の花」 (2単位) 24/05/15
◇「私らしいエンディング」 COOPさっぽろ講座 (2単位) 24/05/22
(教養コースから)
◇札幌市民カレッジ札幌市民カレッジ 「緑ゆたかな街札幌」 (8単位) 21/04/28
◇土曜市民セミナー 北海道大学総合博物館 藤本 和徳 氏 (2単位) 23/05/14
計 34単位
以上、《必修講座》6単位、《専門コース ほっかいどう学》60単位、《選択コース》34単位 = 計100単位で、ほっかいどう学コースの学士を取得し、認定された。
とまあ、なんとも自分本位のブログですがご容赦いただきたい。この後も修士、博士と取得した講座名を洗い出してみたいと思っている。
※ 春山とは違い山野草はそれほど目立たなかった。カメラに収めた3種の花の特定には自信がないが、一応名前を記しておく。
※ ヤマアジサイとか、ガクアジサイと呼ばれている花である。
※ この花はヨツバヒヨドリに似ていると思うが自信はない。
※ この白い花を付けているのはオオハナウドと思われるが…。
「春香山」は札幌からも近く、高さもそれほどなく(906.9m)手ごろな山として一昨年あたりから登りたいと思っていた山だった。ただ私の場合、単独行のため山オヤジ騒動どうしても私を躊躇させていた。
今回はしばらく山オヤジさんのニュースから遠ざかったこともあり、思い切って出かけてみたが不安なところは全く感じなかった。
さて、春香山の中盤「土場」のところから先は、傾斜もきつくなり本格的な登山の様相を呈してきた。
ここにきて味気なかった林道を一気に上ったツケが回ってきたようだった。全身に疲れが回り、ところどころで一息入れないと上れなくなってきた。全身汗だらけである。
登山路脇に咲く紫色や白い山野草がひと時の癒しをくれるが、疲れは増すばかりだった。
30分後に小樽内川方面に向かう分岐点「銭函峠」に着いた。
※ 土場を過ぎた直後にこのような急登のところがあった。
※ 銭函峠の標識です。左へ行くと小樽内川方面、右へ行くと春香山です。
銭函峠からは比較的平坦な道が続く。眼前には春香山のピークも見えてきた。
平坦な道をおよそ15分行くと、東海大学が運営する山小屋「銀嶺荘」に着いた。管理人が常駐していて定員が50人だという。かなり大きな建物だった。
※ 銭函峠を過ぎるとご覧のような平坦なところが現れ、行く手に春香山のピークが望めました。
※ 管理人が常駐している「銀峰荘」の立派な建物です。
銀嶺荘からは最後の上りが待っていた。
最初は融雪時や雨天時にはおそらく上るのも困難になるであろうと思われる水を湛えた沢伝いを行く。
斜度はそれなりにあるが、それほど急ではない。しかし、体力の方は限界だった。数歩上っては一息つくといったありさまだった。山頂は近いはずなのになかなか到達しない。
山頂直下にあった小さな岩場を超えて少し行くと山頂だった。
銀嶺荘から標準では30分で山頂という表示があったが、疲れていた私は40分もかかってようやく到達したのだった。
※ 右側の登山路に誘う春香山への案内標識
※ 写真のように水が溜まったところをしばらく行きます。もっと水が多いところもありました。
※ そこを過ぎるとやや草が生い茂った急坂を進みます。
※ 山頂直前の小さな岩場です。岩場で苦労した定山渓天狗岳を思い出します。
山頂からは片方だけ(石狩湾方面)開けているのだが、薄曇りのため石狩湾は望めず、近くの銭函天狗岳が霞んで見える程度だった。
それにしても春香山はガイドブックのレベルでいうと「初級」の山である。なのに私は予想以上に体力を消耗してしまった。運動不足に加え、加齢による体力の衰えも進行しているようだ。これでは憧れの「羊蹄山」など遠くに霞んでしまいそうだ。
なんとか対策を講じて、憧れの山を目ざしたい。
※ 山頂の標識です。先客が標識のところにどっかり腰を下ろしていました。
※ 山頂からはご覧のように薄曇りのため石狩湾は望めませんでした。前方の尖った山が銭函天狗岳だと思われます。
【春香山 登山データー】
標 高 906.9m
駐車場 登山口のところに路上に2~3台駐車可能
行 程 登山口→(20分)→林道→(40分)→下土場→(30分)→土場→(25分)→銭函峠→(15分)→銀嶺荘→(40分)→春香山山頂
山頂→(20分)→銀嶺荘→(15分)→銭函峠→(10分)→土場→(15分)→下土場→(30分)→林道離れる→(15分)→登山口
時 間 登山(約2時間50分) 下山(約1時間45分)※休憩時間を除く
天 候 薄曇り、無風
登山日 ‘14/07/25
体中が筋肉痛である。久しい!実に久しい!昨日(25日)久しぶりに山へ向かった。体を動かすことが極端に少なくなっていた私に、山は容赦してくれなかった。
今年に入り、山に向かう気持ちが萎えはじめていることを気にしていた。
山オヤジ(熊)出没のニュースが飛び交うせいもあるのだが、私自身の体力の衰えもその背景にあることは確かだ。
それではならじと意を決して、小樽の桂岡地区に登山口がある春香山を目ざした。
※ 春香山「桂岡コース」の登山口です。
登山口は桂岡住宅地の最も奥まったところにあり、車が駐車できるスペースは2~3台程度しかなかったが、幸い先客は2台だったのでなんとか駐車することができた。
この日は最高気温が28℃くらいだったが、薄曇りの天候とあって夏山としてはまあまあのコンディションであった。
※ 登山口のところに駐車スペースはあまりありません。
8時45分、登山口を出発した。
いきなり深山に踏み込んだような濃い緑の中を行く。すると、大きく凹んだ谷間に出た。以前はその谷間に橋が架かっていたようだが、それが崩壊しその材料が谷間の小川に横たわり、登山者はその材料を渡るようになっていた。
※ この木材の多さから考えると、以前は橋が架かっていたと思われるのですが…。
登山路は木々がうっそうと繁り、陽の光も当たらず快適なトレッキングコースとなって続いていた。
20分ほど行くと広い通りに出た。砂利が敷かれ、車も通ることができる林道だった。
ガイドブックによると、登山路と林道が交叉するように続いているということだったが、先の登山路が見つからない。そこで林道を行くことにした。
真相は分からないが、私のガイドブックは発刊後6年が経過している。あるいは、交叉していることによって登山路より林道を行く人が多くなって、登山路が消えつつあるのかもしれない(?)
※ このような細い、しかし整備された登山路が続いています。
※ 緑が濃くて快適なトレッキングコースが続きました。
※ やがて写真のような砂利が敷き詰められた林道に出ます。
この林道が長く辛かった。かなりの斜度で高度を上げるのだが、車が通れるほどの道のため、周囲の木々は伐採され弱いとはいえ直射日光が当たる。その上、砂利道のために歩きづらいことこのうえない。
無味乾燥な林道を行くこと40分、「下土場」というところに着いた。
すると、そこに脇道にそれる案内板が出ていた。どうやら林道から登山路に戻るようである。ところがこれが私を惑わせた。
※ 砂利だらけで味気がなく、きつい上りの林道が延々と続きました。
案内板は確かに左へ行くことを指示しているのだが、左側は鬱蒼と雑草が繁っている。案内板の右手にも道らしきものがあり、そちらの方が登山路のように見えてきたのだ。「さて?どうしたものか?」…。私はかなりの疲労を感じていたこともあり、一休みして熟考してみることにした。
※ 下土場のところにあった案内板は確か左手に行くことを指示しているのですが…。
※ ちょっと引いて撮ったところです。私には右手の方が登山路らしく見えたのです。
10分くらい経過したろうか?後続の人が何の迷いもなく、左手の雑草が繁っている中へ進んでいった。この山を熟知しているベテランに見えたので、私も安心して左手の雑草の中に突っ込んでいった。
他の部分はかなり整備された登山道が用意されていると見えた春香山で、なぜあの部分だけは整備が行き届いていないのだろう、と思ったのだが…。
※ さきほどの登山路とは比べものにならないくらい荒れた登山路でした。
雑草が生い繁っていた部分はそれほど長くはなく、本来の登山路が現れ、それと合流した。そこからはまた快適なトレッキングとなった。斜度は徐々に増すものの周りは緑も濃く、道幅は狭いながらもほど良いトレッキングという感じが続いた。
下土場というところから30分ほどで「土場」という広いところに出た。
土場というのは、私の記憶に間違いがなければ、昔、木材を切り倒した時に、木材を一時貯めておく場所として使用された場所だと思う。
※ するとまたこのような素晴らしい登山路が現れたのです。
※ 土場では2組の先客の登山者がいました。
ガイドブックには「ここから石狩湾の眺めが良い」と出ていたが、時代を経たせいだろう木々が生い繁っていて何も見えなかった…。
ここまでで行程の約半分である。後半部分は明日レポートすることにする。
このほど道民カレッジの「ほっかいどう学」コースの博士号の認定証が道民カレッジ事務局から届いた。博士号などと呼称するほど大げさなものでは全くないのだが、まあ私の札幌における生き方の証の一つと思い、有り難く受け取った。
まずお断りしなければならない。“博士号”などといっても、それは単に道民カレッジが主催、あるいは連携している各種講座を300時間受講したというだけの話である。
これまで、昨年9月に学士号(100単位)、昨年12月に修士号(200単位)をそれぞれ取得していた。こう見てみると、案外短時間のうちに次々と称号を手にしているように見える。
しかし、記録を見てみると、最初に道民カレッジの2単位を取得したのは平成21年4月28日となっている。つまり300単位(300時間)を取得するのに6年間を要していることになる。
そう考えると、300単位の道のりもそれなりに感慨深いものがある。
私はこの300単位を取得するにあたって、自分に課したことが一つある。
それは、ただ聞き置くだけではなく、講義内容をメモして、それを拙ブログでレポートすることを自らに課すことにした。そのようなプレッシャーを自らに与えることによって少しは講義が自分の中に残るのではないかと…。(最近はそれを怠っている場合もあるが…)
しかし今振り返って、自分の中に何が残ったかと問うてみると、多少の雑学は蓄積されたかもしれないが、これといったことはなに一つの残ってはいないのではないか、という思いだけが残る。あるいは同じように受講している方々も同様なのかもしれないが…。
そこで私はバカバカしい企てを考えた。
それはこれまで単位を取得した講座名を全て洗い出し、私なりに振り返ってみたいと考えたのだ。“年寄りはどうも後ろを振り返りたがる”などと冷やかさないでいただきたい。ただやみくもに単位をかき集めるよりは、たまには立ち止まって受講した講義の数々を思い返してみることも案外大事なことなのではないかと思ったりしている。
まとめるには少し時間がかかりそうである。まとまり次第投稿するとにしたい。
SAPPORO CITY JAZZの良さはプロのミュージシャンばかりでなく、セミプロやアマチュアの発表の舞台が用意されていることである。そのイベント「パークジャズライブ」が19日(土)、20日(日)と市内各所で開催された。毎年楽しみにしているのだが、今年は高校野球に注力してしまったために聞き逃してしまった。
ただ21日(祝)は高校野球が休養日だったことと、早くからチケットを購入していたこともありサッポロミュージックテントで開催された「パークジャズライブコンテスト」に馳せ参じた。
※ 出場組の一つ、my & Jennieの二人です。曲作りが新鮮な感じの二人組でした。
ミュージックテントとは、このイベントのために期間中大通公園2丁目に特設されるテントである。数年前まではドーム型の丸いテントだったが、現在はそれよりも収容力のある(?)倉庫型(家型)テントが特設されている。
このテントの形になってからは初めて入ったが、内部はテーブルとイスがセットされ、飲食を伴いながらライブを楽しむ形式となっていた。また、2階席も設けられている。
コンテストは事前に審査で予選を通過した10組がオリジナル曲・カバー曲等それぞれおよそ4曲を演奏して覇を競った。出場組の内訳は道内(札幌)4組、道外6組という内訳だった。
1組が4曲ずつ、そしてそれぞれのセッティングにも時間が取られるため、コンテストは6時間を超える長丁場となった。
出場組はモダンジャズあり、パンクロック系あり、インスツルメンタルあり、弾き語りあり、とさまざまだったが、それら全てを含めていわゆる形式を問わないところがジャズなのだろう。出場組を記すと、◇my & Jennie ◇Crime Of Conscience~C.O.C~ ◇iyco & kaka furaha ◇門馬由哉 Quartet ◇“いつもの”あきもと5tet ◇SO Grooooovin’ ◇SNOWSPHERE ◇すずきゆい ◇半崎美子+3 ◇めいくめりー の10組だった。
※ 半崎美子のオリジナル曲「永遠の絆」には多くの人が涙しながら聴き入った。
私はただ漫然と聴くのもどうかな?と思い、私なりの感性でそれぞれの演奏の感想をメモしながら聴いた。
私が関心をもったのは、いずれも女性二人組のインスツルメンタルなのだが、1組目のmy & Jennieと10組目のめいくめりーだった。my & Jennieはキーボードとパーカッションの組み合わせ、めいくめりーはピアノとパーカッションの組み合わせだった。二組とも私から見ると新感覚の音作りをしていたことと、ドライブ感を感じさせる演奏が好ましく思えた。ただ、感想でも記しているが、エンタテイメントとしてどれだけ聴く人たちを惹きつけることができるかは難しいところかな?と記している。
その他にも半崎美子+3の「港の見える丘」とか「いい日旅立ち」などの曲をジャズチックにカバーして披露してくれたが、変に技巧的に走っていない点が好ましかった。
※ 最優秀賞を勝ち取った門馬由哉 Quartetの面々です。
結局、来年のカナダ・モントリオール国際ジャズフェスティバルに派遣される最優秀賞には「門馬由哉 Quartet」が選出された。10組の出場の中で最も本格的な演奏グループだったが、私的にはどこかで聴いたことがあるような感じがして、それほど関心が高いグループではなかったが、私のメモには「門馬のギターにトランペット、ベース、ドラムスの4人組の本格的なモダンジャズ。かなりの実力派とみた」と記してあった。
まあ、納得の結果といえるかな、というのが率直な感想である。
※ 久しく高校野球に注力して書き綴った拙ブログですが、高校野球も一段落したことから、また元に戻り私の日常を書き綴っていこうと思います。引き続きアクセスしていただければ幸いです。
7月18日(金)夜、Kitaraで行われたPMFステージオペラ「ナクソス島のアリアドネ」を観賞した。
実はこの観賞は自ら望んでチケットを購入したものではなかった。12日に行われたPMFのオープニング・セレモニー&コンサートにおいて、来場者に抽選で招待券が発行されたのだが、運良く当選し招待券を入手することができて観賞できたということだ。
ステージオペラという言葉が耳新しかったので調べてみたが、どうも言葉としては存在しないようで、造語なのかもしれない。微かな情報だけから解釈すると、通常のオペラではオーケストラは舞台下のビットで演奏するのだが、今回はステージ上での演奏だった。そのためもあったのか、オーケストラ編成は通常の半分以下の40名程度であった。舞台も大道具、小道具などは使わず、衣装もそれほど凝ってはいず、私流に解釈すれば「簡素化されたオペラ」という印象だった。
※ この日のオーケストラの指揮をとった新進の指揮者沼尻竜典氏です。
私が簡素化されたなどとは言っても、演奏陣はPMFウィーンの弦楽メンバーを中心としたPMFオーケストラであり、歌唱陣はその道で名の通った方ばかりらしかった。(まるで猫に小判状態です)
オペラはプロローグ編と本編の2幕構成となっていた。
50分間のプロローグ編はストーリーが分からなくてはと思い、ステージ横に描き出される字幕を必死に追った。
50分間の演奏を終えたとき、グッタリ疲れていた。そして音楽がまったく私の中に残らなかった。そして「オペラとは疲れるものだ。そして何も楽しくないじゃないか」と思った。
※ 今回の指導陣の中でも最も有名(?)なヴァイオリニストのライナー・キュッヘル氏です。
「これじゃ残りの本編80分間はつまらない時間になる」と思い、20分間の休憩中に考えた。本編はストーリーはある程度棄てても、オーケストラの音と、歌唱に集中してみようと…。
そうしてみたところ、歌唱の素晴らしさも、オケの良さも感じながら、しかもある程度話の流れも把握できながら楽しむことができたのだ。
話の筋立てはおおよそ以下のようなものだと私は解釈した。
王宮において恋に破れ悲嘆にくれる王女に、王宮の生活とは無縁のコメディ女優が王女に対して「くよくよせずにもっと人生を楽しみなさいよ」的な働きかけが効を奏して王女は新しい恋を見つける、といった筋立てと私は理解した。
コメディ女優を演じた天羽明恵のエネルギッシュな歌声が特に印象に残ったステージオペラだった。
また、プロローグ編、本編合わせて120分にわたり、歌唱陣と呼吸をぴったりと合せて演奏し続けたPMFウィーンをはじめとしたPMFオーケストラにも実力の片りんを見せられた思いだった。
※ クラシック界に不案内な私は天羽明恵さんがどの位のポジションにいるのか不明ですが、かなりの実力の持ち主に間違いありません。
Kitaraからの帰路、歩きながら感想を語り合っていたカップルが「後半は良かったね」と言っていたのを聞くと、あるいは私と同じ感想を抱いた人が案外多かったのかもしれない…。
まさか、まさかのコールドゲームだった。
けっして負け惜しみではない。そんなに力の差のない両チームである。それがこんなに大差の試合になるとは…。野球の怖さを思い知らされた。
試合のランニングスコアは以下のとおりだった。
《準決勝 第二試合》
札幌日大 000 000 0
東海大四 110 062x 10x
※ 大会規定により6回コールドゲーム
誰がこんな結末を予想したろうか?
ダイヤモンドを駆け回る東海大四ナインの姿を私は虚ろな眼差しで追っていた。「これは何かの間違いではないのか」と…。しかしそれは幻ではなく、残酷な現実だった…。
敗因を探るのはよそう。何か一つの歯車に狂いが生じたとき、予想だにしない結末に導かれるのだということを今回は思い知らされた。
札幌日大のナインは今悲嘆の涙にくれているだろう。敗戦の現実を受け止めるためには少しの時間が必要かもしれない。
しかし、札幌日大のナイン諸君、考え直してみよう!
この瞬間は高校野球には宿命の瞬間であることを…。
今年の南北海道大会には122チームの参加があったという。その中から運よく甲子園出場を掴むのは僅か一つのチームだけで、他の121チームは君たちと同じように悲嘆の涙にくれたのだ。(正確にはまだ2チーム残っているが)
あるいは君たちが思い描いていたより少しだけ早く涙することになったかもしれない。しかし今年の成績は胸張って良い成績だとおじさんは思う。
そして今、思い返してみよう。
君が懸命に打ち込んだ3年間の野球生活を…。
今君は気付いていないかもしれないが、野球に青春を傾けた3年間は、君に大きな、そして貴重なことの数々を教えてくれたはずだ。
一つのことに懸命に打ち込むことの尊さを、目的に向かって共に励むことの大切さを、そして何より仲間と育んだ友情の絆を…。ベンチに入った仲間も、入れなかった仲間も…。
この後、君たちは野球を続ける者、これで野球から離れる者、それぞれだと思うが、3年間で培った財産は共通である。
これからの人生は長い。その人生の中で札幌日大高校の野球部で過ごした3年間が必ずやどこかで生かされてくることがあるはずだ。
これからの人生も、この3年間懸命に打ち込んだ野球生活のように、懸命に人生にトライし続けるかぎり、君の人生はきっと明るいはずだ!
お疲れさん!札幌日大ナイン諸君。
おじさんも夢を見、楽しませてもらいました。ありがとう!!
※ 今日も何枚かの写真を撮りましたが、敢えて写真なしの投稿とします。