田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

仙台城跡(青葉城址) & 定禅寺通り

2024-11-10 18:26:20 | 道外の旅
 私の中で「定禅寺通り」は、私が体験した中で最も素晴らしい通りとして記憶に残っていた。その「定禅寺通り」は私の期待を裏切らなかった。しかし、仙台城跡は本丸跡の辺り一帯が商業施設となっていたのはいかがなものか?

 今回の盛岡、仙台の旅の最終レポである。
 東北の旅の最終日11月4日、私は盛岡を朝早く発って仙台空港からのフライトまでの時間を利用して、仙台市内を巡ってみようと計画した。

    
    ※ 仙台駅です。仙台駅前は人道(ピンク色の部分)と車道が写真のように分離され、人と車が交差さない造りとなっています。
 その巡る手段として、「るーぷる仙台」という決められたコースを定時で巡る市内観光バスを利用した。時間が半日程度しかなかったので、巡るところは「仙台城址」、「仙台市博物館」、そして「定禅寺通り」に絞った。

     
     ※ レトロな雰囲気で仙台市内を巡る「るーぷる仙台」のバスです。

 問題はキャリーバックだった。駅周辺のコインロッカーを数か所回ったが全て使用中で預けるところがなかったのだ。三連休で仙台には観光客が集中していたようだ。困った私は駅の観光案内所に伺い、駅からかなり離れたところにある割高な店を紹介され、なんとか事なきを得た。
 早速「るーぷる仙台」を駆って最初の目的地「仙台城址(青葉城址)に向かった。仙台城址は仙台駅からおよそ25分で着いたが、意外に思えたのは仙台駅を出発してそれほど時間を経つことなく山間に導かれたことだ。周りは樹々に覆われ、ぐんぐんと高度を増したところに城址はあった。
    
    ※ 仙台城址の高台から仙台市内を眺めたところです。
  
 実は私は「仙台城址」は2度目だったのだが、前回訪れて印象に残っていたのは「伊達政宗像」だけだったので、今回も政宗像に真っすぐ向かった。私同様、観光客はみな列を作って政宗像の前で記念写真を撮っていた。
    
    ※ 伊達政宗公騎馬像です。この像も東日本大震災の被害を受けたとか?

 その横には名曲「荒城の月」の作詞者:土井晩翠の胸像と歌碑が建てられていた。
    
    ※ 仙台が生地の土井晩翠の像と歌碑です。(仙台城址内に建てられていました)

 さらにその近くに大きな翼を広げた像があった。しかし、その像は明らかに台座の前に置かれているように見えた。傍の説明板を見ると、「昭忠碑」という戦没者慰霊碑だそうだが、2011年の東日本大震災の際に台座から落ちたそうだが、台座の上に設置されることなく現在のような姿になっているとのことだった。
        
    ※ 昭忠碑ですが、台座の前に大鷲(?)の像が置かれていました。
    
    ※ 在りし日の「昭忠碑」の写真を見つけました。

 本丸跡と思われるところには「青葉城資料展示館」が建っている。とはいっても、展示館の周りはレストランや土産物屋さんが取り囲んでいた。私は以前に来た際に観覧した記憶があったが、この後に「仙台市博物館」を訪れる予定もあったのでパスした。
 その後、私は「るーぷる仙台」を駆ることなく仙台城址の坂下にある「仙台市博物館」に徒歩で向かった。
 「仙台市博物館」はたいそう立派な外観の建物で、内部の展示も洗練されたレイアウトで整えられていた。博物館はどこの博物館もそうであるように時代に沿って地域の歴史が展示されていた。仙台の歴史を振り返る時、なんといっても伊達政宗である。政宗の業績を中心に展示が充実されていた。

    
    ※ 仙台市博物館のエントランスです。像の説明がなかったのが残念でした。
    
※ 博物館の庭には若き日の魯迅が東北大に留学していたことを記念する碑が建っていました。
        
        ※ 博物館内に展示されていた伊達政宗公の甲冑です。

 その中でも特に、政宗の命を受け仙台藩とスペインとの貿易交渉のために遣欧使節団として派遣された「支倉常長の光と影」というフィルムが印象に残った。
 支倉常長は「日本人として初めて太平洋・大西洋の横断に成功し、初めてヨーロッパの国へ赴き外交交渉をする」という歴史的偉業を成し遂げたのだが、遣欧されている間に徳川幕府はキリスト教禁止令が発せられたこともあり、7年間もの長きにわたり粘り強く交渉したのだがまとまらず失意の帰国となってしまった。帰国後もキリスト教がご法度となっていたために要職に就くことはなく一生を終えることになってしまった彼の軌跡を追ったフィルムは見応えがあった。
 博物館を後にし、再び「るーぷる仙台」を駆って「定禅寺通り」に移動した。私は「定禅寺通り」の端にあたる「せんだいメディアテーク」というバス停で降り、定禅寺通りを歩いて縦断した。頭上高くに聳えるケヤキ並木の下を歩くのはなんとも心地良いものだった。私はこの通りで開催される「定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台」に一度訪れたいと思いながら実現できていないのが残念である。ただ、ちょっと意外だと思ったのは、感激しながら歩いていたらアッという間に通りが終わってしまったことだ。「こんなに短かったかなぁ…」というのが正直な感想である。資料によると長さが約700メートルとのことなのだが…。
    
    ※ 私が訪れた時は夕刻が迫る時間帯だったため、ケヤキが暗いですね。
    
   ※ ネット上から良い写真を見つけました。写真のような彫刻も各所にありました。
     
     ※ 定禅寺通りと、仙台の夜の繁華街「国分町」が続いていました。

 私は「定禅寺通り」から「るーぷる仙台」は使わずに駅まで徒歩で向かうことにした。その時通ったのが「青葉通り」である。こちらも見事なケヤキ並木が続いている通りだった。長さも資料によると約1.5キロとのことで、スケールからいくとこちらの方が勝っているのだが、仙台市民から愛されているのはやはり「定禅寺通り」なのかな?ネーミングがいいですものねぇ…。

     
     ※ こちらは「青葉通り」です。この写真もお借りしました。

 仙台の魅力はまだまだたくさんあるのだろう。いつかまた訪れるときはあるのだろうか?訪れてみたいとは思うのだが…。

世界遺産「中尊寺」を観る

2024-11-05 20:09:35 | 道外の旅
 中尊寺の寺院の多さに圧倒された。その一つ一つに大きな意味があるのだろうが、未知の私にはただ、ただその寺院の数の多さに驚いた。また、中尊寺の最大の呼びものである「金色堂」はやはり特別感を感じさせてくれた。

 今回の旅の第一の目的はJRヘルシーウォーキングに参加することだったが、それと同時に世界遺産に登録されている「中尊寺」を観ることも大きな目的の一つだった。世界遺産という名に弱いのである。
 中尊寺は、2011(平成23)年に「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」として登録された。つまり、構成遺産としては 国宝の「中尊寺金色堂」、特別名勝「毛越寺庭園」、特別史跡「中尊寺境内」、特別史跡「毛越寺境内附鎮守社跡」、特別史跡「無量光院跡」などが構成遺産となっているようだ。
 
 ※ 中尊寺境内の概念図です。右側通路から入境し、金色堂は左奥に位置しています。

    
    ※ 中尊寺は小高い丘の上にあり、平泉の地区を見下ろす形になっていました。

 しかし、勉強不足の私には「毛越寺」とか「無量光院」などには関心はなく、時間的にも難しかったので「中尊寺境内」並びに「中尊寺金色堂」だけが目当てだった。もっともこの日私は「岩手県立空泉世界遺産ガイダンスセンター」「平泉文化遺産センター」の2施設を同時に訪れたのだが…。
 平泉では駅前からレンタサイクルを利用し、巡り歩いた。もちろん中尊寺境内は徒歩であったが…。
 中尊寺はまず「月見坂」というけっこうな斜度の坂を上ることから始まる。両脇には高い杉木立が並んでいるが、これは中尊寺を建立した藤原氏たちの時代ではなく、江戸後期になってから植えられたものと言われているそうだ。

        
        ※ 参詣路の両側に屹立する杉並木です。

 月見坂の上りの途中に一つだけ「弁慶堂」が建っているが、他は上り切ったあたりから小院が左右に立ち並び、そして「中尊寺本堂」が一段と存在感を放ちながら建っていた。

    
    ※ 参詣路(月見坂)で最初に出会った「弁慶堂」です。
    
    ※ 中尊寺の本院です。

 そして肝心の「金色堂」は境内の一番奥の一角に建てられていた。「金色堂」は「覆堂」といわれる「金色堂」を覆うような建物の中に鎮座していた。その「金色堂」はもう上から下まで仏像をはじめとして全てが金色に塗り固められたものだった。その中、堂内の柱には夜光貝の独特の七色が印象的だった。ただ、仏像などの一部はさすがに時代を経たためか一部光を失っている部分も散見されたが、仕方のないことか…。

    
    ※ 「金色堂」が入る「覆堂」です。(平成23年建立)
※ 金色堂全体図です。
  
  ※ 金色堂を近影したものです。(仏像の下に藤原氏三代の遺骨が眠っているそうです)

 私にとって意外に印象的だったのは、「金色堂」から少し離れたところに建っていた「旧覆堂」と称された古い建物だった。「金色堂」そのものは1124年、藤原氏の初代清衡公によって建てられたのだが、当初は建物そのものが戸外に露出していたようだ。それを1288年に鎌倉幕府が「金色堂」を雨風から護るために「金色堂」を覆う「覆堂」を建設したのだという。以来、600年以上も「覆堂」は「金色堂」を護り続けたのだが、2011(平成23)年に新たな「覆堂」が完成し、役目を終えたが境内に今なお残されているとのことである。

    
    ※ 金色堂を600年以上にわたり護り続けた「旧覆堂」です。

 時間が許せば、もっともっと丁寧に一つ一つの寺院などをじっくりと観察したかったのだが、私の持ち時間はあまりにも少なかった。この他に訪れた「岩手県立空泉世界遺産ガイダンスセンター」と「平泉文化遺産センター」についても触れたいところだが割愛することにしたい。
    
    ※ 岩手県立空泉世界遺産ガイダンスセンターの外観です。
    
    ※ 平泉文化遺産センターの外観です。

 最後に、中尊寺自体が朽ち果てるに任せていた江戸時代に訪れた俳人・松尾芭蕉の残した二句を紹介し、本日のレポとする。

    
    ※ 金色堂の直ぐ横に立っていた松尾芭蕉の句碑です。 

  「夏草や 兵どもが 夢の跡」 
 
   「五月雨の 降り残してや 光堂」

 ※ 金色堂自体は撮影がNGだったのでウェブ上から拝借した。他は私が撮影したものです。

定禅寺通り

2024-11-04 17:55:00 | 道外の旅
 本日の最終便です。
 現在、空港で無事にチェックインを済ませ、搭乗を待っているところです。
 仙台城跡を終え、その後仙台市博物館、定禅寺通り、と巡ってきました。
 博物館はレイアウトが綺麗すぎるきらいを感じましたが、さすがに伊達政宗に関する展示が多いのは仕方のないことなのでしょうね。
 期待の「定禅寺通り」は20年前に来仙した際にとても感激しましたが、相変わらず頭上を覆うようして屹立するけやき並木には今回も圧倒されました。ただ、私の中に描いていたほど長くなかったなぁ、というのが正直な感想です。
 長さ、規模からいうと「青葉通り」のほうがスケールは大きいかもしれません。ともかく、仙台の主要な道路が頭上を覆うように大木が並んでるいる様は見事でした。
 写真は夕刻が迫る「定禅寺通り」です。
 明日から旅の詳報を少し綴りたいと思っています。

仙台城跡

2024-11-04 13:31:00 | 道外の旅
 第2信を発信します。
 予定より約1時間遅れで仙台に着きました。
 三連休の最終日と好天気が重なって、仙台駅前は観光客でごった返しています。
 苦労して市内を巡る観光バス「るーぷる仙台」に乗るのも一苦労でした。その「るーぷる仙台」を駆って「仙台城跡」に来ています。仙台城も盛岡城跡と同様、本丸や天守閣などは何もありません。ただ、ここの売りは「伊達政宗公の騎馬像」が有名です。観光客は皆この像の前で記念写真を撮っています。
 私はこの後、仙台市博物館と定禅寺通りを見て、仙台市観光を終える予定です。

小牛田駅にて

2024-11-04 10:25:00 | 道外の旅
本日第1信です。
 盛岡から各駅停車の鈍行で仙台に向かっています。
 ところが‼️
 なんと、信号機の安全確認のためとかで「小牛田」駅で50分程度の足止めをくらってしまいました。旅につきもののアクシデント?
 まあ、旅程としては余裕を持たせてありますので、慌ててはいませんが…。仙台観光の時間が多少削られますが…。
 ところで「小牛田」は何と読むでしょうか。私はぜんぜん読めませんでした。「こうしだ」ではありませんよ。回答は本日の最終便で明かします。
 写真は足止めされた「小牛田」駅の構内です。
 

残念!わんこそば食せず…

2024-11-03 15:18:00 | 道外の旅
 JRウォークにゴールした時、午後1時を過ぎていたのでお腹が空いていました。
 「盛岡三大麺」の残り、わんこそばを食そうと思いました。と言っても、歳が歳ですし、ひとりですから本格的なお店で、本格的にわんこそばを食す勇気はありません。ネットで調べたところ、駅ビルの中に格好の店を見つけました。
 そのメニューは「お試し10杯コース」(1,650円)というものでした。さらに「おかわり10杯 500円)と私には格好と思えるメニューでした。勇躍お店に向かったのですが満員でした。しばらく待って、店員に伺うと、「もう、昼の部は麺がありません」と言うのです。「それじゃ、夕方は?」と問うと「予約で満員です」ということでした。残念ながら諦めるしかありません。
 さあ、困った。その時頭に浮かんだのが、ゴール寸前に駅前に出店し、派手なメニューを店外に張り出していたラーメン店を思い浮かべました。「ラーメンおっぺんしゃん」というお店でした。
 店の名前も独特ですが、ラーメンもなんだか個性がありそうでした。お腹が空いているので、熟考することなく入店して、一番人気だという「おっぺんしゃんラーメン」(880円)醤油味をチョイスしました。
 「おっぺんしゃん」とは、「けっしてべっぴんではないが、気立ての良い人気者」という意味の熊本弁だそうです。つまり「ラーメンおっぺんしゃん」とは、熊本の豚骨ラーメンをルーツとするラーメンのようなのです。(あくまで創業は盛岡なのですが)
  ということで、食した「おっぺんしゃんラーメン」でしたが、予想どおりラードが効いた濃い味のスープでした。ただ、麺はたまご麺で私的には好みの麺でした。
 ということで、わんこそばに振られたお話でした。
 写真は「おっぺんしゃんラーメン」です。

 

盛岡城跡公園

2024-11-03 13:21:00 | 道外の旅
 先程、無事にゴールしました。
 10.5キロのコースを4時間以上もかけて歩いたのは初めてです。それだけゆったりと、そして各施設か史跡を詳細に見学しながらのウォーキングでした。それだけ見どころがたくさんあったということになります。 
 天候にも恵まれ大満足の盛岡コースとなりました。
 写真は盛岡城の城壁です。お城自体は跡形もありませんでしたが、城壁から往時を偲ばせてもらいました。
 

岩手銀行赤レンガ館

2024-11-03 11:58:00 | 道外の旅
 盛岡の街中ウォークを満喫しています。
 街中には古い建物がそこかしこに残り、特に江戸期(?)の消防の鐘楼が特異な風景を醸し出しています。
 写真は、明治期に建設された岩手銀行ですが、設計者が東京駅の設計者と同じということで、なんとなく東京駅に通ずる外観です。中は観光施設として活用され、地元の漆器づくりの工程が実演されていました。
 歩く距離はぜんぜん進まず、現在は盛岡城跡公園にきています。城の跡は全くありませんが、見事な石垣が往時を偲ばせてくれます。

盛岡冷麺

2024-11-02 18:17:00 | 道外の旅
 本日の最終便です。
 盛岡に帰りつき、夕食に「盛岡冷麺」をチョイスしました。というのも、昨夕は「じゃじゃ麺」だったのです。
 「盛岡三大麺」というと、冷麺、じゃじゃ麺、わんこそばが有名です。昨夕はスマホで写真を取らなかったので投稿できませんでした。(帰宅後レポします
 さて盛岡冷麺ですが、私は大の麺好きなのですが、冷麺は正直言ってあまり得意ではありません。
 あの透明な麺がどうも得意ではないのです。またコシが強すぎるのもどうもわたしの好みではありません。
 今夕の冷麺もまさにその通りだったのですが、全体としてそれはそれとして、キムチの辛さも適度で美味しくいただくことができました。昨夕のじゃじゃ麺ほどの満足度はなかったですが…。
 さあ、三大麺のうち二つを味わいましたが、「明日はどうしよう?」と考えています。ひとりでわんこそばもないかなぁ、とちょっと躊躇しています。まあ、悩んでみます。
 写真は、私が食した醤油味の盛岡冷麺です。

宮沢賢治 童話村 in 花巻

2024-11-02 16:32:00 | 道外の旅
 予定していたとおり、花巻市の「宮沢賢治 童話村」を訪れてきました。
 「童話村」は宮沢賢治ワールドを立体化してアミューズメント化した施設と私には映りました。宮沢作品の良さをよく理解していない私には、童話村の良さもイマイチ分かりませんでした。
 併せて、童話村の直ぐ横にあった「花巻市博物館」も覗いてみました。こちらは縄文文化が発達した地域だったようで、世界遺産となった北東北の各地と遜色のない出土品がたくさん発掘されたようで、充実した展示でした。
 今日は残念ながら一日中雨が降り続く天気でしたが。「いわてホリデーパス」を有効に使うことができました。

写真は「童話村」の「賢治の学校」内の展示の一つで、彼の作品「セロ弾きのゴーシュ」を粘土で立体化した作品が展示されていたものを写した一枚です。