福島原発事故は私たちの中で、どこかに忘れ去られたような感覚となっていたが、被災された方々にとっては今なお過酷な環境におかれ、傷ついた心身はやがて15年が経とうとしている今でも、その環境や傷ついた心身は癒されることなく続いていることを知らされた思いでした。
昨日(1月21日)午後、札幌エルプラザにおいて「エルプラシネマ」が開催され、今回取り上げられた映画がドキュメンタリー「決断 運命を変えた3.11 母子避難」でした。
「エルプラシネマ」とは、札幌市市民活動サポートセンターと札幌エルプラザ情報センターの連携事業で、時々の上質の映画を提供してくれる事業で、私も時折り参加している映画上映会です。
今回の映画界では、出演者の一人であり東川町に避難し、現在は札幌市在住の鈴木哉美さんがアフタートークで登場し、避難先でさまざまな市民活動に関わったことから、「市民活動」について考える場でもありました。
映画は、2011年3月11日に発災した東日本大震災に伴う福島原発事故によって避難を余儀なくされた40家族のそれぞれの避難せざるを得なかった当時の事情を取材し、12年後の現在の様子も伝える構成だった。そしてその40家族の中から、映画で取り上げることに承諾をいただいた10組の家族を取り上げたドキュメンタリーでした。
※ 鈴木哉美さんが東川町議選に出馬した際に街頭演説をしている様子だと思われます。
その最初に登場したのが鈴木哉美さんの家族です。
鈴木さんは東京で結婚し、システム危機管理の仕事をしていたが、夫のUターンに同行し福島県郡山市で専門学校の講師などをしながら17年間暮らしていて東日本大震災・福島県原発事故に遭ったそうです。鈴木さんは子どものことを第一に考え、夫を郡山市に残し、東川町に母子避難しました。
鈴木さんは大変積極的な方で、東川町において「カタルワ~3.11から学ぶ会」を起ち上げ市民活動を進める傍ら、東川町の図書館づくりなどに関わり、2019年には東川町議会議員に当選して活動していました。しかし、子どもの関係もあり一期で退任し、札幌に住居を移して現代に至っていますが、札幌でもさまざまな活動に関わられているといった内容でした。
※ 福島から全国各地に避難した方々を網羅した写真です。
その他の9組の方々ですが、私のメモによると、江別市、沖縄・那覇市、大阪市、山形市、新潟市、京都市(3組)と全国至るところに避難されています。それぞれが、それぞれの事情で選択された結果だと思われます。
中には、鈴木さん同様に避難した先で市民運動に関わったことにより市議会議員になった方、県会議員に挑戦したが実現できなかった方、原発事故による避難民救済のための裁判活動に取り組む方、等々、それぞれが避難先でも懸命に生きている姿が印象的でした。
ただ、避難するかどうかを決断する中で、夫との意見の違いから離婚を選択しなければならなかった方もいらっしゃいました。彼女の言葉が泣けました。「磐城を愛する心は負けません」と…。
平和な家庭生活が一瞬にして壊され、原発事故が引き起こす放射能に恐れ、どこからの助けもないまま、最後は自分の身を自分で守るために、あるいは愛する家族を守るために「決断」しなければならなかった苦悩を映画は映し出していました。そしてその苦悩は今なお被災者の方々を苦しめている実態を知ることができました。
リード文でも触れましたが、私たちは時間の経過とともに、マスコミが取り上げることも少なくなったこともあり、いつか私たちの意識の中から福島原発事故のことを忘れ去っていたところがありました。
3日前の拙ブログでも触れたフォトジャーナリストの安田菜津紀さんが強調された「弱者への眼差し」を忘れてはならないことを痛感させられた映画でした。
なお、「市民活動」について言及するには字数が多くなりそうなので、このことについて日を改めていつか考えてみたいと思います。