田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

映画 小学校~それは小さな社会~ №386

2025-01-12 18:41:59 | 映画観賞・感想
 映画を観終えた後の率直な感想は「あゝ、良い映画を観たなぁ…」という思いでした。日本のどこにでもある公立の一小学校の一年間を追ったドキュメンタリーです。監督はその学校の営みから「それは日本の小さな社会」を写す鏡と受け取ったようです。

      

 昨日午後、以前から気になっていた映画「小学校~それは小さな社会」シアターキノで観た。気になっていたということは、元小学校教師として今の小学校の実状を少しでも知りたいという純な気持ちからでした。

 映画は、イギリス人の父と日本人の母を持つ山崎エマ監督が、日本の公立小学校、インターナショナルの中高一貫校を卒業し、アメリカの大学に進学したのだが、その山崎監督がアメリカで過ごすうちに、自分の強みが日本の公立小学校で身に付けた“規律と責任" に由来しているのではないかと気づき、日本の公立小学校(世田谷区立塚戸小学校)で150日、延べ4,000時間に及ぶ長期取材を実施して本作を完成させたそうです。  

 映画はこれといったストーリーはもちろん、ナレーションもテロップさえもない映像が、ただひたすら流されます。その中、特に新一年生と最高学年の六年生に焦点を当てて描かれています。
 4月、入学したばかりの1年生は挙手のしかたや廊下の歩きかた、掃除や給食当番など、集団生活の一員としての規律と秩序について初めて学ぶ。そんな1年生の手助けをする6年生には、最高学年としての自覚のようなものが垣間見えます。
 私も新一年生を担任した際は、集団生活にスムーズに入っていくために、あれやこれやと指導したことを想い出しました。一方、高学年を担任した際は高学年として低学年の見本となるよう、そして学校をリードしていく自覚を求める言葉かけが多かったと思います。

    
  ※ 日本の学校のように給食当番や掃除を子ども自身がする国は少数派だといいます。

 そうした日本の教育の実状について、映画のレビュー欄を拝見すると、賛否両論が並びますが、特に我が国の教育を批判的に見る方々の厳しい表現が目立ちます。曰く、集団の中で協調性を指導するあまり同調圧力が生まれ、それが“いじめ" に繋がっていると…。あるいは個性的な人間が育たない。etc、etc……。
 しかし、一方では教育大国として名高いフィンランドなどでは、日本の教育が驚きをもって受け止められ4ヵ月のロングランヒットを記録しているとも伝えられています。


 学校教育という営みは、子どもを持つ全ての親が関心を抱くことから、誰もが評論家にもなるという一面があります。そのこと自体は悪いことではありません。ただ、どうしても親は学校教育の負の側面に目が行きがちなところがあるのではないかと思います。
 個性が育たないという我が国の教育ですが、そのことに対して改善の動きがあることにも目を向けてほしいと思いますし、反対に諸外国から評価されるような我が国の教育の良さにもぜひ目を向けてほしいものです。

    
  ※ 写真のように靴箱にきちんと上履きが揃えられているのは異様な光景でしようか?

 映画は三月、六年生の小学校からの卒業、そして一年生が次の入学式で新一年生を迎える器楽合奏の準備に取り組む姿を映し出します。
 一年生を優しく指導しながら修了させ、他校へ移動する女性教師、ちょっと厳しいが六年生の指導に全力でぶつかる熱血教師が卒業生を送り出し涙する場面で終わります。
 けっして劇的でもなく、現在の学校教育のあるがままの姿を映し出した映画「小学校~それは小さな社会~」は、元小学校教師に懐かしさと日本の学校教育の伝統が引き継がれているんだなぁ、というどこかに安堵感を与えてくれたような映画だった…。                       



映画 雪の花~ともに在りて~ №385 

2025-01-11 20:04:56 | 映画観賞・感想
 私の敬愛する作家の一人・吉村昭原作の「雪の花」の映画化です。主演の松坂桃季が熱演しますが、やや空回りのところがなかったろうか?評価は分かれるのでは?と思いますが、私の率直な感想を綴ってみます。
       

 本映画は1月24日の全国公開を前に、HTB(北海道文化放送)が試写会を催すということで応募したところ幸いにも観賞券が送られてきたので、昨夜、ユナイテッドシネマ札幌にて実施された試写会を観させてもらった映画です。

 映画は、江戸時代末期、有効な治療法がなく多くの人の命を奪ってきた痘瘡(天然痘)を克服する町医者の奮闘記です。福井藩の町医者・笠原良作(松坂桃季)は、その痘瘡に有効な「種痘(予防接種)」という予防法がオランダから伝わったことを知り、京都の蘭方医・日野鼎哉(役所広司)に教えを請い、私財を投げ打って必要な種痘の苗を福井に持ち込みました。しかし、天然痘の膿をあえて体内に植え込むという種痘の普及には、さまざまな困難が立ちはだかります。それでも良策は、妻・千穂(芳根京子)に支えられながら疫病と闘い続ける、というストーリーです。

       

 私は吉村昭の著書をかなり読んでいますが、残念ながら「雪の花」は未読です。しかし、吉村の筆致なら地方の藩の一町医者が藩主を動かし、幕府の理解を求めるという途方もない困難を克服する過程を克明に表現したに違いありません。そんな偉業を達成した笠原良作を演じた松坂桃季の演技に、原作を読んだ方々は、はたして満足したでしょうか?
 松坂桃季はとても熱演していたと私には映りました。ただ、そこに町医者だった笠原良作の苦闘ぶりを十分に表現できていたか、ということになると私には、どうしても物足りなさのようなものを感じてしまったのです。もう少し苦闘に疲れ、やつれ果てた表情を見たかった思いが私には残るのです。松坂桃季ファンには申し訳ないのですが…。

 一方、意外といっては失礼ですが、妻・千穂役の芳根京子です。妻として笠原を助ける芯のしっかりしたところ、笠原を心から信頼するしとやかさ、そして隠していた(?)若い頃に鍛えた武術を発揮する気丈夫さ、と見事に演じ分ける素晴らしい演技だったように思います。
 そしてもはや名優に域に達した役所広司はさすがの貫禄でした。

      

 映画としては、特に盛り上がるシーンもなく、松坂桃季にとっては難しい役どころだったかもしれませんが、彼にとっては今後俳優としての幅を一層広げる意味では励みになった一作だったかもしれません。
 ストーリーが地味なだけに、大ヒットという予感はしませんが、幕末に地方の町医者が使命に燃えて、国難ともいえた天然痘を克服するために闘った医者がいたという事実をこの映画を通じて知ることには大きな意味がある映画だと思いました。



映画 劇場版 孤独のグルメ №384 

2025-01-10 17:39:42 | 映画観賞・感想
 かなり満足度の高い映画でした。それは何と云っても主演の松重豊さんの存在感です。松重さんの一見とらえどころのない独特の雰囲気が観ている私たちをスクリーンにくぎ付けする魅力に満ちたものでした。

       

 今日から三日連続で映画関連ブログになりそうです。もっともまだ全てを観ているわけではありませんが…。
 その第一弾として、本日午後、急に思い立ち札幌シネマフロンティで上映されている「劇場版 孤独のグルメ」を観賞してきました。
 というのも、昨年末でしたが普段チャンネルを合わすことのないテレビ東京(北海道では「テレビ北海道」)にチャンネルを合わしたときに、偶然松重豊さんが主演する「孤独のグルメ」が放送されていました。

 その内容を詳細には覚えてはいないのですが、松重さんがさまざまな食堂(けっしてレストランではなかったですね)に入り、黙々と独りで食事する光景が次々と映し出されました。その際の松重さんの表情は?というと、石塚英彦さんや彦磨呂さんのような食レポ芸人がいかにも美味しそうに食べるのとは違い、ただ黙々と表情も変えずに食べ、食事を終えた時に微かに満足そうな表情を浮かべるところが妙に印象的でした。

    
    ※ 美味しそうな料理を前にして、にやつく表情の松重さんです。


 その表情、仕草が妙に印象に残るところが松重さんの演技力なのでしょうか?ずーっと気になっていました。そうした中、このお正月に劇場版の「孤独のグルメ」が公開されていることを知り、さっそく駆け付けてみたということなのです。

 そんなわけでテレビ版の方はどのような構成となっているか良く知らないのですが、劇場版では一応一つのストーリーとして構成されていました。
 松重さんは輸入雑貨の貿易商である井之頭五郎役で、ある食材を求めて各地を飛び回り、訪れた街々の食事を堪能するという役どころです。
 その街々とは、フランスのパリ、長崎県の五島列島、韓国領の島(島名は?)、そして東京と…。

 ストーリーとしてはあり得ないところもあるのですが(ex.五島列島からスタンドアップパドルボードで韓国領の島に流れ着く?)、まあ原作が漫画ということから許されることでしょう。

    
     ※ 右側の韓国の入国審査官を演ずるユ・ジェミョンさんです。

 そうした突っ込みどころもありつつ、なんともいえない雰囲気を醸し出しつつ松重さんの魅力でぐいぐいと映画を引っ張ってゆくのでした。松重さんをサポートする助演人も内田有紀、杏、オダギリジョー、村田雄浩と芸達者が支え、特別出演として韓国俳優のユ・ジェミョンも協力して映画は出来上がっていました。
 細面の松重さんはグルメとしては異色にも思えるのですが、そのギャップがまたいいのかもしれません。

 映画を観ていた隣の老婦人が時折りクスッと笑いながら観ていたのですが、私もそれにつられて笑いを交えながら楽しく観ることができた「劇場版 孤独のグルメ」でした。



映画 深夜食堂 №384

2024-12-20 13:01:52 | 映画観賞・感想
 「小腹も心も満たします」が公式HPのキャッチコピーだが、文字どおり観終わった私の中にはホッコリとした、なんとも幸せな気分に満ち足りた思いだった。

   

道民カレッジ「懐かしフィルム上映会」の第2弾は、2015年公開された「深夜食堂」の第一作目の上映でした。(映画「深夜食堂」は「深夜食堂2」も公開されている)
キャッチコピーはさらに続きます。それは次のとおりです。
 「繁華街の路地裏にひっそりと佇む  “めしや” 。営業時間は深夜0時から朝の7時ごろまで。人は「深夜食堂」って言ってるよ。性別も、年齢も、境遇も異なったさまざまな客が店を訪れては、カウンターで生まれる小さなドラマ――。忘れられない味、そろってます。」
 映画はコミック雑誌で大評判となった「深夜食堂」が原作ということだが、私は全く見たことがありません。映画で “めしや” は「トン汁定食」が唯一のメニューだが、お客さんが所望すればマスター(小林薫)が作れるものなら何でも作ってくれるという食堂です。そこで映画では、「ナポリタン」、「とろろご飯」、「カレーライス」と、なんとも庶民的なメニューを小見出しとしたオムニバス的な構成でストーリーは進んでいきます。
 「ナポリタン」ではたまこ(高岡早紀)が、「とろろご飯」ではちはる(多部未華子)が、そして「カレーライス」では大石謙三(筒井道隆)が、それぞれ訳ありの事情を抱えながら偶然にもマスターの店の暖簾を潜ったのだった。訳あり役を演じた3人はそれぞれ演技達者な俳優だったのですが、その中でも最もホッコリさせてもらったちはる「とろろご飯」編のちはる(多部未華子)について少し深堀してみます。ちはるは故郷新潟で恋人に騙され有り金をすべて奪われ、傷心のまま東京に流れ着き、空腹のあまりマスターの店で無銭飲食してしまう。その食事代を弁償するためにマスターの店で住み込みで働かせてもらうことになった。そこで思わぬ才能を見せたことで、マスターの縁で料亭に板前見習いの職を得た、という凡そのストーリーです。その何とも一途な若い女性役を多部未華子が好演しているのです。 “めしや” を後にする際、「とろろご飯」を美味しそうにかっこむ多部未華子の食べっぷりも印象的です。

    

 筒井道隆、高岡早紀もそれぞれが役達者ぶりを発揮していましたし、小林薫の寡黙なマスター役も主役らしい存在感を発揮しています。そして脇を固める“めしや”の常連たちもそれぞれ個性を発揮し、なくてはならない存在として映画を締めていました。

    

 実は私はこの映画は2019年に一度見ていましたし、「深夜食堂2」も観ているのです。それくらいこの映画は私にとって特別な映画になっています。「深夜食堂2」も機会があればまた観てみたいと思っている映画です。
 それにしてもマスターの顔の縦面にうっすらと残る傷跡がずーっと気になりました。それについて全く説明はないのですが、あるいはマスターも若い頃はやんちゃをしていたのかなぁ…、などと想像しながら映画に魅入りました。

映画 シャレード №383  

2024-12-14 11:30:24 | 映画観賞・感想
 1963(昭和38)年の映画である。往年の大スター、オードリーヘップバーンとケイリーブラントが主演するロマンチックサスペンスであり、ちょっぴりコメディ的要素も混じった映画だったが、後半の盛り上げ方はさすがにハリウッド映画である。おおいに楽しませてもらった。

      

 道民カレッジでは時折り「懐かしフィルム上映会」を催しているが、本年は今週の12、13日と来週の19、20日に実施することになっていた。
 そこで私は昨日(13日)、表記のように舞台はフランス・パリだがハリウッドが制作した映画「シャレード」を楽しませてもらった。
「シャレード」とは、フランス語で「謎解き」とか「言葉当て遊び」といった意味があるそうだ。
 この映画のストーリーはアメリカ人のレジーナ・ランパート(オードリーヘップバーン)は、富豪ではあるが謎の多いフランス人の夫との離婚を決意するのだが、その夫が謎の死を遂げたことで、夫の隠し資産の争奪を巡って、昔の仲間3人が暗躍する。その中にランバートを助けるホワイトナイトにピーター・ジョシュア(ケーリー・グラント)に現れるのだが、彼も一筋縄ではいかない謎を秘めた男だった。さらにはレジーナを助けるかのようにアメリカ大使館員のバーソロミューという男が絡んでくる。この “謎解き” がこの映画のテーマということのようだ。

    

 映画の前半はこうした登場人物の相関関係に多くの時間を要するのだが、後半はスリルに満ちた謎解きが非常に見ている者を夢中にさせる要素に富んでいた。
 最後の最後のどんでん返しも観客を思わず「わぁー!」言わせる程の鮮やかな結末でした。

 実はこの日、私は上映開始時間の30分ほど前に会場に着いたのだが、すると懇意にしている講座の担当の方が「○○さんはパリへ行ったことがあるの?」と問いかけてきました。「私は50数年前の学生時代に訪れたことがあります」と答えたところ、「何かエピソードがありますか?」との問いだった。私は担当者との気楽な会話のつもりで、パリ市内で「詐欺に遭遇した」という話をしたところ、そのことを上映前に参加者の前で話をしてほしいということになり、とんだ失敗談を参加者の前で披歴することになってしまい冷や汗をかいてしまった。もっとも、詐欺に遭遇とはいっても所詮貧乏旅行者である。損害は微々たるものだったのだが…。

     
     ※ この形のシトロエンをご記憶の方もいらっしゃると思います。

 映画は1963年制作ということだが、私がパリを訪れたのは1968年11月だったので、映画が制作された5年後だったということになる。映画の中に出てきたカエルのような、今見れば異様な形状をしたシトロエンの車が懐かしい。

映画  海の沈黙  №382 

2024-12-12 15:20:29 | 映画観賞・感想
 倉本聰の原作・脚本、豪華出演陣、そして小樽市でのロケと魅力いっぱいの映画だったのだが、観終えた後に何故かもやもや感が残ったのも事実だった…。それが何だったのか?振り返ってみたい。

     

 昨日(12月18日)午後、ユナイテッドシネマに赴いて映画「海の沈黙」を観賞した。
 原作はテレビドラマで数々の名作を世に出したあの倉本聰氏が満を持して放った集大成的作品であるという。私は期待をもって映画館に向かった。
 凡そのストーリーは次のようだった。(あるいは解釈違いも含まれているかもしれない)
 「二人の画家、田村修三(石坂浩二)と津山竜次(元木雅弘)は若い頃同じ師について作画の修行に励んでいた。その頃、津山は天才画家とも評されていたのだが、天才ゆえの奇抜な行動も多く、田村の暗躍もあって師匠から破門されたという。一方の田村は順調に出世し、今や世界的な画家となり名声を博している。一方津山は貧困の生活の中で作画だけは続けていた」

   

 こうした背景をもとに、映画は冒頭に田村の作品展において、田村は自らの作品に贋作があると指摘する。その贋作はどうやら津山が描いたもので、原作より良い出来となっていた。このことを軸としてストーリーが展開するのなら、私も付いていけたのだが、そこに新たな要素が次々と加わるのだ。一つは、津山は油絵を描く一方、父の技を受け継ぎ刺青の彫り士としての顔を持っていた。その津山が彫った刺青を全身に施した女が自殺するのだ。さらには、田村の妻である安奈(小泉今日子)は、以前は津山の恋人だった…。そしてスイケン(中井貴一)と称する得体のしれない人物が田村と津山の周りで蠢く、というように複雑極まりないストーリー展開なのだが、そのあたりについて説明がないまま話が進行していくために、観る者としてはたえずもやもや感に包まれたままに画面を見つめるしかなかった。
 唯一の救いは、主演の本木雅弘が相変わらずの迫真の演技を見せていたことか?彼はこの映画のために10キロもの減量を敢行したともいう。中井貴一の年齢相応の渋い面妖な演技も見ものである。

    

 惜しむらくは、倉本氏が久しぶりの原作・脚本ということもあって少し張り切り過ぎ、多くの要素を詰め込み過ぎたきらいはなかったろうか?
映画として多くの観客を楽しませるためには、もう少しスリムな内容にして観客に丁寧に説明することが必要だったような気がしてならない…。

映画 「大地よ アイヌとして生きる」 №381

2024-11-24 20:14:09 | 映画観賞・感想
 アイヌ民族として誇りを持ち、現代社会の在り方を問い続ける戸梶静江さん。80歳を超えた今も病を押してアイヌ精神の尊さを唱え続ける姿勢に多くの人が賛同を寄せる。宇梶静江さんの独白を追い続けたドキュメンタリーである。

     

 昨日(11月23日)午後、北大大学院教育学院民族教育論研究室が主催するドキュメンタリー映画「大地よ アイヌとして生きる」の上映会が北大総合博物館「知の交流ホール」で開催されたので参加した。
 映画は詩人、古布絵作家、絵本作家、そしてアイヌ解放運動家など多くの顔を持つ宇梶静江さんの思いを描くドキュメント映画である。韓国人である金大偉氏が監督をし、宇梶静江さんの独白を中心として描く105分にわたる長編ドキュメンタリーだ。
 また彼女は俳優の宇梶剛士さんの母親としても知られ、本作において剛士さんはナレーターを務めている。
       
       ※ 戸梶

 宇梶静江さんは東京在住の方だったが、2021年 88歳になって白老に居を構え、(一社)「アイヌ力(ぢから)」を立ち上げ、そこを拠点に活動を続けている。
 映画はまず宇梶静江のこれまでの人となりを宇梶剛士のナレーションで紹介する。それによると、1933年に北海道のアイヌ集落に生まれた宇梶静江は、高校卒業後上京し、結婚して二児を育てたが、その間1972年に朝日新聞「ひととき欄」に「ウタリ(同胞人)たちよ手をつなごう」という文章を投稿し、大きな反響を呼んだ。それを契機に翌1973年には「東京ウタリ会」を立ち上げ、会長に就任した。一方で、「詩人会議」にも参加し詩作にも励んだが、1996年にはアイヌ伝統刺繍でアイヌ叙事詩を表現するを創出するなど多くの顔をもつて活動を続けた。そして2021年になってからの白老への移住である。
  
※ 宇梶静江さんが創出した古布を使って「アイヌ叙事詩」を表現する「古布絵」の一枚です

 宇梶静江さんのこれまでを紹介しながら、間に彼女の独白が続く。その彼女の語りとは…。
 人間らしい生き方とは何か?自然に生きるアイヌの知恵とは何か?民族のアィディンティティーはどこにあるのか?共生の道はないのか? 等々、多くの思いを観ているものに問いかける。

       
 ※ 今回のドキュメンタリーは彼女の著書が刊行されたのがその契機だったと思われます。

 そして静江さんは、アイヌが培ってきた自然を敬い、人と人との礼儀を尽くし、祖先を敬うなどの尊い文化や習慣に誇りを抱いていることを率直に語る。
 アイヌ民族が民族差別に虐げられた歴史は、その後ずいぶん改善されてきたと思われるが、彼女から見ればまだまだその緒についたに過ぎないというのが宇梶静江さんの実感なのだろう。地球温暖化をはじめとして、私たちの生きる地球環境の悪化が叫ばれる今、宇梶静江さんの問いかけに謙虚に耳を傾ける姿勢が私たちに求められているのではないか、というのが映画を観た私の実感である。

映画  グリーン 森を追われたオランウータン №380

2024-09-25 16:59:37 | 映画観賞・感想
 かなり衝撃的なドキュメンタリーである。一切のナレーション無しでインドネシアのスマトラ島に棲むオランウータンが森林伐採のために森を追われた悲劇を追うドキュメンタリーである。

       

 昨日(9月17日)午前、エルプラザで開催された「エルプラシネマ」に参加した。「エルプラシネマ」では主として環境問題に関連する映像資料を視聴するのだが、今回取り上げられたのがタイトルにもある「グリーン 森を追われたオランウータン」である。

  
  ※ 保護されたがぐったりとして横になるグリーン
    
 映画は、インドネシアのスマトラ島に棲むオランウータン。名前は保護した施設の職員が「グリーン」と名付けた。森を追われたグリーンは、目に生気がなく、ぐったりとベッドに体を横たえている。インドネシアではパーム油製造のため、森林伐採が進んでいてパーム油の原料となるアブラヤシを植えるために森林を切り倒しプランテーションを建設している。次第に衰弱していくグリーンの姿と共に現れるのは森林開発の様子である。チェンソーで木を次々となぎ倒し、森を燃やす人間たち…。その様子をナレーション無しで淡々と撮り続けたフィルムを私たちは見た。

  
  ※ 深い密林をブルドーザーで容赦なく樹々をなぎ倒しているシーンです。

 結局グリーンは救助した施設の職員たちの懸命の看護もむなしく亡くなってしまい、映画は終わる。その間、一切のナレーションが無かったのは、むしろ非常に効果的だった。一緒に映画に見入った人たちは一声も発することなく、それぞれの中でグリーンのこと、森林伐採のこと、あるいはパーム油の恩恵にあずかっている日々の生活のこと、等々をそれぞれの中で反芻していたに違いない。
 帰宅して「パーム油」について少し調べてみた。それによると、パーム油はアブラヤシの果実から得られる植物油である。そのパーム油は、食用油をはじめとして、マーガリン、ショートニング、石鹸などの原料として利用されているほか、近年ではバイオディーゼルエンジンや火力発電、バイオマス発電の燃料などとしても利用されているとのことで、世界で最も生産されている植物油だという。ということは、私たちの日常の生活にも深く関わっているということである。

  
  ※ 密林はこうして丸裸らされ、アブラヤシの農園へと変身していきました。

 スマトラ島の密林の中ではオランウータンばかりでなく、たくさんの種類の動物たちが生息しているところも映像は映し出していた。
 それらが生息している密林をブルドーザーがなぎ倒し、はては焼き尽くし、広大なアブラヤシの農園へと変貌していく。
 その様を見せつけられて、私は複雑な思いにとらわれざるを得なかった。私たちの生活を便利に、そして豊かにしてくれている「パーム油」を一様に否定することはできないという思いもある。しかし、無秩序に、あるいは生産第一のために自然界の動物たちを一様に犠牲にしている現実を顧みることもまた必要ではないか、という思いもある。
 自然との共生……、むずしい問題ではあるが、どこかで私たちは人間第一の思想からの脱却を進めねばならない時期に来ているのではないだろうか、という思いを抱かせてくれた映画「グリーン」だった…。

無声映画「番場の忠太郎 瞼の母」を観る、聴く

2024-09-05 16:43:36 | 映画観賞・感想
 久しぶりに活動弁士の名調子を楽しもうとしたのだが、思わぬアクシデントにより、その期待が不完全燃焼に終わってしまったのは残念だった…。

     

 昨日(9月4日)午前、札幌市資料館において北海道生涯学習協会主催による「賛助会員の集い」が開催された。「賛助会員」とは、北海道生涯学習協会の趣旨に賛同し個人として寄金する団体である。例年、年に一度その会員の集いが開催されているのだが、今年は札幌市資料館において「無声映画のつどい」が開催された。
 何故に無声映画を札幌市資料館で?との疑問もあろうかと思われるが、一つは歴史的建造物である札幌市資料館がその舞台に相応しい、ということと弁士であるいいむら宏美氏が定期的に札幌市資料館で「無声映画の会」を開催していることから開催会場として選ばれたものと推定される。
 会はまず、札幌市資料館のボランティアガイドを務める武石詔吾氏から「札幌市資料館」の前身である「旧札幌提訴院」についての説明があった。それによると…、

  
  ※ 札幌市資料館(旧札幌控訴院)です。

 ◇旧控訴院は東京、札幌をはじめ全国7ヵ所に存在した。
 ◇その後旧控訴院は地方高等裁判所に衣替えした。
 ◇旧控訴院時代の建物が現存しているのは、札幌市と名古屋市だけである。
 ◇旧札幌控訴院は外壁が札幌軟石、内部がコンクリートの組構造である。
 ◇建設費は当時(明治19年)で22万円、現在価格で22億円程度である。
等々の説明があった。
 続いてメインの「無声映画のつどい」に入った。
 活動弁士は前述したように札幌市内では唯一の「いいむら宏美氏」である。氏によって上映前に無声映画について若干の説明があった。それによると…、

       
       ※ 札幌唯一の活動弁士のいいむら宏美さんです。

 ◇1890年頃に初の映画が制作された。(無声映画)
 ◇無声映画に弁士が付いて楽しんだのはアジア各国だけで、欧米にはなかった。
 ◇アジアで流行ったのは、アジアには「言葉の芸」を楽しむという習慣があった。
 ◇活動弁士の最盛期は1910~1920年代で、札幌市だけで110名もの弁士が活動していた。
 ◇また、同時に楽団も付き、多い場合は14~5名の楽団が付くこともあった。
というような説明があった後、いよいよ映画「番場の忠太郎 瞼の母」の上映、そしていいむら宏美氏弁士の登場となった。映画は長谷川伸の原作、監督は新進気鋭の稲垣浩で1931(昭和6年)制作となっている。
 と、ここまで文章を綴ってきてストーリーの内容を確認しようとウェブ上を繰っていたときに、私のブログの投稿に出会った。なんと私は2020年12月4日に同じ札幌市資料館で開催された飯村宏美氏が弁士を務めた同じ映画をすでに体験していることが判明しのだ!(う~ん。私の記憶装置もかなりガタがきている?)
 その際に私は次のように記している。
「時に主演の片岡千恵蔵は28歳、妹を演じた山田五十鈴が14歳の時の作品だという。片岡千恵蔵は当時から時代劇六大スターと呼ばれて大人気を博していたということだが、私たち世代が知っている片岡は渋い中年俳優として銀幕を飾っていた方との印象が強いが、若き日の表情にその面影を見ることができ嬉しい一瞬だった。」
この思いは昨日も同じだった。
 さてアクシデントのことである。映画はDVDに再収録したものを放映したのだが、前半は何事もなく進行していた。そして忠太郎が苦労の末に5歳の時に生き分かれた、母らしき人・おはま(常盤操子)と出会ったのだが、おはまは頑として母親であることを認めない。それを見ていた娘のお登世(山田五十鈴)が説得するのだが…。

     
     ※ 番場の忠太郎と母おはまの再会の場面です。

 アクシデントはその時起こった。なんとDVDが度々ストップしてしまうのだ。肝心の親子の対面の場面が台無しとなってしまったのだ。
 何としても残念なことだったが、機器が相手だと文句も言えない。ちょっと不完全燃焼に終わってしまった「無声映画のつどい」だった。もっとも、私は一度親子が抱き合う最後の場面を一度観ていたのだが…。

映画 堂々たる人生 No.379

2024-08-30 09:04:00 | 映画観賞・感想
 良くも悪くも“裕次郎” である。1961年制作というから、62年前の映画である。裕次郎27歳の映画であるが、裕次郎にとってはデビュー後47作目の主演映画である。今の人が観れば突っ込みどころ満載であるが、当時、裕次郎ファンだった人たちにとっては、懐かしさいっぱいの映画だったろう。ところで今の人は“裕次郎”と聞いて誰のことか分かるのかなぁ??

       

 8月25日(日)午前に「ちえりあフェスティバル」で「最高の人生のはじめ方」を観た後、午後には北海道立文学館において上映された「堂々たる人生」を観るという映画鑑賞のダブルヘッダーを体験した。
 なぜ道立文学館で裕次郎映画なのか?と不思議に思ったが、道立文学館では定期的に文芸作品を中心とするDVD上映会「映像作品鑑賞のつどい」を開催しているという。今回の「堂々たる人生」は、原作が源氏鶏太作品の「白い雲と少女」という作品の映画化ということで取り上げられたようだ。

     

 ストーリーは玩具会社に勤める中部周平(石原裕次郎)は、会社員としても優秀なうえ、女性にもめっぽうもてるという役柄である。中部が勤める玩具会社が経営危機に陥ったところを中部と同僚の紺屋小助(長門裕之)、石岡いさみ(芦川いずみ)とともに危機を切り抜け、会社を立ち直させるというストーリーである。
 とにかく石原裕次郎のカッコ良さが前面に出た映画で、その昔は裕次郎ファンだった思われる女性がたくさん詰めかけていたが、彼女らにとっては若き日の思い出に浸ることのできた時間だったのではないだろうか?さらに相手役の芦川いずみのハツラツとした可愛らしさがレビュー欄でも大好評であるが、私も同様の感想を持った。

  
  ※ 写真左から、石原裕次郎、芦川いずみ、清川虹子、桂小金治の出演者です。

 また脇を固めた桂小金治、清川虹子、藤村有弘、殿山泰司、中原早苗、東野英次郎、宇野重吉といった面々が若々しく演じていた姿を見ることができたことが嬉しかった。今では全ての方が鬼籍に入られているだけに、懐かしさいっぱいに観ることができた映画だった。