田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

中国人は80通もの証明書が必要!?

2012-09-30 23:33:33 | 講演・講義・フォーラム等
 中国では「準生証(出産許可証)」から始まって、「計画生育証」、「初婚初育証」、「節制生育証」…、と中国で生きていくためには多くの証明証が必要とのことだ。その数実に80通あまり!! 中国からの国際交流員の話を聞いた。 

          
       ※ 最初に映し出されたスライドですが、左の図が証明書類をずらっと並べた図です。

 札幌国際プラザには札幌市の国際化を推進することを目的として、アメリカ・ドイツ・中国・ロシア・韓国の5ヶ国からの国際交流員が在籍していて多方面に活躍している。
 その活躍の一つとして、彼らのお国柄を紹介する「○○○を知るセミナー」というトークイベントが定期的に開催されている。

 9月27日(木)夜に「中国を知るセミナー」が開催された。
 講師は中国からやってきた 賀 小雲(ガ ショウウン)さんという20代後半くらいの女性だった。
 彼女は中国において一人の人が一生の中で必要な証明書を次々と挙げ紹介してくれた。
 それは 
 ◇家庭婚姻関係  24通 
 ◇身分証明関係  12通 
 ◇学習・職業関係 19通 
 ◇移動・旅行関係  7通
 ◇財産関係    14通
 ◇その他      4通
 これらを合わせると実に80通ということになる。これらの中には私たち日本人でも必要な出生証明とか、身分証明、学生証なども含まれるが、中国独特のものも数多い。
 特に家庭婚姻関係に興味深いものがあったので、いくつか紹介してみたい。

          
          ※ お話をする講師の賀 小雲さんです。

 中国人にとって一番重要な証明書として紹介されたのが「準生証(出産許可証)」というものだった。つまり中国では国が発行するこの証明書がないかぎり出産はできないという。この準生証のないまま生まれてきた子どもは戸籍も、身分証明も発行されず、学校にも行けないということだ。
 続いて「計画生育証」といってこれも子どもが生まれる前に申請手続きをしなければならないという。

 さらには「初婚初育証」、「節制生育証(避妊証)」、「婚検証」、「流動人口計画生育証」、「出生証」、「一人っ子父母栄光証」と次々と挙げられた。これらは全て中国の一人っ子政策を徹底させるために作られた証明書のようである。
 現在は一人っ子政策もやや改善され、農村地区では5年の間を置くと第2子を出産できるように改められたということだ。5年間子どもを産まなかったという証明が「節制生育証(避妊証)」らしい。
 その他にも「初婚証」、「離婚証」、「渉外婚姻証明」、「独身証明」、「未婚証」、「新婚培訓(育成訓練)証」、「婚育培訓合格証」などなど…。

 いや~、息がつまりそうである。
 中国では人間の一生に証明書が付いて回るといった印象である。聴いていた私はウンザリといった感じだったが、話をしている賀さんは淡々と話している印象だった。それはそのことを当たり前のこととして受け止めているということなのだろう。
 日本では「国民総背番号制」などということが話題になっているが、そのことをもし導入しようとしたときには、その判断に程度の差こそあれ民意が反映されるシステムになっているが、中国ではそのあたりはどうなっているのだろうか?

北海道の高山登頂の話を聴く

2012-09-29 21:44:41 | 札幌学 & ほっかいどう学
 世の中には凄い人がいるものだなあ~、と感嘆するばかりだった。北海道内の1500m以上の山々150峰を全て、しかも夏冬両シーズンともに登ったという。当年とって68歳の京極絋一さんという凄いクライマーの話を聴いた。

 
 熊さん騒動で山に登れないなら(登れないことはないのだろうが…)、せめて山の話を聴こうと思って、このところ積極的に山の話を聴くことにしている。
 25日(木)日本山岳会北海道支部が主催する講座に参加した。
 この回は「1500m夏冬登頂」と題して京極絋一氏の体験談を豊富な写真と共にうかがった。

          
          ※ 京極氏の話を聴く受講者。中高年の姿が目立ったが・・・。

 京極氏は北海大学山岳部の出身で、現役・0Bで作る「北海岳友会」に所属して山登りを続けているようだ。その山行記録は輝かしいものである。
 まだ氏が若かった20世紀後半、カフカス、ヒマラヤ、ミニアコンガ、ブータン、カムチャッカ、サハリン等々、海外の高山を数多く登っているという。
 と同時に国内・道内の山々も「北海岳友会」の仲間たちと登っているうちに道内の1500m以上の山150峰を全て登ってしまったのが平成8年秋だったそうだ。
 これらの山行を勤めを果たしながらながら(高校の事務職)完成したというのだからその努力は並大抵のものではないと想像される。

          
          ※ お話をする京極絋一氏です。68歳とは思えない若々しさです。

 しかし氏はそれでも挑戦を終えなかった。
 今度は夏冬それぞれその1500m以上の山々の登頂を目ざしたのである。冬は雪風が困難を極め、夏は道がなくて難渋したという。
 その困難な目標も平成21年秋にとうとう達成したという。
 
 世の中にいろいろな道の達人が存在する。京極氏はまちがいなく登山の道の達人と言えるだろう。素人には推し量れないほどの困難を克服しての達成だと思う。
 講座では山行の際の記録写真を数多く見せてくれた。私など見たこともなかった北海道の高山の厳しい表情がそこにあった。また、夏と冬ではまったく違った表情を見せる山の姿を見せていただいた。

          
          ※ 数多く映し出してくれた写真の一枚です。どこの山かは不明です。

 氏は講座の冒頭に「私はピークハンターではない」と話した。
 ピークハンターとは文字どおり、山頂登頂を目ざす登山者のことを指す言葉である。
 それより氏はむしろ岩登りを最も好んでいるという。
 だから68歳になった今も、アルパインクライミングの日本のクラシックルートの登攀を続けているという。
 さらにもう一つ現在取り組んでいることは、日本山岳会が創立100周年事業で取り組んだ「中央分水嶺踏破」(この踏破そのものは2006年に完成している)の北海道版で上川地方の三国山から知床峠の突端までの分水嶺踏破を目ざしているそうだ。

 こうして68歳の今も現役で登山に情熱を傾ける京極氏のお話をうかがいながら、疲れが取れなくなった、身体のあちこちが痛いなどと言っていられないな、と刺激を受けた私だった。

日ハム 制パへカウントダウン

2012-09-28 23:17:41 | スポーツ & スポーツ観戦
 本日の対ライオンズ戦、投げてはエース吉川が2安打完封し、打っては主砲中田が2本塁打5打点の爆発と、ファイターズファンにとっては理想的な試合運びで優勝へのマジック4を点灯させたゲームを観戦した。

          
          ※ レフト外野席の熱烈ファン席には横断幕が掲げられていた。

 
 今朝になってから急遽観戦を決めた。
 それはファイターズのパリーグ優勝が現実味を帯びる中、優勝を争うライオンズとの2連戦の初戦にエース吉川が先発すると知って、勝利の確率が7~8割と読んでぜひ観戦しようと思ったのだ。
 朝、ネット上でチケットを手配し、B指定席1塁側16通路11裂61番のチケットを入手した。(妻は同行せず)

          
       ※ 試合前の国歌斉唱の後、一人しっかり会釈する栗山監督の姿が印象的だった。

 試合は1回裏のハムの攻撃から動いた。中田が塁上に一人ランナーを置いて左中間へ先制ツーランを放ちリードした。
 先発吉川は安定したピッチングで危なげなく打者を討ち取っていく。
 すると5回裏、再び中田が走者二人を塁上においてレフトへこの試合2本目のスリーランホームランを放ち5対0とリードした。

          
        ※ この日2本のホームランを放った中田選手のリラックスしたフォームです。

          
          ※ こちらは春先の中田選手のフォームです。違いが歴然としています。        

 これで吉川の調子から見て安泰といえた。
 吉川は期待どおりに相手に3塁を踏ませぬ安定した投球で9回を2安打完封で見事勝利した。
 観戦していて、これほどスカッとする試合はないのではと思われるくらい、ファイターズファンにとってはたまらない試合だった。
 これで2位ライオンズとのゲーム差は3、そして優勝へのマジック4が点灯した。


          
          ※ 今シーズン大変身した吉川投手の力強いフォームです。

 
 今夜の試合は今年の優勝の行方を左右する最も重要な試合だったのではないか。その試合を制したファイターズはかなり優勝に近づいたといえるのではないかと思う。
 そんな試合を目撃できて幸運だったと、ファイターズが優勝したときに思いたいものだ。

          
          ※ 5対0で完勝し、握手し合うファイターズナインです。

 心配がないわけではない。吉川、中田の活躍に隠れてしまったが、好機に攻めきれないという心配な面がある。今日の試合でも一死三塁、一死二三塁という外飛でも1点のケースをことごとく潰してしまった。
 最近の試合でもあと1点取っていたら、と思われた試合が何試合かあった。
 この悪弊がクライマックスシリーズなどに出ないだろうかという不安がファンとしてはあるのだが…。

          
          ※ 目立たなくとも縁の下の力持ち的役割を果たす鶴岡選手が私は大好きです。

どうぎんカーリングスタジアム

2012-09-27 16:26:30 | 札幌(圏)探訪
 9月15日に公共施設としては全国で初めての通年型カーリング施設「どうぎんカーリングスタジアム」がオープンした。ある目的のためのリサーチも兼ねて、22日(土)午後に訪れてみた。 

 ある目的とは…。
 「札幌を知る」をコンセプトに札幌市内外を彷徨っているオヤジ集団の10月例会の担当幹事となっていたため、「カーリング体験も面白そう!」と思い、その実現の可能性を探る目的で訪れたのだ。
 結論を先に言うと、10月例会として実施することは困難と判明した。というのも、無料体験会の日程はあらかじめ決まっていて、10月に体験したい場合は9月20日までに申込みを完了していなければならないということだった。

 例会行事としては断念したが、施設設備だけは一応見ておこうと思い、カーリング場内のあちこちを見て回った。
 写真と共にその様子をお伝えしたい。

 ◇カーリングスタジアムの外観です。意外と地味な印象です。地下鉄「月寒中央駅」から徒歩5分の近さにあります。

          

 ◇場内に入ると、事務室があり正面の窓越しにカーリング場が見えますが、そこは観戦スペースではありません。壁にはカーリング日本代表のユニフォームが展示されていました。

          

 ◇観戦スペースは二階に上がったところにあります。ドアを開けるとさすがにヒヤッとする冷気に包まれます。座席数は208席で、立ち見を入れると1000人が同時に観戦できるそうです。

          

 ◇競技レーンは5レーンあり、国際競技会の開催も可能だとのことです。

          

 ◇場内では「カーリング教室」だろうか、それとも「無料体験会」だろうか、いずれにしても初心者がヘルメットを装着して講習を受けていました。

          

 ◇レーンの横は選手・スタッフの控えスペースだそうです。

          

 この他、2階の観戦スペースのドア越しの背後にはカフェスペースが設けられ冷えた体を温めることができるようになっていた。また、1階には更衣室、シャワー室、そしてさまざまな目的に使用できる多目的室が4部屋設けられている。
 施設としては必要最小限のものが揃っているといった印象だが、おそらくカーリング専用施設としては国内でも最高レベルのものが完成したということなのだろうと思う。
 この最新施設を有効活用して、来るべきソチ五輪では日本勢(北海道勢)の大活躍を期待したいものだ。

 カーリングスタジアムを後にして帰ろうと外へ出ると、月寒体育館の中から音楽が聞こえてきた。好奇心が疼きだし体育館へ行ってみると、「札幌フィギアスケート選手権大会」が開催されていた。        
        
 大会ももう終わりの方で、いわゆる最もレベルの高いシニアの女子選手の演技が行われていたので観戦することにした。 
 観戦していて気付いたことは、テレビなどで見る一線級の選手とはスピードが明らかに違うという印象だった。その中で一人だけ他の選手よりスピード豊かな選手がいた。その選手はジャンプで転倒したり、回転数が足りなかったりしたが、後から結果を見るとやはりその選手が優勝していた。

          

          

          

 シニア女子の部の参加選手は5名だったが、ジュニアも含めると全参加選手は94名とのこと、かなりの数の選手が札幌でもフィギアスケートに取り組んでいることが分かった。その中からぜひとも全日本の上位で戦える選手が登場してほしいと願いながら会場を後にした。


桑園のいま・むかし

2012-09-26 23:00:43 | 札幌学 & ほっかいどう学
 地域の方から桑園の生き字引とも言われている丸岡勇氏の話を聴く機会があった。丘珠空港ビルで「地域歴史講座」が開催されたのだ。それにしても、「空港ピルでなぜ歴史講座を?」と思われませんか? 

 9月23日(日)丘珠空港ビルで「桑園のいま・むかし」と題する講座が開催されるとあって、桑園のことを学びたいと考え、地下鉄を乗り継いで丘珠空港ビルに向かった。
 会場は2階出発ロビーに隣接した集会室のようなところであった。思っていた以上に受講者がいて3~40名くらいいたのではないか。

 講師の丸岡氏は70歳を超えていると見られるが、桑園で生まれ育ち、その後も桑園にずっと住まわれている方と聞いた。
 丸岡氏のお話は題名どおり、桑園の現在と昔の姿を紹介するものだったが、私にとってはむろん昔のことが興味の対象であった。

          
          ※ お話をする丸岡勇氏ですが、パワーポイント使用中のため表情が写りませんでしたね。

 興味深かったことの一つとして、明治の頃の桑園地区はあちこちに湧出する泉(メム)があり、丸岡氏の言葉を借りると「じゃぶじゃぶだった」ということだ。そのため各所に池が存在し、釣り堀などもあったそうだ。特に現在の桑園駅近くのSCのイオンのところには大きな池があったという話も興味深かった。

「桑園」という地名の由来は、明治初期に開拓使が山形の旧庄内藩士に桑の木を植えることを奨励したことがその由来となっているそうだ。旧庄内藩士たちは明治8年6月から9月までの短期間のうちに現在の桑園の地に4万本の桑の木を植樹したそうである。
 ところが当時の桑園地区は前記したようにかなりの湿地帯だったために桑の木は大きく育たず、育てるのにかなり苦労したということだった。

 大正時代、桑園駅は札幌の物流の拠点として発展したそうである。札幌駅に隣接しているという地の利を生かした貨物ターミナルができ、引き込み線も多数あり、倉庫も多数存在していたということだ。
 また、鉄路は今のように高架になっていなかったことから事故が多発する踏切があったという話も今では考えられないことで興味深かった。

          

 まだまだいろいろな話をうかがえたが、私のような桑園新参組にとってはいずれもが興味深くうかがえた。これからも機会があればうかがってみたいと思った。

 ところで、「空港ビルでなぜ歴史講座を?」という疑問だが、丘珠空港ビルではビルの2階の一角に「札幌いま・むかし探検ひろば」というコーナーを設け、札幌のまちの歴史を紹介している。それと併せて、定期的に「地域歴史講座」を開催しているということだ。その一環として「桑園のいま・むかし」講座が開催されたということである。
 関係者によると、丘珠空港ビルの利用者を少しでも増やしたいという空港ビルの工夫の一つということだ。

ニセコ沼めぐりトレッキング ニセコの花編

2012-09-25 16:51:19 | 北海道低山紀行 & Other
 紅葉の季節を前にして、ニセコ高原は花の季節ではなかったが、それでもコース沿いには疲れを癒す可憐な花や、花が終わって実をつけた植物が散見できた。グループの中に花に関心の深い人がいたためにそれなりの葉や実をチェックすることができた。その写真と名前を羅列することにします。 

   ◇キノコの前にある赤い実は「マイヅルソウ」の実です。

          

   ◇黄色の花はキリンソウだそうです。

          

   ◇この可憐な花は「ヤマハハコ」というへんてこな名前が付けられていますが、別名が「エーデルワイス」と聞くとなんだか納得します。

          

   ◇紫の花びらが鮮やかな「エゾヤマリンドウ」の花です。

          

   ◇すでに花の時期が終わったのでしょうか?「ワレモコウ」の実(?)です。「ワレモコウ」とは演歌の中で歌われていたような記憶が…。

          

   ◇白く丸い小さな花が印象的な「シラタマノキ」です。

          

   ◇名前は不明ですが、どことなく毒々しい色彩に見えたキノコです。

          

   ◇これも何の動物の糞か分かりませんがルート上の石に載っかっていました。

          

   ◇「ガンコウラン」の実です。食することができるということで私も口に含んでみましたが、微かな酸味を感じました。

          

   ◇最後は鮮やかな青色を呈していた「ツバメオモト」の実です。こちらは食べられそうではなく、誰も手を出しませんでした。

          


 植物の名前などに疎い私は一人で山に入っても、植物の葉や実に目を奪われることは稀ですが、造詣の深い方と同行するといろいろと教えてもらうことができます。単独山行と集団山行…、それぞれ長短はあるがどちらも棄て難い。どちらの形態も楽しみたいと思う。

   ◇最後に今回のトレッキングのマップです。オレンジ色の部分が私たちが歩いた(登った)ルートです。

          

ニセコ沼めぐりトレッキング 後編

2012-09-24 22:33:44 | 北海道低山紀行 & Other
 「ニセコ沼めぐりトレッキング」の後半はトレッキングという比較的お気楽なイメージとは裏腹にかなり過酷なものとなった。私たちのリーダーが「心が折れそう」(おい!おい!)と弱音を吐くほどだったが、なんとか…。

 大沼で休んでいたあたりからポツポツと小さな雨が降っていたのだが、出発直後レインウエアを着た方が良いという判断でグループ全員が着込むことにした。
 その際に私はザックカバーも装着することにした。ところがザック脇のポケットに挿していた新品のポール(トレッキングポール)が邪魔になった。ここまで比較的楽だったこともあり、私は持参のポールを使用していなかった。
 どうしようか迷っていると、グループの女性が「使ったらいいんじゃない?」という言葉を受けて使うことにした。(主体性のない判断である)これが後半のルートで私を助けてくれることになった。

          
          ※ 雨が落ちてきてレインウェアを着込んでのトレッキングとなりました。

 大沼からルートは小さな上がり下がりを経ながら「大谷地」に出た。名前のとおり高原に広がる大きな湿原である。

          
          ※ 雨が降っているため下りは滑りやすく、慎重に下りました。

          
          ※ 大谷地の湿原地帯です。正面の山はイワオヌプリです。

 
 大沼から30分、降っていた雨も上がり小さな川(硫黄川)を渡った河原が昼食ポイントだった。先発していた主催者のリーダーたちがみそ汁を沸かして待っていてくれた。このサービスは大ヒットだ。疲れた体にみそ汁がしみわたった。

          
          ※ 小さな川(硫黄川の源流)を渡りました。

          
          ※ 主催者の方々がみそ汁を振る舞ってくれました。

        
 昼食時間に30分を取った後、13時10分トレッキングを再開した。再出発にあたり「これからが本日最大の難所が続きます」と全体リーダーから忠告があった。
 難所も難所、きつい上りが連続した。もはや私がイメージするトレッキングではない。完全な山登りである。
 ここで持参のトレッキングポールが大活躍した。「登山の基本と安全管理」の講座で講師の方が「ポールを使うことは2駆の車が4駆になるようなもの」と言っていたが、そのことを実感させてくれた。私はポールの力を借りながら上りつづけた。

          
          ※ 登山道が沢水に削られてこんなに細いところもありました。

          
          
          ※ けっこうな上りの様子が分かる一枚かと思います。

          
 高度が増したからだろうか?ルート沿いの木の葉に色づいたものが見えてきた。まもなく紅葉が始まるという山の木の葉たちからのサインのように思えた。

          
          ※ 高度がますにつれ、こうした木の葉が目に付くようになりました。

          
          ※ こうしたガレ場も横切りました。上からの落石に注意せよ!

 途中1度の休憩を入れ、上りつづけること約1時間10分、全体のリーダーが「もうこれ以上は上りません」と言ってくれたときには正直ホッとした。
 それからは急激な下りである。大きな石が積み重なったような岩場を下りてゆく。今度もまたポールの活躍である。ポールを先に突いてやや体重を預けるようにして下ると膝への負担が軽くなるのだ。岩場に注意しながらポールを使った。(スキーでのポール操作が多少は役だったかも?)

          
          ※ 苦しい上りが終わったら、今度は下りです。女性は下りが不得意のようです。

          
          ※ 天候が回復し、木漏れ日が疲れを癒してくれます。

 目的地の五色温泉郷が眼下に見えてきた。ホッとした瞬間である。
 最後は五色温泉郷に向かって、長い長い階段を下った。
 全員で無事ゴールに着いたことを記念する集合写真を撮ったのは14時40分だった。

          
          ※ 眼下に見えた五色温泉郷です。正面の山はアンヌプリです。

          
          ※ 長~い、長~い階段が温泉郷まで続いていました。

          
          ※ 無事到着の記念写真を撮る直前の様子です。

 その後、汗にまみれた体をすっきりさせるべく五色温泉「山の家」の野趣溢れる露天風呂に浸かった。「あ~あ、極楽、極楽」

          
          ※ 野趣豊かな鄙びた感じが出た「山の家」の露天風呂です。

 ニセコ沼めぐりトレッキング物語 一巻の終了でございま~す。
(明日はニセコ高原の秋の花や実たちを特集します)

ニセコ沼めぐりトレッキング 前編

2012-09-23 22:18:37 | 北海道低山紀行 & Other
 札幌市教委が主催する「ニセコ沼めぐりトレッキング」に参加した。ニセコ高原に散在する神仙沼、大沼を巡るトレッキングである。神仙沼自然休養林休憩所(レストハウス)側から入った。初めは気軽な木道の散策コースと思ったのだが…。 

          
       ※ レストハウスのところにあった案内板です。神仙沼の位置関係がよく分かります。

 実は、18日(火)に開催された「登山の基本と安全管理」の講座の際、「22日にトレッキングを計画しているが参加の希望は?」と問われ、山登りに飢えていた私は迷いなく参加を希望した。
 文書をいただくとそこには、「ピークを目ざす登山ではないがけっこう負荷のかかるトレッキングです」という趣旨のことが書かれていた。

          
          ※ 神仙沼の周囲にはこのような木道が縦横に広がっていました。

 22日(土)快晴!絶好のトレッキング日和である。
 午前7時30分、JR札幌駅から総勢32名がバスでニセコ高原を目ざした。
 午前10時15分、神仙沼自然休養林休憩所(レストハウス)のところからトレッキングを開始した。私は第5グループ、若い女性をリーダーにした5人グループである。内訳は二人の中高年の女性と30代くらいの男性、そして私といった組み合わせである。

          
          ※ 神仙沼に至る高層湿原に敷かれている木道です。

 レストハウスにはたくさんの観光バスが横付けされ、多くの観光客が木道を通って気軽に神仙沼まで往復していた。
 木道を歩き約15分で神仙沼に到着した。なんだかあっけない感じである。
 神仙沼はニセコ山系に数ある湖沼の中でも最も美しいと言われている沼だということだが、紅葉前ということもあったせいか、あるいは水草が浮いていたせいかそれほど美しいと感じられなかったのは私の感性に問題があるのか?

          
          ※ 多くの人たちの目的地である神仙沼の観賞ポイントです。

          
          ※ 神仙沼の全景です。

 神仙沼で約10分の休憩をした後、次の大沼目ざしてトレッキングを開始した。
 依然として木道が続いている。「こりゃ楽勝だわい」と思ったのだが、現実は甘くはなかった…。
 木道がなくなったな、と思ったら本格的なトレッキングが始まった。と言っても最初はそれほどの上がり下がりもなく穏やかなトレッキングだった。

          
          ※ 神仙沼を過ぎても写真のような木道が続いていました。

 同行の一人の女性が植物(高山植物)に関心があり、道中いろいろな花や実に目を止めて、名前を確認するために私もいつくかの名前を知ることができた。
 途中、一度の休みを挟んだ後から今度は本当の本格的なトレッキングになってきた。

          
     ※ 大沼までに一度の休憩が挟まれた。真ん中にいる青いザックの女性が私たちのリーダーです。          

 リーダーの若い女性は札幌市の野外活動研究会に属しているということだったが、自身はあまり山歩きを得意としていないようで、他のグループから遅れをとりながらのトレッキングになってきた。

          
          ※ 木道が終わり、いよいよ本格的なトレッキングとなってきました。

 神仙沼から約1時間15分経過した11時55分第二の目的地の「大沼」に到着した。
 大沼は神仙沼のように水草もみえず、水が澄んだ大きな沼だった。これといった特徴のない沼だが、こうした高層に位置しているということが珍重されているのであろう。

          
         
          ※ 第二の目的地だった「大沼」です。この辺りから空が暗くになってきました。

          

 ここで昼食!と思ったのだが、昼食場所はさらに前方とのことで10分の休憩後に再出発した。(続きは後編で)


JAXAシンポジウム2012 in 札幌

2012-09-22 23:31:17 | 講演・講義・フォーラム等
 今年5月に打ち上げられた水循環変動観測衛星「しずく」の関係者と活用者が、そして現役の宇宙飛行士・古川聡さんが、「宙(そら)から視る、宙をつかう」と題して市民向けに分かり易く語ってくれた。 

          
          ※ 会場内撮影はNGだった。開会前に撮った唯一会場内の様子です。

 21日(金)夜、道新ホールにおいてJAXA(宇宙開発機構)主催のJAXAシンポジウムが開催された。
 プログラムはお笑いコンビのパックンマックンがナビゲーターを務めながら進行するトークセッションの形で進められた。

 第一部は「“水の惑星”のメカニズムにせまる『しずく』」と題して、「しずく」を開発したプロジェクトマネージャーの中川敬三氏、「しずく」の観測成果の活用者である気象庁の佐藤芳昭氏、漁業関係者の為石日出夫氏の三人が登壇した。
 「しずく」は地球上の空気量・水蒸気量・降水量・積雪量・土壌水分・海面水温・海上風速・海水密接度の計測が可能だという。

          
          ※ 会場エントランスに展示してあった「しずく」の模型です。

 その「しずく」からの情報をもとにスーパーコンピュータで計算し、雲や気圧の動きを予測するのが気象庁の一つの仕事だそうだ。テレビの気象解説で見るあの雲や気圧の動きは「しずく」の観測成果が生かされている好例といえる。
 また、最近の漁業も「しずく」からの情報によって海面水温などの情報を得ることによって漁場を推測し、効率の良い漁業を進めているということだ。

 第二部は「宙を匠(つく)るひと~星出飛行士、宙に」と題して現役の宇宙飛行士の古川聡氏が登場した。
 古川氏は昨年6月から国際宇宙ステーション(ISS)に165日間の長期滞在を果たした宇宙飛行士です。
 対する星出飛行士は7月15日に打ち上げられ、まさに今現在ISSに滞在し活動している方である。
 その星出飛行士が現在になっているミッション、そして古川氏が成し遂げたミッションについて語ってくれたが、こちらの方はミッションの一つ一つが専門的で私がメモするまでにはいたらなかった。

            

 印象的だったのは、古川氏がとても爽やかな印象を与える好紳士だったことだ。
 東大医学部を卒業し医学博士の称号を得る頭脳を持ちながら、高校時代は高校球児の一人として野球に明け暮れていたというから、当たり前といえば当たり前だが宇宙飛行士というのは極々少数の選ばれた人たちである。
 古川氏は質問に答えて、宇宙飛行士を目ざすには①チームワークを学べ、②身体を鍛えろ、③英語に強くなれ、と強調した。
 その上で、古川氏は
 1.いろいろなことに興味をもって
 2.夢をもって
 3.その夢に向かって一歩努力する
ことの大切さを会場に参加した少年少女にメッセージとして発してシンポジウムを閉じた。

               
               ※ 展示されてあった古川氏が着用したソ連製の宇宙服(?)

 どなたが言ったかは聞き逃してしまったが「宇宙開発は地球開発」と述べた日本人宇宙飛行士がいたということだが、まさしくそのとおりだなと思えた今回のシンポジウムだった。

ランチタイムセミナー「お昼の科学」

2012-09-21 22:10:55 | 講演・講義・フォーラム等
 絶滅危機種、絶滅危惧種、絶滅危急種…、自然界ではさまざまな生物が危機に陥っているらしいのだが、今回はそうした危機に陥っている鳥類の中からクマゲラとシマアオジの2種について話を聴いた。 

 北海道総合研究機構(略称:道総研)では一昨年くらいからお昼休みを利用したランチタイムセミナーを開催している。私も時々聴講しているのだが、20日(木)の「フィールドに出て鳥を見よう」は特別関心のあるテーマではなかったが聴講することにした。

               

 短い時間の中で、クマゲラについては雲野明氏から、シマアオジについては玉田克己氏からと、それぞれを専門にしている二人の研究者から話を聞いた。

 リード文でも触れたが、絶滅の恐れのある種にも三段階あるということを初めて知った。
 紹介する順に絶滅の危険度が高いそうである。
 最も絶滅の恐れが高い「絶滅危機種」にはシマフクロウなどが含まれるとのことだ。
 次に「絶滅危惧種」である。ここにはタンチョウなどが含まれるそうだ。
 そして「絶滅危急種」としてクマゲラなどが含まれるということだった。
 シマアオジは北海道レッドデータブック2001が発刊された時は絶滅危急種の1ランク下の希少種に位置付けられていたのだが、環境省版のレッドデータブック2012ではぐっとランクアップしてシマフクロウと同じ「絶滅危機種」になってしまったということだった。

          
          ※ 講義をする雲野明氏です。

 二人の研究者からはそれぞれの鳥の特徴や見つけ方についてレクチャーを受けたが、私のようなまるで素人には絶滅の恐れがあるくらい希少となっている鳥を容易に見つけることはなかなか困難なことではないかと思われた。
 彼らが私たち素人にも鳥を見つけてほしいと呼びかけるのは、研究者だけでは鳥たちの生息情報を集めることが困難だという事情があるようだ。少しでも多くの目で生息を確認したいという思いが伝わってきた。

          
          ※ 同じく講義をする玉田克己氏です。

 玉田氏から研究者ならではのお話をうかがえた。
 シマアオジが2001年から10年の間に絶滅危機種になってしまったと先に記したが、その原因を普通は環境の変化を考えがちだが、玉田氏は違うと言う。この10年間、日本の生育環境は大きく変わっていないと言う。シマアオジが渡り鳥であることから、むしろ原因は外国にある可能性が高いと指摘した。
 日本ではこの10年、いやそれより前から野生生物へ関心が高まり、環境の保護が叫ばれそのことが功を奏しているということなのかもしれない。
 こう述べると「いやいやまだまだ」と言う方もいるかもしれないが、環境を保護しようという風潮が日本の中に定着しつつあることは確かであると言えるのでないだろうか。