“ジェンダー” とは? 昭和男である私にはスーッと理解するにはなかなか難しいテーマである。過日、この問題について考える機会があった。難しいテーマではあるが、昭和の男は次のように理解したのだが…。
10月29日(土)午前、北海道新聞の「道新ぶんぶんクラブ」が継続的に開催している「時代がよめる経済・ビジネス講座」の一環として小樽商大の須永将史准教授が「コロナ禍でのジェンダー諸問題~ケアを焦点に」と題する講座を受講した。
須永氏は受講者のほとんどがおじさんというよりは私たちお爺さんであることを意識し、ジャンダー問題について易しく噛み砕いて説明された。
まず “ジェンダー” そのものの定義であるが、これは生物学的な性ではなく、社会的な男女のありようとしての性別における差を指し、こうした性別に基づく不平等を是正しようとする動きがジェンダー論である、と説明された。
つまり我が国においては、改善されつつはあるものの依然として性別役割分業制が敷かれていて、「男は外、女は内」という概念が根強く残されていると須永氏は指摘する。また例え家から出て職を得たとしても女性は職場において補助的役割に甘んじなければならない立場におかれ、給与も男性より下におかれる場合が多かった。
一方、“ケア” という概念であるが、語義としては「気遣う」、「配慮する」と訳され、家庭においては家事・育児・介護などを指す言葉とされるが、家庭でのケアは女性が自然に担う領域とみなされ対価が払われてこなかったと須永氏は指摘する。
その他にも須永氏は我が国における社会的性差の実態を事例としても挙げられたが、私は頷くだけだった。そして性別役割分業意識がどのように形成されてきたかについて、我が国に長く根付いてきた「家父長制・男子家長」、「家族国家観」、「良妻賢母主義」などのキーワードを使って解き明かした。
さらに須永氏は “ケア” という言葉に焦点を当て、コロナ禍における “エッセンシャル・ワーカー” の問題に言及した。“エッセンシャル” とは、簡単に言えば「世の中において絶対必要なこと」と訳されるが、それを担っているのが “エッセンシャル・ワーカー” である。エッセンシャル・ワーカーは広義の概念であるが医療・福祉あるいは小売業の分野に限れば、コロナ禍以降中高年女性のパートタイマーが6~7割を担い低賃金に据え置かれているという。そして、他者を支えるという意味ではエッセンシャル・ワークも広い意味での “ケア労働” であると指摘した。
というように今回の講義で須永氏は日本社会が抱えるジェンダー問題について事例を数多く提示し、私たちお爺さん世代に問題点を示唆してくれたと解釈している。最近のマスコミや言論界でこのことが話題になっていることは承知していた。さらには、私が受講する講演・講義などにおいても女性経営者や研究者が登壇することが多くなり、女性の台頭を感じてはいた。しかし、昭和中期に生まれ家庭においても、職場においても、まだまだ旧弊の中で多くの時間を過ごした私たち世代の価値観は容易に転換できていないのが現状である。
ジェンダー問題の解消は、SDGsが掲げる17の目標の一つでもある。日本のリーダーの方々はもっとこの問題に目を向け、世界に後れを取ることのないようにしていかねばならないのではないか、ということを感じさせられた講義だった…。
※ 掲載したイラストはウェブ上から拝借しました。