今日から10月です。年度で言っても上半期を終え下半期へと移り変わります。
土日とも雨で気温もグッと下がり、急に秋深くなってしまったような感じです。
北海道ではダイヤ改正ですか?新型特急だと思っていた781系も引退とは。そのうち画像を揃えてアップすることにしましょう。
このところ機関車のアップが多かったので、今日は趣向を変えて、敢えて趣味的には賛同したくない「ビバあいづ」をご紹介したいと思います。
そんなに昔の話ではありませんので、若い皆さんでもご存知のことと思います。
かつては、上野から特急「あいづ」、急行「ばんだい」「いいで」、仙台・福島方面からは急行「あがの」「いなわしろ」といった沢山の優等列車が走っていた磐越西線ですが、東北新幹線の開業と前後して実施されたフリークエンシーサービスにより急行列車が全廃されました。そして、短編成化されたグリーンライナーと称する455系の天下となり、色といえば、わずかに残った特急「あいづ」、快速「あがの」と1日2往復残った50系客車列車くらいでした。
その後、さらに特急「あいづ」、DC快速「あがの」、果ては客車列車まで廃止となってしまい、変化に乏しい路線となってしまいました。
D51498による冬期のSL運転も定着してきた頃、会津の観光誘致も盛んになり、そこで登場したのが「ビバあいづ」でした。
平成12年2月5日 磐梯熱海~中山宿間 旧中山宿駅スイッチバック付近にて
平成12年2月5日 広田~東長原間 東長原駅進入の有名お立ち台にて
平成12年2月6日 磐梯熱海~中山宿間にて SL撮影で有名な築堤区間にて
平成12年2月5日 広田~東長原間 珍しく行ったインパクトの無い直線上り区間にて
初めて同車を雑誌で見たとき、「何てことするんだ・・・」と思いました。
鋼製なのに銀ベース、485系なのにアタマにライト無し、1両丸々展示コーナー?何じゃこりゃ・・・。
4枚も写真を撮っていますが、必ずD51の前に来てしまうんですよね。だから、好きでもないのに撮っている自分がいる。でも・・・。
そんな「ビバあいづ」も長く活躍する間もなくこの地を去り、勝田区へと旅立ちました。
しばらくはそのままの出で立ちで活躍しましたが、塗装変更を受けまたもわけの分からん塗装になってしまいました。
車齢的には厳しくなってきている彼が現在でも活躍しているのは、過去にこんな経緯で働いてきたからに他ならないわけですね。
ついでに撮ったこんな写真も、彼の人生の証なのです。そう思いました。
土日とも雨で気温もグッと下がり、急に秋深くなってしまったような感じです。
北海道ではダイヤ改正ですか?新型特急だと思っていた781系も引退とは。そのうち画像を揃えてアップすることにしましょう。
このところ機関車のアップが多かったので、今日は趣向を変えて、敢えて趣味的には賛同したくない「ビバあいづ」をご紹介したいと思います。
そんなに昔の話ではありませんので、若い皆さんでもご存知のことと思います。
かつては、上野から特急「あいづ」、急行「ばんだい」「いいで」、仙台・福島方面からは急行「あがの」「いなわしろ」といった沢山の優等列車が走っていた磐越西線ですが、東北新幹線の開業と前後して実施されたフリークエンシーサービスにより急行列車が全廃されました。そして、短編成化されたグリーンライナーと称する455系の天下となり、色といえば、わずかに残った特急「あいづ」、快速「あがの」と1日2往復残った50系客車列車くらいでした。
その後、さらに特急「あいづ」、DC快速「あがの」、果ては客車列車まで廃止となってしまい、変化に乏しい路線となってしまいました。
D51498による冬期のSL運転も定着してきた頃、会津の観光誘致も盛んになり、そこで登場したのが「ビバあいづ」でした。
平成12年2月5日 磐梯熱海~中山宿間 旧中山宿駅スイッチバック付近にて
平成12年2月5日 広田~東長原間 東長原駅進入の有名お立ち台にて
平成12年2月6日 磐梯熱海~中山宿間にて SL撮影で有名な築堤区間にて
平成12年2月5日 広田~東長原間 珍しく行ったインパクトの無い直線上り区間にて
初めて同車を雑誌で見たとき、「何てことするんだ・・・」と思いました。
鋼製なのに銀ベース、485系なのにアタマにライト無し、1両丸々展示コーナー?何じゃこりゃ・・・。
4枚も写真を撮っていますが、必ずD51の前に来てしまうんですよね。だから、好きでもないのに撮っている自分がいる。でも・・・。
そんな「ビバあいづ」も長く活躍する間もなくこの地を去り、勝田区へと旅立ちました。
しばらくはそのままの出で立ちで活躍しましたが、塗装変更を受けまたもわけの分からん塗装になってしまいました。
車齢的には厳しくなってきている彼が現在でも活躍しているのは、過去にこんな経緯で働いてきたからに他ならないわけですね。
ついでに撮ったこんな写真も、彼の人生の証なのです。そう思いました。