今日は、久しぶりの急行シリーズで、DD51牽引「おが」をご覧いただこうと思います。
東北新幹線の開業前、昭和60年頃までは、東北本線にもまだたくさんの急行列車が設定されていました。
黒磯までは165系、黒磯以遠へは455系が主に使われていた車輌ですが、「ざおう」のように電車と気動車が併設されていたもの、「いいで」「出羽」のようにディーゼルだけ設定されていたものなど、特徴のある列車もありました。
その中でも、この急行「おが」は、朝早く上野を出発する気動車急行と、雑客を使用した夜行列車とが併設された、東北方面では変わった設定の急行列車でした。
ちなみに、昔の山陽方面では「つくし」のように昼行電車急行と夜行客車急行が併設されていたものがありました。
この夜行急行「おが」は、古くから季節列車として設定されていたため、完全な定期列車ではありません。運転区間も時によって秋田止まりだったり男鹿線男鹿まで乗り入れたりと、イマイチ安定性を欠く列車に感じました。
雑客の頃は、季節列車の宿命か、荷物列車や郵便列車の併結が無く、オマケにグリーン車も無い。A寝台とB寝台も1両ずつの妙にあっさりした編成で、如何にも臨時列車のような編成でした。
時は流れ、東北新幹線が開業した後も、秋田方面への夜行需要はあったようで、定期の「津軽」とともに、臨時列車として「おが」も残りましたが、20系化され不評を買った「津軽」のお下がりの20系を譲り受け、20系ブルトレ「おが」が誕生することになります。
そして、折りしも山形新幹線の工事により北上線経由として経路を変更された20系「おが」は、こともあろうにDD51牽引の昔の特急「出雲」のようなスタイルで、北上線を走るようになったのです。
平成3年9月22日 北上線 ゆだ錦秋湖~ほっとゆだ間にて
平成4年8月17日 北上線 撮影地不詳
20系は大好きな車輌ですが、もう既に終焉を迎えようとしている頃。最後の活躍といった頃でしょうか。ヘッドの帯が消えてしまい、表情が変になってしまった20系。
しかし、DD51の牽く20系客車は、かつては東北特急の「はくつる」「ゆうづる」、奥羽本線の「日本海」「あけぼの」、そして山陰の「出雲」や九州各線ブルトレと、由緒ある20系特急が必ず歩んだスタイルだけに、その迫力・美しさは、鉄道ファンの心に永遠に残る最高のシーンであると確信します。
東北新幹線の開業前、昭和60年頃までは、東北本線にもまだたくさんの急行列車が設定されていました。
黒磯までは165系、黒磯以遠へは455系が主に使われていた車輌ですが、「ざおう」のように電車と気動車が併設されていたもの、「いいで」「出羽」のようにディーゼルだけ設定されていたものなど、特徴のある列車もありました。
その中でも、この急行「おが」は、朝早く上野を出発する気動車急行と、雑客を使用した夜行列車とが併設された、東北方面では変わった設定の急行列車でした。
ちなみに、昔の山陽方面では「つくし」のように昼行電車急行と夜行客車急行が併設されていたものがありました。
この夜行急行「おが」は、古くから季節列車として設定されていたため、完全な定期列車ではありません。運転区間も時によって秋田止まりだったり男鹿線男鹿まで乗り入れたりと、イマイチ安定性を欠く列車に感じました。
雑客の頃は、季節列車の宿命か、荷物列車や郵便列車の併結が無く、オマケにグリーン車も無い。A寝台とB寝台も1両ずつの妙にあっさりした編成で、如何にも臨時列車のような編成でした。
時は流れ、東北新幹線が開業した後も、秋田方面への夜行需要はあったようで、定期の「津軽」とともに、臨時列車として「おが」も残りましたが、20系化され不評を買った「津軽」のお下がりの20系を譲り受け、20系ブルトレ「おが」が誕生することになります。
そして、折りしも山形新幹線の工事により北上線経由として経路を変更された20系「おが」は、こともあろうにDD51牽引の昔の特急「出雲」のようなスタイルで、北上線を走るようになったのです。
平成3年9月22日 北上線 ゆだ錦秋湖~ほっとゆだ間にて
平成4年8月17日 北上線 撮影地不詳
20系は大好きな車輌ですが、もう既に終焉を迎えようとしている頃。最後の活躍といった頃でしょうか。ヘッドの帯が消えてしまい、表情が変になってしまった20系。
しかし、DD51の牽く20系客車は、かつては東北特急の「はくつる」「ゆうづる」、奥羽本線の「日本海」「あけぼの」、そして山陰の「出雲」や九州各線ブルトレと、由緒ある20系特急が必ず歩んだスタイルだけに、その迫力・美しさは、鉄道ファンの心に永遠に残る最高のシーンであると確信します。