今日は交流型電気機関車篇で「ED77」の第1弾をお送りいたします。
手元に詳細な資料は無いのですが、簡単に解説いたしますと、
ED77は、磐越西線の郡山~喜多方間の電化に際し導入された、50Hz交流型機関車です。昭和40年に試作機ED931として誕生し、後に量産型が15両製造されています。磐越西線は線路規格が低いため、ED75は入線できなかったことから、車体を延長の上中間台車を設けて、軸重を軽減することで電気機関車の入線を可能としました。この中間台車は、軸重を可変することができたそうです。
試作機であったED931は非貫通型として登場しましたが、量産車は磐越西線の勾配が長い線形を考慮し重連型貫通型として製造されたため、後に重連仕様・貫通型に改造の上「ED77901」と名を改め、量産型とともに活躍しました。
今日は、ED77型の牽く50系客車「レッドトレイン」と貨物列車の画像をご覧いただきたいと思います。
平成2年7月1日 磐越西線 翁島~猪苗代間にて 50系客車を牽くED77
個人的にレッドトレインが好きではないので、ED77型が牽くレッドトレインの写真はコレしかないようです。磐越西線の電化区間で2往復のみ残った客車列車が、間もなく電車化される最終期の頃の写真です。
昭和57年3月21日 磐越西線 磐梯町~翁島間にて トップナンバーの牽く貨物列車
撮影としては初めて訪れた磐越西線。この頃はまだ1号機が健在でした。通常、同線貨物列車は重連仕業の筈ですが、この列車は単機牽引になっています。???
この日は生憎の雨で最低のコンディションでしたが、同駅間約10Kmを1日掛けて歩きました。3月でかなり寒く、確か途中立ち寄った更科信号場で、声を掛けてくれた職員の方がストーブにあたらせてくれたのを思い出しました。
昭和62年6月13日 磐越西線 磐梯町~翁島 重連貨物列車
JR化後間もない頃撮った、ED7715を先頭とする重連貨物列車。59・2ダイヤ改正後に地方貨物の取扱いは激減し、この磐越西線でも日中1往復の貨物列車のみの設定となってしまいました。この列車は必ず重連運転でしたので、客車列車廃止後の人気はかなりあったと思います。
JR化後にも拘らず、このED77には2両ともあのいやらしい「JR]マークが付いていなくて得した気分です。
その2は「臨時列車篇」です。例によっていつアップするか分かりませんが、お楽しみに!
手元に詳細な資料は無いのですが、簡単に解説いたしますと、
ED77は、磐越西線の郡山~喜多方間の電化に際し導入された、50Hz交流型機関車です。昭和40年に試作機ED931として誕生し、後に量産型が15両製造されています。磐越西線は線路規格が低いため、ED75は入線できなかったことから、車体を延長の上中間台車を設けて、軸重を軽減することで電気機関車の入線を可能としました。この中間台車は、軸重を可変することができたそうです。
試作機であったED931は非貫通型として登場しましたが、量産車は磐越西線の勾配が長い線形を考慮し重連型貫通型として製造されたため、後に重連仕様・貫通型に改造の上「ED77901」と名を改め、量産型とともに活躍しました。
今日は、ED77型の牽く50系客車「レッドトレイン」と貨物列車の画像をご覧いただきたいと思います。
平成2年7月1日 磐越西線 翁島~猪苗代間にて 50系客車を牽くED77
個人的にレッドトレインが好きではないので、ED77型が牽くレッドトレインの写真はコレしかないようです。磐越西線の電化区間で2往復のみ残った客車列車が、間もなく電車化される最終期の頃の写真です。
昭和57年3月21日 磐越西線 磐梯町~翁島間にて トップナンバーの牽く貨物列車
撮影としては初めて訪れた磐越西線。この頃はまだ1号機が健在でした。通常、同線貨物列車は重連仕業の筈ですが、この列車は単機牽引になっています。???
この日は生憎の雨で最低のコンディションでしたが、同駅間約10Kmを1日掛けて歩きました。3月でかなり寒く、確か途中立ち寄った更科信号場で、声を掛けてくれた職員の方がストーブにあたらせてくれたのを思い出しました。
昭和62年6月13日 磐越西線 磐梯町~翁島 重連貨物列車
JR化後間もない頃撮った、ED7715を先頭とする重連貨物列車。59・2ダイヤ改正後に地方貨物の取扱いは激減し、この磐越西線でも日中1往復の貨物列車のみの設定となってしまいました。この列車は必ず重連運転でしたので、客車列車廃止後の人気はかなりあったと思います。
JR化後にも拘らず、このED77には2両ともあのいやらしい「JR]マークが付いていなくて得した気分です。
その2は「臨時列車篇」です。例によっていつアップするか分かりませんが、お楽しみに!