しばらく間が空いてしまいましたが、EF58をお届けいたします。
今日は、山陽の荷物列車牽引で最期まで活躍した101号機です。
101号機は、昭和31年7月6日東洋電機・汽車会社製で、新製配置は何と東京機関区です。その後の経過は不明ですが、長らく宮原機関区で特急・急行・荷物列車の牽引に活躍しました。
形態的には、宮原区の特徴である原形小窓を廃車になるまで維持した車輌です。東海道スジの車輌ですので、エアフィルタはヨロイ戸化、パンタグラフはPS15となっています。元々上越仕様ではありませんので、ツララ切りやホイッスルカバー等の寒地装備はありません。
昭和54年頃 東京駅にて 20系急行「銀河」を牽引して上京した101号機
この写真は、101号機がまだ原形ライトを保っていたときのものです。当時、急行「銀河」は宮原区のEF58が担当していましたので、美しい姿のEF58が20系を牽引する姿を見ることができました。(一部に美しくないヤツもいましたが・・・。)
再塗装をして間もないのか、ピカピカの車体がリバーサルからのダイレクトプリントとの相性も合って、非常に綺麗なプリントとして残っています。
昭和58年5月17日 山陽本線 瀬野~八本松 EF58101牽引の荷物列車
写真は、瀬野八を行く101号機牽引の荷物列車です。編成はそこそこ両数があった割りには、EF61200番台の補機無しで坂を上ってきました。
写真を見てお判りのとおり、この時点では残念な事にシールドビーム化されています。なお、このシールドビームは、同ライトを装備したまま廃車となった別のEF58のものを取り付けていたそうです。
せっかく最後の原形小窓機として残ったにも拘らず、このようなことになってしまいました。
この101号機も、59・2ダイヤ改正時にEF62化へのツナギ役として下関区に招集され、山陽スジとしては最期の最期まで活躍したカマです。
昭和58年8月現在ではまだ廃車になってはいないようですが、事実上はこの時既に休車となっており、そのまま廃車となってしまったようです。
今日は、山陽の荷物列車牽引で最期まで活躍した101号機です。
101号機は、昭和31年7月6日東洋電機・汽車会社製で、新製配置は何と東京機関区です。その後の経過は不明ですが、長らく宮原機関区で特急・急行・荷物列車の牽引に活躍しました。
形態的には、宮原区の特徴である原形小窓を廃車になるまで維持した車輌です。東海道スジの車輌ですので、エアフィルタはヨロイ戸化、パンタグラフはPS15となっています。元々上越仕様ではありませんので、ツララ切りやホイッスルカバー等の寒地装備はありません。
昭和54年頃 東京駅にて 20系急行「銀河」を牽引して上京した101号機
この写真は、101号機がまだ原形ライトを保っていたときのものです。当時、急行「銀河」は宮原区のEF58が担当していましたので、美しい姿のEF58が20系を牽引する姿を見ることができました。(一部に美しくないヤツもいましたが・・・。)
再塗装をして間もないのか、ピカピカの車体がリバーサルからのダイレクトプリントとの相性も合って、非常に綺麗なプリントとして残っています。
昭和58年5月17日 山陽本線 瀬野~八本松 EF58101牽引の荷物列車
写真は、瀬野八を行く101号機牽引の荷物列車です。編成はそこそこ両数があった割りには、EF61200番台の補機無しで坂を上ってきました。
写真を見てお判りのとおり、この時点では残念な事にシールドビーム化されています。なお、このシールドビームは、同ライトを装備したまま廃車となった別のEF58のものを取り付けていたそうです。
せっかく最後の原形小窓機として残ったにも拘らず、このようなことになってしまいました。
この101号機も、59・2ダイヤ改正時にEF62化へのツナギ役として下関区に招集され、山陽スジとしては最期の最期まで活躍したカマです。
昭和58年8月現在ではまだ廃車になってはいないようですが、事実上はこの時既に休車となっており、そのまま廃車となってしまったようです。